気づけば、十月も終わりが近づいていた。
ある日の放課後、俺と有栖ちゃんは清隆の部屋を訪れていた。
「……で、モテすぎて困っちゃうという話か?」
「いや、そういうわけではないのだが」
気まずそうに答えた清隆の隣には、頬をふくらませた恵ちゃんがいた。
この部屋におけるヒエラルキーはどちらが上なのだろうか。
「そうなのよ。あたしっていう彼女がいるのにさぁ、どいつもこいつも色目使ってきて困っちゃう。清隆は体育祭で頑張りすぎたんだって」
「クラスに貢献しつつも、目立たない程度に調整したつもりだったのだがな」
清隆の体育祭は、借り物競争が一位。他全ての個人競技が二位というものだった。
どう考えてもエース級の成績だ。こいつは、これで目立たないと本気で思っていたのか?
「でも、恵ちゃんはクラスの中でもトップカーストに位置するはずだ。そんな奴から彼氏奪おうなんて、度胸のある女はそういないと思うが?」
「意外とそうでもないのよ……まあ、元々嫌われてたからね。特に同性間では結構バチバチだったから、まだ心の底では嫌ってる連中もいると思う。それもあたしが悪いんだけどさ」
Cクラスの女子を何人か思い浮かべる。
……確かに、濃いキャラをしてそうな女が多い。あいつらを一つにまとめるのはなかなか難しいのだろう。逆に言うと、清隆の強力な援護を受けているとはいえ、あの環境でどうにか結果を残してる恵ちゃんは凄いのかもしれない。
「恵ちゃんも大変なんだな」
「何よ他人事だからって。あんただって……うーん、あたしは有栖みたいに寛容にはなれないかも。何年付き合ってんの?ってレベルの信頼関係よね」
急に話を振られた有栖ちゃんは、驚いたように顔を上げた。
「私が、寛容ですか?」
「自覚ないんだ……うん、すごいと思う。櫛田さんとか一之瀬さんとか、よりによってアイドルみたいな見た目してる女ばっか近寄ってきてるじゃない。もしあたしが同じ状況になったら、嫉妬と恐怖でおかしくなっちゃいそう」
「そうですか……」
「まあ有栖自体がめちゃくちゃ可愛いし、幼馴染としての余裕もあるかもしれないけど。晴翔も、この子を悲しませるようなことをしたらダメよ?」
釘を刺されてしまった。正論なのでぐうの音も出ない。
「わかった」
「それならよし」
いやー、これは清隆も尻に敷かれるわ。
会ったばかりの頃を思うと、いろんな意味で成長している。日々リーダーとして振舞っていることで、自信が生まれたのもあるかもしれない。
もちろん、彼女の幸せは清隆のおかげである。本人もその認識は必ずあるだろう。だからこそ、僅かでも奪われる可能性を感じると、今日のように気を揉んでしまうことになる。
……二人きりの時の恵ちゃんって、どんな感じなんだろう。俺たちがいても甘々なのだから、相当なものであると予想される。今度、内緒で清隆に聞いてみようかな?
「清隆も、他の女に乗り換えたりしないでね?」
「……あまり心配するな。オレは恵としか付き合うつもりはない」
「ありがとう。ずっとそう思い続けてもらえるように、頑張るから。あたしはもう、清隆がいないとダメなの。別れ話なんてされたら……」
そこから先は、言うことができなかった。
目に涙を溜めた恵ちゃんの唇を、清隆が塞いだからだ。
二人のラブシーンを見せつけられる形になった俺たちは、さっさと部屋から立ち去った。
はいはい、仲がよろしいようで何よりです。
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俺たちの部屋に戻ると、扉の前に桔梗ちゃんがいた。
いつもよりも早い時間なので、まだ来ないかと思っていたが……これは申し訳ない。
……ポイントで合鍵を作ることはできないだろうか?
