ONE DAY   作:柴猫侍

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Ⅲ.自由と支配

 

 宵も更け始めた逢魔が時。

 とある国では、化け物や怪物といった魔物に出会いやすくなると言い伝えられる時間の中、唯一メルヴィユに存在する王宮に続々と人が集まっていた。

 誰も彼も凶悪な面構えを構えており、とてもではないが堅気の人間と同じ世を渡っているとは言い難い風貌だ。

 

 それもそのはず。

 彼らはとある男の誘いに乗ってやって来た海賊なのだ。王宮へ踏み入る顔ぶれの中には億越えの賞金首もちらほら見受けられる。

 

───これほどの戦力が集い、一体何をしでかそうというのか?

 

 海賊が終結する様を王宮でもあり海賊船でもある建物のモニタールームである部屋から眺めさせられていたノアは、畏怖の念を覚えざるを得なかった。

 

「どうだ? ありとあらゆる海から集めた精鋭達だ」

 

 『壮観だろう?』と語るシキは、その腹に一物あると言わんばかりの不敵な笑みを浮かべている。

 

「……何をするつもりなの?」

「ジハハ。そう焦りなさんな、ベイビーちゃ~ん♪」

 

 シキの神経を逆撫でするような猫撫で声に、ノアも思わず眉間に皺を寄せた。

 しかし、不意に彼女の剣呑な気を削ぐ足音が室内に響いてくる。弾かれるように振り向けば、何やら通路の方からピエロ染みた風貌の男が、その身に羽織った白衣を靡かせながらやって来た。

 

「───来たか、Dr.インディゴ」

「! ッ……ッ……!」

「あぁ?」

 

 待ち侘びたか口振りで顔を向けたシキに、Dr.インディゴと呼ばれた男は突然身振り手振りを始める。

 さながらパントマイムのように何かを表現しているが、シキをはじめ、モニターを監視していた船員すらもその意図を察せず、頭上に疑問符を浮かべる始末だ。

 これにはシキも痺れを切らして声を荒げる。

 

「何が言いてえ!?」

「───あ、シキの親分。鑑定の結果が出ました」

「喋るんかい!!?」

 

 

「「ハイ!!!」」

 

 

「……」

『……』

 

 突然始まった漫才に一同は呆然とする。

 初めて見るノアはともかくとして、同じ船に乗っている乗組員でさえ反応は悪い。これが単に面白くないという理由であればどれだけ平穏であったであろう。

 

(……皆怯えてる)

 

 周囲の人間の“声”を聴いたノア。

 モニタールームの性質上、この部屋に集まっている人間は観測員や監視員といった裏方が多い。

 そのような彼らがシキへ抱く感情、それは───紛れもない“畏怖”であった。

 シキ個人の強さへの畏れ、能力の強大さへの畏れ、あるいは残忍な性格への畏れ。理由を挙げればそれこそキリがないであろう。

 

「よし……時間だ。行こうぜ、ベイビーちゃん」

「っ……」

 

 なにせ20年もの間、メルヴィユを力と恐怖で支配してきた男だ。

 今この場に満ち満ちる畏怖の念こそが、“金獅子のシキ”という海賊の在り方がありありと表れた結果だ。

 抵抗が無意味であることも、抵抗した先に待ち受ける凄惨な結果も目に見えているからこそ、ノアは静かについていくことに決めた。

 

「……」

 

 ブルリッ、とノアは身震いした。

 寒気が収まらない。肩を抱き寄せようと、一向に体が温まる気配はなく、むしろどんどん顔は蒼褪めていくばかりであった。

 それを隣から横目で観察するシキの悪辣な心の機微は、心を読めるノアにとって嫌というほどに伝わってきている。

 

(大丈夫……大丈夫だから……)

 

 ここに来るまで幾度となく唱えた言葉を、もう一度心の中で自分に言い聞かせる。

 現在、孤立無援の窮状。逃げ場などどこにもありはしない。しかしながら、ここに独りで居ることを望んだのは自分に他ならないのだ。

 

(大丈夫……かな……)

 

 脳裏を過るシャオや村の住民の顔。

 長年の間搾取され、ようやく取り戻しかけた笑顔を再び奪われようとしていた彼らを思い出せば、恐怖や孤独で消えかけていた勇気や義憤が燃え上がるというものだ。

 シキの“声”を盗み聞きするに、村に海賊が襲い掛かっていた事実は嘘偽りない。

 ただし、遥か空高くに連れ去られていた自分に届くほど、怒り狂った()の声は轟いていた。

 

───彼ならきっと無事だ。

 

 無事に危機を潜り抜け、村の住民も助けてくれるはずだとノアは信じていた。

 ぶっきらぼうで、仏頂面で。して時折乱暴な一面を覗かせるが、その実理不尽を嫌っている。口の悪さは育ってきた環境の劣悪さに起因しているが、彼自身に至ってはその生い立ちに反して筋の通った性格だ。売られた喧嘩こそ買うが、ただの悪党であれば因縁をつけるトラブルには、悪態こそつけど決して手は出さない。

 

 そういう人柄に信頼を寄せていた。

 なんとかしてあげたいとも思った。

 少しでもいい思い出を作ってあげたいとも思ったが、それも最早昔の話だ。

 

(ルナ……)

 

 彼の為だからと。

 触れられたくない心にまで足を踏み入れ、挙句、無神経に真実を述べて怒りを買い───拒絶された。

 

 泣きそうなくらい歪んだ顔で。

 

 しかし、枯れた涙が流れることはなかった。それほどまでに彼の心の奥で今尚燃え盛る憤怒と憎悪の炎は苛烈だと察せた。察してしまった。

 その時、深く自分の罪を悔い改めた。

 思い上がっていたのだ。心の“声”を聴ける自分なら、彼を傷つけずに癒せるのではないかと。孤独という殻に閉じ篭もり、他者と自分とを隔絶した世界の中で生きている彼を救い出せるのではないかと。

 

 それなのにも関わらず───傷つけてしまった。

 

(謝りたい)

 

 もう一度、ちゃんと会って。

 

(謝りたい……)

 

 もう一度、面と向かって。

 

(謝りたいよぉ……)

 

 もう一度、心から───。

 

 今、この時が自分だけの人生を生きる最後の瞬間だと確信している。

 だからこそ、あの時取り繕った笑顔ではぐらかしてしまった事実に、今更になって後悔が止まらない。

 心の傷を掘り返してしまった謝罪が、あのようなものでいいはずがない。

 もっと、誠心誠意を込めて謝るべきだった。例え許されることがなくとも、そうするべきだったと頭の中ではたらればが尽きない。

 

 願わくば、“くい”のない人生を送りたかった。

 

 だが、それは叶いそうになかった。

 

「───よく集まったな、野郎ども。これより、おれの配下に収まってもらう為の契りの盃を交わしてもらう!」

 

 案内されたのは荘厳な襖に囲まれた大広間。

 シキは広間の奥に用意されていた玉座に腰掛ける。両隣には何やら老練な雰囲気を携えた眼帯の男と、年齢を感じさせぬ逞しい巨躯を誇る男が立っていた。

 その前に並んで座っていた面子は、モニター越しに見た海賊───その大勢を従える海賊団の船長達である。

 軽く見積もっても30名以上……すなわち、30以上の海賊団が王宮に集っている事実を意味する。素人目から見てもわかる強大な戦力だ。どこかに戦争でも仕掛けるのかと、ノアは内心戦慄が止まらない。

 

「なお、裏切り者には容赦しねえんで……そのつもりで!」

 

 しかし、そんな名立たる船長の視線を一身に浴びても尚、シキは気圧されるどころか、食い殺さんばかりの覇気を迸らせている。

 空気がひり付く。いくら配下に加わるとは言え、まだ盃を交わす直前だ。全員が数多の修羅場を潜ってきた猛者である以上、解き放たれる猛烈な覇気にも耐えうるだけの“格”を、無法者らしい反骨心とその身をもって証明してみせる。

 まるで王宮全体が身震いするような威圧感が満ち満ちる時間を終えれば、満足げにシキは嗤った。

 

「さあ、出発……と行きてえところだが、その前に一人紹介しておきたい奴が居る」

「え?」

 

 シキの視線につられ、船長達の視線が一斉にノアへと集まる。

 突然の注目に全身が強張るが、文字通り人を殺してきた視線に射抜かれ、その場からは一歩たりとも動けない。

 

「っ……!」

「そう怖がらなくてもいいぜ」

 

 そう言うと、シキはノアの隣に歩み寄って震える肩に手を置いた。

 

「知っての通り、おれがこの計画を進めてきたのは今から20年前……世がまさに大海賊時代の幕開けって時期だ。語るまでもねえが、そいつはロジャーが遺した宝目当てにミーハー共がのさばった結果だ……馬鹿馬鹿しい!!! 海賊は海の支配者だ!!! 自由だなんだと謳って、海賊の意味を履き違えてやがる!!!」

 

 悲しいぜぇ~、とわざとらしく目頭を押さえるシキ。

 次の瞬間、手の陰からチラリと視線を向けてきた彼とノアの目が合った。年老いて色褪せた瞳だが、その色は果てない野望に焦がれていたかの如くドス黒い。

 その時、ノアは深淵を垣間見た。尽きぬ執念のままに生きた海賊の底知れぬ野望。それはノアが思っていたよりもずっと深く、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……だが、今日の総会を以て金獅子海賊団は結成される。東の海を滅ぼし、世界政府を降伏に追いやる第一歩だ。その為に今日という今日まで力を蓄えてきた」

 

 少なくとも武力や兵力では並び立つ者が、それこそ海の皇帝“四皇”に比肩し得るレベルにまで取り揃っている。

 五つの海で最弱と噂される東の海───少なくとも常駐している海軍支部では、まず対抗できない。海軍本部に応援を要請したところで駆け付けるまでに時間が掛かる以上、その間にも被害の拡大は免れない。

そうして多くの世界政府加盟国が甚大な被害を受け、最早再起不能というところまで追いやることで、世界政府という組織の脆弱さを白日に晒す。

権威が失墜した政府はやがて海賊という荒波に逆らえぬまま体制が崩壊。血で血を洗う闘争が日常となり、強者こそが全てを意のままにできる世界の支配者となる───それが今回の計画の筋書きだ。

 

「ただ、ちと面白い拾い物をしてな……こいつを利用すりゃあ、この海はより大きな波乱を巻き起こすことができる!!!」

 

 高らかに謳うシキに、船長達の瞳にも困惑や好奇の色が浮かび始める。

 一見ただの小娘にしか見えない彼女にどのような価値があるのか───その真価を探るような視線に晒され、ノアはかつてないほどの居心地の悪さを覚えた。

 

 だが、それ以上に彼女から血の気を引かせていた理由がある。

 先ほどから、胸騒ぎが収まらない。嫌な予感がして堪らない。

 

 『どうか勘違いであってくれ』とノアが願う中、シキは興奮と───憎悪が入り乱れた面持ちを湛えたまま、一同を見渡した。

 

「“海賊王”が遺したものは“ひとつぎなぎの大秘宝”だけじゃあねえ!!! 奴はもっと別のもんを遺していやがった!!!」

「……やめて……」

「そいつは政府や海軍にとって、実在するかわかりもしねえ宝なんぞよりもっと目先の脅威に他ならなかった!!!  何故だかわかるか!!?」

「やめてっ……」

「それは……奴らが何より恐れたのが“海賊王”の宝なんぞじゃなく、その“血”だったからだ!!!」

「やめてっ……!」

 

 耳を塞ぐノアに、その手を強引に引き剥がしたシキが問いかける。

 

「なぁ、ベイビーちゃん。……お前の親の名、言ってみろ」

「……イヤ……」

「そうか……嫌ならおれの口から言ってやる!!!」

「イヤッ!」

「お前の親……いや、()()の名は───」

「やめてェーーーッ!!!」

 

 絶叫に等しい悲鳴。

 それは死刑宣告を掻き消す最後の足掻き。

 

 

 

 

 

「───“海賊王”ゴールド・ロジャーだ!!!」

 

 

 

 

 

 消し去りたかった過去を呼び起こす、不自由の象徴だった。

 

 

 

 ***

 

 

 

───おい、またこいつ嘘吐いてやんの!

───動物と話せるってさ!

───嘘つき女と話すな! 嘘つきが移るぞ!

───逃げろぉー!

 

 

 

『嘘じゃないもん……ホントに話せるもん……っ!』

『みんなの気持ちだってわかるんだよ!?』

『でも……なんで? なんで皆、()()()()()()()()?』

 

 

 

───……まだ、あいつに会わせる気にはならんかの?

───帰ってくれ! 海賊にも海軍にも、これ以上家族を奪われたくないんだ!

───だが、あいつは■■の兄なんだぞ? 一目くらい会わせてやっても……。

───あの男の子供を生もうとして妹は……ルージュは無理をしたんだ!

───ただでさえ双子だったのに……20か月も身籠って……。

───いくらあんたが遺言を聞いたからって、双子のもう一人までを預けるつもりはない!

 

 

 

『私に……お兄ちゃん……?』

『本当のパパは私が生まれる前に……ママは私を生んだ時に死んじゃったって聞いたけど……』

『私にはまだ───血の繋がった本当の家族が居るんだ!』

 

 

 

───ポートガスさんのお宅でよろしいですね?

───なっ……海軍が何の用だ!?

───島民からの匿名で通報がありまして。

───以前調査した際、なんでも()()があったと。

───ど、どういう意味だ……!?

───貴方の身内が長期間妊娠していたとの報告が……。

───っ……逃げろ、■■!!!

 

 

 

『私……なんも悪いことしてないよ……!!?』

『なのになんで、海軍が私を悪いもの扱いするの!!?』

『ねえ、なんで!!?』

 

 

───追え、逃がすな!

───子供だろうと容赦はするな!

───“海賊王”の血は根絶やしにしなくては!

───生かしておくな!

───何としてでも殺せ!

 

 

 

『私、誰にも酷いことなんかしてない!!!』

『物を盗んだりしてないし、人を傷つけてもない!!!』

『なのに、なんで……!?』

 

 

 

───お前か。

───あんただったのね。

───お前のせいで。

───おれの子が。

───ぼくの妻が殺された。

───わしの孫も。

───わたしの妹が。

───姉が。

───娘が。

───姪が。

───お腹の赤ん坊と、一緒に。

 

 

 

『ちがう……』

『ちがう! 私じゃない!』

『私が殺した訳じゃない!』

 

 

 

───どうして生きてるの?

───どうして生きられるの?

───どうしてあんただけが。

───どうしてうちの子だけが。

 

 

 

『そんなの知らない!』

『そんなのわからない!』

『ただ、私は普通に生きたいだけなのに……!』

 

 

 

───お前だ。

───お前のせいだ。

───お前が居たから殺された。

───あんたが居なければ死ななかった。

───母親諸共死ねばよかったのに。

───父親諸共殺されればよかったのに。

 

 

 

『生まれてこなければよかったの……?』

『最初っから……』

『でも、そんなのどうやったって……』

 

 

 

───お前に生きてる価値なんてない。

───死んで初めて人の役に立てる。

───死ねばよかったのに。

───死んでしまえ。

 

 

 

『い、いや……』

『死にたくない……』

『私は……まだ……死にたくない!』

 

 

 

───いいや、殺してやれ。

───殺せ。

───殺せ!

───殺せ!!

───殺せ!!!

 

 

 

『いや……やめて……』

『来ないで……!』

『だれか……助けてえええええ!!!』

 

 

 

───見つかったか!!?

───も、申し訳ございません! 現在、総動員で捜索には当たっておりますが……!

───海に飛び込んだ子供を食ったと思しき海王類の姿は未だ……!

───むぅ……! 海王類に食われて生きているとは思えないが。

───万が一もある! 至急■■の名をブラックリストに載せろ!

───無論、苗字もだ……! 

───どちらかでも該当する者が居たら、すぐさま捕らえて尋問しろ!

───怪しい者は……殺してかまわん!

 

 

 

『……名前も……苗字も……』

『どっちも捨てなきゃいけないの?』

『自分に嘘を吐かなきゃ……生きれもしないの?』

 

 

 

───へぇ~、君は()()ちゃんって言うんだね!

───それで、この島には何しに?

───……え? 人探しだって?

───う~ん……ちょっとその名前は聞いたことがないなぁ。

───力になれなくて済まないね、他を当たってみてくれ。

───大丈夫、きっと見つかるさ!

───君みたいなイイ子の努力は、絶対に報われる!

 

 

 

『そうだ、私にはお兄ちゃんが居る』

『お兄ちゃんなら、きっと……』

『海賊の子でも“海賊王”の子でもない……本当の私を愛してくれる!』

 

 

 

───読んだかよ、“火拳”の記事!

───もちろんだとも! 『王下七武海への勧誘拒否』だろ!?

───新進気鋭の海賊はやっぱ違ぇなぁ~!

───おれ達が知らないだけで、実は良いとこの血筋だったりして!

───かもな! 親が大海賊でもおかしかねえ!

───海賊の子は海賊ってワケだ!

───もっとも、海賊の子なんて名を上げられなきゃ惨めなもんよ!

───一生犯罪者のガキって汚名が付いて回る!

───ロクな人生なんて送れる訳ァねえ!

───ギャハハハ! 言ってやるな!

───名を上げた海賊の子なんて、それだけで打ち首ものだ!

───見せしめに殺してやるのが世の為だろう!

───それを世界中が笑い者にするさ!

───そんで、こう言わせてやりゃあいい!

───『生まれてきてごめんなさい』ってなぁ!

