ルナちゃんはトレーナーが好きすぎる   作:雨川

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ルドルフがルナちゃんになった日

 

 三月某日。中山レース場、地下バ道。

 目前のレースを前に、シンボリルドルフは大きく息を吸い、腹に力を込めて吐き出す。

 

「...まだ、力が入り過ぎているな」

 

 今まで数多のレースを制し、七つの冠を戴いた彼女と言えど、レース前は緊張するものだ。その緊張を確かな実力と強靭な精神で飲み込めるからこそ、皇帝たる走りができるのだ。

 だが、この日は。今日のレースばかりは、難しいかもしれない。

 

 第一回URAファイナル、決勝戦。自分を支え続けてくれたトレーナーと駆け抜けたこの三年間の集大成となるこの大会の、最後の戦い。予選、準決勝でぶつかった強豪達の、更に上澄みがこの一戦に集っているのだ。どんなレースとなるか、全く予想できない。

 

「(なによりも今日は――今日だけは絶対に負けられない。...負けてはならないのだっ)」

 

 もう一度深呼吸し、地下バ道の中央を歩き進む。

 一歩前へ出すたびに大きくなるスタンドで待つ観客達の歓声。彼方のレース場への入り口から差し込む太陽の光が、何度も歩んできた栄光への道を照らす。

 しかし今日はそこに、レース場からの光を背に、一人のウマ娘が立ち塞がっていた。

 

「待ってたよ、ルドルフ」

「...シービー」

 

 白と緑の派手な勝負服を身に纏い、右の耳に洒落たハットのアクセサリーを小粋に飾った傾いた出で立ち。ルドルフの前年にクラシック三冠を制覇したウマ娘にしてライバル、ミスターシービーが堂々と立っていた。

 

「トーナメント表を見た時からさ、なんとなく思ったんだ。あ、これはルドルフと決勝でぶつかるなって」

「それは奇遇だな、私も確信していたよ。君ならば必ず、この頂まで登って来ると」

 

 二人はこれまで、三度同じレースを走り、鎬を削り合った。

 一度目はジャパンカップ。二度目は春の天皇賞。三度目は昨年末の有馬記念。

 互いの実力は身をもって知っている。その直感に疑う余地は無かった。

 

 交錯する翡翠の瞳と紫紺の瞳。両者はしばし、言葉を発することなく見つめ合う。やがて、ふぅと息を吐いたシービーが口を開いた。

 

 

「――ね、ルドルフ。日本語って難しいと思わない?」

「...唐突千万だな」

 

 シービーの自由気ままなところは今更だ。長い付き合いで慣れたルドルフも苦笑してそれに答える。

 

「たしかに英語を始めとする外国語と違い、一つの言葉に多くの意味や使い方のある、世界でも特に意味深長な言語ではあるが――」

 

 それとレースになんの関係がある? と、ルドルフは言葉にせず視線で語り掛ける。

 

「諺でさ、二度ある事は三度あるって言うじゃない? 二回同じことがあったら、だいたい三回目も起きるっていうあれ」

「同じことは繰り返し起きるもの、という意味だな」

「でもその一方で、三度目の正直とも言うよね。一度や二度では駄目でも、三度目には上手くいくって」

 

 まあ、アタシはそうはいかなかったけど。とケラケラ笑うシービー。

 しかし次の瞬間に、ルドルフは目の前の尋常でない気配に、全身の肌が粟立つのを感じた。

 シービーの翡翠の目が爛々と闘争心を光らせ、しかし心の底からの笑みを浮かべてルドルフを瞳に捉えていた。

 

「なら――四度目はどうだろうね?」

「っ...」

 

 正面から圧しかかるプレッシャーに思わず息を飲む。ルドルフの前に立っているのはもはや、人々がイメージする気さくな演出家ではない。皇帝の喉元に狙いを定め牙を剥く猛獣――その影を、ルドルフは幻視した。

 

「君と君のミスターのゴタゴタは聞いてるよ。今日ルドルフが勝てなければ、強制的に二人の担当契約が解消されてしまうって。ホント、酷い話だよね。でも...」

 

 コツ、コツ、と踵を鳴らしてルドルフに近づき、彼女の口元にその細長い指を当てた。

 

「レースに君たちの事情や感傷は関係無い。負けられないのは皆一緒。誰もが『勝ちたい』っていう思いを限界まで燃やしている。そんなレースに勝てるのは――誰よりもレースを楽しんだウマ娘だ」

「――」

「そうでしょ? ルドルフ」

 

 シービーの言葉で、ルドルフは自分の心にかかった靄が幾分か晴れていったような気がした。

 絶対に負けられない理由の有無。確かにそれは自分の大きな力となり、強さとなる。だが、それだけでは足りない。それだけでは限界がある。

 真剣勝負を楽しむ心の余裕が強さの上限を引き上げ、勝利へかける思いとの相互作用が無尽蔵のエネルギーを生む。ここ一番で勝敗を決するのは、やはりそこなのだ。

 かつてトレーナーが教えてれた大事なことなのに、いつの間にか忘れてしまっていたらしい。

 

「...ありがとう、シービー。少し...肩が軽くなった気がするよ」

 

 さっきまでよりルドルフの表情が柔らかくなったのを見て、シービーもカラカラと笑ってみせた。

 

「お礼はいいよ。アタシは楽しいレースがしたいだけだから。せっかく最高の決勝なのに、肝心の君がレースに集中しきれてないんじゃあもったいないじゃない」

「それで敵に塩を送るあたり、君は大したウマ娘だよ。...ああ、そうだ。そんな君だからこそ、私は君に勝ちたい――勝たねばならない」

 

 ルドルフの目に闘志が灯る。

 心の靄は未だ払い切れていない。自身とトレーナーの未来をかけた一戦という重圧はまだ重く感じる。絶好調にはほど遠いだろう。

 だが、それでも。少なくとも勝利への執念だけは、この胸に取り戻せた。

 

「この一戦に、私の全身全霊を捧げる。勝負だ、シービー」

「――先で待ってる。必ず追いついてよ、ルドルフ」

 

 そう言ってシービーは、一足先にレース場の歓声に迎えられた。

 その背中を見送ったルドルフは自分の胸に手をあて瞑目し、自分を送り出してくれたパートナーを思い浮かべる。

 

「...よしっ」

 

 開眼したルドルフは力強い歩みでシービーの後に続く。

 会場は待ち望んだ皇帝の来場を、晩雷の喝采で迎えた。

 

 

 

 

 

 

 空気がビリビリと震えるのを肌で感じる。それも当然だ。今回で四度目となる三冠バ同士の対決。それが行われるのが、初めて開設されたレースの決勝戦。因縁の対決と銘打たれたこのレースを見届けようと、有馬記念に匹敵する数の観客が中山に集っているのだ。

 今日に向けてルドルフを鍛えていた私も、宿命じみた因縁を感じずにはいられなかった。

 

「ルドルフ...」

 

 ターフに姿を見せた私の担当バは、いつもと同じ堂々たる姿を観衆に見せてくれている。

 私と話していた直後まで強張り過ぎていた表情も、心なしか多少の余裕が見られる。シービーが何か声をかけてくれたのだろう。昨日の内に頼んでおいて良かった。

 

「ルドルフさん、昨日より良い表情をしていますね」

 

 隣から余裕のある低音の声に話しかけられる。

 そちらへ振り向くと、私にとって馴染み深い顔があった。

 

