体育祭まであと二週間となった。
放課後、俺と有栖ちゃんは人気のないカフェでゆったりとした時間を過ごしていた。
「そのケーキ、美味しい?」
「美味しいですよ。食べますか?」
あーん。うん、甘さひかえめの生クリームがいい感じ。
このやり取りは定番だ。人が食べているのを見ると、俺も食べたくなる。
あと、有栖ちゃんはこうやって俺に食べさせるのが好きらしい。普段、何か「してあげる」ということがあまりないから……と言っていた。そんなこともないと思うんだけど。
「なかなかうまいな。今度は俺も頼もう」
「ふふっ、また来ましょうね。こういうデートも良いものです」
有栖ちゃんの言う通り、心地良いひとときだ。俺にとっては、これこそが理想的な高校生活と言ってもいい。好きな女の子とだらだら過ごす夕方なんて、最高じゃないか。
それにしても、最近はとにかく暇だ。体育祭の練習には参加していないし、参加競技を決める打ち合わせなど顔を出したことさえない。そして、残念ながらBクラスではそういう人間が多数派なのだ。HR後に直帰しても全く目立たない、素晴らしい環境である。
……推薦参加種目は葛城派の生徒が全て出ることになるだろうが、全員参加種目をどういう順番にするのか疑問ではある。勝手に決めたら、クラスが大荒れになるのは必至だ。
「まぁ、俺には関係ないんだけど」
俺も含めて、今のBクラスはとにかく自己中な集団である。舵取りを間違えれば、今まで無関心を貫いていた層が激しいアンチに変貌する可能性は高い。
だからといって、非葛城派を立てるようなことをすると、今度は自分の足元が揺らぐ。ここまでずっと葛城を支持してきたのに、なぜ?という意見が出るのは間違いない。
完全に詰んでいるように見えるが、どうするつもりだろうか?
だが、そう思ったところで何をするわけでもない。どうでもいいや……という感想しか出てこないからだ。結局のところ、どこまでいっても他人事である。
「そろそろ、頃合いかもしれません」
有栖ちゃんがフォークを置いて、ぽつりと呟いた。
「頃合い?」
「帆波さんが、Bクラスの生徒たちの負債を肩代わりする件です。覚えていますか?」
そういえば、そんな話もあったな。言われて思い出した。
帆波さんが持っているポイントは、既に一千万を超えているだろう。もはや、龍園に払うポイントなど端金だ。
「クラスとしてその話を拒絶することは、絶対にあり得ない。確実に賛成多数だ」
「はい。拒絶どころか、契約後は生徒たちのモチベーションが上がると思います」
「今まで黙っていた奴らが『帆波派』になるわけだから、当然だな」
「その通りです。彼女の優しさと温かい言葉は、崩壊した集団を動かすには十分すぎる力を持ちます。クラス同士の協力はもちろん、一定数の『信者』を獲得する結果になるでしょう」
負け続けてボロボロになったBクラスに、救いの手を差し伸べる。するとどうなるか?
