翌日の夕方ごろ、俺たちの部屋に帆波が来た。
「晴翔くんっ、ケーキ買ってきたよ!」
「お、おう」
練習はいいのかと思ったのだが、今日は体力の回復に充てる……ということにしたらしい。
さっそく行動の変化が見られたことに、俺は満足した。少なくとも、以前の帆波はそのような「サボり方」はできなかったと思う。体育祭の練習など、必ず皆勤していたはずだ。
……さほど重要なことでなければ、手抜きしてもいい。そう思うことで、精神的な負荷というのは軽減されていく。彼女にとって良い変化であると感じた。
「……驚きました」
有栖ちゃんは口に手を当てて驚いている。いやしかし、俺もびっくりだよ。
「うっわぁ、すごいね」
今日は桔梗ちゃんも来ているが、似たような反応をしている。
何をそんなに驚いているのかというと……
「ふふっ。言われた通り、五十万ポイント使ってきたよ。かなりオーバーしちゃったけど……自由なお買い物って、気持ちいいね。これでいいんだよね、ご主人様?」
自然な感じでご主人様とか言うな。
俺たちが驚いている理由は、彼女の服装にある。明らかに高級感が漂っているのだ。
清楚系のコーディネートに加えて、首にはキラキラと白く光るペンダント。いずれも彼女のイメージを崩さないもので、正直めちゃくちゃ可愛い。
「それ、すごく綺麗だね」
俺と桔梗ちゃんが近づいて、ペンダントを観察する。プラチナで構成されているように見えるチェーンに、鍵を模した形のチャームがぶら下がっている。そこには小さな宝石がいくつかセットされていて……うわっ、まさかこれダイヤモンドか。
非常によく似合っているが、どう考えても普通の高校生が身に着けているものではない。何かに例えるなら、名家のお嬢様といったところか。
「これもブランド物だし、ええっ……」
俺は全くファッションに詳しくないので、ペンダント以外はどれがどうすごいのかわからない。桔梗ちゃんは理解できるらしく、一つ一つのアイテムに驚きを隠せないでいる。
「にゃ、そんなに見られたら恥ずかしいよ!」
帆波は顔を真っ赤にしているが、実際すごいんだから仕方ない。
元々の容姿がものすごく整っているから、着ているものの美しさが一層際立っている。あまりにも綺麗すぎて、一種の神々しさを感じるほどだ。本当の女神になっちゃったんじゃないか?
これで外を歩いたら、とんでもないことになる。目を引くなんて程度では済まない。
「そういえば、オーバーしたって言ってたけど」
「結局、百万ぐらい使っちゃったんだ……最初に服を見てた時はまだ抵抗があったんだけど、一つ買っちゃうと止まらなくなって」
すげえ超えてた。百万って。てっきり、使い切れないかと思っていたのだが……わりと欲望に弱かった。リミッターを外されると止まらなくなるタイプだ。
「……了解。今後しばらく、ポイントの消費は抑え気味でいこう。使いすぎるのはさすがに良くないからな。ストレス解消にはなったと思うし、またキツくなってきたら爆買いしようぜ」
「ありがとう。本当に、気持ちがスッキリしたよ」
いい笑顔だった。しかし、それを見ている有栖ちゃんは……なぜか怯えていた。
「あ、あの。帆波さんは、晴翔くんのこと……」
「私のご主人様だよ。それ以上でも、それ以下でもない。有栖ちゃんならわかるよね?」
少し圧力を感じる言い方で、帆波は有栖ちゃんの話を切った。
昨日も忙しく、この辺りの事情を説明できていなかった。今日寝る前にでも話そう。
「そうですか……私は間違っていたのでしょうか」
「私に聞かれても困るよ。でも、有栖ちゃんは晴翔くんにとってたった一人の恋人だよね。私よりもずっと近いところにいるのに、そんな顔はしてほしくないなぁ」
結構言うようになった。こうやって本音を出せるようになってきたのも、良いことだと思う。
「一昨日の意趣返しですか?」
