「・・・頭、撫でて」
「うん」
「ぎゅってして」
「はいはい」
いったいどうしたものだろうか。
私の膝に座り、首に腕を回して抱きつき甘えてくる担当バ――シンボリルドルフの頭を撫でながら、私は夕暮れに照らされたトレーナー室の壁へ視線を外す。
「えへへぇ♪ とれぇなぁくん♪」
公の場で見せるいつもの皇帝然とした姿はどこへいったのやら。などと考えている間に、我が愛バは私の肩に顎を乗せ、すりすりと頬をすり寄せてくる。その様子に実家の飼い犬の姿を重ねてしまったのは口にはすまい。
彼女の艶やかな髪の感触を楽しめるのは役得だが、やはり少々気恥ずかしい。
新人トレーナーの私が担当するウマ娘――シンボリルドルフというウマ娘を一言で表すならば、「時代が産んだ傑物」だ。
その若さにそぐわない泰然とした精神力と絶対と呼び称えられるアスリートとしての実力。そして崇高な理想でトレセン学園生達を導く姿は、彼女の異名である皇帝の名に違わない。
間違いなく歴史に名を残す逸材である。
専属トレーナーとして彼女を近くで見ていてもその認識は変わらない。むしろ一層彼女の非凡さを実感する事の方が多かった。
とはいえ、彼女はまだ女子高生。まだまだ未熟な少女であることに変わりない。
皆の規範として立つ彼女にも、誰かに甘えたい時だってあるのだ。そんな彼女の拠り所となれているのは、トレーナーとしても個人としても嬉しく思う。
「ルドルフ」
「・・・」
「ルドルフってば。ね、聞こえてるだろう?」
「むぅっ」
ぺしぺしと彼女のウマ耳で頬を叩かれる。明らかな「私、不満です」アピールだ。
「もうっ! ルナって呼んでって言ったでしょ!」
「や、わかってるんだけどさ。恥ずかしくて」
史上初の七冠達成に加えURAファイナルズ初代王者に輝いたシンボリルドルフ。
とんでもない偉業を成し遂げた彼女へなにかご褒美をあげたいという思いを伝えると、二人きりの時は幼名で呼んでくれとお願いされたのだ。
しかし、家族でない女性を特別な愛称で呼ぶなど、まるで恋人ではないか。
この三年間で掛け替えないパートナーとなった私達だが、この二十数年の人生で恋愛事とは無縁だった私には難易度が高い。
だが皇帝はそんな私の、とっくに賞味期限の切れている思春期的思考への逃避を許さなかった。
「その、やっぱり呼ばなきゃ駄目?」
「だめっ! 呼んでくれないとトレーナーくんの肌着持ってっちゃうから!」
「俺の肌着なんて何に使うのさ・・・」
「だってトレーナーくんの匂いが強く残ってるんだもん。トレーナーくんの匂いに包まれると安心するし、すっごく気持ちよくなれるんだ♪」
「人の体臭を危ない薬みたいに言うのはやめよう?」
ウマ娘は信頼している相手の匂いを嗅ぐとリラックスできたり、強い興奮を得るなどの特性がある。つまり、ルドルフはそれほど強く私を想ってくれているという証左だ。
多少気恥ずかしいが、彼女の様々な情念の混ざった信頼が私には誇らしい。
しかし、それはそれとして、だ。
「ともあれ、男の肌着を強奪して匂いを嗅ぐのは不健全行為です。今後は禁止」
「やー! だったらちゃんとルナって呼んでくれなきゃやだ!」
「参ったなぁ」
駄々をこねるルドルフの背中をあやすようにトントンと叩く。
我儘放題の暴君皇帝・・・否、お姫様のご機嫌をとるには、私の方が折れるしかないようだ。
「あーわかった。言う、言うから。えーと・・・じゃあ・・・いくよ?」
「・・・」
ルドルフが私から体を離す。そうなると必然、向かい合って顔を突き合わせる。
口を尖らせるルドルフのアメジストの瞳は、表情と態度とは裏腹に期待に満ちている。今更誤魔化せる雰囲気ではない。
一度深呼吸をして、緊張を抑え込む。・・・彼女から香る甘く爽やかな香りに意識を持っていかれそうだったが、鋼の意思でなんとか耐えた。
「――る、ルナ」
「っ・・・! うんっ! ルナだよトレーナーくん!」
「ぐへっ!? そんな強く抱き着かないで! ほ、骨っ! 背骨が軋んでるからぁっ!!」
ミシミシと人体から鳴ってはいけない音が背中から響いてくる。
ウマ娘の身体能力はヒトの何倍も強い。それもウマ娘中のトップアスリートであるルドルフともなれば、私の骨など容易く圧し折れる。即ち、今の私はゴリラにハグされているに等しい状況だ。
うん、命の危機。
ついでに言えばルドルフの柔かな胸が私の胸板に押し付けられ、その感触をこれでもかと味わわせてくる。
皇帝という大仰な異名があるとはいえ現役女子高生の肢体。それも抜群のスタイルを誇るルドルフなのだ。私の精神も含め、色々と危ない。
「だいじょーぶ。トレーナーくんが怪我しないように、ちゃんと手加減してるから。ルナ、偉い?」
「そうだね。ありがとう、ルナ。でも、できれば痛みが無いくらい手加減してくれるともっと偉いかな」
