二学期が始まった。
今日から授業もスタートしているのだが、Bクラスの雰囲気は弛緩しきっている。
どこでどう遊んだ、あそこのレストランが美味しい……みんな、夏休み気分のままだ。
とても実力至上主義とは思えぬ状態だが、これはこれでいいような気もする。
本来、高校生とはこういうものだ。終わってしまった長期休暇を惜しみながら登校して、教師に怒られることで少し気持ちが変わり、なんとか授業に入る。何も不思議なことではない。
彼らは、ある意味「普通」に戻っただけなのかもしれない。
しかし、そんなBクラスであってもクラス間の争い……特別試験は平等にやってくる。
この特殊な学校にいる以上、いくらやる気がなくとも逃れることはできない。
午後に二時間も設定されたホームルームが、その現実を突きつけることになる。
真嶋先生が一度ため息をついてから、プリントを配布する。
さすがに彼らも全く興味がないわけではないのか、一時的に教室は静かになった。
「各自、内容をよく読むように。この体育祭に向けて、来月初めまでは体育の授業の割合が増えることになる。細かいルールについては、今から説明する」
一枚目のプリントは、新しい時間割表だった。
確かに体育が多い。有栖ちゃんの見学が増えることになるな……
「今回の体育祭は、全学年を二つの組に分けることになる。われわれBクラスは白組だ」
二枚目以降のプリントは、体育祭のルールが記載されたものだった。
BクラスとCクラス……わかりづらいが、清隆たちのクラスが同じ白組となる。
帆波さんと龍園が赤組というわけだ。合っているよな?
本当にややこしい。誰がどのクラスなのか、一瞬こんがらがってしまう。
すでに全クラスが入学当初の配置と異なるクラスになっているから、当然のことではある。
この短期間でここまで変動するなんて、誰も予想できなかったはずだ。
……一部の天才を除いては。
桔梗ちゃんが味方チームなのは、俺たちにとって非常にありがたいことである。男女別の競技に出ている間、有栖ちゃんを任せることができるからだ。偶然とはいえ、都合の良い形となった。
「また、坂柳については『不戦敗』ではなく『不参加』となる。具体的には、全競技において得点計算の対象としない」
プリントに目を落としている最中に、急に有栖ちゃんの話が出たので驚いた。
今なんて言った?不参加となる?
「質問してよろしいでしょうか」
「何だ?」
葛城が挙手して、立ち上がった。
「得点計算の対象としないというのは、このプリントに記載されている各種のペナルティを受けないということでしょうか?」
「その認識で問題ない。心疾患というやむを得ない事情を踏まえ、人道的配慮としてこの措置を取ることになった」
この特別試験は、生徒たちにとってはマイナスが大きいものだ。各競技で最下位を取るとその度にポイントを徴収されたり、合計点数の下位10名に筆記試験の減点が入ったり、言っちゃ悪いがクソみたいなイベントだ。
これに全て不参加でもノーダメージというのは、恐ろしいまでの優遇措置である。
「それって不公平じゃないですか。身体が弱いからって」
「戸塚、俺はお前の質問を許可したつもりはないぞ。そして、その考え方は社会人としては許されない。将来命取りになるから気をつけろ」
戸塚はムカつくが、今回ばかりはそう思ってしまうのも仕方がないと感じた。
有栖ちゃん一人のために、ルールを捻じ曲げた?
こうなった理由がわからず、俺は戸惑う。さすがにこれは異常事態といっていい。
だが、クラスの生徒たちの反応は……白い目。
おそらく、本当に有栖ちゃんを尊重してくれているのはごく少数の生徒だけだ。どちらかというと、面倒事が起きるのを嫌がっているように見える。
失笑とため息が、大きな圧力となって戸塚を襲う。
「……すいません」
本人もそれを感じ取ったのか、俯きながら真嶋先生へ謝罪した。
再び椅子へと座り、ばつの悪そうな表情を浮かべている。
「説明を続けるぞ」
以降の話は、頭に入ってこなかった。
……こんな大それたことをする人間は、かなり絞られる。試験内容をいじることができる者など、ごく少数に限られるからだ。生徒会か、教師か。あるいはもっと上の存在か。
一体誰の仕業だろう?
