ONE DAY   作:柴猫侍

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Ⅱ.落胤と烙印

 

 

 

 偉大なる航路(グランドライン)

 

 

 

 そこは凪の帯(カームベルト)に挟まれる形で存在する海域であり、東の海を含めた東西南北の海では考えられないような現象が巻き起こる。

 

 偉大なる航路に突入する方法は主に二つ。

 リヴァースマウンテンと呼ばれる逆流する海流を利用し、山を登る形で侵入する方法が一つ。

 もう一つは偉大なる航路の左右にある凪の帯を突っ切る方法だが、こちらは超大型海王類の巣でもあり、海軍の海楼石を底面に張り付けた軍艦等でしか無事に通過できる確証は得られない。

 

 ただし、一つだけ抜け穴があるとするならば、そもそも海王類に乗って進む手段に限っては、普通の帆船で突っ切るより遥かに安心だということだろうか。

 

「本当に浮かんでる……」

「クワァー!」

 

 シーちゃんに乗って航海する三人と一匹が見上げるのは、空に浮かび上がるいくつかの島だ。

 下からでは浮島の岩壁ぐらいしかはっきりと見られないが、それでも御伽噺のような空を浮かぶ島の存在を目の当たりにし、ノアの目は爛々と光り出す。

 

「スッゴーイ!! あれがメルヴィユ!? メルヴィユだよねっ!?」

「うるせェ。永久指針見ろ」

「針上向いてるよ!! メルヴィユだ!! やったー!!」

 

 大はしゃぎするノアに苦言を呈したルナ。

 彼の言葉を受けて持参した永久指針を見たノアであったが、紛れもなく指針は目の前の浮島を指し続けている。

 

「シャオ! これでおうち帰れるよ!」

「うん! ありがとう、お姉ちゃん!」

「クワッ、クワー!」

「ビリーもありがとね!」

 

 シャオとビリーと抱き合うノア。

 それを少し離れた場所から眺めるルナは一人ぼやく。

 

「別になんてことねェじゃねえか……」

 

 気を張るだけ無駄だったと、彼は自前の水に口を付ける。

 ここまでの航海───ビックリするほど何もなかった。今回は船が岩壁に叩きつけられて沈没するリヴァースマウンテンからではなく、凪の帯からの突入した一行だが、シーちゃんの巨体のおかげもあってか、さほど時間もかからずに海王類の巣を抜けて偉大なる航路突入を果たした。

 加えて、道中食糧確保のために立ち寄った島でも、これと言った危険は存在しなかった。強いてあげるとすれば何度か海賊に襲撃されたものの、どれもビリーの電撃で撃退できる小物ばかり。多少向かってきた相手には手を出せど、ルナの出る幕はまったくと言っていい程なかった。

 

(まァ、そっちの方が面倒じゃなくて楽だが)

 

 結局、店長達の心配は杞憂に終わっただけだ。

 さっさとシャオを故郷へと送り届けるのを確認し、ノアを連れ戻して金を返させる。今のルナの頭の中にある考えは、そればかりだった。

 

「で? こっからどうすんだ」

「うーん、あそこまで高いと流石にシーちゃんでも届かないし……ビリー、お願いできる?」

「クワァー!」

「運んでくれるの? ありがとう!」

 

 意気揚々と胸を張るビリー。どうやら彼が乗せてくれるとのことだ。

 かくして飛行手段も確立した一向は、ビリーの背中に乗って秘境メルヴィユ目掛けて空を翔けていくのだった。

 

 

 

 そこが弱肉強食の、“強者”の世界であるとも知らず……。

 

 

 

 ***

 

 

 

「どうなってんだ、ここは」

 

 苛立たしく吐き捨てるルナが、気絶した巨大蛸を投げ捨てた。

 家屋よりも大きな巨大蛸は地響きを立てながら地面を転がるが、その迫力に危うくシャオが気絶しかける。寸前でノアが背中を受け止めるが、こうも毎度気を失っていてはろくに進められないほど、この島には怪物(クリーチャー)に溢れていた。

 

「ひぇ~……おっきな蛸さん。これでたこ焼き何人前作れるんだろ……」

「オイ。もう面倒臭ェからもう背負っとけ、そいつ」

「そうだね。という訳で、お姫様を守る騎士役はルナに任せちゃう!」

「あ?」

「も~。そんな怖い顔しないでって」

 

 『冗談だって』と茶化すノアに睨みを利かせるルナであるが、暖簾に腕押しと理解している為か、さっさとやめて目的地があると言われた方角を向く。

 

「っつーか、鳥。てめェはビビッて後ろに隠れてんじゃねェよ」

「クワァ……」

「ルナ、そんなに怒らないであげて! ビリーだってあんなに大きい生き物が相手じゃ怖いもんね?」

「オレも同じだろうが」

「たは~~~ッ! おっしゃるとおり! いよっ、ビッグな男! 体の大きさで負けても、器の大きさは負けてないよ!」

 

 ペチンッ! と額を叩きながら、囃し立てるノアのことは放置する。

 すぐに後ろから『ちょっ、置いてかないでぇ~!』と焦りに焦った声が聞こえるが無視して進んでいく。

 

(……まだまだ先は長ェな)

 

 メルヴィユ上陸時、ローグタウンでも見かけた巨大カブトムシの他、これまた巨大なカマキリや鳥といった凶暴なクリーチャーに襲われ、止むを得ず地道に陸の道を進む方針に決めた一向。

 シャオが居るおかげで辛うじて目的地への方角はわかるが、クリーチャーに襲われる頻度は地上も空中も大して変わらない。

 

「オレはともかく、てめェらが足手まといだ」

「それについては───ごめん!!!!」

「デケェ声で謝ればいいって話じゃねェぞ」

 

 それに、とルナが付け加えようとしたところで、彼らが屯する場所の背後の茂みがゴソゴソと揺れ動く。

 

「あっ」

「……テメェが騒ぐせいで別のが来やがった」

「っっっ!!!!」

「無言で土下座してんじゃねェ」

 

 ゴッ! と鈍い音が聞こえる勢いで、ノアが頭を地面につける。

 何度見ても美しい土下座だ。ただし、何度も繰り返せば謝罪も価値も相対的に下がるというもの。そもそも最初が0であるならば関係のない話だが───。

 

「邪魔だ、退いてろ」

「うん……怪我しないでね!」

「どの口で言ってやがる」

 

 そう吐き捨てたルナの目の前に現れたのは、やけに腕の長い巨大な熊であった。

 こちらを見つけるや否や威嚇らしき雄たけびを上げ、ドシドシと地響きを響かせながら猛進してくる。振り翳した腕は風を切り、目にも止まらぬ速さで地面を叩き割った。

 飛び散る破片は人間の頭ほどもある大きなもの。破壊の規模が相当なことは想像に難くはないが、

 

「……フンッ」

 

 ルナは健在。

 体をややずらし、最小限の動きで躱した彼は熊に対してなんてことはないと鼻を鳴らした。

 それが気に障ったか、再度けたたましい雄たけびを上げる熊は、何度も何度も両腕を振り翳してはルナを叩き潰そうと躍起になる。

 

「ヴォ! ヴォ! ヴォ! ヴォ!」

「……」

「ヴォ! ヴォ! ヴォ……ヴォ……!」

 

 しかし、それが延々と続けば熊にも疲れが見え始める。

 振り下ろす腕の速度も見るからに緩やかになり、力も弱弱しいものになっていく。

 

 対するルナはただの一撃も喰らわず、とうとう疲労で最後の一撃を繰り出したまま動かなくなった熊の腕に、ポンと手を置いた。

 

「終わりか?」

「!!」

「続けるか?」

「ッ……ヴォオオオ!!!!」

「そうかよ」

 

 最後の力を振り絞り渾身の一撃を振り抜いた熊。

 それを平然とした顔で躱してみせたルナは、ぬるりと熊の懐に潜り込むや、固く握りしめた拳を空目掛けて振りかぶった。

 

 直後、熊の巨体が浮かぶ。

 

「ヴ……ッ!!!?」

「退かないてめェが悪い」

「ォ゛……!!!」

 

 巨体が着地する寸前、その場で体を捻ったルナの回し蹴りが直撃した瞬間、落ちる角度が90度横へ変えられた熊は、木々をなぎ倒す音と共に茂みに消えていった。

 

「スゴ……」

 

 それを見物していたノアが呟いた。

 何度見ても圧巻な光景だ、と。

 

「ありがとう、ルナ! また守ってくれて」

「降りかかる火の粉払ってるだけだ」

「……」

「なんだ、その顔」

「ンフーッ♪」

 

 にんまりと上気した頬を吊り上げ、だらしない笑顔を晒すノアに向けて言い放った言葉だ。

 

「別に~。ルナは優しいなぁ~、って!」

「あ?」

「もうちょっと怖い口調と表情直せば女の子にモテると思うのになぁー」

「モテたところで得なんてねェだろ」

「……そこまでくると、いっそ武士?」

 

 女性に興味を見せぬ青年に対するノアの評価に、『知るか』と辛辣な答えが返ってくる。

 

「まあ、硬派な男の人が好きって女の子も居るだろうし!」

「興味ねェっつってんだろ」

「でも他の人はルナに興味持つかもしれないよぉ~?」

「……」

「あっ、やめて! 無言で指掴まないで! 折れちゃう! 折れちゃいけない方向に折れちゃうー!?」

 

 『ツンツン♪』と両手の人差し指で突いて揶揄っていたノアであったが、手痛い反撃を貰いかけて涙目で謝罪する羽目になった。

 

「イタタタ……冗談なのにぃ。暴力はんたーい!」

「知るか。口にした時点で殺し合いだ」

「な、なんていうストロングスタイル……! ややもすると、私もその対象に……?!」

「それについちゃ気にするな」

「あっ、そう? 安心したァ~」

「そもそも殺し合いにならない雑魚は眼中にねェ」

「安心できなくなったァ~」

 

 迂闊なことは言えない信条を抱えていると知り、ノアは怯えたように一歩引いてみせる。ただし心の底から怯えている訳ではなく、次の瞬間にはケタケタと笑いながら、二歩、ルナの方へと歩み寄った。

 

「にしても、ルナって本当に強いよね~。あんなにおっきな生き物やっつけちゃうし! 実は私が知らないだけで超強い人で有名だったりする?」

「知るか」

「そっか。でも、そんなに強いってことは相当鍛えてたんじゃない?」

「……考えたことねェな。ただ生きてたらこうなってただけだ」

「おぉ……なんか、真の強者風の言い回し……!」

 

 好意的な反応を見せるノアは、感慨深そうに言葉を紡ぐ。

 

「きっとルナは意識してなかっただけなんだね。そうじゃなきゃ、普通そんな風に強くなれたりはしないよ」

「普通……か」

「あっ、別にルナが普通じゃないって意味じゃないよ!? いや、確かに腕っぷしは普通じゃないけど、それは良い意味の方で……」

「……別に。気にしねェよ」

 

 そうは言うものの、ルナは視線を合わそうとしない。

 折角縮まった距離が遠のいた───そんな気がしたノアはシュンとする。

 

「機嫌悪くしちゃったらごめんね……?」

「てめェが言うか」

すぴぱめん(すみません)

 

 ガッ、と両頬を掴まれたノアが、寄せられた肉で潰れた顔面のまま謝る。

 それを聞き届けるや、パッと手を放すルナ。解放されたノアは掴まれてほんのり跡がついた頬をムニムニと揉み解す。

 

「んぅ~……でも、それだけ力があったらなんでもできるよ! 夢が広がるね!」

「あ?」

「ルナは何かやりたいことはない? 『世界中を旅したい!』とか『お金持ちになりたい!』とか」

「……ねェよ。んなもん」

「えぇ~、もったいない!」

 

 瞳を輝かせるノアは力説する。

 

「せっかく生きてるんだから、こう……考えるだけでワクワクするような夢! そういうの持ってた方が絶対楽しいよ!」

「楽しかったらなんなんだよ」

「『あー、生きてるなー』って実感できる!」

「……」

「あっ、そんな顔しないでよー!」

「逆に訊くが、オレは今どういう顔してる?」

「『こいつ何言ってんだ?』って顔」

「そうか。ならそれが全部だ」

 

 強引に切り上げて先へ進もうとする。

 しかし、それをこのパワフルな女が許すはずもなく、

 

「ねぇ~、ルナも楽しい夢持とうよ~?」

「うるっせェな……」

「夢は小さなものからでもいいんだよ? 私だと『五段のアイスが食べたい~!』とか『トッピング全乗せしたい~!』とかかな?」

「だったら尚更興味はねェよ」

「あぁ~っ! はい、ピッピー! アウトー! 今のは問題発言だよ! 私の夢馬鹿にしたでしょ!」

「あぁ、くだらねェ」

「オー、即答」

 

 『それはそれで傷つく』と項垂れたノアだが、すぐさま脳裏に夢のトッピング全乗せ五段アイスを想像し、己のモチベーションを最高潮まで高めてみせる。

 

