日曜日は、林間学校において一日だけ与えられた休日である。
大グループでの朝食を食べ終えた後、俺はとある男に呼び出されていた。
「……何でしょう」
「分かってるくせに、知らないふりをするな」
南雲雅。現生徒会長が俺に接触してきた。こいつのことは特に好きでも嫌いでもないが、今呼び出された理由はなんとなく理解していた。
「そうですか。でも、それを大声で話しても大丈夫なんですか?」
「心配無用。人払いは済ませてある」
人払い、という割には周囲に生徒が多く集まっている。だが……それはいずれも、二年生ばかりであった。俺を得体の知れないもののように見る視線は、なかなか気持ちの悪いものだ。
南雲にとってこいつらは、自分の道具なのだろう。「払う」べき存在ですらないということだ。
「わかりましたよ。橘さんを退学させる邪魔をするなってことでしょ?」
「……結論だけ言えばそうなる」
「はいはい。で、南雲さんは俺に何をしてくれるんですか」
帆波と深夜に会っていたため、寝不足で機嫌が悪い。前置きはいいからさっさと話を進めろ……そう言葉には出さないまでも、必然的に態度はきつくなる。
「お前の邪魔をしない。これでどうだ?」
「えっ、何言ってるんですか。俺は南雲さんに邪魔されても何も困りません。むしろ、邪魔してくれた方がトータルではプラスになりますよ……さっきの言葉をそのままお返しします。分かってるくせに、知らないふりをしないでください」
南雲が邪魔をする……すなわち、ある程度読んでいるであろう俺の計画を、龍園にバラしてしまうということ。しかし、その場合でもあいつが取れる選択肢は二つしかない。
一つは何もしないこと。もう一つは、ひよりを退学させる方針を撤回すること。
あいつがどちらを選ぶかは五分五分といったところだが、もし後者であれば実質俺の勝ちだ。ノーダメージで退学を阻止したという時点で、目的は完全に達成されたことになる。
ただし、そんな終わり方は全く面白くない。その点だけが問題だ。
「くくっ……あっはっは、本当にお前は変わった奴だな」
「自覚はありますが、南雲さんだけには言われたくないです」
「違いない。だが、面白い。俺が龍園とつながっていることも、読んでるんだろ?」
「まあ、そうですね」
小グループの成績がいくら悪くても、大グループが最下位にならなければ退学処分へもっていくことはできない。そういう意味で、今回の試験では龍園と南雲の利害が一致している。
南雲の方がより高度な戦術ではあるが、狙いとしては全く同様なものである。この二人に何のつながりもないというのは、さすがに無理がある話だ。
「だろうな。じゃあ、どうするか……口止め料として、300万でどうだ?」
「ポイントなんていらないです」
「……そうか。ならば逆に問おう。ポイントが不要だというのなら、お前は何を望む?」
南雲は本気で疑問に思ったのか、じっと俺の目を見つめてきた。俺が何を望むか、それはなかなか難しい質問だ。自分の計画に利用するにしても、こいつは使いづらい……
ああ、一つ良いことを思いついた。より話を大きく、且つスムーズに進めるための演出。
「試験での退学者が発表された直後に、一芝居打ってもらえませんか?」
「……なんだって?」
「『この場で全ての処分を確定してほしい』。生徒会長として、そう意見してほしいのです。道連れ退学者も含めて、結果発表の場で全部決まってしまうのが理想的です」
俺の話に、一瞬戸惑ったような顔をした。南雲のこういう表情は初めて見た。
きっと求められている行動の意味が理解できないのだろう。これはなかなか気分がいい。
「クソッ、わかんねえ。それでお前に何の得があるんだ」
「得はないです。帰りのバスに乗る直前にひっくり返すより、全校生徒が注目している状況で話をめちゃくちゃにする方が、楽しそうだと思っただけです。別に受けなくてもいいですよ」
このあたりが、俺とこの男の違っている部分だ。なんだかんだ言って、南雲はとことん勝ちにこだわるタイプである。どちらかというと龍園に近いかもしれない。
その点、俺は勝つことなんてどうでもいい。何なら全部失敗してボロ負けしてもいいと思っているほど、勝負に対するこだわりが薄い。楽しかったらそれでいいのだ。
「……わかった、高城の言うとおりにしてやろう。理由は適当にこじつけておけばいいか?」
「大丈夫です。橘さんをいじめて堀北さんを曇らせるという意味でも、なかなか面白いと思いますよ。書類にサインすることを迫られたときの表情とか、見たくないですか?」
「お前って、そこまで性格悪かったっけ?」
「いや、俺が見たいわけじゃないんですけど……まあいいです。この話が成立した時点で、南雲さんの邪魔をする可能性はなくなりました」
「そうだな。高城があの大グループに干渉したら、今の約束が無意味なものになる」
とても理解が早い。そこはさすが生徒会長様だと言っておこうか。
話に決着がついたということで、俺は南雲に背を向けた。ああ、だんだん眠気が増してきた。さっさと部屋に戻って寝ようと思ったのだが、後ろから言葉をかけられた。
