夕陽が空を茜色に照らします。
デッキから彼の姿を確認した瞬間、気持ちの昂りを感じました。
しかし、彼は体調不良という建前があるため、これから診察を受けなければならないようです。
一秒が一時間に感じるような、もどかしい時間でした。
そして、ついに彼がこちらへやってきました。
「有栖ちゃん」
その声を聞いた時、私は言葉が出なくなってしまいました。
本当は何か言ってあげたかったのですが、涙が止まりません。
「ごめん、遅くなった」
彼の両腕で、私の身体が包み込まれます。
ほっとするような安心感と、私の元に帰ってきてくれた喜び。
やはり、彼がいなければ私は生きていけません。
彼の顔をもっと近くで見たい。
少し背伸びをして、至近距離で目と目を合わせます。
やがて私は我慢ができなくなり……唇を重ねました。
彼は一瞬驚いた素振りを見せましたが、抵抗せず受け入れてくれました。
幸せな感触が、私の脳を支配します。
……この味を知ったら、もう元には戻れませんね。
何秒くらい触れていたでしょうか?
お互いの息遣いが聞こえる距離はそのままに、私は言葉を発します。
「おかえりなさい」
「ただいま」
あぁ、やっと言えました。
もう二度と離れませんからね?
「あのさ、一応私もいるんだよね」
「ごめんなさい」
神室さんに怒られてしまいました。
少し冷静になった頭で、私が今何をしていたか自覚します。
……急に恥ずかしくなってきました。
「高城も、ここが公共の場ってわかってる?」
「返す言葉もないな」
私たちの言葉を聞いて、神室さんは呆れたような顔をしました。
そして、船内の方へ向かってゆっくりと歩き出します。
「お邪魔虫は退散するから、ごゆっくり。今はその方がいいんでしょ?」
どうやら、気を遣って二人にしてくれるようです。
私はこのままではいけないと思い、彼女の方へ向き直ります。
「この二日間、ありがとうございました」
「別に、礼を言われるほどじゃない。報酬もらってるんだし」
「それでもです。真澄さん、私とお友達になってくれませんか?」
「……いいけど。有栖って呼べばいい?」
「はい。あなたはすでに、私にとって親友ですから」
私の言葉に照れたのか、真澄さんは顔を赤くしてしまいました。
こういうところも、なかなか可愛いです。
「高城、約束は守ってよ?」
「もちろん。本当にありがとう」
最後に晴翔くんと言葉を交わし、真澄さんは去っていきました。
今度、無人島で何があったのか聞かせてもらいましょう。
客室に戻り、私たちは久しぶりに二人きりとなりました。
「たった三日間だってのに、すごい離れてたような気がする」
「そうですね……長かったです」
彼と引き離された時間。
この三日間のことは、非常に辛かった思い出として私の中にずっと刻まれるでしょう。
ベッドに座ったまま胸に飛び込むと、あらためて彼の匂いを感じます。
心に安らぎを与えてくれる、私に必要な匂いです。
「やっぱり、俺も有栖ちゃんにずっと会えないのはしんどいわ。また似たような試験があったら、最初から不参加にしようかな」
「……そうしてほしいです。これからは、晴翔くんが試験に参加しなくても文句を言われない環境を作りたいものですね」
結局のところ、私たちが離れることになってしまった根本的な原因は、彼のリタイアに抵抗する者がいたことです。私は、今後そういった者たちに対して容赦しないことを誓いました。
「しかし、次から次へとリタイアするのは驚いた。九人いなくなればいいと思っていたんだが」
晴翔くんも、リタイアを選んだ人数の多さには驚いたようです。
まぁ、すでに結束力を失っていたクラスでは、そんなものなのでしょう。
彼の行動は、崩壊への最後のピースを埋めただけなのかもしれません。
葛城くんがリーダーである以上、遅かれ早かれこうなっていたような気もします。
ですが、葛城くんには一つだけ大きな感謝をしています。
Cクラスとの契約。圧倒的にAクラスが不利となるポイント譲渡契約は、まさに私が欲していたものです。こういう状況を作り上げるため、龍園くんを唆し、葛城くんを罠にはめるよう工作することも検討していたほどです。この契約を労せずして得られたことは、本当に僥倖でした。
あとは、タイミングを見て帆波さんを動かすだけです。