「先生...! どうしてこちらに? チームの娘達を見ていなくて良いんですか?」

「少しの間、リーダーの娘に任せて来ました。皆しっかりしていますから、大丈夫ですよ」

 

 チェック柄のスーツの英国的な装いに身を包み、口髭を丁寧に整えた、いかにも紳士的な風情の初老の男性が穏やかな笑みを浮かべている。

 

 彼はかつて私が師事していた、この道三十数年のベテラントレーナーだ。

 先生は私をサブトレーナーとして自らのチームに招き、トレーナーとウマ娘のいろはを教えてくださった。私にとって、まさしく恩師と呼ぶべき方だ。

 

「あの理不尽な通達を聞いてからというもの、心の片隅でずっと君たちを案じていました。しかし、杞憂だったようですね」

「きっとシービーのおかげです。俺は...何もできませんでしたから」

 

 先生と目が合わせづらくなり、客席とターフを区切る柵に視線を外す。

 気づけば私は、無意識に拳を力いっぱいに握りしめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――URAの関係機関である全国トレーナー協会からの通達が届いたのは、ほんの五日前のことだ。

 

『シンボリルドルフはウマ娘界の未来を牽引する逸材。一刻も早く然るべき熟練のトレーナーの下で相応の経験を積むべきである』

『――ここに、貴殿とシンボリルドルフの担当契約解除を宣告する』

 

 たづなさんから手渡された協会からの通達書には、無機質にそう書かれていた。

 今までにもマスコミの偏向報道やアンチから、「なんであいつがシンボリルドルフのトレーナーなんだ」と、似たような言葉を投げつけられる事はあった。それにもいつの間にか慣れていって、気にする事は無くなった。

 だが、こうして自分が所属する組合の総意という形で向けられると、予想以上に堪えた。今まで地面に立っていたのに、奈落の底へ突き落とされたような心地だったのを覚えている。

 

 これほどの重大事を聡明なルドルフに隠せるはずも無く、俺の様子から察した彼女に問い詰められ、包み隠さず全て打ち明けることとなる。一瞬の沈黙の後、烈火の如き怒気を静かに発するルドルフを宥めるのには随分苦労した。

 それから俺達は秋川理事長の協力を得て、再三トレーナー協会に対し抗議を行った。事情を知ったルドルフの兄姉も力添えしてくれた。

 そして二日前、とうとう協会側から通達を無効とするための条件を引き出せた。

 

『URAファイナルズ決勝戦で文句のつけようが無い、誰もが認める勝利を収める事ができたならば、今回の通告を撤回する』

 

 一方的に告げられたその言葉に、協力してくれた皆が憤慨した。ウマ娘当人の意志と自由を何より尊重する秋川理事長にとっても許し難かったようで、個人ではなく公式に学園として抗議することも検討し始めていた。

 けれど、私とルドルフはあえてその条件を受け入れた。

 私達の都合で学園の立場を危ぶませるのは本意ではないのだ。そこまでされてはお世話になった人々にも申し訳が立たない。

 なにより――ルドルフなら絶対に勝つと信じていたから。  

 

「(だが...ルドルフの気負い様は、これまでの比ではなかった)」

 

 今まであらゆるG1レースにも堂々挑み、勝利をもぎ取って来たルドルフだが、あの通達が来てからは明らかに心ここにあらずといった様子だった。

 元々色んな責任を抱え込んでしまう性質のルドルフだ。きっと、私との契約解消というのが予想以上に重く圧し掛かっているのだろう。

 

 無理もあるまい。まだ学生の少女に、大人一人の人生を背負わせてしまっているのだ。理想のために身を削るのとは訳が違う。

 それを理解していながら私は、決勝に向けてのトレーニングを組む事しか出来ず、ルドルフの焦燥を晴らす言葉もかけられなかった。

 

 自分の存在がルドルフの足を引っ張っている。

 これまで考えないようにしていた事実が、返しのついた大きな針となって、心に深く突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

 

「...今回の事態は異例中の異例です。君が気に病む事ではありません」

 

 先生が辛そうに目を伏せる。

 

「トレーナーをサポートする筈の協会が、実績ある前途有望なトレーナーとウマ娘の繋がりを引き裂く――組織として尋常な判断ではない。それをまだ三年目の若者が背負うなど...あまりにも酷です」

「...正直なところ、疑問を抱かない日はありませんでした。どうして協会があんな通告をしたのか」

 

 トレーナーとウマ娘の担当契約が第三者によって解消されるのは大抵、どちらかが相手に対して故意に危害を加えたケースだ。

 トレーナー協会やURAといった、トレセン学園外の機関による調査でクロと見做されれば、有無を言わさずその場で契約解除。よほど酷い場合、トレーナー資格はく奪や、停学処分を受けることとなる。

 

「ですが今回は、色々な事が突然すぎます。それに理由も『ウマ娘界の未来のため』だなんて曖昧な...。言いたくはありませんが、誰かの悪意を感じずにいられません」

「...」

 

 そもそも、あの通達書の文面にしたってそうだ。

 熟練のトレーナーの下で経験を積ませろ。それはつまり、お前のような新人に今の立場は分不相応だ、と言っているようにも読み取れる。

 それにルドルフに経験を積ませたいなら現役期間中でなくとも、レース引退後や学園を卒業した後でも良いだろう。何故よりにもよって決勝の直前なのか。

 一度疑い出せばキリが無かった。

 

「他人の悪感情が俺に向く事は構わない。でも、それにルドルフが巻き込まれて、彼女が望まない道に強制されるなら...俺は――!」

「そこまでです。...それ以上は、ここで口にすべきではない」

「っ...すみません、軽率でした。それに、よりにもよって先生に当たるなんて」

 

 口を衝いて溢れてしまった、腹の底に押し込めていた鉛のような感情。

 ここまで吐き出すつもりではなかったのに、どうにも先生の前では抑え込むのが難しい。

 私もそれほど抱え込みすぎていたという事だろうか。これではルドルフに言える立場ではない。

 申し訳なさで縮こまっている私を見て、先生は「構いませんよ」と穏やかに笑った。

 

「友人の愚痴を聞くのは、その人から信頼されているようで嬉しいものですから」

「そういう、ものですか?」

「そういうものです」

 

 今年で五十六歳となる先生は、年齢の割りにはとても若々しい。体つきもスラリと痩せていながら程よい筋肉のついた体形で、活力に溢れている。あの口髭が無ければ十歳サバを読んでもバレないだろう。

 けれど今の瞬間だけは、歳相応の含蓄に満ちた表情をしていた。

 

「...実は、あの通達について一つだけ、心当たりがあるのです」

「えっ――」

 

 思いがけない言葉に、目がカッと開いた。

 先生はさっきまでの柔和な笑みではない、息が詰まりそうなほど真剣な顔でターフの先を見詰め、口を開く。

 

「...件のトレーナー協会の現会長ですが、私にとって兄弟子にあたる人物でしてね。若い頃、我々は同じトレーナーの下で師事をしていました」

「は、はぁ」

「彼は優れたトレーナーで、独立した後は多くのウマ娘に、多くのG1レースを勝たせていった。今振り返っても、素晴らしい実績の持ち主です」

 

 しかし。そう区切って先生は目を伏せると、苦しそうに言葉を続ける。

 

「どうしても、日本ダービーだけは勝てなかった。彼は三十六年というトレーナーとしての生涯で、三十二度あのレースに挑みましたが、一度として。皐月賞、菊花賞を勝てたウマ娘も居ましたが...」

