猟師になった女の子が、人を撃ち殺してしまった話。

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人を撃った女猟師の話

 私は人を撃った。

 

 

 

 私が猟師としての暮らしを始めるきっかけは、私が祖父の猟銃に興味を示したところからだった。

 これは何? と祖父に無邪気に質問をした幼少の無知な私に、祖父は丁寧に教えてくれた。

 

『これは、私たちが生きるために使うものだよ』

 そう言って、銃というものがどんなものかを話し始めた。

 

 山に入り、動物を見つけて、構えて、撃つ。

 祖父は次第に、猟とは何かという事を話し始めていった。

 

 まだまだ幼く、おさげを引っ掛けた子供の私は、目を煌めかせて真剣に聞き入った。

 確か残酷な面や、大変なこともあるという話もしていたように覚えているのだが、あまり記憶にない。

 

 私は、狩猟というものが秘めている様々な事柄の内、格好良さというものだけに憧れていた。

 

 中学校に入ってからは、育った瓦屋根の家よりも山奥の茅葺屋根の家で過ごす時間の方が多くなっていった。

 祖父の話をよく聞いて、勉強は余り真剣でなかったけれども狩猟の事に関しては人が変わったようになった。

 

 そんな調子だったものだから高校には入らなかったし、両親からは勘当された。

 私はそれでも全く構わなかった。猟師として生きていくのだと、この時期特有の空想に浸っていた。

 

 何も言わずに手荷物だけ持ってきて帰らない私を、祖父は優しく迎え入れてくれた。

 なんだかんだとあれど、私は可愛い孫だ。祖父としても、断るに断れなかったのだろう。

 

 当然ではあるが、暫くは薪を割るとか山菜を取りに行くとかで、私が望んだことはさせてもらえなかった。

 私は諦めきれず、祖父に毎日のように頼んだ。

 

 そんな生活が2週間ぐらい続いて、ついに根負けした祖父は、私にあることをさせた。

 それは、捕まえて来た兎の命を手折ることだった。

 

 これで猟師に近づけると、私は喜んでそれをやった。必死に抵抗していた兎を力いっぱいに掴み、無理やり頭をひねった。

 可愛らしい兎を殺した感覚は、どうにも味気なく。

 意外に何も感じないようであったな、とずっと覚えている。

 

 それからは、祖父か私が捕まえて来た兎や狸、犬や猫を数日に一回ずつ殺した。

 狸はともかく、犬や猫を殺すときには最初酷く躊躇した。

 

 首を引っ掴まえて、押さえつける。

 縄で何かしらに無理やり拘束し、ぎゃんぎゃんと吠えたてるそれを斧で両断した。

 

 その日の晩御飯は私が作ることになっていた。

 何回もやれば次第に慣れて、美味い肉はどの毛の色であるか~などと考えるようになった。

 

 祖父はそんな私を、どんな風に思って見ていたのであろうか? 

 今となっては分からない。

 

 そんな生活が数か月も続いたが、まだ銃は持たせてもらえなかった。

 ある日、どうにも薪を割るのが怠くなって祖父の目を盗んで備蓄の薪を成果のように見せた。

 

 私の本性は露見しなかった。

 次の日に少し多めに薪を割って戻した。

 

 次第に、山菜などが中々見つからず薪割りが怠くなった時には備蓄を見せる癖がついた。

 終ぞ、祖父にそれが見つかることは無かった。

 

 

 

 山菜を取りに山に入った日。

 どうにもその日はやけに山が静かなように感じていた。

 

 運悪く祖父が腰を悪くして歩けず、私は一人で山に入っていた。

 それを彼は分かっていたのだろう。

 

 がさごそと山菜を探しているときに、私の前に一匹の熊が現れた。

 初めて一人で相対した熊に、私は手から戦利品を落としてみっともなくも擦っ転がった。

 

