純粋な心で手を差し伸べてくれる人。その人と出逢った時、少年は一歩踏み出せるか。
あの後僕は桜坂さんと一緒に帰った。
駅までの短い時間ではあったが今まで会話していた中でも一番充実していた。演劇の事、学校の事、そして聞いてこなかったスクールアイドルの事、今までにない程にたくさん話した。
正直、彼女が僕ともっと仲良くなりたいと言ってきたのは予想外だった。
僕を演劇部に勧誘するためと疑ってかかってたことをつくづく反省しなければならない。
そんなわけでいろいろあった一日も終わりに近づき僕は今ベッドの上でごろんとしている。
「んで、なんだいきなり電話なんかかけてきて」
『だから、昼間のことは申し訳ないっていうか・・・、その、ごめんってことで・・・』
枕元に置かれたスマホから聞こえる声の主は昼とはうって変わってげんなりしている。
電話の相手は中須、桜坂さんから何を言われたのかはわからないがおそらく叱られたのだろう。
「ああ。別に気にしてないし、わざわざ電話してくるほどの事でもないだろ」
『だってしず子があんまりにも言うから・・・』
「桜坂さんが?一体何を言われたんだ」
『えっと・・・、とにかく!しず子と一緒に行くんだから遅刻したり、その・・・雰囲気悪くなったりしたらかすみんが許さないんだからね!』
「ほんと変なこと言うんだな。ご忠告は感謝します」
『絶対だからね!』
「はいはい」
そう簡素に返答して僕は通話を切った。
やはりどういうわけか中須と会話すると妙に疲れる。
それにしても、わざわざ電話してくるほど中須は桜坂さんに何か言われたのだろうか。いつもはうるさいくらいに元気な中須があれほどしおらしくしていると、こちらとしてもどうしても調子が狂う。
しかし、いよいよ桜坂さんと一緒に出かけるとなると不安になる。
当日はどうしようか、ぼんやりと考えながら机の上のカレンダーを見つめた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「お待たせしました」
「いや、全然」
二人で以前にも繰返したような会話を交わす。時刻は午前9時、いよいよ桜坂さんと演劇を見に行く当日である。
「桜坂さんの私服初めて見たけど、やっぱり似合ってるね」
「ふふっ、ありがとうございます」
水色のブラウスに花柄のスカートといった出で立ちの桜坂さんの様子はまさに清楚といった言葉そのものだ。大好きな演劇を見に行くということもあってかなり気合いも入っているのだろう。
服装を誉めるなんてあまりにもベタで柄でもないことだと分かってはいるが、どうしても避けては通れない。中須から言われてることもあるが、どうも桜坂さんには妙に気を遣ってしまう。
すると、急にあくびが襲ってきた。
実のところ、昨日は今日の予定を考えていてなかなか寝付けなかった。というのも当然である、女の子と出かけるなんて滅多にないことであるから色々と考えることも多い。
「失礼、昨日なかなか寝れなかったもので」
「暁斗さん、公演中に寝たりなんかしたらめっ、ですよ」
「もちろん」
桜坂さんの言葉に思わず口元が緩む。
これは話している中で分かったことなのだが、桜坂さんは意外に茶目っ気がある人物だ。
一見すると勉強も部活も真面目に取り組む大人びた優等生だが、僕と話している時の彼女は自分の好きなことに全力で取り組む年相応の女の子といったところだ。
劇場へと向かう道中は話も弾み、あっという間に時間が過ぎた。
電源を切ろうとスマートフォンを取り出すと2つのメッセージが目に入った。
まず1つ目は中須。
『この間も言ったけど、喧嘩したり雰囲気悪くなったらかすみんが許さないんだからね!あとは・・・』
と、昨日電話で言われた内容と似たようなことが長々と送られてきた。
軽く目を通した後、了解したという旨のメッセージを送っておいた。
そしてもう一方が曲物である。
『しずくとデート、楽しんできてね』
こんな人をからかうようなメッセージを送ってくる人物は僕が知っている限り一人しかいない。