 

先生は目を細め、それ以上は言わなかった。

そして私も、今の先生の話で推論でしかないが、一つの答えが導きだせた。

――想像もしていなかった。いや、したくもなかった、現実にあってはならないことだ。

「――じゃあ」

 

 最初に口から漏れたのは、力ない間抜けな声だった。

 

「嫉妬、なんですか? 協会の、会長の? ルドルフがダービーを...三冠ウマ娘に、なったから?」

「...あくまで、私の想像にすぎませんが」

 

 静かにそう言って、先生は目を伏せる。

 

「そんな、バ鹿な...」

 

 全身から力が抜けるようだった。いや、事実抜けていた。

 あれだけ悩んでいたのに。あれだけルドルフが苦悩していたのに。あれだけ多くの人が力を貸してくれたのに。

 その根本は、大の大人の妬みが発端だったなんて。

 いっそ何か、大きな陰謀であれば――そんな虚しい考えが頭を過ぎさる。

 

「...担当を受け持ったばかりのまっさらな新人がG1レース、それもクラシック三冠を制したウマ娘のトレーナーである事を良く思わない人は多い。ある程度の実績を持ちながら、飛躍しきれなかったベテランは特に」

 

 そこまで言うと先生は静かに目を瞑る。

 数秒、何かを考えるように黙ってから先生は、再び話を切り出す。

 

「...私も、そうでした」

 

 震える声で絞り出されたその告白は、今まで聞いた事が無いほど弱々しげだった。

 

「君とルドルフさんがダービーを勝利した時、私の中に暗い感情が微塵も無かったのかと問われれば...私はそれに頷けません」

「せん、せい」

 

 日本ダービー。

 それは『最も運の良いウマ娘が勝つ』と言われる、この国で最も栄誉ある重賞レースだ。

 クラシック期のウマ娘の中でもトップクラスの実力者が鎬を削りあい、その更に上澄みの走者だけが優勝レイを手にできる。

 

 トレーナーであれば、誰もがダービートレーナーという称号に憧れる。だが、そこに至れるのは究極の一握りのみ。

 名だたるG1を勝っても、誉ある天皇賞を勝っても、ダービーだけは手をすり抜ける。多くのトレーナーがその挫折を味わっている。

 先生もその一人だった。

 

「幸いにも君達が日本ダービーを勝つ前に、私もダービートレーナーとなる事ができたましたが...そうでなければ、私も君に辛く当たっていたでしょう」

「そんなっ...先生はそんな事をする人ではありません! だって――」

「私に限らず、人はそんなものですよ。好意的な感情を抱いていても、きっかけ一つで嫌悪や憎しみに変わってしまう。...自分がどれほど切望しても得られなかった物を手にした人。己のコンプレックスの象徴とも言える人に対しては、猶更」

「――」

 

 ひとしきり語った先生の最後の言葉で、私もようやく、一つだけ理解できた。

 彼らには――周囲から見た私は、世間が煽るところの『勝ちウマに乗っただけの凡人』だったのだろう。

 たった一年目の新人が、運良くシンボリルドルフという稀代の優駿に選ばれただけ。

 自分達が味わってきた挫折も知らずにルドルフが勝ち得た栄光を、自分達が喉から手が出るほど欲した勝利を、何食わぬ顔で我が物にしている。

 その光景は、身を切るより耐え難かったのだろう。

 自身の立場や権威を使って、叩き潰そうと考えてしまうほどに。 

 

「...会長にとっては、それがダービーだったんですね」

「ええ。...とはいえ、これらは全て私の想像。真実はわかりません」

「なら...だったらなぜ、俺にこの話を?」

 

 この大観衆の中だ。歓声にかき消されるとはいえ、周囲の耳に全く話が入っていないとも限らない。

 質の悪い記者に聞かれてしまえば、協会に対する反意を抱いていると吹聴される可能性だってある。先生はそれが分からないような浅薄な人間ではない。

 

「ただの我儘ですよ。私と――シービー君の」

 

 そう言って、先生は小さく笑みを浮かべた。

 その目線を追った先には、遠く離れているゲートの前で佇むミスターシービーの姿があった。

 

「私とシービー君は、三度君たちとぶつかりました。一度目は壁として。二度目と三度目は対等な好敵手として。そして――三度とも敗北した」

「...」

「悔しかった。しかし認めざるを得なかった。後から追いかけて来た皇帝とその杖たる君は、先に走っていた我々よりも強いと。...でなければ、前に進めなかった」

「先生...」

 

 先生の横顔を前に、私は何も言えなかった。

 

 三十年以上も勝利と敗北をつみ重ねて、ミスターシービーと共に先生はようやく日本ダービーに届いた。それも、史上最強のメンバーが揃ったとされる激戦を制してだ。その喜びは計り知れない。

 だが、先生の目の前で彼の三十年の研鑽を、ルドルフは踏破した。教え子であった、私と共に。

 

 ――私が先生の立場なら、どんな思いを抱いただろう。

 私がルドルフに多くの勝利を与えられる姿を、先生はどんな気持ちで見守っていたのだろうか。

 

「この決戦のために、私達は出来得る限りの事をしてきた。ルドルフさんと君に勝つべく。だのに、部外者の横槍のせいで君たちの心は曇り、本当の力を発揮することさえ難しくなっている。――そんな他者の手垢にまみれた勝利など、私達は望んでいない」

 

 そう言った先生の目を見て、私は自分の内側の、本能めいた感覚のざわつきを感じた。

 今日の挑戦者は我々だ。言葉にせずともその決意が伝わってくる強烈な焔が、先生の瞳に渦巻いている。

 今まで一度だって見たことが無かった。この人の、貪欲に勝利を渇望する者の目を。

 

「君たちに与えられた試練は、決して女神が与えた大いなる壁などではありません。過去の妄執と悪意で編まれた歪な鎖です。ルドルフさんはそれに立ち向かっている。君とのこれからを歩むために」

「っ...」

「シービー君のおかげで僅かに調子を取り戻せたとしても、未だ本領には届かないでしょう。最後の鍵は――君です」

 

 こちらへ振り向いた先生の、真っ直ぐな目が私を射貫く。

 これまで味わった事のない緊張が、私の体を強張らせた。

 

「君だけが、ルドルフさんの力を取り戻せる。皇帝を絡めとる鎖から、解き放てる」

「それ、は...どういう...」

「私が言うまでもないでしょう。答えはもう、君の中にある筈です」

 

『――♪』

 

 ――音楽隊によるファンファーレが鳴り響く。

 レースの開始が、直前にまで迫っていた。

 

「...私はチームの所へ戻ります。賽が投げられた以上、後は成るように成るのみ。――全ての決着を、彼女達に委ねるとします」

 

 振り返った先生は「では、また後で」と会釈し、人混みの中へと消えていった。

 

 金管楽器が奏でる高らかな勇壮音楽が、遠い世界のものに聞こえる。

 残された私は、先生の言葉を反芻するまま、その場に立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

『第一回URAファイナルズ、ステイヤー部門(クラス)もついにここまでやって参りました。予選、準決勝の激戦を潜り抜けた歴戦のウマ娘達がここ、中山レース場2500mで頂点を争います』

 

 聞きなれた赤坂さんの実況が響き渡る。G1レースとも異なる空気の中、その背に負った緊張も比較にならないだろう。それでもまったくいつも通りというのは、流石プロと感心するしかない。

 

