そう長くはありませんので雨の日のお供にでも。
雨の日は嫌いだ。
気温は下がるし外に出られない、そして何より頭が痛くなる。
しかも、どういうわけか僕は雨に降られることが多い、いわゆる「雨男」らしい。
そして今日も。
「また、か・・・」
今日も出先で雨に降られた。しかも旅先で。
一応天気予報も確認してきたのだが、あれはどうもあてにならない。
それに加えて傘もレインコートも持ち合わせてないときたからもはやどうすることもできない。
さてどうしようか、こう悲観にくれている間にも雨は無情にも僕の体を濡らしてゆく。
僕はどうもついてない。ともかく、近くの走って近くの東屋に身を寄せた。
「当分止みそうにない、か」
薄墨色の空から降る雨は次第に強くなっていき、紫陽花と花菖蒲が美しい広い庭園の一角に僕を閉じ込める。
それにしても僕はつくづくついてない。
少ない手持ちを工面して僕がわざわざ遠くまでやってきたのにこの仕打ちだ。
どうも当分止む様子は無いらしい。
こうなってしまっては致し方ない、走って帰ろう。ずぶ濡れで家に帰ることは今回が初めてではない。
3・2・1と
飛び出そうと覚悟を決める。
「あの、もしかしてお困りですか」
今まさに飛び出さんとした瞬間、女性の声でそう呼びかけられた。
思いとどまり後ろを振り返ると、少し離れたところに和傘を差した女性が立っていた。
僕と同年代位の彼女は心配そうな表情でこちらを見ている。
「あ、いや、お気になさらず」
「もしよければなのですが、ご一緒しましょうか?」
そう言って彼女は指している傘をこちらに差し出す。
「いえ、すぐ近くのバス停までなので、ご迷惑ですよ」
思いもよらぬ申し出に戸惑ってしまう。
見知らぬ人の手を借りるというのも悪くはないが、傘を忘れたという個人的な都合で人に迷惑をかけるのは忍びない。
「ここからだと距離ありますよ。それにバス停までなら私も行きますので」
雨脚はますます強くなっていくようだ。
「あのっ、ご迷惑でしたら・・・」
「いえ、お願いできますでしょうか」
もはや考えている猶予はない。僕はお言葉に甘えることにした。
先ほどより激しくなった五月雨の中、一つ傘の下名も知らぬ少女とバス停への道を行く。
「あの、本当にありがとうございます」
申し訳なさもあり、少しだけ顔を少女の方に向けながら礼を言う。
正直言って女性と話すのは慣れてない。ましてや今知り合ったばかりの人ならなおさらである。
「いえ、お困りのようでしたので」
それにしても雨中一人でいる見知らぬ男に傘を差しだすなんて随分と広い心を持った人物だ。
長い髪を後ろで大きなリボンで束ねた僕と同年代位の少女は優しい声でそう答えた。
「海辺の天気は変わりやすいですからね。お近くの方ですか?」
「いえ、ちょっと遠方から」
雨音は相変わらず激しい。
僕がわざわざ遠くまで来たのは特に深い理由があるわけではない。
ただ遠くの、見知らぬ街に行きたかった、それだけのことなのだ。
しかも大雨に降られ、しかも見知らぬ人に助けてもらうなんてなんとも自分が情けなく感じてしまう。
ふと相手の顔越しに沿道の紫陽花を見る。雨粒が打ち付ける青紫の大きな花はその色をより一層際立たせている。
そう思っていた瞬間に彼女がこちらを向いた。
「・・・綺麗ですね」
「へっ!?」
数秒経ってからようやく自身が犯した過ちに気づく。言うにしてもタイミングが悪かった。
これではまるで数分前に会ったばかりの名も知らぬ女性を口説くろくでもない人間である。
「いや、紫陽花のことで。雨の雫が当たって綺麗だなって」
「あっ、確かに私も好きですよ、雨の日の紫陽花」
なんとかその場は取り繕ったが僕の失態でなんとも気まずくなってしまった。
そのまま何とも言えない雰囲気のまま歩みを進め時間だけが過ぎてゆく。
そんな状況の中でも彼女は傘を差し出し続ける。
そして、僕はあることに気がついた。
彼女の右肩の先が少し濡れている。
しまった、これはとんでもないことだ。傘を借りてる身でありながら、相手を濡らしてしまうなんて。
「あのっ、肩がお濡れになってますよ。私は濡れても構いませんのでもう少し傘をお寄せになってください」
「お気遣いありがとうございます。私は家が近いで構いませんよ」
彼女はそう言って微笑を浮かべる。その表情は僕と同年代とは思えない。
雨は未だ激しい。雨雫は頬をつたって僕たちを濡らしていく。
「私、雨の日って好きなんです」
ふと、彼女はそう呟いた。
僕はどういうわけか何も言わなかった。
いや、言えなかった。
そうして歩いているうちに、バスの待合小屋が見えてきた。
その中はこの大雨のせいか、薄暗くがらんとしている。
「近くに家の者が迎えに来ているので。わたしはここで」
「あのっ、本当にありがとうございました。助かりました」
僕は深々と頭を下げて彼女に礼を言う。
