翌日の放課後。
Bクラスの教室は、沸いていた。
「じゃあ、みんなの名前を書いてもらえたところで……決まりだね」
帆波はかわいらしく笑い、総勢39人の名前が書かれた契約書を手にした。
生徒たちが盛り上がっている理由はただ一つ。夏以降長い間このクラスを蝕み続けてきた、龍園との契約がついに無効となったからだ。
たった今、Bクラスが結んだ契約の内容はいたってシンプル。イベントで全員が帆波へ賞賛票を入れる代わりに、Aクラスが毎月2万ポイントを全員へ支給するというものだ。これが権利を譲渡された無人島の契約を打ち消す結果となり、プライベートポイントのやり取りが終了する。
まあ、元から負債のない俺と有栖ちゃんは、単純に2万を貰えるだけの契約になるのだが……それは今さら感が強い。
「これで、龍園くんの呪いからは解放された。だけど……私は、Bクラス全員にポイントを贈ることは、今後も続けたいと思うんだ。私を支えてくれるみんなの想いに、報いたいから」
帆波の温かい言葉。優しい声色と、その美貌。
それらが絡み合って、教室にいる生徒たちの心を掴む。ここまでしてもらったからには、忠誠を尽くさなければならない……Bクラスは、命令がなくとも自主的に帆波へ従う集団と化した。
その後千尋ちゃんが入ってきて、詳しい説明がなされた。帆波の「善意」により、今後はAクラスのクラスポイント×10ポイントが毎月与えられることになるらしい。
「さすが一之瀬さん!」
「ありがとう!」
帆波を称える言葉が飛び交う。その光景はどこか宗教的で、少々不気味なものだった。
俺と有栖ちゃんは席を立ち、そそくさと教室を退出した。
学生寮までの帰り道、有栖ちゃんは自分の端末とにらめっこしていた。
ただでさえ危なっかしいのに歩きスマホなんて、心臓に悪いからやめてほしい。
しかし、一度興味を惹かれたら突き詰めるまでやめないのがこの子の性格だ。俺はがっちりと肩を抱いて、危険がないように努めた。
「……おや?」
有栖ちゃんが呟く。見ているのは、Aクラスのグループチャットだ。
昨日の夜に帆波から招待されたため、他クラスではあるが俺たちも参加している。
「どうしたの?」
「龍園くんと帆波さんの契約なのですが、条項が追加されていたようです」
下の方を見てください、と有栖ちゃんは俺に端末を手渡した。一度立ち止まり、画面をスクロールする。アップされた契約書の画像の下部に目をやると……
・Aクラスの生徒は、Dクラスの生徒に批判票を投じない。
・Dクラスの生徒は、Aクラス及びBクラスの生徒に批判票を投じない。
「なんぞこれ」
表現が難しいが、なんとも「帆波っぽい」内容だと感じた。どちらから持ちかけたのかはわからないが、最終的な話し合いの場で決まったことは間違いなさそうだ。
「帆波さんは恐ろしい人です。本当に、晴翔くんのことしか見ていない……」
こんな縛りをつけた理由は、非常にわかりやすい。俺たちの安全を確保するためだ。
その目的は達成できるだろう。Dクラスの批判票さえ回避できれば、あとはCクラスのみ。彼らの動きに関しては、清隆や桔梗ちゃんがある程度コントロールしてくれる。
龍園からしても、クラス全体がAクラスの攻撃から守られるというのはメリットが大きいはず。これはもう、実質的な停戦協定のようなものだ。
……しかし、Bクラスまで批判票の対象から外してくれるとは思わなかった。
「だけどこれって、遠回しにCクラスを攻撃するって言ってないか?」
「そうですね。私の中では、少しずつ全体像が見えてきました」
有栖ちゃんは答えに近づいているようだが、俺は今のところさっぱりである。
いろいろと話しているうちに、寮のエントランスへ到着した。
ちょっと頭がこんがらがっている。一度ゆっくりして、考えを整理したいところだ。
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ベッドに寝転がりながら、俺は思考に耽る。
行動に制限がかかるような契約には気をつけろ。これは昨日の有栖ちゃんの言葉だが、帆波と龍園はまさにそんな契約を結んだことになった。しかも、若干龍園の方が不利なものである。
そこまでポイントが欲しかったのか、もしくは別の目的があるのか……
考えながらしばらくゴロゴロしていると、桔梗ちゃんと清隆が一緒に部屋を訪ねてきた。
「晴翔くん、会いたかったよ!」
「桔梗ちゃん。これまた、珍しい組み合わせだな」
「そうかな?エレベーターで偶然会ったんだ」
特に仲が悪いわけではないようだが、あまり絡んでいるところを見かけない。
お互いにあまり興味を持っていない……俺は、そんな風に感じていた。
「オレは、今後のことを話し合うために来た。櫛田にも関わる話だから、丁度よかった」
清隆は無表情で話を切り出した。
とりあえず二人に座るよう促して、飲み物の準備をする。
「昨日の話の続きですね?」
「ああ、そうだ。恵は龍園との契約を結ぶことを選択した」
有栖ちゃんの問いに、清隆は淡々と答えた。
やはりと言ってはなんだが、そのことに関して特に何も思っていない様子。
四人分のお茶をテーブルに置いた後、俺も座った。暖房が効いてきて暖かい。
……なんだか落ち着く。俺と仲のいいメンバーで集まっているからだろうか?