『今回のレースの有力候補を紹介しましょう。三番人気はボイズィージョーカー。三強対決と銘打たれた前回の有馬記念では二着。確かな実力があります』

『二番人気はミスターシービー。今回で四度目となる因縁の対決。雪辱を晴らす事はできるのか?』

『満を持して一番人気、威風堂々と七冠ウマ娘シンボリルドルフ。これまでもぎ取った七つの冠に、新たな一つを掲げられるのでしょうか』

 

 いずれも知らぬ人が居ない強豪達。中にはかつてルドルフと同じレースを走った娘の顔もある。

 きっと皆、間違いなくルドルフをマークしてくる。しなくとも、一瞬たりとも意識から外す事は無いだろう。彼女の強さと怖さを知らないウマ娘など居ない。一度負かされた経験があるなら、猶更だ。

 

「っ...ルドルフ...」

 

 相対するは互いに手の内を知り尽くした宿敵達。コンディションは良くても下の上。

 これまでで最も過酷なレースとなるのは明白だ。

 それでも。

 

「(信じてるぞ、ルドルフ...!)」

 

『各ウマ娘、ゲートに入り態勢整いました』

 

 ゲートの中で出走態勢を取るウマ娘達。

 彼女達の静かに燃える闘志に呼応し、観客席の喧噪も静まり返る。ここに集う何万という人々が、唾を飲んでその瞬間を待ち受ける。

 たった数秒の静寂がいつまで続くのだろう。誰かがそう思い始めた、その時。

 

 沈黙の帳と共に、戦いの火蓋が切り落とされる。

 

『――スタートしました!』

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートが開くとほぼ同時に、ウマ娘達が一斉にスタートを切る。

 全員走り出しは好調。一人やや出遅れたくらいか。

 

『先頭を走るのはボイズィージョーカー。先行集団の中からスーッと前へ抜けていきます』

『続く7番、11番――先行集団から2バ身離れて3番、そして注目の一番人気シンボリルドルフ。現在後方に位置どっています』

『彼女の得意な走りは差しですからね。今回も最後のスパートに向けて足を溜めつつ、戦局を見極めていると思われます』

 

 シンボリルドルフは先行と差し、スタンダードな走りを得意としている。

 バ群の中でレースの全体像と展開を把握し、明晰な頭脳によるレース運びと鍛え抜かれたフィジカル、研ぎ澄まされた技巧で他を圧倒する。それが彼女の走りである。

 

 言葉にすれば単純明快なことだ。素質あるウマ娘が限界までトレーニングを積み、多くのレース経験を経れば彼女と同じ走りができるようになるだろう。

 

 その走りを"デビュー前から"身につけ磨き上げた皇帝に、到底及ぶべくも無いだろうが。

 

「(2500m...有馬記念と同じ距離だが、これは――やはりペースが早い)」

 

 レースは最初の直線に差し掛かった500mを越えた頃。全体で見れば中盤の始めといった辺り。

 現にここまでのタイムは有馬記念と比較して1.1秒速い。ルドルフの直感はやはり正確だった。

 

「(この流れを作っているのはボイズィージョーカーか。確かに、このペースのまま終盤に持ち込めば、彼女以外の走者の大半はついてこれまい。残るのは恐らく四人。そこには当然――)」

 

『――そして、最後方からミスターシービーが前を見据えます!』

『彼女の代名詞とも言える鬼の末脚は驚異的です。前の娘達は気が気でないでしょう』

 

 背中に浴びる熱視線。翡翠の眼から放たれる圧が、シービーの前を走るウマ娘達の心丹に冷や水を浴びせかける。ウマ娘の潜在意識に根付いている、抜かされる恐怖だ。

 前年度の皐月賞と日本ダービーの好走、そして菊花賞で見せた常識破りの『淀の坂下り』。見るもの全てを圧倒したあの鮮烈な快走は、今も人々の記憶に深く刻まれている。シービーと同じレースを走るウマ娘も同様だ。

 後ろにミスターシービーが居る。レース走者として、これほど恐いものは無い。

 

『――1200mを越えレースも折り返し。順位を振り返りましょう。現在先頭は11番、横に並んでボイズィージョーカー、少し後ろに7番、それを見るように5番が続く。2バ身後ろにシンボリルドルフ、僅かに遅れて3番が追う。――そして最後尾にはミスターシービーの並びです』

『ボイズィージョーカーと11番が先頭を奪い合う。一方ミスターシービー悠々と坂を下る。シンボリルドルフも好位置に付けています。恐い二人が絶好のポジショニング。このまま第4コーナーを迎えるのでしょうか?』

『向こう正面に入り集団が縦に並びます。ここで先頭がボイズィージョーカーに入れ替わりました』

『流石のスタミナですね。まだまだ余裕がありそうです』

 

 レースは中盤。これまで誰もペースを乱す様子は無く、淡々と展開が進んでいた。

 このままルドルフとシービーの一騎打ちに持ち込むのか。

 そんな台本通りのお約束を誰もが予想した。

 だが――

 

「...ここでっ――!」

 

 レース終盤に入る第3コーナー。

 先頭を掴んでいた彼女が、加速態勢に入った。

 

『おぉっと!? ボイズィージョーカー仕掛けた! 第3コーナーに入ったボイズィージョーカーがスパートに入った!』

『かかってしまったのでしょうか? いくらなんでも早すぎます』

 

 ゴールまで残り約800m。いくらスタミナに長けているとはいえ、スタートからずっとハイペースで先頭を走っていたのだ。そこまでスパートが続く筈がない。

 明らかに自爆行為のやけっぱちだ。

 ――傍から見る観客には、そう見えるだろう。

 

「(いや――!)」

「勝ちに来たか...っ!」

 

 同じレースを走った経験が豊富なルドルフと、直近まで彼女の走りを分析してきたトレーナーなら一目で分かる。

 ここでボイズィージョーカーについて行けなければ、”もっていかれる”。

 後ろを走っていたウマ娘達もボイズィージョーカーを行かせまいと、体に鞭を打ってペースを上げる。

 

 その後ろで、舌舐めずる獣が一人。

 

「(良いね。そういう思い切った走り――私も好きだ)」

 

 跳ねまわるウサギを、瞳に捉える。

 

「付き合って、あげようかっ!!」

 

『ミスターシービーだ! 後ろからミスターシービーも来た! 凄まじい勢いで上がっていく!』

「...そうでしょうとも。シービー君、君はそうでなくては」

 

 溜めた足を解放し加速したシービーはあっという間に前のウマ娘を抜き去る。

 先に走ったウマ娘達の足跡でバ場は荒れ放題の筈。なのに、それを物ともしない力強い走りでターフの土を蹴り上げる。

 剛脚。その言葉をまさに体現した走りだ。

 

 一人。

 二人。

 三人。

 四人を抜き――そして、いよいよルドルフに迫った。

 

『ミスターシービーがシンボリルドルフの影を踏む! なんという末脚でしょうか!』

『予選と準決勝で見せた走りも素晴らしかったですが、キレが段違いです。末恐ろしいですね』

『シンボリルドルフ並ばれましたが、一切動揺していません! 冷静にコーナーを曲がります!』

 

「...!」

「ふふ...!」

 

 二人が並び視線が交わるのも束の間、シービーがルドルフをかわし先行集団に追いついた。

 ルドルフは変わらず泰然と走り、然るべき瞬間に備え続ける。

 必勝への道筋を見出すその時を。

 