 

 

 

『……』

『……私』

『……生まれてきても……よかったのかな』

 

 

 

 ***

 

 

 

「───はっ……はっ……!」

 

 思い出したくもない忌わしい記憶が脳裏を過る。

 溢れ出すかのように鮮明に呼び起こされるシーンはどれも強烈で、瞬く間に心臓の鼓動は高く強く、そして痛いほどに鳴り響く。

 

 その間、ノアは過呼吸と間違われかねないくらいに呼吸が乱れていた。

 じっとりと脂汗が浮かんだ顔も血が通っていないかのように蒼白であり、今にも倒れそうな雰囲気を漂わせている。

 

「可哀そうに、ベイビーちゃ~ん。よっぽど昔にヒデー目に遭わされたみたいだなぁ?」

 

 口先だけは心配するシキ。

 しかし、その表情は憔悴し切ったノアを見て楽しむ嗜虐に満ちたものであった。

 

「な……なんの証拠があって……?」

「気になるか? 気になるよなぁ?」

「っ……!」

「ジハハハハ! ───なに、お前の血統因子をデータベースと照合しただけだ。世の中、複製(クローン)人間を造るなんて技術もあるぐれぇには科学力は進んでいる。親子かどうかの判別ぐらい簡単につく」

 

 そうしたシキの言葉に、衝撃を受けていた船長の面々も真実味を帯びてきた話に食いつくような姿勢を見せていた。

 

「過去にゃ、“海賊王”の関係者を軒並み処罰するなんて動きもあったがな。それほどまでのロジャーの影響はデケぇ! 当然、血縁者なんて一族郎党処刑だったろうが……現に! 娘は! 生きていた!」

「だ、だからって……私には何の力もない!」

「つまらん嘘を吐くな」

 

 ズイ、とノアに顔を寄せてくるシキは言う。

 

「実はな……お前がメルヴィユに飛んでくる時、見てたんだよ。海王類を従える様をな」

「───!」

「世の中には人魚や魚人が魚を従えることもあるが……それでも海王類は別だ。奴らの“声”は特別な素養を持つ人間じゃなけりゃあ、言葉を理解することもままならねえ」

「それは……つまり……」

「ああ」

 

 今度は耳元に口を寄せ、ノアにだけ聞こえるように囁く。

 

 

「聞こえたのさ───ロジャーの野郎は。海王類の声がな」

 

 

 ヒュッ、と息を飲む音が聞こえた。

 だが、それが自身のものだとノアが理解したのは、少し遅れてからであった。

 

 次々に提示される証拠に、最早逃げ場は無きに等しかった。

 故郷を飛び出てからというもの、ひた隠しにしていた秘密を暴露されてゆく感覚は、まさに生き地獄だ。

 “海賊王”の娘である事実は、彼女にとって罪人である証明に他ならない。

 

───ただ生きているだけでも許されない。

 

 多くの無関係な命を犠牲にして生まれてきた。

 それを咎められたとして、普通の感性を持つ人間ならば、まず平静では居られない。なんとかして自分の存在価値を見出し、『生きてもいい』と認められるよう動くだろう。

 

 彼女が自分の命を軽んじてまで、他人の命に執着する所以はここにあった。

 

───誰かを助けている時は、生きていてもいいと思えた。

───誰かに感謝された時は、生きていてもいいと思えた。

───誰かに求められた時は、生きていてもいいと思えた。

───誰かの笑顔を見た時は、生きていてもいいと思えた。

 

 生まれてくるはずだった赤ん坊。

 疑いを向けられてしまった妊婦。

 そして、自分を育ててくれた親。

 

 彼らの命を犠牲にして生き永らえた以上、より多くの人々を救うべきだ───それこそがノアという海賊の子が歩んできた道程である。

 

 しかし、それが今音を立てて崩れようとしている。

 ノアにとってアイデンティティの喪失は、死を意味する程に重い。

 

「私に……何をさせるつもり……?」

「逆に訊くが、何をさせられると思う?」

「……島の生き物を操らせて、人を襲わせる……?」

「ジハハハ、それでもいい! お前が望むんだったらその役目を与えてやろう!」

「誰が……!」

 

 直情的に食って掛かろうとしたノア。

 だが、彼女より一回りも二回りも───それこそ親子か、はたまた祖父と孫ほども歳の離れたシキは、老獪という言葉が似合う不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「───若いな、ベイビーちゃん。お前みてえな小娘に島のクリーチャーの動かせると思うか?」

「じゃあ……なに……?」

「力ってのは何も腕っぷしの強さだけを言うもんじゃねえ。財力や権力も海賊の立派なステータスだ。だが、おれがお前に求めるのはそのどれでもねえ!」

 

 カキン! と義足代わりの刀剣が、床に音を立てて突き刺さった。

 しかし彼が振り向く相手はノアではなく、配下となる船長達の方だ。まるで演説でもするように仰々しく両腕を広げ、通った声を響き渡らせる。

 

「“海賊王の娘”!!! その肩書こそがお前にとって唯一無二の価値だ!!! 島の生物や海王類の言葉を理解できるなんて力は、そいつに比べりゃクソみてえなもんだ!!!」

「───」

()()()()()()()()()()()()……おれはただ、その身体に流れてる“血”を世間に公表できりゃあ十分さ。そうすりゃあ世間は勝手に騒ぎ立てる」

 

 即ち、火種。

 大海賊時代に新たな大混乱を巻き起こすとして、“海賊王”の“血”は火種に値するだけの価値を世界政府側が見出している───そう、シキは見立てていた。

 

 だが、ノアの耳に彼の理論はこれっぽっちも入ってこなかった。

 

───結局“血”なんだ。

 

 ノアの視界は次第にぼやけていく。

 目頭は焼けるように熱くなり、鼻の奥にもツンとした痛みが走る。

 

「……それで……私には何をさせるつもり……?」

()()()

「っ……!」

「特別なことをする必要はねえ。お前には存在そのものに価値がある。ただ、おれ達の傍に居てくれりゃあそれだけでいい」

「……生きてるだけで?」

「ああ、そうだ」

 

 消え入りそうなくらいか細い声で問いかけたノアに、シキは鷹揚と頷いた。

 

「おれにはよーくわかるぜ……あいつの子供ってだけで随分不自由したろう? だが、これからはそんな心配なんざしなくていい! なあ、この世で一番自由な奴は誰だと思う? 無法者の海賊か? 権力を振り翳す政府の豚共か?」

 

 いや、違う───シキは自ら首を横に振った。

 

「この世で最も自由なのは……世界を支配した奴に他ならねえ!!! 金に縛られることも、法に縛られることも、血に縛られることもねえ!!! おれが政府をぶっ潰して作りてえのは、力こそがものをいう強者の世界(ストロングワールド)だあっっっ!!!」

 

 20年間燻り続けてきた野望の火。

 それは悲願の時を目の前にし、狂ったように燃え広がっていく。

 

「野郎共!!! 金銀財宝、根こそぎ略奪してえか!!?」

『オオッ!!!』

「旨い酒を浴びるほど呑みてえか!!?」

『オオオッ!!!』

「政府に海軍、手向かってくるクソ野郎共全員ぶっ殺してえか!!?」

『オオオオッ!!!』

「それなら付いてこい!!! てめえらの野望、おれが叶えてやるよォ!!!」

『オオオオオッ!!!』

 

 狂喜に彩られた歓声が轟き、王宮全体が揺れ動く。

 最早誰にも止められない熱狂が場を支配していた。暴力的な感情に満ち満ちた空間は、心の“声”を読み取れるノアにとっては拷問に等しい場所であった。

 しかし、その顔には一つ決意が浮かんでいた。

 悟りと言えるかもしれない。何かを達観するような瞳は、歓声を上げる海賊に向けられながらも、どこか遠い場所を見つめているようだった。

 

 すると、徐にシキは手を指し伸ばしてきた。

 

「どうだ? 生きているだけで甘い汁を吸える。こんな旨い話はねえだろう」

「私は……」

「海賊ほど自由な奴は居ねえ。てめえの好き勝手生きて、他人なんぞ気に掛ける必要もねえからな」

 

 それはある種、束縛された人生を送ってきた人間にとって追い求めてきた人生に他ならない。事実、束縛を嫌い海に飛び出てきた海賊はうじゃうじゃと居る以上、珍しい話でもなかった。

 

「何を迷う必要がある? おれ達と一緒に楽しくやろうぜ、ベイビーちゃ~ん」

「私は……」

 

 しばしの逡巡の後、ゆっくりと手を持ち上げるノア。

 その動きにシキはほくそ笑む。

 徐々に近づく両者の手。

 そして、やっと手が結ばれようとした───その瞬間、乾いた音が鳴り響いた。

 

 それは、ノアがシキの手を引っぱたいた音。

 

「イヤ」

「……なんだと?」

「私は……貴方となんか手を組まない!」

「てめえ……」

「私は! 自由に生きるって決めたの!」

 

 目元に浮かべた涙が零れ落ちる勢いで頭を振ったノア。

 彼女は泣き叫ぶようにしてシキの提案を突っぱねた。

 

「私が今まで生まれや名前を偽ってきたのは父親の血に縛られたくなかったから! 私は誰にも支配されたくなくて生きてきた! 世界一自由だった人の娘が、世界一不自由だなんて───そんなの馬鹿馬鹿しいにも程がある!」

「だからおれと来いと……」

「だいたい貴方の言う自由と、今の私の不自由になんの違いがあるの!? どっちだって支配されてることに変わりない!」

「いいや、違うな。そもそも自由にゃあ制限が設けられてる。それが金であり力であり……お前の言う親の血だ。だが、制限があるなら取り払えばいい! お前が今まで自由を夢見てきたかもしれねえが、そいつはおれの傍に居る不自由の中でも手に入れられるってワケだ!」

 

───簡単な話だろう?

 

 同じ不自由の中でも、支配の下にあるものとそうでないものとでは範囲が違う。

 しかし、支配の甘受を促すシキの演説を前にしても、ノアの決意は揺るがなかった。

 

「そうだとしても! その自由が誰かの命を奪って手に入れたものなら……私はそんなものいらない!」

「っ……てめえ」

「生きるか死ぬかも私の()()だっ! ここでのうのうと生きて誰かを傷つけるくらいなら───死んだ方がマシだァーッ!」

 

 それは、魂から絞り出した叫びであった。

 盛大な啖呵を切る形で締め括ったノアは、肩で息をしながらシキを睨み上げる。悲惨な過去を持っているとは言え、その愛らしい顔立ちからは想像もできない憤怒の形相は、今日まで行動を共にした青年の影響を受けたからだろうか。

 

「……そうか」

 

 それを見たシキはやれやれと首を振った。

 言う事を聞かない子供を前に辟易した親のそれだ。すでに熱狂していた空気も、冷や水を浴びせられたかの如く冷め切っていた。

 

 だからこそ、腹の底で煮え滾っている感情と触れ合えば爆発する。

 

「そいつは───本当の地獄を見たことのねえ野郎の言うことだぜ!!!」

「っ!」

「いいか、小娘!!? 本当に死んだ方がマシと思った時、そいつはなんて言うと思う!!? 正解は……『殺してください』だ!!!」

 

 ノアの口元を覆うように鷲掴みにするシキ。

 その嗜虐心に満ちた邪悪な笑みは、苦悶に顔を歪める女を嘲笑うものであった。

 

「弱者が死に方を選ぶなんぞ烏滸がましい!!! ここに連れてこられた以上、てめえの生き死にはおれ次第だ!!!」

「うぅっ……!?」

「もっと利口に生きることだな、ベイビーちゃ~ん♪」

 

 シキは『それに』と残酷な言葉を突き付けた。

 

「……今更一人や二人、殺す人間が増えたところで大して変わりゃしねえだろ」

「───!!!」

「ジハハハハ……!!!」

 

 目を見開くや、次の瞬間にはボロボロと大粒の涙を流すノア。

 絶望と屈辱に歯を食い縛る彼女の泣き顔を目にし、シキの嗜虐心は大いに満たされていく。

 

───気丈な人間の尊厳が破壊されていく様はやはり格別だ。

───盃を交わす前の肴にはちょうどいい。

───それがロジャーの娘であるという事実も踏まえれば、尚の事。

 

 海賊らしい悪辣な思考を巡らせ、もうしばらく堪能していようと思い至る。

 

 

 まさにその瞬間だった。

 

 

「シキ様ぁー!」

「あ……? なんだ、こんな時に!?」

「至急お耳に入れたいご報告が……!」

 

 襖を勢いよく開けた部下が、大慌てでシキの足元に駆け付けてくる。

 普段ならば鉛玉の一発でも入れる場面であるが、その尋常ではない様子から大事が起こっているとは容易に想像できた為、憎き男の娘に対する加虐を止めた。

 こうして解放されたノアは、痛む口元を押さえながらも何が起こったのか探るべく、シキと部下の会話へ聞き耳を立てようとした。

 

───けれども、それよりも早く聞こえてきた“声”がある。

 

「侵入者だと!? 数は?」

「ひ……一人です!」

「一人だ!? なら、さっさと討ち取らねえか!」

「そ、それが恐ろしい強い男でして……!」

 

 徐々に近づいてくる怒りの足音。

 それは紛れもなく、()のものであった。

 

 

 

「……ルナ……?」

 

 

 

 ***

 

 

 

 死闘は、少し遡った時の中で始まっていた。

 

 

 

「む? なんだ、あの男……こっちに来るぞ」

「どこかの海賊団か?」

「でも一人だぞ」

 

 王宮の巨大な門の前は、いつになく厳戒態勢が敷かれていた。

 いくらやって来る海賊が傘下になる予定とは言え、浮足立つ余り馬鹿をしでかす者が居ないとも限らない。

 故にこうして見張りが並んでいたが、ようやくひと段落といった頃、ふらふらと王宮を目指して歩み寄る人影を見つけた。

 

 しばらくすれば、不明瞭だった人影───一人の青年は門の目の前に辿り着いていた。

 

「おい貴様、ここをどこだと思っている」

「部外者以外の立ち入りは許されない」

 

 進路を阻むよう左右に立っていた門番が槍を交差させる。

 すると、猫背気味な青年はそのまま顔だけ上げ、睨むような視線を門番へ浴びせかけた。

 

「……ここにシキの野郎が居ると聞いたが」

「む? シキ様の名前を知っているということは、招待された海賊か? どこの海賊団だ」

「ねえよ、そんなもん」

「なんだと? ……招待状もなしに王宮へ立ち入れると思うな! シキ様がお声を掛けたのは五つの海で名を馳せる精鋭のみ! 凡百の海賊がシキ様に取り入れるなんて思うんじゃない、立ち去れ!」

 

 一般人ならば身も縮む怒声を浴びせかける門番は、交差させた槍を青年の首元へと押し付け、そのまま押し倒そうとした───が。

 

「む……おぉ!!?」

「う、動かん……!!?」

 

 ただの一歩も、青年を後退りさせることが叶わない。

 門番を任された男達もダフトグリーンを素手で引き抜ける膂力を持つ者ばかりであるにも関わらず、だ。

 

「……オイ。ここにワンピース着た女、連れてこられなかったか?」

「な、なにィ……!!? 女……!!?」

「まあ、知る訳ねえか。てめェらみたいな三下は」

「き、貴さ───げぶぁ!!?」

 

 言い切る寸前、門番の視界に映る光景は線と化した。

 直後、全身に激しい衝撃が襲い掛かったことで完全に意識を手放した門番であったが、その周りに控えていた衛兵は別の意味で受けた衝撃に震え上がっていた。

 青年に食って掛かっていた門番が殴られて数十メートルも吹き飛んだ光景に、だ。

 

「なんだあの男……!?」

「て、敵襲だァー!! かかれェー!!」

「王宮に立ち入らせるなァー!!」

 

 すぐに襲撃者の強大さを察した衛兵は、数の利を生かそうと一斉に取り囲む。

 いつの時代も数の多い方が勝る。それが戦争の理というものだ。

 

───ただし、自分と相手の実力差が隔絶していない場合に限るが。

 

『ぎゃあああ!!!!?』

 

 眩い電光が爆ぜると共に、飛び掛かった衛兵の悲鳴が上がる。

 次々に崩れ落ちる衛兵。全員がビクビクと痙攣しながら泡を吹き、体からは白煙が上がっている。

 それが浴びた電撃の凄まじさを物語っているが、こんなものは序の口に過ぎない。

 

 門番と衛兵を一蹴し、巨大な門へと手を掛ける青年。

 

「───ぉぉおおおらあッ!!!!!」

 

 けたたましい雄たけびと共に指を食い込ませれば、門全体に亀裂が走る。

 次の瞬間、全体に広がった亀裂によって自重を支えきれなくなった門がガラガラと地響きを轟かせて崩落した。

 豪奢な装飾など見る影もない瓦礫が周囲に転がる。

 

 それを雑に蹴り飛ばす青年は、いよいよ王宮の中へと足を踏み入れた。

 かつて多くの海と島を力と恐怖で支配していた金獅子海賊団───その復活の地となろう王宮には、百や二百では片のつかない海賊共の気配で溢れかえっていた。

 案の定、騒ぎを駆けつけた海賊が剣や銃を手にしながら駆けつけてきた。

 

「誰だ、てめえは!!?」

「ここをどこだと思ってやがる!!!」

「カチコミか!!?」

「舐めた真似を……!!!」

「野郎共!!! ぶっ殺してやれ!!!」

 

「……」

 

 四方八方から浴びせられる怒声。

 しかし、これには慣れたものだと平然な顔を浮かべる青年───ルナは、刺々しい殺意を突き刺してくる海賊へ、勝るとも劣らない憤怒に滾る瞳で睨めつけた。

 これには普段から命のやり取りに身を投じている海賊も、一瞬気圧されたように後退る。

 だが、すぐに無法者として培ってきた反骨心に灯を灯し、己が手に持った凶器という凶器を見せつけるように掲げて吼えた。

 

 ビリビリと震える空気を前に、ルナもまたナイフを抜く。

 抜き身の刀身は黒錆に覆われたかの如く、光を吸い込みそうな暗い色を放っている。元は銀色だった刃は、今や見る影もない。

 しかしながら、その切れ味には目を見張るものがある。

 ルナが軽く一振りすれば、真横の壁に巨大な一文字が刻まれた。触れもしないのに、この破壊規模だ。

 

 もしも壁の間に人が立っていれば───想像した海賊の数人は、すでにこの時点で戦意を削がれていた。

 それでも人数に比例して気が大きくなっている海賊全てを戦意喪失させるまでには至らない。

 

 それを見たルナは、心底面倒臭そうに溜め息を吐いた。

 

「馬鹿な女に届けモンがあるんでな……」

 

 彼の怒りが顕現するように、荒れ狂う電光は周囲をズタズタに切り刻む。

 

 

 

「───てめェら全員、邪魔だあああああッッッ!!!!!」

 

 

 

 咆哮。刹那、電光。

 

「ぎゃあああ!!?」

「なにが起こった!!?」

「構わねえ!!! 撃て、撃てェ!!!」

 

 視界が眩い光に覆われたかと思えば、激しく鳴り響く雷鳴と共に多くの海賊が倒れ伏した。

 そして入り口付近に立っていたはずのルナは、すでに敵陣のど真ん中で猛威を振るっていた。

 

「と、止めろォ!!!」

「速すぎて銃が当たらねえェ!!?」

「こっちに来るなッ……ぎゃあ!!?」

 

 頭を掴んだかと思えば床に叩きつける。

 その間、背後から襲い掛かってくる相手には、剣を振り下ろした瞬間には背後に回り込む。それから襟を掴んでは、一斉に撃ち込まれた弾丸の肉盾代わりに用いる。

 用済みとなれば投擲武器よろしく密集した敵へと放り投げた。

 投げ込まれる人間にそれぞれ避けるなり身構えている間に、ルナの俊足は留まることを知らない。

 投擲物よりも早く敵陣へ飛び込んだ彼の“爪”は、猛獣同然に鋭利な切れ味を誇っており、次々に海賊の肉体に滑らか過ぎる切り口を刻んでいく。

 

 開始数分。

 既に一帯は凄惨な血の海と化し、続々と集まってくる増援も余りの光景に戦慄していた。

 

「なんだ……なんだよ……なんなんだ、こいつは!!?」

「電撃ィ!!? こいつ、ミンクなのか!!?」

「馬鹿か!!? どこからどう見ても人間だろうが!!! 十中八九悪魔の実───あびゃあああ!!?」

 

 逆上染みた返答を叫んでいた海賊が、たった今言及していた電撃の餌食となる。

 

「ひっ!?」

 

 目の前で感電した人間を前に、別の海賊が恐怖の余り腰を抜かす。

 彼の眼前には、バチバチと断続的にスパークを迸らせる襲撃者が立っていた。

 

 どうか見逃してはくれないか───そんな淡い希望も、脳を揺らす衝撃によって意識諸共潰えた。

 

「フゥーーー……」

 

 また一人、敵兵を打ち倒したルナが一息整える。

 周囲には依然と集まってくる海賊で溢れかえっているが、彼の脳裏に過っていたのは現状の打開策などではなく、過去にあった一つのやり取りであった。

 

 

 

『───『エレクトロ』だ?』

『そう! ミンク族が生まれながら身に着けてる技術だ! ルナが食べた実の能力とは、最高の組み合わせだぞこれ!』

『なんでオレがんなもん身につけなきゃならねェ』

『そう言うな! ミンクの技術と悪魔の実の能力の組み合わせ……どんな新しい発明が生まれるかワクワクするじゃねえか!』

『てめェの暇つぶしに付き合う義理はねェ』

『あっ、待てルナ! 理論だけでも聞いていけェー!』

 

