真嶋先生は担当の職員から説明を受けて、一度大きく頷いた。
それから神妙な顔をして、全員に聞こえる声で話し始めた。
「確かに受け取った。これを以て、椎名ひよりの退学処分が確定した。退学になる者について、今から帰りのバスのことで案内がある。対象者は、しばらく体育館で待機していなさい」
退学処分となった生徒は、クラスの生徒たちとは別のバスで帰ることになるらしい。あまりにも気まずいだろうし、当然といえば当然の措置だ。
……まあ、そのバスには乗らないのだが。
体育館のざわめきが収まった。全ては終わったと、みんなが思っていることだろう。
「それでは、これにて特別試験の結果発表を終了する」
真嶋先生はそう言った後、ひよりの退学届の入った封筒を見てニヤリと笑った。
さあ、決着の時だ。
「先生!椎名ひよりさんの退学を、取り消してください!」
よく通る、女子の声が体育館に響き渡った。なんだなんだと、再びざわつき始める。
その声の主……帆波が明るく笑いながら、真嶋先生の前に立った。
「……了解した。2000万プライベートポイントを支払うことになるが、大丈夫だな?」
「はい。300クラスポイントも含めて、全て承知の上です」
ほとんどの生徒は、今何が起きているのかすら理解できていないだろう。
聞かれていないことには答えない、というのはこの学校の一貫したルールだ。したがって、なぜそんなことが可能なのかと説明されることはない。
「わかった。それでは処理を進めよう」
「……真嶋先生。起きている事象の説明を求めても、よろしいでしょうか」
堀北兄が、生徒を代表して質問した。そんなのはおかしい、などと言い出さないあたりは流石だと思う。今回は屈辱的なイベントとなったが、そこは元生徒会長だ。
「説明も何も、ルール通りやっているだけだ」
「他のクラスの生徒を救済することは、できないと聞いていましたが」
「当然その通りだが、今の椎名はいかなるクラスにも在籍していない……そうだろう?」
真嶋先生は途中まで話してから、俺の方を向いた。あとは俺が話せということだろう。
「そうですね。退学処分が確定した瞬間、その者は現所属クラスの生徒としての資格を失います」
流暢に説明し始めた俺を見て、ぎょっとする堀北兄。こちらの意図を把握したようだ。
素晴らしく理解が早い。心の中でニヤリと笑ってから、俺は言葉を続ける。
「したがって、彼女は今どのクラスにも在籍していません。しかし、退学は本人が記入した退学届を理事長が承認するまで処理されません。つまり彼女のステータスはまだ在学中のまま。クラスの名簿からは消えましたが、無所属の生徒『椎名ひより』としては学校に存在する状態です」
退学届を出してから、実際に退学が発効されるまでの空白の時間。そのタイムラグを利用した。
このルールは、一見複雑に思えるが自然なものだ。退学者が出た際、速やかにクラスから存在を抹消しなければどうなるか、考えてみればいい。
……自暴自棄になった退学者が、教師や生徒に危害を加えるような事件を起こした場合、退学者を出したクラスもその行為の連帯責任を問われることになる。そんな酷い話はないと思う。
また、林間学校のルールで『他クラスの生徒を救済することはできない』と定められているが、『自クラス以外の生徒を救済できない』というルールはどこにもない。俺はそこを突いたのだ。
「ということだ。理解できたか?」
「……拙い質問にご回答いただき、ありがとうございました」
堀北兄は納得した様子で、体育館から出ていった。
真嶋先生はその背中を見送った後、残っている一年生全員に向かって話し始めた。
「他に質問があれば受け付ける。また、もし一之瀬の他に椎名ひよりの退学を取り消したいという生徒がいれば、この場で申し出なさい。処理が終わってからの異論は、一切認めない」
そんなことは誰にもできないし、できたとしても実行する者など帆波以外には存在しない。とはいえ、これは必要な作業だ。ひよりがどのクラスにも所属していない以上、救う権利は誰もが持っている。「学校側が不公平だった」などと、後から言われないための呼び掛けといえる。
「……いないようだな。たった今、一之瀬の所有ポイントから2000万を差し引いたことが確認できた。さらにAクラスのクラスポイントを300減算して、ポイントの処理を完了する」
体育館が騒がしくなってきた。みんな楽しんでくれているようで何より。
俺は、退学阻止という目標を達成できたことにほっとした。残すは最後の締め、最も大事なオチの部分である。先生を質問攻めにした効果が出てくる場面に突入した。
「では、これより椎名ひよりのクラス再配属を行う」
「何だと……おいっ!」
