有栖ちゃんが恋人になった。
あそこまではっきりと好意を示されれば、俺のような奴でもさすがに理解する。
俺の代わりがいないということは、結構前から薄々感じていた。それをストレートに言葉に乗せてくれたおかげで、ようやく思い切ることができたのだ。
もう迷わない。有栖ちゃんのお世話係は、俺にしかできないのだから。
俺のこと、ずっと好きでいてくれたんだな。
入学してからの俺はかなり酷いことをしていたと、今さらながら反省した。有栖ちゃんからすれば、俺は自分を誰かに押し付けようとしているように見えただろう。そりゃあ不安にもなる。
有栖ちゃんを悲しませていたのは、俺だった。
それでもめげず、一途に想い続けてくれた。
そんな子を好きにならないわけがない。
すやすやと安心して眠る有栖ちゃん。
可愛いのは昔から。守りたい気持ちも、ずっと持っている。
この子の笑顔のためなら、俺はどんなことでもするだろう。
(しかし、眠いな)
俺は有栖ちゃんを抱きしめて、二度寝に入った。
こんなに落ち着いて寝ることができるのも、三日ぶりだ。
有栖ちゃんが隣にいるかどうかで、眠りの質が全然違うことを実感した。
次に目覚めたのは、昼近くのことだった。
「……ん?」
「おはようございます、晴翔くん」
有栖ちゃんはすでに起きていたようで、笑いかけてくれた。
本当に、綺麗な顔をしている。いまだに彼氏彼女の関係になったことを信じられない。
「おはよう。悪いな、ずっと寝てて。腹減ったろ?」
「いえ、私はあなたの身体が一番大事ですから」
「ありがとう、もう大丈夫だ。おかげで無人島の疲れも取れた」
さて、準備するか。
俺は自分のルーティンを手早く済ませ、有栖ちゃんのメイクセットとヘアアイロンを手にした。
そういえば、朝の準備は「有栖ちゃんメモ」に書いていなかったな。これも、まだまだアップデートする余地がありそうだ。
神室さんに有栖ちゃんの世話を依頼する時、悪いと思いつつも原作知識を使わせてもらった。
万引きの瞬間を録画していたというウソまでついて、俺は神室さんに首輪をつけた。
これは、ズルをしてでも絶対に通したい話だった。有栖ちゃんが一人ぼっちになっているという状況下では、常にそれが頭につきまとう。第一にそれを解決しなければ、話にならない。
俺と有栖ちゃんの精神面を考えたら、神室さんに払った報酬は全然高くないと思う。
ちなみにこのやり方は、桔梗ちゃんを落としたときの手法を大いに参考にさせてもらった。あの日、有栖ちゃんはレコーダーなんて持っていなかったからな。大っぴらにされたら困ることをしている人間に対しては、ブラフにも効果があると学んだのだ。
そんなことを考えているうちに、髪のセットが終わった。
この辺はもう、無意識でも完璧にできる域まで到達している。
「ありがとうございます……やはり、すごいですね」
「そうか?」
乳液を肌に浸透させて……
お、そうだ。一応日焼け止めも塗っておかないと。
このもちもちすべすべの白い素肌は宝物だから、荒れてもらっては困る。
あとは下地をうすーく伸ばして、ファンデーションをつけていく。
……有栖ちゃんはとにかく元が良すぎるので、メイクなんて超ナチュラルで十分だ。
「よし、できた。今日も可愛いな。これでうまくできてるのかはわからんが」
「晴翔くんが可愛いと思うなら、なんでも正解ですよ。私にとってはそれが最も大事なことです。他の人がどう思うかなんて、二の次です」
笑顔でそんなことを言われると、こっぱずかしい。
以前の有栖ちゃんなら、もう少し婉曲的な表現を使っていたと思う。
やっぱり、恋人になったからだろうか。
一通りの作業を終えて、俺は早速有栖ちゃんメモに追加する。
スキンケアは必須……晴れた日は日焼け止め……
「そのメモ、今後も使うことはあるのですか?」
有栖ちゃんは、ペンを走らせる俺の顔を覗き込む。
これは、有栖ちゃんを誰かに任せるときのことを考えて最近作っていたものだ。
確かに出番は少なくなるかもしれない。
「うーん、まぁ使わないといえば使わないか。備忘録として使おうにも、毎日やってて忘れるわけないし。出番があるとすれば、俺が死んだ時……」
言った瞬間に迂闊だったと悟ったが、もう遅かった。
頭を有栖ちゃんの両手で押さえられてしまって、動けない。
そのまま顔が近づいてきて、唇同士が触れ合う……かなり深いキスだった。
心が有栖ちゃんに染め上げられていく。