「わかってないなァ~。じゃあ、ローグタウンに戻ったら食べてみよっか!」

「何を?」

「アイス!」

「……なんでオレが付き合う前提だ」

「いいじゃん! きっと楽しいよ? 小さな夢でも、叶えてみたら世界が変わるかも♪」

「その程度で変わっちゃ世話ねェな」

 

 バッサリと一刀両断し、ルナは歩を進める。

 彼女は常時この調子だ。いいところで切らなければ、延々と話が続くことを彼は身をもって理解している。

 彼女にほの字な人間ならばまだしも、ルナにその気はなかった。

 だから適当にあしらっているというのに、それでも話しかけてくるとは生来のお喋り好きか、はたまた相当に図太い性格をしているのは違いない。

 

「ッ……クワァー!!?」

「んっ!? ビリー、どうしたの?」

 

 緩やかな歩みで前へ進んでいた一向であったが、不意にビリーが騒ぎ始める。

 尋常ではない様子に心配して駆け寄るノア。その背中に身を隠す仕草は、まるで何かを避けているようだった。

 

「クワァ……クワァ……」

「うん……うん、うん。えぇ、そうなの!?」

「クワッ……」

「そっか……それは辛いね。ちょっと待ってね! 何かあるか探してみるから」

 

 親身になって耳を傾けていたノアが、徐に自身のリュックを漁り始めた。

 そして取り出したのは、何の変哲もない新聞紙。それを丸めて二本分の棒を作り出せば、

 

「これなら少しは大丈夫?」

「ク、クワッ……」

 

 即席で作ったものはなんてことはない鼻栓だ。

 

「……何か臭うのか?」

「うん。ビリーがね、『イヤな臭いがする』って」

「……そうかよ」

「あっ、信じてないでしょ!? ホントだよ! 私とビリーの仲ともなれば、このくらいの意思疎通なんてこと───」

「なんも言ってねェだろうが」

 

 また喧しくなりそうなところで強引に話を切って終わらせようとするルナだが、ムキになったノアは食い下がってくる。

 

「そこまで言うなら私が確かめるよ! スゥー……ハァー……、お? だんだんなんかピリピリしたスパイシーな香りがしてきた気がする。よーし、もう一回……スゥ───」

「多分それ、ダフトグリーンの臭いだよ。毒だからあんまり吸わない方がいいよ」

「うげっほぎゃあ!!?」

 

 目を覚ましたシャオが告げる衝撃的事実に、ノアが咳と悲鳴が入り混じった難易度の高い音を喉から迸らせる。

 

「シャオ。今度からそういうのはもっと早めに言ってね……」

「ご、ごめんなさい……」

「クワァー……」

 

「……」

 

 涙目で訴えるノアを余所に、ルナはクンクンと鼻を鳴らす。

 しかし、大した臭いを嗅ぎ取れなかったのか、すぐに現地人であるシャオの方を向いた。

 

「……やっぱりわからねェな。どういう代物なんだ、そのダフトグリーンってのは」

「ダフトグリーンはね、動物が嫌いな臭いを放つ植物なの。だから村の周りに植えて、動物が近寄れないようにしてるんだ」

「……ルスカイナなんかに生えてる木みたいなもんか」

「知ってるの?」

「本で読んだだけだ。実物は知らねェ」

 

 会話を続けながら歩いていれば、目の前にそれらしき木が見えてくる。

 白い樹皮を携えた太い幹。背は低く、目を凝らせば花粉のようなもの粉を撒き散らしている様は、確かに近寄りがたい雰囲気を醸し出していると言える。

 

「こいつか……」

 

「ひぇ~……、ルナもあんまり近づかない方がいいよ? というか、吸ったら毒なのによく村に周りに生やしてるよね」

「ちゃんと治すお薬があるんだよ」

「あっ、そうなの?」

「うん。“I.Q”って植物から作れるの」

 

 でも、とシャオは俯きながら言葉を続ける。

 

「そのI.Qをシキが独り占めにして……それでお薬を作れなくなっちゃった」

「えぇ、ひどい!?」

「私もお祖母ちゃんの為にI.Qを探してたんだけど、その途中で動物に襲われちゃって……」

「そっか……シャオも大変だったんだね」

「お母さんには村の外に出ちゃダメって言われてたのに、私……私っ……!」

 

 メルヴィユから離れる原因にもなった自身の行動を省み、目尻に大粒の涙を溜め込むシャオ。その表情からは子供ながらに家族を心配させてしまっている現状への後悔が窺えた。

 そうした彼女の気持ちを慮るノアは、何も言わずに抱きしめた後、今度は満面の笑みを浮かべて少女と顔を見合わせる。

 

「大丈夫! きっとシャオが帰ってきたら、家族のみんな喜んでくれるよ!」

「ホント……?」

「ホント。ちょっとだけ怒られちゃうかもしれないけれど、シャオがお祖母ちゃんの為に頑張ったことを知ったら許してくれるよ。だから、家に帰ったまず『ただいま』。それから『ごめんなさい』を言うの。約束できる?」

「……うん!」

「よしっ! それじゃ、村に向かおっか!」

 

 シャオの笑顔を取り戻させたノアは、意気揚々と少女の手を握る。

 傍目からすれば姉妹に見える何とも微笑ましい光景だった。

 

「そうだ! ルナもどう?」

「あ?」

「そっちのシャオの手! 掴んであげてくれない?」

 

 予想だにしていなかった提案に、思わずルナは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。

 

「なんでオレが……」

「いいじゃん! ほら、シャオ。ルナと手繋いでごらん?」

「えっ……」

 

 ノアに促されたシャオは、オドオドとルナを見上げる。

 そこには不機嫌そうに眉間に皺を寄せる青年が居た。しかも、シャオぐらいの子供であれば、思わず蹈鞴を踏んでしまいそうな威圧感を放っている。

 

 躊躇うような息遣いがシャオから漏れた。

 それからシャオは、今一度提案した女性の方を一瞥する。その時、彼女の瞳に映り込んだものこそ、少女の背中を押すに至った。

 

「フフッ♪」

 

 屈託のない満面の笑み。

 言葉はなく。だが、口ほどにものを言う表情がシャオの中に湧き上がっていた不安を拭い去っていった。

 それからは早かった。巨大なクリーチャーを一蹴する力を持った青年の手を、恐る恐るながらも握ってみせる。相手からの応答はほとんどない。ほぼシャオが一方的に握りしめているに等しい状況だが、案じていたような事態にならないだけで、シャオの強張っていた顔はみるみるうちに解れていく。

 

「どう、シャオ? ルナの手を握ってみた感想」

「う~ん、お姉ちゃんより大きくて……ゴツゴツしてる!」

「そ! だからあんなに大きな動物もやっつけられるんだね!」

「でも、私が握っても全然痛くないよ?」

「それはね、ルナが痛くないよう優しく握ってくれてるからだよ!」

 

 

「……そもそも握ってねェだけだ」

 

 

 意図せぬ方向へ事実を歪曲させられていく雰囲気。

 沈黙を貫いていたルナも咄嗟に否定はしてみるものの、シャオの純粋な瞳を見るからに、思った効果は出ていないようだった。

 

 心外だ、と内心毒づくルナ。

 その傍ら、優しくシャオに言い聞かせるようにノアは言の葉を紡いでいく。

 

「強い人はね、正しい力の使い方を知ってるの。怖い生き物と戦う力の使い方もあれば、相手が痛くないように手を握る力の使い方も知ってる。それはね、実はとっても難しいことなの」

「じゃあ、どうして今はお兄ちゃんの方から握ってこないの?」

「それは……───ルナがまだ、手を握る力の強さがわからないからかなぁ」

 

 ピクリ、と握っていない方の指が動いた。

 何か透明な線に触れて弾かれたように。

 

 青年の視線は、ずっと遠くを向いている。

 ずっと、ずっと遠く───それこそ目に見える景色のさらに向こうを覗くように。

 

「え? じゃあ……」

「でもね、酷い人だったらシャオの気持ちなんてお構いなしにギューッ! って掴むと思うの。シャオが『痛い!』って言ってもきっとやめてくれないよ」

 

 

───ざわざわと胸の内の“何か”がざわめく。

 

 

「シキって人は、たぶんそういう人なんだと思う。シャオ達が大変な思いをしてても知らんぷりしてね……けど、ルナは違う」

 

 

───久しく覚えていなかったような感覚だ。

 

 

「強く握ったら痛いって知ってるから、シャオが痛い思いをしないように気を付けてくれてる」

 

 

───長らく感じないようにしていた感情だ。

 

 

「自分がされたらヤなことは他人にもしない。それができるのは、きっと……」

 

 

───これは、きっと。

 

 

「───強くて、優しい人だけ」

 

 

───“苛立ち”だ。

 

 

「……チッ」

「あっ……」

 

 舌打ちと共に握られていた手を振り払うルナ。

 突然の出来事に呆然と立ち尽くすシャオは、思わずノアの方を向く。

 

 そうすれば、

 

「照れてるのかもっ!」

 

 こう告げられ、シャオの手を振り払われて曇った顔はみるみるうちに晴れていく。

 そこには邪険にあしらわれた寂しさなど、これっぽっちも窺えはしない。

 

「何がしてェんだ……」

 

 誰にも聞こえぬ声量で、ルナが吐き捨てる。

 わざわざ自分を善人に仕立て上げようと語るノア。その思惑を探りかねるような口振りだった。

 

「クソ」

 

 苛立ちが募る。

 どうしようもなく、沸々と。

 

 そうして足早に先を急ぐルナだが、苛立ちの余りか、()()()()背中に向けられる視線には気付かなかった。

 

「……」

 

 ノアの寂しそうな眼差し。

 それに気づく者は、まだ誰も居ない。

 

 

 

 ***

 

 

 

 四季は偉大なる航路において非常に曖昧な概念だ。

 存在しない、とまでは言い切れないものの、島単位で気候ががらりと変わるものだから希薄であることには違いない。一年を通して雪が降る冬島もあれば、週に1回季節が変わる『48季』の島もある。

 

 それほどまでに不安定な気候の偉大なる航路において、メルヴィユもこの例外には漏れない。

 数十年前は雲に届くような塔状の島だったものが複数の島に分けられた今、満開の桜に咲き誇る島もあれば紅葉が鮮やかな島もある。かと思えば吹雪が吹き付ける極寒の島もあったりと、景観には飽きない場所であった。

 

「うぅ~、寒い~……! こんなことならコートでも買っておくんだったぁ……!」

「ご、ごめんなさい。そのこと言い忘れちゃってた……」

「言えた! 偉い! 許す!」

 

 とは言うものの、ワンピース一枚で鼻水を垂らしているノアは手ごろな羽毛(ビリー)で身を包みことで寒さを凌いでいる。

 

「アアア、ルナもこっち来ない? みみ、みんなで集まれば暖かいと思うんだけどど……」

「知るか」

「ううっ、ルナが冷たいよ……」

 

 提案を却下されたノアは、引き籠るように手繰り寄せたビリーの翼の中へ姿を消す。

 冷たい風から身を隠すにはうってつけの場所だ。先に退避していたシャオと共に暖を取るノアは、鼻水を啜りつつ問いかける。

 

「ねえ、シャオ。村まであとどれくらい?」

「ここを抜ければもうすぐ見えてくるはずだよ!」

「本当? それじゃあ村まであとちょっとじゃん!」

 

 やったね! とゴールを目前に浮足立つノアとシャオの二人。

 気が早いと言えばそうかもしれないが、一時は絶望的だった帰郷を目前とすれば、この喜びようにも納得いくものだ。ルナ一人を除いては。

 

「やっとか」

「ほら、ルナも喜ぼうよ!」

「勝手にしてろ。オレは金返しに貰いに来ただけだ」

「……ハッ、そう言えばそうだった?!」

「オイ」

「あまりにも自然に守ってもらってたから、つい……」

 

 債務者の意識が欠落していたノアに対し、ルナの額に青筋が浮かぶ。

 

「こいつ……」

「てへへっ。帰ったらちゃんと返すから……ね?」

「嘘じゃねェだろうな」

「ホントだってば! 信じて……───ん?」

「あ?」

 

 不意に明後日の方向を見つめるノアに、ルナもつられる。

 天気は雪。空には雲が掛かっており、吹き付ける寒風は延々と低い唸り声を上げていた。代わり映えのない光景であるが、怪訝そうに眉を顰めるノアは謎の違和感の正体に気づく。

 

「ねえ、何か聞こえない?」

「……動物の鳴き声だ。別に珍しくもねェだろ」

「そうなんだけど……なんていうか、少し()が違うような」

 

 そう言ってノアは耳を澄ませた。

 少しでも多くの音を拾おうと、瞼を閉じて可能な限り余計な情報を遮断する。

 

 一言一句聞き逃さないように、集中した───その結果。

 

『───』

 

 はっきりと聞こえた“声”があった。

 

