二回目のディスカッションは、何も起きなかった。
正確に言うと、雰囲気が悪すぎて誰も発言しなかった。
真鍋が軽井沢の方をずっと睨みつけていて、みんな話す気にもならなかったのだ。
前回の件が相当頭に来ているようだが、軽井沢は清隆という盾を持っていい気になっているのか、終始余裕そうな態度を示していた。こんな調子では、そのうち痛い目に遭いそうだ。
終了後、俺たちの客室に桔梗ちゃんが訪ねてきた。
彼女も龍グループに配属されたらしい。残念ながら堀北と一緒だ。
「ほんっと、変な人ばかりで嫌になっちゃう」
ソファに座って、大きなため息をついた。
あからさまに疲れた様子。部屋に備え付けのお茶を淹れてやると、少し表情が和らいだ。
「お疲れさま。帆波さんも変な人認定なんだ?」
「ありがと……あの人以上に変な人なんて、いないと思うけど。あれが全部素なんて、信じられない。無理無理、絶対頭おかしいよ」
もうこりごりといった感じで、首を横に振る。なるほど、ここは相性が良くないのか。
言われてみれば、苦手意識を持つのは当然かもしれない。
帆波さんは優しさとカリスマ性で人をまとめ上げ、誰にでも裏表なく接して、いつの間にか彼女の虜になっている。リーダーではなく、もはや教祖といっていい存在だ。
八方美人を演じる桔梗ちゃんからすれば、とてつもなく気持ち悪い相手なのだろう。
素か演技かという話になるのだが……
「俺は、桔梗ちゃんもすごいと思うよ」
「えっ?」
「人なんて誰しも、多少は取り繕って生きてくものだろ。ああいうキャラクターで裏が無いというのは、どこか人間っぽくないと思う」
「……そうだよね。あんなの、普通じゃない」
「お前は毎日自分を作って、学校という社会に溶け込もうとしている。こうやって、ため込んだものを吐き出しながらも頑張ってる。それは本当にすごいことだと思うし、俺はそういうお前のことが大好きだから……あんまり、劣等感持つなよ」
俺は自分の率直な思いを伝えて、桔梗ちゃんをフォローすることにした。ディスカッションで帆波さんと相対して、コンプレックスが刺激されないか心配になったからだ。
帆波さんは自分には出来ないことができる。自分は相手よりも価値が低い。そんな風に思ってほしくない。桔梗ちゃんにしかできないことだって、たくさんあるのだから。
「晴翔くん、私のことをそこまで……」
「大事な人には、傷ついてほしくないのさ」
もちろん、帆波さんを嫌いか好きかと問われれば、間違いなく好きな部類に入る。
俺は彼女の過去も知ってしまっているし、不幸になってほしくはない。
ただ、ある意味誰よりも強烈な個性を持つ彼女は、理想的な生徒ではあるものの、凡人には受け入れられない部分もある。
あれは全て、帆波さんだからできることだ。俺にも有栖ちゃんにも、桔梗ちゃんにもできない。真似しようと思っても真似できないし、そんなところで劣等感を持つのは無意味である。
桔梗ちゃんにはまた違った魅力がある。何も、同じ土俵で勝負する必要はない。
こういう人間臭い一面も、メンタルの弱い部分も、意外と優しいところも、全て櫛田桔梗という存在の一部だ。決して天才ではないが、一生懸命に生きている一人の女の子なのだ。
「そっか……うん、本当に嬉しい。私もあなたのこと、大好きだよ」
「そりゃ光栄だ。お前がそんなことを言ったと知られたら、各方面から怒られそうだが」
「なにそれ?意味わかんない」
ケラケラと笑う様子を見て、ほっとした。もう大丈夫だろう。
悲しそうだったり、辛そうな顔をしている時は、これからも手を差し伸べたい。
本気でそう思うぐらい、俺は桔梗ちゃんのことが好きなのだ。
それから、しばらく三人で雑談をした。
桔梗ちゃん自身が優待者であることに加えて、他のDクラスの優待者も教えてくれた。
有栖ちゃんはそれを聞いてから、即座にメールを送った。相手はおそらく帆波さん。GOサインを出したと思われる。早くも、この試験の決着がつきそうだ。
そして、午後10時になった。俺は携帯を取り出し、メールを見る。
『兎グループの試験が終了いたしました。兎グループの方は以後試験へ参加する必要はありません。他の生徒の邪魔をしないよう気をつけて行動して下さい』
これで、俺たちはグループディスカッションから解放された。
一息ついてから、考える。明日からずっと自由行動か……何をしようかな?