なんでこの人が知っているんだとは思ったが、恐らく桜坂さん経由だろう。
「変なこと聞くようだけど、今日舞台見に行く事って誰かに言った?」
「今日のことですか?はい、かすみさんとか・・・、あと部長にも。この公演のことは部長に教えてもらったんです」
やはり予感的中である。普段は澄ました顔をしているのに全く油断できない人物である。
過剰に反応すると余計悪いのでとりあえず、デートじゃないです、とだけ返信しておいて電源を切った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「いや、久々に面白い作品を見たよ」
「はい!本当にすばらしかったです!」
公演も終わり僕たちは劇場近くのお店で感想を語りあう。
評判の通り、公演は素晴らしいもので、思わず僕も作品の世界に完全に入り込んでしまった。
それは桜坂さんも同じようで感想を語るその目はきらきらと輝いて見える。
「桜坂さんはどの場面がよかった?」
「どれも素晴らしいですがなんと言っても主人公が生き別れの妹と再会する場面です!なんと言ってもその場面の妹さん役の役者さんの表情から所作まで再会の嬉しさと運命の残酷さの両方を表していて本当に素敵でした!」
「ああ、あそこはやっぱりいいよね。今言ってくれた演技もそうだけど、語彙とか言葉の言い回しとかにも臨場感があって僕としてもすごい勉強になったよ」
「はい!今からさっそく練習したくなってきました!」
「同じく。僕も短編でも書いてみたくなったよ」
演劇好きの性と言うべきか、二人で夢中になりどんどん話が進む。
気づけば入店して間もなく頼んだコーヒーもぬるくなってしまうほどお店にいることに気づいた。
「早瀬さん、これからどうします?」
「早速書き始めたいからどこかに籠りたい、って言いたいところだけどそうはいかないからね。僕は特に考えてなかったんだけど・・・」
「でしたら是非ご紹介したいところがあるのですが一緒に行きませんか?」
「ええ、是非」
こうして僕は桜坂さんが勧めるという場所に行くことになった。
話を聞くに現在位置から近くであるらしく、僕はそのまま桜坂さんの後をついて行く。
しばらくすると、予想に反して人が多くいる表通りから一歩入った路地に入っていった。てっきりどこかの雑貨店か公園かと思っていたので疑問に思いながらもそのまま桜坂さんの案内するままについて行く。
「えっと、一体どこへ?」
「もうすぐです。早瀬さん、きっと喜びますよ」
僕が喜ぶとなるとますますわからなくなってきた。そして暫くして桜坂さんは足を止めた。
「着きました!」
結局たどり着いたのは洋風の古びた建物である。珍しい煉瓦造りで随分年季が入っていることが見て取れた。
店名と思しき英語の看板と営業中の札は出ているので何かの店舗であることはわかるものの、それ以外は全くもってわからない。
「ここは?」
「ぜひ入ってみてください。きっと気に入ると思います」
桜坂さんに促されて重厚なドアノブに手をかけ、ゆっくりと引いていく。
そして足を踏み入れた瞬間、僕は思わず息をのんだ。
「すごい!」
視界に広がるいくつもの重厚な本棚、そしてそこにぎっしりと敷き詰められた本、本、本。
その題名を見るにどれも皆演劇や舞台に関するものだ。
「気に入ってくれたようでよかったです」
「ここって」
思わず興奮気味に桜坂さんに尋ねる。
「よかった、早瀬さんが気に入るかなと思ってたんです」
「どうして、このお店を?」
「部長が教えてくれたんです。演劇部の皆さんにも紹介したんですが、どうも難しすぎるみたいで」
たしかにこれほどのものとなると一般向けとは言い難いレベルだ。
言い換えればここを桜坂さんに紹介した部長のあの演技力の一端はここからきているのであろうと実感する。
「でもわざわざ僕のためなんかに」
「いいんですよ、早瀬さんが喜んでくれるなら」
「それならお言葉に甘えて!」
そこからは時間を忘れるほど本を探すのに没頭した。