『――さあいよいよ最終コーナー! ここでミスターシービーが先頭のボイズィージョーカーに迫りました!』

 

「くっ...! い、かせるかぁっ!!」

「あははっ! そうこなくっちゃあ!」

 

 抜かせまいと全霊を振り絞るボイズィージョーカー、不敵に笑いながら詰め寄るミスターシービー。

 レースは終盤。後ろのウマ娘達もハイペースな展開でスタミナが削れ切っている。

 一着を争うのはこの二人か。

 

「(...ここだ)」

 

 そう考えるのは早計にすぎるだろう。

 

「...来ますか」

 

 理由は明快。

 まだ彼女が来ると、誰もが知っている。

 

「内側が空いた...! ルドルフ!」

 

 皇帝の神威を靡かせて。

 蒼白の雷霆をも従えて。

 

「――勇往、邁進」

 

 シンボリルドルフが進撃すると。

 

『シンボリルドルフ! シンボリルドルフだ! 内を突いてシンボリルドルフが抜け出したぁ!!』

 

 コーナーでスパートをかける際に身体にかかる遠心力。時速60km近い速度で走ればその影響は大きく、どうしてもコースの外側へ膨れてしまう。

 そこに生まれた隙――がら空きの内ラチをシンボリルドルフが独走し、前方のウマ娘達を纏めて撫で切った。

 相当な勝負勘と判断力、そして遠心力に負けない桁外れの脚力。この三つが揃わなければ出来ない芸当だ。

 

 だが――

 

「――ルドルフッ!?」

 

『バ群を出たシンボリルドルフ――しかし先頭との差が縮まらないぃっ!!』

 

「...やはり」

 

 これまでのルドルフなら、第4コーナーを越えた頃にはとっくに先頭と肉薄していた。

 だが、今の彼女にその強い走りは見る影も無い。

 ボイズィージョーカーとミスターシービーの背を追うのが精一杯だった。

 

「(――足が、重い...!)」

 

 スパートの為の足は残っている。スタミナもまだ余裕はある。

 なのに、足が前に進まない。腕を力強く振れない。

 深い水底に沈められているように全身の動きが鈍重に感じる。

 

『まもなく最終直線! 先頭を争う二人との差は4バ身! これは間に合うのでしょうか!?』

 

「――はあっ!」

「くっ...!」

 

『ここでミスターシービーが抜いた! ミスターシービーがスッと前に出た! ボイズィージョーカーを躱してミスターシービーが先頭!!』

『残り200m! これは決まったか!? ミスターシービー四度目にして雪辱を果たせるのか!!』

 

「っ...おおお――っ!!」

 

 身体を使い潰す覚悟で両手足の回転を上げる。

 だが前の二人との差は縮まらない。むしろ、どんどん遠くへ離れていく錯覚さえ覚える。

 実際はそんな事は無い。観客や他のウマ娘には、今も勝利に食らいついてる皇帝の姿が見えている。

 離れているとすれば――ルドルフの心の方だ。

 

「(負けられない――負けられない負けられないッ! 勝たなければ...ならないのにっ――!)」

 

 武道やスポーツ全般で使われる心技体の三要素。この三つが高いレベルであり、かつそのバランスを取ることが強いプレイヤーたる所以とされる。

 逆に言えば、このどれか一つでも欠けているか、保たれていたバランスが崩れれば、どれほどの名選手でも並のパフォーマンスしかできなくなる。今の彼女が、まさしくそれだろう。

 

 必死に勝利を求める肉体に、綻びを抱えた心が追いついていないのだ。

 

「(っ...トレーナー、くん...!)」

 

 己のなんと不甲斐無い事か。堪らず首を下げる。

 

「(この姿のどこが――なにが皇帝かっ...!!)」

 

 必ず勝つと、絶対に守ると誓ったのに、肝心なところでこのザマだ。

 全てのウマ娘の幸福を願っていながら、己の幸福を願ってくれた半身の未来を守る事もできない。

 これが甘い傲慢の代償か。だとしたら...自分は彼のパートナーと成るべきではなかったのか。

 

 心を暗雲が覆い尽くす。ゴールまで残り200m。この差を埋めるのは、絶望的だ。

 最強の皇帝が、遂に地に堕ちた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ――その、直前。

 

 

「ルドルフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ!!!!!!」

 

 レース場を覆う歓声の中から、絶叫がターフに届いた。

 

 

 

 

 

 

 ――その時、周囲からどう見られたとかは、あまり覚えていない。

 

 ただ、あまりにも辛そうに走るルドルフを目にして、私の内の何かが砕けたのは、確かだったと思う。

 

 それまではシンボリルドルフのトレーナーとして、彼女の選択と戦いを見守る事に徹するつもりだった。それが一人の大人としての『責任』だと、自分の中で定義していたから。

 実際に夢を抱いてレースを走るのはウマ娘であり、トレーナーはあくまで彼女達を支える存在。トレーナーとしてのキャリアの一つでは無い。

 ウマ娘達に大人の都合を押し付けるような無責任な真似はすまいと心に誓っていた。

 

 だが、苦しそうに顔を下げる彼女を見た瞬間。

 それらが全部、どうでもよくなった。

 

 

「ルドルフぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅッッ!!!!!!」

 

 

 大人の責任とか、トレーナーとしての責務だとか。

 そんな物に縛られるのは、もうやめだ。

 ぶちまけてやる。

 

 俺の願望を、我儘を、君に。

 ――どうか、受け止めてくれ。

 

 

「勝ってくれええええええええええええええっっ!!!!!」

 

 

 ――あの時の私はボロボロと泣き腫らして、とても見れた顔ではなかったと思う。周囲の観客も、奇態な者を見たような目を向けていたのではないだろうか。

 当の私も、視界が滲んで一々涙を拭わなければレースを見届けられなかったのだから。

 

 ...そういえば。一つだけ、思い出した事がある。

 喉が枯れるほどの叫びの後、私は零れる涙を拭いながらレースを見ていたのだが。

 

 薄ぼけた視界の中で、直後のルドルフは...私の見間違いかもしれないが...

 

 

「――えへへぇ♪」

 

 

 童女のように、笑ったように見えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 トレーナーの腹の底からの絶叫。

 割れんばかりの歓声に飲み込まれてしまう音の一つを、ルドルフは紛わず正確に聞き取っていた。

 

「(まったく...仕方のないトレーナー君だ)」

 

 クス、と思わず笑みが零れる。

 「ルドルフなら勝てる」「君を信じている」。今まで何度も、彼の真っ直ぐな信頼に背中を押されてきた。

 己の在り方に迷いを抱いた時も、彼は曇りの無い目で皇帝としての己を信じてくれた。

 己のこれまでの歩みを信じさせてくれた。

 

 そんな彼がこうして、『お願い』をしてくれるなんて――

 

「フ、フフ――えへへぇ♪」

 

 思わず口元が綻んでしまう。レースの最中だというのに。

 いや、しかし、こうなるのも仕方ないと思うのだ。

 

 悪からぬ感情――もはや全幅の信頼と親愛を寄せる相手が、あんなにも私の勝利を望んでくれているのだから。それも顔中を涙と鼻水でぐずぐずにするほど必死になって。

 担当冥利に尽きるというものだ。あれほど熱烈なラブコールに応えないとあらば皇帝の名が...いや、ウマ娘が廃るというもの。

 一肌と言わず、二肌も三肌も脱いでしまおうか。

 

「(だいじょーぶ。――ちゃんと見ててね、とれぇなぁくん♪)」

 

 皇帝の神威を浴びて尚、我が前を往く者よ。

 その不遜、その強さに最上の敬意を表そう。

 

 いざ、刮目せよ。己の魂に刻め。

 

Eclipse first, the rest nowhere(唯一抜きんでて並ぶ者なし)

 

 即ち――

 

 

 我こそが、絶対也(勝つのはルナだもん!)