 

 

 革命軍に居た頃、発明狂いの獣人に絡まれていた思い出がある。

 その結果として身に着けた技術───それこそがとある国に生きる獣人・ミンク族の『エレクトロ』と呼ばれる戦い方だ。

 それは優れた身体能力と鋭い爪、そして生来持ち得る電流を扱う能力があってこそ。

 当然通常の人間ならば、まず電流を出せないという点で一生会得できない技術だが、一つだけ不可能と可能とする禁忌の果実が存在する。

 

 それこそが───悪魔の実。

 

 広大な世界のどこかで人知れず誕生する果実は、一口でも口にした者に人智を超えた力を与える。

 その能力は千差万別。超人染みた体質を得る実もあれば、動物へと変身できる実もある。中には自然現象そのものへと体を変質させる、まさに神の領域へと足を踏み入れかねない力を得られるのだ。

 

 ルナが口にした実は、三種類ある悪魔の実の中で“超人系(パラミシア)”に該当する───その名も『ビリビリの実』。

 悪魔の魂を宿した肉体は、本来体の機能を動かす為に流れている生態電流を遥かに上回る電気を生成できるよう変化する。

 

 故に、ミンク族の『エレクトロ』も扱える。

 人の身でありながら悪魔と化し、獣の如く暴れまわる───それが数あるルナの戦い方の()()だ。

 

「悪魔の実の能力者だからってェー!!!」

「おぉ! 魚人のキタジマだ!」

「下等種族の人間が……思い上がるなァー!!!」

 

 期待の声を背に現れたのは、魚人族の男。

 個人単位で魚の特徴が体に現れる彼らは、生まれながらに人間の10倍以上の膂力を有すことで知られ、恐れられている。

 

「喰らえ!!! “三千枚瓦正拳(さんぜんまいがわらせいけん)”!!!」

 

 そんな魚人が周囲の水分に衝撃を伝わらせる武術が“魚人空手”。

 魚人空手において、破壊力の指標となる“瓦”の枚数。すなわち、三千枚もの瓦を一撃で叩き割ることのできる正拳突きが、ルナ目掛けて繰り出した。

 

 常人が直撃すれば、骨が粉々に砕け散る一撃なのは間違いない。

 しかし、

 

「───鮫肌掌底(さめはだしょうてい)

「んなっ……!!?」

 

 タイミングよく掌底で正拳の軌道を逸らしたルナが、目にも止まらぬ速さで懐に飛び込む。

 その光景に魚人は目を見開いた。

 なにも、恐ろしいまでの速さに驚愕したからではない。散々目にした以上、今更速さに驚きはしない。

 

───()()()()()構えだ。

 

 魚人にとって何よりも信じられなかったのは、目の前の青年が取る構えに他ならない。

 同じ武人としての本能が、けたたましい警鐘を鳴らしている。物事に対する物差しは、それを知っているか否かで大きく変わってくるものだ。

 故に、知っているからこそ理解してしまう脅威があることを、この瞬間に魚人は思い知らされた。

 

「───鮫瓦正拳(さめがわらせいけん)”!!!

「ご、っばああああ!!?」

 

 先ほど繰り出された正拳突きとは比べ物にもならない一撃が、魚人の腹部に突き刺さる。

 まるで爆弾が炸裂したかの如き衝撃が突き抜け、魚人の大柄な体躯は吹き飛んだ。

 

「な、なんだとォ!!?」

「おい、あいつは悪魔の実の能力者じゃねえのか!!?」

「そいつがどうして魚人の技を……!!?」

 

 

「……能力者が水に()とうとすんのがおかしいか?」

 

 

「「「っ!!!」」」

 

 あちこちから浮かび上がる疑問を鎧袖一触する言葉に、海賊達は震え上がった。

 悪魔の実の能力者に共通する弱点に、『海に嫌われる』というものがある。有り体に言えばカナヅチになり、一定の規模の水溜まりに触れた瞬間から、能力者は体から力が抜けてしまう。

 いかなる能力者も水の前には無力───だが、目の前の青年はそんな固定観念を打ち崩す現実を突きつけてきた。

 

 実際、少量の水に触れた程度では能力者の行動には何の影響もない。

 それならば、能力者であっても魚人空手を扱うことは不可能ではない話だ。むしろ、周囲一面の水を制圧するに等しい魚人空手は、能力者が体得して損はない武術だと言って過言ではない。

 

「どいつもこいつも、てめェの尺度で測ろうとしやがって……」

 

 この時もまた、ルナの脳裏に過る過去の光景があった。

 

 

 

『───腰を入れて……こうっ! 魚人空手は踏み込みが大切だよ!』

『……で?』

『お、思ってた以上に食いつきが悪い……!』

『まあ私に任せろ、コアラ。───ルナよ、お前には“武”において天賦の才があると見た! 私とコアラが手取り足取り教えれば、魚人空手師範代も夢では……』

『興味ねェ』

『ああっ、待て! どこへ行く!? 折角我々が魚人空手の真髄というものをだな……』

『ハックったら! 今日はそんな堅苦しい感じで来たんじゃないんだよ!?』

『む、むぅ……そうか』

『もう……どうかな、ルナ? 気分転換だと思って一緒にやってみない?』

 

 

 

 魚人空手を教えてきたのは、一人の女と魚人の男であった。

 片や人間にも関わらず、師範代と認められるほどの腕前だった。それ自体に興味はなかったものの、何かとつけて空手の型を見せつけ、あるいは型を真似させる。時には組手を申し込んでくるものだから自然と()()()()()()()()()()()

 確かに魚人の男が言っていたように、見ただけで真似できる以上、“武”という点においては才能があったのかもしれない。

 

 当時は何とも思っていなかったが───今になって思い出したのは、当時と違った感覚を呼び起こされた故か。

 

(……あいつら)

 

 似ている、とルナは感じた。

 誰に? と問われれば、それはここ最近まで付きまとっていた彼女の他に居ないが。

 

「退け退けェ!!!」

「こうなったらこいつをブチかましてやる!!!」

 

 酷い喧噪の中、ゴロゴロと重量物を転がる音が振動と共に伝わってくる。

 振り向いた先に見えたのは大砲だ。おおよそ対人には用いない火器ではあるが、威力としては申し分ない。

 接近戦が不利だからと転がしてきた大砲の導火線に、早速火がつけられる。

 じりじりと短くなっていく導火線。砲口はしっかりと自分の方を向いていると見たルナは、ゆっくりと大砲に体を向けた。

 

 直後、王宮を揺るがす砲声が轟く。

 解き放たれる黒い砲弾。それは寸分の狂いもなく、一人の青年目掛けて宙を疾走する。

 

 それに対しルナは、

 

 

 

「───フンッ!」

 

 

 

 ガシンッ、と。

 

「「「……はあ?」」」

 

 ()()()()()()()()()

 

「……ぉぉぉおおお」

 

 一切後退することなく受け止めたルナは、バリバリと電光を迸らせながら砲弾を握りしめる指に力を込める。

 三本爪を模した指───それはやがて電熱で赤熱し始めた砲弾を握り潰した。

 

 ぐにゃり、と三等分に分かたれる砲弾。

 信じられぬ光景を前に唖然とする海賊だが、直後、ルナは小さくなった砲弾を全力で投げつけた。

 

「───っらァ!!!!!」

 

「「「ぎゃあああ!!?」

 

 想像を超えた手痛い反撃に、あちこちから悲痛な叫びが上がる。

 辛うじて無事であった者も、魚人の膂力など目ではない超人染みた握力を目にした余り、ガクガクと膝を笑わせながら地を這って逃げる。

 

「なんだよ、あいつぅ……!!!」

「に、人間じゃねえ……!!!」

「あ……悪魔だ……!!!」

 

 埒外の身体能力に、常人の域を出ない海賊は圧倒的な力の差に戦慄するばかりだ。

 それでも数が多いとルナは辟易する。またもや砲弾を握り潰した際の形へと指を揃え、躊躇うことなく地面へ突き立てた。

 

 その間にも殺意を漲らせた海賊が掛かってくるが、構わずルナは感覚を研ぎ澄ませる。

 

 狙うは“核”だ。

 

「……“竜爪拳”

『うおおおお!!!』

“竜の息吹”!!!

『うおおおお!!?』

 

 爆砕。

 そう言って差し支えない破壊が、ルナを中心に巻き起こる。地面に火薬でも仕込んでいたかと疑わざるを得ない光景だが、これもまたルナの“力”と“技”がもたらした結果だ。

 

 

 

 また、過去の記憶が蘇る。

 

 

 

『───物には必ず『核』がある……そいつを見抜く眼力と破壊する握力が肝なのが、この“竜爪拳”だ』

『急に呼び出しやがって……トンチキな拳法に興味はねェよ』

『そう言ってくれるな。コアラとハックには付き合ってやってるんだろ?』

『あれは向こうが勝手に付きまとってるだけだ』

『だが、見聞色と武装色……両方の覇気を高い練度で修めてるお前にゃ、こっちの方がピッタリだと思うんだがな』

『オイ、聞いてんのか』

『まあいいじゃねえか、付き合えよ。仲間のよしみだと思ってよ』

『誰が───』

 

 

 

 左目周りの傷跡が特徴的な青年に、半強制的に教え込まれたような武術が“竜爪拳”だった。

 革命軍に保護されて尚、天竜人の子だからと忌避の目を向けられていた中、その青年はしつこく組手の相手を所望してきたものだ。

 それを鬱陶しく思い、喧嘩同然に戦った経験は一度や二度ではない。

 その度、青年を慕う元奴隷の女や幹部が総出になって止めに入り大騒ぎになっていた。

 だというのにも関わらず、彼は自分の要件だけ押し付けるように何度も何度も───。

 

「……思い出したら、イライラしてきやがった……!」

 

 怒りをぶちまけるように、今一度足元に爪を突き立て、床の広範囲を破砕する。

 そうして散らばった破片には、全身に帯電していた電気を一気に流し込む。

 

「───“エレクトリカル・ルナ”!!!

『ぎゃあああ!!?』

 

 砕けた床を濡らしていた血同士が結びつき、足元が覚束なくなった海賊の多くへ襲い掛かる。感電した者はもれなく気絶だ。一人、また一人と金獅子海賊団の戦闘員は数を減らしていく。

 

「……まだ来やがるか」

 

 それでも未だに増援の底は尽きず、目を血走らせた海賊の波は留まることを知らずに押し寄せてくる。

 

「情けねえ奴等が!!! 相手はたったの一人だぞ!!?」

「いや、覇気使いだ!!! 舐めてかかるんじゃねえ!!!」

「だとしてのこの物量差だ!!! “覇王色”を持ってねえ以上恐るるに足らねえよ!!! 数にものを言わせて磨り潰せェ!!!」

 

 とある海賊が“覇気”について言及すれば、慄いていた者達のいくらかが気を持ち直した。中には理解が及んでいない者もちらほら見受けられるが、有識者のそれらしい説明を額面通りに受け取ったようだ。

 

「……ハッ!」

 

 それをルナは鼻で笑った。

 次の瞬間、電影が床に焦げ跡を残して消え去る。

 

「ごあッ!!?」

 

 瞳が映した光景を脳が処理するよりも早く、“覇気”を語っていた男は顔面を鷲掴みにされ、そのまま壁へと叩きつけられる。

 

「んなっ……!!?」

「は、速過ぎる……!!!」

「見聞色でも感じ取れ───ぎゃあ!!?」

 

 壁にめり込んだ男に続き、手練れと思しき海賊達も次々に暴れまわるルナの餌食となっては床へと沈んでいく。

 

「ひぁ……!!!」

 

 屍山血河と言う他ない光景に、また一人、腰を抜かす者が現れた。

 彼はたった今倒れた者達と同じく、“覇気”という概念に精通している側だ。それ故に、彼はいち早く目を覆いたくなるような絶望に打ちのめされてしまっていた。

 

(は、“覇王色”を持ってねえってことは……そりゃ、つまり……)

 

 眼前に電影が差し迫る。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!!?)

 

 そこで男の意識は、恐怖の余りプッツリ途切れた。

 

 

 

 襲い掛かる痛みを知覚するよりも前に、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あの小僧か」

 

 ノアが零した名前から襲撃者にあたりをつけるシキ。

 時と場を弁えない襲撃に不満を顔に出すのも束の間、すぐさま余興を思いついたとあくどい微笑を湛えてみせる。

 

「面白ぇ、とんだ死に急ぎ野郎も居たもんだ。───オイ、てめえら!!!」

 

 シキは血気盛んな海賊を滾らせる、ある提案を投げかけた。

 

「盃は後だ!!! その代わり、今この王宮に攻め入ってる襲撃者……そいつを殺した奴に、()()()()()()()()()()を用意してやろう!!!」

『!!!』

「早い(モン)勝ちだ!!! てめえの欲しい椅子はてめえで奪い取れッ!!!」

『オオオオオッ!!!』

 

 狂喜の雄たけびに広間が激しく揺れ動かされた。

 『次期海賊艦隊提督』───それ即ち、シキの後継者を意味する。“新世界”で幅を利かせる大規模な海賊団を凌ぐといっても過言ではない戦力を、ゆくゆくは我が物にできると告げられれば、野心的な海賊が騒がないはずもない。

 降って湧いたような褒美の話に奮い立つ海賊は、一斉に襲撃者を討ち取りに出向いていく。

 

「ま、待って!!!」

「お~っと! お前はそっちじゃないぜ、ベイビーちゃ~ん♪」

「ヤダ! 離して!」

 

 なんとか止めに入ろうとしたノアを、シキが力尽くで引き留めた。

 華奢な身を捩り振り解こうとしたところで結果は一目瞭然だ。抵抗やむなく引き摺られる。

 

「そう嫌がるな、囚われのお姫様を助けに王子様が来てくれたんだぜ~!? 折角なら特等席で眺めていようじゃねえか!」

「ッ~~~……!!!」

「ジハハ! その目、たまんねえな~!」

 

 涙を湛えた瞳で睨まれたところで、シキの嗜虐心が満たされるばかりだ。

 シキはそのまま王宮の最奥───己が座する玉座がある広間を目指す。各所に設置された電伝虫から送られてくる映像が一望できる場所でもあり、襲撃者の奮戦を観るに相応しい場所は他にはない。

 

 そして、今居る大広間から出ようと敷居を跨ぐ───その瞬間、シキの足はピタリと止まった。

 

「シロガネ」

「あいよ」

「シャクドウ」

(オウ)

 

 未だ身動きを取っていなかった部下二人へ、シキは直々に命令を下す。

 

「客人だ。てめえらも丁重にもてなしてやれ」

「承った」

「……フンッ!」

 

 意気揚々と部下の二人は歩き始める。

 

(なに……あの二人……)

 

 最後に迎撃に向かった二人の男に、ノアはそれ以前に飛び出ていった海賊との()()に戦慄していた。

 言うなれば、“格”だ。

 あの場に集まっていた海賊も全員が荒くれ共を束ねる船長であり、弱くないことは素人にも理解できる。

 

 それにしてもだ───あの二人は別格。

 無意識の内に流れ出る威圧感や風格といった類の気を感じ取っていたノアは、配下となる船長とは比べ物にならない強者であると悟ってしまった。

 

 彼らと相まみえれば、例え()でも苦戦は必至。

 もしかすると死んでしまう可能性も───。

 

(……どうして)

 

 何故彼が来てしまったか疑問でならない。

 心の傷を掘り返してしまった以上、自分に助けられる道理などない。だからこそ、最後に放っておくように叫んで伝えた。

 それでも尚、死地に等しい場にやって来た理由が、ノアにはまったく思いつかなかった。

 

 万が一にもだ。

 彼の目的がノアの救出であり、その途中で死んでしまったとしたら、その責任は誰にあるのだろうか?

 

(私の……せい……?)

 

───あの日、ローグタウンで彼を付き合わせなければ。

───ローグタウンを出立する時、待っていてもらえば。

───心が読めるなどと口外して、逆鱗に触れなければ。

 

(私の……せい……)

 

 最悪な未来ばかりが脳裏を過る。

 その度に指先からは熱が消え、心の臓を握り潰されるような苦しさが胸を襲う。

 

 すべては自分の軽率な振る舞いが起こしたが故。

 そう否定的な思考へと陥っていることを自覚しながらも、ノアは自責の念を押し殺せなかった。

 

(ルナ、お願い……逃げて……!)

 

 “血”を呪ったことは何度もあった。

 だが、今日ほど自分を呪った日はない。

 

 

 

 祈ることしかできない、自分の無力を───。

 

 

 

 ***

 

 

 

「───ォォオオオッッッ!!!!!」

 

 激震と轟音と共に巻き起こる黒煙。

 遅れて降り注ぐ気絶した海賊を飛び越え、ルナは進撃を続けていた。

 

 迫りくる海賊をちぎっては投げ、ちぎっては投げ。

 時には振り下ろされる剣を奪い取って切りつけ、時には奪ったライフルを肩に担ぐように背後に迫っていた相手を狙い撃つ。弾切れになるまで打ち尽くせば、棍棒よろしく振り抜いて、銃身が砕け散る勢いの打撃を食らわせる。

 

 まさに獅子奮迅の戦いぶり。

 しかし、相手側からすれば現状は悪夢以外の何物でもない。入口から現在位置に至るまで転がっている海賊の数は、最早数えることさえ憚られる程だ。

 

「くそぉ!!?」

「止まんねえ……止まんねえよ!!!」

「たった一人だぞ!!? それなのに……ぐぎゃ!!?」

 

 黒い刃を閃き、悲鳴を上げる海賊が地に伏した。

 こうして階層一つを丸ごと制圧したルナは、感慨に浸る暇もなく目当ての女が居るだろう場所───すなわち、海賊団の頭領が座す最深部を目指していた。

 当然、その場所に至るまでには今以上の数の手下を倒さなければならないが、ルナにとっては些事に等しい問題だ。

 

───全員ブチのめす。

 

 単純明快な意思の下、進撃する。

 彼を止められる者は、数だけが取り柄の雑兵では最早役不足だ。

 

 するとそこへ、豪奢な襖を蹴り倒す強面な新手がやって来た。

 

「居たぞ、あそこだ!!!」

「またぞろぞろ……あ?」

「次期提督の座は、おれのものだ!!!」

 

 サーベルを振り翳した海賊が襲い掛かってきた。

 これをまた紙一重で躱したルナであるが、新手の海賊は攻撃を躱されても尚狼狽せず、次々にキレのいい斬撃を繰り出してくる。

 今までの敵とは身のこなしが違う。牽制の蹴りを放ったところ、それを読んでいたかのように寸前で回避してくるのだから尚の事だ。

 

「チッ……」

「てめえみたいな若造のタマ一つで成り上がれるんなら、こんな旨い話はねえ!!! さっさと首を寄こしなァ!!!」

「何を───寄こせだ?」

「なっ……あァ!!?」

 

 だがしかし、その気勢が削がれる瞬間は早かった。

 振り下ろされたサーベルを、あろうことか素手で受け止めるルナ。

 その光景に勝利を確信した海賊であったが、続く不快な鉄の拉げる音に、ただでさえ彫の深い顔にさらに深く皺が刻まれていく。

 

 曲げられたのならまだ分かる。

 折られたとしてもまだ分かる。

 ただ、あろうことか指の凹凸に合わせて折り曲げられるとは夢にも思ってはいなかった。ジグザグに折れた刀身は、まるで最初からそうであったと言わんばかりに波打つ形に変えられてしまう。

 