「ううん、そんなつもりはないよ。有栖ちゃんが私よりずっと賢くて凄い子なのはわかってる。有栖ちゃんの助けがなかったら、私は今ごろ……負けてばっかりで、クラスのリーダーとしての立場を失っていたかもしれない。何か他の意図があったとしても、その事実は変わらないから」
自分のことを良くわかっている。決して帆波のためを思っていたわけではないが、今までの有栖ちゃんの行動がとてつもないサポートになっていたことは間違いない。
有栖ちゃんの動き次第では、今苦しんでいるであろう龍園や葛城と逆の立場になっていた可能性だってある。その理由が善意に基づくものではなかったとしても、感謝せねばなるまい。帆波はAクラスの王として、それだけのものを与えられているのだ。
「あなたは今後、私に何を望みますか?」
有栖ちゃんは弱弱しい声で、そう問いかけた。どうも自信を失っているというか、精神的に辛そうな感じを受ける。今日の夜は二人きりで、ゆっくり話そうと思った。
「私と、本当の友達になってほしい」
「……いいのですか?それは」
「大丈夫。有栖ちゃんが、晴翔くんのためだけに動いていることは理解してるから」
常に、帆波が話の主導権を握っている。昨日の間に自分の中で整理してきたのだろうが、見違えるほどに強くなった。やはり、彼女の最大のウィークポイントはメンタル面だ。その状態さえ良ければ、こうして有栖ちゃんと対峙することだってできる。
そして、今日心配すべき相手は彼女ではない。
有栖ちゃんは目を潤ませて、俺の服の袖を握った。決して離すまいと、精いっぱい力強く。
「わかりました。友達関係はもちろんですが、今後帆波さんを害するような行動を取らないことをお約束します。ですから、彼を奪わないでほしいのです。私は、彼がいなければ……」
「有栖ちゃんは、本当に……あはは、やっぱりかなわないね。今さらそんなことしないよ」
首を垂れて懇願する姿から、何かを感じ取ったようだ。帆波は優しい笑顔を浮かべて、その頭を撫でた。有栖ちゃんも抵抗することなく受け入れて、一粒の涙を流した。
相性の悪かった二人が、ようやく友達になれたのかもしれない。
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落ち着いてから、帆波が買ってきたケーキを食べ始めた。
これもなかなかいい値段だったようで、実際とても美味い。
「このケーキ、すっごくおいしいね」
コーヒーを飲みながら、桔梗ちゃんが呟いた。二人に対する気遣いからか、今まで沈黙を貫いていた。言いたいこともあっただろうに……俺は、この子のそういうところが大好きだ。
でも、うちにいる間は自分を作ってほしくない。誰が来ようが、そこは譲れない。
「桔梗ちゃん、素でいいよ」
「……いいの?」
「帆波なら大丈夫。万が一桔梗ちゃんにとって不都合なことをしたら……俺が縁を切るから」
自分で関係を構築した以上、もし失敗したら自分が責任を取る。その覚悟はできている。
俺の言葉に帆波はビクッと身体を震わせた。脅すような形になって悪いとは思うが、これは大事なことだ。桔梗ちゃんが帆波をあまり良く思っていないことも知っている。
これぐらい言わなければ信用されないし、そこの線引きはしっかりしておく必要がある。
「や、やだ。そんなことしないから、捨てないで?」
首を左右に振りながら、俺に縋りついてきた。
これで桔梗ちゃんも察したのか、肩の力が抜けた。
「あー、わかった。帆波ちゃんってそんな感じなんだね。なんか、ちょっと残念かも」
「……好きになっちゃったんだから、仕方ないもん」
「完璧な善人だと思ってたら、想像より情けない人だった」
「ひ、ひどい……」
早速の毒舌に、帆波がショックを受けた。グサッという音が聞こえそうなぐらい。
本来の桔梗ちゃんと付き合っていく上では、これぐらいの発言は当然出てくる。