 

 

 

 

 

 

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ ッ ッ ! ! !」

 

「「っ――!」」

 

 

 ――大気が揺れる。

 うら若き少女の身から、獅子の如き咆哮が轟く。

 歓声も風の音も、全ての音を飲み込み、爆発的な脚力でルドルフが進軍。

 開かれた四バ身の差を、瞬く間に蹂躙し始めた。

  

『ッ――ルドルフ来た!ルドルフ来た!ルドルフが来た! 赤いマントのシンボリルドルフ!! ボイズィージョーカーとの差がグングンと――も、もう二バ身...い、一バ身!? 凄まじ過ぎる!!』 

 

「う、嘘!?」

 

 背後から迫りくる圧倒的なプレッシャーに、ボイズィージョーカーは思わず振り返った。

 振り返ってしまった。

 

「――ぁ」

 

 そこには紛れも無く、皇帝が居た。いや、皇帝の姿をしていたナニかが居る。

 姿こそ自分と同じウマ娘だが、魂の奥底にある本能が教えてくれる。

 

 ――逃げろ。でないと轢き潰される。

 

「っ――うああああああっ!!」

 

『ボイズィー粘る! ボイズィー粘る! 前にはシービー後ろにルドルフ! ボイズィージョーカーは諦めない!』

 

「頑張れー! ジョーカー!!」「諦めるなー!!」 

 

 観客席から送られるボイズィージョーカーへ惜しみない応援が届けられる。

 一時代を築き上げた二人の三冠ウマ娘に挟まれながらも、諦めずに走り続けるその姿に、多くの人が胸を打たれたのだ。

 

 そんな彼らの声を聞いて、ボイズィージョーカーはこう思った。

 ――外野が知った口を聞くな、と。

 

「(諦めるな!? 勝手なこと言わないで――そうするしかないんだよ! こっちはさぁ!)」

 

 その内心は悪態まみれだった。仕方ないだろう。

 ほんの一瞬まで開いていた絶望の四バ身。生半可には埋められない筈の差を前に、彼女は心の片隅で安堵していた。ルドルフは来ない、と。

 

 それがどうだ。

 男の応援一つで覚醒パワーアップなんてしてみせて、瞬く間にその差を埋められたのだ。

 彼女からすれば堪ったものではない。やってられるかと全部投げ出してしまいたい気分だ。

 こんな茶番はさっさと流して、潔く次のレースを見据えるのが賢いやり方だ。

 

「(――でもできないんだよ! それだけは!!)」

 

 それは今までつみ重ねた努力も、流した涙も、信じてくれたトレーナーや友人も、全部裏切る行いだ。

 それをすれば、私は死ぬ。

 トゥインクルシリーズを走るウマ娘、ボイズィージョーカーは死んでしまう。

 それだけは絶対にできない。するものか。

 

 絶対強者に踏みつけられてなお挑み続けた者の意地。

 それだけが今、ボイズィージョーカーを前へと進ませている。

 だが――。

 

「...っ!!」

 

 皇帝はそれさえ踏みにじる。

 横に、シンボリルドルフが並んだ。

 

「――ぁ」

 

 ――総身に寒気が走った。

 

 ゴール版だけを見据えるその目に、理知の煌めきは無かった。

 「私の前を走る者は皆潰す」

 そう言わんばかりに、苛烈な炎が燃え盛っている。

 

 視界の端でそれを見てしまった瞬間、彼女の中で、大事な物が砕けてしまった。

 

「...もう」

 

 前が霞む。頬を伝うのは、汗だけではなかった。

 ルドルフに何度挫かれても折れなかった支えが崩れてゆく。

 

「(もう、いいかな。これ以上、がんばらなくてもいいかなぁっ...!)」

 

 だって、今の彼女の前に出ればきっと、二度とレースを走れなくなる。

 誰かと競う事、誰かと走る事を恐ろしく感じてしまう。

 深い絶望の中、ボイズィージョーカーは確信していた。

 

 ほら。今もこんなに恐い。

 彼女の影がまるで巨人のように大きくて、ちっぽけな自分が飲み込まれてしまいそうなんだ。

 

「(...ない)」

 

 そう。こわい、のに。

 

「(...たくない――)」

 

 なんで。

 

「ああああああああああ!!」

 

 負けたくない、なんて――。

 

『ボイズィー粘る! ボイズィー食らいつく! 隣にルドルフ! しかしボイズィー!! ボイズィー諦めない!!』

 

「はっ...はっ...! ぐっ...ぅあああああっ!!」 

 

 乱れた呼吸。フォームの崩れた走りはまるで、泣き叫んでいるかのようにも見える。

 自分の全てをすり減らす覚悟のラストスパートで、ボイズィージョーカーはルドルフの隣をピッタリと離れない。

 

「推し通るぞっ、ボイズィージョーカー!!」

「させ、ないぃぃ!!」

 

 ここでルドルフのプレッシャーに屈し足を止めれば、きっとまだ走れるだろう。

 トゥインクルシリーズで、ライバル達と競い合える。ただ一度、ここだけ諦めれば。

 

「(でもそれは、ルドルフさんの勝ちじゃない。ただ、私の負けだ。私が私の弱さに負けただけだ!)」

 

 それは、嫌だ。

 誰かに負けるのは構わない。

 たとえ何度敗北を重ねても。何度強敵達の輝きに打ちのめされようとも良い。

 

 ただ誰よりも、何よりも――!

 

「自分にだけはっ...負けたくなぁぁぁい!!!」

 

『ボイズィーだ!! ボイズィーが前に――!』

 

 決意を込めた叫びが、春の空へ遠く響く。

 レースを見守っていた皆の心に、諦めない彼女の姿が深く響いた。

 長く彼女を応援していたファンの中には、涙を流している者も居た。

 

 それは、背後から迫るルドルフも例外ではない。

 

「(意気や良し――ならば踏み砕くっ!!)」

 

 その不屈の精神に心から感銘を受けたからこそ、真心を込めて叩き潰す。

 共に競い合ったライバルとして彼女に送れる最大の賛辞を、皇帝からの返礼としよう。

 

「――ァアアアアッ!!」

「っ!」

 

 電光一閃。

 ボイズィージョーカーの横を赤雷が駆け抜ける。

 気付けば、彼女の前には赤いマントがたなびいていた。

 

『いや――抜けない! ルドルフ更に伸びる!! ルドルフがボイズィーを抜いた!!』

 

「くそっ...くそっ...くそぉ...っ!!」

 

 彼女のありったけ、渾身の走りでもボイズィージョーカーがルドルフの前へ抜ける事は出来なかった。

 ボイズィージョーカーの先頭争いは、ここでおしまい。

 

 だが、レースはまだ、終わっていない。

 

「シィィィィイビィィィィイ゛イ゛イ゛ッ!!!」

 

 獅子が吠える。その名を叫ぶ。

 手を伸ばせば届きそうな距離。しかし僅かに届かない、振り返らない背を見せ続ける因縁の名を。

 龍の嘶きのような声に、誰もが竦みあがった。

 

「クスッ...フフ、アハハ!」

 