「グッ……こ、こいつ!!?」

「どけどけェー!!!」

「あん? ───ぐああああ!!?」

 

 驚愕の余り立ち尽くしていた男であったが、そこへまた新たな海賊が来るや、ブンブンと振り回していたモーニングスターを投擲してきた。

 ルナはしゃがんで攻撃を躱すも、サーベルを折られた男はそうもいかない。反応に遅れたが最後、顔面には鋭い棘が突き刺さり、そのまま鉄球の大質量に押し負ける形で吹き飛ばされていく。

 

「……」

 

 屈伸した状態から立ち上がりルナは、己のぐるりを見渡す。

 畳が敷き詰められた広大な室内の東西南北に、隙間なく立ち並ぶ海賊の面々。ただし、それまで倒した雑魚とは顔つきが違う。流れ出る“覇気”からも強さは数段上だ。

 

「……雑魚が。わざわざ雁首揃えやがって」

 

 しかしながら、自分にとっては比べるまでもない実力だと切り捨て、ルナは拳を握った。

 

「オレの邪魔ァすんなら全員ブチのめすだけだ」

『……ごくっ』

「死にてェ奴からかかってきやがれ!!!」

 

 

 

「───ムォォォオオオオオッッッ!!!!!」

 

 

 

「!!?」

 

 睨み合うルナと海賊との間で張り詰めていた空気が、天井を砕いて降りる巨影によって壊される。

 ガラガラと降り注ぐ瓦礫と共に着地した人影は、見事なまでの逆三角形の肉体に敷き詰められた筋肉を膨張させた。

 

 刹那、極太の血管が浮かんだ色黒な剛腕に赤黒い色が奔る。

 まるで鎧を纏ったかの如き重厚な輝きだ。そんな腕を構えた新手は、ルナの方を向く。

 

 獰猛な笑みを湛え、野獣のような眼光を放っている巨漢だった。

 年齢を感じさせる深い皺を刻んでいながらも、赤褐色の肌の下に存在する膨張した筋肉が弛みを生み出すことを許していない。

 

「こいつ……!!!」

「るぉおおおおああああああッッッ!!!!!」

「チッ!!!」

 

 ビリビリと肌を打ち付ける覇気に本能が警鐘を鳴らした瞬間、自然とルナは床を舐めるような姿勢で伏せていた。

 巨漢が腕を振り抜いた次の瞬間、爆風と轟音が彼の背後で巻き起こる。

 すぐさま振り返れば、巨漢の前方に存在していた壁という壁が打ち砕かれてしまっていた。それでいて壁の前に立っていた者達はと言えば、

 

「ぎゃあああ!!?」

「ぐばあっ!!?」

「ご、ばっ……!!? シャ、シャクドウの叔父貴……おれ達ぁ、味方……」

 

 

「……避けられねえ雑魚が悪ぃ」

 

 

「そ、そんな……がっ……」

 

 案の定、粉々に砕かれると共に巻き込まれて沈んでいく。

 味方の被害も厭わない一撃───豪腕を振り抜いた勢いで生み出した衝撃波は、瞬く間に彼らの土俵に立つことを許されない弱者を排除したのだった。

 

 敵の数が減ったことは良しとしながらも、釈然としない感覚を覚えたルナは立ち上がり、新手の巨漢に向かい合う。

 

「……誰だ? てめェ」

「……お前が襲撃者か。ウチに喧嘩を売りに来るたァ、どんなイカれた野郎かと思えば……ただの餓鬼じゃねえか」

「答えろ、クソジジイ。耄碌してんじゃねえぞ」

「フン……口は達者だな。金獅子海賊団のシャクドウだ」

 

 全身に凄まじい“覇気”を纏う巨漢、シャクドウはそう名乗った。

 

「……なるほどな。とうとう幹部級のお出ましか」

 

 都合がいい、とルナは本人を前に口に出す。

 清々しいまでに敵意を隠そうとせず挑発的な態度も崩さない彼には、腕を組んで構えていたシャクドウもにやりと口角を吊り上げる。

 

「威勢のいい餓鬼だ。……が、口先だけの奴ならともかく、お前程の覇気使いなら寧ろ好ましいぜ」

「てめェの好き嫌いなんぞに興味はねェよ」

「お前にゃなくともおれにはある。なんせ金獅子海賊団(ここ)に一人乗り込んでくる餓鬼だ……これほどトチ狂った野郎は未だかつて見たことねえ」

 

───滾るねぇ。

 

 興奮に震える声を気炎と共に吐き出しながら、シャクドウは自身の掌に拳を打ち付けた。

 それだけで爆発のような音が響き、周囲に居た者も堪らず耳を押さえて身を縮こまらせる。

 

「ま、待ってくれ叔父貴! シキの親分は、おれ達にその野郎の始末を任せたんじゃねえのか!? あんたが先に倒しちまったら……」

「ごちゃごちゃ抜かすな。シキも言ってたろ、()()()()()()だってなぁ」

「そいつは……!?」

「提督の椅子にこそ興味はねえが、おれぁこいつに興味が出た。やり合う理由はそれで充分だろう?」

 

 直後、シャクドウの両腕が黒色に染まる。

 竜爪拳の“爪”にも用いる“武装硬化”と呼ばれる技術だ。それを容易く発動させる辺り、相手の覇気の練度は相当なものであると推測できよう。

 そんなシャクドウはと言えば、依然不満を抱いている傘下の海賊を見かねて先ほどの続きを口にした。

 

「仮に提督の椅子が欲しけりゃ、おれがこいつを殺した後でおれを殺せばいい。シキもそれで納得するだろ」

「そ、そんな……!」

「欲しいモンならてめえの力で奪い取れ。───海賊だろうが」

 

 海でのし上がってきた者にならば、誰にでも言える真理だ。

 ただし、眼前の巨漢にすぐさま同意を示せる程、力の差を理解していない者達はこの場には居なかった。

 シンッ……、と場が静まり返る。

 これに呆れた表情を浮かべたシャクドウは、『しかたねえな』とルナの方へと歩み寄った。

 

「腰抜け共はご覧の通りだ。おれらだけでやり合おうか」

「どうしててめェの指図を受けなきゃならねェ」

 

 タイマンを提案したシャクドウに向け、ルナが“竜の鉤爪”を繰り出す。

 ついさっき、王宮の壁を何枚も突き破った衝撃波よろしく、鼓膜が張り裂けんばかりの爆音が轟いた。巻き起こる暴風は呆然と立ち尽くしていた海賊を薙ぎ倒し、風通しのよくなった階層全体へと吹きわたっていく。

 

 周囲でこの被害だ。

 では、爆心地に佇む二人がどうなった?

 

「……チッ」

「イイ拳、持ってんじゃねえか」

 

 “竜の鉤爪”は、シャクドウの腹部に突き刺さるより前に、割り込まれた掌に受け止められていた。

 

「若ぇ癖に大した覇気だ。よっぽど地獄を潜ってきたかぁ?」

「知ったような口利くんじゃねェよ」

「ククク、そいつはいずれ分かることだ」

 

 余裕を湛えるシャクドウ。

 だがしかし、ルナは既に動いていた。

 

「……次もこうはいかねえぞ」

「ム゛ッ───!!?」

 

 刹那、電影と共に巨漢の姿が消えてなくなった。

 遅れて轟く雷鳴の如き殴打音。今度こそシャクドウを殴り飛ばしたルナは、振り抜いた方とは逆の手───シャクドウに受け止められていた方の手を動かしては不具合がないか確認する。

 

 次に確認したのは、巨漢を吹き飛ばした先だ。

 埃が舞い上がり、ろくに視認もできやしない。

 だが、ビシビシと伝わってくる存在感は誤魔化せない。

 

「ふぅ~~~、効いたぁ~~~……」

「……チッ」

「それなら次は……こっちの番だァアアアアアッ!!!!!」

「!!!」

 

 舞い上がった埃を振り払い、姿を現したシャクドウ。

 そのまま彼は前傾姿勢を取ったかと思えば、床が爆砕される程に踏み込み、一瞬の内にルナへと肉迫した。

 腕を交差させながら突進してくる相手に対して、ルナもまた腕を交差させて防御を取る。

 

 直後、両者は激突。

 身構えていたルナではあったが、純粋な体重差が現れたのか、やせぎすな体はシャクドウのタックルを前に浮かび上がる。

 しかも、そのままの勢いで背後にあった壁を突き破られ、次々と衝撃が背中に襲い掛かる羽目になった。

 

「ッ~~~!!!」

「おおおおおオオオオオッッッ!!!!!」

「っんの、ジジイ……ッ!!?」

 

 タックルを止めるべく、全身に電流を流して身を守るルナ。

 しかし、それも有効とは言い難く、シャクドウの猛進は止まる気配がない。

 

「ハッハァ!!!!! まだまだァ!!!!!」

「あぁ……!!?」

 

 ルナの目の前で()()が───否、()()が始まる。

 

「あ、あれは!!? まさか、叔父貴が悪魔の実の能力を……!!!」

 

 彼の変貌に観衆と化していた海賊がざわめく。

 その間にもシャクドウの筋骨隆々な肉体はどんどん変形していっている。胴体は熊へ。腕は虎へ。鼻は象のように長く伸び、口からは猪のように立派な牙が天に向かって反り立った。

 複数の動物が混じり合ったかの如き様相に、知らぬ者は困惑の余りに愕然とする。

 

「なんだ、動物(ゾオン)系か!!?」

「ああ、そうだ……!!! 叔父貴は()()した動物系能力者だ!!!」

「しかも自然(ロギア)系よりもさらに希少な幻獣種!!!」

 

 伝説を知る者は語る。

 

「その圧倒的なパワーとタフネスで暴れまわり、敵船を悪夢へと陥れた回数は数知れず……!!!」

「全身に纏った武装色から付けられた異名は……“銅象(どうぞう)のシャクドウ”!!!」

「ゾウゾウの実、モデル“(バク)”!!! それがあの方が食べた悪魔の実だァー!!!」

 

 

 

「ハァーハハハハハハッッッ!!!!!」

 

 

 

 呵々大笑しつつ猛進するシャクドウの肉体は、まさしく貘のものへと変貌を遂げていた。

 人間とは違う四足歩行となった獣型。床を踏みつける四本の脚が生み出すパワーは相当なものであり、未だにルナは突進から抜け出せない。

 

「クソがッ……!!!」

「このまま海に叩き落としてやるよッ!!!!!」

 

 王宮の端から端まで駆け抜けたシャクドウは、外へと通じる壁まであとちょっとというところまで迫っていた。

 このまま行けば間違いなく外へと叩き出される。

 しかも、勢いによっては外どころか島の外───運が悪ければそのまま海まで落ちる可能性さえあり得るだろう。

 

 そうなれば一巻の終わり。

 

「てめェの……思い通りに……!!!」

「ム、オオォ……!!?」

「なると思うんじゃねえぞ、クソがぁぁぁあああああ!!!」

 

 タックルを受け止める腕に力を込めるルナ。

 そうして腕を伸ばし、ようやく地に足をつけることができた彼は、あるだけの力を以て踏ん張ってみせる。

 靴底が摩擦で火を噴く。そうして焦げた轍を刻むばかりで大した効果も見られないのも最初の話だ。間もなくタックルの速度は衰え始め王宮の際という際に至った時には完全に殺されていた。

 

「フゥーーー……!!!」

 

 全身が放った熱を排気するように、ルナは長く息を吐いた。

 すると『やるじゃねえか』とほくそ笑んでいたシャクドウが、またもその姿を変えていく。獣型から、人の体形と獣の特性の両方が合わさった───人獣型へ。

 混然一体とした肉体を顕現させたシャクドウは、全身を武装硬化の赤黒い鎧で包み込む。

 

「そんなら次は……思う存分、殴り合おうかッ!!!!!」

「殴られんのは……てめェだけだ!!!」

 

 武装色を纏った拳が激突した。

 周囲に広がる衝突の余波も凄まじく、たったの一撃で王宮の床や壁には亀裂が走る程だ。威力もさることながら、彼らの動き自体も“新世界”の海を渡っているはずの船長ですら、目で追う事は叶わない。見聞色の覇気を用い、ようやく詳細を把握できる次元で、拳の応酬が繰り広げられていた。

 

「オ……ラァ!!!」

「ムゥ!!!!?」

 

 しかし、優勢に戦いを進めていたのはルナであった。体格差から生じるリーチの差をものともしない俊敏な動きで攻撃を躱し、無防備な箇所へと反撃を加えていく。

 既に周囲は2人が暴れる余波で砂煙や埃で巻き起こってしまっているが、故により鍛え上げられた見聞色を持つ側が優位に立つ。つまりはそういう訳だ。

 

「ちょこまかと動きよって……!!!」

「てめェが鈍いだけだろうが」

「言うじゃあ……ねェかッッッ!!!!!」

 

 周囲を動き回る相手に業を煮やし、シャクドウが両腕を振り上げた。

 それだけで暴風が巻き起こり、大技が来ると悟ったルナは距離を取ったが、

 

「離れたところで無駄だ!!! ───壊家夢(カイヤナイト)”ッ!!!!!

 

 振り下ろされる拳は床に叩きつけられる。

 すれば、シャクドウを中心にみるみる亀裂は広がっていき、ものの数秒でルナが立っていた場所までもが巻き込まれる形で彼らの居る階層が崩落を始めた。

 これには一瞬ルナも目を見開いたが、すぐさま崩れ落ちる瓦礫の位置の把握に努める。

 

「足場を崩したところで……───あ?」

 

 グラリ、と視界が揺れた。

 その瞬間、ルナの目の前に信じられない人物が姿を現した。

 

『───ルナ……』

「……コアラ……?」

『また、そうやって他人を傷つけてばっかり……やっぱり貴方、ただの人殺しだよ』

「───」

 

 この場には居ないはず女が、落下する自身を見下ろす───否、見下すような侮蔑の目を上の階層から向けていた。

 言葉を、失った。

 そんなルナの硬直を見逃すはずもなく、空中を蹴って飛んできたシャクドウが全力の蹴りを叩き込む。

 

天剃夢(アマゾナイト)”ッ!!!

「ぐ、ゥ……!!?」

 

 ろくな受け身も取れぬまま、ルナは真下の床に叩きつけられる。瓦礫と共に降ってきた白煙もまた、床一面に広がっていく。

 そんな中でふらふらと立ち上がる足も、どこか覚束ない。

 血を流す頭を抱え、ルナは眉を顰める。

 

「なんだ……今のぁ……」

『所詮は天竜人ってことか』

「……サボ?」

『力にものを言わせて他人を虐げる。所詮お前も奴らの血族って訳か』

「てめェ、どういう───」

 

 またもや不在である人間から侮辱の言葉が言い放たれる。

これにはルナも青筋を立てるが、突如として全身に襲い掛かる衝撃が、反論の言葉を許さない。

 

圧砕夢(ミロナイト)”ォ!!!

「が、ぁ゛!!?」

「どうしたァ!!!!? さっきから止まってばっかりじゃねえか!!!!」

「……っソが……」

 

 覇気を纏った豪腕に殴りつけられながらも、ルナは倒れない。

 しかし、視界が一瞬朧気になる度に、眼前には見知った顔が何人も現れては消えていく。去り際に侮蔑の言葉を投げかけながら。

 

『ちょっとー。こいつまだ生きてるー』

『生きている価値もないクズが』

『お前なんか、精々武器の的代わりにしかなれないな』

『……!!』

 

「こいつは……幻覚か……!!?」

「まだまだ行くぞォ!!!」

「うぐッ!!!」

 

 そうして仕掛けてくるシャクドウの攻撃をまんまと食らう。

 何度も何度も打ち付けられる体からは血が流れ、灼熱のような痛みが身に襲い掛かる。それでも意識を保つルナは、歯を食い縛りながら迫りくる敵を睨み上げようとした。

 

「幻覚だとわかりゃあ……!!!」

『───ルナ』

「! ドラゴン……てめェもそうなんだろ!!!」

『血には逆らえんな。()()()……お前を救うべきではなかった』

「ッ───」

 

 それでも、胸の中の“何か”が二の足を踏ませる。

 その瞬間、凄絶な拳の嵐が降り注ぐ。

 

暴雨夢(ボーナイト)”!!!

 

 無防備な肉体へ無慈悲に叩き込まれる殴打、殴打、殴打───。

 青年が辛うじて立つ場所一帯を破砕しながらも止まない暴力の光景に、上の階層から観戦していた海賊は生唾を飲み込んだ。

 

「す、すげェ……あの野郎をああも一方的に!」

「だが、なんだってあの小僧は棒立ちなんだ?」

「そいつが叔父貴の能力さ……!」

 

 疑問に答えるように口を開いた男へ視線が集まる。

 すると彼は『見ろ』と床に充満している白煙を指差した。

 

「あれが見えるか? ───“白夜夢(ホワイトナイト)”。あれを吸っちまった人間は、たちまちに夢の世界に引きずり込まれるのさ」

「な、なんだって!!?」

「まあ、夢は夢でも悪夢の方だがな……ああなったら最後。相手は起きることも許されず、永遠の眠りに就くって寸法よ」

 

 そう語る男の強張った笑みには、白煙を吐きながら拳を振るうシャクドウの力への尊敬と残忍さへの畏怖がありありと滲み上がっていた。

 催眠ガスを吸い昏倒した相手に悪夢を見せて隙を生み出す。

 その間隙を突く形でシャクドウの超絶としたパワーが突き刺されば、大抵の相手は起き上がることもできずに永眠───つまり、死に至る。

 

「どれだけ強い人間だろうが、眠ってる間は無防備……」

「ひひっ、叔父貴も容赦ねえ~……!!!」

「まあ……相手にとっちゃ、眠ってる間に死ねることだけは幸いか?」

 

 最早、シャクドウの勝利は揺るがないと確信する一同。

 そんな彼らの声を聞き取ることもできないルナは、今尚夢と現実の狭間を行き来していた。

 しかし、傍目からすれば満身創痍甚だしい様子だ。

 荒い呼吸を繰り返す彼の瞳は、虚ろとしか言いようがなかった。あと数発も喰らえば死は免れない。

 

 

 そんな時、聞こえてきた。

 

 

「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」

『───ルナ……』

「……!」

『ねえ、こっち見てよ』

「……お前……」

 

 

 声に呼ばれて顔を上げる。

 瞬間、ルナは呼吸を忘れた。

 

 眼前に立つ人影───それはノアだ。

 だが、それだけならばこれほどまでに動揺などしない。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿でなければ───。

 

 

『ねえ……どうしてもっと早く来てくれなかったの?』

「……」

『ルナが助けに来てくれなかったから、私……もう死んじゃうよ?』

「……」

『なんとか……言ってよ……』

 

 そう言って血か涙も分からない液体を目元から流すノアは、ゆっくりとルナへと歩み寄り、ポスンと額を胸に当てるように頭を埋めてきた。

 

『私死にたくないよ……』

「ッ……」

『死ぬのが怖いよ……!』

「お、前」

『だからね、ルナ』

 

 ゆっくりと面を上げたノアは言い放つ。

 

 

 

『───私と一緒に死んでよ』

 

 

 

「───……」

 

 ルナの呼吸は、その瞬間に死んだ。

 胸に埋まる幻覚を見下ろす瞳は、次第に焦点が合わなくなっていく様は、まるで彼の心に合わせて揺れ動いているかの如く。

 

 棒立ちで無防備を晒す青年の下へ、無慈悲な獣と化した巨漢が肉迫する。

 

「そろそろ終いにしてやるッ!!! 捥夢(モガナイト)”!!!!!