桔梗ちゃんが買ってきてくれたお菓子を食べつつ、しばらく和やかに過ごしていた。
次に清隆が発した言葉は、驚くべきものだった。
「あの契約を受け入れてしまったことは、Cクラスからすれば大失策だろう」
お茶を飲もうとした手が止まる。
大失策。そう断言できるほどの罠が、契約の中に仕組まれているというのか。
この男が言っている以上、冗談ではないだろう。恵ちゃんは致命的な失敗をしてしまった。
「契約内容を見ていませんが、なんとなく私もそうだろうと思っていました」
「有栖なら当然気づくだろうな……クラスの生徒を守り切るためには、あれを突っぱねる必要があった。残念ながら、龍園の策略を打ち破るレベルには到達していなかったようだ」
つまり清隆は、ダメだとわかっていたのに止めなかったということ。なんという冷酷さ。
……つい忘れていた。彼はあくまでも恵ちゃんを気にかけているのであり、Cクラスの行く末などには一切興味がない。彼女に得るものがあればそれでいいのだ。
大きな失敗を経験することが、後の成長につながる。きっと、今回の件もそのぐらいの認識でしかないだろう。彼にとって、他の連中がどうなろうと知ったことではない。
「ふふっ、仕方ありませんね。それにしても、清隆くんが龍園くんに利用価値を見出しているとは思いませんでした。彼が退学するのはもう少し先になりそうです」
「あの男には、恵がステップアップするための踏み台となってもらおうと考えている。存在する意味がないと判断するのは、もう少し利用してからでもいいと思う。まだ、面白くできる」
二人の話が盛り上がっている。
天才同士のやり取りに、俺はついていくことができない。
「有栖ちゃんと綾小路くんって、こんなに相性がいいんだ……」
意外そうな桔梗ちゃん。
正直なところ、俺より清隆の方が有栖ちゃんに相応しいという感覚は、まだ抜けきっていない。もちろん恵ちゃんという恋人がいる以上、今さら関係が変わることはないが……
「本当に、仲良しだよな」
能力的な面とか、話が合うという観点では絶対に清隆の方がいいと思う。ただし、有栖ちゃんが必要とする生活介助……その一点のみで言えば、俺に軍配が上がる。
もちろん、やる気にさえなれば俺以上のサポートだって可能だろう。けれど、「できる」と「やる」は違うのだ。有栖ちゃんに対してここまで「やる」人間は、俺しかいない。
「そうですね。私は、清隆くんのことも大好きです。ただ勘違いしてほしくないのは……」
有栖ちゃんは俺に肩を寄せて、頬に口付けをした。
それを見た清隆は、うん、うんと二回頷いた。
「オレたちは最高の『親友』だ。そういうことだろう?」
「はい。今の関係が、最も心地よいのです。これ以上の関係に発展することはありません。そもそも、そんなことをしたら私は恵さんに刺されてしまいます」
冗談っぽく言っているが、それもまた事実なのだろう。
恵ちゃんの内面を見ることはできない。清隆に対する依存と、強い独占欲……
ブルルッ。
「ん?」
突然の音に思考が中断された。清隆の端末が鳴っているようだ。
「……ああ、恵から電話が来ている」
清隆は立ち上がり、部屋の隅で通話を開始した。
ぐすっ、とすすり泣くような声が彼の端末から聞こえる。
「悪い、連絡をしていなかったな。今日は晴翔の部屋に来ているんだ」
電話口で弁解する清隆。俺たち三人は顔を見合わせて、小さく笑った。
「……あいつ、可愛いところあるのね。学校での姿ばかり見てるから、不思議な感じ」
桔梗ちゃんは愉快そうに、清隆の後ろ姿を眺めている。
大方、部屋に清隆がいなくて、悲しくなってしまったというところだろう。一人の時間が辛すぎて、怒られるかもしれないと心配しながら電話をかけてきたというわけだ。
……それ、めちゃくちゃ可愛いじゃないか。胸がきゅんとした。
「帰ったらすぐ抱きしめてやるから、泣かないでくれ」
清隆が話している内容は、恋人への優しさに溢れている。
どちらかというと、俺はそっちに驚いた。そういうことを言えるようになったんだな。
数分間話した後、清隆は端末をタップして通話を切った。
「……というわけだ」
「了解、早く帰ってあげなよ。そこまで愛してくれる人間なんて、多分他にはいないぞ?」
「そうだな。今日はもう少し突き詰めた話をしようと思っていたが、日を改めることにする」
率直に思ったことを言った。恵ちゃんの持つ一途で重い愛情は、確実に清隆が生み出したものだ。それを受け止められるのは、当然ながら彼以外に存在しない。
清隆はすまない、と一言述べてから急いで部屋を出ていった。
「恵さんには、清隆くんが必要です。では……その逆は、どうなのでしょう?」
有栖ちゃんは笑う。その様子はまるで、弟の成長を見た姉のようだ。
今の恵ちゃんに対して、めんどくさい女だと思う男もいるかもしれない。だが、愛を知らない、機械のようだった人間の心を動かすには、それぐらい強い感情が必要なのだ。
清隆にとって、もはや恵ちゃんは唯一無二の存在である。俺はそう結論を出した。
翌日、清隆は両目の下に大きなクマを作っていた。
表情に出なくとも、寝不足であることが容易にわかる状態だった。
……いやあ、お熱いことで。
感想や評価などありがとうございます。
鋭い読みをされている方もいて、いつも驚かされております。また、そうやって皆さんに考察していただけるなんて、幸せな作品だと思います。
今後ともよろしくお願いします。