 しかし――ただ一人、シービーは笑った。

 口を三日月の形に歪め、狂おしい歓喜に染まった表情で、笑っていた。

 

「(来た!ルドルフ! 待ちわびたよっ、最愛の好敵手!!)」

 

 背中が焼けつくほどの圧倒的なプレッシャーさえも、彼女には追い風だ。

 シービーはずっとルドルフが迫るこの瞬間をこそ望んでいたのだから。

 何故か、など――口にする方が野暮だろう。

 

 

 

 

 

『先頭はシービー! ルドルフはあっという間に二バ身後ろ! ついに来ました! 因縁の対決!』

 

 誰もが待ちかねた決戦。

 誰よりも彼女たちが待ち望んだ決着。

 残り150mに、少女達は命を燃やす。

 

「オオオオオオッ!!」

「ハアアアアアッ!!」

 

『シービー逃げる! シービー逃げるっ!! その後ろっ、ルドルフがじりじり詰め寄ってくる!!』

 

「っ、ハハッ...!!」

「(さいっこう!最高だよルドルフ! やっぱりキミとのレースが一番楽しい!!)」

 

 追い詰められてもなお、シービーは一層楽しそうに走り続ける。

 当然だろう。彼女が求める全てが、今ここにあるのだから。

 

 全身がひりつくギリギリの競争。

 幾度も挑み続けたライバルとの全力の決着。

 そして、あらゆるしがらみを吹き飛ばす自由な風。

 

 叶うなら、この瞬間をずっと楽しんでいたい。

 小さなビンに詰め込んで、ずっとずっと、この快感に酔っていたい。

 

 ...けれど、まだ足りない。

 

「(でも、それじゃあ足りない! この先にもっと、もっと楽しいものがある! それを手にしないで満足するなんて、あり得ない!!)」

 

 どれほど心が熱くなるレースも、強敵を打ち破るカタルシスと、ライバルの眼前で勝利の美酒を飲み下す優越には勝らない。

 この瞬間を怠惰に味わうだけなんて、そんな勿体ない事があるか。

 

 楽しむならとことんまで、骨の髄までしゃぶり尽くせ。

 大地が弾み、風が唄う。

 ミスターシービー、一世一代の大立廻りだ。

 

「さあ――大詰行くよっ!!」

 

 笑みは獣。翡翠の瞳に焔が宿る。同時に、シービーの走行フォームが変貌を見せた。

 姿勢は低く、低く、更に低く。上体は地面と向かい合うほど前のめりに――直後、走るシービーの体が徐々に前へ前へと推し進み、更に加速し始めた。

 

「ッ!」

 

『ルドルフ来るか!? ルドルフ来るかっ!? しかしシービー!シービーが前を譲らないっ!! 伸びる伸びる! 更に前へ伸びる!』

 

 極端な前傾姿勢で走る走法は、彼女が独自で編み出したスパートフォーム。重心を限界まで前に移し、転ぶ前に脚を踏み出すのだ。

 自身の体重を余さず推力に変換できる強力な走法だが、一歩間違えれば選手生命を危ぶめる。ハッキリ言って正気の沙汰ではない走りだ。

 しかし――狂気に満ちた窯の底にこそ、シービー達は勝機を見出した。

 

「(あの走りを完成させるには強い筋肉は勿論、尋常よりも柔軟で(しなやか)な肉体が必要だった。そのために私とシービー君はあらゆる手を尽くしました。人体力学に則った柔軟体操は勿論、ヨガ、果ては古武術まで)」

 

 期間は僅か。効果のほどは知れないし、上手くいく保障など無かった。

 けれど、これまでにつみ重ねた全てが、今この瞬間に結実した。

 無辺の彼方にさえ届く、大きく透明な翼となって、ターフを翔ける彼女の背に。

 

「無茶も爛漫も在るがままの姿。天衣無縫こそ君の在り方です。――飛びなさい、ミスターシービー」

「――オオオオオオオオオオオオ!!」

 

 縮められつつあったルドルフとシービーの差。一バ身に満たないごく僅かの距離が、再び開く。

 だが、ルドルフはそれをみすみすと許さない。

 

「逃がさん――っ!!」

 

 この瞬間、二人の速度は時速にして約69km/h。

 1ハロン12秒台(約60km/h)が常識の長距離レースの最終直線を、あり得ない事に短距離レースレベルのスピードで競っていた。

 そこから更に、ルドルフは加速する。レースウマ娘の瞬間最高時速を僅かに上回る、72km/h。

 ウマ娘という種族の限界を越えたスピードで、粘るシービーに肉薄する。

 

 しかし当然、肉体への負荷は著しかった。

 

「(息が苦しい...肺が、潰れそうだ...! 手足の感覚も、殆ど薄れている...)」

 

 人間は肉体が持つスペックの100%のうち、全力でも70%程度しか発揮できないという。過剰な筋出力や莫大なエネルギーの消費から肉体を守るため、脳がリミッターをかけている為だ。それはウマ娘でも変わらない。

 

 ルドルフは今まさにその100%――それ以上の力を振り絞ってシービーと競り合っている。限界などとうに迎えていた。

 このレースが終わった瞬間、自分の身体のどこかが壊れるという確信さえある。

 だが――。

 

「(――知った事か! この程度で脚を、この高揚を止めるなど笑止千万っ!!)」

 

 ルドルフは駆ける。

 紫紺の瞳をギラつかせ、真白の歯を噛み砕かんばかりに食いしばり、神の祝福を受けたような美貌を執念に歪ませ、芝を蹴る。

 

「フフ! アハハ! まだ、まだまだぁぁっ!!」

「ハアアアアアアアアアア!!」

 

 ゴール板まで残り100mを切った。

 笑うシービー。吠えるルドルフ。

 対称的な二人、その決着が目前に迫る。

 

「差せぇ! 間に合えぇっ!!」

「抜かせるな! 突っ込めシービー!」

 

 残り80m――

 

「お願いお願いお願いお願い...!! 今度こそシービー様を勝たせてぇ...!!」

 

 残り60m――

 

「負けないで! 勝ってよカイチョーッ!!」

 

 残り40m――

 

『並んだ! 並んだ! ルドルフが並んだ! シービーを捉えた! 三冠ウマ娘、両雄並んで鍔競り合う!! 小細工無用の真っ向勝負!!』

 

 残り20m――

 

「シービー先輩っ!!」「先輩いっけぇ!!」

「シービー君...!」

「いけっ...! 行けぇ!ルドルフゥゥッ!!」

 

 残り10m――

 

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛ッ ! ! !」

「ァ ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! ! !」

 

 残り――

 

『行かせない、抜かせない!! 両者一進一退譲らない!! ルドルフかシービーか! シービーか! ルドルフか! 両者先頭だ!! 両者先頭のまま――ゴォォルインッッ!!!』

 

 

 

 

『両者もつれ込むようにゴール板を駆け抜けました!! 非常に判断が難しいギリギリの決着! ――勝敗は、写真判定に委ねられます!』

 

 実況の女性の声が遠く感じる。

 万雷の歓声も、どこかぼんやりしている。

 

「はっ...はっ...かふっ...く...」

 

 肺が苦しい。膝についた手が震える。

 心臓の早鐘が痛いほどに激しい。

 自分の身体が自分の物でないような、肉体の異常に対して達観している。

 良くも悪くも、一線を越えたという事だろうか。

 

「勝敗、は...っ」

 

 横にシービーが並んでいたのは覚えている。

 自分が先にゴールしたか、彼女が先かでトレーナー君の未来が決まる。

 

「ぁ――」

 

 ズルッ、と。

 重心を預けていた膝から手が滑り落ち、そのまま私の視界もターフに迫っていく。

 だが、行く先は一面の緑だ。さして痛みは無いだろう。

 

「(少し、疲れた――)」

 

 もはや受け身を取る気力さえ無い。

 目を閉じて、倒れゆく我が身を受け入れる。

 

 だが...