ここに至って、龍園はようやく状況を理解したようだ。慌てて声を荒げて真嶋先生に詰め寄るが、もう遅い。他の教師たちも一切動じることなく、書類などの準備が進められていく。
「先ほど異論は認めないと言ったはずだ。新たに配属されるクラスを決定する権利は、退学を取り消すためのポイントを支払ったクラスの代表者に与えられる」
これこそが、今回の最大のポイントだった。クラスに在籍する資格を失った者が、復活してきた場合はどうなるのか。何でも前例が全くなかったらしく、理事長に裁定を下してもらったようだ。
「一之瀬が代表者ということでいいな?であれば、再配属するクラスを宣言しなさい」
「もちろん……1年A組ですっ!」
帆波はそう言って、会心の笑顔を見せた。
歓声が上がるのはAクラスの集団だ。男女入り混じった喜びの声が、体育館にこだまする。
これにて一件落着といったところか。達成感を覚えた俺は、大きく背伸びをした。
「よーし、終わった終わった」
そんな俺を、ひよりがじっと見つめていた。
「晴翔くん……ありがとうございました」
「助かってよかった。でも、感謝の対象は2000万払った帆波にしておきな」
「もちろん、一之瀬さんには恩を返さなければなりません。しかし……」
ひよりにしては珍しく、言い淀んだ様子。少し頬を染めて、くるっと後ろを向いた。
「この温かい感情は、間違いなくあなたへと向いたものです」
そう言い残して、Aクラスの集団の方へと歩いて行った。すぐに千尋ちゃんをはじめとした女子たちが、ひよりの周りを囲む。和やかな雰囲気は、彼女の性格とマッチしているように感じた。
彼女の高校生活は、今日から始まる。決して蔑ろにされることなく、一人の生徒(教徒かもしれないが)として大切に扱ってもらえる環境。そこで本来の実力を十分発揮して、本人なりに毎日を楽しく過ごしてもらえれば、俺と帆波の努力も報われるというものだ。
「……てめえ、メチャクチャしてくれたな」
龍園が俺の方にゆっくりと歩いてきた。その表情は、思ったより悪くないものだった。
「おう、お前のおかげで楽しかったぜ」
「そうかよ……」
俺の言葉に苦笑いを浮かべつつ、目を細めてひよりの方を見つめる。意外と、こいつもこれで良かったと思っているのかもしれない。
……ここまでやった以上、今さらDクラスに帰ったところでひよりが不幸になるだけだ。
「ケッ、くそったれ。戻るぞ」
悪態をつきながら、手下たちを連れて去っていった。
忘れてはならないのは、龍園たちの完全なる負けではないということ。Aクラスは300のクラスポイントと2000万のプライベートポイントを失った。BクラスとCクラスにもそれぞれ退学者が出た。Dクラスは諸藤が退学した上に再び0ポイントとなってしまったが、Aクラスとの差だけ見ると縮まっている。総じて、一年生は全体的にキツい結果となった。
「ふふっ、晴翔くん。やっぱりあなたは最高の同志だよ」
「……千尋ちゃんか」
千尋ちゃんが話しかけてきた。ニコニコと機嫌よく笑っている。
……300クラスポイントでひよりを買ったような形になることに対して、内心良く思っていない生徒もきっといるだろう。しかし、その部分についてはさほど心配していない。Aクラスにおいて、帆波の決定に反対することなどあってはならないからだ。仮に不満があったとしても、それを口に出したら最後、目の前にいる怖い幹部の異端審問が待っている。
何より、今後のひよりは本気を出す。莫大な費用に見合った価値があることを証明するため、Aクラスの勝利に貢献し続けるはずだ。そうすれば確実に、300ポイントなんて安かったと言われるようになるだろう。尋常ではない洞察力……あの才能の価値は非常に高い。
「ポイントのことは大丈夫。帆波さんに、私が500万ぐらい振り込んでおくから」
「マジで?」
とんでもない発言。どうやって手に入れたのか、怖くて聞けない。寄付関係は千尋ちゃんが担当していると聞いてはいるが……うーん、相変わらずヤバい女だ。
帆波と軽く話した後、俺は再び真嶋先生の元へと向かった。
最後に一つだけ残された作業、それを行うためだ。
「よし、真嶋先生……ああ、もうわかってますよね」
「もちろん。こんなもの、受けてたまるか」
真嶋先生は笑って、提出した退学届を突き返してきた。
生徒たちの視線が集まる中、俺はその封筒を両手で強く握って……
「退学は、撤回だ!」
ビリビリと、勢いよく破いた。瞬間、強い疲労感に襲われる。ちょっと頑張りすぎたか。
それにしても、今回は素晴らしい特別試験であった。龍園のずる賢さ、清隆の裏工作、そして帆波の大活躍。その全てが俺を楽しませてくれた。良き友人たちに、感謝してもしきれない。
弾む気持ちを胸に抱いたまま、俺は帰りのバスに乗り込んだ。
有栖ちゃんの心臓に悪そうな話でした。
もう一話、エピローグがあります。