「……嘘……」

「何か聞こえたの? 私、なんにも聞こえないけど……」

「ビリー、お願い! 皆を乗せて空に飛んで!」

「えっ!?」

 

 危険だからと控えていた空へ赴かんとするノアに驚くシャオ。

 しかし、彼女の切迫した様子に制止する気も起らないまま、少女も一緒になってビリーの背中に飛び乗った。

 

 残るは一人だけとなり、ノアが手を指し伸ばす。

 

「ルナも!」

「何だ、いったい?」

「乗りながら説明するから、早く!」

「……チッ」

 

 手を借りるまでもなく軽い跳躍で飛び乗ったルナ。

 スルーされたノアが一瞬呆けるも、その間に全員を乗せたビリーは空高くへと羽搏いた。グンと高度を上げ、一面の銀世界から先を展望できる位置まで辿り着いた。

 雪山を超えれば、そこは緑映える森林が広がっている。さらに先には大きな湖と、畔に立ち並ぶ家屋が散見できた。

 

 その集落がシャオの村であることは容易に想像できたが、問題はあちこちから立ち上っている砂煙だ。

 

「やっぱり……向かってる!?」

「お姉ちゃん、どうしたの? あそこが私の村だけど……」

「ごめんね、シャオ! しっかり掴まってて!」

「え?」

「ビリー! トばして! できるだけ早く村に辿り着くの、お願い!」

 

「クワァー!」

 

 ノアに頼まれるや、一直線に村に向かって飛行するビリー。最早滑空に近い形でぐんぐん村へと距離を縮める中、吹き付ける向かい風にも怯まず目を見開いているルナは声を上げる。

 

「なんなんだ、急に! 何が向かってるってんだ?」

「動物!」

「あぁ?!」

「この島に住んでる強い動物が……生き物がたくさん、あの村に向かってってるの!」

 

───何を根拠に。

 

 と、喉元まで出掛かっていたルナであったが、焦燥に駆られたノアの表情は真に迫っていた。

 彼女の顔は嘘が吐けない。不本意ではあるが、これまでの道程でそれを理解していたからこそ、ルナは寸前で言葉を呑み込んだ。

 

「それで? 何する気だ?」

「止めるの! なんとしてでも!」

「それにオレを巻き込むって魂胆か」

「っ……ううん。ルナが嫌ならシャオと一緒に避難して!」

 

───私だけでもなんとかする。

 

 決意に満ちた瞳を浮かべ、ノアはそう告げた。

 

「……てめェはどうして……」

 

 上空を吹き抜ける突風が、掠れた声を掻き消してしまい、ついには俯くノアの耳には届いていなかった。

 

「多分降りるなら今しかない。ビリーは……ごめん。村まで送り届けてからでいい?」

「クワァ……?」

「大丈夫! なんとかするから!」

 

 不安そうに見つめるビリーを宥めるノア。

 彼女は村に行く決意で身を固めていた。とても戦えそうにない非力な身であるにも関わらず、シャオの村に迫りくる脅威を阻止する───その一心で死地へ降り立とうとしているのだ。

 

───全くもって理解できない。

 

「……オイ」

「うん?」

 

 あれこれと考えてみたルナは、その無謀へ募らせた苛立ちから、とうとう口を開いた。

 

「さっきから聞いてりゃあ『大丈夫』だ『なんとかする』だ……その自信はどっから湧いてきやがる。ろくな手段も説明しないでどうするつもりだ」

「ちゃんとある! でも、これは自信とかそういうんじゃない。責任感的なもので……」

「他人の命に責任もクソもあるか」

 

 そう言ってルナは立ち上がった。

 そして全身を襲う強風をものともせず、メルヴィユに棲む凶暴なクリーチャーが押し寄せる村を眼下に収める。相当の数だ。一体一体は大した敵でないにせよ、食い止めるとなれば骨が折れるだろう。

 

「結局てめェの命背負(しょ)うのは自分だ。人の生き死にを他人に擦り付けんのは、自分で身を守れない奴のする真似だ」

「それは……っ!」

「だからオレには心底理解できねェ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 すれば、ルナが背中から身を投げ出した。

 信じられないものを見るようにノアの瞳が見開かれる。しかし、そこに映り込む青年は至って平然としており、落下している状況に動じてなどいなかった。

 

「後で腹の奥、洗いざらい喋ってもらうぞ───先に行く。邪魔だから降りてくるな」

「ルナ!」

「どいつもこいつも人の行く先々で邪魔しやがって……」

 

 忌々し気に毒づく───次の瞬間だ。

 

───ッドォン!!!!!

 

 墜落する人影は空気を切り裂く轟音を響かせ、緑色の閃光となって地面を穿った。

 

「え……、えええぇぇ!!?」

 

 突然の出来事に驚愕の余り絶叫するノア。

 ルナらしき光は、落雷の如く地面に降りては、そのまま村のある方角へと駆け抜けていく。それも飛翔しているビリーを遥かに上回る速度で。

 

「早っ……!?」

「お、お兄ちゃんが雷に……がくっ」

「シャオ!?」

 

 案の定、衝撃的な光景を目の当たりにしたシャオが気絶する。確かに人間が目の前から投身を図った挙句、落雷よろしく光って落ちれば驚くのも無理はない話だ。

 

「……ルナ」

 

 気を失ったシャオを抱きかかえ、ノアは緑色の閃光を遠くから見守る。

 殺到するクリーチャーよりも早く村へと辿り着かんと駆け抜ける姿は圧巻の一言。彼の超人染みた身体能力は既に知っていたが、こればかりは人間という種族の枠を超えていると言う他ない。

 

 それでも、彼に対して抱く気持ちに変わりはない。

 

「っ……私も守ってあげなきゃ」

 

 キュッと拳を握った。

 それは自分にできる限りを尽くす、決意の表れだ。

 

 

 

 ***

 

 

 

 世の中は弱肉強食。

 メルヴィユの住民にとって、それはここ20年の間、嫌というほど教え込まれた絶対の摂理であった。

 

 20年前、海賊王が世に残したと言われるワンピースを求めて多くの海賊が海に飛び出した。大海賊時代の幕開けだ。

 しかし、ただ一人海賊王の遺産には目もくれず、己が野望を果たす為に虎視眈々と計画を進める男が現れた。

 

 その名も───“金獅子のシキ”。

 

 幾度となく“海賊王”ゴールド・ロジャーと鎬を削り、かつては“四皇”に等しい立場に居座っていた野心的な大海賊である。

 一度は海軍本部へと乗り込み、脱獄不可能と謳われるインペルダウンへ収監されたものの、2年後に脱獄。その後は大きな事件を起こすこともなく、大海賊時代の荒波に飲まれる形で知る人間は次第に減っていった。

 

 だが、彼の野望は潰えていなかった。

 

 表舞台からこそ姿を消していたシキだが、裏で行っていた所業こそメルヴィユの統治である。

 村に住む男や若い女を労働力として搾取し、かつては島中に咲いていたI.Qを独占。それ故にダフトグリーンの粒子を由来とする病気の特効薬も作れず、大勢の住民が病に倒れていった。

 それに加えて生息していた島の動物を薬品で凶暴化させる始末。村に残された女子供が食糧確保の為に村の外へ出かけ、そのまま帰らなくなった話も少なくはない。

 

 しかし、シキに逆らう人間は居ない。

 正しくは、()()()()()()()()()()

 

 シキという海賊は圧倒的だった。元々島だったメルヴィユを空中に浮遊させているのも彼の能力に依るもの。

 村にはリアルタイムで監視する自走式映像転送電伝虫が徘徊しており、昼夜村人が謀反を企てていないか監視されている。

 

 僅かな希望の芽すらも摘む所業。

 20年という長い月日も相まって、村人はシキの“支配”を否応なしに受け入れる形へと収まっていた。

 

 当然、納得はしていない。

 ただ、命が惜しいだけだ。

 殺されるとわかって逆らうような愚者は居ない。居たとしても見せしめに()()()()()()()()()()()()()()()()からこそ、馬鹿をしでかす前に必死になって止める。

 

 弱者に為せることは何一つとして存在しない。生き方を選べなければ死に方も選べない。強者の気分で命を食い散らかされる。

 唯一できることがあるとすれば、それは彼らの機嫌を損ねぬよう徹底的に媚び諂うぐらいだ。

 

 人としての尊厳を捨て去ったとしても、命には代えられない。

 そう自分と他人に言い聞かせる内に20年の時が経ち、いよいよ反抗心の欠片も抱けなくなる程に“支配”を受け入れるようになった。

 

 しかし、そんな時に降って湧いた希望が一つ。

 労働者としてシキの王宮へ出向いていた男の一人が村へ帰ってきたのだ。曰く、間もなくメルヴィユを出て行き、労働力が不要となったので徴収した労働者を解放するとのことだ。

 

 待ち侘びた瞬間に沸き立つ村人。

 間もなく訪れる自由を喜び合っていた───それも数時間前の話だ。

 

「お母さん! ほら、早く逃げよう!」

 

 遠くから離れていく地響きに焦りを覚える中年の女性が、床に臥せる老婆に向けて言い放つ。

 

「このままじゃ村が襲われて死んじゃうよ!」

「……っ」

「みんなと一緒に防空壕へ逃げるんだ!」

「……シャオが帰ってくる家に誰も居ないでどうするの。私だけでも待ってあげなきゃ……」

「お母さん……!」

 

 そう漏らす老婆に女性は絶句する。

 老婆は自分の母で、シャオとは自分の実の娘だ。つまり老婆はシャオの祖母にあたる人間。

 

 数日前、シャオが祖母の病を治す薬に必要な薬草を探すと譲らず飛び出していったが最後。いよいよ生存が絶望的だと涙も枯れた矢先で、この仕打ちであった。

 他の村人にとっては希望から絶望へと叩き落される最中であるが、祖母と自分にとっては突き当たった絶望の底の、さらに奥へ追いやられる気分であった。

 

 祖母の気持ちは理解できる。

 愛する孫を一人失い───それも自分の病を慮っての行動であった以上、悔やんでも悔やみきれぬ心労で死んだ方がマシという考えばかりが頭を過るのは無理もない話だ。

 

 しかし、暗い闇に囚われる寸前で首を振ったシャオの母親は、それじゃいけないと自分にも言い聞かせるように叱咤を飛ばす。

 

「それなら尚の事逃げなきゃ! 家はいくらでも建て直せばいい! けど、シャオのお祖母ちゃんはお母さんだけでしょう!?」

「っ……! うっ、うぅ……シャオ……!」

「私が背負うから! ほら、早く───」

 

 

「も、もうこんなところまで!!?」

 

 

「「!!」」

 

 家の外から響く悲鳴に、祖母を背負った母親が飛び出す。

 すると、未だ遠方から陸路を駆けてくるクリーチャーとは違い、空からやって来る勢力はいち早く村の上空へと至っていた。

 クリーチャーは大の大人の身の丈を優に超える体躯を誇る。非力な女子供が抵抗したところで、返り討ちに遭うのは目に見えていた。

 

 村人は逃げ惑うことしかできない。

 長年生活を営んできた住処を捨て、ただただ生きる為だけの逃走を図る。

 

「っ、こっちに来た!」

 

 他の村人と同じく避難を始めた二人であったが、早速クリーチャーの目が自分達の方を向いたと察知した。

 始祖鳥のようなクリーチャーは、爬虫類の遺伝子を色濃く残した牙を剥きながら迫ってきている。

 

「あんただけでも逃げておくれ……! このままじゃ二人共……!」

 

 ───やられる。

 間違いなく追いつかれると祖母は告げるも、それは暗に自分を囮にしろという意味であり、到底容認できるものではなかった。

 とは言えど、このままでは共倒れは避けられない。

 刻一刻と距離を縮めてくるクリーチャーの羽搏きは、すぐそこまで迫ってきている。

 

「ギャアアア!!!」

「っ!」

 

 けたたましい咆哮が背後で響く。

 いよいよか、と歯を食い縛る母親。背中から祖母の飲むような息遣いも相まって、緊張感は極限まで高まった。

 

「……?」

 

 しかし、不意に音が消えた。

 あれだけ近くまで迫っていた羽搏きが、今や欠片も聞こえてはこない。

 

 恐る恐ると振り返る。

 今にも鋭い牙が襲い掛かってくるのではないかと息を飲む母親は、その視線の先で信じられぬものを見た。

 

「シャオの言ってた木……ダフトグリーンだったか? 軒並み掘り起こされてたな」

 

 謎の青年に首根っこを掴まれて白目を剥く始祖鳥。

 音もなく地面に引き摺り下ろされただろうか。そのまま続けて襲い掛かってくるクリーチャー目掛けて放り投げられた始祖鳥は、ものの見事に空中で激突し、挙句の果てには湖へと落下していく。

 

「だ、誰だい?」

「あ?」

「あなた……! 今、『シャオ』って言わなかったかい?」

 

