不気味な夜の道を、俺たちは歩く。
足元が暗いので、有栖ちゃんの安全確保には普段より気を遣っていた。
しばらく歩いていると、どこからか大きな女性の声が聞こえた。
有栖ちゃんと頷き合い、俺たちは声の方向へ向かった。
「あのクソッタレ!死ねばいいのに!」
薄暗い公園。
そこでは、櫛田が我を忘れて暴れていた。柵やベンチを蹴り、暴言を吐き、奇声を上げる。
あぁ、これはひどい。放送禁止ワードが次々と飛び出す光景に、俺はドン引きしていた。
有栖ちゃんは笑みを浮かべたまま、櫛田の方へ向かっていく。
「どうも、こんばんは」
「……あ、ああっ………はぁ。何?」
「櫛田さんですよね?まぁ、わかっているのですが」
「あはは、こんなところでバレちゃうかぁ……で、どうしたいわけ?」
突然の声掛けに驚いたのか、櫛田は一瞬身体を震わせた。
そして、俺たちを威圧的に睨みつけてきた。
その眼光にも有栖ちゃんは全く動じず、どんどん距離を詰めていく。
「そうですね、櫛田さんの過去でもお聞かせいただけますでしょうか」
「それを言って、何の得になるの?」
公園には俺たちを除いて誰もおらず、驚くほど静かだ。
カツッ、カツッ、と杖の音のみが聞こえる。
「今のお話を録音していた、とでも言えばよろしいですか?」
「……そう、そうやって脅すんだ」
一メートルほどの距離まで接近し、有栖ちゃんは足を止めた。
「いえ、脅すつもりは全くありません。では、私が『堀北鈴音を退学させることに協力する』のはいかがでしょう?私も、彼女は気に入らないので」
衝撃的な発言。
その言葉に、櫛田は目を見開いた。
風が吹く。
「……わかった。話す」
そうして、櫛田は自分の過去を話し始めたのだ。
櫛田桔梗という人間は、承認欲求が強い。しかし、彼女は容姿こそ優れているものの、能力的には突出したものがない。俺からすると、見た目の良さでチヤホヤされるだけでも十分ではないかと思うが、櫛田にとっては全然足りなかったらしい。
それを補うため、櫛田は誰とでも仲良くして、自分を中心として歯車が回る環境を作り上げようとした。コミュニケーションの分野ならトップになれると考えたのだ。
容姿・性格ともに優れた櫛田は中学時代も人気者だった。しかし、本来の性格と全く異なる自分を演じ続けた結果、ストレスがどんどん精神を蝕んでいった。
そのはけ口として、櫛田は自らのブログに嫌いな人間の悪口を書き込むという手段を選んだ。
結果的にそれがまずかった。特定されて、立場を失う結果となったのだ。
その後、クラスの人間たちの集中砲火を受けるようになると、櫛田は握っていた秘密を全て現実で暴露した。そして、学級崩壊へ向かった……
まぁ、ちょっと規模が大きかっただけで内容自体はよくある話だ。
ネットリテラシーが無さすぎるのも含めて、中学生が起こす事件としては取り立てて珍しいものではないと思う。
ある意味、こうやって一人で暴れるのはその反省を生かしてるともいえる。
人間そんなもんだろ?と思っていたのだが。
「櫛田さん、よく頑張りましたね」
「はぁ?」
「あなたは何も悪くないのに、罪の意識に苛まれていたのですね」
「……何を言ってるの?」
話を一通り聞いた後、有栖ちゃんは深く頷き、櫛田を称賛し始めた。
「逆に考えてみましょう。櫛田さんは、何か悪いことをしましたか?」
「……そういえば」
「櫛田さんはありのままの事実を述べただけで、そこには嘘も偽りもありません。それを受け入れられない、周囲の人間が全て悪いのです。ブログの件も、周りがもっとあなたのことを尊重していれば防げたはずです。優しいあなたに過度なストレスをかけてしまうような環境。それが最大の原因であると、私は考えます」
有栖ちゃんの語りを聞きながら、俺は傍観者に徹する。
いろいろと言いたいことも頭に浮かぶが、今は有栖ちゃんの時間だ。
「私は、悪くないの?」
「悪くありません。嫌いな人間を煽てるのは、かなりの苦痛が伴ったでしょう。自らの目的のために感情を押し殺したあなたは、もっと認められるべきです」
櫛田は悪くないと断言した。
衝撃を受けたのか、櫛田は有栖ちゃんを見つめたまま固まってしまった。
有栖ちゃんはそんな櫛田に歩み寄り、手を取った。
「よく考えてみてください。周りの不良品のような生徒を引き上げるため、あなたは勉強会まで行っている。今も櫛田さんは頑張っています」
それをなぜ有栖ちゃんが知っているのかは、俺にはわからない。
「私は、悪くない。頑張ってる」
「そうです。全てはあなた自身の問題ではなく、あなたを取り巻く環境が悪いのです」
「そっか、そうだよね。私頑張ってるよね!」
櫛田の過去の行いは、全て周りの人間に責任があるという。
全てを肯定する有栖ちゃんは、きっと櫛田の心の傷を癒しているだろう。
これでいいのだろうか?
