体育祭が開幕した。
ダラダラと行進しながら、早く終われと心の中で言い続ける。
「……めんどくさいって顔に出てる」
「そう?でも、事実だからなあ」
真澄さんに呆れられてしまった。
マジで帰りたい。俺は深くため息をつき、これから始まる一日を嘆いた。
第一種目の100メートル走は、なんと一組目で走ることになった。
うちのクラスが参加順を決めなかったことは、学年どころか学校全体に知れ渡っている。
これはルールの範囲内とはいえ、さすがに前代未聞だったようだ。しかし、誰が出るかを決める必要のある推薦参加種目はともかく、全員参加種目はどう並べ替えたところで戦力の合計は同じだ。ならば、全てを運に任せて出たとこ勝負にするのも悪い選択ではない。「運+身体能力」のみで決着がつく、真の実力勝負ができるということだ。
まあ葛城自身はそんなことを考えているはずもなく、相変わらず辛気臭い顔をしている。集団をまとめられなかった自分を責めているのだろう。律儀というか、頭が固いというか。
そもそも今のBクラスを統率することなんて、有栖ちゃんでも無理だ。彼らは集団としての勝利は諦めており、個人の利益のみを追求する。そのため、何か他の目的やポイントなどの報酬でもない限り動かない。クラスのリーダーなどという肩書さえ、もはや名ばかりのものになっている。
好き勝手に楽しむことを主眼に置いた連中に、勝つことの喜びとか名誉を説いたところで無意味なのだ。
そんなことを考えているうちに、走る時間が来た。
隣のレーンには、気合い十分の須藤がいる。こいつがぶっちぎると見て間違いない。
スタートの号砲が鳴り、足を動かした。体育の授業自体は普通に参加しているので、別に全く走れないというわけではない。ただ怪我をするのは馬鹿らしいため、決して全力は出さずに八割~九割程度の力を心がける。
ゴール。概ね十六秒ぐらいであり、全然速くはないが確実に最下位は免れた。
「はぁ……だるかった」
「晴翔くん、すごいすごい!よく頑張ったね!」
桔梗ちゃんが近づいてきて、俺の手を取った。
この程度でそんなに褒められてもなあ、と思ったのだが。
掲示板を見ると、俺の順位は「二位」と記録されていた。
このタイムで二位?非常に疑問である。脇見することなく走ったので他の生徒の動きがわからず、四位か五位には入っているかな……ぐらいの気持ちだった。二位なんて、信じられない。
ここで思い出したのが、堀北の不審な行動だ。
須藤の出走順を知った者が、なるべく大差で負けるように配置した可能性がある。
しかし、有栖ちゃんの見立てではスパイ行為の依頼者は龍園だったはず。だが結果を見る限り、Aクラスも須藤に雑魚を当てる戦略を取ったとしか思えない。これはどういうことだろうか?
……今の情報だけでは、考えたところで答えにはたどり着かない。あとで帆波にでも聞こう。
「はいっ、お水!」
そうしているうちに、桔梗ちゃんが水を持ってきた。可愛い。
俺はありがたく受け取って、飲んだ。営業モードもこれはこれで良いなぁ……
「汗かいてる。拭いてあげるね〜」
いつの間にか用意されていたタオルで、頭と顔を拭いてくれた。至れり尽くせりである。
「勝ったのは俺だろ。なのに何だよこの敗北感!ふざけんじゃねえぞ」
「須藤、諦めろ。桔梗ちゃんはもう……」
周りが何か言っているが、俺は無視した。
(有栖ちゃんは、あっちのコテージで待機してるみたい)
桔梗ちゃんは俺の耳に口を近づけて、静かに囁いた。
ああ、それを伝えにきてくれたのか。今日は入場行進の前から別行動となっていて、どこにいるかも教えてもらっていなかった。ちょうど教師を探そうと考えていたところだった。
本当に気が利くというか、俺たちのことを大事に思ってくれていると感じた。
ニコニコと笑う顔が、いつも以上に愛おしかった。
俺は様子を見るため、急いで有栖ちゃんの待つコテージへと向かった。
「おーい、元気にしてるか?心配だから来たぞ」
「あっ、晴翔くん。来てくれてありがとうございます」
嬉しそうな有栖ちゃん。体調は悪くなさそうで、ほっと一安心した。
そして、コテージにはもう一人……キザな男がいた。
「ほう、君が噂の……」
こいつはCクラスの高円寺だ。どうやら体育祭には不参加を決め込んでいるらしい。今すぐ俺もそうしたいぐらいだが、なかなか難しい。
「俺は高城晴翔だ。高円寺のことは元から知っていた。何せ、有名な男だからな」
「ならば、自己紹介の必要もなかろう。私は以前から、君と会話してみたかったのだよ」
「そうか、俺も同じことを思っていた。周囲の雑音をものともせぬその態度、尊敬に値する。参加の価値無しと判断しても、実際に不参加という行動に移すのは簡単ではない」