 青年の強さに戦慄する母親の背中で、彼が口走った名前に祖母が身を乗り出した。

 食い気味な質問に対し、訝しそうに眉を顰める青年───もといルナは一つあたりを付けて訊き返す。

 

「……あのガキの家族か?」

「シャオを知ってるんだね! あの子は今どこに……いや、生きているのかい!?」

「……生きてなきゃわざわざ届けようとする馬鹿は居ねェよ」

 

 脳裏に女のシルエットが過り、つい忌々しげな口調で答えたルナ。

 しかしながら、そうした答えであっても祖母と母親の二人の瞳に生きる気力を取り戻させるには十分すぎた。

 

「生きてるんだね……良かった……!」

「だから言ったじゃないか!」

 

「───さっさと退け。邪魔だ」

 

 シャオの生存を喜び合う二人へ、ルナが現実へ引き戻すように言い放った。

 そうだ。現在、クリーチャーに襲撃されており悠長にしている時間等ない。一刻も早く避難しなければ、瞬く間に村共々蹂躙されるばかりである。

 

「あんた、伝えてくれてありがとう! さぁ、あんたも逃げるんだよ! 防空壕はこっちに……」

「勝手に行けよ。オレはまだやることあんだ」

「やることって……今やることなんてあるのかい!? もうすぐ恐ろしく強い生き物がここに来るんだよ!?」

「……」

 

 直後、ハッ、と鼻で笑う声が地響きに紛れて聞こえてくる。

 ただし、当のルナの目はこれっぽっちも笑ってなど居ない。睨まれた者が凍り付くように冷たい───否、冷えた目つきは押し寄せる大群へと向けられている。

 

 まるで、何かに重ねるように───。

 

 

「強かろうが弱かろうが関係ねェよ」

 

 

 次の瞬間、その瞳には怒りが燃え立つ。

 

 

「……昔っからそうだ。馬鹿を黙らすには……(コイツ)が早ェ」

 

 

 震えた拳を握りしめれば───眩い電光が轟音と共に爆ぜた。

 

「なっ……!?」

 

 周囲の人間の驚愕を置き去りに、一人の男の蹂躙劇は始まった。

 獣のように首から上を垂らすような前傾姿勢。それでいて手は三本爪の如く特徴的な形へ整える。腰に佩いたナイフは使わない。まだ必要ないからだ。

 バチバチと喧しい音は、まるで警戒音の如く周囲に自身の存在を知ら占める。

 だが、異様に殺気立ったクリーチャーにとっては耳障りな音でしかならず、追い払うまでの効力は得られない。寧ろターゲットを己へ向かせるだけの愚策───とも限らない。

 

「ンモ゛ォ~!!」

 

 斑が緑色のキリンが一直線に突進してくる。

 長い首を振り上げれば、遠心力を乗せたハンマー同然に横薙ぎに振るってきた。

 

「邪魔だ」

 

 しかし、電光とすれ違った瞬間、キリンの巨体はその場で180度回転する。

 視界の天地がひっくり返った時、既にキリンの意識は消えてなくなっており、ろくな受け身を取ることもままならず地面へと叩きつけられた。

 目にも止まらぬ早業。

 だが、目に見える脅威に対して恐怖を覚えるクリーチャーにとって、たかだか一匹叩き伏せられる程度、逃げ帰る理由には至らないらしい。

 

「有象無象がぞろぞろと……」

 

 じりじりとにじり寄ってくるクリーチャーを睨みつけ、次第に拳が黒味を帯びていく。

 

竜爪拳(りゅうそうけん)”───“(りゅう)鉤爪(かぎづめ)

 

 拳は、斯くして爪へと成る。

 呼応して、迸るスパークも激しく暴れる。

 

「……出した手は引っ込めらんねェぞ」

 

 バヂンッ!!! と一際荒々しい爆音が轟く。

 

 空気を切り裂くように駆け巡り、首の皮一枚まで迫ってくる威圧感を覚えたクリーチャーは、一斉に咆哮を上げてルナへと向かっていく。

 重ねに重なっていく地響きと咆哮。最早地鳴りに等しい踏みしめられる大地の悲鳴は、空すらも恐怖に震わせていた。

 

 だがしかし、

 

「竜爪拳」

 

 地面に電気を帯びた“爪”を突き立てたルナが()()()()

 

“竜の”……」

 

 地面に埋もれる()()に狙いを澄まし、拳に纏わせる力と同種のエネルギーを流し込んだ。

 

「───息吹(いぶき)”!!!

 

 次の瞬間、耳を劈く爆発音と共に地面が砕け散った。蜘蛛の巣上に広がる亀裂の速度は尋常ではなく、瞬く間に迫ってくるクリーチャーの足元まで及んだ。

 当然、亀裂の上に立っていたクリーチャーは爆砕する地面と共に宙へと放り出される。突然の爆発に訳も分からず宙を舞うクリーチャーは誰もが目を白黒とさせ、悲鳴を上げていた。

 

「───“エレクトリカル・ルナ”

 

 そこへ畳みかけるように、ルナから迸る電撃が襲い掛かる。

 想像を絶する威力の電撃は、次から次へと命中するクリーチャーから意識を刈り取り、無情に地面へ追突する足場の瓦礫と同じ運命を辿らせた。

 

 これだけで十頭ほどのクリーチャーが戦闘不能に陥る。

 地割れに落雷と、さながら天災の如く立て続けに襲い掛かる脅威に、周りで睨んでいたクリーチャーにも怯えの色が見え始めた。

 

 しかし、まだまだ戦意を保ち続けるクリーチャーはちらほらといる。

 

「ひーふーみー……」

 

 周囲の光景に目もくれることなく、気配だけで敵影の数を数える。

 そのままゆらり……と立ち上がった、次の瞬間。人型の電影を残したまま、ルナは空中に立っていた。

 目の前には今や今やと火炎を蓄えていたカブトムシが飛んでいたが、余りにも突然な敵の出現に呆気に取られたままだ。

 

 そこへ電撃を帯びた爪が振り下ろされる。

 

“エレ(クロ)

 

 脳天を殴りつけられたカブトムシは、真っ逆さまに地面に叩きつけられるどころか、体の凹凸に合わせてめり込んだ。

 衝撃の凄まじさに比例した砂煙が舞い上がるも束の間、降り立ったルナのスパークに切り裂かれ、すぐさま視界は明瞭と化す。

 

 故に、誰の目も映り込む。

 悪魔のような人間の姿が。

 

『ッ……!』

「何ビビッてんだ」

 

 一歩、獣の方へと歩み寄る。

 

「殺しに来たんだろ」

 

 すれば、獣は一歩後退る。

 

「なら、殺り返すしかねェだろうが」

 

 後退る獣を執拗に。

 怒りを湛えた眼をギラギラと光らせながら、ルナは地面を踏みつけながら迫りゆく。

 

「獣だろうが何だろうが、オレを殺そうとする奴ァ……皆殺しだ」

『───!!!!!』

 

 

「待って!! ルナ!!」

 

 

 身の毛がよだつ威圧感にクリーチャーが息を飲んだ瞬間、空から舞い降りる影がルナの傍にビリーが着地した。

 ふわりと金糸のような髪を舞わせ、見目麗しい女───ノアがルナの前に立ちふさがる。

 

「この子達を殺すのはダメ!!」

「てめェ……どういうつもりだ」

 

 捉え方によっては裏切りともとれる行動に、ルナが殺気立つ。

 しかし、真摯な面持ちを湛えているノアは怯むことなく語を継いだ。

 

「もう戦う気はなくなってる!! それにこの子達は戦わされてるだけ!!」

「……なんだと?」

 

 聞く耳を持ったかのように拳を下ろすルナに、一先ずノアは安堵の息を吐く。

 

「そうだよ。私、聞こえたの。どこからか『村を襲撃しろ』って命令する声が」

「……それなら、どうしてさっき言わなかった」

「正直、私の声だけじゃこの子達を止めるのは難しかったと思うの。だから、先にルナに止めてもらおうと思って……」

 

 ごめん、とノアは頭を下げる。

 

「でも、おかげで指示を出してた人が見つかったよ!」

「……どこだ」

「ほら、あそこの高台───って、あれ?」

 

 彼女が指差した方向には何も居なかった。

 

「……あれれっ!?」

「チッ」

「きゃあ!?」

 

 困惑するノアを手繰り寄せるルナ。

 直後、謎の巨体が二人の目の前に降ってきたではないか。

 

 見上げるほどの巨体は深い体毛と強靭な筋肉に覆われていた。

 その生物は知らぬ者の方が少ないメジャーな動物。

 

 

 

「ウホ?」

 

 

 

 それは紛うことなきゴリラであった。

 何やら体毛が赤いがゴリラであった。

 眼鏡も掛けているがゴリラであった。

 オシャレな服にも身を包んでいるが、結局はゴリラであった。

 

「ウホ、ウホウホ」

「え? 『自分はスカーレット隊長っス』……あ、これはご丁寧にどうも……」

「ウホ!」

 

 ウホウホ鳴いているが、ノアの翻訳を聞く限り自己紹介であったようだ。

 互いに一礼し合う。それをルナは冷めた目で見ている。

 

「……こいつか?」

「う、うん。確かにこの人……人? ゴリラさんだけど……」

 

「ウホ、ウホホウホ」

 

「えっ!?」

「……なんつってる」

「えっと……」

 

 ノアがゴリラ───もとい、スカーレット隊長の言葉を理解できることを前提に内容を訊くルナであるが、彼女はあからさまに困惑した様子であたふたとする。

 

「……『可愛いから貴方をお嫁さんにしたい』、って……」

「ふざけてんのか」

「ホントだよ!?」

 

 そう言ってるもん! と譲らないノア。

 内容の真偽はどうであれ、話が逸れ過ぎていて本題には移れないと、青筋を浮かび上がらせるルナが話を仕切る。

 

「てめェが言うに、こいつがこの獣共に命令出してんだろ。だったらさっさとハナシつけろ」

「う、うん。ゴリラさん……じゃなかった、スカーレット隊長さん。ちょっといいですか?」

「ウホ?」

「単刀直入に訊きたいんですけれど、この動物達に指示を出してるのは貴方ですよね? どうしてこんなことするのか教えてもらいたんですけれど……」

 

 物腰柔らかに説明を求めれば、スカーレット隊長は身振り手振りを加えながらウホウホ喋り始める。

 

「ふむふむ……『自分はシキの親分に命令されたっス』? じゃあ、そのシキって人に言われればやめてくれるの?」

「ウホ」

「わかった。それじゃあその人に話をしてくるから、それまでこの村の人には手を出さないで」

 

 ノアの言葉に、ルナが視線だけを彼女の方へと向ける。

 突拍子のない提言にスカーレット隊長も困ったように頭を掻く。

 

「ン~、ウホ。ウホウホホ、ウホウホ」

「『それはできないっス』? どうして!?」

「ウホ……ウホホホ」

「『シキの親分の言いつけは絶対っス。親分は自分より強いっス。自分より強い奴に従うのが筋ってもんス』って……! 貴方達はそれでいいの!? いくら命令だからって誰かを襲わせられて……それで自分が怪我するかもしれないのに!」

 

 声を荒げるノアは、心からの叫ぶ。

 

「ただ誰かを傷つけるだけ力の使い方は間違ってる! お互い傷つけ合って……それで命を落としたらどうなるの!?」

「ウホッ! ウホホホ、ウホォ!」

「……『負けて死ぬ奴が悪い。世の中強いモンが絶対っス』……? だからって……!!」

 

 

「もういい、退け」

 

 

 感情の昂ぶりで今にも泣き出しそうなノアを押しのける人影。

 

「獣に人の道理は通じねェよ」

 

 拳を握る青年───ルナは、自分の身の丈の倍以上もあるスカーレット隊長を睨み上げた。

 鋭い眼光に満ち満ちるは、彼の言う獣同然の純然たる殺意。

 食うか食われるか……勝敗こそが生死を分かつと知っている眼を前に、スカーレット隊長も野生の本能を呼び起こされる。

 

「ウ、ホオオオオアアア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」

 

 その天に向かって伸びる牙は飾りではない。

 同様に、巨木を髣髴とさせる両腕も豪快に振るわれ、鉄板のよりも分厚い胸板を激しく叩き鳴らす。

 明確な宣戦布告に、沈黙していた島のクリーチャーも呼応して雄たけびを上げる。今にでも再び村へと攻め入りそうな雰囲気に、ノアの表情が焦りに滲む。

 

───止めなければ。

 

 伝播する狂気に待ったを掛けようと踏み出すノア。

 だが、そこへ。

 

「オイ、エテ公」

 

 解き放たれる殺気。

 次の瞬間、スカーレット隊長の両腕が鉄槌と化してルナへ振り下ろされる。ゴゥン!! と風を切る音が響けば、直後に地面が砕き割られていた。

 

「猿山の大将に伝えとけ」

 

