演劇少女のもう一つの顔、それを知った時早瀬暁斗は何を思うか。
「さて、どうするべきか・・・」
窓の外には澄み切った五月晴れの空が広がっているが、早瀬暁斗は放課後の教室で一人思い悩む。
「別に、僕じゃなくてもいいと思うんだけどなぁ」
改めて今までの経緯を頭の中で整理する。
昼休み、今日もいつものごとくカフェテリアの隅で食後のコーヒーを喫していると桜坂さんの優しい声が聞こえてきた。
「早瀬さん、今よろしいですか?」
「ああ、桜坂さん、僕はいつでも暇ですよ。どうかしました?」
「早瀬さんったら。これなんですけど」
そう言って桜坂さんが手渡してきたのは一枚の宣伝チラシ、今話題の劇団の公演に関するものだ。
「ああ、これ僕も気になってたんですよ。桜坂さんも見に行くんですか?」
「それなんですけど、よかったらご一緒しませんか?」
思いもよらない申し出に僕は思わず目を丸くする。というのも、僕は演劇を見に行くことはよくあるが今までほとんど一人であり、誰かと一緒なんて最近は全くないからである。
「僕とですか?」
「はい、演劇部でチケットが配られたんですが、まだ何枚か余ってまして。それに、二人で観れば終わった後にお話もできますし。どうですか?」
そう桜坂さんが尋ねてきたのである。
悩ましい、実に悩ましい。
桜坂さんは交友関係も広く人望も厚い。他に一緒に行く相手など探せばいくらでも見つけられるはずだが、なぜあえて最近知り合ったばかりの僕が選ばれたのか。
肝心の僕の返答はと言うと「予定が入るかもしれないからちょっと待っててくれ」という身も蓋もないのである。
当然ながら急に予定が入ることなど皆無だが、あまりに突然の事だったので考えるよりも先に口からこの言葉が出てしまった。まったく不甲斐ない。
彼女も舞台を見るのに集中したいだろうし、気軽に引き受けていいものなのか、大いに悩む所なのである。
「おやおや~?あき夫、もしかしてお困りですか~?」
すると隣の席の方から呼び掛けられた。
この妙に癖の強い言い方をしてくる相手は虹ヶ咲学園広しといえどもただ一人しかいない。
「も~しお困りならこの超絶かわいいかすみんが、お悩み相談に乗ってしんぜよ~!」
「ああ、中須か。んで、なんだ?」
「もう、ちゃんと話聞いてくださいよ!・・・あ!そのチラシしず子が持ってたやつだ!」
つくづく思うが本当に中須は騒がしい。そして何故か桜坂の事を『しず子』、僕の事を『あき夫』と呼ぶ。
「ああ、桜坂さんから一緒に見に行かないかって・・・・」
「だめだめだめだめ!絶対だめ!!」
机から身を乗り出して中須は声を上げた。普段言っている「かわいい」とは程遠い。
「なんだよいきなり」
「だってかすみんたちはスクールアイドルなんですよ!アイドルが男子とお出かけなんて部長のかすみんが認めません!」
本人は気迫を込めているつもりなのであろうが全然怖くない。そしてそこからアイドルの清純性が何たらという話が長々と続く。
中須の言う通り、桜坂さんがスクールアイドルなるものをやっていることは僕も知っている。
僕はあまりそういう方面に詳しくないので、パフォーマンスは見たことのないものの他の生徒が話題にしているのを聞いたことがあるくらいには有名らしい。
あと、中須は部長と名乗っているがそれも大いに疑問だ。1年生が部長なんてどう考えてもおかしい。
「・・・ということなのです!」
話の半分は聞き流していたが、どうやら終わったらしい。そこで僕はようやく口を開く。
「認めないも何も僕が誘ったわけじゃないし。第一、まだ行くと決まったわけじゃないんだからそんなに目くじら立てなくたっていいだろ別に」
「と・に・か・く!駄目なものはだめなんです!」
ぷんぷん、という言葉がよく似合う表情で中須は言ってくる。
「不純異性交遊なんて、かすみんが許さないんですからね!」
「その言い方はいくら何でもないだろう」
やたら物騒な単語を出して中須は念を押してくる。他人が聞いてたら評判に関わる。
実際のところ僕は女子と話すことも多くないし、ましてや出かけた経験なんてほとんどない。
それにしてもこの中須の反応は気にかかる。
「とにかく絶対ダメですからね!約束ですよ!かすみんはこれから練習だけど、会ったときにしず子にも言っておくから!それじゃ」
そう言って中須は不満げに教室から出て行った。どうも中須と話していると疲れる。
「ほんと何なんだあいつ・・・」