「ひっ……ひっ」

 なんて、どうしようもないほど情けない言の葉を口の端から漏らすしかできず、私は腰を抜かしてずりずりと尻を地面に擦りながら後ずさった。

 

 "まるで普段の獲物とは異なって、簡単に命を差し出してくれたようだ"

 そう思ったかのように、熊はずしずしとこちらに歩みを進めて来た。

 

 目の前まで迫り来たそれは、しかし食らいついてくることもなくぴた、と私の前に歩みを止めた。

 私の脳に僅かな困惑を挟んだ後、激痛が走った。

 

 ずいとその右の前足を私の肩に熊は乗せていた。

 骨がばきばきと圧し折れる音が体の内部からだけではなく、空気を伝って鼓膜を揺らす。

 

 一拍置いて、喉から音の奔流が漏れ出た。

 静寂に満たされていた山に響き渡ったそれに、身を潜めていた動物たちが急いて争うように駆けだす錯覚さえ覚える。

 その熊の咆哮さえ凌ぐような生命の叫びに、びくりとして死神はその足を私の身体から退かした。

 

 すっかり動かなくなった左腕を捨て置いて、とにかく生きようと右手を地面の泥で二、三回滑らせながらも何とか起き上がった。

 この場をどうにか乗り切らなければ、と千載一遇のチャンスを無駄にするまいと熊をじっと見た。

 相手の方もそう思っていたらしく、目がぴたりと合う。その瞳に灯る光に、気付きを得た。得てしまった。

 

 "ああ、何という事だ! あの熊の目は、この私の目は、私があの犬や猫を殺したよりも、遥かに命に溢れている! "

 

 これこそが、自然における生命の流れであり、営みであるのだと。

 僅かな希望を抱きながらも怯えに包まれた目の玉、食らい殺してやろうという瞳。二つが重なり合った時に、それを魂で理解した。

 

 私は気づけば獣へと歩き出し、右手をその首へと回して抱き締めていた。

 その天啓を彼が授けてくれた故なのかは分からないが、私は彼を旧来の友のようにさえ思った。

 生涯で終ぞ得ることのなかった親友というものを、ここで得たような気がした。

 

 果たしてそれがこの時熊に伝わっていたのかは、今となっても分からない。

 しかし、彼は私の首筋に舌を這わせた後、落とした山菜を持って何処へともなく去っていった。

 それが私と彼との全てだった。粉砕された左肩さえ、宝物のように思えた。

 

 そのあと、暫く使い物になりそうもない左腕を抱えて必死の思いで祖父の元に帰った。

 山菜を忘れていたことを帰ってから思い出したが、怒り狂う祖父にそんなことは関係ないようだった。

 

 腰を悪くしていたというのに、次の日から暫くの間山に籠った。私もそれについて行った。

 随分と突然でまだ左腕すら利いていなかったが、鹿を撃ったりと実践を交えて、私は狩猟を覚えた。

 

 彼とは違う熊を祖父は撃ち殺して、私はそれを彼だと言った。

 祖父の満足げな顔を見て、私は熊に目を下ろした。光を亡くした瞳に、私は薪を見た。

 

 

 それから、一ヶ月ほど経って祖父は亡くなった。

 元々足腰が大分悪くなってきていて、それに熊狩りを重ねたせいだろう。

 

 寝たきりのようになっていた祖父に、口頭で山や猟の事を教わった。

 私の仇を取れたからなのか、それとも猟師としての自分を私に伝えることができたからなのか、とにかく最後は憑き物が落ちたようだった。

 初めての親しい人間の死に、私は数時間亡骸にただうずくまって泣いた。

 

 ひとしきり泣き通して気が済んだ後、祖父の死体を山に埋めようと担いで歩いた。

 あんなに憧れであった祖父の身体がすっかりと軽くなってしまっていることに改めて気づかされて、泣きながら山を進んだ。

 

 暫く山の中を歩き通した。祖父の身体を担いでいると、とめどなく罪悪感が溢れてくるようで、何も考えたくなかった。

 気付けば、見覚えのある場所についていた。

 

