特別試験が終わり、今日から通常の授業が始まる。
俺がむくりと身体を起こすと、隣で眠っている二人も目を覚ました。
「ふわぁ~」
あくびをする桔梗ちゃん。林間学校中のメンタル面を心配していたが、完全に杞憂だった。俺とは別行動であったものの、有栖ちゃんとほとんど一緒にいたため、非常に安定していたようだ。
……有栖ちゃんは一方的に「お世話してもらっていた」という認識をしているが、それは違うと思う。お互いがお互いを必要とする関係。これは、俺と有栖ちゃんにも言えることだ。
「よし、準備するか」
俺はよいしょと立ち上がり、平日朝のルーチンを始めた。
日常が戻ってきたのだと、強く実感する瞬間であった。
その日の昼休み、俺と有栖ちゃんはAクラスの教室を訪れた。
「あっ、お二人ともこんにちは」
出迎えてくれたのは、ひよりだった。早くもクラスに溶け込み始めている。
41人目のメンバーとして、帆波たちは温かく受け入れてくれたようだ。感謝したい。
「なんだか、楽しそうだな」
「はいっ、晴翔くんのおかげです」
俺の手を取って、嬉しそうに笑った。Dクラスの教室では、こんな笑顔になれることなんてなかっただろうし……本当によかったなあと思う。
「……ひよりの目から見て、Aクラスはどうだ?」
「そうですね……大変居心地のいい、素晴らしいクラスだと思います。しかし、一つ大きな課題があるとも感じています。それはまた今度、三人でゆっくりお話ししましょう」
そう言い残し、ひよりは女子たちの輪の中に戻っていった。もっと長く話すのかと思ったが、今はAクラス内でのコミュニケーションを優先したいようだ。好ましい流れになっているのを見て、俺は満足した。自分の行動は間違っていなかった。
「……ふふっ、流石はひよりさんですね。これはこれで、いいかもしれません」
有栖ちゃんはなぜか驚いた顔をしていたものの、すぐに優しい微笑みへと変わった。考えていることは読めなかったが、今の状況を好意的に受け入れていることは明らかだ。
この子がひよりのことをどう思っているのか少し心配だったので、気持ちがほっとした。
「晴翔くんに有栖ちゃん。来てくれたんだ!」
「よう、千尋ちゃん。遊びに来たぞ……それは何を持ってるんだ?」
次に話しかけてきたのは、千尋ちゃんだった。
彼女が持つA4サイズのノートが気になる。表紙には「寄付管理台帳」と記されている。
「これはね、みんなが帆波さんに寄付してくれたポイントをメモしてるの」
中身を広げて、見せてくれた。
まず、AクラスとBクラスの生徒が概ね名簿順に記されているのが目に入った。
……ひよりの名前は、やむを得ず末尾に追加したようだ。まあ、クラスの生徒が増えることは想定できないから仕方ないか。
パラパラとページをめくって、各個人ごとに用意されたデータを見てみる。
そこには各生徒が何月何日にいくら寄付したか等、関連事項が細かく書き込まれていた。また、通算30万ポイント以上の寄付者のページは赤の付箋でチェックされており、帆波に対する「貢献度」が一目でわかるようになっている。
「すげえ、全部管理してるのか」
……マジでとんでもない奴だな。組織を支配する能力が高すぎる。
「そうだよ〜。晴翔くんも、試しに寄付してみない?」
「いいよ、ポイントなんかたくさん持ってても使わないし」
「ありがと。寄付してくれたポイントごとに、帆波さんグッズをプレゼントしてるんだ」
「よし、やってみよう」
面白いと思った俺は、さっそく端末を取り出して千尋ちゃんへとポイントを振り込む。
いくらがいいかな?うーん……
「振り込んだぞ」
「はーい。どれどれ……えっ」
千尋ちゃんは目を見開いて、端末に表示されているポイントを確認する。
「どうかしたか?」
「ひゃ、100万!?これはちょっと、ほんとにいいの?」
「もちろん。遠慮せず受け取ってくれ」
そのポイントの出処は帆波だからな、とは言わないでおいた。
びっくりした様子の千尋ちゃんは、なんだか愛くるしい。帆波さえ絡まなければ、癒し系の可愛い女の子なのだと再確認した。
「わかった……グッズを用意してくるね」
そう言って、千尋ちゃんは自席へと走っていった。台帳に記された俺の名前が、蛍光ペンで目立つように装飾されている。どうやら、俺は寄付ランキング一位になったらしい。
「おまたせ。まずはこれが、10万の『L判写真』。30万の『握手券』と50万の『ポスター』も。100万はまだ考えてなかったんだけど、何がいいと思う?」
「……ハグとか?」
「いいねっ、それ採用で。じゃあ、帆波さんを呼んでくるよ」
適当に言った案が即決で採用されてしまった。本当にいいのだろうか?