「いえ、お役に立ててよかったです。では」
そう言って彼女は再び雨が打ち付ける道を行く。
徐々に小さくなっていく傘越しの彼女の背中は風景にとてもよく馴染んでいた。
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昼休み。
眼下に無数に行き交う人、人、人。
僕、普通科1年
入学して一月ほどたち、やっと学校での生活自体には慣れたのだが、如何せんこの人の多さだけにはどうしても慣れない。
普通の高校なら閑散としているであろう図書室や中庭にまで、どこに行ってもそれなりに人がいる。そもそも規模自体が他と違って規模が大きすぎるのが原因であろう。
あいにく今日は雨こそ降っていないものの良いとは言えない空模様である。そのせいかこうして吹き抜けとなっている廊下から見下ろしていても外に行かない分人の流れも多い。
さてこれからどうしたものか、昼食を終えたがまだ昼休みは十分ある。まあ無難に読書か昼寝かそれともこのまま人間観察か、そんなことを考えながらただ行き交う人を見降ろしていた。
「早瀬さん、今お暇ですか?」
「最初に言っておきますが僕は今のところ演劇部には・・・」
「もう、まだ何も言ってないよ」
もはや毎日恒例となっているこの会話。相手は桜坂しずく、国際交流学科の1年生、鎌倉出身のお嬢様。
そして、虹ヶ咲学園演劇部の期待の新人でもある。
「毎日ずっと同じところでじっとしてるから、てっきり新作でも考えてるのかな、って思って」
「僕はそんなに大層な人間じゃないよ。この間のも暇つぶしに書いてるようなもんだし」
「暇つぶしにしては、出来が良すぎる気がするんだけどなぁ」
ただでさえ人数の多い学校である。学科も違うので普通なら関わる事もないであろう彼女がなぜこのように話しかけてくるのか。
その接点が文芸部の合同誌に趣味で寄稿した一作のシナリオである。
自分としては習作のつもりで特に熱を入れたわけでもないのだが、それがどういうわけか演劇部の面々の目に入り、シナリオ部の方々もさることながら特に部長さんにたいそう気に入られたらしい。
曰く、心機一転新しいシナリオライターが欲しい、との事だで、演劇部期待の新人である桜坂しずく女史が部長直々に勧誘係に任命されたらしい。
「中学の頃は演劇やってたんでしょ?」
「まあ、ねえ。裏方だけど」
演劇は以前関わっていたことがあったがまあそれは昔の話だ。
「私、好きだよ。早瀬さんの書くシナリオ」
「そりゃどうも」
自分はただ単に書きたいから書くのであって、他人の評価などは正直言ってどうでもいいものである。
それでも拙い自分の作品を評価し気にかけてくれるニジガクの演劇部の面々、特に「好き」とまで言ってくれた桜坂しずくには感謝している。
「・・・もしかして、嫌いになっちゃったの?演劇」
桜坂は神妙な面持ちで尋ねてきた。
「嫌いだったらそもそも書かないさ」
「それじゃあ、何か理由があるの?もしうちの部活で関谷さんが受け入れられないところがあったら、私から部長に・・・」
「そんなんじゃないんだ、そんなんじゃ」
桜坂さんの言うように演劇が嫌いになったわけでも、ニジガク演劇部に不満があるわけでもない。むしろこの学校は演劇をするのに申し分のない環境である。
正直、自分を贔屓している人達に要らぬ苦労を掛けるのは申し訳ない。
でも、僕は演劇部に入る気にはなれない、少なくとも今は。
自分自身で黒塗りにした過去が靄のように自分の体に纏わりついて離れない。癒えることない傷痕がじんわりと痛む感覚。
気が付くと窓の外には雨粒がちらついていた。
ああ、やっぱり雨は嫌いだ。
ふと目線を下から左に遷すと申し訳なさそうな桜坂さんがいた。
「その・・・、やっぱり迷惑だった?」
「いや、こちらこそごめんね」
桜坂さんは何も悪くない、純粋に演劇を愛する気持ちゆえに自分に話しかけてくるのだ。悪いのは過去を乗り越えられない自分自身なのだ。
「・・・早瀬さん?大丈夫?顔が怖いよ」
「えっ、ああ、大丈夫」
昼休みも終盤に近づいたせいか、生徒の動きも慌ただしくなってきた。
「私、次移動教室だから戻るね。ごめんね、一人の時間を邪魔しちゃったみたいで」
「いや、こちらこそ。僕なんかに構ってもらって」
「また、演劇部見に来てね。私、待ってるから」
そう言って桜坂さんは慌ただしくなってきた人混みの中へと歩き出す。
「あっ」
数秒して桜坂さんは立ち止まり何か思い出したように僕の方を振り返る。
「どうかした?」
「うんうん、やっぱりなんでもない!じゃあね!」
『やっぱりなんでもない』そのどうも引っ掛かる言葉を残して彼女は先程よりさらに慌ただしくなった生徒たちの中に混じっていった。
その歩く後ろ姿は、女優志望らしく上品で優雅なものであった。
次回第二回『過去と日常』
お楽しみに。