よう実に転生した雑魚   作:トラウトサーモン

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第12話

 私の気持ちは沈んでいます。

 

 彼が帰ってくるまでの間、ずっと眠っていたいとすら思ってしまいます。

 しかし、身体がそれを許してくれません。

 睡眠負債を全て返し終わったのか、眠気が全く来ないのです。

 覚醒した頭で、地獄のような時間を過ごすことを強いられます。

 

 時計の針の音が、やけに大きく聞こえます。

 一秒一秒、孤独をじっくりと味わわされているような感覚になります。

 

 今日も私は彼のことを想い、現実から逃避するのでした。

 

 

 

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 病院から彼が帰った後、私は涙でぐちゃぐちゃな顔を洗いました。

 十分な時間をかけて落ち着きを取り戻してから、ベッドの上で自分の考えをまとめました。

 

 私は彼の庇護のもとでなければ、通常の日常生活を送ることができない。

 つまり、彼の伴侶として生涯を共にするか、人間的な死を迎えるか。この二択しかないのです。

 

 あまりにも不利な条件に、苦笑いしてしまいました。

 天才と持て囃され、無限の可能性があったはずの私が、一人の平凡な男の子に縛りつけられることになったという事実。

 彼はいつでも私を捨てることができますが、私にはできません。彼に捨てられたら最後、私は外にも出られず家に引きこもっているだけの社会不適合者に成り下がります。

 なんと滑稽なことでしょう。私は彼を見下し、替えが利くなどと考えていたのですよ?

 驕れる者久しからず、ということでしょうか。

 

 被害者意識を持ってはならないということは、愚かな私でも理解していました。

 全ては私の選択の結果であり、彼は何も悪くないのですから。

 

 むしろ、彼は私と出会わない方が良かったのではないかと、今でも思うことがあります。

 天才でなくとも、人が生きるカタチというのは十人十色です。それを私一色に染め上げてしまったのは、間違いなく私の罪です。ですから、この結果は私への天罰ともいえるかもしれません。

 かつての私は、彼の人生を滅茶苦茶にしているという自覚が足りませんでした。

 彼は、かけがえのない時間を犠牲にしてくれた人間なのです。

 私に無償の愛を与え続けてくれた、世界でたった一人の存在なのです。

 最大の悪人は、それを利用した挙句に感謝すらしなかった私です。

 

 私は自嘲的になりつつも、状況を受け入れました。

 その後、冷静に考えると私は幸運だったのではないかと思えるようになりました。

 なぜなら、私の身体のことは、この件がなくともいずれ発覚したことだからです。

 もっと手遅れになってから……それこそ、彼が私を捨てた後に気づいた場合はどうでしょう。

 もう、死ぬしかないかもしれません。

 

 ここまで考えて、私は眠りにつきました。

 苦しいことばかりだったはずですが、不思議とよく眠れました。

 

 こうして、私は人生最悪の一日を終えました。

 

 

 

 その翌日、彼は当然のように学校を休みました。

 朝から晩まで、私に付き添うためです。

 彼は面会時間の最後まで、私の手を握ってくれました。

 私が最低の行為をしたことを一瞬忘れてしまうぐらい、彼は優しかったのです。

 

 そんな彼のことが、途端に愛おしく感じるようになりました。

 この温かい手を失わないためなら、私はどんなことでもしようと思いました。

 

 しかし、発現したのはそのような甘酸っぱい感情だけではありません。

 私は、彼が隣にいなくなった瞬間、大きな不安と焦燥感に襲われるようになりました。

 一時的なものとはいえ、これは耐え難いものです。

 

 二度と帰ってこなかったらどうしよう。私のことを嫌いになったのかもしれない。私より好きな人がいるのかもしれない。このまま捨てられたらどうしよう。

 

 そんな言葉たちが、頭の中を支配します。

 私の思考とは関係なく、マイナスの感情が湧き出し続けるのです。

 

 目を瞑ると、荒唐無稽な被害妄想が延々と私を襲ってきます。

 結局、この時は翌日の面会時間までベッドで呻き続けることになりました。

 

 一を聞いて十を知る、という言葉があります。

 私という人間は、そういう存在だと思っています。

 

 私は元々、何かが起きた場合に先回りして推測する癖がありました。

 ……彼がいなくなった際に「どうして?」と考えてしまうのは、これと無関係ではありません。

 ごく僅かな可能性まで行きつく思考力が、仇となったのです。

 自分の性質が、自分に刃を向けている。

 知能の高さに溺れて致命的な失敗をした私には、お似合いの末路かもしれません。

 

