「おじさん、くさーい」
仰向けで寝ていたウヴォーは、聞き慣れない声に目を開けた。目の前にはピンクの猫耳のついた不思議な生き物。それがウヴォーを見下ろしている。
つぶらな瞳。小さな口。ふかふかの髪の毛。まるでおとぎ話にでも出てきそうな存在だ。
「あ? なんだオマエ」
起き上がったウヴォーは、不思議な生き物の首根っこを掴む。ピンクの生き物はバタバタと暴れ出した。
「はなせー」
「猫? 念獣? 魔獣かあ?」
「わたしはピィだよ〜」
ピィと名乗った生き物はべえ〜と舌を出す。
変な生きもんだな、とウヴォーはまじまじとピィを眺めていた。
「ウヴォー! 何やってるの?」
パクノダがやってくると、ピィはウヴォーの手から離れてパクノダのところへと飛んでいく。
「パクノダ、でかいおっさんがいじめる〜」
「ちょっとウヴォー、ピィに酷いことしないでくれる?」
ウヴォーは起き上がると背中を手で掻きながらパクノダとピィを見た。
「それオマエのかあ?」
「私のっていうか、友人よ」
自分の肩に乗ったピィを撫でながら、彼女はそう言った。
「友人」。パクノダがそんな言葉を気安くは言わない。どちからというと、交友関係は少ない方で、深く狭いのが特徴なのはウヴォーも知っていた。
そんなパクノダが流れるように「友人」と言った。アジトに入れたのも、信頼できる存在だからだろう。
「そうだよ。パクノダはうちのお客さんだも〜ん」
「つまりどっちだよ」
「客であり友人よ」
なんの「客」かは詳しく聞かないでおく。それより、とパクノダも顔をしかめて鼻をピクピク動かしていた。
「本当に臭いわね……。シャワー、いつかかったの?」
「ん? いつだっけな?」
「もう」
呆れたような顔で自分を見る。しかしウヴォーは気にしない。
「めんどくせーんだよ」
「だからってちょっと……臭いわよ。さすがに入った方がいいわ」
「マジ? ん〜でもこのアジトってシャワーないんだよなー」
どうすっかな、とウヴォーは天井を見上げた。どこぞの家の浴室でも借りるか、近くの川に飛び込むか。
いっそ雨でも降ってくれないかとぼんやり思っていた。
「じゃーさー、温泉行こうよ」
「温泉?」
ウヴォーとパクノダの声が重なる。聞いたことのない言葉だった。二人の視線がピィに集まる。
ピィはにっこり笑うと、パクノダの肩から飛び降りる。ふわりと空中で浮かんで、小さく手足を動かした。
「アジトを出て少ししたところに、温泉宿があるんだ〜。日帰り温泉もあるんだよ! スッキリするし、癒されるし、ぽっかぽかだよお」
ウヴォーとパクノダは、ピィの言葉にお互いを見るのであった。
結局来てしまった。ウヴォーは大きく伸びをしながら、その温泉宿を見上げた。
隣には肩にピィを乗せたパクノダがいる。自分と同じように、物珍しそうな顔をしている。
あまりにもピィが温泉を薦めるので、つい頷いてしまったのだ。
しかし、その決断は正解だったかもしれない。見かけない様式の外観。ノブナガと同じような和服を着た従業員。珍しい、というと確かにそうだ。
自分にはあまり向かない品のある宿だったが、中に入ってその思いは消えた。
「おお! ピィちゃんいらっしゃい! お客さん連れてきてくれたかの〜」
「うん! 番頭のユブネさん! と、女将のヒノキさんだよ!」
「いらっしゃい! ゆっくりしてってね!」
「まあ、湯にでも入って疲れをとりなのぉ!」
なかなか豪快な番頭と、肝っ玉のある女将にウヴォーは好感が持てた。二人に案内されて、宿に入る。
スリッパを履いたウヴォーとパクノダ。受付を通り過ぎ、廊下を歩く。窓の外には異国の庭が広がっていた。まるで違う国へ旅をしているみたいだ。
「驚きね。こんなところにこんな宿があったなんて」
パクノダは、美しい庭園にため息をついて言う。
「いいでしょ。ヒミツの旅館なんだよ」
ピィはドヤ顔で胸を張っていた。
廊下の先に、赤いのれんと青いのれんが見えた。見たことのない文字が大きく描かれている。
「男はこっちで、女はこっち! あ、この部屋は休憩所だから。仲間が上がってくるまで待っていて構わないよ」
左には部屋が広がっている。何かが敷き詰められており、畳と言うのだとヒノキが教えてくれた。
「なら、ここで待ち合わせね」
「おう! じゃ、またな〜」
ウヴォーはのれんにぶつかりながら、その先へ足を踏み入れた。
棚の並ぶ部屋に、ウヴォーは周りを見回す。
「ここで服を脱ぐんだよお」
「ピィ」
いつのまにかピィが頭に乗っかっていた。
「服を脱いだら温泉だよ。早くはやくぅ!」
頭から飛び降りると、流星のような速さで温泉へと行ってしまうのだった。
とりあえず服を脱いだウヴォーは、温泉へと足を踏み入れる。
戸を開けて中を見たウヴォーは目を見開いた。
「うおおっ!? なんだここ!??」
あまりの光景に、つい声が出てしまった。
広がる湯船。向こうには庭が見え、外にも風呂があるらしい。