 

 豪腕に比例して巨大な掌が、刈り取るようにルナの顔面を襲い掛かった。

 並みの相手ならばそのまま頭部が体と泣き別れになる一撃。

しかしながら、ルナの頭部は刈り取られず、受け止めた衝撃のままに後頭部から床に叩きつけられるに留まった。

それでも致命的だ。後頭部にあれだけの衝撃が加われば、意識を失っていてもおかしくはない。

 

 だが、それでもルナは立ち上がってきた。

 

「フンッ!!! 頑丈な餓鬼だ。その根性は認めてやる」

「……」

「だがなぁ……勝たなきゃそいつに価値はねえッ!!!!!」

 

 巨躯に見合わぬ俊足で駆けだしたシャクドウが、鉄拳を握って振りかぶる。

 

「おめえ如きの力を持った奴等はこの海にうじゃうじゃ居る!!! 力も最初はただの力だ!!! 勝ちを重ねてこそ価値を得る!!! 負けて死んじゃあ何も得られねえ!!! この世はそういう形にできてるんだよッ!!!」

「……」

 

 未だ青年は微動だにせず、迫りくるシャクドウに振り向きもしない。

 

「富! 名声!! 力!!! そいつらすべてを手に入れたと囃し立てられてたロジャーも、結局最後は処刑されて死んだ負け犬だ!!! おめえがどんな大層な野望抱えてここに来たかは知らんが……おれに負けりゃあ、全部水の泡だ!!!」

「……」

「なんも為せねえまま、ぶっ潰れやがれェェェエエエエエッッッ!!!!!」

 

 豪腕が鉄槌の如く振り下ろされる。

 そして、死に体の青年を一山いくらの肉塊へ叩き潰す───はずだった。

 

「……“竜爪拳”」

「起きたか! だが、もう遅───」

(りゅう)……逆鱗(げきりん)”!!!!!

「お゛ッッッッッ!!!!? ~~~~……!!!!?」

 

 振り下ろされる豪腕を潜り抜け、懐に潜り込んだルナ渾身のカウンターがシャクドウの“核”に突き刺さった。

 覇気と筋肉の鎧を貫き、内臓や骨を砕くような衝撃と流れる覇気がシャクドウを突き抜ける。これには彼の顔面に嫌な汗が浮かび上がり、口からは多量の血が吐き出された。

 

「お、おめぇ……!!!」

「……ここ最近、気ィ緩んでやがったな……」

「あぁ……!!?」

()()()()()()()()()()()()()たぁ……()()()()()()()()()()()だ」

 

 クソが、と吐き捨てるルナは口の端から流れる血を手の甲で拭う。

 そうして苦悶の表情を浮かべるシャクドウを睨み上げる。

 

「もっとも……浅ェ眠りで夢に魘されねえ分、寝覚めは良かったかもしれねえがな」

「ッ……フン!!! そうかい、寝ながら反撃たぁ随分器用な真似しやがる……」

 

 ルナの打開策は、至って単純であった。

 思考が悪夢に気を取られているから無防備を晒す。ならば、肉体は肉体の反射に任せて攻撃を仕掛ければいい。

 口にした通り、ここ最近は共に行動していた女のせいで寝つきが良かった。

 以前ならば寝込みを襲われて死にかけた経験があることから、如何なる状況でも浅い睡眠に留め、急襲されても無意識に反撃を繰り出していたというのに───。

 

「馬鹿言うな。おかげで殺し損ねた」

「ククク、言うじゃあねえか……!!!」

「で? もう一回眠らせるか? 次は確実にぶっ殺してやるよ」

「いいや、止めだ」

「あ?」

「───睡生夢死(すいせいむし)悪魔夢(ナイトメア)

 

 眠りを誘う白煙を吐きながら頭を振ったシャクドウに、ルナは怪訝な声を上げる。

 すると次の瞬間、シャクドウの巨体が複数に増殖していくではないか。

 

「……こいつも夢か」

「ああ、そうだ。だが、ただの悪夢じゃあねえ。おめぇの夢の中……そこにおれの魂が入り込んだ」

「なんだと?」

「おれが見せる夢はおれの思うがままさ。だからこんな芸当もできる」

 

 ルナを取り囲むように増殖したシャクドウが並ぶ。

 その圧巻で壮観な光景を前にし、ルナは目を細める。

 

「……夢ン中で殺し合いか。そいつが悪夢ってか」

「誰にも邪魔されねえリングにゃあちょうどいいだろ」

「で、数に任せてリンチと。負け犬の考えそうなことだ」

「まあそう言うな。もっと面白えこと教えてやるからよ」

 

 勝ち誇ったような笑みを浮かべるシャクドウは、各々の攻撃の構えを取り、一斉に語り始める。

 

「ここは夢の世界だが、不思議な特性があってな」

「ここで喰らった傷は現実の肉体にも反映される」

「つまり、ここで死ねば現実の肉体も死ぬって寸法さ」

「だが横槍はねえ。安心しろ」

「夢の中は現実の時の流れとは違う」

「いくらやり合ったところで、現実で過ぎる時間は一瞬だ」

「眠りゃあ二度とは目が覚めねえデスマッチってワケだ」

 

 しかし、条件は相手側が圧倒的に有利。

 多勢に無勢を強いられるルナだが、その表情に変わりはない。依然目の前の現実へ睨み上げるような視線を向けるばかりだ。

 

「……つまり、てめェら全員やれば話が早ェってワケか」

「! ……あぁ。おめぇの言う通りだ……」

「そうかよ」

 

 ルナは全身に電光を纏う。

 触れるもの全てを切り裂く電撃は、それだけで刃にも鎧にも成り得る万能の武具。加えて覇気も纏えば、如何に武装色の覇気の使い手であっても突破は容易ではない。

 

「……ようやく体が温まってきた。こっから電圧(ボルテージ)上げてくぞ」

「ほう……そいつは楽しみだぁ……!!!」

「楽しむ暇なんぞくれねェぞ、老いぼれが。死にぞこないらしくとっとと往生しろ」

「まったく、ツレねえな。それだけ力がありゃあ殺し合いもやれることも多いだろうに。随分夢のねえ餓鬼だ」

 

 呆れたようにシャクドウが拳を構える。

 対するルナは、

 

 

「夢なんぞ……見てェ奴だけ見りゃあいい」

 

 

 ギラギラと、瞳に炎を宿していた。

 それはけっして、夢を見ることを諦めた人間の浮かべるそれではない。

 

 夢と呼ぶには暴力的で、野望と呼ぶには小さく純粋な。

 そんな目的への熱を迸らせる青年に、シャクドウは自然と太い笑みを浮かべてしまっていた。

 

「……それもそうだ。勝った方が我儘通せる。それには違えねえ」

「ああ……じゃあ、死ぬのはてめェだ」

「馬鹿言え。勝つのは……このおれだァ!!!!!」

 

 二匹の獣は爪を、そして、牙を剥く。

 

 

 

 夢幻泡影の死合いは、()()()()()()()()()()

 

 

 

 ***

 

 

 

「お……おい。あの二人、急に動かなくなったぞ?」

 

 観客席と化した上層階より覗き込み海賊が、ピクリとも動かないルナとシャクドウの姿を見て呟いた。

 戦況が膠着している訳でもないのに、と各々が怪訝な顔を浮かていれば。

 

「ぐっ……!」

 

 ルナの体が大きく揺れた。

 何とか膝に手を置いて踏み止まったものの、全身に浮かぶ痣を見る限り、少なくないダメージを負っていることは間違いない。

 今にも倒れそうな中、それでも睨み上げる彼の前では、止まっていた時が動き出したかのようにシャクドウが動き始める。

 

「クククッ……」

「……」

「大した野望も持ってねえ餓鬼がよぉ……───完敗だ!!!!!」

 

 

───ボキボキボキャバキバリバリバリバコンッ!!!!!

 

 

 直後、想像を絶する音がシャクドウの全身から鳴り響く。

 音と共に全身が大きく踊る彼の体には、みるみるうちに痛々しい打撲痕や裂傷、果てには火傷が浮かび上がり、悪魔の実の能力でもないにも関わらず異常な変形を始めた。

 骨という骨が明後日の方向に折れ曲がった後は、体内から何かが弾けるような破裂音が響き、笑みを湛えた口元から夥しい量の血液が溢れ出す。

 

 文字通り血の滝を吐き出したシャクドウは、そのまま大きく体を仰け反らせ、地響きを鳴らしながら床に大の字で寝転んだ。

 それからは微塵たりとも動く様子は見せない。まるで眠ったように、天井を仰ぐ形で転がり続けている。

 

 それを一瞥したルナは、口に滲んだ血を吐き捨て、上層階に居る観衆同然の海賊を睨み上げた。

 

「ばっ……馬鹿な!!? シャクドウの叔父貴がやられただと!!!」

「あんな化け物、おれ達が敵うかよ!!?」

「狼狽えるんじゃないよ!!! あれだけ疲弊してりゃあ、アタイ達にだって……?」

 

 眼下で電光が閃いた瞬間、彼らは突如として背後に現れた気配に首を傾げた。

 

「「「……は?」」」

 

 雷鳴が轟いたのは間もなくの出来事。

 

「あっ……あっ……」

「……フンッ」

 

 白目を剥いて全身を痙攣させている海賊を後目に、ルナはさらに上の階を目指す。時折襲い掛かってくる海賊を叩きのめし、階段の一段一段を踏みしめるように。

 

「……」

「お、来たかい」

「てめェ……」

「それにしても驚いた。まさかシャクドウを出し抜いてくるたぁな。やるじゃあねえか、若いの」

 

 そうして上った先に、また一人、何者かが床に胡坐を掻いて佇んでいた。

 白髪を総髪に結い、左目に眼帯を付けた老人。しかし、歳を感じさせぬ精悍な顔立ちからは、離れていても精強な覇気が伝わってくるようだった。

 

「……またジジイか。ここは老いぼれの溜まり場か」

「ンッンッン! 酷い言われようだ……が、案外違いねえかもしれんなあ」

「デカブツは返り討ちにしてやった。次はてめェの番だ」

「そう焦るな。生き急いだところで得られるものは何もないぞ」

「ぼちぼち寿命でお陀仏する野郎が何言ってやがる」

「こりゃ手厳しい。まあ、一先ず名乗らせてもらおうか。おれは金獅子海賊団のシロガネ……昔は“銀狼(ぎんろう)”の名で通っていたこともあるモンでさぁ」

 

 白髪の老爺───シロガネはカラカラと笑いながら自己紹介を済ませる。

 それが一層神経を逆撫でしたのか、ルナはゆるりと構えを取った。

 

「……いつまでも老いぼれの話に付き合ってる暇はねェ。さっさとそこを退け」

「フム……そんなにあの娘さんが恋しいか?」

「……居場所知ってんのか。だったら───」

「やめておけ。あの娘はお前さんの手に余る」

「……あ?」

 

 シロガネの言い草に、ルナが殺気立つ。

 

「どういう意味だ、この……」

「まあ待て、こりゃ親切心だ」

「親切心……だ?」

 

 思わぬ単語に眉を顰めるルナに、おどけた態度で対応するシロガネは弧を描いた口を開いて語る。

 

「お前さんが知ってるかどうか、あれは“海賊王”……つまり、ロジャーの娘さんさ。ロジャーの関係者と言やぁ、かつて海軍が躍起になって殺して回ったほどのもんでさぁ。とある南の島じゃ、新生児を皆殺しにしてでもロジャーの血縁を絶とうとしたこともある」

「……それがどうオレに関係する」

「あの娘さんは堂々と表の世界じゃ生きられん。そういう宿命さ。無理に平和な世で生きて行かせるよりも、巨大な力の傘の下に居る方が幸せに生きていける」

 

 そうシロガネは説くが、青年の反応は芳しいものではない。

 

「つまり、何を言いてえ」

「諦めろ。ここまで辿り着いたことは立派だと褒めてやるが、それでも死にに来たようなもんだ。お前さんが死ぬのは、あの娘さんにとっても本意じゃないはずさ。無駄に野垂れ死にするより前に、おとなしく故郷にでも戻ることだ」

「故郷だ?」

 

 刹那、辺り一帯の空気が凍てついた。

 全身が総毛立つような寒気───それがルナが無意識の内に迸らせた殺気の類であると理解するシロガネは、おどけたように手を挙げる。

 

「おっと、あまりいい思い出がなかったかい? そいつは済まんなぁ」

「てめェに気遣われる謂れはねェよ」

「まあまあ、老婆心というやつだ。ここはひとつ、生まれ故郷の名前でも教えてみろ。お前さんの気が晴れる話の一つでもしてやれるかもしれない」

「あぁ? てめェに教える義理は───」

「教えてくれれば、娘さんの場所を教えてやらんこともない」

「……」

 

 逡巡するルナ。

 しばし思案顔を浮かべていた彼だが、生まれ故郷の名前でノアの居場所を聞き出せるなら、と思い至るや早かった。

 

「───“箱庭”」

「! 成程……そいつぁ」

「教えてやった。次はてめェの番だ」

 

 返答を急かすルナに、シロガネはクツクツと喉を鳴らす。

 

「よし……いいだろう。あの娘さんはシキの傍だ。恐らく今頃、最上階にでも居るだろう」

「そうかよ。じゃあな───」

「まあ待て」

 

 先を急ごうとしたルナだったが、突如過った予感に首を傾ける。

 すると間もなく頬から一筋、赤い線が伸びていった。

 

 見聞色にて回避したから良かったものの、間に合わなければ顔面を貫いていた一発だ。シロガネの手元を見れば、いつのまにやら握られていた銃の先から煙が上がっている。

 狙いもさることながら、凄まじい早撃ちだった。

 銃という良くも悪くも弾速が似たり寄ったりな武器である以上、他人と差別化できるのは出だしの速さだ。そこで相手に気取られぬ内に狙いを定め、引き金を引く速さは驚異と呼ぶに値するだろう。

 

「てめェ……」

「ンッンッン! 話の一つでもしてやると言ったろうに」

「いらねえ。これ以上邪魔するなら……」

「いやはや、“箱庭”の生まれとは……道理だな。お前さんの世の全てを憎悪するような怒りを湛えた目も」

「……」

 

 一段と場を満たす殺気が研ぎ澄まされていく。

 肌を突き刺す覇気は、最早痛いくらいだ。少しでも気を緩めば肌を超えた先にある筋肉が強張り、硬直した瞬間を狙うように獣が牙を剥いてくるだろう。

 しかし、それを理解していながらもシロガネの口は止まらない。顎に生えた無精ひげを撫でる姿は無情なまでに落ち着いていた。

 

()()()()()()()()()か。悪趣味な天竜人が、身籠らせた女と使い終わった奴隷を一緒にぶち込む町があるたぁ聞いてたが……まさか生き残りが居たとはな」

「……てめェが何を知ってやがる」

「ンッンッン! 知ってるも何もあそこの()()は一度耳にすりゃあ二度とは忘れまい」

「あぁ?」

「正しく生き死にを懸けた鬼事! “子”は天竜人に孕まされた母子で、“鬼”は天竜人が憎くて堪らねえ元奴隷と来た! 欲をかいた権力者の純真の方が恐ろしいたぁ言うが、それが人間のドス黒い悪意を理解してるとなりゃあ、もう手がつけられねえ!」

 

 シロガネが語る間にも、ルナの纏う空気はどんどん剣呑なものと化していく。眉間に深々と刻まれた皺こそ、まさしく彼が味わってきた地獄の深さを示している。

 

「───もう、黙れッ」

「抱かれた女も同じ被害者。なのに、奴隷だった奴らは天竜人憎しでそいつの子を孕んだ母子を諸共殺して回る。孕ませた張本人が、それを酒の肴にしてるってのも知らずにな……」

「知ったような口を利くんじゃねえよ……!!!」

「気ぃ悪くしたか? だが事実だ。現に今の“鬼”は───お前だ」

()……だと?」

 

 突き付けられた言葉に、一瞬目を見開いたルナ。

 しかし、背後より迫りくる気配を察知し、俊足を以てその場から離れる。すれば先ほどまで立っていた床には複数の弾痕が穿たれた。

 

「チッ!!!」

「そいつも避けるかい。大したもんだ」

「不意打ちかましてこのザマたァな!!!」

「耳が痛いねぇ」

 

───なら、これならどうだい?

 

 そう呟いたシロガネが両手に握った銃を構えた。

 銃口は真っすぐルナの方を向いている。これだけ距離を取っていれば、見聞色を使わずとも銃口の方向を把握するだけで回避は容易い。

 激情に駆られながらも冷静に観察を続けるルナは、素早い動きで壁を駆け上がりながら、相手の狙いをかく乱する。

 

「速いねえ。逃げ足としちゃあ一級品……イキのいい獲物だ」

「言ってろ!!! 今すぐその喉笛、ズタズタに掻っ切ってやるよ!!!」

「わかってないねぇ……獣が狩人に勝てる道理はねえだろうがよ」

 

 発砲音が響く。

 だが、しっかりと射線を見切っていたルナは動じることなく、最小限の動きで弾丸を避けてみせる。

 そしてシロガネの下へと迫らんと、足に力を込めた。

 

「っ!!?」

 

 その瞬間、反響して聞こえる弾丸の音にすかさず身を捩った。

 直後、どこからともなくやって来た弾丸が服を貫き、皮一枚を捲り上げる。寸前で回避が叶ったからこそこれだけの負傷で済んだが、間に合っていなければ体に風穴が開いていただろう。

 最初に発砲して以降、新たな弾は撃っていない。

 周囲に人の気配もない以上、どこからか狙撃されたとも考えにくいだろう。

 

「……跳弾か!!?」

「どうだい? おれの腕は」

「掠らせたぐらいで……調子にノんじゃねえ!!!」

 

 否定しないシロガネに警戒しつつ、ルナは壁の一部を強引に抉り取った。

 手頃なサイズの弾を手に入れた彼は、強肩を存分に生かした投擲で離れた場所のシロガネを狙撃する。

 だが、すかさず銃声が轟いたかと思えば、壁の一部だった破片はバラバラにより細かく砕け散った。

 

「ンッンッン……お前さんのような手合いは相手に近づいてナンボだろう? だが、わかっていて近寄らせる程、おれも老いぼれちゃあいねえ」

 

 銃口から硝煙を薫らせるシロガネは、そう言うや両手に持った銃の引き金を立て続けに引いていく。

 

 ただの牽制かと思えば、そうではない。

 まるで回避した先をも予知しているかの如く、跳弾の軌道さえも計算し尽くされた弾丸の悉くがルナの行く手を阻む。

 ただ避けるだけではいずれ致命的な一発が襲い掛かってくる。

 そう悟ったルナは握ったナイフで弾丸を叩き切り、あるいは刃の側面で滑らせて攻撃をいなしていく。

 

 その姿を見たシロガネの口元が弧を描く。

 

「───ホントにそれだけかい?」

「……あ?」

 

 ボッ!!! と鳴り響く音。

 時を同じくして肩を突き抜ける衝撃が、ルナの体を大きく揺らす。

 

 何事かと左肩に目を向ければ、焼き付いた服の穴から覗く肉に風穴が開いていた。

 間もなく溢れ出す血を見た瞬間、ルナは自身の体温が奪われていく感覚を覚える。

 

「ッ……!!?」

「ほれ、まだまだ行くぞ」

「っんのジジイ……!!!」

 

 読み違えたか?