俺はまだ、答えにたどり着くことができなかった。
一通りの説明が終了し、残りの授業時間は自由に使っていいことになった。
そこで葛城が作戦を立てようと言い始めたが、なかなかまとまらない。
さすがに授業中ということで勝手に退出するような生徒はいなかったが、その態度は酷いもの。話を全く聞かず、明日の小テストの勉強をする女子。しけた顔で、ぼーっと窓の外を見る男子。自信過剰なエリート集団はどこかへ行ってしまったようだ。気だるい雰囲気のみが場を支配する。
「……推薦参加の種目に出たい者は、俺に言ってきてくれ」
肩を落とした葛城が、小さな声でそう言った。
数少なくなった葛城派の人間のみ反応する光景は、このクラスの現状を表している。
好きの反対は無関心というが、その通りであると実感した。
大した議論がされることもなく、いつの間にか二十分が経過していた。
なんというか、ものすごく無駄な時間だった。
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それから休憩時間を挟んで、俺たちは体育館に集められた。全学年の顔合わせということで、数多くの上級生がいる。近くに南雲の姿も見えたが、こちらから声をかけるのは遠慮しておいた。
有栖ちゃんと隅っこの方に立っていると、一人の男が近寄ってきた。
「おっ、『アイドルキラー』がいるぞ」
「何だって?」
ふざけた口調で声をかけてきたこいつは、確か……
「寛治くん、どうしたの?……あっ」
直後に、桔梗ちゃんがやって来た。
その名前を聞いて思い出した。そうそう、池寛治。山内・須藤とセットで、クラスの三馬鹿とか言われている男だ。
「アイドルキラーって何だよ。変なあだ名をつけないでくれ」
「いやー、お前は実績がありすぎるからな……あの一之瀬様に接近できる、数少ない男子の一人だろ?隣の坂柳さんはもちろん、それから……」
「晴翔くんっ!」
池が話し終わる前に、桔梗ちゃんは俺の腕に抱きついてきた。
急すぎる行動に、俺も池も呆気に取られてしまった。
「えっと、桔梗ちゃん?」
「晴翔くんと同じ白組になれて、私すっごく嬉しい」
営業モードのまま、めちゃくちゃ甘えてきた。一体どういうことだろう?
……有栖ちゃんは無表情に見えるが、これは笑いを堪えている。俺にはわかる。
つまり、二人の中では計算済みというわけだ。それなら俺は、流されておけばいい。
「ああ、俺も嬉しいぞ」
「本当?やったー!」
本当に嬉しそうな表情で、胸を押し当ててきた。おいおい、そこまでやるのか?
それに対して、不機嫌そうな演技をする有栖ちゃん。愕然とする池。
「……彼は渡しませんよ?」
「ふーん。まぁ、それは晴翔くんが決めることだよね」
少し声を大きくして、二人は火花を散らす……ように見せかける。
周りに関係性をアピールするかの如く、睨み合ったまま話を続ける。
俺でさえ、一瞬本気なのかと疑ってしまうぐらいの名演技だ。
自分を作るのは桔梗ちゃんの得意分野とはいえ、これはすごい。
「お、お前……マジかよ」
池は顔を引き攣らせたまま、後ずさりした。
こいつにとっては、今の桔梗ちゃんがかなりショックだったようだ。
「晴翔くんは譲れないよ。その相手が、親友の有栖ちゃんだとしても」
「ふふっ、そうですか。奪えると思うなら、どうぞ奪ってみてください」
宣戦布告。ここまで聞けば、馬鹿な俺でもさすがにわかる。
この二人は、ライバル関係を演出したいのだと思う。今までのように、距離が近すぎると不都合なんだろう。表向きは別クラスの生徒という立場もあるし、スパイ行為を疑われては面倒だ。どちらかというと、桔梗ちゃんが動きづらくなるのを防止する意味合いが強いのかな。
うーん、体育祭の動きは考え直した方がいいか……俺が離れてる時のことは、真澄さんに頼む方が正解かもしれない。
「羨ましい。どうやったらそんな状況を作れるんだ……負けたぜ」
池は両手を挙げて、降参ポーズを取った。
いや、何の勝負だよ。勝手に負けてろ。
「えっ、晴翔くんたちってそういう関係だったの!?」
そして帆波さん、いつからそこにいたんだ。
頼むからあなたは騙されないでくれ。話が大きくなる上に、俺の株が下がりまくる未来が見える。つーか、やる前にこの人には説明しておこうよ……
「帆波さん、しばらくぶりですね」
「うん……私も立候補!なーんて言ったら、どうなるかな?」
どうなるかって?俺が袋叩きに遭う。変死体となって発見されるかもしれない。
マジでやめてください、お願いします。帆波さんだけは冗談抜きでヤバいって。
ほら、周りからの視線が突き刺さってる。物理的には痛くないのに痛い。
……まさか、手遅れなのか。アイドルキラーってそういうことかよ。
友人関係を楽しむばかりで、その他大勢からどう思われているか意識したことがなかった。
その後、この不名誉な異名が学校中に広まっていることを知った。
清隆と恵ちゃんはもちろん、龍園や神崎でさえも知っていたから相当なものだ。
しかも、馬鹿にするようなニュアンスではなく、わりと恐れられているらしい。例の戸塚との一件もあって、高城の女に手を出すと半殺しにされるとかいう噂まで流れている。
話に尾ひれがつきまくっていて、もう収拾がつかない状況だ。
急に胃が痛くなってきた。個人的には、すでに体育祭どころではない。
俺は各クラスの「アイドル」たちに囲まれながら、頭を抱えた。