ふう、と一つ大きなため息をついてまたも僕は考え込む。
いきなり突っかかられて理不尽と思う反面、中須の言うこともあながち間違っていないと思える。
彼女からすれば、同じ部活の大の友達である桜坂さんが同級生の男子と休日に出かけるなんて言ったら気が気ではないだろう。
それに彼女の言う通り、僕と出かけることで桜坂さんのスクールアイドルとしての面子に傷が付く様なことがあっては甚だ申し訳ない。
その時、僕はふと思った。
『アイドルとしての桜坂さんはいったいどんなものなんだろう』
よくよく考えれば僕は彼女の事を漠然としか把握していない。
お芝居が好きな演劇部期待の新人、成績優秀で品行方正な鎌倉のお嬢様。
ざっと挙げてみるだけでこんなもんだろう。
話す内容も日常の話題や演劇関連の物ばかりだ。
早速イヤホンを付けスマホの動画サイトを開く。
そして検索をかけようと文字を打ち込もうとするが、そこで手が止まる。
動画を見るためとはいえ、さすがに知り合いの名前を打ち込むというのはどうも気恥しい。
そこで『虹ヶ咲 アイドル』とだけ入力し、少し間をおいて「検索」の箇所をタップした。
「うわっ、結構伸びてるんだなぁ」
検索結果の欄に表示された動画にはうちの制服を着た女子たちが映っており、その中には桜坂の姿も見える。
そしてどの動画も投稿されて間もないがどれもそれなりの数再生されている。
画面をスクロールしていく中で、いよいよ桜坂さんの動画が出てきた。
曲名は『あなたの理想のヒロイン』
曲調や衣装もいかにもアイドル、といったものではなく、ある物語のヒロイン、という言葉がふさわしい
いざこうしてアイドルとして踊っている桜坂さんを見るとなんだか不思議な気分である。
再生数もかなりのものであり、コメントにも『かわいいです!』と言った称賛に溢れている。
その中である一つのコメントが目に留まる。
『ずっと私のヒロインでいてください!』
桜坂さんは違う世界にいるんだなぁ、コメントを見た瞬間ふとそんな事を思う。
桜坂さんは大勢の人から慕われ、愛されている。そんな彼女とさしてかかわりのない僕が二人きりなんてやっぱり不自然だ。
もはや桜坂さんはただの虹ヶ咲学園の一生徒ではなく学園を代表するスクール『アイドル』なのだ。
そうすると中須が言っていた清純性の話も頷けてくる。
悪いことは言わない、中須の忠告を聞いて何か理由をつけて断った方が無難なのかもしれない。
そんな考えが悶々と湧いてくる。
当然のことながら桜坂さんの連絡先は知る由もないので直接会って話をするほか方法はない。
普段なら彼女と会うのは演劇部の練習が終わるのを待ってれば良いのだが、あいにく今日は練習が休みと聞いている。
とすると彼女は今きっと今頃は家へと向かう電車の中か、スクールアイドルとしてとしてダンスと歌の練習中といった所だろう。演劇部なら多少顔が利くがスクールアイドルの方はそうはいかない。よくよく考えるとそもそも部室すら知らない。
どちらにせよ今日は会えないだろうからと、僕はそのまま帰路に着くことを決めた。
とはいっても、帰ってもこれと言ってやることはない。そこで少し遠回りして帰ることにした。
入学してまだ半年もたたないが、つくづくこの学校のすごさを実感する。
設備もさることながら一番はその広さだ。同級生の中にはいまだに迷子になってしまう人もいると聞いている。
放課後というだけあって行きかう生徒は手に各々の部活の道具を持っていたりジャージに着替えている人も多い。
ちょうど中庭まで差し掛かると、所々から運動部の掛け声が聞こえる。
今では僕に関係のないことだがまさに青春の一風景、といった所だ。
僕はどうも運動部特有の体育会系のノリは苦手なので昔から距離を取っている。
とは言っても演劇部も一見穏やかそうに見えるがその実情は運動部そのものである。
部活では演技や発声練習が主だが筋トレや走り込みが占める割合も少なくない。
なかなか厳しいと感じるときもあるが、何事も基礎がものを言うから侮れないものである。
僕はそんなことを考えながら近くのベンチに腰掛けただ意味もなく周囲を眺める。
すると徐々に一つの掛け声がこちらへと近づいてくる。
何の気なしにその声の方に目を向けた僕の視線はある一か所に固定された。
指定のジャージとは違う水色の練習着を着てながら前からでも見える特徴的な大きなリボン、まさに先程まで頭に浮かべていた桜坂しずく、その人である。
