憧れ、それは人を前に進めるもの。それと同時に人を縛るものでもある。
さてこの二人は
「改めて、これからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします!それにしても、さっきは大変でしたね」
天窓から降り注ぐ夕日が廊下を照らす中、部活終わりの生徒たちが正門の方へ向かって歩いてゆく。
桜坂さん達のシナリオを書くことになって以降、僕は一時的に演劇部に籍を置くことになった。そして今日は始めて正式に虹ヶ咲学園演劇部部員として部室に顔を出しに行った。
大半の部員とは顔見知りだが、一通り皆に挨拶を済ませたがそこから質問攻めの嵐だった。これから演劇部の面々と関わっていくことになるからこちらとしても交流は大歓迎なのだが予想以上に長丁場となってしまったのである。
「まあ、それほどみんな君に期待してるってことだよ」
「褒めても何も出ませんよ、副部長殿」
「もう、そんな呼び方しなくったっていいのに。それにしても、暁斗が演劇の世界に戻ってきてくれてよかったよ」
副部長殿、と呼ぶこの人は2年の
「それにしても、本当に僕でよかったんですか?演劇部の皆さんの書くものだって十分に素晴らしいですし、今の時代シナリオなんて探せばいいものはいくらでも見つかります」
「部長としずくからの推薦だから間違いないってことはみんな知ってるよ。それに、暁斗のシナリオは特別。しずくもそう思うでしょ」
「はい!早瀬さんならきっと素晴らしいものを書いてくれると信じてます!」
「よしてくださいよ二人とも。この演劇部、レベルがものすごく高いじゃないですか。それに僕の書くものが追い付けるかどうか」
虹ヶ咲学園演劇部は、僕が中学の頃からその名前を知っているほどの実力だ。
桜坂さんは言わずもがな、部長に関しては最近は学生の身ながらプロの劇団に出入りしていると聞いている。
西川先輩とて例外ではない。普段は気優しくでおっとりとした人物であるが、舞台に立つとその人柄がガラッと変わる。演劇に関しては部長や桜坂さんに勝るとも劣らない素晴らしい才能の持ち主であり、その腕を見込まれて2年生ながら副部長を任されている。
関わっていくようになって改めてそのすごさを実感する。
そんな人たちのためにシナリオを書くとなると、さすがに書き慣れていると言えど不安は尽きない。
「しばらく本格的に書いてないので、どうなるかはわかりませんがやれるだけやってみます」
「うん、その意気その意気!」
期待されることは特に嫌ではない。僕にとって書きたいものを書くだけだ。それが皆の口に合うかは定かではないが。
ある程度皆から題材にしたい候補は聞いてきた。
今日は帰ってそこから簡単なプロットを作ろう、ともう既に頭の中で漠然と考えを巡らせる。
「そういえば、」
「お姉さんって元気にしてる?」
その瞬間、私の頭の中に浮かんでいたアイデアの欠片はすべて消え去った。
「早瀬さんってお姉さんがいたんですか?初めて聞きました」
「うん!
二人の会話をよそに冷え切った風が体に吹きすさぶような感覚に陥る。これ以上ここに居てはいけない、直感的にそう思った。
「ありがとうございます、姉も喜ぶと思います。あと、親から早く帰るように言われてました。僕は失礼します」
そう言って逃げるようにその場を後にした。
いつかは触れられるとは思っていたが、いざその時になると冷静ではいられない。変に思われるのは承知だ。でも、こうするしかなかった。
姉さんについては、まだ心の整理ができていないのだから。
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「すごいね、たった数日でこんなにアイデアを考えてくるなんて」
僕が書きとめたアイデアを見た部長は珍しく驚いたような声を出す。
「まあ、書いて消しての繰り返しですけどね」
桜坂さんたちと一緒に帰った翌日から一年生の間で企画会議が始まった。しかし、一年生だけということもあり、予想通りなかなか題材は進まない。結局行き詰まった僕は部長に今できているシナリオを見てもらうことにした。
「どれも魅力的だと思うよ。私も演じてみたいね」
「部長にそう言ってもらって嬉しいです」
「でも」
それと同時に目が細くなり声のトーンも一段下がる。
「演じるのは私じゃない。最後に決めるのは早瀬君、君だよ」
そう言われて僕は思わず唾を飲み込んだ。
それ以降の言葉は言われなくても分かる。「先輩なんかに頼らず自分たちで解決しろ」大方はそう言う事であろう。同時に部長の意見を仰ごうという考えが浅はかだったと反省する。
「さすが、手厳しいですね」
「君はこれからの演劇部を背負って立つ存在がだからね。今のうちに鍛えておかないと思って」
「買いかぶりすぎですよ」
話していた分かるが部長はつくづく人の心をつかむのがうまい。部員たちから慕われているのも頷ける。
「でも、やっぱり早瀬君がうちの部に入ってくれてよかったよ、みんなそう言ってる。改めて、部を代表して歓迎するよ」
「ありがとうございます。部長は僕のことを知ってたんですか?」
「しずくや彩花から聞いてたんだ。でも、君を部に入れたい決めたのはやっぱり私の直観かな」