元Aクラスが毎月支払うことになった合計78万ポイントは、全て帆波さんが肩代わりする。それと引き換えに、元Aクラスは今後の特別試験で新Aクラスの指示通りに動く。そう遠くないうちに、こういう内容の契約を結んでいただきます。
これは、帆波さんの気分次第でいつでも打ち切れるという、かなり不平等なものです。しかし、私はこの契約をクラスの生徒が受け入れることを確信しています。
Aクラスに対する諦めムードと、自己中心的な思想が蔓延るこの状況ならば、試験の勝利より自分の2万ポイントを優先することは間違いないからです。
『毒を盛るなどという、龍園くんの卑劣すぎるやり方を許せない』
帆波さんがこう言って手を差し伸べれば、聞こえもいいでしょう。
彼女からは、悪意というものが一切見えません。クラスの全員が、これは慈善活動としてやっていると思い込むはずです。
また、この話を受ければ龍園くんに対する敗北感も緩和されます。帆波さんという正義の味方が、悪党である龍園くんと対立する構図が出来上がるからです。龍園翔の姑息な戦法により敗北を喫したが、これからは正義のために協力する……と、勝手に解釈していただけると思います。
いずれにせよ、なかなか面白い方向に進みそうです。龍園くんに「勝利のためなら、いかなる手段でも用いる人間」というレッテルを貼れたことも含めて、大成功といえるでしょう。
あとは、帆波さんのクラスとは絶望的な差があると思わせることが重要です。
そのため、無人島試験では可能な限り大差で負けてほしいのです。
Aクラスの0ポイントは確定的なので、問題はBクラスですが……
「そういえば、Aクラスのリーダーを帆波さんに教えといたよ」
「……それは、本当ですか?」
「もちろん。もし有栖ちゃんがいれば、そうしてくれって言うと思ったから」
百点満点の完璧な動きです。
彼は私の指示を受けることもなく、最善手を打っていました。
「ちなみに、綾小路にはもっと早い段階で教えてある。リーダーは戸塚だから、葛城がいる限りリタイアもしないだろうし。その代わり、Cクラスのリーダー……多分龍園だと思うけど、それを掴めた時は帆波さんに売るなりして、Bクラスと共有するようお願いした」
なんだか、頭がくらくらしてきました。
私をこれ以上惚れさせて、どうするつもりなのでしょうか?
「ちょ」
問答無用で唇を塞いでしまいました。
これはもうダメです。いろいろと抑えきれなくなってきました。
「あの、有栖ちゃん?」
「大好きです、晴翔くん。これから私たちは恋人です。いいですね?」
「……本当にいいのか?」
「当たり前でしょう。あなたの代わりになる人間なんて、今までもこれからも存在しません。綾小路くん?真澄さん?無理です。私と共に生きられるのは、あなたしかいないのです」
あぁ、やってしまいました。
決してこんな風に告白するつもりはなかったのですが、言ってしまったものは仕方ありません。
「でも、俺はただの凡人で」
「いいえ、もう認めます。
私の思いの丈をすべて打ち明けて、息が切れてしまいます。
ここまで彼に多くの言葉をぶつけるのは、初めてのことかもしれません。
「俺は、有栖ちゃんと一緒にいてもいいのか?」
「何度も言わせないでください。私は、あなたのことが大好きなんです。お願いですから、私を捨てないでください……」
なぜか、また涙が溢れてきてしまいました。
いけませんね。彼の前では、私は強くなければならないのに。
三日間のストレス、彼に対する親愛……それらが入り混じった複雑な感情が、私の心を強く揺さぶります。彼は縋り付く私の姿を見て、何を思うのでしょうか。
「……ごめん、俺って全然ダメだな」
「そんなこと」
「いや、大事な女の子にここまで言わせて何もできないとか、恥ずかしいを通り越して呆れるわ。悪い有栖ちゃん。俺はやっぱ凡人だ」
彼は一つ、大きなため息をつきました。
「だから、凡人は凡人らしく、愚直に考えを伝えよう。馬鹿が難しく考えると、かえってややこしくなるんだ」
そう言って、かつてないほど真剣な表情で、私の顔を見るのです。
それは、私が今まで見た中で一番かっこいいと思えるものでした。
「……有栖ちゃん。俺は有栖ちゃんのことが大好きです。だから、これからもずっと一緒にいたいです。付き合ってください!」
きっと、今日は私の人生で最高の日なのでしょう。
これで一段落です。他の人たちは絶賛サバイバル中ですが。
次回から視点も戻ります。