 そんな考えが脳裏を過るルナは、より迫りくる弾丸に神経を集中させる。

 一発たりとも見逃さない気概で張り巡らされた見聞色の覇気を前に、シロガネが放つ弾丸の雨は降り注ぐ。

 止まっていればいい的だ。最低限───それでも並みの人間では負いきれない速度で───動き回りながら、ルナは謎の着弾の正体を探る。

 

(……こいつは)

 

 そうすれば見えてくる。

 

(弾と弾がぶつかって軌道が───!!?)

 

 絶妙な角度で触れ合う弾丸が、壁や天井に当たるより前にその軌道を変える光景が。

 あくまでルナの死角となる位置で行われていた神業に驚愕しながらも、今度こそ軌道を見切った彼はナイフを構える。

 

()が油断するべきじゃあないなぁ」

 

 そう呟くシロガネの言葉に無駄な意識は割かず、最終的に迫りくる軌道の弾丸をいなす体勢に入っていたルナ。

 だがしかし、眼前に迫っていた弾丸は突然()()()()()()で軌道をずらし、彼の右太腿を貫いた。

 

「あ゛……!!?」

「ほうら。だから仕留められる」

「くっ……!!!」

「ンッンッン! 久しい感覚だろう……? おれは“追う側”、お前さんは“追われる側”だ。一秒でも長く生き永らえたきゃあ、命を賭して足掻くことだ!」

 

 余裕綽綽に告げたシロガネだが、その態度に嘘偽りはない。

 次々に放たれる弾丸は確実にルナを追い詰めていく。どれだけ軌道を読み、直撃コースから身を退けたところで、不自然に屈折する軌道の弾丸は肉体を着実に削っていく。

 加えて、貫かれた肩と腿から流れる血がいけない。長時間かければ、それだけ失血して不利を強いられる。

 

 シロガネの未来予知染みた先読み射撃を回避するには、常に全力で動き回っていなければならない。

 しかし、そうしていれば傷口から流れる血の量も増える進退窮まった状況だ。

 

(さっさとケリつけねェとな……)

 

 にもかかわらず、やけに冷静なルナは活路を見出さんと集中する。

 呼吸こそ荒いが、汗は一滴も流れていない。全身に穿たれた銃創の痛みに対しても少しばかりを顔を歪めるばかりで、全力疾走については差し支えがないと言わんばかりの俊足は依然発揮していた。

 

「……」

 

 それに対し、怪訝な顔を浮かべるシロガネ。

 思案しつつも発砲を続ける彼は、緒戦から覚えていた違和感に探りをつけ───とうとうその正体にあたりを付けた。

 

「お前さん、まさか……そうか! こりゃ面白い……!」

「ハァ……ハァ……」

「───()()()()()()()()()()()()()?」

「……っ……」

「ンッンッン! 隠さなくてもおれにはわかる」

 

 わかりやすく途切れたルナの息遣いにシロガネは含み笑いする。

 

「体が発熱してるのに汗をかけねえのは、無痛症って病の症状だ。名前の通り痛みに鈍いのもな」

「……」

「酷いストレスが引き金でさぁ……その分じゃ他の五感があるかも怪しい。目が見えねえわ耳が聞こえねえわで苦労すると聞いたぜ? 匂いも嗅げなきゃ味も感じられねえで、飯を食う楽しみもねえ。歳食って感覚鈍くなるのとじゃあ、その差は天と地ほどもある」

「じゃあ」

「『なんでオレがてめェの話を聞き取れるんだ?』ってか? おおかた覇気で鈍くなった感覚を補ってるってとこだろう」

「……チッ」

 

 今まさに口に出そうとしていた言葉をそっくりそのまま先に言われた。

 図星だ。まんまと言い当てられたルナは、仕切り直しにとシロガネから距離を取り、彼にとって死角となる壁の陰へと隠れた。

 

「今更物陰に隠れたところでな! まあいい、ゆるりと追い詰めてやろう……」

 

 卓越した見聞色の覇気使いを前には、死角に隠れても気休めにしかならない。

 それをわかっていながらもルナは物陰で一息吐く。徐々に歩み寄ってくる気配に注意を払う間も、彼自身には知覚できない灼熱が全身を迸っている。

 そんな熱に浮かされたからだろうか。予断を許さない状況だというのに、脳裏にはある日の思い出が過っていた。

 

 

───『う~ん! 衣はカリカリだし、中も脂がジューシーでおいし~!』

───『湯がいた木の欠片食ってるみてェだ』

 

 

───『えー!? 冷たくて美味しいのにィー! 暑い日にぴったりだよ?』

───『熱かろうが冷たかろうがオレには関係ねェよ』

 

 

───『いつまでもアイスの匂いつけたままにするのもあれだし……』

───『別に気にしちゃいねェよ』

 

 

───『ねぇ、ルナはどっちの色が好き?』

───『色なんざわからねえからどっちでもいい』

 

 

「……馬鹿正直によ……」

 

 忌々し気に吐き捨てるルナは、肩から流れる血を掌に溜める。

 そうして出来上がった水鏡ならぬ血鏡は、様々な感情が綯い交ぜとなった青年の顔を寂し気な白黒に投影していた。

 

───いつからだっただろう。

 

 思い出したくもない過去を振り返れば、次第に理由がわかってきた。

 

───味に文句をつける余裕もなかったから、自然と味覚は切り捨てられた。

───死臭が絶えない町で暮らしていたから、自然と嗅覚は切り捨てられた。

───浴び続けられる罵詈雑言に疲れたから、自然と聴覚は切り捨てられた。

───尚も見える悪怒の形相に辟易したから、自然と視覚は切り捨てられた。

───痛みを感じた隙に殺されてしまうから、自然と痛覚は切り捨てられた。

───それでも絶えぬ悪意の嵐に、いずれ他人の機微にも鈍くなっていった。

 

「……ハァ~……」

 

 ようやく自覚した。

 ()()()()()()()()、と。

 

 しかし、そんなことは今更だ。

 確かに五感は狂っている。目は世界を白黒で曖昧に映し出すことしかできず、耳も必要最低限聞き取るだけの聴力しか備えていない。

 それでも生きる為に必要だったと割り切っている以上、己が狂人であるかはほんの些細な問題にしかならない。

 

───必要なら、狂人にでも鬼にでもなってやる。

 

 一つの決意を胸に、ルナは掌に溜まった血杯を煽る。

 失った血を補う為に必要な行動だ。とはいえ、飲み干した直後の顔はとても人に見せられるものではなかった。

 

「───ぶはっ! ……温ィ」

 

 火照った体を冷ますには至らず、ルナの口からは『鉄臭ェ』や『不味ぃ』と続々に不満の声が漏れ出る。

 

「最悪の気分だ。ふざけやがって……」

 

 血塗れのまま握った拳で額を押さえ、悩ましい現状から逃避しようと目を瞑れば……やっぱり聞こえてくる声があった。

 

 四六時中隣に居て騒ぐものだから、忘れようにも忘れられない。

 その声も、その顔も。

 無意識の内に“不必要”を切り捨てる世界で生きる中、無遠慮に、そして無神経に顔を覗かせた太陽のような笑みが───焼き付いて離れない。

 

「……暑い日にピッタリ、か」

 

 あの日、転んだ少女に譲られたアイスはどんな味だったのだろう。今になって気になって堪らない。

 

 本当なら自分が口にするはずだったのに。

 

「……うだうだしたところで始まらねえな」

 

 そう自分に言い聞かせるや否や、あろうことかルナは自ら物陰から飛び出した。

 これにはシロガネの目も点になったが、あくまでもそれは演技だ。

 驚いたような表情こそ浮かべてみせるが、頭の中ではルナの一挙手一投足を先読みしている。

 

 こうして姿を現すのも織り込み済みと、ちょうど装弾を終えたシロガネが余裕を湛えた笑みを浮かべた。

 

「おっと、もう降参かい?」

「抜かせよ」

「諦めの悪い……たしかにあの娘さんはめんこいが、そこまでこだわる理由もないだろう。探しゃあ同じぐらいの別嬪はごまんと居る。わざわざ海賊王の娘なんて厄ネタ、侍らす柄でもないだろうに」

「……あぁ、そうだな」

「だったら───」

「けど、そいつが今オレが退く理由にはならねえだろうが」

 

 憮然と言い放つルナに、シロガネが口を一文字に結ぶ。半ば予想していたとはいえ、呆れたと言わんばかりの表情だ。

 

「……フム、そうかぁ。おれぁてっきりお前さんのこと、夢を見られない人種だと思ってたんだがなぁ……」

「とんだ節穴だな。残った方も抉り取ってやるよ」

「おぉ、怖い怖い。それなら抉られる前に、お前さんの(タマ)……───頂戴するとしようか!」

 

 神速の御手で構えられる銃。

 その引き金が、今、引き絞られた。

 

 

 

 

 

竜爪拳───(りゅう)の”!!! “衝撃(しょうげき)”!!!!!

 

 

 

 

 

 銃口より迸る弾丸……を、叩き潰す圧縮された空気弾が、シロガネの背後で爆散した。

 頬に掠ったのか血を流すシロガネは、滴り落ちる前に焼けた銃身で傷口を焼く。ジュウ、と肉が焼ける嫌な音が奏でられるが、至って当人は平然と───むしろ面白いと言わんばかりにほくそ笑んでいた。

 世の中には指で弾丸の如く相手を撃ち抜く超人や、振るった刃から斬撃を飛ばす剣豪が居る。

 

 だがしかし、今の一撃は“暴君”と呼ばれる王下七武海の一角を髣髴とさせる一撃だった。

 

「やるな。いや、それよりも……()()()()()

「若い女無理やり侍らかそうとする不感ジジイとは違ェんだよ」

「ンッンッン! 言うだけのことはある」

 

 背後の壁が壊れた際の煙に取り囲まれるシロガネであったが、不意の彼の周囲で異変が起こる。

 まるで風の流れが変わるかのように煙が渦巻いたかと思えば、瞬く間に無数の銃身が姿を現した。すぐさま風に吹かれて消えるかと思いきや、いつまで経っても一向に消えない煙が形を成した銃に、答え合わせが済んだルナは得意げに鼻を鳴らす。

 

「てめェも能力者だったワケだ。()()()()()()なんてまどろっこしい真似しやがる」

「策を弄してこその狼よ。ああ、そうさ……ウテウテの実の“発砲人間”。そいつがおれの正体だ」

超人(パラミシア)系……“覚醒”してやがるな」

「明答」

 

 悪魔の実の能力者は、まれに“覚醒”と呼ばれる段階(ステージ)へ到達する。

 動物系ならばより強固で頑健な肉体を得られ、自然系ならば天変地異の如き天災を巻き起こし、超人系ならば自分以外の物体にも能力の影響を波及させられる───といった具合だ。

 “覚醒”に至るには極限にまで能力を鍛え上げる研鑽を必要とするが、“海賊王”と同じ時代を生きた猛者ともなれば能力が“覚醒”に至っていたところで何らおかしい話ではない。

 

「おれの“空銃(エアガン)”を初戦で見破ったのは……そうだなぁ。生き残った奴だけで言えばレイリーぐらいか……」

「ジジイの昔話なんざに興味はねェ」

「ンッンッン! そう言ってくれるな……この高揚感、あいつに抉られた目が疼くようだ……!」

 

 さっきとは打って変わって獰猛な笑みを湛えるシロガネ。

 慣れた手つきで撃鉄が起こされる。すれば、宙に並んでいた空気を押し固められた銃も、一斉にルナの方へと照準を合わせた。

 

「油断なぞしてくれるなよ。折角のおれの銃も温まってきたところだ……心ゆくまで命のやり取りを愉しみたい……!」

「……なら、次の一撃で終わらせてやるよ」

「ほう……言うねぇ」

 

 シロガネの細められた目には、ナイフの柄を摘みながら振りかぶった体勢を取るルナの姿が見える。

 その黒く染まった刀身に、一瞬感嘆するような吐息を漏らした。

 だが、すぐさま思考は切り替えられる。

 

 青年が明言した以上、次の一撃で決着がつく。

 それ以外に意識を注ぐなど不要。全神経を目の前の獲物の一挙手一投足へと向けることで、研ぎ澄まされた覇気が、やがて眼帯の裏に鮮明な未来絵図を浮かび上がらせる。

 

───それは紛れもなく、“未来予知”という領域。

 

 相手の感情や気配をより強く感じることができる見聞色の覇気。それを極限まで鍛え上げた者のみ至れる極地である。

 あくまで視えても数秒先までというごく短い時間だが、そこまで辿り着いた者は須らく強者であるからして、けっして無視できる要因ではない。

 

 数秒先の未来を読めるからこそ、シロガネも正確無比な射撃と弾道計算により、純粋な速力で勝るルナに対し優位を保てていたのだ。

 だが、その恐るべき真価はシロガネが集中すればするほど、より先の未来を視通せるという点に尽きる。

 

 今こうしている間も深く研ぎ澄まされていく見聞色の覇気は一秒、また一秒と先の未来へ足を踏み入れる。

 

(お前さんがいつ動き出すかなぞ、手に取るように判るぞ……)

 

 かつては世界一のガンマンとも謳われたシロガネだ。

 その早撃ち技術は老いさらばえても尚、最高峰と言って差し支えのない代物である。

 

 刻一刻と、勝敗の天秤はシロガネの方へと傾いていく。

 

 

 

 

 

───1秒先。

 

 

 

 

 

 まだ、動かない。

 

 

 

 

 

───2秒先。

 

 

 

 

 

 高鳴る心音。

 

 

 

 

 

───3秒先。

 

 

 

 

 

 引き絞るには早い。

 

 

 

 

 

───4秒先。

 

 

 

 

 

 生温い風が吹く。

 

 

 

 

 

───5秒先。

 

 

 

 

 

 鉄の……いや、血の臭いだ。

 

 

 

 

 

───6秒より先は、視えなかった。

 

 

 

 

 

「───……っ!!!!!」

 

 未来の啓示を受けて()に引き戻されたシロガネは動いた。

 来たる運命より逃れるよう、なりふり構わずその場から離れるように飛び退きながら、己にとって剣であり盾でもあった全ての銃の引き金を引いた。

 連なるように鳴り響く撃鉄と瞬く砲火は、今という今まで静寂に満ちていた空間を突き破り、黒鉄の口から多くの牙を剥いてみせる。

 

 それだけで避ける隙間も逃げ場も与えない確殺の一撃と成り得る───はずだった。

 

 しかし、現実は未来を追い越す形でやって来る。

 全ての銃弾がただ一人の獲物の肉体を食い破る直前、眩い雷光が閃いたかと思えば、横薙ぎの電撃が凶弾の悉くを叩き落したのだ。

 竜の尾を髣髴とさせる一撃。

 ほんの一瞬ばかり顕現した竜が姿を消す。すれば、視界には振り抜いた足を地に下ろすルナの姿がある。

 

 直後、シロガネの背より大輪の花が咲いた。

 真っ赤な真っ赤な血濡れの花弁。

 彼の胸を貫いた血の弾丸が心の臓を食い破って咲かせた、まさしく散華であった。

 

 大きな花を咲かせた()は、やがて力を失って地に落ちる。

 そうすれば決着より遠く離れた場所に、一点の赤い染みが浮かび上がった。

 

「───がふっ……」

 

 心臓と背骨を貫かれたシロガネは膝から口からは間もなく鮮血が垂れ流れる。

 

「ごほっ、がはっ……ハァ……!!!」

 

 胸に手を当てたところで、流れる血は止まらない。

 急速に冷えていく体の感覚に最期を悟ったシロガネだが、最早肉眼には捉えられない雷速で迫りくる電影との勝負に打って出た。

 

 まだだ。まだ戦える。

 己の“命”すらも“弾”だと叫ばんとする気勢にて、最後の一発と誓った弾丸にありったけの覇気をつぎ込む。

 当たれば間違いなく致命の一発。鈍い輝きを放つ弾丸は、赤黒い稲妻と共に銃口より迸った。

 

───間違いない、直撃コースだ。

 

 予知せずとも、長年の直感がそう報せたシロガネはほくそ笑む。

 対して最短距離で接近しようとするルナ。すなわち、真っすぐ迫ってきた彼に最早避けるという選択肢は存在しない。

 全身全霊全速力で肉迫する。不退転の思い一つを胸にした彼は、たとえ命を賭した弾丸を前にしても退くことはない。

 

 

 

 だからこそ、押し負けぬようにと固く握った拳を突き出す。

 

 

 

「───“鬼瓦正拳(おにがわらせいけん)”ッッッ!!!!!」

 

 

 

 激突する正拳と弾丸。

 共に超絶とした武装色の鎧を纏った一発であり、衝突して数秒間、拮抗した双方が生み出す衝撃波によって周囲の壁や床は悲鳴を上げていた。

 

 しかし、それも長くは続かない。

 明滅する覇気の稲光、その片方から輝きが消えていく。

 刹那、武装硬化していた鉛玉より光沢が消え失せ、ぶつかっていた拳の表面で歪に潰れていった。

 

 これで最早阻む壁は何一つとして存在しない。

 一歩分前へ突き出された正拳が虚空を叩く。

 魚人空手の真髄は周囲の水の制圧であり、“鬼瓦正拳”は中でも奥義に分類される究極の技。故にルナの拳は周囲の水分を伝播する形で、王宮全体を揺るがす強力な衝撃波を生み出すに至った。

 その渾身の一撃を前に、少しばかり距離を取っていたところで逃げられる由もない。

 ただでさえ致命の傷を負っていたシロガネは、全身の骨肉を殴りつける衝撃にとうとう膝をついた。狭窄する視野こそが残る命運だと悟った彼は、最期に自分から勝利を奪い取った青年の方へ目を向けた。

 

 ルナは血でしとどになった真っ赤な肩の傷口を、電熱で赤熱と化したナイフで焼いて止血している。

 まるで予定調和だったと言わんばかりの淡々とした作業風景だ。

 ナイフはブラフ。

 本命は他でもない……自分の身から流れ出でた血であった。

 

───先に()()()()()()()のはお前さんの方かい……。

 

「自分の血で“撃水(うちみず)”とは……これは、一本取られたな……」

「……おかげさまでな」

「ンッンッン……! にしても、未来が視えたところで体が追いつかんとはなぁ。今日ほど歳を取りたくないと思った日はない……」

 

 未来が視えても対処できなかった理由は至極単純。

 未来を視たシロガネが動き始めた瞬間こそがターニングポイントであった。その時点で数秒後に訪れる未来は改変される訳だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、それに尽きる。

 シロガネが6秒から先に視ていた未来は、秒針が一つ進むより短い時間の中で始まり、そして終わりを迎えた戦い───そこは分岐点ではなく、終着点であったという訳だ。

 

「……悔しいなぁ……」

 

 切実に、シロガネは口にした。

 

「だが……満足のいく決着だ。差し引きゼロってところか……」

「言ってろ。オレにとっちゃ何もかもマイナスだ。てめェを負かしたところで得なんざねェ」

「言ってくれる……だがまあ、お前さんにしてみれば道理だ」

「あ?」

「平凡な生活ってのをゼロにしたら、お前さんの人生はマイナスそのもんさ。並みの幸せってモンさえ、ろくに味わえちゃいねえ。ずっと地の底を這いずり回ってきたはずだ……」

 

 挑発とも受け取れる言葉。

 しかし、それを事実だと他人事のように納得するルナは、静かに耳を傾けていた。

 

「地の底から這いずり上がったって、()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前さんはきっと、その途中なんだろうなぁ……」

「……勝手に決めつけんじゃねェよ」

「……まあ、自分じゃあわからねえだろう。ましてや、“鬼”のお前さんにはな」

 