シナリオの構成や演劇論、今では入手するのが難しいシナリオ集など目を引く本が目白押しだった。こんな素晴らしい場所を紹介してくれた桜坂には感謝しかない。
そして会計を済ませてお店から出たころには高かった陽はすでに西に傾いていた。
「早瀬さん、今日は一日付き合ってくれてありがとうございました」
駅へと続く道すがら、桜坂さんは笑みを浮かべてそう言った。
「お礼を言うのは僕の方だよ。なにせチケットもらって、あんな素晴らしいお店まで紹介してくれたんだし」
知り合ったばかりの僕にここまでしてくれたのだからできるなら彼女の力になりたい。
「このお返しはきっとするよ」
「いえ、お返しなんてそんな」
「いや、こんなに良くしてもらって僕から何もしないなんて悪いよ。何でも言ってくれれば力になるから」
すると桜坂さんは一瞬考え込んだ表情を見せたがすぐにもとに戻って言った。
「早瀬さんがそこまで言うなら一つ頼みたいことがあるんですが、いいですか?」
「もちろん。これだけしてもらったんだから僕にできることならいくらでも力になるよ」
僕がそう言うと桜坂さんは一瞬頬を緩ませたがすぐに元の様子に戻り、続けて言った。
「私たちのためにシナリオを書いてくれませんか?」
「それって・・・」
‘私たちのためのシナリオ‘それは紛れもなく部長から言われている演劇部の公演の事だ。
考えてすらいなかった言葉に胸の鼓動が高鳴る。何て言っていいのかわからない。
勿論今日のお礼として桜坂さんにできることはしてあげたい。
しかし、どうしてもそれに応える勇気がない。
そんな僕の様子を察したのだろう、桜坂さんはその穏やかな口調で、ゆっくりでいいですよ、と言って優しくこちらを見つめる。
「勿論、早瀬さんが乗り気でないことは知っています。でも」
そこまで言うと桜坂さんはこちらをまっすぐに見つめた。
「私は演じてみたいんです、早瀬さんが描く素敵な物語を」
その言葉を聞いたとき、僕の心の中に言葉では言い表せないほどの強い何かが走り、それと同時に感情があふれ出しそうになるのをぐっとこらえる。
僕が書くシナリオを演じたい、その純粋に演劇を愛する気持ちから出てくる言葉に胸が熱くなる。
何より、自分の作品を待ってくれているという事が何よりも嬉しかった。
「いいの、本当に」
「はい、私と早瀬さんと、そして演劇部のみんなとなら絶対に素晴らしい舞台を作り上げることができる、そう信じてます」
「僕に、できるかな」
桜坂さんの言葉は心の底から嬉しく思う、しかしそれと同時に心の中に靄のような不安感がまとわりつく。いつもは自信を持って作品を出せるのに、今になって急に怖気づいてしまう。
「できますよ、早瀬さんなら。その素敵なシナリオで私を、私たちを導いてください!」
そう言う桜坂さんの目は真剣そのものだった。演技でも、取り繕ったものでもない心からの表情と言葉。
『私を導いて』その言葉を聞いたとき、僕の中で決心がついた。
「わかりました」
僕は彼女と向かい合い、頭の中で必死にまとめ上げた言葉をゆっくりと紡いでいく。
「今まで断っておいて言うのもなんですが」
「僕に書かせて下さい。やれるだけのこと、やってみます」
「早瀬さん!」
その瞬間桜坂さんの顔は花が開いたかのように明るくなった。
「ありがとうございます!」
そう言うと同時に徐ろに桜坂さんは僕の手を取った。
あまりに急なことなので僕もなんて反応して良いか分からない。
「あっ、すみませんつい」
自分の行動に気がついた桜坂さんはすぐさま手を離したが、僕が参加してくれることがよほど嬉しいのだろう。悪い気はしない。
同時に僕の中に有る、書き手としての、最高の舞台を創り上げたいという感情。
「きっといい作品を書きます。絶対書きます。だから桜坂さん、演じて、くれますか?」
「もちろんです!!」
僕たちを照らす夕陽これから物語の始まりを祝福しているかのような暖かく、優しいものであった。
次回第五回『憧れの人』
お楽しみに