 やがて、私の心に一つのちっぽけな夢が生まれました。

 将来のイメージを膨らませた時、私が目指していた形……私にできなかったことを実現させるためには、この方法しか思いつきませんでした。

 思い通りに行くかわかりませんが、私はその夢を追うことにしました。

 そのためにも、彼と添い遂げなければならないのです。

 

 

 

 肝心の彼ですが、おそらくこれらの事実に殆ど気づいていません。

 こうやって私が悩んでいたこと自体、未だに理解していないのではないでしょうか。

 

 ですが、もし仮に全てを知ったとしても、彼は変わらないと思います。

 すぐに切り替えて、いつものように甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるのでしょう。

 

 そんなあなたのことが、大好きです。 

 

 ベッドの側でうとうとしている彼の頭を撫でながら、私はそう呟きました。

 

 

 

 退院の日、私は父に全てを打ち明けました。過去の経緯から、なぜこうなったかの考察も含めて、全てです。これは、私の気持ちを整理する意味もありました。

 そして、高度育成高等学校に彼を入学させること、私と同じクラスにすることを要求しました。

 それを聞いた父の表情は、今も忘れられません。なんともいえない、複雑な顔でした。

 おそらくは天才でも何でもない彼に私を取られるのが悔しいのでしょうが、父も聡明な人です。彼の代わりとなるような人間が他に存在しないこと、もう引き返せないところまで来ていることを察したのかもしれません。

 

 父の胸中はよく理解できます。もし、自分の子供が同じ状況で同じことを言ったとしたら、きっと私も同じような感情を持つでしょうから。

 私の話は、実質的に「結婚相手を決めた」と言っているようなものです。親として、並々ならぬ思いがあるのは間違いありません。

 私としては、この会話中に取り乱さなかった父は、やはり只者ではないと感じました。

 

 父は数秒考えた後、こう言いました。

 

「システム上、一般入試の点数に工作はできない。ただし、クラス配属は最終的に理事長の判断に委ねられるのが通例だ」

 

 ……それからというもの、彼を合格ラインに引き上げるため、毎日寝るまで付きっきりで勉強させました。非常に大変な作業でしたが、最終的に彼は合格を勝ち取ったのです。

 

 

 

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 今日もまた、何もしないまま夜になってしまいました。

 何か食べないといけないとは思いつつも、身体が動きません。

 さすがにお風呂は入りましょうか、と考えた時のことでした。

 

 部屋のドアを、誰かがノックしています。

 

 まさか。

 

「坂柳、起きてる?」

「はい?」

 

 残念ながら、その声は女性のものでした。

 期待を裏切られて、思わずため息が出ます。

 しかし、誰でしょう?試験はまだまだ終わっていないはずですが。

 

「高城から、坂柳がこの部屋にいるって聞いて来たの」

「すみません。失礼ですが、どちら様でしょうか?」

「……神室真澄。ちゃんと話したことはないと思うけど、一応同じクラスの人間よ」

 

 神室さんと名乗るその女性は、晴翔くんの指示でここに来たようです。

 重い身体を起こし、私はドアを開けました。

 

「どのようなご用件でしょう?」

「ご用件も何も、高城にあんたの世話を頼まれてんのよ。こんなメモまで用意して」

 

 神室さんはA4のノートを持ち、ペラペラとめくります。

 表紙には彼の字で、「有栖ちゃんメモ」と書いてありました。

 ……なかなか恥ずかしいです。

 

「わかりました。ちなみに、その対価は何ですか?」

「この学校で対価なんて言ったら、ポイントに決まってるでしょ。私は5万もいらないって言ったんだけど、アイツ聞かなくて。ほんとに意味わかんない」

 

 その瞬間、神室さんが目線を逸らしたことを私は見逃しませんでした。

 きっとそれだけではありませんね。何か、確実に何かがあります。

 そもそも、なぜ彼女が今ここにいるのでしょう?

 全てにおいて彼が絡んでいるのは間違いないのですが、まだ読み切れません。

 

 一瞬、はっとしました。

 私とずっと一緒にいたこと。そして、彼は常に私の行動に対して疑問を持ち、考え方を理解しようとしていたことを思い出します。ということは……

 

 まさか、彼女を自分の駒にしたのでしょうか。

 彼がそこまで攻撃的な行動を取ったとすれば、私の想像を遥かに上回ります。

 

 ……こうやって私を楽しませてくれるなんて、彼は本当に素晴らしいご主人様ですね。

 願わくば、すぐにでも帰ってきてほしいのですが。

 

 強く興味をそそられた私は、神室さんを部屋に招き入れました。

 




 待つのもあと一日です。長かったですね?

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