 砂煙の中、健在だったルナがドスの利いた声で語り掛ける。

 真っすぐ振り下ろされたはずの腕は、まるで彼を避けるように左右へ逸れていた。彼が掌底を放った姿勢をしていると気付けばまだ理解はできただろう。

 しかし、流れるように構え直される拳は、相手に理解する時間をも与えない。

 

「ヴッ───ホォォォオオオオア!!!?」

 

 代わりに叩き込んだのは、真っすぐと突き出された正拳突き。

 水面を打ち付けるような爆音を轟かせ、筋肉の鎧を衝撃で貫き、スカーレット隊長の巨体を森林の遥か奥へと吹っ飛ばした。

 数多もの木々をなぎ倒し、ようやく音が収まった頃、辺りは騒然としていた。

 スカーレット隊長はメルヴィユに棲まうクリーチャーの頂点。すなわち、彼こそが最強。そんな最強を呆気なく屠り去った狂人に、恐怖がこの場を支配した。

 

 視線は一人の男へ注がれる。

 

「……邪魔したら、殺───」

「ダメ!」

「……あ?」

 

 殺気を迸らせるルナに待ったをかけるノア。

 出しゃばってきた彼女に、ルナが向ける視線は芳しいものではない。

 

 だがしかし、それに臆することなくノアは怯えたクリーチャーへと語り始めた。

 

「はい! これで貴方達を従わせる王様は居なくなったよ。もう嫌な命令だって聞かなくていい。無駄に争ったり、村を襲わなくてもいいの」

『……』

「皆でおうちに帰ろ、ね?」

 

 それからはあっという間だった。

 互いの顔を見合ったクリーチャーは、この場から一目散に逃げ帰っていく。

 

 その光景に拳を下ろしたルナは、舞い上がった土煙のせいで口に入った砂を唾に絡めて吐き捨てた。

 

 胸に抱いていた内心と一緒に。

 

「……殺した方が後の為だろうが」

「っ……ルナ」

「さっさと用済ませるぞ」

「う、うん……」

 

 逃げるクリーチャーには目もくれないルナ。

 そうして足早に村へと向かう彼を、ノアは居た堪れないものを見るかのような瞳で見つめていた。

 

「……そんなこと、言わないで……」

 

───この表情は見せてはいけない。

 

 そう思い至るノアは俯きながら、先を行く青年の言葉を思い返す。

 二言目には『邪魔だ』や『殺す』。物騒な言葉を絶やさない青年の言動からは、ただのガラの悪いチンピラと断ずるには、深く、深く……底の見えない深淵のように暗い影が見え隠するようだった。

 

 言葉の端々に見え隠れする闇。

 彼はきっと、そちらの世界に生きている。

 

「……行かなきゃ!」

 

 だからこそ、ノアは暗い闇の中へ立ち戻る決意を固めるのだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 日も落ち始め、辺りはすっかり夕暮れだ。

 

 あれだけのクリーチャーが大挙して襲い掛かってきたものの、そこまで大きな被害を受けずに済んだ村の住民は、安堵の余り皆で宴を開いていた。

 見通しが立たず不安が尽きないとは言え、行方不明であったシャオも帰ってきた以上、何も祝わずには居られない。今日を生きている事実に感謝する為にも、ささやかな宴でも必要だったのだ。

 

 人々の談笑が響き合う中、主役であるシャオは人々の中心に居るのは当然として、此度の襲撃を迎え撃った青年はと言えば───。

 

「こんなところに居たんだ」

「あ?」

「はい、これ。喉乾いたでしょ?」

「……そこ置いとけ」

「うん、わかった」

 

 村の傍に広がる巨大な湖のほとり。

 いくつかの漁船が浮かび並ぶ桟橋の先端に、ルナは一人腰を下ろしていた。

 

 そこへ飲み物を手にやって来たノアは、許可を取るまでもなく隣に座り込む。

 

「オイ」

「いいじゃん、別に。それに一人より二人で飲んだ方が楽しいでしょ?」

「……一人の方が落ち着く」

「……そっか」

「……」

「……」

 

 それからしばし、沈黙の時間が流れる。

 二人並んで座るものの、あるのは独りと独りの空間。互いの時間を邪魔せず、湖面に移る沈む夕日を眺めて平穏を噛み締める。

 

「……オイ」

 

 口火を切ったのは、意外にもルナの方であった。

 

「なあに?」

「言ったろ。てめェが他人の命に頓着する理由、洗いざらい吐いてもらうって」

「あ~……言ってたっけ?」

「とぼけんのか?」

「ウソウソ、冗談。ちゃんと覚えてるよ」

「チッ」

 

 一旦ボケを挟む女に対し、苛立たし気に舌打ちを鳴らすのも何度目か。

 だが、こちらが向こうを理解してきたように、向こうもこちら側を理解し始めているのか、必要以上にふざけたりはしなかった。

 

 飲み物に口を付けるノア。

 それから長い深呼吸で気持ちを落ち着けた彼女は、ゆっくりと語り始める。

 

「……あんまり言いふらしたくはないんだけどね、私の親……海賊だったの」

 

 遠い日を思い返し。

 そうして夕日を見つめる瞳は、どこか揺れていて───。

 

「ホントにざっくりまとめちゃうんだけどね。そのせいでたくさんの人に迷惑をかけたみたい」

「……」

「本当にたくさん……取り返しのつかないこともしちゃったみたい」

「……で?」

「だからねっ、たくさんの人を助けてあげたいの! 迷惑をかけちゃった分、い~っぱい!」

 

 徐に立ち上がり、両手を左右に広げるノア。

 救いたいと宣言する人の数を表しているのだろうが、浮かべる笑顔はどこかぎこちない。

 

 それでもノアは言葉を紡ぐ。

 

「人を助けて感謝されると気持ちがいいの。気持ちが良くなると、やること全部楽しくなってくる! 『生まれてきて良かったぁ~』って心の底から思えるの!」

「……それが馬鹿みてェなお節介の理由か」

「お節介だなんて失礼しちゃう! いいじゃん、“人助け”! 減るものでもないし……そう、これは私が自由にやってる結果であって───」

「他人にてめェが生きる理由求めて? 不自由極まりねェだろ」

「っ───」

 

 突き付けられた言葉に、ノアの瞳が見開かれる。

 二の句を継ごうとした口も、今や横に真っすぐ結ばれていた。小刻みに震える体は、込み上がる感情を隠し切れていない故か?

 

 それでもノアは息を整えようとする。

 スンと鳴らされる鼻。その頭は赤く染まっていたが、今だけは夕日に隠れてうまく見えなかった。

 

「……そう、かな。私……不自由かな?」

「他人に依存しなきゃ生きられねェなら、オレにとっちゃあ不自由だ」

「……そっか。まあ……そういう意見もアリ、……だと思う。うん」

 

 腰を下ろしたノアは、縮こまるように膝を抱き寄せて座った。

 

「じゃあさ、今度は私から訊いてもいい?」

「あ?」

「ルナの昔話」

「……話す義理なんぞねェだろ」

「それはそうかもだけど」

 

 でも、と口にするノア。

 彼女は意を決したように双眸を青年の方へと向ける。

 

 そこに映り込んでいたものは───否、()()()()()()()()()()姿は、狂暴に力を振るう男とはかけ離れていた存在。

 

 

 

「───どうして、そんなに怖がってるのかなって思ったから」

 

 

 

「……は?」

 

 思わず間の抜けた声が喉から発せられる。

 思ってもみなかった言葉に、ルナは目を白黒とさせる。

 

───この女は今いったい何を口走った?

 

 何度も何度も言い放たれた言葉を反芻する内に、彼の中では得体の知れない“何か”がもぞもぞと蠢き始めた。

 

「てめェ……どういう意味だ?」

「そのまんまの意味」

「オレが……何を怖がってるって?」

「そういうとこだよ」

「あぁ!?」

「ルナ、いっつも怒ったように見せてるよね? でも、本心じゃ怒ってなんかいない」

 

 じっと己を見据える夕日色の双眸。

 まるで全てを見透かしてくるように透き通った眼に、声を荒げて恫喝した側であるはずのルナがたじろぐ。

 

 得体の知れない“何か”は、未だ体の……そうだ。胸の中でざわついている。

 おさまりの利かない掻痒感にも似た感覚は、これまで仏頂面しか浮かべてこなかった顔を焦燥と不安で彩る。

 

(なんだよ、これは)

 

───痛い。

 

 胸元を抉るような。突き刺すような。張り裂けるような痛みが次々に襲い掛かってくる。

 

「っ……ふざけんな。『本心で怒ってない』だ? どっから見たらそう言えるんだ!!?」

「私、心の“声”が聴けるんだ」

「……………………は?」

 

 衝撃的だった。

 

「昔からそうでね。人でも鳥でも魚でも……とにかく色んなものの“声”が聴けた」

「オイ……」

「生まれた時からそんな感じでね。てっきり他の子もそういうものかと思ってたから、一回同じ年頃の子と喧嘩になったりもしてねっ! それからは……しばらく、動物の友達の方が多かったかなぁ」

「待て……」

「あ、でも何でもかんでもわかる訳じゃないよ?! その人が今どう思ってるかとか、何を伝えたいのかなー? っていうのがうっすらわかる感じで」

「待てっつってんだろ……」

「だから、最初から───」

 

 そこから先は言えなかった。

 突如胸倉に掴みかかってきたルナに、強引に話を中断させられたのだ。だが、突然の暴挙にも動じないノアは、殺気立った眼光を光らせる目の前の青年を見据えている。

 

 動揺していたのは、寧ろ彼の方だった。

 ノアの言葉に、暴力で訴えようと試みる。

 

 

 

 いや、正しくは───暴力で訴えるしかなかった。

 

 

 

「次から次へと意味のわからねェことを……!」

「……ごめんね。今まで黙ってて」

「!」

「気持ち悪い……、よね。他人の心、勝手に覗いてさ」

「……クソがっ!」

 

 出てきた謝罪に言葉に、ルナは乱暴に手を放す。

 彼は案外理性的な人間だ。言動こそ粗暴には違いないが、むやみやたらと暴力は振るわない。必要な時の手段として用いるだけだ。

 敵意も害意もない者を殴るような真似はしない。

 

 だがしかし、未だ彼女(ノア)の真意に見当がつかない。

 それがルナにとっては未知であり、堪らなく恐ろしい存在に他ならなかった。

 

「どういうつもりだったんだ……散々オレに付きまとって何がしたかった!!?」

「───ほっとけなかったの」

「……あ?」

 

 けれど、返ってきた言葉は余りにも陳腐なものであり、呆気に取られる。

 

 目先の湖で、さざ波が立つ。

 一度広がり始めた波紋は時が経つにつれて広がる。

 

 なんてことはない。

 なんてことはないはずなのだ。

 なんてことはないはず、なのに。

 

───彼女の双眸には、ぐちゃぐちゃに歪んだ顔を浮かべる青年が映っていた。

 

 押し寄せる感情の波を理解できぬまま、ルナはつらつらと連ねられるノアの言葉に耳を傾けていた。

 

「子供みたいに泣いてたから」

 

「ルナの……心の“声”が」

 

「出会った時から、ずっとそう」

 

「『怖い』って」

 

「『信じられない』って」

 

「そう言っていたから」

 

「昔の私を見てるような気がしてた」

 

「だから……ほっとけなかったの」

 

 一言一句に感情を込め、彼女はそう締めくくった。

 なんてことはないお人好しによる同情。ただし、自身に似た境遇と語る以上、共感があったことも事実だろう。

 ほとんど人間不信に近い精神状態に共感等、余程の出来事がなければあり得ないが、それが真実であると信じ込ませるほどの眼力を、彼女はその目に宿していた。

 

「ねえ……お節介かもしれないけれど、私心配してるんだ」

「……あ?」

「ルナの力の使い方さ。なんていうか、必要以上に痛めつけてるみたいで……」

 

 酒場の時も、メルヴィユで遭遇したクリーチャーに対してもそうだった。

 

「殺しちゃう勢いで殴るの……良くないと思うんだ。殺さなくていい相手まで殺すのは……うん。たぶん……そう」

 

 

───『間違ってる』

 

 

 彼女はそう言い切った。

 ノアが止めなければ、命を奪うあと一歩まで及んだことなど数え切れない。大抵は彼女が途中で割って入っていたからこそ大事には至らなかったものの、止めなければどうなっていかは想像に難くない。

 

 苛烈なまでの報復。

 人間は往々にして理不尽に対し怒りを覚える。例えきっかけが自分側に非があったとしても、それに見合わない仕打ちを受ければ逆上するものだ。

 

 理不尽が理不尽を呼び、膨れ上がった怒りの炎は時に命を焼き尽くすまでに広がる。

 ノアが案じていたのは、そういう未来だった。

 

 しかし───。

 