 聞き覚えのある言葉に、無意識に眉間の皺が深くなったルナが問いかける。

 

「……どういう意味だ」

「そのままさ。人間の“狂気”と……そして“悪意”が生み堕とした復讐の“鬼”!!! そいつが今のお前さんだ……!!!」

「っ……」

「恨みと怒りをその身に宿し、お前さんは何を為す……? あの娘さんを……鬼の血を引く彼女を救う気か……!!? ……いいや、やめておけ……!!! お前さんの手は、また違う“鬼”を生み堕とすだけだ。あの子の傍には居てやれない……!!!」

 

 希望などない───そう青年を奈落の底へと突き落す語気でシロガネは語った。

 僅かに垣間見える葛藤は、眼前の青年に対する欠片程の同情が生み出した良心だろうか。

 

「お前さんは親近感を覚えているんだろう……? 確かに似ている。確かに憎まれている。だが決定的に違う……」

「……なにが」

「お前さんは───()()()()()()()()()()()()

 

 頬が、ピクリと強張った。

 ルナは口を結び、静かに紡がれる言葉を受け止める。

 

「愛されたことのない人間は、人の愛情を受け入れる器が育たない……子供の頃から謂れのない憎悪ばかりを浴びてきたお前さんは、人を憎むことはできても愛するなんて高尚な真似はできやしない……! それが現実だ……!」

「……」

「もしもお前さんがあの子の幸せを望んでいるのなら、今の内に手を引いておけ……。お前さんには、それだけの器がない……心の“鬼”がきっと邪魔をする!!!」

「───だとしてもだ」

 

 ようやく、彼が口を開かいた。

 それまで固く結ばれていた口は、延々と胸の途中で引っかかっていた靄を、やっとの思いで言葉という形で吐き出される。

 

「“鬼”だろうが何だろうが、邪魔をするならぶっ飛ばすだけ」

「っ……!!!」

「オレもその内だとすりゃあ、そん時はそん時だがな」

「……お前さん」

「ただし、答えはあいつから直接訊き出す。それだけは誰にも邪魔はさせねェ」

 

 だから行く、と。

 歩み出すルナは、それ以上シロガネに耳を貸す素振りを見せず、囚われの身である女の下を目指そうと踵を返す。

 

 誰にも止められない───否、誰にも止められなかった青年は、ひたすらに進む。

 その姿には何者にも曲げられない“芯”を感じさせた。地獄を生き、死と隣り合わせの人生を過ごしてきたとは思えない程の、真っすぐで在ろうとする姿勢。

 これにはシロガネも、問いを投げかけざるを得なかった。

 

「……なら、最期に一つだけお聞かせ願おうか」

「なんだ」

「ここまでしてあの娘さんにこだわる理由……そいつはいったい何だい?」

 

 きっかけは容易に想像がつく。

 だからこそ、彼の答えが聞きたかった。

 

「……大した理由じゃねェよ」

 

 ただ、とルナは言葉を繋げた。

 

 

 

「『信じてる』って……言われたからだ」

 

 

 

 他人を信じられない世界で生きてきた。

 己しか信じられない世界で生きてきた。

 

 だからこそ、だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()彼女の言葉は信じられる。

 そう思ったからこそ、彼の足が止まることはなかった。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 ただ一人残されたシロガネは、広がる血の海に膝を着きながら、心底愉快そうにくつくつと喉を鳴らす。

 

「フン……言っても無駄だったか。まあいい、いつの時代も年寄りの言葉は無視されるモンだからなぁ……」

 

 自分もいよいよ無視される側に回ったかとしみじみ実感しながら、握っていた拳銃の弾倉を覗き込んだ。

 一発も残っていない弾倉であるが、霞みつつある視界は、その深淵の奥に燃え上がる天火を幻視する。

 

「なぁ、シキよ……おれ達ぁひょっとすると、起こしちゃならねえ竜の逆鱗に触れちまったみてえだ」

 

 口にする言葉は、数十年来の戦友へと向けた警告。

 そして、これから始まる激動の時代を予知した上での、好奇に弾んだ夢語りであった。

 

 

 

「地の底這いずり回っていた竜が、今にも天を目指して昇ろうとしてるぜ……!!!」

 

 

 

───精々、気ぃつけるこった。

 

 

 

 浅い息遣いが途切れた。

 それより先の未来は視えることはなくなったが、視えたところで意味もない。

 

 

 

 視えた未来を変えられるとは、あの青年が身をもって証明してみせたのだから。

 

 

 

 

 ***

 

 

 

───扉の奥から近づいてくる音がする。

 

 

 

『こんなところまで来たか、この死にかけの馬の骨が!!!』

 

 

 

───喧噪と共に、足音が近づいてくる。

 

 

 

『だが、これ以上先には行かせんぞ!!! “ケミカル・ジャグリング”を食らえっ!!!』

 

 

 

───いや、少しだけ違う。

 

 

 

『ピ~ロピロピロ!!! ……んなっ、まだ生きて……!!?』

 

 

 

───これは歩み寄ってくる音だ。

 

 

 

『ならば……“マス・ジャグリング”を───ぐおああああっっっ!!?』

 

 

 

───もう一度、歩み寄ろうとする“声”だった。

 

 

 

 刹那、仰々しい大扉が破壊された。

 扉を背中側から突き破って現れたピエロ然とした科学者は、ほぼ正反対に居座っていたシキの背後にあった壁に激突する。

 

 直後、科学者の男は瓦礫と共に床に崩れ落ちてくる。

 そうして舞い上がる砂煙を鬱陶しそうに払うシキは、倒れた科学者の名を呼んだ。

 

「……Dr.インディゴ」

「す、すみません……シキの親分……」

 

 『負けちゃいました……』とだけ口にして、Dr.インディゴは白目を剥いた。

 側近である科学者の敗北に、シキは面白くなさそうに眉を顰める。それもそのはずだ。本来ならば玉座に悠々と襲撃者が討ち取られる様を愉しもうとしていたというのに、気づけばほとんどの部下や配下は返り討ち。ほとんど壊滅と言って差し支えのない状況だ。

 

 今日は長い年月を費やした計画発動の前夜祭。

 ほんの余興であった一方的な処刑ショーも、いつの間にか、金獅子海賊団の存続をかけた一大決戦へと移り変わっていた。

 

「チッ……腹立たしいぜぇ……!」

 

 気を落ち着かせようと咥えた葉巻も、そのほとんどが燃えカスへに変わっていた。

 それだけの時間が経っていた───否、それだけの時間で自分の海賊団が壊滅させられようとしている。

 

 この事実にシキは、己が内に宿る激情を燃え上がらせるしか、刻一刻と苛烈さを増していく怒りの発散のしようがなかった。

 

 

 だがしかし、それ以上に怒る“竜”が一匹。

 

 

 

「……ようやく、知った面が見えてきやがった」

 

 

 

 天に佇む王の間へ、足を踏み入れた。

 

 

 

「───ルナ」

 

 

 

 崩れた扉の瓦礫を蹴り飛ばし、不遜な態度で青年は現れる。

 体のあちこちが血みどろで傷だらけの姿は、どう取り繕ったとしても無事とは言い難い。元々痩せぎすな体躯も相まって、その痛々しい様は見るに堪えないにも程がある。

 

「どう……して……」

 

 想像していなかったと言えば、嘘になる。強引に来ようものなら、相応の傷を負ってくると。

 

 その結果が、あのザマだ。

 

 顔を覆い涙を堪えるノアを前に、ルナは沈黙を保つ。

 無言のまま、ただただ目の前を睨みつける。それが自分に向けられるものなのか、はたまたシキへと向けられるものなのか。様々な感情が綯い交ぜとなり、グチャグチャとした心中のノアには、彼の心の“声”を聞き取ることさえままならなかった。

 

「お取り込み中失礼するぜ」

 

 そんな時、柏手が打ち鳴らされる。

 

「一先ず……ここまで来たことを誉めてやろう。おれの王宮へようこそ」

 

 歓迎するぜ、と告げるシキ。

 しかし、その言葉から不機嫌そうな色は抜けてはいない。今にも爆発しそうな激情を抑え込んでいる───そう言わんばかりに張り詰めた声音だった。

 

「随分とお疲れみてえだが、おれ達のオモテナシはどうだった? 満足できたろう?」

「……あぁ。準備運動にはちょうど良かった」

「そうか、そいつぁよかった」

 

 睨み合う両者より漏れ出す覇気に、ノアの体が強張る。

 まさしく場違いな雰囲気に今すぐ逃げ出したい気分に駆られるものの、たかが自分一人の力で逃げられるなどとは毛頭思っていない。

 とはいえ、今更ルナに頼るつもりもないノアはどう現状を打破するかで頭がいっぱいだった。

 

 そんな時、シキがノアの背中を叩くように押した。

 

「ところで、お前ぇの目的はこいつだろ? ───いいぜ、くれてやる」

「え……?」

「おれ様のところまで辿り着いた褒美だ。助けに来たんだろう?」

 

 余りにもあっさりと解放するシキに、ノアは思わず拍子抜けしてしまう。

 だが、そうそう旨い話もあるまい。すかさずシキの心の“声”を読み取ったノアであったが、その表情はみるみるうちに強張っていく。

 

「どうした? 行ってやりな。王子様のお迎えだぜ、ベイビーちゃ~ん♪」

「……っ」

「それとも……()()()()()()()()()()()()()()?」

 

───よくもぬけぬけと。

 

 ノアの胸に抱いた思いは、シキの謀略に対する軽蔑。

 

 心を読めると知ってか否か、筒抜けの思惑は嫌というほど鮮明に残酷な未来を想像させる。今もこうして立ち竦んでいる間にも、シキは嗜虐心に満ちた笑みを湛えていることだろう。

 

 死の予感に震えるノア。飲み込む生唾さえ、今や乾いて口に無い。

 そうした彼女の肩を抱き寄せるシキは、離れた場所に立っている青年にも聞こえるよう、溌剌とした声を上げた。

 

「ジハハハハ! 行きたくねえってんならハッキリ言ってやるんだな! わざわざここまで来てご苦労だが、余計なお世話だったってなぁ!」

 

 これは部下と配下を潰されたシキの意趣返しなのだろう。

 青年が身一つで金獅子海賊団に攻め入った理由はただ一つ、ノアという女が居るからだ。

 

 当たりを付けるとするならば、彼女の救出が無難なところか。

 

───なれば、その前提を覆してやろう。

 

「どうなんだ、ベイビーちゃ~ん?」

「っ……!」

 

 シキが求めている答えは一つ。

 そして、命運を握っているのもこの男。

 

 間違った答えを口にすれば、その瞬間に未来は消えてなくなるだろう。

 

(……よしっ)

 

 覚悟は、とうに決まっていた。

 取るべき命がどちらかなど、最初から問題ではない。

 

「───どうして、来たのっ」

 

 だからこそ、突き放す。

 傷だらけの体───自分の罪から目を逸らさず、震えた唇で言葉を紡ぐ。

 

「ほっといてって言ったのに……!!!」

 

 これ以上、彼を傷つけられない。

 その一心で、必死に自分の願望を押し殺す。今更慣れたものだ。そう考えていた理性とは裏腹に、心の深く深くへと追いやっていた願望は姦しく喚き立てる。

 

───うるさいなぁ、静かにしてよ。

 

 喚き立てる願望を抑えつつ、ノアはルナの傷を指して言い放つ。

 

「そうなるって……わかってたから……!!!」

 

 控えめに言っても満身創痍。彼の姿を見るだけで、全身に血を送り出している心臓が痛んで仕方がない。

 自分が生まれたばかりに。頭に過るのは、そんな自己中心的な考えばかり。

 だとしても痛みを刻まなければ、この命は許されない───自ら擦り込んでしまった価値観が、自罸的な人生を強制していた事実は、ノア自身も理解していた。

 

───これが、()()()()()()()

 

 それでも許されない。

 誰にも許してもらえない。

 己を偽って生きてきた自分に、他人に愛される資格はない。惜しまれて死ぬ資格もない。世界中から恨み辛みを吐かれながらの死がお似合いだと諦観していた。

 

 

 

()()()……()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!!」

 

 

 

───嘘だ。

 

 

 

 ずっと胸に秘めていた願いを押し殺すように、ノアはあらん限りの声で叫ぶ。

 ボロボロと堰を切って溢れ出す大粒の涙。それは今日まで隠していた願いの大きさに他ならない。

 人殺しと罵られて故郷を追いやられたあの日、ただの少女だった彼女は助けを求めるということができなくなった。

 

 自分にその資格はない。

 ただでさえ、生まれてくる為に多くの命を犠牲にしたというのに。

 その上でまた他人を犠牲にしようだなんて、厚かましいにも程がある。

 もしもそれで誰かが死んだとして───その時、誰かの助けになることで存在価値を認められようとしていた自分も同時に息絶える。

 

───死にたくない。

───生きていたい。

 

 それは本来、同じ願いであるはずだった。

 だが、過去の経験から自分を戒めることにより矛盾する二律背反の願いは、こうして今のノアを苦しめている。

 

 

 彼女の心もまた、幼い頃の傷跡に囚われたままだった。

 

 

「それなのに……どうしてっ……!!!」

「……勘違いすんじゃねェ」

「……え?」

 

 長い沈黙を破るルナ。

 その顔にはノアに拒絶された絶望など、微塵も浮かび上がってはいなかった。

 

「思い上がんじゃねェよ。オレはてめェを連れ戻しに来た訳じゃねェ」

「じゃ……じゃあ、なんでっ……!!?」

「金」

「……かね?」

「さっさと返せ。馬鹿女」

 

 呆れるような眼差しを向け、呆れるような声色で言い放つ青年。

 予想だにしなかった言動。加えて至極真剣な表情ときたものだ。これには思わずノアも目が点になり、口もぽっかり開いてしまう。

 すると彼はあごひもを首に掛ける形で持参した麦わら帽子を掲げてみせる。

 

 間違いない───自分の物だ。

 いや、彼に買ってもらった物と言った方が正しいか。

 確かに彼に貸してもらった金は返せていない。だからと言ってあまりにもあんまりな理由だ。

 唖然と驚愕と悲痛、様々な感情がグチャグチャに混ざり合った顔は、きっと酷く歪んでいることだろう。堪らずノアは自分の顔を手で覆い隠す。

 

 

「そ……それがっ、ここに来た理由……?」

「当たり前だろうが。寝ぼけたこと言ってんじゃねェぞ」

 

 

───嘘だ。

 

 

「ばっ、馬鹿……馬鹿馬鹿馬鹿、本っ当に馬鹿!!! そんなことの為に来たって言うの!!?」

「あぁ」

 

 

───嘘だ。

 

 

「死んじゃうかもしれないのに……!!? 貴方はお金の為に命を懸けられるって、本当に言ってるの!!?」

「……あぁ」

 

 

───嘘だ。

 

 

「わ……私が、死んじゃってたら……無駄になってたかもしれないのに……」

「その時はその時だ」

 

 

───噓だ。

 

 

「じゃあ……もしも私が死んでたら……最悪それでも良かったってこと……?」

「しつけェな。野垂れ死んでたらその時だっつってんだろうが」

 

 

───嘘だ。

 

 

(……()()()()

 

 安心した、とノアは安堵の息を漏らした。

 今の短い間にも、彼の心の“声”は痛い程に伝わってきた。聞いていく内に胸は良心と後悔に締め付けられ、自然と目尻からは涙が零れ落ちる。

 それまでにさめざめと流していた涙とは違い、温かな熱に溢れた一滴。零してなるものかと口角を上げるノアは、文字通り()()()()()一歩前へと踏み出した。

 

「……わかった。色々言いたいことはあるけど……まずはごめん」

「あぁ?」

「私……ルナと一緒には行けないや」

「……今更そんな勝手、通じると思ってんのか? 意地でも連れ戻してやる」

「勝手だってことはわかってる! だから、ごめん。……それでも行けないのっ」

 

 震えた声を紡ぎながらも、必死に笑顔を取り繕うノア。

 後に佇むシキはニヤニヤと悪辣な笑みを浮かべている。着々と自身の思惑が進んでいる事実への満足だろう。

 

 ノア自身、掌の上で踊らされているとはわかっている。

 だがしかし、譲れない一線を守る為には仕方ないことだと自分に言い聞かせた。

 

(私が今できること……それを尽くさなきゃ)

 

 たとえ無様な最期を晒したとしても、彼の傷が浅く済むのなら本望だ。

 

「私ね……死にたいんだ」

「……で?」

「だから、助けてもらわなくて構わないし、ここで死んだって“くい”はない。お金のことは……その帽子をあげるから許してくれない?」

「いるか、こんなもん。うだうだ言ってねェでさっさと……」

「だったら、今ここで私を殺してよ!!!」

 

 劈くように鋭い叫びが反響する。

 悲鳴にも似た声音に眉を顰めたルナが目の当たりにした光景は、祈るように拳を握る怯えた女の姿だった。

 

「……どういうつもりだ」

「そのままの意味だよ!!! お金が欲しいんでしょ!!? でも、私は持ってない!!! だったら、この命で払ってあげるから!!!」

「ふざけんな。てめェの命にそれだけの価値があるって言うのか?」

「そ、れはっ……!」

 

 痛い部分を突かれて思わず口籠るノアだが、負けじと言い返す。

 

「だったら、サンドバックにでもなんでもしてよっ!!! 覚悟ならできてる!!! 貴方の気が済むまでどうしてくれてもいい!!!」

「……いい加減、」

「死にたいんだよっ!!! ずっと、私は殺されたかったの!!! 殺されて許されるならそれでいい!!!」

 

 癇癪のように喚き立てるノア。

 これにはシキも次第に怪訝そうに小首を傾げるが、彼女の希死念慮を形にした言葉が止むことはない。

 

───もしも、自分がすぐに死ぬとして。

───助けに来た彼に心の傷を残さない方法があるとしたら。

───それは、自分に救われるだけの価値がないと思わせること。

───嫌われることには慣れている。

───憎まれることにも慣れている。

───あとは、それをやり遂げるだけだ。

 

 

───すべては、彼の為に。

 

 

 自己満足の義務をやり遂げようと必死になればなるほど、枯れたと思っていた涙は堰を切って溢れ出す。

 ───辛い。

 ───苦しい。

 愛されたくて生きてきた彼女にとって、自ら嫌われようとする真似は、今にも胸がバラバラに張り裂けそうだった。憎々しい言葉を利く口も、次第に唇が震え、喉を締め付けられるように声量もか細く移り変わっていく。

 

「死ぬんだよ、私は!!! 誰かの言いなりになるぐらいなら死ぬって決めたの!!! 貴方が来てくれたところで、私が死ぬことに変わりはない!!! そういう運命なの!!!」

「……お前」

「どうしても殺してくれないって言うんなら、さっさと帰って!!! 私は……!!!」

 

 

「───嘘吐いてんじゃねェよ」

 

 

 核心を突く言葉に、ノアの呼吸が止まった。

 その間にも辟易した面持ちのルナは、ダメ押しの一言を口にする。

 

「そんなこと宣うガラじゃねェだろ」

「だって……!!!」

「死にたいとか殺せとか、どんな心算だか心変わりだか知んねェが……もうウンザリだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ~~~……!!!」

 

 虚を突かれるとはこのことか。

 先ほどとは別物の感情が込み上がるノアは、嗚咽を漏らしながら膝をつく。愛らしい顔立ちも、今や涙と鼻水でグチャグチャだ。とても人に見せられるものではないと、今度は腕全体で顔を覆い隠した。

 

「わたし……っ!!!」

「これ以上ふざけたこと喚くんなら、そん時はぶん殴ってでも連れ戻す。そいつで帽子はチャラにしてやるよ」

「……連れ戻しに来た訳じゃないんでしょ?」

「……オレじゃねェ。あのガキの頼みだ」

「……そっか」

 

 強情なのは、お互い様だった。

 

 このままではいつまでも経っても互いに一歩も引かないと悟ったノアは、諦めたように穏やかな笑みを湛える。

 

「でも……やっぱり一緒には行けないや」

「オイ……」

「それとね……シャオには謝っておいて」

「あ?」

「あと……一個だけ」

 

 触れ合った心に一つの確信を覚えるノア。

 彼女がルナへと向けた笑顔は、まるで憑き物が落ちたような清々しいものであった。

 

 後の憂いは欠片ほどもないと。

 そう言わんばかりの笑顔を前に訝しむルナへ、彼女は最後となる願いを言い残す。

 

 

 

「ルナは───そのままで居てね」

 

 

 

 笑顔を浮かべるノア。

 その背後で───紫電が閃いた。

 

 

 

 ***

 

 

 

───今だ。

 

 そう直観したシキは、足代わりの刀剣を振りかぶる。

 標的は無論、目の前に立っている海賊王の娘だ。心の“声”を聞き取れる彼女には筒抜けであろうが、それでいい。むしろそれが狙いであったと言っても過言ではない。

 青年の下に送り返す気など毛頭ない。

 そして、彼を拒絶させて手元に帰ってきたところで生かしておくつもりもなかった。

 

───襲撃者(ルナ)を徹底的に絶望の淵に堕とす。

 

 シキの頭にあった考えは、そればかりであった。

 東の海壊滅の為に招集した戦力を潰された怒りと恨みは深い。本当ならば今すぐにでも自らの手でズタズタに切り刻みたいところだが、グッと我慢する。

 

───折角ならば、胸が空くような余興を愉しみたい。

 

 ノアに心の“声”を読ませ、思惑を筒抜けにして彼女の覚悟を踏み躙ることは手始めに過ぎない。所詮、彼女はたまたま見つけた拾い物だ。元より計画には入っていない以上、処分したところで痛手は被らない。

 そこで、青年の目の前で殺すことに決めた。

 助けようとした人間が目の前で殺される───その瞬間の絶望に沈んだ人間の顔は大層な見物となろう。

 

 シキの剣に迷いなどない。

 ましてや、標的はあの海賊王の娘だ。恨みはあっても、情けを掛ける理由など一つもない。

 

(さぁ……おれに無様な死に面を見せやがれ!!!)

