土曜日がやってきた。通常であれば休みだが、残念なことに林間学校の間は授業がある。
俺は適度にサボりながら道徳の授業を受けつつ、ひよりのグループを観察していた。
(……ひどいな、あれは)
ひよりに対する他生徒の態度は、いじめに近いものであった。話しかける者は誰もおらず、まるでそこに居ないかのように扱われている。
その様子を見ていて、ふと思い出した。
ひよりへの嫌がらせを止めるべく、有栖ちゃんの発案で龍園たちと食事をした時のことだ。
……今思うと、龍園はハナから助ける気などなかったのかもしれない。伊吹への指示は、ひよりを嫌っている人間を炙り出すために行われた可能性が高い。
もちろん、その場ではポーズとして該当生徒に制裁を加えただろう。それは、嫌がらせが無くなったという事実が証明している。しかし、あいつの本当の目的は違うところにあったようだ。
龍園は、ひよりを退学まで追い込むための「刺客」を用意していた。さすがに林間学校を予測していたわけではないだろうが、グループ形式での特別試験……そこに照準を合わせて、あらかじめ策を練っていたのは明白。これは、俺を利用するという発想が昨日今日で生まれたものではないということを意味する。
おそらく、この林間学校でグループに集められた生徒は、かつて陰湿な嫌がらせを行っていた者たちと同一人物だ。ひよりが退学になることを何とも思わない、敵対的な連中で周りを固められたことになる。そう考えるとあまりにも可哀想で、俺の心が揺らぐ。
視線を教室内へ移し、龍園の顔を見る。
……そこまでするのか、こいつは。俺を叩くためなら、ひよりの精神を壊してもいいと考えているのか。勝負にかける想いの強さは認めるが、さすがにやりすぎだと思う。
だが、焦る必要はない。俺の用意しているサプライズが上手くいけば、結果的にひよりを救うことになる。今は余計な行動を取らず、自分の計画に向けて準備を進めていくのがベストである。
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その夜。
そっと部屋を抜け出して、真っ暗な夕食会場に忍び込んだ。
「夜中に悪いな、帆波」
「ご主人さま……二人きりで会えるなんて、嬉しいっ」
俺は帆波と密会していた。夕食の際に、場所と時間を書いた紙きれを渡していたのだ。
……嬉しそうに身体を動かす様子を見ると、何だか変な気持ちになってくる。正直可愛い。
「俺が考えている作戦について、今から説明させてもらう」
今回のキーパーソンは帆波である。そのため、彼女だけには全てを話しておく必要がある。
一つ一つ、認識の違いが発生しないよう丁寧に説明する。龍園の計画を完遂させないための妨害工作。今まで誰も気づかなかった、システムの欠陥を利用するものである。
帆波は俺の話に驚きながらも、いたって真剣に聞き入っている。
「……ただし、Aクラスへのダメージは免れない。悪いけど、これはどうやっても避けることができないと思う。今回はあくまでも『圧勝』させないための戦略だ」
「そうだね。そこに関しては、私が龍園くんの企みを全く読めてなかったのが悪い。椎名さんをグループに引き込めば、こんなことは起きなかったわけだから……ごめんなさい」
帆波の立場で何か対策するのは、不可能に近かった。安全という意味では千尋ちゃんの手法だって正解だし、Aクラスが違う動きをした場合の妥協案も龍園にはあったはずだ。帆波の退学を狙ってくる可能性も考えると、Dクラスを排除したことが失敗だったとは言えない。
「大丈夫だ、謝る必要はない。お前は全然悪くないよ。ほら、おいで」
「ありがとう。大好き……」
優しく頭を撫でる。ちょっと落ち込んでしまったので、慰めてやることにした。
すると帆波は顔を真っ赤にして、ぎゅっと強く抱きついてきた。お互いの頬を擦り合わせてから、軽くキスをする。そのまま、柔らかい右手を俺の下半身の一部分に持っていって……
「それはダメ。手癖悪すぎ」
「わんっ」
俺がぺちっとお尻を叩くと、舌を出していたずらっぽく笑った。
……調子が狂う。二人きりだからって、思い切りが良いにも程がある。
Tレックスが火を噴いたらどうしてくれるんだ。まあ、そんなサイズはないけど。
「とにかく、俺が帆波に頼みたいことは一つ。龍園から持ち掛けられた契約を受けないことだ」
「わかった……話を聞いてて思ったんだけど、もし私たちが椎名さんを退学させることにしたら、龍園くんはどうするつもりだったんだろ?」
鋭い。さすが帆波、よくぞ気づいた。
その通りである。龍園がやっていることは、一種のバクチだ。俺がひよりを必ず助けるという、俺の性格に対する賭けである。万が一失敗すれば、100クラスポイントと一人の生徒を無駄に失うだけで終わってしまう。結果的に俺が助けるつもりでいる以上、判断としては間違ってはいなかったことになるが、あまりにもリスクが大きすぎる。
「負ける怖さを無視できる精神力は、龍園の強みだ。でも、それは無謀ともいう」
俺たちの「答え」を見て、龍園はどんな反応をするのだろう?