帆波さんというメシアに従って動く、狂信的な集団が生まれる……かもしれない。
……さすがにそこまでは行かないか。でも、今の葛城より求心力が高くなるのは確実だ。
また、Bクラスの生徒には龍園に対する潜在的な憎悪がある。あいつに一泡吹かせてやろうという方向に話を持っていけば、一定の団結力も生まれるだろう。
その辺りも踏まえつつ、有栖ちゃんが考えた言葉を帆波さんが話す。悪意の見えない態度と、持って生まれたカリスマ性。集団を洗脳するために必要なものを、彼女はいくつも持っている。
まず失敗はない。それでも落ちない生徒が何人いるか?程度の問題だ。
「帆波教の勢力がどんどん拡大していくな。最終的に、学年を支配させるつもり?」
「最後は帆波さん次第ですが、それも面白いかもしれませんね。私としては、龍園くんにその牙城を崩してほしいと思いますが……返り討ちに遭うのを見るのも、また楽しいものです」
そう言って、有栖ちゃんは笑った。とりあえず可愛い。
この笑顔が見られるなら、俺は何でもオッケーだ。
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午後六時を回った頃、特に意味もなく清隆の部屋を訪ねた。
「よう、遊びにきたぞ。迷惑だったら帰るけど」
「お、おう。迷惑なんてことはないが……」
珍しく歯切れの悪い清隆。
靴を脱いで部屋の中へ入ると、すぐにその理由が分かった。
そこには、何かの景品だと思われるファンシーなぬいぐるみや、可愛らしい雑貨類が置かれていた。もちろん恵ちゃんの趣向だとわかっているが、清隆のイメージとは大きくかけ離れていて、なんだか笑ってしまいそうになる。ぬいぐるみと一緒に生活する清隆なんて、想像するだけで面白すぎる。反則だ。
有栖ちゃんも隣でニコニコしている。微笑むというよりは、大笑いするのを抑制している感じがする。楽しそうで何より。
「なんつーか、その」
「晴翔の言いたいことはわかる。勘弁してくれ……」
清隆は首を横に振って、ため息をついた。俺たちの反応は予想できていたらしい。
「いや、決して馬鹿にする意図はない。むしろ、ちゃんと見るとなかなか良いと思うぞ。普段の清隆とのギャップが大きくて、驚いてしまっただけだ」
「元々はこんな部屋じゃなかったのだが……」
「それはわかる。恵ちゃんだろ?」
「そうだ。可愛い部屋じゃなきゃ嫌だと、譲らなくてな……」
いかにもあいつが言いそうなセリフだ。
「ただいま〜!」
噂をすればなんとやら、恵ちゃんが帰ってきた。
珍しく、今日は別行動を取っていたらしい……それって結構すごいことじゃない?
いつの間にか、依存しつつも離れることを許容できるようになっている。
「おかえり」
「ちゅー」
部屋に入ってきた直後、いきなりキスをかました。熱いなぁ……
清隆ももう慣れっこといった様子で、当然のことのように受け入れている。
「……女子たちも、納得してくれたか?」
「なんとかね。あとは、あいつだけかな」
「堀北のことは、放っておいてもいい。むしろ、
体育祭の方針について、二人は真剣に話し始めた。恵ちゃんが何をどうしたと報告して、それに清隆が反応するスタイルだ。そのやり取りは、まるで仲の良い親子のようだ。
意外だったのは、褒めて伸ばすタイプの教育であること。今日のエピソードを包み隠さず語る恵ちゃんに対して、その場面ごとに良かった点と直したほうがいい部分を挙げていく。こいつ、こんな才能もあるのか……ホワイトルームとは真逆の方針に思えるが、あえてやってるんだろうな。
「今日もよく頑張ったな」
「うん、あたし頑張ったよ。清隆のために」
ご褒美は?とねだる恵ちゃんを、清隆は静かに抱きしめた。とろんとした目で甘えるその姿は、外で見かけるものとは別人のように違う。
……どうも、人格に裏表が出てきた気がする。桔梗ちゃんほどはっきりしていないが、「クラスのリーダーとしての軽井沢」と「清隆の彼女としての恵ちゃん」を使い分け始めている。
そんな二人を、有栖ちゃんはとても愉快そうに見つめていた。
少し雑談をしてから、俺たちは帰ることにした。清隆はまだいてもいいと言ってくれたが、あまり長居してお邪魔虫になるのは望まない。
変なところで恵ちゃんの恨みを買いたくないし、さっさと引き上げるのが正解だ。
「あっ、おかえり!」
「ごめんごめん、ちょっと清隆のところに行ってたんだ」
エレベーターを降りると、部屋の前に少しそわそわした様子の桔梗ちゃんがいた。どうやら、俺たちが帰るまで待っていてくれたようだ。
これは申し訳ないと思い、急いで鍵を開ける。
「……何かありましたね?」
「うん、そうなんだ。今日はちょっと相談したいことがあって」
有栖ちゃんも、普段と違うことに気づいたらしい。
どんな相談だろうかと考えながら、俺は部屋に入った。
途中で切ってしまい申し訳ありません。この話の後半部分が結構大事なので、文字起こしにちょっと時間がかかってます。
間があくよりはマシかと思い、前後編で区切って投稿させていただきました。