「堀北さんのこと、気に入らないでしょう。当然です。あのようにお高く止まった態度を取られては、周りの人間も不愉快になります。きっと、櫛田さんの秘密を握っているからいい気になっているのです」
「……本当にね。堀北のやつ、マジで救えない」
「比べてみてください。周囲の人間に冷たく当たった結果、堀北さんは誰にも相手にされず孤立しています。櫛田さんはどうでしょう。嫌いな人間であっても歩み寄る努力を怠らないことで、既にDクラスの生徒たちから信頼を得ています。これはすごいことだと思いますよ?」
「私、すごい?」
「すごいですよ、誰にでもできることではありません。堀北さん如きでは一生かかってもできないことを、あなたは成し遂げているのです」
「堀北ではできないこと、そっかぁ……ふふっ」
櫛田は黒い笑みを浮かべる。
堀北と比較された上で褒められる。彼女にとって、どれくらいの快感なのだろうか。
「櫛田さんは、頑張りすぎていると思います。ですから、もし今後もストレスを感じたら私のところへ来てください。いつでも受け止めます。私は、あなたの味方ですから」
「坂柳さんが、私の味方?」
「ふふ、下の名前でお呼びください。桔梗さん?」
「あ、有栖ちゃん。有栖ちゃんのことは、私は信じていいの?」
「もちろんです。あなたのことを、私は救いたいんです。私と共に来ませんか?」
「……有栖ちゃん!」
二人のやりとりに、俺はぞわっとしたものを感じた。
感極まって涙を流す櫛田を、有栖ちゃんは服が濡れることも厭わず抱きしめていた。
俺は、少し離れて二人の様子を見守っていた。
夜中だというのに、遠くに綾小路の姿が見えた。
俺と目が合うと、右手を挙げてから去っていった。
あぁ、そういうことかよ。
つい忘れていた。綾小路がどういう人間だったか。
お前、櫛田を売ったな?
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そのまま櫛田を部屋に連れ帰り、俺たちはテーブルを囲んだ。
「……というわけで、こちらが過去問です。これを配布することで、さらに桔梗さんの立場が上がるでしょう。もちろん、出すタイミングは考えた方がいいと思いますが」
「すごい。うちのクラスの馬鹿共では絶対に思いつかない。これがAクラスなんだ……」
「いや、Aクラスというより有栖ちゃん個人の話だ。あいつら誰も気づいてないぞ?」
馬鹿共には思いつかないが、そっちにも一人思いつくやつがいるけどな。
なんにせよ、これでBクラスとDクラスに過去問が回ったことになる。
もはや、Aクラスを最短で陥落させようとしている風にしか見えない。
「そういえば、あんたもいたんだった」
櫛田が俺を睨みつけてきた。
ちょっと驚いたが、残念。綾小路で耐性がついているから、これぐらいではビビらない。
「俺に口止めはしなくていいのか?」
「いらない。だって、あんたは有栖ちゃんの意に反することはしないだろうし」
これは意外。胸を触らせるぐらいしてくるかと思っていたが。
「まぁ、元より言うつもりもない。お前が有栖ちゃんを大事にしてくれるなら、俺がお前の不都合なことをする理由は全くないからな」
「……そういうこと。なら安心」
経緯はどうであれ、今の彼女をどうこうするメリットは一つもない。
有栖ちゃんもそんなことは望んでないだろう。
「池や山内と違って、あんたは私をそういう目で見ないから、嫌いじゃない」
「そうかい」
実は俺の評価は高かったようだ。ボロクソに言われているものだと思っていたが、塩対応が逆に良かったらしい。女の子って難しいなぁ。
「おや、そろそろ十二時になってしまいます。明日もありますし、お開きにしましょうか」
「はぁ……明日もダルいな。自分を作らなくていいって、こんなに居心地が良いんだ。ずっとこうしていたいぐらいかも」
「ふふ、いつでもいらしてください」
「ありがと。これからもよろしくね、有栖ちゃん?」
そう言って笑う櫛田。
表も裏もないこの笑顔が、彼女の本当の姿なのかもしれない。