……キャラを作ってない方が魅力的だし、慣れてくれば可愛いと思えるはず。多少は時間がかかるだろうが、そこに関しては心配していない。関係が変わってしまっても、帆波がものすごく良い人であることは変わらないからだ。
「帆波ちゃんが実は結構ダメな子だなんて、クラスのみんなが知ったら大変だろうね」
「そんなこと言わないでよぉ……」
「あははっ、やだよ。私、あんたのこと大嫌いだったし」
言いたい放題の桔梗ちゃん。帆波がしゅんとしたのを見て、楽しそうに笑う。
彼女なりに溜まっていたものがあるようだ。これも、吐き出しておく方がいいだろう。
「ごめんなさい。何か嫌なことしちゃってたかな?」
「そういうところが嫌いだって、多分言ってもわかんないよね」
「そんな……」
だんだん気分が晴れてきたのか、言い方がマイルドになってきた。
泣きそうな顔の帆波に寄り添いながら、桔梗ちゃんは言葉を継いだ。
「誰にでもいい顔をして、みんなからチヤホヤされて生きてきたけど、実は誰かに縋りつかなければ壊れちゃうほど弱かった。バカみたいだよね。でも、そんなあなたとなら私は仲良くできる」
「えっ?」
貶し続けてから、いきなり優しい言葉が出てきた。俺が大丈夫だと思った理由はここにある。
なんだかんだ、桔梗ちゃんはとても優しい子だ。ただし、その優しさを感じられるのは、彼女の「本性」に耐えられる人間に限る。例えば堀北などは絶対にダメだ。あいつの性格上、今のような言葉を受けたら徹底的に反論するだろう。その結果、言い争いとなり関係は修復不可能なほど悪化する。また、その性質を桔梗ちゃん自身も理解しているからこそ「仮面」が存在するのだ。
その点帆波は違う。心にダメージを受けながらも素直に話を聞いて、なんとか自分の中で飲み込んでいく。これができれば、桔梗ちゃんも素を出していい相手だと認識してくれる。
「今の帆波ちゃんは嫌いじゃないって言ってるの。私にここまで言われても一切悪意を見せないところとか、正直すごいなって思うし。まぁ、私から晴翔くんたちを取らないなら……たまには一緒に遊んでもいいよ。神様じゃなくて、普通の人間としてのあなたとね」
「き、桔梗ちゃん!ありがとう!」
ぱあっと帆波の表情が明るくなり、桔梗ちゃんを抱きしめた。ウザそうにしながらもそれを受け止めてあげるあたり、やっぱり優しい。
相性が悪そうに見えて、意外と良かった二人である。
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その後も話は盛り上がり、仲良く四人で過ごすことができた。
しかし、今日はお泊まりなどはせずに帰ってもらった。二人は俺たちの事情を察してくれたらしく、何も言わず従ってくれた。
夜のルーチンをこなしながら、一昨日有栖ちゃんと別れた後に起きたことを話した。
お風呂に入る前から話し始めて、寝る頃には説明することがなくなっていた。
一つ一つのエピソードに深く頷きながら、有栖ちゃんは理解していった。
「有栖ちゃんのことは何があっても大好きだから、心配しないで大丈夫だよ」
二人が会話していた時の反応を見て、きっと有栖ちゃんは何か誤解をしていると思った。それを解くため、お互いの認識を合わせる作業が必要だった。
「すみません、頭では理解しているのですが……あなたに捨てられる恐怖がつきまとうのです。私のせいで嫌な思いをしていないかと、常に気になってしまうのです」
やっぱり、そんなことだろうと思っていた。恋人を帆波に乗り換えて、いなくなってしまうのではないかという恐怖。心配性な有栖ちゃんである。
「そんなことは絶対にない。死の瞬間まで俺たちは離れない」
「ああ、ありがとうございます。ずっと一緒にいてくださいね」
俺の両頬をなぞるように触って、有栖ちゃんは笑う。少しは楽になっただろうか。
この関係は変わらない。何があっても、誰が来ようとも。
俺たちの世界は、どちらが欠けても成立しないのだ。