 

「ルドルフッ!」

 

 私を迎えたのは柔かな芝ではなく、慣れ親しんだパートナーの香りだった。

 自分の身がどうなったのか一瞬分からなかったが、トレーナー君が私を抱き留めてくれたようだ。

 

「とれ、なぁ君...? どうして...」

「あの走りを見れば分かるっ! 君のトレーナーだから! あんな無茶苦茶な走り...倒れて当然だっ...!!」

「...うん」

 

 鼻をすする水音に鼻声。

 見上げた先にある彼の顔は、さっきよりも酷くぐちゃぐちゃになっていた。

 流石に返す言葉も無く、彼のお叱りを甘んじて受け入れている。

 

「本当に心配したんだぞ! 本当にっ...」

 

 詰まった言葉の続きを待つ。

 けれど、いくら待てども叱責は来ない。

 流石に愛想が尽きてしまっただろうか。

 

「とれぇなぁくん?」

 

 若干の不安を抱きつつも彼を呼ぶ。

 すると、私の頭にフワ、と彼の手が乗せられた。

 

「ありがとう、ルドルフッ...頑張ったなぁ...!」

「――――」

 

 そう言って、彼は笑った。

 慈愛と、安堵と、喜び。色々な感情が詰まった、誇らしげな笑顔。

 私がレースに勝って帰るたびに見せてくれた、私だけの――

 

「さあ、救護室に行こう! しっかり掴まって――」

「とれぇなぁ、くん」

 

 私を抱えようと肩に回された彼の手に、そっと自分の手を重ねる。

 骨ばった手は僅かに汗をかいており、冷たくて心地よかった。

 

「ど、どうした! どこか痛むのか!?」

 

 焦燥に染まった彼の表情も愛おしい。

 気付けば私は、トレーナー君の首に腕を回していた。

 

「聞いて、欲しいことが...あるんだ」

「後で聞く! 今は早く――」

 

 

 

 ――衝動のままに、彼の身を抱き寄せる。

 トレーナー君の吐息が首筋に触れて、少々こそばゆい。

 

「...る、ルドルフ?その、これは」

「...君と」

 

 狼狽える彼を無視して、すぐ側にあるトレーナー君の耳に、囁いた。

 

 

 

「私は、君と走りたい」

「ぇ...」

 

 

「春も、夏も、秋も、冬も――巡る季節を、君と共に歩みたい。担当契約が切れても、ずっと。...それが、私の願いだ」

 

 観客達が大きくどよめいているのが聞こえる。

 私は構わず、彼への睦言を続けた。

 

「私のトレーナーは...私の半身は、とれぇなぁ君だけなんだ。とれぇなぁ君が隣に居なければ、私は走りたくない」

「っ...!」

 

 風の音にもかき消されそうに控え目な嗚咽が、彼の口から零れ落ちる。

 その真意を知るほど、私達は本音を曝け出せていないが...彼の心に突き立った針は、抜けたのだろうか。

 

 ...もしかしたら私が彼から離れることこそ、トレーナー君の救いになるのかもしれない。

 全てのウマ娘の幸福。その夢の為に彼のトレーナー人生を犠牲にする、そんな選択を強いられる時が来ないとも限らないのだから。

 

 だが、私は決して彼を手放さない。

 健やかなるときも、病めるときも、傍に居座ってやる。背負う荷が重すぎるなら、無理やりにでも分かち合う。

 夢かトレーナー君か。どちらか選べと聞かれたら、二つとも掴み取る道を切り開く。

 

 もう、決めた。

 

「ルドルフ...おれ...俺っ――!」

「とれぇなぁくん。――」

 

 もう一度、彼の耳元で囁いた。

 ただ一言、私達以外の耳に届かないよう、か細い声で密やかに。

 

「え――」

「...いつか教えた私の幼名だ。これから二人きりの時、その名前で呼んでほしい。――今だけは、特別だぞ?」

「...ああ。分かったよ」

 

 

『な、なにが起きているのか分かりませんが...と、とにかく判定の結果が出ました! URAファイナルズステイヤー部門! 勝者は――!』

 

 

「――ルナ」

「...えへへ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 ――斯くして、第一回URAファイナルズは幕を閉じた。

 

 シンボリルドルフとそのトレーナーを巡る騒動は、一部関係者からのリークによって乙名氏記者を始めとする記者団の耳に入る所となり、各紙の一面を飾った。

 結果として、トレーナー協会会長は会見にて公式に謝罪。会長の座を辞し、URAからも身を引くという形となった。

 彼が何故今回の暴挙に至ったか、その背景が世間に語られる事は無かった。

 

 

 ミスターシービーは今回のレースを以てトゥインクルシリーズの一線を引き、ドリームトロフィーリーグへの挑戦を発表。多くのファンに惜しまれ現役続投も望まれたが、彼女はこう言った。

 

「トゥインクルシリーズでやりたい事はもうやり尽くしたしね。なら、私は次のステージに行くだけ。ドリームトロフィーリーグにはきっと、そこでしか感じられない風がある。今はそれが楽しみなんだ」

 

 そして最後に、彼女は笑って一言呟いた。

 

「――必ず、彼女も来るだろうしね」

 

 二人の五度目の対決が見られるのは、そう遠くない。

 ミスターシービーの目には、そう信じさせてくれる熱が灯っていた。

 

 

 渦中のシンボリルドルフは、担当トレーナーと共に一か月の休養を取っていた。

 決勝戦の直後に緊急検査が行われ、観客達に心配を与えたが、結果は異常無し。全身の筋肉痛が危ぶまれる程度であった。

 ファンは安堵したものの、少しでもケアが遅れていれば重大な後遺症が残っていたかもしれないと言われており、トレセン学園の秋川理事長は大事をとってルドルフとそのトレーナーに休養をとるよう忠言したのだった。

 

 そして、現在――

 

 

「ルナ...もうすぐ昼休み終わるから...ね? そろそろ膝から降りて...」

「や! ルナとれぇなぁくんともっとイチャイチャする!」

「いや、これ他の人に見られたらたずなさんに怒られるから――」

「やー!」

 

 トレーナーの膝にまたがり、今日もシンボリルドルフはルナちゃんになっているのであった。

 

 

 

 

 

 

 ――同刻、シンボリルドルフのトレーナー室の前にて。

 

「ルナwwwルナちゃ...っwww」

「...扉の前で盗み聞きは行儀が悪いですよ、シービー君」

「だってさぁ――ブッフwwww」

 

 何故か廊下で捧腹絶倒するミスターシービーの姿が見かけられたが、その理由を知る人物は、誰も居ない。

 





この作品でひとまずルナちゃんssは一区切りとなりました。
書きながら「これ需要あんのかな?」と自問自答しましたが
なんとか投稿できて一安心しております。

あとは作中でのシービーの解像度が低かったのが心残りでもあります。
アプリ内の他人の言葉に揺らがず自分を貫く強さを持った、そんなシービーを
どこかで書きたいです。
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