唇の温かさを直に感じて、心臓のドキドキが止まらない。
二十秒ぐらい、掴んだまま離してもらえなかった。
ようやく解放されると、目と目が合う。
そこには、深い闇が見えた。
絶望という言葉がぴったり合うような、重く暗い瞳。
背筋が凍り、冷や汗が額に垂れてきた。
「自分が死んだ場合にどうするか、そんな仮定は必要はありません。あなたが死ぬ時は、私が死ぬ時だからです。必ず後を追いますよ?」
「ご、ごめん。不謹慎なこと言った」
申し訳なさと恐怖を感じて、俺は平謝りした。
冗談でもタチの悪い、酷いものだった自覚はある。
……俺が死ぬ、ということ。おそらく、それを意識させたのがまずかったんだろう。
俺の謝罪を聞いた後、はっと我に返ったような顔をした。
その後少し考える素振りをしてから、優しく笑った。
「ふふっ、これはもらっておきます」
「あぁ、悪かった。ちょっと恥ずかしいけど、もらってくれ」
俺はメモを差し出した。
いろいろ書いてるから本気で恥ずかしいが、やむを得ない。
「……ずっと大好き、ですからね。死ぬまで一緒にいましょう?」
有栖ちゃんはお互いの指を絡ませて、そう耳元で囁いた。
俺は、黙って頷くしかなかった。
今のは何だったんだろう。完全に俺が悪いとはいえ、どうしてそこまで……
まだまだ、有栖ちゃんの全てを理解しきれていないのかもしれない。
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俺たちは、レストランで朝昼兼用の食事を終えた。
そのままデッキ近くの席を陣取って、外の風景を見ながらコーヒーを飲むことにした。
隣に座る有栖ちゃん。肩を寄せて、片手は常に繋いだままだ。
どうやら、恋人になったことで遠慮がなくなったらしい。
ここに来るまでも腕を絡ませて歩いたり、急に抱きついたりしてきた。
明らかに、以前よりもスキンシップが激しくなった。
俺としてもこの上なく嬉しいことなので、何の問題もないが。
「それにしても、意外と人が多いなぁ。貸切状態を期待してたんだけど」
「確かにそうですね。Aクラスだけでなく、Cクラスの方もちらほらと見えます」
有栖ちゃんは周囲を見回して、鬱陶しそうな顔をした。二人きりがいいのだろう。
そういえば、龍園自身とその側近連中以外は、無人島を楽しむだけ楽しんでさっさとリタイアする方針だったことを思い出した。
……Aクラスの過半数とCクラスのほぼ全員がリタイア済みで、船に帰ってやりたい放題しているという現状。間違いなく、前代未聞だろう。無人島試験のあり方が問われそうだ。
そんな感じでまったり過ごしていると、一人の女子生徒がこちらへやって来た。
「こんにちは。少し、お話してもよろしいですか?」
彼女は確か……
「そっち座りなよ」
「ありがとうございます」
とりあえず、俺たちが座っているソファの対面側に誘導した。
有栖ちゃんは意外にも興味があるようで、鋭い視線で彼女の動きを観察し続けている。
彼女はソファに座って、片手に持っていた本を鞄にしまった。
それから落ち着いた口調で店員を呼び、一杯の紅茶を注文した。
「私は、1年C組の椎名ひよりと申します。お二人は、Aクラスの坂柳さんと高城くんですよね?」
椎名ひより。Cクラスの女子であり、いつも図書館で読書をしている子だ。
「その通り。もっとも、Aクラスという肩書きがつくのは今週までかもしれないが」
「ふふっ、面白いです。それをジョークにできるのは、きっとお二人しかいないでしょう」
……鋭い。
俺と有栖ちゃんがAクラス争いに興味がないことを、すでに察している。
早くも理解した。
椎名さんは、有栖ちゃんと同じタイプの人間である。
そして彼女は……それをわかっていて話しかけてきたのだ。
「……椎名さんは、なぜ私たちに興味を持たれたのですか?」
有栖ちゃんが質問をする。
こちらも、大体のことは察してそうな感じだ。
「正直に申し上げますと、直感的なものという表現になってしまいます。ご覧の通り、私たちだけでなくAクラスの方も多くリタイアされています。その中でも、お二人からは明らかに違う雰囲気を感じましたので、つい声をかけてしまいました」
そういうことか。
椎名さんはCクラスの中でも異端と言える生徒だ。少し浮いているといってもいい。
そんな彼女が、明らかにAクラスの中で浮いている俺たちを見つけた。そこに興味が生まれたらしい。ある意味、同族といえば同族だからな。