「……ハッ」

「……ルナ?」

「『間違ってる』、か。……」

「ど、どうかした? 私、何か気に障るようなことでも───うっ!?」

()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 突如、ルナの手がノアの首に掛けられた。

 ギリギリと締め上げる力はとても手加減しているものとは言い難く、長引けば窒息も免れない圧が気道と血管を圧迫する。

 

「ルッ……ナ、……!?」

「オレの昔話が聞きたいんだったか? いいぜ、話してやる」

「苦、しっ……!」

 

 酸素を求めて喘ぐノアは、力を緩めるようにルナの手を叩くことで訴える。

 だが、力は一向に弛まぬどころか、より強く締め上げていくではないか。とうとう視界が明滅し、意識が朦朧とし始めた───その瞬間、突き飛ばすようにルナが手を放す。

 

「っ、げほっ!? かはっ……はぁ……!」

「オレは───天竜人に孕まされた奴隷の子だ」

「はっ、……え……?」

 

 理解は、追い付かなかった。

 『天竜人』という単語が聞こえてきたが、ノアの頭を殴りつけた内容はその後だ。

 

「奴隷の……子……?」

「嘘か本当か知らねェがな。なんせ物心つく頃には母親が死んでた」

「……ウソ……」

 

 あっけらかんと母の死を語るルナを前に、ノアは別の意味で血の気が引いていく。

 

 パンドラの箱を開いてしまったような、後戻りできないという感覚。

 恐る恐る青年の顔を見れば、思わずノアは息を飲んだ。

 

───燃えている。

───尽きぬ炎が。

 

───燃えている。

───怒りの炎が。

 

───未だ燃えて止まない。

───世界に向けた、憎しみは。

 

「知ってるか、天竜人? 人間を買って奴隷にするようなゴミクズだ。玩具みたいに扱っちゃ、壊してゴミみてェに捨てていく……そういう(クズ)の血がオレの中には流れてるんだよ」

「っ……!」

「その血を許せねェ奴等がこの世には居る。奴隷にされた奴に家族を殺された奴。数えちゃキリがねェが、そういう奴等の復讐に選ばれたのがオレみたいな()とし()だ」

 

 気の済むまで使い潰された母親は、やがて子をお腹に宿したまま、適当な場所に放り込まれる───いや、適当な場所の方がまだマシだったろう。

 ルナの母親が捨てられたのは、かつて天竜人に虐げられた元奴隷とその家族ばかりが送られた島。逃げ場のない流刑地のような場所に、かつて自分達に地獄を見せた神を騙る悪魔の血を引く子を送ったとなれば……結果は明らかであった。

 

「毎日が地獄だ。大人が寄ってたかって何十人も襲ってきやがる。当然、殺す気でな。捕まって拷問みてェな仕打ち受けたのも一度や二度じゃ済まねェ。その度に死ぬ気で逃げて、また追われてたなァ。……死ぬほど飢えても、ゴミしか食えねェ日や泥水しか飲めねェ日もあった!」

 

 次第に語気が強まっていくルナは、足元に置いてあったカップを蹴り飛ばす。

 

「殺さなくてもいい相手まで殺すのは間違ってる? ……違ェ。殺らなきゃこっちが殺られるんだよっ!!! 殺る気がなくても向こうが殺しに来るんだよっ!!!」

「っ……!」

「理不尽なのはどっちだ!!? オレか!!? オレの方なのかっ!!? クズの血引いてるオレが悪いのか!!! なァ!!?」

 

 『教えろよ!!!!』とルナは絶叫する。その堰を切ったように溢れ出す感情の波は、とどまることを知らない。

 

「クソみてェなとこから抜け出して……オレは裏社会の人間に拾われた。だがよ、何も変わりゃしなかった!!! 天竜人のガキって看板背負わされて殺しの試合にも駆り出された!!! 汚れ役にはちょうどよかったんだろうよ……!!! 毎日毎日知らねえ奴から知らねえ奴の罵声浴びせられる気分が、てめェにわかるか!!?」

 

 今の今まで押し殺してい反動が、ここに来て一気に解放されていた。

 

「最後にゃ奴隷解放を謳った革命軍に拾われて……それでも他の奴等の目は変わらなかった!!! 周りの奴等はオレん中に流れてる“血”しか見てなかった!!!」

「っ、やめてルナ!!」

「こんなもん、どうすりゃいいんだよクソが!!!」

 

 頭に血が上ったルナは、徐にナイフを取り出して自身の掌に突き刺した。

 ドクドクと溢れ出る真っ赤な体液は、桟橋に流れ落ち、小さな血溜まりを生み出す。忌々し気に滴り落ちる血液を眺めるルナであったが、それだけで過去の理不尽な仕打ちに対する怒りが収まるはずもない。親から受け継いだ“血”に対する怒りも、結局は冷めやらない。

 

「殺しに来た奴をブチのめして何が悪ィ!!!? 理不尽に理不尽で応じて何が悪ィ!!!?」

「ル……ナ……!」

「てめェを守れるのはてめェだけだ!!!! 暴力だろうが何と言われようが、(コイツ)でオレは今日まで生きてきた!!!! それが間違ってたって言うんなら、どうすりゃ良かったんだ、オレは……ッ!!!!」

 

 最後は絞り出すような、掠れた声だった。

 ありったけの感情を言葉にして出した彼は、疲れたように眉間を指で押さえる。鬼のような形相で激高していた時とは打って変わり、その姿は意気消沈としていた。

 

「……なあ、一つ訊かせろよ」

「え? う、うん……」

「正しい力の使い方、ってなんだ?」

「それ、は」

「てめェらを守ったのは……間違いだったってのか?」

 

 苦悩に顔を歪ませるルナに、一瞬ノアは目を泳がせた。

 らしくない動揺であるが、それをルナに悟られるより前に彼女は、自分の中に抱いていた答えを震えた声で紡ぎ出す。

 

「……貴方の優しさにつけ込んだ私に言えることじゃないかもしれないけど、これだけは言える。シャオみたいに、自分の身を子供を守れない子供……そういった人達を守るのは、絶対に間違ってない」

「……てめェはどうなんだよ」

「私、は……」

 

 後ろめたさの所為か、言い淀んだノアはそのまま沈黙してしまう。

 

 それがショックだったのだろう。

 自分の行いを完全に肯定されなかった事実に、ルナの瞳は一瞬ばかり見開かれた後、滲み出す怒りのままに歪んで潰れる。

 目の前にあるものをもう見たくないと───そう言わんばかりに視線はノアから逸らされる。

 

 それでもノアは目の前の青年に寄り添おうと、恐る恐る踏み出した。

 

「ルナ……」

「近寄るんじゃねェ!!!」

「ッ……!」

「ほっとけないとかなんだとか、そもそもてめェに同情される筋合いはねェ!!! 頼んだ覚えもねェ!!! 勝手に頭ん中覗き込みやがって……人の心をズケズケ土足で踏み荒らすんじゃねェよ!!!」

 

 怨嗟と憤怒が入り混じった声が桟橋に反響し、ノアの鼓膜を殴りつける。

 

 そして、

 

「もう二度と……オレに近づくなッ!!!」

「───ッ」

「不快なんだよッ……見られたくもねェ内側見られるのは……!!! てめェが居なけりゃ、見られたくねェとも気づかなかったのによォ!!!」

 

 言いたいことを全て言い切ったルナは、肩で息をしながら地面を見つめる。

 頭の中はグチャグチャだ。心の中もグチャグチャだ。どうしようもない怒りばかりが胸に込み上がり、グツグツと黒い感情を煮え滾らせていく。

 

「クソッ……!!!」

「……ルナ」

「あぁ……!!?」

「そんなつもりはなかったのに……本当に、ごめん」

 

 ルナが面を上げれば、そこには頭を下げるノアの姿があった。

 彼女の表情は窺えない。

 ただ、紡がれる声音が震えていることに気が付けば、彼女が何も感じていないなどとは口が裂けても言えなくなった。

 

 ノアは頭を下げ続ける。

 ルナはそっぽを向き、彼女と視線を合わせようともしない。

 

 そんな時間が暫く続けば、やがて顔を上げたノアが、ルナの視界に入るよりも早く背中を向けた。

 

「あ~あ、私ってやっぱりダメだなぁ……ッ!」

 

 上を向いて喋るノア。

 その表情を覗き見ることはできない。

 

「傷つけるつもりじゃなかったのに、また失敗して……ホント、どうしようもない……ッ」

 

 はぁ、と震えた吐息を一度挟む。

 不意に吹き抜ける風は、夕焼けを落とし込んだように煌めく髪を舞い上がらせた。

 その瞬間、振り返った彼女が言い放つ。

 

 

 

「───ごめんね」

 

 

 

 目元を赤く腫らした、今にも泣きそうな笑みで。

 しかし、下を向いたままで居るルナにはとうとう見向きもされず、ノアは別れの挨拶を終えることにした。

 こつこつと。弱弱しい足音が桟橋の上を歩き、やがて聞こえなくなった。

 

「……」

「クワァ~……」

「……あ?」

 

 気の抜けた鳴き声に顔を上げれば、ビリーが目の前に居た。

 騒ぎを聞きつけてやって来たのかと思えば、その嘴には見慣れた麦わら帽子が咥えられている。

 

「……あいつのか」

 

 それは紛れもなくノアの物だ。

 胸倉を掴まれた時にでも落としたのかもしれない。そのまま拾わず去っていったということは、『ツケだから』と律儀に置いていったからか。

 

 それとも───。

 

「……」

「クワァ……」

「……なんだよ」

「クワ! クワァ~!」

「……『追え』ってか?」

「クワァ……」

「じゃあなんだ……」

「クワ!」

「……『謝れ』ってか」

 

 口に出た時点で。いや、それよりも以前にわかり切っていたことだ。

 彼女は悪くない。善意で人を助け、親身に寄り添い、問題を解決しようと努めていた───ただそれだけだ。

 その善意と厚意を受け取れないのは自分に問題がある、と。

 

 だが、それなのにも関わらず、子供のように癇癪を起こしては突き放した。

 

(あいつの……言った通りだ、クソ)

 

 怖かった。

 怖かったら、突っぱねた。

 

 誰も信じられない。

 何も信じられない。

 

 善意も、厚意も。

 同情も、共感も。

 

 結局は自分しか自分を守ってくれなかったから。

 最後は暴力でしか自分を守り切れなかったから。

 

 そういう世界で生きていたから。

 そういう自由しかなかったから。

 

「……あいつは」

 

 偶然海賊から救ったとは言え、赤の他人同然の自分にあそこまで付き合おうとした彼女は、未知に等しい存在だった。

 同時に自分の“血”を知られなければ、こうも屈託なく接してくれる人間も居るのだと理解していた。

 

 そのはずだったのに、彼女はこちらの内心を知った上で接していた。

 他人を拒絶している心情を理解しながらも、あえて近寄って触れ合おうとしていた。

 

 どういう神経をしていたのか。

 どういう魂胆をしていたのか。

 

 それを問い質せばただのお節介と来た。

 信じられない。

 信じられるものか。

 信じてしまえば、今までの自分を否定するようで恐ろしかった。

 

 暴力に訴える自分も。

 怒りで訴える自分も。

 

 だが、しょうがなかった。

 理不尽に虐げてくる者を黙らせるのに必要なのは、善意や厚意を望むことでも、同情や共感を買うことでもなかったのだから。

 圧倒的な暴力を持った人間が怒っていると知れば、大抵の人間は近寄らない。いつ矛先が自分に向くかと恐れ、自然と離れていった。

 

 なのに。

 

 

『───ごめんね』

 

 

 暴力に訴えた。怒りに訴えた。

 にも関わらず、彼女の声からは恐怖など微塵も感じなかった。むしろこちらを慮るような温もりすらあったが、だからこそ余計にルナは困惑した。

 

(どうしてあいつは……)

 

 ドスドスドスドス。

 

「……はぁ」

 

 ドスドスドスドス。

 

「……」

 

 ドスドスドスドス。

 

「───いつまで突っついてんだ、ぶっ殺すぞ!!!」

「グワァ!!?」

 

 嘴でルナの頭を突いていたビリーが、案の定投げ飛ばされる。

 湖に着水し、ずぶ濡れになって引き上がってくるビリーだが、その嘴には未だ麦わら帽子が咥えられていた。

 

「……てめェが持ってけよ」

「クワァ……」

「オレは今、人に会う気分じゃねェんだ」

 

 桟橋に腰掛けるルナの言葉に、ビリーは悲しそうな鳴き声を上げ、その場から羽搏いていった。

 

 日もほとんど沈んだ。

 遠い場所から聞こえる談笑以外、辺りは静寂が支配していた。

 時折吹いてくる風は湖面を揺らし、緩やかに波を立たせていく。次第に波は高さを増し、湖面全体に伝播するように広がった。

 

 そこを覗き込むように俯いていたルナ。

 湖面に映り込む自分の顔は、揺れる波に掻き消されるように曖昧になっていった。気分が落ち込んでいることを自覚して瞼を閉じる。

 

『私の親……海賊だったの』

 

 脳裏に蘇る言葉。

 その声に呼び起こされるように瞼を開けたルナ。当然、目の前には湖面とそこに映る自分の顔が見えるはずだった。

 しかし、

 

「……っ」

 

 揺れる湖面に垣間見たのは、先ほど喧嘩別れしたばかりの女の顔だった。

 

───幻覚の中でも笑ってやがる。

 

 どうにも彼女から拭えない印象が記憶に焼き付いている。

 いつも楽しそうに笑っている、そんな印象が。

 

「……あいつ」

 

 まさか、と面を上げたその瞬間だった。

 遠方で雷鳴が響いた。

 

「!」

 

 空を見上げると、消えゆく電光の残像が仄かに見える。

 しかし、落雷が起きるような雲はどこにも見当たらない。となれば、考えられる可能性は一つだけだ。

 

「……あの鳥。なんかに襲われやがったか?」

 

 麦わら帽子を加え、持ち主の下へと飛び立ったビリーだ。

 当然、その下には彼女も居るはずである。

 

「……チッ!」

 

 ルナは、酷く重く感じていた腰を上げた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ビリー、しっかりして!」

「グ、ワァ……」

 

 地面に墜落したビリーにノアが駆け寄り、叩き落されたその身を案じている。

 当人は臆病とは言え、メルヴィユのクリーチャーの中でも有数の攻撃力を誇る電撃を倒せる存在は多くはない。

 

 そんなビリーの敗北は、彼をいとも容易く下せる強者が今この場に居る証明に他ならなかった。

 

「どうして……どうしてこんな酷いことを!