これから寒くなってくるし、帰りが遅れた時に待たせるようなことをしたくない。今度真嶋先生に聞いてみようかと思いつつ、部屋の中へと入った。
三人分のお茶と、棚から適当に見繕ったお菓子をテーブルに置いていく。この間、普段は待っている二人で雑談をしているのだが、今日は沈黙が続いていた。
「……」
「もしかして、何か悩んでる?」
桔梗ちゃんは難しい顔で、何やら考え込んでいる。
「いや、ちょっと……さっき綾小路くんの部屋へ行ってたんだよね?」
「そうだな。恵ちゃんもいたぞ」
「そっちはいいんだけど、今日あいつが何やったか知ってる?」
「全然知らない。イチャイチャしているところを見せつけられただけだ」
文脈的に、あいつとは清隆のことだろう。
特にいつもと違うところは見られなかったが、クラスの中で何かが起きていたのだろうか。
「堀北が体育祭で裏切ったこと、バラしちゃったの。みんなの前ってわけじゃないんだけど、放課後の教室で堂々と話してたから、私も含めてほとんど全員が知ってると思う」
「おいおいマジか。全く予想できなかったぞ」
「特に証拠があるわけではなさそうだった。でも、参加表の画像を撮ってたりとか、そういう怪しい行動を冷たく問いただしてた。堀北の反応も図星って感じだったし、話の途中で逃げるように帰っていったから……みんな本当のことだと思ってる。あいつ、もう無理かもね」
さすがの桔梗ちゃんも、唐突すぎる出来事に困惑したというわけだ。
二人とも全くそういう雰囲気を出していなかったから、一切気づかなかった。清隆はともかく、恵ちゃんだって……オンとオフを使い分けているということか。そう考えると少し納得した。
「堀北さんは厳しい立場になりましたね。裏切り者というレッテルは、容易に剥がせるものではありません。今まで以上にクラスで孤立するでしょう」
有栖ちゃんが腕を組みながら、意見を述べた。
「……そこで、追い込まれた堀北が何をするかって考えたの」
「こうなったらもう、利敵行為も平気でやるようになるかもな」
桔梗ちゃんの表情が暗くなった。どうやら、悩みの種は堀北にあるらしい。
堀北と龍園がつながっているのは、今回の件ではっきりした。最後は帆波に唆されてそっちも裏切ったようだが、自クラスの情報を流すぐらいのことは今後もやると見ていいだろう。もっとも、恵ちゃんたちはその前提で動くようになるから、そう簡単にはいかない……そんなあいつが次に取る行動を、考えてみる。
「堀北が持ってる情報の中に、うちのクラスを混乱させるのにぴったりなものがある」
あっ、わかった。
「桔梗ちゃんの過去を、悪意のある人間に話すかもしれないってことか」
「うん。今の堀北が何を言ったところで大した影響力は無いけど、第三者にそれを伝えることはできる。他クラスに私の情報を流すことが、あいつにとってメリットのあるものであれば……私も終わりだね。例えば龍園なら、学校全体に広めるぐらいのことはするだろうし」
かつての堀北なら絶対にやらないと言える、卑怯な行為だ。
しかし今はどうだろう。先の体育祭では、恵ちゃんを追い落とすため龍園や帆波に参加表を流した。かつて協力を拒んだ桔梗ちゃんを従わせるため、過去を脅しの材料として使う可能性は十分にある。実際にやらなくとも、「やるかもしれない」という状況は誰にとっても怖いものだ。
この前の一件でちょっとは仲良くなったかと思ったが、やはり友好路線は難しそうだ。
大事な大事な桔梗ちゃんを傷つけるなら、容赦することはできない。
「もちろんその前にどうにかするのが一番だが、万が一そうなった時は……俺と退学しよう」
「……本当にいいの?」
「当然だ。この学校をやめて、どこか遠くで一緒に暮らそうぜ。幸いここは世間的な評判がいいし、毎年何人も退学者が出ているから前例も豊富だ。きっと簡単に転校できる」
有栖ちゃんはちょっと複雑そうだが、ここは譲れない。俺は学校と桔梗ちゃんなら後者を選ぶ。実際にその選択を迫られたとしても、決めるのには一秒もかからないだろう。
「そこまで私を優先してくれるんだ……ありがとう。ふふっ、なんだか嬉しくなっちゃった」
「そりゃあもう、大好きだから」
「うん、私も大好きだよ。今からご飯作るね!」
先ほどまでとは打って変わって、上機嫌になった桔梗ちゃん。
嬉しそうにニコニコしながら、キッチンの方へと歩いて行った。
今日の晩御飯は何だろう。とても楽しみである。
「……あなたがいなければ、私は生きられません。以前にも言いましたが、あなたの選択は私の選択です。どこまでも一緒に行きましょう」
「まあ、退学まで行かないのがベストではあるけどな。あくまでも最悪の場合だ」
「わかりました。それにしても、桔梗さんが最も欲しかったであろう言葉を与えましたね」
「そうか?」
呆れ顔の有栖ちゃんが、じっと俺を見つめてきた。
やがて深いため息をついて、目線を窓の外へと向けた。
(どうも『先を越される』気がしてきました)
最後のつぶやきは、よく聞き取ることができなかった。