この二人はあまり結果に興味がないらしく、仲良く話を続けている。
「桔梗さんは、今日はこちらで?」
「二人が大丈夫なら、一緒がいいな。やっぱり、私にはこっちの方が居心地良いし」
有栖ちゃんが頷くと、とても嬉しそうに微笑んだ。
その表情を見て、俺はふと思った。
俺はこの学校に来た当初、有栖ちゃんを誰かに任せたいと思っていた。
しかし、そんな相手はどこにも存在しないことを理解した。
俺の代わりは誰にもできないし、一生を捧げる覚悟はできている。
……有栖ちゃんにとっては、ほとんどの人間が路傍の石に過ぎないことも知っている。
でも、桔梗ちゃんはどうだろう。
有栖ちゃんからすれば、何でも言うことを聞いてくれる、可愛くて優秀なお友達。
俺からすれば、お互いのことを包み隠さず話せる、かけがえのない親友。
それどころか、今では有栖ちゃんに次ぐ
「晴翔くん?」
「大丈夫ですか?」
二人が俺の顔を心配そうに見つめている。
おっと、つい考え込んでしまった。俺の悪い癖だ。
「ごめんごめん、もう寝ようか」
とっくに風呂は入ったし、あとは寝るだけだ。
有栖ちゃんをベッドの真ん中に配置して、いつもの川の字。
二人きりもいいが、また違った幸せを感じる。
さあ寝ようと思ったその時、再び俺たちの携帯が鳴った。大量のメールが来ている。
何度か通知音が流れた後、ピタッと鳴り止む。間違いなくアレだ。
……帆波さん、行動が早いな。あとは引き金を引くだけの状態にして待っていたのか。
今ごろ、多数の生徒が驚倒しているだろう。一部の人間を除いては、何が起きたのかさえ理解できないと思う。何もできないまま終わってしまったと、責任を感じる者もいるかもしれない。
まぁ、いずれも俺たちには関係のない話だ。
有栖ちゃんは一切反応せず、携帯を触ることすらしなかった。桔梗ちゃんも同様だ。
俺は一応ロックを解除し、メールが全て試験終了のお知らせであることを確認した。
見たからといって、話題に出すつもりもない。そのまま、ベッドの端に携帯を置いた。
試験の結果より、この心地よい時間の方が大事である。
俺たち三人は、そんな共通認識を持っていた。
有栖ちゃんと晴翔くんは、私にとって最も大切な存在だ。
彼らは私の負けず嫌いな部分も、誰かに褒めてほしい欲求も、全て理解し受け止めてくれる。
二人の前では、私は感情を押し殺す必要もなく、ありのままの自分でいることができる。
こんな人たちは、もう二度と現れない。
今まで誰よりも多くの人間と関わってきたからこそ、私はそうであると思う。
だから、絶対に失うわけにはいかない。
私はずっと、二人と一緒に歩み続けていきたい。
有栖ちゃんの包み込むような優しさと、晴翔くんの純粋で真っ直ぐな好意。
これらが無くなるなんて、考えたくもない。
きっと二人は結婚するだろう。
それでも、私は一緒にいることが許されるのだろうか?
数年先の未来を心配するなんて、おかしなことだ。今考えてもしょうがない。
そうやって自分に言い聞かせても、一度生じた不安が消えることはなかった。
そんな時、晴翔くんがディスカッションでへとへとになった私を労ってくれた。
あの言葉は一生忘れないと思うし、彼に有栖ちゃんという恋人がいなかったら……間違いなく、本気で惚れてしまっていた。深夜になった今でも、ドキドキがおさまらない。
熱い想いで胸がいっぱいになるのと同時に、ある疑問が生まれた。
どうして、二人はあそこまで強く結びついたんだろう?
晴翔くんの中に、有栖ちゃんがいる。あの夜の有栖ちゃんが、今の晴翔くんと重なる。
……あっ。
その瞬間、全てがつながった。
晴翔くんの献身と、有栖ちゃんの依存。
きっと、有栖ちゃんは……晴翔くんの優しさに負けたんだ。
この子の考え方は、今の私と同じ。ずっと好きでいてもらうために、頑張っている。
そう気づいたら、有栖ちゃんのことがもっと好きになった。
世界一可愛らしい寝顔。その額にキスをして、私は幸福感に浸る。
真実に辿り着いた後、頭の中に幸せな将来像が浮かんできた。
そっか、私も一緒に有栖ちゃんを支えればいいんだ。
彼と同じようにはできないけれど、やってみる価値はある。
テーブルに置かれた『有栖ちゃんメモ』というノートを見て、私は一つの決意をした。