 そこは、私が山に入るたびにあの熊と会っていた場所だった。

 祖父が他の熊を撃ち殺した後に、もう一回私はあの熊とここで会った。

 それをきっかけとして、ただの丸太一本が置いてあるだけの殺風景な林は逢引き場になった。

 

 私が撃ち殺した獣を熊にやったり、逆に獲物をもらったりもした。

 この歪な関係を愛と呼んでもいいものだったのだろうか。

 私には分からない。だけど、私たちの間に何か、言葉ではない繋がりがあったのは確かだった。

 

 ともかくその場所で、いつものように丸太に腰かけた。今回は祖父も一緒だが。

 暫くぼーっとしていたら、向こうの方からのしのしと彼が歩いてきた。

 

 私も立ち上がり彼に近づいて、これまたいつもの通りに彼と抱擁を交わした。

 毛皮からの匂いが私の鼻腔を刺した。私は彼とそのままでいた。

 

 暫しの時間が経って、涙も落ち着いたころに祖父の方を彼は気にし始めた。

 それで、そういえば祖父を埋める場所を探していたことを思い出した。

 

 彼を撫でながら、何処が相応しいだろうかと考えを深めていったときに、一個名案を思いついた。

 

「ねぇ……食べてみない?」

 

 祖父は猟師だ。山に生きて死んだ。

 ならば、寧ろ自然の摂理として命の流れに加われる方が嬉しいのではないだろうか、と。

 

 私はそう考えて、祖父の服を脱がした。

 形見にしたかったのもあるが、彼の喉に詰まってしまうのは良くないからだ。

 

 少しばかり苦労して祖父を裸にさせた後、いつものようにそれを彼に突き出した。

 その茶の双眸から僅かな困惑を感じ取ったが、しかし彼はそれを受け入れた。

 

 ふふ。と私は微かに笑って、食べ終わるまで一緒に居た。

 それが私にとっての葬式であり、彼との婚姻とする儀式だった。

 

 

 

 それからは暫く忙しかった。

 祖父が亡くなったことを元の家族や街で頼りにしていた人たちに教えなければいけなかったし、何より弾の調達が面倒だった。

 これまで弾の調達はすべて祖父がやってくれていたから、まずどこで弾を買えるのか聞きまわるところから始めなければいけなかったのだ。

 

 そういうのは街の中のいっとう大きい商店、まぁ偉そうな態度で煙管をふかしているような主人がいるようなところだと相場が決まっていて、そして実際その通りであった。

 しかし私は狐けんをやるような人間ではないので獲物を買い叩かれることもなく、通貨さえしっかりと払えば主人も文句は言わない。

 

 私は猟師として生きるための基盤を唐突ではあるが整えることに成功した。

 そして、ある程度の期間は当初の望み通り猟師として生きることができたのだ。

 

 

 

 そしてある日、私は何時ものように獲物を探して山に入った。

 今回の標的は鹿だ。

 街道の反対側にきょろきょろと周りを見渡している成鹿を見つけて、草むらに伏せる。

 

 スコープを覗く前に、右上に当たりを付けて片目で狙点。実際に覗いてみて、標的の僅かに上にいることを確認して両目を見開く。

 少しの息を吐き、完璧に照準が定まった所で息を止める。

 

 無心。無心。

 ほんの少しブレるサイトを必死で押さえつける事だけに全神経を注ぎ、鹿の眉間を凝視する。

 

 ────―ここ。

 

 自然と脱力された右手が引き金をかちりとした瞬間に、私の目に映っていたのは男の横顔だった。

 

 

 だぁん。

 

 私は人を撃った。

 

 

 森が揺れる音がする。鹿が走って逃げる。周りの小動物すら木の上へと避難し、すべての生き物が生存本能へと従って大きな音から背を向ける。

 私は長くはない時間の間、そこから動けなかった。

 

 それは射撃の後に行う残心ゆえでもない。

 ただの思考停止。

 