部員たちを厳しくも優しく見守るその瞳の奥には演劇に対する鋭い眼差し。どうもこの人の『直観』には敵いそうにはない。
「そういえば、演じてみるほうに興味はある?君は演じる側としても素質十分だと思うんだよね」
「興味はあります。自分で書いて演じるなんてかっこいいじゃないですか」
「頼もしいよ。でも、練習はもっとキツイから、覚悟してね」
そう言って部長は澄ました顔からふっと笑う。
「ご心配なく。この部活に入った時から覚悟はしてますよ」
「そう言ってくれて嬉しいよ。それじゃ、私はそろそろ。また放課後ね」
「ありがとうございました」
「君の新作、期待してるよ」
そう言って部長はカフェテリアの人混みの中に消えていった。
「なるほど・・・、やっぱり厳しいですね部長は」
部活を終えた駅までの帰り道、先程までの事を桜坂さんに伝えた。
「やっぱり、と言うべきかね。そう簡単にヒントは与えてくれないよ。あの人らしいと言えばその通りだけど」
そう言って僕たちは再び考え込む。一年生だけで事を進めるとは言ったがその中で自然と僕と桜坂さんが中心になっているのが現状だ。公演まで期間があるとはいえ少なからず自分の中に焦りの感情が見え始めているのがわかる。
「もっと頑張らなきゃな。シナリオができないことには何も始まらないからね」
「でも、無理は禁物ですよ」
「ありがとう。それにしてもつくづく部長はすごいと思うよ」
部長はその演技力もさることながら、その実力は舞台の企画や脚本監督、部員の演技指導と留まるところを知らない。演劇のすべてに精通していると言っても過言ではない。
「部長は私の憧れの人なんです」
「憧れ?」
桜坂さんが部長の事を尊敬していることは言葉の折節から感じてはいたし私も少なからず同じである。しかし、それが『憧れ』という次元に到っていることは少し意外だった。
『憧れ』とは難しいものだ。
何かに憧れること自体は悪いものではない。しかし、それが強ければ強いほどその感情を制御するのが難しくなる。要するに影響されすぎてオリジナリティが喪失するという事だ。
特に演劇を始め、何か物を作り出す側に立つとそれがよくわかる。
「初めて部長の演技を見た時、今までにないものを感じたんです」
「今までにないもの、というと?」
そう言うと桜坂さんは少し考えこんだ様子を見せ一呼吸おいて語り始める。
「何と言うんでしょう。それまでの私はお芝居が好き、という気持ちだけで演技をしていました。でも、今考えれば独りよがりだったんだと思います。自分の事ばかり考えて見に来てくれている人の事が頭から抜けていました」
「なるほど」
『独りよがり』という言葉には僕もつくづく苦しめられた。自分が満足するものと、見てくれる人が喜んでもらえるものが必ずしも同じとは限らない。それがシナリオを書くに際して大きく影響してくる。
「でも、部長の演技は違います。お芝居に対する情熱と自分の意思を持ちながらも、それが人からどう見えるか、しっかり計算に入れて考えて演技をしていたんです。私とは対照的です」
「そんなことが」
「はい。だから、私も部長に憧れて、部長みたいになりたいって思って虹ヶ咲に来たんです。まだまだ全然ですけどね」
その時ふと桜坂さんの瞳に目が行った。部長に対する憧れと、そこに向かって突き進むゆるぎない信念、語らずともその瞳からははっきりと感じ取れた。
「憧れ、か」
その時、僕の脳裏に何かが見えた。そして漠然とだが物語の構想が浮かんで来た。
苦しい生活の中でもあるものに憧れ続ける少女の物語。
「憧れ・・・少女・・・」
「早瀬さん?」
「うん、ちょっと話が書けそうかなって思って」
僕の言葉に桜坂さんは途端に顔が明るくなる。
「やっぱり早瀬さんはすごいです」
「いや、まだ漠然とだからできるかわからないけどね。それに憧れってテーマを出してくれた桜坂さんのおかげだよ」
「いえいえ、早瀬さんの実力の賜物ですよ」
桜坂さんと話していると自然と笑顔になる。やはり僕は演劇が好きなのだと改めて実感する。
「そういえば」
「早瀬さんは尊敬してる人、いたりします?」
その言葉が耳に入った瞬間、一瞬体がこわばる。
勿論、書き手の僕としては尊敬する監督やシナリオライターはたくさんいる。
でも、どんな名作を書いた作家よりもどんな素晴らしい映画を撮った監督よりも尊敬すべき人が僕にはいる。
僕が書くきっかけを作ってくれた、一番大切な人。
「早瀬さん・・・?」
急に黙り込んだ僕を不審に思ったのか桜坂さんがこちらに顔を近づけてくる。
「・・・姉さん、かな」
自分でも明らかに不自然だと感じるほど小さく、機械的な声でそう答えた。
「お姉さんですか!彩花先輩から聞きました!私もぜひお会いしてみたいです!」
「・・・ありがとう。報告しておくよ」
明るい桜坂さんに合わせようと顔では作り笑いを浮かべるが、その心境は複雑だ。
僕は自らの意思で演劇の世界に戻った。だから、向き合わなければならない時が来ているかもしれない。
しかし、今は公演に向けての重要な時だ。個人的なことで悩んでいる暇は無い。
ああ、僕はつくづく悩みの多い。
目の前にいる桜坂さんにはわからないように僕は小さくため息をついた。
迷いの中の少年は、果たしてどこへ向かうのか。
次回第六回『雨中迷路』
お楽しみに