 

 女に避ける実力なんてものはない。

 所詮は口ばかりの偽善者だ。海賊王の血を引いたが為に壮絶な道程を歩み、自己愛が欠落したような言動を見せた点においては十分に楽しませてもらったが───潮時だ。

 

 風前の灯火を、吹いて消そうとする。

 

 

 

 

 

「───舐め腐ってんじゃねェよ」

 

 

 

 

 

 その瞬間、シキの(あし)に衝撃が走った。

 

「なにっ……!?」

 

 凄まじい衝撃に剣は振り抜かれずに終わる。

 部屋中に木霊する甲高い金属音。何かしらの金属が激突したとは想像に難くなかったが、何よりもシキが驚愕したことは、

 

(女が……消えた!!?)

 

 見聞色の覇気は使っていなかったとは言え、完全に自身の肉眼が捉えられる速度を逸脱するような形で、一組の男女の姿がどこかに消える。

 すぐさま気配を探る───その直前に、声は聞こえてきた。

 

「……ルナ?」

「何抜かすかと思えば……要領得ねェこと言いやがって」

 

 先ほどまで女が立っていた場所とは離れたところに、スパークを迸らせるルナの背中が在った。ボロボロの両腕には共に姿を消したノアが抱きかかえられており、泣き腫らした顔こそ覗き見えるものの、これといった傷を受けた様子は見受けられない。

 困惑したノアは、頻りにまばたきをしてはルナの顔を覗き込む。

 今見ている光景が現実か、はたまた死ぬ寸前に見る幻覚か区別がついていない様子であった。

 

 こうしている間にも、窮地を脱したルナは抱えていたノアをそっと下ろす。

 そうして地に足が着いた瞬間、ようやく彼女は自分が生きていると理解し始める───彼に救われたという事実も。

 すると、途端に足から力が抜けて膝をつく。

 寸前でルナが腕を滑り込ませて支えはしたものの、未だに生きている事実を実感できていないのか、その足は小刻みに震えている。

 

「……嘘……なんで……」

「……オレがてめェらの思い通りになると思ったら大間違いだ」

「ルナ……」

「こっち向け」

「え?」

 

 言われるがままルナの方を向くノア。

 次の瞬間、視界が闇に包まれる。

 

 まるで、()()()()()()()()()()()()()感触。

 しかし、それよりもだ。

 

「いっ───痛たたたたたたたあだだだだだっ!!? 痛い痛い痛いなになになにィー!!?」

 

 目の前が何も見えない中、こめかみに常軌を逸した圧迫感が襲い掛かる。

 このまま頭蓋骨を握り潰されるのではないか? というレベルの激痛は間もなく頭蓋のみならず全身へ波及する。再び過る死の予感。これにはノアもさっきとは打って変わったように仰々しい悲鳴を上げる。

 終わったのは数秒後。

 ようやくアイアンクローらしき圧迫から解放されたノアは、余りの痛みに自分の体を支えることもままならず、緊張の糸が切れたと同時に後ろのめりに倒れ込んだ。

 

「痛い……痛いよぅ……!!!」

「さんざ人のこと振り回した礼だ」

「だからってぇ……!!!」

「あと、そいつ」

「……え……?」

()()()()

 

 何を指して言っているのかと、一先ず視界を覆う物体を取り上げる。

 その瞬間目にした物に、ノアの瞳は大きく見開かれた。

 

「これ……」

 

───麦わら帽子。

 

 持ってくる為に、自分には想像もできない───それこそ地獄のような苦労をしたであろう一品。ここまでくる間に数多の死闘を経てきたにも関わらず、大した傷も見受けられない。

 それをあろうことかアイアンクローと共に覆い被せてきた青年は、今一度帽子を手に取るや、今度こそしっかりとノアの頭へと被せてみせた。

 

「二度となくすな」

「ルナ……」

「気に入ってんだろ? じゃあ、大事にしろ」

「っ! ……ゔんっ……!!!」

 

 下唇を噛みながら頷くノアは、帽子のつばを掴んで下げる。

 そうして目元を覆い隠す彼女だったが、さらに下を流れゆく涙までは隠せない。そう時を待たずして、今度は嗚咽が響き始めた。

 揺れ始める彼女の体は、やけに小さく、そして弱弱しい。それまで見せていた気丈な姿が嘘のようだった。

 

「……」

 

 まるで小さな子供が物陰に隠れて涙を流すような姿。

 それを目の当たりにしたルナは今までにないほどに深く息を吸い、そして、吐き出した。

 

 すると彼は、徐に両手を彼女の肩へと乗せる。

 傷つけないように、そっと、優しく。

 精一杯慮るように、恐る恐ると触れてみる。

 ノアもじんわりと伝わってくる体温に、えっ、と声に成り損なった吐息を零す。

 

 共に言葉に出来ない時間。

 それでも口にしなければ伝わらない。

 彼女のように心の“声”も読めず、機微にも鈍いと自覚するルナは、ようやく腹を括った。

 

「───訊きたいことがあって来た」

「え……?」

「正しい力の使い方が云々って話ん時……お前、自分のことになった瞬間言い淀んでたろ。そいつは……お前が海賊王の娘だからか?」

 

 息を飲む音が聞こえる。

 それは他でもない───ノアの答えだ。

 

「……そうか」

 

 口にこそ出されてはいないが、肩に置いた掌に伝わる震えが、何よりも如実に彼女の心中を訴えてくる。

 

───やっと、理解できた。

 

 今までのすべてに納得がいったルナは、静かに目を伏せる。

 そして、

 

 

 

「───お前は、悪くねェ」

 

 

 

 心に思った言葉を、そのまま口にした。

 

「…………………………え?」

「オレはお前の親が誰かなんざ心底どうでもいい」

 

 『興味なんてねェ』と、そう切り捨てた。

 思いもしていなかった言葉に呆然とするノアは、手から力が抜けた所為か、帽子のつばを離してしまう。

 

 そうして露わになった瞳の中には、一人の青年の顔が映し出されていた。

 覗き見えた表情は奇しくもあの時の彼女と一緒───共感と同情が綯い交ぜとなった、哀れみに満ちた悲痛なもの。

 

───押し殺していた心を取り戻し、やっと彼女へ寄り添うことが叶った。

 

 それを喜ぶでもなく、沈痛な面持ちを見せまいと顔を伏せるルナは、そのまま言葉を紡いぎ、そして伝える。

 

「お前がなんかした訳じゃねえだろうが」

「ル、ナ……」

「開き直れよ、胸を張れ。そんで……()()()()()()()()

「……!!!」

「そっちの方がお前らしい」

 

 言い聞かされる言葉の数々に、感極まるノアは嗚咽を漏らす。

 それは紛れもなく、過去から現在に至るまで誰かに言ってほしかった言葉であった。

 

 

(ううん、違う)

 

 

 宥められて落ち着いてきたノアは、頭を振った。

 的確に傷ついた心を慰める優しい言葉に、妙な違和感を覚えたからだ。いや、親近感と言い換えてもいい。

 

 

(この言葉は、多分)

 

 

 彼の境遇を思い返し、そこで理解に至った。

 心の“声”を聞かなくても、自分の胸に訊けばわかる話だった。

 

 

(きっと、()()()()()()()()()()()───)

 

 

「でも……っ!!!」

 

 弱弱しく胸を叩きつけるノア。未だに割り切れないものがあると言わんばかりに、目の前の青年へ抗議の意思を表した。

 

 その拳をそっと手に取るルナ。

 か細い腕だ。これでは到底重いものを持ち上げられそうにない。彼女の言わんがする考えを先んじて読み取った彼は、自分なりの優しい言葉を掛けようと努めた。

 

「……他人の罪なんか背負おうとすんな。そんな器かよ。それこそ思い上がるんじゃねェ」

「だって……たくさん人が死んだんだよっ!!? 私の代わりに……罪のない人が、たくさん……!!!」

「そいつは海軍のせいだ。お前が殺した訳じゃねェ」

「だからって、無関係とは言えないよ!!! 生まれてくるはずだった赤ちゃんから、その子と会うのを楽しみにしてたお母さんまで……色んな人が犠牲になった!!! 私が居たばっかりにたくさん人が悲しんだ!!! それを無視して私だけが生きるなんて……!!!」

 

 それはずっと誰にも言えなかった、自分だけの弱音。

 

 

「申し訳なくて……堪らないの゛っ……!!!」

 

 

 だから、守られる資格ないと。

 ルナの胸へ顔を埋めながら、彼女はそう訴えかけた。

 

「……」

 

 胸の中で泣きじゃくるノアを前に、ルナは何も言えず押し黙る。

 しかし、優しいが為に抱え込む彼女を宥めるよう、そっと震える頭を撫でた。これが正しい力なのか───撫でられた思い出もない手つきは酷く探り探りだ。

 それでも彼女に寄り添おうと努める。

 傷だらけなのはお互い様だ。自分が心を押し殺して逃げている間も、彼女は逃げずに自分の生まれと向き合い、人と関わろうと生きていた。

 体がボロボロの自分と、心がボロボロの彼女。似た者同士だ。だから無意識の内に心の奥底で引かれ合い、知らぬ知らぬ間に気を許していたのかもしれない。

 

 だが、彼女は自分が守られる資格がないと言う。

 

「……オレは、間違ってるなんて思ってねェ」

「……え?」

()()。お前を守るのは正しい力の使い方だって……オレは、そう信じてここまで来た!」

 

 肩を掴み、引き離す。

 そうしてこちらを見つめる瞳は、驚きに揺れるばかりであった。告げられた言葉が信じられないと、未だ夢と現実の狭間を彷徨っている。

 そこから引き戻すべく、傷だらけの体に鞭を打ってルナは立ち上がった。

 振り向く先には一人の海賊が佇んでいる。傲岸不遜な面を晒す、残忍な海の支配者だ。彼から罪のない女一人を守るのは、はたして間違っているだろうか?

 

───いいや、間違ってなんかいない。

 

 信じるがまま振るってきた拳を今一度握り、ルナは最後の敵へと向き合う。

 

「それでもお前を殺すなんてほざく奴が居たら……───」

「……ほう。そりゃあいったい、誰のことだ?」

 

 芝居がかった口調のシキに対し、ルナは鋭い眼光で答える。

 一瞬で張り詰める空気。そんな中、シキは一本のナイフに改めて目を向けていた。刀身が黒く染まった摩訶不思議な作りの一本───自身の斬撃を押さえる為に投擲されたものだが、直後に握って潰す。

 異様に硬い刀身も、シキの老練した覇気を前にすれば内部から亀裂が入り、瞬く間にバラバラと砕け散ってしまった。

 

()()()()()()()()()か……お前ぇには過ぎた玩具だ。没収しといたぜ」

「別に構やしねェよ。どうせ道端で拾った安物だ」

「ジハハハハ! 強がるんじゃねえよ。随分使い込んでたみてえじゃねえか。大分愛着はあったろうに……」

「愛着もクソもあるか。ナイフの一本や二本、買い直しゃあ手に入る。なんだったら、てめェの足に生えてる()()……捥ぎ取って使ってやろうか?」

「……口の減らねえガキだ」

 

 鼻を鳴らすシキは、手にかかっていた破片を振るって落とす。

 

「にしてもだ……正直、驚えた」

「あぁ?」

「お前ぇみてえな世間知らずのガキが、まさかおれの目の前にまで辿り着くとはな」

「兵隊は役に立たなかったみたいだしな」

「ジハハ! そいつぁお前の腕が立つ何よりの証拠だ。数だけの能無しを揃えたつもりはねえ」

 

 事実、古参の幹部であった“銀狼”と“銅象”も倒された。

 元四皇の幹部だけあって相当な実力者であった彼らだ。たとえ寄る年波には勝てぬとしても、長期戦にさえならなければ全盛期に匹敵する力を発揮できるはずであった。

 それを二連戦。しかも、長期戦に至る以前の段階で打ち倒したとなれば、それこそ彼が四皇幹部級の実力を有している証明にしかならない。

 

「───惜しいな」

「……何の話だ」

「その力だ……心底惜しいと思うぜ。お前ぇは四つの海になんぞ収まる器じゃあねえ」

「収まるも何も、オレはそんなものに興味はねェ」

「いいや、気に入った! ……なあ、おれと組まねえか?」

 

 突然の提案。

 当然、ルナの眉間に皺は深まる。

 

「……ふざけやがって」

「ふざけるもなにも、おれは本気だ!!! 今回の闘争は水に流そう!!! 女も好きにしろ!!!」

「この期に及んで……」

「お前達の“能力”と!!! おれの“兵力”!!! そしておれが長い年月を費やして立てた完璧な計画があれば、今すぐにでも全世界を支配できる!!!」

 

 

 

「おれの右腕になれ!!!」

 

 

 

 空気が震える威風を撒き散らし、シキは高らかに言い放った。

 彼を知る者からすれば願ってもない勧誘。そうでない者からすれば死刑宣告に等しい言葉であるが、そのどちらでもないルナはと言えば。

 

「……馬鹿馬鹿しい」

「……なんだと?」

()()()はやりてェように自由に生きる。他人に指図されて生きるつもりはねェ」

「この機会を逃すってのか……? ジハハハハ、賢明じゃねえなあ!!! いいか……“支配”こそ“自由”だ!!! “支配”する側の人間こそ、この世で最も“自由”な人間だ!!! お前はそれをわかっちゃいねえ!!!」

「だとしてもだ……───てめェの下に!!! つくはずがねえだろうがっ!!!!!」

 

 暴虐の誘いを、怒声を以て黙らせる。

 暫し、沈黙が場に満ちる。

 少し経って、呆れたような溜め息が響いた。

 

「……どいつもこいつもわかっちゃいねえなぁ、ったくよ……」

 

 残念そうに頭を抱えるシキはやれやれと首を振る。

 そう言えば、昔にも似たようなことがあった───懐かしくも憎らしい思い出に腸が煮えくり返る彼は、手で覆っていた面を上げた。

 

 

 その顔は───どこまでも海賊らしい悪辣な笑みが、ありありと浮かんでいた。

 

 

「つまり、その答えは……今ここで殺してくれという意味だよなぁ!!?」

「……邪魔ァすんなら、そのつもりだ」

「フンッ、現実を見てねえガキが……ふざけるなあッ!!!!!」

 

 フワリと浮かぶシキ。

 直後、凄絶な覇気が二人に襲い掛かる。全身を圧し潰すような威圧感が部屋全体に波及し、あろうことか梁や柱に亀裂を刻み込んでいく。これほどまでの覇気に、ルナはともかくとしてノアの方は、全身が強張り冷や汗が滝のように溢れ出していた。

 仮にルナが目の前に立ち壁になっていなければ、瞬く間に気を失っていたことは想像に難くない。

 

 それでも全身が震えて止まらないノアは、縋るように声に出して呼び掛ける。

 

「ルナっ……!」

「───後ろにいろ」

「っ……うん!」

 

 しかし、返ってきた力強い声に恐怖を堪えて目の前の背中を見据える。

 一人じゃない───守ってくれると言った人が居る。

 そう思うだけで、どうしようもないほどに心を支配していた恐怖は消え失せていくような気がした。

 

 彼を信じ、そして、無事を祈るように拳を握る。

 

 そうした姿を後目に、ルナもまた拳を握った。

 彼女とは使い方が違う。が、今ならばそれは間違っていないと確信できる。

 だからこそ、迷いなく振るう───生まれて初めて誰かを守る為に戦えると、心が、そして全身の血が沸騰するかの如く熱く滾っていた。

 

 それを嘲笑うかのように、シキは叫ぶ。

 

「おれを殺す気なら大将か四皇……いいや!!! 海軍の英雄をだ!!! そうじゃなきゃあ……海賊王でも連れてくることだなあッ!!!!!」

「───関係ねェな」

「なにぃッ……!!!!?」

 

 だが、ルナもまたシキの言葉を鼻で笑う。

 

 

「海軍だろうが……海賊だろうが……!」

 

 

───関係ない。

 

 

「大将だろうが……四皇だろうが……!!」

 

 

───関係ない。

 

 

「英雄だろうが……海賊王だろうが……!!!」

 

 

───初めから、関係なかったのだ。

 

 

()()()の邪魔すんなら、全員叩き潰してしてやるっつってんだよ!!!!!!!!!!」

 

 

ビリビリビリビリ!!!!!

 

 

「ッ……!!!!?」

 

 刹那、ルナの放つ殺気がシキの覇気を押し返す。

 一瞬閃く黒い稲妻に目を見開くシキであったが、すぐに消えてなくなった余波に幻覚だと自分に言い聞かせ、有無も言わさない覇王の威厳を解放する。

 

 

「……なら望み通り地獄を見せてやる。かかってこい、ガキがァ!!!!!!!!!!」

「やれるもんなら……やってみやがれェ!!!!!!!!!!」

 

 

 最早、超常たる暴力に歯止めは利かない。

 

 

「「おおおおおッッッ!!!!!!!!!!」」」

 

 

 地に堕ちた竜と、天に座る獅子。

 

 

 斯くして、二人の強者の決戦の幕は切って落とされた。

 

 

 

 

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