 ぼうとすることさえできない、空間が止まったかのような動きのない時間。

 思考がこの世界に戻ってきた後、私が最初に考えることはこの死体の取り扱いについてだった。

 

 彼に急いで走って近づいて、弾けた柘榴のような現実を見て。頭を抱えて悩んだ。

 ああ、吹き飛んだ頭から人相は察することはできないけれど。きっとこの服からしてこの死体は三軒隣に住んでいる健二だろう。

 

 濁流のように過去の記憶が流れてくる。

 確か付き合ってる相手がいたっけなぁ。花とか珍しい何かをプレゼントしていたよなぁ。

 

 こぼれ出てくるのは涙ではなく、これからどうしよう、どうしよう。

 この死体の処理をどうしよう。その言葉のみであった。

 

 それの前でずっと悩んでいた私に、"彼"が来てくれた。

 とん、と私の背中に手を当てて、そっと何をするでもなく撫でてくれた。

 

 ああ、ああ、なんて私は罪深いのだろう。

「ねぇ、お願い」

 

 私はそっと彼に抱きついた。

 

 とても優しい彼にこんな事をお願いするなんて、私は酷く駄目な女だ。

 でも、私は酷く人間的で。

 あの一回がきっときっかけで、罪悪感なんてものはどこか遠くに消えてしまっていた。

 

 だから、きっとその罪深さのゆえに。

 

 彼は丁寧に食べることを知っていたけれど、服というものを食べたことはなかった。

 上手くそれを処理できなかった私のせい、そう、そのせいで、彼は町の皆の知るところとなってしまった。

 

 人喰いの熊として。

 

 

 

 一週間たって、彼はいつも通り山で過ごしていた。

 だけれど、私は町で遺族の人たちや、組合の人たちと話すことになった。

 

 馬鹿みたいに山に入った身の程知らずの空気が読めない男のせいで、彼の外見も共有されてしまった。

 そして、熊を最後に撃ち殺したのは、私の祖父だ。

 

 私に何人かが付いて熊の討伐隊が組まれるのは当然の事だった。

 

 全員殺して、彼と一緒に生きる選択をするのは簡単なことだったのかもしれない。

 それでも、彼は私以外に何人もいることを知っていたのに私たちの前に出て来た。

 

 私はこちらに向かってくる彼の眉間にしっかりと照準を合わせて、撃ち抜いた。

 

 

 私は恋人を撃った。

 

 

 彼は山に埋めた。

 彼を他の獲物のように捌いて町の奴らに売り渡すことなんてことだけは許せなかった。

 それだけは駄目だった。

 

 

 それから、数か月が過ぎた。

 私はしだの実だの、山菜を食べて生きていた。

 

 彼を失ったショックが耐えられなかったのではない。

 そう言いたいけれど、猟には事実出れなかった。

 

 その日、私は彼と一緒に過ごす夢を見た。

 楽しく一緒に飯を食べた。踊りも踊った。別れの時、彼は笑って私を送り出してくれた。

 

 あぁ、山に行かなければ。猟に出なければいけないんだ。

 涙を布団に零しながら、理由は分からないけれど私はそう直感した。

 

 また、私は同じように街道の反対側にいる鹿を見つけた。

 狙点。覗く。息を止める。

 

 今度は間違いなく、鹿の頭を一発撃ち抜いた。

 

 僅かな残心。一息ついて、脱力。

 

 肩の荷が全て降りたようだった。

 結局、私が過去に取りつかれていただけなのだ。

 

 キャッキャと楽しげに騒ぐ声が街道から聞こえる。

 声の主を探すと、それは健二の恋人だった。

 

 新しい彼氏でも作ったのだろうか。

 二人で楽しそうに花冠も作って、山に遊びに来ているようだった。

 

 私は彼の事を思い出した。

 

 コッキング。

 構え。

 狙点。

 覗く。

 

 

 私は人を撃った。


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