客室に戻ると、二人が笑顔で迎えてくれた。
「あっ、おかえり」
「ありがとうございました」
楽しく話せたようで良かった。
早速有栖ちゃんが俺の隣に来て、腕を絡ませてきた。
その感触で、ほっとしたような気持ちになる。やっぱり、俺たちは一緒じゃないとダメだ。
「……そっか、そういう意味なんだ」
「ご理解いただけましたか?」
意味深なやりとりも、特に詮索しない。
女の子の秘密を探るなんて、野暮というものだ。
桔梗ちゃんもとても機嫌がよさそうだ。
そう思っていたのだが、少し様子が変だ。今まで見たことのない、どこか恥じらうような表情を浮かべている。落ち着かないまま有栖ちゃんの反対側に座って、一つ深呼吸をした。
そして、俺の耳元で小さく囁いた。
「……有栖ちゃんは、私たちが『親友』なんかじゃ困るんだって」
「えっ?」
「だから、許してね?」
目を瞑り、顔を近づけて……
えっ?
柔らかいものが触れる。自分が今何をしているのか、思考が追い付かない。
どうして、俺が桔梗ちゃんと?なぜこのタイミングで?
頭に浮かぶ疑問は唇の温かさで全て打ち消されてしまい、何も考えられなくなる。
桔梗ちゃんと、キスをしている。その事実は、俺から冷静さを奪うには十分すぎるものだ。
もちろん嬉しい。彼女のことは大好きだし、俺の中では親友以上の存在といっていい。
しかし、突然かつ過激すぎるアプローチに戸惑いを隠すことができない。
過程を全て省いて、いきなり結論を突き付けられたような感じを受ける。
「ふふっ、やはり予想通りですね」
そんな俺たちの様子を、有栖ちゃんは面白そうに見つめる。
間違いなく、この子の差し金だ。一体、どのように思ってこの行為に至ったのか。
有栖ちゃんの考え方はある程度理解したつもりでいたが、まだわからなかった。
しかし、後でゆっくり考えればわかるような気もした。そういった根拠のない自信が出てくる程度には、俺は有栖ちゃんの思考を読むことに慣れ始めていた。
「桔梗さん。私のあなたに対する感情は、先ほど申し上げた通りです。最高に愛おしくて、最高に妬ましい。そんなあなたのことが、私は大好きです……末永く、よろしくお願いしますね」
「うん。有栖ちゃんのこと、ずっと大事にするから」
桔梗ちゃんのカバンに、一冊のノートが入っている。
これは俺が書いた『有栖ちゃんメモ』。彼女の元に渡ったらしい。
その意味は、鈍い俺でも理解することができた。
……桔梗ちゃんとは、一生の付き合いになるだろう。
でも、そんな相手がこの子でよかった。俺と有栖ちゃんを好きでいてくれる、優しい女の子。
彼女と出会えたことは、この学校に入って一番の幸運だったと思う。
「あなたは、いずれ私たちの家族になるでしょう。その日を楽しみにしていますね」
最後にそう言った有栖ちゃんは、心の底から嬉しそうだった。
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その夜は、なかなか寝付くことができなかった。
俺は有栖ちゃんと二人で、デッキの先に立ち海風を浴びていた。
「今日はいろいろとありすぎて、興奮が冷めないな」
「ふふっ、清隆くんとの件はいかがでしたか?」
「やっぱりアイツはヤバい。でも、恵ちゃんが割と幸せそうだった印象が強い」
そうですか、と有栖ちゃんは一つ返して、黙り込む。
他に誰もいない、二人きりの夜。不気味ですらある静けさが、俺の心を揺らす。
「……桔梗さんとのこと、聞かないのですね」
「聞かない。有栖ちゃんのことだから、どうせ俺を最優先で考えてくれてるんだろ?」
ポツリと呟いた言葉に、俺は即答した。
絶対的な信頼。俺と有栖ちゃんの関係を一言で表現するとすれば、そんな感じだろう。
何があろうとも裏切ることはないし、お互いがお互いを必要としている。
自分の半身といっても過言ではないと思う。
確かに桔梗ちゃんとのキスは驚いた。しかし、きっとこれも何か考えがあってのこと。
俺たちの絆が揺らぐようなことは、今後いかなる事象が発生しようともあり得ない。
「ありがとうございます。とても嬉しいのですが……ふふ、実はそれが原因なのです」
「えっ?」
有栖ちゃんは一旦俺の手を離し、デッキの先端に立つ。
転んだら危ないと反射的に足が動いたが、彼女はそれを手で制した。
「……私のこと、女の子だと思っていないでしょう?」
ざぶーん、と船が揺れた。
一瞬、何を言っているのかわからなかった。
有栖ちゃんは確信を持っている様子で、微笑みを崩さない。
「俺が、有栖ちゃんを?」
「私とあなたは、異性の関係となるには距離が近すぎるのです。親よりも大切な存在を、他人の延長たる恋人などと位置付けるのは、違和感がありますね」
少し間をおいて、ようやく言っていることを理解した。
俺にとって、有栖ちゃんはどういう存在であるかということ。
そう、全ては彼女の言う通りなのだ。過去のことを思い起こすと納得がいく。
一日のほとんど全てを共に過ごし、一緒に風呂に入って、一緒に寝る。
それが特別なことではなく、当たり前のこととなっている。確かに、恋人とは少し違う。
俺たちは二人で一つなのだ。俺は有栖ちゃんが幸せならそれでいいし、逆もまた然り。
基本的に、恋というものは他人に対してのみ成立する。親子や兄弟の恋を否定するわけではないが、俺たちの感性はその点において普遍的なものであった。
近すぎるというのは、そういう意味なのだろう。
「どうしよっか、これから」
「晴翔くんは、どうして欲しいですか?」
俺がどうしたいか。これは、きっと非常に大事な質問だ。
おそらく、有栖ちゃんはここで俺が回答した通りに動く。
一度夜空を見上げて、心を落ち着かせる。大海原の中の、綺麗な星空。
俺たちにとって、何がベストなんだろう?