高円寺は日和らない。自分の意志にのみ従い、行動できる。そして、それが許されるだけの実力を持っている。俺のような雑魚とは違う、正真正銘の大物である。
羨ましいと思える生き方を実現しているこの男を、俺は素直にリスペクトしていた。
「……なるほど、やはり他の有象無象とは違うようだね。リトルガール?」
「なんですかその呼び方。ですが、高円寺くんの認識は合っていると思います」
有栖ちゃんとは結構気が合うみたいだ。これなら、もしかすると……
「高円寺。体育祭の間有栖ちゃんを見ていてほしいって頼んだら、引き受けてくれるか?」
「聞くまでもない。弱き者を守るのは、上に立つ者として当然の責務だ」
すっげー上から目線だけど、とりあえず守ってくれるらしい。こいつ以上のボディーガードなんてどこにも存在しない。俺は頭を下げて、右手を差し出した。
「ありがとう、感謝する」
「礼には及ばないさ」
固い握手をして、お互いに笑顔を見せた。
この態度を見る限り、高円寺はそれなりに俺のことを買ってくれているようだ。
「私が弱き者、ですか……」
有栖ちゃんは一瞬複雑な顔をしたが、深く頷いた。納得はできたらしい。
最大の心配事が解決した俺は、安心してテントへと戻った。
……須藤が怒りながらコテージへ入っていくのを見た。怒っても無駄だと思うがな。
二つ目の競技、ハードル競走。
今回は漁夫の利を得られなかったためか、俺は六位という結果に終わった。
……ここまでの展開で、一つ思ったことがある。
Aクラスが強すぎる。
明らかに異常と言っていいレベルで勝ちまくっている。
足の遅い生徒が七位や八位で大敗し、他の生徒が僅差で勝つ光景を延々と見せられている。
あまりにも強すぎるため、他クラス全ての参加表を入手した上で参加順を決めたのではないかと疑い始めた。俺だけでなく、みんな同じことを思っているのではないだろうか?
ちなみにBクラスは健闘しており、今のところはAクラスに次ぐ二位であると思われる。また、この結果は参加表が流出しているという仮説を補強する形にもなっている。
一体何が起きているのかわからず、興奮が高まる。体育祭がなかなか面白いことになっている。競技に対するモチベーションは上がらないが、俺はこのイベントが楽しくなりつつあった。
三つ目の競技、棒倒しまでの短いインターバルを使って、帆波のもとへとやってきた。
内密な話をするつもりがあるらしく、一旦トイレに行くと言ってから俺を手招きして、人目のつかない場所……校舎の中へと連れてきた。
「……帆波、何かした?」
俺に会えて嬉しいようで、帆波は満面の笑みを浮かべた。
そして、誰もいないことをもう一度確認してから、小さな声でこう言った。
「晴翔くんに体育祭を楽しんでもらえるよう、頑張ったよ」
私がルールだから、と付け加えた。
なるほど、そういうことだったのか。
一之瀬帆波という人間は、本来は参謀などに向いているタイプであると思う。頭の回転が早く、人の考えを読むのがうまいからだ。しかし彼女の突出した才能……お人好しとも言える、底知れぬ優しさ。これが良くも悪くも強すぎるため、その本来の実力を打ち消してしまう形になっていたのかもしれない。要は、性格と能力が合っていないということだ。
この前の一件は、彼女のポテンシャルを少しだけ引き出す結果になった。
「ふふっ、諸藤さんはポイントに困ってるだろうと思って。助ける代わりに、ちょっとしたお手伝いをお願いしたら……引き受けてくれたんだ」
ああ、やりやがったこいつ。
……つまんなそうにしている俺を楽しませる。そんな自分勝手な動機で、体育祭をめちゃくちゃにするような行動を起こしてしまった。俺のためだけに、自分のやりたいようにやったのだ。
それがクラスにとっても最善の策になっているのは、なんという皮肉だろうか。
「帆波、強くなったな。今のお前は最高だよ」
「ありがとう、ご主人様」
物欲しそうな顔でじっと見てくるので、抱きしめてやった。微かに香水の匂いがする。
……あっ、首筋を甘噛みされた。くすぐったくて背筋がぞわっとした。
「犬じゃないんだから、やめとけ」
「わんわんっ!」
思わず身体を引き離した。可愛いけど、これはなんだかダメな気がする。
帆波もさすがに恥ずかしかったのか、頬を赤らめた。目がとろんとしている。
「よしっ、そろそろ棒倒しだ。やる気にはならんが、行ってくるよ」
「怪我だけは気をつけてね。もし、私のご主人様を傷つけるような人がいたら……」
そこから先は言わなかったが、容赦しないということはわかった。
この時、俺は初めて帆波に対して恐怖を覚えた。
……有栖ちゃんが怯えていた意味が、少し理解できた。
優しさの中に見える狂気。俺はもしかしたら、怪物を生み出してしまったのかもしれない。
諸藤さんは入信済みです。