「ジハハハハ! 酷いだなんて言いがかりだぜ、ベイビーちゃ~ん。部下しかりペットしかり、躾のなってねえ奴にお仕置きするのはおかしい話じゃねえだろ」

「だからって……!」

 

 ノアは目の前に浮かぶ人影に怒りを露わにした。

 それは獅子を髣髴とさせる金色の長髪を靡かせる老爺だった。頭部には舵輪らしき部品が突き刺さっており、両脚は膝から先が刀剣へと置き換わっているという異様な風貌。

 咥えた葉巻の紫煙を噴き出した老爺は、ニヤニヤとあくどい笑みを浮かべながら、足元に佇むノアに向かって喋りかける。

 

「違うな。このメルヴィユはおれが支配している。つまり、おれの島……縄張りだ! ここに生きている生き物も、土地も! 全部おれのモンだ!」

「そんな……違う! 支配してるからって、なんでも貴方の物になる訳じゃない!」

「ジハハ! 気の強ぇベイビーちゃんだぜ~。このおれに面と向かって口答えするとはな」

「……貴方なんて知らない」

「おっと、そいつは失礼!」

 

 ペチッ、と頭を小突いて見せる老爺。

 だが、そのおどけた表情の裏側から聞こえてくる“声”を読み取っているからか、ノアは緊張した面持ちを湛えたままだった。

 

「それじゃあ自己紹介といこうか……おれは“金獅子のシキ”って海賊だ! おれの部下が世話になったみてえだな」

「……スカーレット隊長のこと?」

「ほう、話が早えな」

 

 メルヴィユに棲むクリーチャーの王であったスカーレット隊長を部下と否定しないシキ。

 すなわち、メルヴィユに生きるどんな生物よりも強いと公言しているに等しい。彼の海賊としての器量の大きさと強さを知らしめされた訳だ。

 

 出方を間違えれば殺される。

 なにせクリーチャーに村を襲わせるような男だ。油断も隙もないと、ノアは気を張り巡らせていた。

 

「……どうしてあんなことをしたの?」

「気になるかい、ベイビーちゃ~ん? 仲間になるなら話してやっても構わんが、赤の他人にゃ話せねえな」

「……私に島の生き物を従わせたいの?」

「ほう。どうしてそう思う?」

「スカーレット隊長が負けて、島の王様じゃなくなった……から?」

「ジハハ! 察しのいい女だ、ますます気に入った!」

 

 呵々と笑うシキは、ゆっくりと空中から降りて来る。

 そうしてノアの目の前に立つや、今度は差し出すように手を伸ばしてきた。

 

「そうだ! 野生ってのは残酷な世界でな。長年群れのボスに君臨していようが、一度でも敗北すりゃあ求心力が失われちまう。要するに群れのボスじゃ居られなくなるって訳だ」

「だから代わりに私を?」

「ああ……今なら特別待遇だ! おれの側近に採用しよう。おれはお前の力を買ってるんだ。甘い汁ならいくらでも吸わせてやろう。どうだ、悪い話じゃねえだろ」

「───イヤ!」

「……ほう?」

 

 間髪入れない拒絶に、シキの眉間に皺が寄る。

 

「……そうか。ちなみに何が気に入らないんだ?」

「全部! 力で支配したものはどう扱ってもいいなんて……そういうスタンスがとことん受け入れられない!」

「ジハハハハ! 大したもんだぜ。おれの勧誘をここまで拒否したのはロジャーぐれえなもんだ。だが、そんなに怖い顔をしちゃあ、折角の別嬪が台無しだぜ~?」

「からかわないで!」

「……気の強ぇ女は嫌いじゃないと言ったが、可愛げがねえことにはイケねえな」

 

 ドスの利いた声を放つシキ。

 次の瞬間、突風がノアの横を通り過ぎた。余りにも強い風に目を瞑ってしまったものの、すぐさま目を見開いて相手の姿を捉えようとする───が。

 

「あっ……?!」

「まるでわかっちゃいねえな。今誰がこの場を“支配”してるかってのをな」

「ビリー!?」

 

 いつの間にかノアの背後に立っていたシキ。

 彼が掴み上げていた物体は、今まさに彼女が手当しようとしていたボロボロのビリーに他ならなかった。

 

「その子を離して!」

「ジハハハ! 態度がなっちゃいねえぜ、ベイビーちゃん! 物を頼む姿勢ってのがあるだろう?」

「うっ……!?」

「それに、仲間だからこそ聞いてやれる頼みもある。おれも流石に仲間の大切なものに手を出すほど冷酷な男じゃあねえ。あと、そうだな……おれは辛抱強い方だと自負してるが、最近は歳食ったせいか昔ほど気が長くねえ」

「っ、やめてっ!」

「さあ、どうする? おれの仲間になるか、ならねえのか!?」

 

 返答に窮するノアへ、猶予が短いことを示すシキ。

 早々に決めなければビリーの命を取られてしまう。

 

 そうした中、ノアが真っ先に口にした言葉は───。

 

「う……」

「う?」

「……嘘……」

「……なんだと?」

 

 シキの予想から大きく外れた答えだった。

 これには彼も目を丸くする。

しかしながら、是とも非とも取れない曖昧な答えであることは確かだ。

 

「どういう意味だ?」

「貴方の言う事……嘘ばっかり。仲間だから聞いてやれる頼みもあるって、そんなつもりもないくせに!」

「……ほう」

「自分の目的の為だったら平気で嘘を吐ける! そういう気持ちがビシビシ伝わってくる人なんか信じられない!」

「───やっぱり、女はちっとばかし馬鹿じゃねえと可愛げがねえな」

 

 腹の底が冷えるような声が響く。

 同時に全身総毛立つ威圧感が、ノアに襲い掛かった。

 

「うっ……!?」

「……おれの心の“声”を読み取る、か。実の能力か見聞色の覇気ってとこか。まあ、この際そいつはどうでもいいな」

「ぅ、あぁ……!?」

 

 全身に力が入らなくなったノアは、とうとう膝をついてしまう。

 心胆から寒からしめるような暴力的な威圧感に、動悸が激しくなり、冷や汗も止まらない。

 

「はぁっ……はぁっ……!?」

「そういうのは思っても口にしないのが利口だぜ、ベイビーちゃ~ん……」

「嘘とわかって、従ってっ……騙されたまま誰かを傷つけるなんて……!! そっちの方が私はイヤなの!!」

「ジハハハハ! だが、決定権はお前にゃねえ。力尽くにはなっちまうが、おれの船に付いてきてもらうぞ」

 

 その前に、とシキは掴み上げるビリー目掛けて拳を振りかぶる。

 

「刃向かったこいつを始末しなくちゃなァ!!?」

「待って!! それとこれとは話が別っ……」

「おれの誘いを断ったのはお前の方だ!! 嘘とわかったところで、もう少し上手く立ち回ればこいつの寿命も延びたろうに……可哀そうなペットだぜ~」

「っ……!!」

 

 ノアに責任を転嫁するシキは、凄まじい勢いで拳を振るう。

 数多もの命を奪ってきたシキにとって、メルヴィユに棲むクリーチャー程度、容易く屠れる木っ端に過ぎない。

 

 同時に替えの利く兵力である以上、刃向かう意思を明確に抱いていると知れば、生かして置く必要もない。

 自分に逆らえばどうなるか───目の前の女に教えるには、ちょうどいい()()()()だった。

 

「こいつが早死にするのはお前ェの責任だ!!! しかとその目に焼き付けなァー!!!」

「やめてェー!!!」

「ジハハハハ!!! それじゃあ、次に活かすこった……!!!」

 

 

 

 

 

「───オイ」

 

 

 

 

 

「あぁ? ───っぐ!!?」

 

 鈍い殴打音が静まり返った空に木霊する。

 吹き飛ばされたのはビリー───ではなく、今まさに殴りかかろうとしていたシキ側。

 

 突然の出来事に目を白黒とさせていたノアであるが、シキの手から離れて地面に落下するビリーを寸前で受け止めた人影を目の当たりにし、キュッと胸を締め付けられるような感覚を覚えた。

 

「ぁ……あ……」

「……てめェは他人の見てねェところでも面倒事に巻き込まれやがって……」

「ルナ……!」

「自分で首突っ込まなきゃ気が済まねえのか! あぁ!?」

「ご、ごめ……わぶっ!?」

 

 寸でのところで駆け付けたルナは、怒声を飛ばしてキレ散らかしていた。

 そんな彼へ謝罪を言い切る前にビリーを投げつけられたノアは、圧し掛かる重量に耐え切れず、地面に後頭部から倒れる。ゴツンッ、と鈍い音が響いた。続けて呻くような苦悶の声がビリーの羽毛越しに聞こえてくるが、ルナは無視をする。

 

 ゆるりと、視線は殴り飛ばした海賊へ。

 本気の一撃だったにも関わらず、年老いた男は軽く切れた口角より流れる血を拭うだけに留まっている。

 

───間違いなく強者だ。

 

「……」

「ふぅ、中々いい(モン)持ってるな。それにその“覇気”……“楽園”の海に居るにしちゃ相当なレベルに鍛え上げられている」

「誰だ?」

「……“金獅子のシキ”に聞き覚えは?」

「ねェな」

「それなら名乗る価値はねえな」

 

 葉巻を吹かすシキは、憮然と言い放った。

 

「こっちは大事な話の途中だ。餓鬼が割って入っていい場面じゃねえ。おれの気が続く内に消え失せな」

「こっちの台詞だ、鶏頭が。脳味噌何本も木の棒でブチ犯されて真面に頭も回らねェか? ───消えるのはてめェの方だ」

「……無知ってのはつくづく罪だぜ」

 

 次から次へと口から出てくる罵詈雑言にクツクツと喉を鳴らすシキは、徐に地面へ手を翳す。

 

 すると、どこからともなく地鳴りが聞こえてくる。

 空中に浮かぶ島で地上のような理由での地震などあり得ない。可能性があるとすれば、島の一部が剥がれ落ちるか火山の噴火、もしくは先のクリーチャーによる大侵攻ぐらいだろう。

 

 しかし、一向に止まない地鳴りにルナが怪訝に思い始めた───その瞬間だ。

 

「親切心で教えてやろう。この海でおれを知らねえってことは……それだけで万死に値する!!!」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ッ!」

「喧嘩を売る相手を間違えたな、小僧!!! おれは“海賊王”と鎬を削った男……“ひとつなぎの大秘宝(ワンピース)”なんぞに目が眩んで海に飛び出してきたミーハー共とは、海賊としての格が違ぇのさ!!!」

 

 ゴゴゴと唸る地面は、やがて一頭の巨大な獅子の頭部を形作る。

 文字通り、大地が咆哮を上げた。それは眼前に獲物を見つけた肉食獣が、歓喜に沸き立つかの如く。

 

獅子威(ししおど)し……“地巻(ちま)き”ィ!!!