また、特典の品は累積するらしく、それぞれ構図の違う10枚の写真と3枚の握手券、2種類のポスターを手提げ袋に詰め込んで渡された。
……今の俺の姿は、アイドルのライブ物販でグッズを買い込んだオタクのようだ。
「晴翔くんっ!」
帆波が駆け寄ってきて、ぎゅーっと思い切り抱きしめられた。
温かく柔らかい感触。視線が集まることを気にもせず、熱烈すぎるハグをしてくれた。
……いや、これも戦略か。こうしてほしいという欲求を刺激することが重要なのだろう。
「う、羨ましい……」
千尋ちゃんは指をくわえて、とても羨ましそうに俺を見てくる。
周りの生徒たちも同様の反応で、抜群の宣伝効果があったことを理解した。
このシステムは、あまりにも恐ろしいものだ。きっと、生活を切り詰めて寄付している者も数多くいるだろう。千尋ちゃんが500万などという莫大なポイントを持っていたのも頷ける。
薄ら寒いものを感じながら、俺と有栖ちゃんは教室を後にした。
『寄付なんてしなくても、私は一生ご主人さまのものだよ!』
その直後、俺は自分の端末に送られてきたメッセージを見て苦笑いした。
……みんな、寄付したところで報われないぞ。
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放課後には生徒会室を訪れた。なんだかんだ忙しい一日だ。
「よく来たな、まあ座れよ」
南雲に促されて、椅子に腰かける。
俺たちは、メールで呼び出しを食らっていた。理由を教えてくれなかったので、見なかったことにしようかと思っていたのだが、帰ろうとする直前に電話で呼び止められてしまった。
さすがに、そこまでされると無視することは難しい。変なところで南雲の恨みを買いたくなかったというのもあり、こうして渋々やってきたのだ。
「で、何の用です?」
「ああ、林間学校での高城の動きを見て、一つ思いついたことがあったんだ。黙って進めてもいいのだが、お前らはいずれ生徒会に入る人間だから、共有してやろうと思ったのさ」
一切入る気はないが、この男の中では決定事項らしい。なんともまあ、王様気分のクソ野郎だ。しかし、自分の意見は絶対であるという傲慢さ加減には、ある種の清々しさがある。
「ふーん、そうですか」
「……相変わらずの態度だな。わざわざ、俺はお前が退屈しないように考えてやってるんだ。もう少し感謝されてもいい気はするが……まあいい、さっそく本題に入るぞ」
驚くべきことに、俺のご機嫌取りも兼ねているらしい。
そんなに俺を生徒会に入れたいのか。ここまで評価が高い理由は、よくわからないが……
こちらが難しい顔をしているのを見て、南雲はフッと軽く笑った。
「今月末、俺たちはちょっとした『イベント』を催す予定だ。卒業間近の三年生は対象外として、一年と二年のみでやろうと思う」
そう言って立ち上がり、机上に置いてある数枚のプリントを持ってきた。
企画書のように見えるそれは、南雲が作成したものと考えて間違いないだろう。
「3月の特別試験まで暇なので、ちょうど良いタイミングですね。何か増やすとか?」
「……特別試験を追加するのは、色々な意味でハードルが高い。教師や理事を説き伏せられるだけの理由がなければ、認められることはないだろう。だがイベントという形式であれば、生徒会の権限である程度コントロールすることができる。もちろん、強制参加にはしないつもりだ」
どうやら強制ではなく、自由参加型であるようだ。これは、参加するメリットが大きい企画であるということを意味する。デメリットばかりのイベントなど、誰も見向きもしないからな。
俺たちが理解したのを確認して、南雲は手に持ったプリントのうち一枚を手渡してきた。
有栖ちゃんにも見えるよう意識しつつ、俺はその内容に目を通した。
『クラス移動チケット』
・このチケットを使用した者は、同じ学年の他クラスに所属変更することができる。
・使用方法:今年3月31日までに、移動を希望するクラスの担任へ使用の意思を伝える。この期限が守られなかった場合、チケットは無効となる。
・同じ学年の生徒に対してのみ、チケットを譲渡・売買することができる。
「イベントで学年一位の結果を収めた生徒には、そこに書いてあるようなチケットを進呈する予定だ。なかなか面白いだろ?」
「……確かに」
南雲の自慢げな顔がウザいとはいえ、正直めちゃくちゃ面白いと思ってしまった。
なるほど、このルールならAクラスの生徒であっても獲得する意味がある。
他人に売れるというのは大きい。帆波のクラスに行きたい一年や、南雲のクラスに行きたい二年など、数えきれないほどいるだろう。高額なポイントで取引されるのはほぼ確実だ。
「肝心のイベント内容だが、時間や労力を費やすようなものにはしない。今回の目的は、移動チケットに生徒がどういう反応を示すか実験することだからな」
足を組んで、南雲は自分の意図を明かした。
退学やクラス移動など、生徒たちの「動き」を活発化させたいという思いを感じるが、もちろんそれだけではないだろう。ある意味、このイベントは今後の布石になりそうだと思った。
「……会長は、2000万ポイントでのクラス移動についてどうお考えですか?」
黙っていた有栖ちゃんが、口を開いた。
「あまり好んではいない。所持しているポイントというのは、必ずしも個人の実力に比例するものではないからだ。俺の考え方にはそぐわない制度だと思っている」
「わかりました、ありがとうございます」
納得した様子で、有栖ちゃんは立ち上がった。手を差し出してきたので、俺も立ち上がってドアの方へと引いていく。長居は無用ってところか。
「……最後に聞かせろ。高城は自分が退学することになったとしても、何も感じないのか?」
「感じなくはないですが、特に傷ついたりはしませんね。それはそれで、ってことです」
処分を受けて消えるよりは、めちゃくちゃにしてから自主退学する方が面白いだろうとは思う。しかし、その程度のものだ。しがみつくほどの価値を、俺はこの学校に見出していない。
俺の答えを聞いた南雲は、顔を引きつらせてから有栖ちゃんの方を向いた。
「坂柳、お前も大変なんだな」
「最近は慣れてきました」
二人が言葉を交わしたのを見てから、俺は生徒会室を後にした。
慌てて寄り添ってくる有栖ちゃん。さらさらの銀髪が、一度大きく靡いた。