湯気がもくもくと立ちこみ、熱気がウヴォーを包んでいる。
カポン、とどこからか音が響く。ひのきの香りをふんわりと感じていた。
「こりゃすげぇぜ! テンション上がるな!」
早く入ってみたい。だが、先に体を洗うようにとピィに言われていた。
「洗わなくてもいいだろ!」
湯船に近づくが、
「ダメーー!!」
ドスっ!と、腹に何かが突っ込んできた。
オーラでできているピィの一撃がウヴォーに効く。そのあまりの衝撃に一瞬目が霞む。
「って、え、……イッテェッ! 何すんだてめー!」
一気に殺意がみなぎるが、ピィは引かない。
「臭いし汚いだもん! シャワーくらい浴びてよね!!」
不思議と攻撃する気が起きない。ウヴォーはため息を吐く。
「わーったよ。ってなんだそれ?」
ピィがお腹に丸いものを付けている。
よく見たら水着を着ていた。ピンクのワンピースタイプの可愛い水着だが、ウヴォーは興味がないのであまり観察していない。
「浮き輪。言っとくけどこれはわたししか使えないトクベツなものだからね。早く体洗ってね!!」
仕方なくウヴォーはシャワーのあるスペースへ向かう。イスと桶がシャワーと鏡の前に置かれていた。鏡は湯煙で曇っている。ウヴォーは温泉の方を見た。ピィが浮き輪でぷかぷかと浮かんでいるのが見える。
「早くオレも入るか」
シャワーを浴びてスッキリすると、とうとう湯船へと大股で歩いていった。
ザパン! と勢いよく湯に入る。湯の熱さが最初に襲い、その後、心地よさが広がっていく。
「沁みるぜ……」
乾いた体に、湯が染みこんでいく。足の先はすっかり温かくなっていた。体は火照り、体温が上がっているのを感じる。
「ぷかぷか〜」
ピィが浮き輪で浮かびながら、ウヴォーの目の前を漂っている。
「あっちも最高だよー」
ピィに露天風呂を勧められ、ウヴォーは外へと出て行った。石造りの庭が、雰囲気を醸し出す。ザーッと湯の滝が流れ、空を見上げれば快晴だった。
涼しい風が頬を撫でる。少し濁った湯は薬湯というらしく、病気が治ると言われているらしい。それを目的に入りに来る人もいるそうだ。
「オーラを纏った湯か」
凝をすればすぐわかるほどに立ち込めるオーラ。病気が治ると言われるのも、このオーラのおかげだろう。
実際、ウヴォーも湯に浸かるだけで疲れが消え去った。肩も軽く、不調だった腕も調子が戻っている。ますますこの温泉が気に入ってくる。
「……あいつを連れてきてもいいかもな」
思い浮かぶは、ちょんまげ頭のサムライ。
今度はノブナガを連れて行こうとウヴォーは決めたのだった。
すっかり体も温まり、温泉を楽しんだウヴォーは風呂を出てピィと一緒に休憩所に向かった。体はポカポカと熱く、血の巡りを感じる。
ウヴォーは満足していた。ここなら手間と金がかかっても行きたいと思えたくらいだ。
「あ! これ! ねえウヴォー。これ飲もうよお」
ピィが指さしたのは、自動販売機。ピンクの飲み物と、コーヒーのイラストが描かれた飲み物の二種類があるようだった。
名前を見るに「いちご牛乳」と「コーヒー牛乳」みたいだ。しかしウヴォーには問題があった。
「オレ金持ってねえ」
欲しいものなら力づくで奪うウヴォーに手持ちなどないのである。自動販売機を壊して手に入れてもいいのだが今は気分がいい。
ピィを見ていると、不思議と奪う気分にもならない。出入り禁止になるのも困る。
あとはピィに貸して貰えばいいと思っているのもあった。貸しなどどっかから奪えばいいのである。
「仕方ないな〜後で10倍にして返してね。それかおいしいスイーツでもいいよ」
ピィはいちご牛乳と、ウヴォーはコーヒー牛乳のボタンを押す。
機械が音を立てながら飲み物を移動させるのは見ていて面白い。ウヴォーは出てきたコーヒー牛乳を開けると、一気飲みする。
「ん! うめえ!」
「やっぱりお風呂上がりのいちご牛乳はサイコ〜だね〜」
コーヒー牛乳を堪能したウヴォーは、休憩所で畳に寝っ転がる。
「どうだった〜? よかったでしょ〜」
ピィはウヴォーのお腹に大の字になっている。ピィの言葉に、ウヴォーが頷く。
「おう。サイコーだったぜ」
「また行こうね〜」
「おー…」
ウヴォーは微睡の中に囚われ、ゆっくりと意識を手放した。
女湯を上がったパクノダは、乾かした髪を触りながら戸を開ける。すっかり遅くなってしまった。あまりにも気持ちいいので長居してしまったのだ。
ピィはいいとして、ウヴォーは待っているのが苦痛だろう。どこかにビックインパクトしていなければいいが。
「ごめんなさい、遅れちゃって……」
待ち合わせにしていた休憩所を覗くと、パクノダはくすりと笑った。
いびきをかいているウヴォーと、ウヴォーのお腹で静かに眠っているピィ。
「たまにはこういうのもいいわよね」
パクノダは二人の隣に座ると、窓から差しこむ木漏れ日に目を細めるのだった。
ピィがウヴォーと一緒にお風呂に入ったのは、ウヴォーがなんかしでかしそうだったため。