 

 山のように盛り上がった地面で生み出された獅子は、ビリビリと肌を震わせる雄たけびを上げながら、ルナ目掛けて飛び掛かってくる。

 島のクリーチャーとは比較にもならない大きさと質量。

 その圧倒的な存在感を前には、ノアの表情も恐怖と焦燥に彩られる。

 

「こ、こんなのいったいどうすれば……!!?」

「海王類に乗ってる奴が今更何ほざいてんだ」

「ルナ!?」

 

 呆れた声色のルナは、一切怯むことなく土砂の獅子を睨み上げる。

 

「竜爪拳」

 

 拳を爪に。

 自然の猛威をそのまま武器と化したようなシキに対し、ルナは己が身を武器とし、迫りくる獅子を迎え撃たんと神経を研ぎ澄ませる。

 不必要なものは全て切り落とされた世界の中、相手を確実に仕留める為だけに意識を集中させ───見つけ出す。

 

 どんなに強靭な生き物や物体にも存在する弱点───“核”を。

 

「───(りゅう)衝撃(しょうげき)”!!!

 

 それを()()()()ようにルナは爪を突き出した。

 空気の壁を貫く音が響く。すなわち音速以上で放たれた一撃は、ほとんど間を置かずに獅子へと突き刺さった。

 

 刹那、眉間を撃ち抜かれた獅子がけたたましい轟音と共に爆散。獅子を形作っていた血肉である土砂は、バラバラになった後は地面に還って沈黙した。

 

「……ほう。今のを凌ぐか」

「す、すごい……!」

「だが───()()()ならどうだ!!?」

 

 驚嘆の声を上げるノアを黙らせるように、シキの二撃目が開始される。

 沈黙を保っていた地面が再び浮かび上がり、獅子の頭を形作っていくのは先ほどと同じ。違う点と言えば、その頭数が五倍に増えたことだろう。

 一頭だけでも高く聳え立つ山に等しい存在感。

 それが五頭も生み出され、尚且つ囲うように立ちはだかったとすれば、常人には逃げ場などあるはずもない。

 

「何匹増えようが……」

「ジハハハハ!!! 強がるな、小僧」

「あ?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

「!」

 

 シキが言わんとする意味を、その口振りから察するルナ。

 咄嗟に背後へ振り返れば、不安そうに表情を浮かべるノアと横たわるビリーが居る。

 

「───クソがァ!!!!!」

「おれを甘く見たな。海賊ってのは……狡猾であってこそなんだよ」

「チッ!!!」

 

 全身に電気を帯びた俊足を以てノアの下へと駆け出す。

 しかし、すかさず行く手を阻むように盛り上がる地面に、足を止めざるを得なくなる。ルナにとっては大したことはない妨害であっても、他人もそうとは限らない。

 その証拠に、立ちはだかる土壁の向こうから悲鳴が上がった。

 

『きゃあああ!!?』

「どうした!!?」

『イヤッ、放して!!』

 

「ジーハハハハハッ!!!」

 

「ッ!!?」

 

 くぐもっていた悲鳴が明瞭になったかと思えば、遥か頭上より高笑いが響いて聞こえた。

 ルナが見上げれば、小脇にノアを抱きかかえたシキが飛び上がっている姿が見える。彼女も身を捩って抵抗はしているものの、当然抜け出せるはずもない。

 

「野郎……!!!」

「おっと!!! お前の遊び相手はそいつらだ!!!」

 

 シキを追おうとするルナだが、五頭の獅子が行く手を阻む。

 手始めに一頭を殴殺するが、その間にもシキとノアの高度は高くなっていく。このままでは連れ去られるのは目に見えた。

 その為、獅子は適当にあしらい、追跡に身を入れようとした。

 だが、不意に追い打ちをかけるような言葉が空から降りかかってきた。

 

「おれを追うのはいいが、その畜生は無事で済むか!!?」

「あ゛ぁ……!!?」

「それに村の方が騒がしいと思わねえか!!! この島にゃあ、おれが招き入れた傘下の海賊がうじゃうじゃと居る!!! ちっとばかし血の気が多い奴等だ……辛抱堪らなくなってもおかしくはね~な~!!?」

 

 まるで村の方にも手先を向かわせたかのような発言。

 ここは少しばかり村から外れた場所だ。気配を読み取るにしても、流石に距離が空きすぎている。

 真偽も曖昧な中、村は捨て置くべきか。仮にこのまま戦える人間も居ない村に海賊が雪崩れ込んだとして、はたしてどれだけ生き永らえられるだろうか。少なくとも犠牲が出るのは確実だ。

 

 ノアか、村の人間か。

 

 初めて覚える葛藤に、ルナの動きは止まった。

 そんな時だ。

 

「ルナ!!! ビリーとシャオ達をお願い!!!」

「お前……!!?」

「私のことは放っておいて!!! 皆を守ってあげて!!!」

「てめェに指図される覚えは……!!!」

「私……ルナのこと信じてるから!!!」

 

 

───『お願い』、と。

 

 

 真っすぐな瞳を湛えて言い残したノア。

その姿は、直後に覆い被さる厚い土壁により、望むことが叶わなくなった。

 

 

「───あ、の、野郎ぉぉぉおおおッッッ!!!!!」

 

 

 空が割れんばかりの怒号が響く。

 込み上がる怒りをいくらぶつけたところで、空は一向に晴れはしなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

───パキッ。

 

 小枝を折るような音が響く。

 

───パキッ。

 

 余りにも軽く、あっけなく続いていく。

 

───バキッ。

 

 一際鈍い音が響いた瞬間、呻くような悲鳴が上がった。

 

「も、もうやべてくれ……!」

「……」

「お、おれ達が悪かったから……もう二度としねえから……!」

 

 両腕があらぬ方向に折れ曲がった男達が地面に転がっている。

 

 数十人───非力な女子供を虐殺するには十分過ぎる戦力。

 

 誰も彼も血塗れで、意識を保っている者はほとんど居ない。居たとしても、死に体で命乞いする男と同様に激痛と後悔で嗚咽を漏らす者ばかり。

 最早そこに復讐してやるという気概はなく、圧倒的な力の前に心をへし折られてしまっていた。

 

 目の前に佇む青年の手によって。

 

「……殺してやってもよかったんだがな」

「ひぃ……!?」

「だが……自分の命を省みねェお人好しな馬鹿に感謝しろ。今回はそれで済ませてやる」

 

 怯える男の体を足で転がすルナ。

 両腕をへし折られた状態で雑に扱われれば、当然腕を中心に激痛が走る。その瞬間、一度は鎮火したはずの戦意───否、殺意はメラメラと燃え上がった。

 

───こんな目に遭わせやがって。

───ただじゃ、済まさねえ。

───きっと後で復讐に……。

 

 

 ドンッ!!!!!

 

 

 刹那、鼓膜が破れんばかりの銃声が耳元で響いた。

 突然の出来事に放心する男。恐る恐る横に目をやれば、地面から白い煙が上がっているように見えた。心なしか火薬の臭いも漂ってくる。

 

 今一度、視線を上へ。

 すれば、そこには海賊が持っていたピストルを構えるルナが立っていた。彼の表情は月明かりの陰になってはっきりとは見えなかった。

 

 しかし、不意に体表を奔るスパークが一瞬ばかり照らし上げる。

 

「ひィッ!!?」

 

 こちらを覗き込む表情に、男の殺意は一瞬にして消え去った。

 月明かりの下では緑に映え、燃え盛る家屋の火光(かぎろい)を受けては赤く染まる瞳。

 

 不安定に揺れ動く。まるで炎のような二つの色であったが、その中にはこの場に居る全員の憎悪や悪怒を足し合わせても勝ることの叶わぬ感情が宿っていた。

 

「……オイ」

「は……はぃ」

「次は、殺す」

「はいいいい!!?」

 

 脅しでもなんでもない。

 紛れもない事実を述べるかの如く、淡々と紡がれた言葉に、意識のあった男達は泡を吹きながら一目散に逃げていく。

 両腕を折られている以上、武器や仲間を持って逃げる余裕などない。

 そうして向かっていく先はクリーチャーの巣窟である森の中である訳だが、明確な殺意を抱く相手が居る場所と比べれば、どちらも地獄には変わりはない。

 

 こうして村を襲った海賊は撃退された。

 

「……」

 

 空を見上げるルナ。

 夜の帳が下りた空は、すっかり闇に覆われてしまっていた。光源と言えば欠けた三日月と、村のあちこちで燃え盛る炎ぐらいだろう。今も尚、必死に湖の水を汲み消火に当たる村人が居るが、大した成果は得られそうにない。

 

 喧騒と静寂が同居する不思議な空間だった。

 

 すると、不意に聞こえてくる。

 

「あ……悪魔……」

 

 怯えた村人の声に振り返る。

 そこには一部始終を眺めていた村人が居た。皆、ルナを怯えたような目つきで見つめている。

 村を襲った海賊を追い払った人間に対する眼ではない。

 

「やめな! 聞こえたらどうするんだい!?」

「……」

「こ、こっちに来た……!?」

 

 徐にルナは歩き始めた。

 村の方へ向かえば、自然と村人が道を開けるように横へ逃げていく。いつその暴力が自分に向けられるかと怯える姿は、過去に出会ってきた大勢の人間と一致していた。

 

 だから、彼は大して気にはしなかった───そこへ。

 

「お、お兄ちゃん……」

「……あ?」

「お姉ちゃん、どこ行っちゃったの……?」

 

 煤けた頬に涙を伝わせるシャオが、何かを手握りしめながら目の前にやって来た。

 

「……」

「もしかして、シキに連れてかれちゃったの……?」

「……」

「ッ……お兄ちゃんはお姉ちゃんを助けてくれるよね!?」

「……ッ」

 

 無視して横を通り過ぎようとした青年へ、シャオは小さな手に握りしめていた麦わら帽子を差し出してくる。

 紛れもなくノアのもの。

 先ほどはビリーが咥えて持って行ったはずだが、シキとの戦いの際、余波で別の場所にまで飛んでいったのだろう。

 

 それをわざわざ拾い上げて持ってくるとは、余程ノアへの思い入れが強いらしい。

 

「……お前」

「お願い……お姉ちゃんを助けて! シキが居る場所なら知ってるよ!」

「やめなさい、シャオ!」

 

 涙ぐんで訴えるシャオに、彼女の母親が割って入る。

 それでも少女の願いは止まらない。

 

「お兄ちゃん、強いよね? きっとシキもやっつけられるよね!?」

「いい加減になさい! 本当に怒るよ!」

「だって……だってェ……!」

「そんなことを言って、この人を死なせたらどうするの!?」

「だってお姉ちゃんが……私の為に来てくれたのにッ……!」

「ッ……シャオ……!」

 

 子供ながらにシャオは責任感を覚えていた。

 その事実に堪らず母親も涙を流し、小刻みに震えている我が子の体を抱きしめる。

 

 気持ちはわからないでもない。

 それでも死地とわかって恩人を飛び込ませる程、彼女も薄情では居られなかった。それだけだ。

 

「……オイ」

「うん゛……?」

「あのジジイ……シキって奴の居場所を教えろ」

 

 出てきた言葉に涙を拭っていたシャオがパッと面を上げた。

 信頼を寄せる青年の表情は、身長差もあってか少女からは肩で隠れて見えない。

 

 だが、咄嗟に差し出した麦わら帽子を手に取ってみせる。

 それだけで彼の意思を察したシャオは、遥か遠くに浮かぶ島を指差す。

 

「王宮はあっちだよ! あそこにシキが居るの」

「……そうか」

「信じてるから!」

「……一つだけ訊かせろ」

「うん?」

 

 思わぬ返しに小首を傾げるシャオへ、ルナは投げかける。

 

「どうして……そんな軽々しくオレを信じるなんぞ口にできる」

「それは……」

「教えろ」

「……うん!」

 

 曇りなき眼のまま、シャオは答えた。

 

「だって、お姉ちゃんが信じろって言ってたから!」

「……」

「『お兄ちゃんのことを信じてあげて』って! そう言ってたから!」

「……あいつ」

「だから、私はお兄ちゃんを信じてる!」

 

 自分の中では不確かでも。

 自分が信じている誰かが信頼を寄せていれば、その者は信じるに値する。

 

 たどたどしい言葉ではあったが、シャオはそう口にしたのであった。

 

 しばし、その場で立ち尽くすルナ。

 一瞬噛み締めるように口元に力が入ったかと思えば、荒々しい足取りで歩き始めた。

 

 周りの言葉や視線には目もくれない。

 

「……舐めた真似しやがって」

 

 抑えられぬ怒りのままに地面を踏みつけ、遥か天空に浮かぶ浮島を睨み上げた。

 烈しく高鳴る鼓動は体を灼熱に包み込むような感覚を覚えさせる。全身を巡る血が、怒りによって煮え滾っているのがよくわかった。

 憎むほど忌々しい血が通っている事実に反吐を吐いたのは、一度や二度ではない。

 ただ、この血のおかげで生き永らえているというのなら、命燃え尽きるまで戦うことに躊躇いを覚える必要は微塵もなかった。

 

「待ってろ」

 

 天から支配する海賊に向け、地を這ってきた竜の落とし胤は吼える。

 

 

 

「地獄の底まで引き摺り込んでやるよ……!!!!!」

 

 

 

 翼はない。

 だが、這い上がる為の爪はある。

 

 

 

 独りの竜の、長い夜が───始まった。

 

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