Aクラスへ打撃を与えることだけでも達成できたと、痛み分けの結果に満足するのか。それとも、裏をかかれた悔しさに悶えるのだろうか。
……おそらく後者だ。そして、失敗を受け入れることであいつはまた強くなる。
「なんか、すごいなって思う。龍園くんの執念も、戦うことを楽しんでる晴翔くんも」
「俺にとって、すべてはレジャーだ。面白いか面白くないか、ただそれだけのこと」
どちらかというと、すごいのは帆波の方だ。人徳だけで2000万ポイント集めるような人間がすごくないわけがない。やはり、人を惹きつける天才といっても過言ではない存在である。
「そっか。うちのクラスには、何か指示を出した方がいい?」
「千尋ちゃんに、『ひよりを帆波の力で救う』とでも伝えておいてくれれば十分だ」
「ちょっと恥ずかしいけど、わかった」
詳しいことを説明しなくとも、今の千尋ちゃんならこれだけである程度察してくれるだろう。
ひよりを助けた功績は、全て帆波のものにしたいと思う。俺のこの動きは、彼女にとってもありがたいものであるはず。「信じる者は救われる」なんて、布教する上では最高の宣伝材料だ。
「やっぱり、お前はすごい女だよ。可愛くて優しくて、カリスマ性があって。周りが神様扱いするのも、結局のところお前に魅力があるからだ」
「そんなことないもん……むぅ。それなら、その神様をペットにしてるご主人様は何者?」
帆波は口をとがらせて、俺に迫る。
お互いが触れ合うと同時に手首を掴まれた。誘導されて、俺の手のひらが大きくて柔らかい胸に当たる。むにゅっとした感触はこの上なく気持ちが良いもので……さらに赤く火照った彼女の顔を見て、俺の心が大きく揺さぶられる。
微笑みながら、再び唇を重ねてきた。抵抗なくそれを受け入れると、お互いが異性であることを強く感じる。自分の身体が反応してしまう。ああ、このまま彼女に全てを委ねてしまいたい……
ん?
「だからダメだって!」
「あっ……おしい」
本当に危なかった。最後に残った理性が、俺をギリギリのところで踏みとどまらせた。
ここまで全力で誘惑してくるとは思わなかった。人目のつかないところで会うのは、あまりにも危険すぎる行為であると理解した。こんなことを毎回されていては、おかしくなってしまう。
「頑張ったら、ご褒美くれる?」
そう言って、帆波は唇を指でなぞった。名残惜しそうなその仕草も、俺をドキドキさせる。
うっかり、自分に恋人がいるということを忘れそうになる。
「……ああ」
軽く返事をしてから、俺は帆波の手を引いた。
夕食会場から撤収する。このまま長く一緒にいると、欲望に負けてしまう気がした。
部屋に戻っても、興奮してなかなか眠ることができなかった。身体は疲れているのに、いつまでも頭から帆波の姿が離れない。俺は諦めてトイレの中に籠り……密かに処理した。
有栖ちゃんごめん。あの場で襲うのを我慢するのが、俺の精一杯だったんだ。言い訳がましいかもしれないが、俺だって健全な男子だ。あんな風に迫られたら……抑え込むことは難しい。
魔性の女。今の帆波には、その言葉がよく似合う。
自分の貞操を守るべく、今後はもっと気をつけようと決意した。