「……この学校で、高城よりも実力のある人間はいくらでもいる。だが、俺の行動を読むことができるのはお前だけだ。あの退学届は、必ず取り下げろ」
おっと、これは驚いた。俺が真嶋先生に出した書類の内容を知っていたらしい。他の誰にも言ってないから、漏れるはずはないのだが……多分、生徒会長の権限で汚いことをしたんだろう。
「作戦がうまくいったら、みんなの前で破り捨てますよ。なかなかエキサイティングでしょう?」
俺は笑いながらそう言って、その場を後にした。
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「ふぁ〜」
次に目を覚ました時、すでに昼過ぎだった。
「起きたか」
「おっ、清隆じゃん」
二つ隣のベッドを見ると、下段に清隆が座っていた。
こうやって二人で話すのは久しぶりだ。
「晴翔もいろいろと動いているようだな」
「ああ、そっちもな……場所を移すか」
今からする話題を考えると、できるだけ人目につかない場所の方がいい。
俺は立ち上がり、背伸びをした。窓を開けると綺麗な空気が舞い込んでくる。
うーん、たまにはこういう場所に来るのもいいかもしれない。最初はクソだと思っていたが、ずっと学校の敷地内に詰め込まれているよりはマシだ。あんなの、環境がいいだけで状況的には受刑者と変わらない。自然いっぱいの林間学校の方が性に合っている。
そのまま俺たちは山の方へ赴き、森の中で腰を下ろした。木々のざわめきが聞こえる。
ここなら誰も来ないだろう。俺は森林浴を楽しみながら、清隆に話を振る。
「山内を、どうやって消すつもりなんだ?」
「オレは特に何もしない。一之瀬との約束、今回はそれを使った」
約束とは取り決め。それはほとんどの人間にとって大した信頼度のない、不確定なものだ。
しかし、交わした相手が帆波であれば例外だ。彼女はその手の話で絶対に裏切らない。
……だが、その約束に至った過程がわからなかった。自分で言うのもなんだが、今の帆波は俺以外の指示にはそうそう従わないはず。清隆はどうやったのだろう?
「……無人島試験での契約だ」
「あっ!」
「思い出したか。オレは晴翔に勧められた通り、リーダー情報を教える代わりに『ふわっとした』要求をした……具体的には、『一度だけ言うことを聞く』というものだ」
清隆の話を聞いて、やっと思い出した。そういえば、そんな話もあったなあ。
無人島試験において、清隆は龍園がリーダーであるという情報を帆波に売った。その条件がいかなるものであったか、ずっと謎のままだった。
「状況は理解できた……帆波の立場からすると、Aクラスの人間が道連れにされる危険性は無視できない。それも含めての契約だろうが、そこはケアしたのか?」
「恵を使って、クラスに『一之瀬が2000万ポイントを集めた』噂を流してある。自分が退学になったとき、回避されるとわかっている人間を道連れに選ぶ可能性は低い。計画に問題はない」
自信を持って断言した。清隆がここまで言う以上は、万全な体制が整っていると見て間違いない。残念ながら、山内はもう助からないようだ。まあ、あいつがどうなろうと興味はないが。
どうして退学に追い込む必要があるのか、どんなメリットがあるのか……いろいろ気になるポイントはあるが、それをこの場で聞き出すことは野暮だと思う。何より面白くない。
「わかった。清隆のおかげで、男子の部も楽しみがありそうだな」
「ああ。オレは、お前に楽しんでもらいたい気持ちもあるんだ。友人であるお前に」
清隆はとても楽しそうだ。生き生きとしているというか……人間らしくなった。
……父親の件について、真相を知りたい気持ちもある。だが、これは俺が自分から首を突っ込むべき話ではないことも理解していた。あくまで受動的に、清隆の方から切り出してくるタイミングを待つ。彼の友達としてどうするのが正しいかを考えた時、それが最適であるような気がした。
俺の父が、何かしらの動きを見せたことは明白である。だからこそ、それを台無しにするような真似は控えなければならない。今の状況で下手に嗅ぎ回ることなど、言語道断である。
「よしっ、そろそろ戻るか。この学校で清隆に会えてよかったよ」
「……全く同じ気持ちだ。多分、オレはお前のことが好きなんだろうな」
あまりにも「らしくない」発言に、俺は飛び上がって驚いた。かつての清隆なら、絶対に言わないであろうセリフ。想像以上にすごい変わりっぷりだ。
「そんなワードを、清隆の口から聞ける日が来るとは思わなかった。ありがとう」
「……変なことを言っただろうか?」
「いやいや、最高だよ。本当に、お前は最高だ」
なんだか急に照れ臭くなったので、俺は勢いよく走り出した。
夕日が差し込む森の中を、全力で駆け抜ける。身体に当たる冷たい風が気持ちいい。
すぐに清隆も追いかけてきて、さながらマッチレースのようになった。
「清隆、足はえーな!」
「そうか?」
たまには、こういう日があってもいいだろう。
新鮮な空気をたっぷり吸いながら、俺は「青春」を感じていた。