「……少し、保留させてほしい。衝撃が大きくて、すぐに答えが出ない」
「わかりました。真剣に考えていただいて、ありがとうございます」
結局、すぐには思いつかなかった。
とはいえ、今はまだこれでいいのかもしれない。
高校生活は長い。結論を急ぐ必要はないと、俺は判断した。
「でも、俺は有栖ちゃんのことが大好きだ。他の誰よりも」
「私も晴翔くんのことが、大好きです」
キスをして、お互いの存在を確かめ合う。この瞬間、またしても俺は理解してしまった。
この感情は……男女のロマンスというよりも、家族に対する親愛だ。
「……親以上の関係と思っていたが、それすらも違うかもな」
「はい。私も全く同じことを思いました。あなたは、もはや『もう一人の自分』です」
有栖ちゃんがどうしてほしいのか。俺は、それをなんとなく理解することができる。
この能力は、長年にわたるサポートの経験により身についたものだ。
かつて特別な感情も持っていなかった時期も、有栖ちゃんの心を読むことは自分の作業を楽にすることに繋がったため、最優先事項として努力していた。
それが発展して、いつしか俺は有栖ちゃんの思考や感情を読めるようになっていた。
今ではちょっとした仕草や、表情の変化から有栖ちゃんの心の動きを察知することさえ可能だ。
……有栖ちゃんも、同じことができるようになってきたのかもしれない。
つい忘れてしまいがちだが、彼女は超のつく天才だ。その能力を全て俺のためだけに使ってくれているとすれば、その程度のことは簡単に習得できるだろう。
そして、本来こんな芸当ができるのは何十年も一緒にいた熟年夫婦ぐらいのものだ。
俺たちの特殊な環境が、その時計をめちゃくちゃに早めてしまった。
自分の意志を読み取って、先回りして動いてくれる存在。
それは、もう一人の自分といっても差し支えない。
「桔梗ちゃんにあんなことをさせた理由は、あの子が俺を異性として好きだからだろう?」
俺は直球で、有栖ちゃんに質問した。
ここまでわかった以上、わからないふりをする意味もない。
今までこういうことは確信がなければ言わないようにしていたが、今後はそれを取りやめることにした。有栖ちゃんに対する俺の予想は、きっと正解なのだから。
「正解です。ふふっ、青春ですね」
「言っておくが、多分まだそこまで深いものじゃないぞ?」
「わかっています。だから、試してみたくなったのです」
「桔梗ちゃんの反応からして、自覚もなさそうだが」
他人だからできること。俺と桔梗ちゃんは、まだその域を出ていない。
しかし、特に高校時代の恋人などというものは、その程度の関係だからこそ成立する。
ここまで理解すると、有栖ちゃんが最後にかけた言葉の意味も通る。
いずれはそこを超えて、俺たちと同じ場所に来てほしい。そういう願いがあるのだ。
有栖ちゃんに対するサポートを練習させるのも、その一環というわけか。
「……愛情というものは、難しいですね。最近、つくづくそう思ってしまうのです」
「有栖ちゃんでも難しいなら、俺には解決不能だ。でも、それでいいんじゃない?」
そろそろ眠気が来たので、俺たちは手をつないだまま客室へと戻る。
デッキから船内へ入る直前、俺は今の議論をこう結んだ。
「こうやって、馬鹿みたいにお互いのことを考えている。この行動こそが、愛情だと思うんだ」
相変わらず、空が綺麗だった。
次は土曜か日曜ぐらいになります。
久しぶりの有栖ちゃん視点かもです。
有栖ちゃんは櫛田にかなり嫉妬してます。