「銘肌鏤骨。痛みを伴う行為は記憶と無意識に強く焼き付く物だよ、トレーナー君。私は君の全てに、私という存在を刻み込みたいんだ」
「物騒だなぁ」
ときたま垣間見える彼女の重バ場思想は少々・・・いや十分過激ではあるが、私にとってはそこまで深刻ではない。大切な相手への独占欲がウマ娘の習性として備わっているのは理解している。
そして何より、私もルドルフの事を好いている。ならばこのレベルのスキンシップも無問題である。
「というかルドルフさ、前から思ってたけど皇帝スイッチ入るのスムーズすぎない? 正直恐いんだけど」
「皇帝たるものこれぐらいは当然だよ。それと、今はルナって呼んでって言ったでしょ!」
「今のは仕方ないってぇ・・・」
もうわかっただろうが、彼女の皇帝モードとルナちゃんモードの切り替えの速さは想像を絶する。
例えば今の状況で誰かがこの部屋のドアノブを回しドアを開けたら、そこには甘々ルナちゃんではなく皇帝の威風を纏う生徒会長が居る。そんなレベルだ。
「というかほら、もう下校時間。テイオーが来ちゃうよ」
指さした壁掛け時計はもう18時を越えようとしていた。
ルドルフにべったりなあの少女のことだ。トレーニングが終わればこちらに直行するのは目に見えている。
ウマ娘の夢への歩みを支えるトレーナーとして、皇帝シンボリルドルフに憧れているあの娘にルナちゃんモードを見せるのはなんとしても避けたかった。
「むう・・・仕方がないか」
ルドルフは名残惜しそうに私の膝から降りてソファの傍へ立ち上がり、すぐ近くに置いてあったスクールバッグを手に取った。
ルナの時は我儘放題だが、根っこはやはり生徒会長。物事の線引きはしっかり弁えていた。
と、思っていたのだが。
「トレーナー君」
「ん、なんだい?」
ルドルフに呼ばれてつい、隣に立つ彼女の方へ反射的に顔を向けてしまった。
ソファに座る私に対し立ち上がっているルドルフ。必然、私は彼女を見上げる形になる。
「へ――」
そこには間近に迫る彼女の顔。熱っぽく潤んだ紫紺の瞳は悪戯な光を宿し、私の間抜けな冴えない顔を映している。
彼女はなにをしようとしているのだろう。そんな遅れた思考をしている間に――。
「っ――」
「ん・・・」
唇が、柔かいナニかに触れた。同時に、口の中にコーヒーの風味が入り込む。
目いっぱい見開かれた視界に入っているのは、彼女の顔と栗毛の髪だけ。
鼻の中に満ちる彼女の香りで頭が蕩けてしまう。
甘い情報の濁流に私は混乱し、どうすることもできずに呆然とするしかなかった。
「・・・ふふふ」
一秒が何十分に感じるような錯覚の中、いつの間にかルドルフと視線が合っていることに気づく。どうやらとっくに彼女は私から離れていたようだ。
「る、るどるふ・・・今のは」
「トレーナー君は人気者だからね。私の居ぬ間に横取りされないように、印をつけさせて貰ったよ」
「印って・・・」
そう言ったルドルフは意味ありげな笑みを浮かべ、しかし真意を明かすことなく扉へ向かって歩いて行く。
扉の前で立ち止まった彼女は私の方へと振り返る。
「明日もよろしく頼むよ、"私の"トレーナー君」
そう言って扉の向こうへ消えた彼女の表情は、無邪気で、どこか蠱惑的で・・・きっと、私以外には見せないような顔をしていた。
私はソファの背にもたれかけて天井を見上げる。
「・・・」
無意識に溜息をこぼしてしまう。
あの一瞬の出来事は夢だったのだろうか。
そして『明日もよろしく』とはトレーニングの事か、それとも彼女を甘やかす時間のことだろうか。
そんな取り留めない考えを延々と巡らせるうち、一つ気が付いた事があった。
「・・・ファーストキス、俺からルドルフにしたかったんだけどなぁ」
唇に指を当てて、あの感触を思い出す。
彼女の唇越しに感じたコーヒーの苦味と、彼女の甘い香り。
あの瞬間の全て、私は生涯忘れることは無いだろう。
完
その後のルナちゃん
やったやった! やっちゃった♪ ルナ、トレーナー君にキスしちゃった!
びっくりしたトレーナー君の顔、可愛かったなぁ♪
トレーナー君今まで恋愛したこと無いって言ってたし、あれがファーストキスだよね? やったぁ♪
これはもうあれだね。ルナが責任持ってトレーナー君をお婿さんに貰わないとだね! 最初からそのつもりだけど!
幾らトレーナー君を狙う卑しい女が居たって、ルナ負けないもん。
ルナのトレーナー君だもん。 トレーナー君だけがルナの夢を支えてくれて、ルナだけがトレーナー君を守ってきたんだもん。
誰にも譲らない。
トレーナー君の愛バの座はルナの物。これは『絶対』だもん。
ルナを差しおいてトレーナー君を掠め取るだなんて――。
「――ルナのトレーナー君を掠め取"ルナ"、か。ふふ・・・!」
エアグルーヴのやる気が下がった!
本作は私が初めて投稿した処女作になります。
現在でも一番PV数が多い作品でもありますね。
一発ネタとか言ってはいけない。