どうやら向こうも私に気づいたようでこちら側に軽く会釈をしてきた。
そして徐々に速度を落としてこちらへと向かってくる。
「あっお疲れ様です」
「部活、もう少しで終わるから待っててもらえますか?」
「ええっ」
そう言うとすぐさま彼女は先ほどよりも足を速めてまたランニングへと戻っていった。
あまりに咄嗟の事だったので変な反応をしてしまった。
「さて、どうするか・・・」
待っててと言われた以上残らなければならない。
しかし先ほどの考えをうまくまとめられる自信がない。僕は考えたことを書いて文章にするのは得意な方だが、いざ口に出すとなるとうまくいかないという事が少なくない。
中須が桜坂さんに何をどのくらい伝えたのか定かではないが、話が伝わっていることを祈るしかない。
徐々に傾いてゆく太陽と遠ざかっていく掛け声の中、僕は緊張しながらただ時が過ぎるのを待つ。
「おまたせしました、ちょっと長引いちゃって」
「いや、大丈夫」
陽もかなり傾きかけた正門前で待っていると校舎の方から桜坂さんが駆けてきた。
練習後のせいかその額にはまだ若干汗が滲んでいる。
「練習お疲れ様。悪いね疲れてるのに」
桜坂さんは演劇部とともにスクールアイドル同好会も兼部している。双方合わせた練習量は並大抵のものではないだろう。時間を取ってしまうのはこちらとしても申し訳ない。
そのまま僕たちは駅の方へと歩き始める。最初は取止めもない話が続いたが中須との件もあるせいかどうもぎこちなくなってしまう。
「もしかして、気にしてますか?かすみさんから言われたこと」
「ええっ、まあ」
いよいよきたか、と心のなかで身構える。
先に話題を出してくれたことはありがたいが、これからどう転ぶか全くわからないから正直言って怖い。
「私は全然気にしてないから、大丈夫だよ。まったく、かすみさんってば。そういえば演劇の件、予定大丈夫だった?」
「うん、予定は大丈夫なんだけど」
そこまで言ったところで言葉が詰まる。肝心な場面で思い切りが悪いのが僕の悪いところだ。
「早瀬さん?」
僕の様子を察したのか桜坂さんが不思議そうな顔をする。
「実は」
僕は思い切って先程まで考えていたことを率直に伝えた。
僕が話している間、桜坂さんはなんとも表現しきれない複雑な表情を浮かべていた。
正直、変に思われることは承知の上だ。しかし、ここは言わねばならない。鼓動が早まる中、僕はなんとか思いの丈を言い終えた。
「なんか、意外だな」
数秒の沈黙の後、ぽつりと桜坂さんは呟いた。
意外、という言葉が僕に重くのしかかる。
せっかく僕が書いたシナリオに興味を持ってくれたのに僕の方から距離を取りたいと言うのだから桜坂からすれば失礼極まりないだろう。避けられても仕方がない。
「変な話だよね、せっかく僕のシナリオに興味を持ってくれたのに、自分から避けてくれなんて言うなんて、書き手失格だよ」
「私は全然そんなこと思ってないよ」
優しい声が僕の隣から聞こえてきた。
「早瀬さんは誰がなんと言おうと名シナリオライター、私が保証するよ。あと、私だってスクールアイドルと同時に演劇部員、演劇が好きな人と仲良くするのは当然のことだよ」
ああ、なんて桜坂さんは優しいんだろう。
「それに」
「それに?」
そう言うと桜坂さんは歩みを止めてこちらの方に顔を向けた。
「私、早瀬さんともっとお話してみたいな、って思ってるの」
その言葉は僕にとって何よりも嬉しいものだった。
僕は人付き合いが得意な方ではない。口下手と言っていい。
でも、そんな僕に桜坂さんは手を差し伸べてくれた。
「・・・優しいんだね、桜坂さんは」
「演劇が好きな人に悪い人はいない、部長が言ってたの」
「あの人らしいや」
「だから、なんていうんだろう。私は、もっと話してくれたら嬉しいな、って思う」
ああ、なんて彼女は優しいんだろう、その優しさに僕は応えていいのだろうか。
シナリオを書く時はすらすらと出てくる様々な語彙やセリフが今ではなかなか出てこない。
「先に言っておくけど、僕変わり者だよ」
「私だって」
そこまで言った所で心につっかえていた何ががすとん、と落ちたような気がした。
「改めて、これからよろしくね。早瀬さん」
「こちらこそ。そういえば、週末の公演なんだけど・・・是非、行きましょう」
「はい!」
夕日に照らされる桜坂さんの顔は先程よりもずっと明るかった。
次回第四回『待ち人来たる』
お楽しみに。