そんな話をしているうちに、椎名さんの紅茶が来た。
「……船内では、こういったものも無料で楽しめるのがありがたいですね。私も決してポイントに余裕はありませんから」
「龍園がカツアゲしてるんだっけ」
「そこまでは言いませんが、龍園くんが各生徒のポイントを回収しているのは事実です」
ちなみに、帆波さんも同じようなことをしている。
あのクラスは「五公五民」。入手したポイントのうち半分を帆波さんに献上するルールだ。
これを知った時、さすがに酷くないかと思った。しかしクラス内では不満が出るどころか、六割、七割とより多くのポイントを渡している生徒もいた。神に供物を捧げるのは当然、というような認識だ。帆波さんが言い出した話ではないが、俺は少し気持ち悪さを感じてしまった。
現状、帆波さんはこれ以上ない結果を残している。二つの特別試験で逆転、大差のAクラスとなれば話が余計にエスカレートすることは必至だ。
……まぁ、本人たちで決めたことだし、当事者が幸せそうならいいのかな。
「そっか、龍園ならそういうやり方もするよな」
「おや、特に驚かれないのですね」
以上のことから、俺は椎名さんの話を聞いても全く驚かなかった。
何なら、力で言うことを聞かせる龍園の方がまだ健全ではないかと思ってしまうぐらいだ。
「椎名さんは、Aクラスを目指す気持ちはありますか?」
「そう、ですね……はい」
有栖ちゃんの唐突な問いに、椎名さんは肯定的な返答をした。
なるほど、そこは俺たちと百八十度違う部分だ。
「ふふっ、そうですか。頑張ってくださいね。私たちと違って、帆波さんは強いですよ?」
強くしているのは有栖ちゃんなのだが。
「……そういう空気を出さないのも、一之瀬さんの強さなのでしょうか」
「帆波さんは、唯一無二の才能を持っていますから。一度彼女のクラスに行けば、その異常性は理解できると思います」
有栖ちゃんの説明で、俺は勝手に納得した。
確かに、帆波さんのカリスマ性というか、人を惹きつける力は恐ろしい。いくらすごい結果を残したとしても、クラス全員が喜んでポイントの半分を差し出す状態はなかなか作れない。
例えば俺が同じことをしても、全員をそういう状態に持っていくのは無理だ。有栖ちゃんでも簡単ではないだろうし、綾小路でも難しいと思う。帆波さんのルックスと性格、それに結果が合わさることで、今の状況が生まれているのだ。
逆に、帆波さんの弱点として、人が良すぎるあまり、相手をねじ伏せるような戦術とか絡め手に引っかかりやすいというものがある。
現状、それは有栖ちゃんが手助けすることで補われている。
しかし、その助力によって独裁政治を可能にしているのは帆波さん自身の才能であり、実力であることに変わりはない。
集団を団結させるという点においては、彼女は天才である。
有栖ちゃんがやっていることは、その天才性が最大限生きるようにする作業。主演女優に対する、映画監督のようなものなのだ。
つまり、有栖ちゃんの構想は……
「大変楽しいお話をありがとうございました。今後とも、よろしくお願いしますね」
「おう、図書館とかで見かけたら声かけるよ」
「ぜひお願いします。その際は、おすすめの本でもご紹介します」
しばらく雑談をしてから、椎名さんは客室へ帰っていった。
知らないうちに他の客も帰っており、有栖ちゃんと二人になった。
「……彼女は、面白いですね。この争いのジョーカーになりうる存在です」
「観察力というか、人を見る目はすごいと思った」
「はい。ああいった方が本気を出すと、きっと楽しくなりますよ」
どこまでも他人事な発言。
それがあまりにも有栖ちゃんらしくって、俺は吹き出してしまった。
「あははっ、面白い。椎名さんも、キャストの一人ってことか」
「そうですね。晴翔くんも面白いと感じますか?」
「そりゃあもちろん。有栖ちゃんにはいつも楽しませてもらってるよ」
よかったです、と有栖ちゃんは一言。
それから少し残ったコーヒーを飲み干して、微笑みを浮かべた。
「私にとっての最重要課題は、あなたにこの学校を楽しんでもらうことです。そのためなら、他はどうなろうと構いません」
あんまりな言いっぷりに、俺は再び笑いが止まらなくなった。
……やっぱり、この子にはかなわないなぁ。
サバイバルが続く無人島を眺めながら、俺はそんなことを思った。