お付き合いいただける方は、どうぞよろしくお願いします。
それから堀北の独白が始まった。
機嫌の悪い桔梗ちゃんを尻目に、自分がいかにクラスで孤立していったか、そしてその結果どうなったか……俺たちはそんな話を延々と聞かされたのだった。感情的になっているためか内容に支離滅裂な部分があり、要点がわかりづらかったというのが正直なところだ。
「状況はわかりました。大変だったのですね」
話を一通り聞き終えた有栖ちゃんは、同情するように言った。
内心どう思ってるかはわからないけれど、少なくとも表面上は寄り添う姿勢を見せている。
「要は、南雲に『そういう関係』を求められたってことだろ?」
「……ええ」
堀北は暗い顔で、俺の言葉に同意した。
今の堀北には、例のイベントによって課せられた2000万ポイントを支払うアテがない。そのことを主催者たる南雲に伝えたところ、堀北の債務を肩代わりする条件として、「私物」に加わることを要求されたらしい。プライドの高い彼女にとっては屈辱以外の何物でもない提案だろうが、退学だけは回避しようと思いやむなく承諾したようだ。
まあ、そんなことはどうでもいい。別に堀北がどうなろうが俺の知ったことではない。それよりも、隣に座る桔梗ちゃんが不安定になっていることの方がよっぽど問題だ。
(大丈夫?)
(うん、なんとか……早く帰らないかなあ)
俺の手を強く握っている。本当に、早くお引き取り願いたい。
「放課後、あの男の部屋に呼び出された。そうしたら、急に迫ってきて……」
堀北が今日泣きついてきたのは、南雲に肉体関係を求められたからだ。あの男の性質を考えれば容易に想像できる流れだが……あまり同情はできない。そうなるに至った原因の多くが自身の行動や態度にある以上、自分でどうにかしてくれとしか思えない。
「……そうか。で、お前は俺たちに何を求めているんだ?」
出ていってほしいという気持ちからか、語気が強くなってしまう。
何てことはない。いかにも南雲のやりそうなことだし、特に驚くような話じゃない。
冷め切った心のまま、テーブルのお茶に口をつけた。
「何って……あなたは冷たいのね」
「そうかもしれないが、お前にだけは言われたくないな。つーか、嫌なら全てを拒否して退学すればいいだろ。今さらこんな学校に残って何になる?」
黙り込む堀北。
……俺がこいつの立場なら、とっくに全てを投げ出して退学しているだろう。自分を売ってまでしがみつくほどの価値を、この学校に対して見出せないからだ。
おそらく、兄が生徒会長として立派に三年間をまっとうしたということが枷になっているのだろう。特に助けてやりたいとは思わないが、そのあたりの事情は少し気の毒ではある。
「あと、有栖ちゃん……俺が今考えてること、わかる?」
有栖ちゃんが頷く。先ほどからずっと、この子は桔梗ちゃんの様子を観察していた。言わずとも俺の意図を理解してくれたようだ。長年の付き合いが成せる技というか、そのあたりはさすがだと思う。
「鈴音さん。私は友達として、あなたの助けになりたいと思っています。しかし、課せられた2000万ポイントを私たちが用意することは現実的ではありません」
わりと現実的なんだけどな。やらないだけで。
「ええ、さすがにそれはわかっているわ。そんな虫のいい話があるわけないもの」
「力になれず申し訳ありません。その代わりと言っては何ですが、あなたに対して酷い扱いをしないよう南雲会長に伝えておきましょう。それで少しは改善されるといいのですが」
「……ありがとう、有栖」
表情が少し明るくなった。有栖ちゃんがわざわざ南雲にお願いするとは思えないが、メンタルをやられている堀北には沁みる言葉だろう。この学校に入学してからというもの、他人からここまで優しい対応をされたことは無いはずだ。
本来の堀北であれば疑ってかかったのだろうが、有栖ちゃんの口八丁を「嘘くさい」だなんて感じられる余裕があるなら、そもそも今日ここに来ていないだろう。
答えに満足したのか、堀北は一呼吸置いてから立ち上がり、俺たちに背を向けた。
帰る直前、その後ろ姿に向けて桔梗ちゃんが言葉を発した。
「ねえ、一ついい?」
「……何?」
堀北をまっすぐ射抜く視線。それを受けて、追い詰められた彼女は何を思うのか。
「二人がどう思ってるかはわからないけど、私はあなたのことが嫌い。これから先、何があってもこの気持ちが変わることはないと思う。今この部屋にあなたの姿があること自体、許せないぐらいだから。きっと、私たちはどうしようもなく相性が悪い」
「そう。それは残念ね」
口では残念と言っているものの、特に残念そうな態度には見えない。堀北としても、桔梗ちゃんを味方につけることはもう諦めたようだ。
「……全てを嘘で塗り固めた私と、馬鹿みたいに正直な堀北さん。私たちの立場が逆になってた未来も、あるかもしれない」
だから、二人には感謝しないと……と言葉をつなぐ。
一瞬、堀北の鉄仮面が揺らいだ。感情を含んだ目で桔梗ちゃんを見つめる。
「あなたは何が言いたいの?」
最後の問いに対して、桔梗ちゃんからの返答はなかった。
「ごめんなさい」
堀北が去ってから、有栖ちゃんはまず俺たちに頭を下げた。
「いや、いいんだ。桔梗ちゃんの気持ちをわかってくれたなら、俺はそれだけでいい」
「本当に申し訳なかったと思います。配慮が足りていませんでした」
おそらく、有栖ちゃんはこのタイミングで堀北を落とす算段を立てていたのだろう。好感度がいい具合に上がった今、甘い言葉を続けて従順な駒を作る予定だったのだ。少なくとも、「2000万は用意できない、何もできないが善処する」という毒にも薬にもならぬ宥め方をするようなプランではなかったと思う。もっと深く、自分に心酔させる方向で考えていたはずだ。
桔梗ちゃんのことが盲点だったというわけではないだろう。俺たち三人の関係はそんな浅いものではない。単純に、有栖ちゃんにとってはそれが受容できるリスクであり、堀北を駒にするというリターンに釣り合うものであったと判断しただけだ。
だからこそ、俺がストップをかけなければならなかった。桔梗ちゃんを傷つけてまで欲しいモノなど存在しない。今後のためにも、それは違うぞとはっきりさせておく必要がある。
「俺は二人のことが大好きだ。ほとんど家族といっていい存在だと思ってる。だから、この関係にヒビが入るようなことは起きてほしくない」
「……はい」
「有栖ちゃんが、俺のために動いてくれていることはよくわかってる。それで楽しませてもらってる立場だし、実際ありがたいと思ってる。けれど……」
ちらっと桔梗ちゃんを見る。先ほどとはうってかわって、穏やかな微笑みを浮かべている。
ずっとこういう顔をしていてほしい。もっと突き詰めて言えば、もう自分の過去のことなんか忘れてほしい。この子が自分を作り上げる必要なんてない環境を整えてやりたい。
「そう、ですね。何を第一優先とするか、認識に齟齬があったのかもしれません」
かつての俺なら、有栖ちゃんがいろんな人を踏み台にして遊ぶことを何も考えず楽しんでいただろう。しかし今は違う。もう一つ優先すべきものができたのだ。
とはいえ、その価値観を明確に伝えておかなかったのは完全に俺のミスである。
「……いや、悪いのは俺だな。堀北を退学させない方向に進んでいる段階で、一度確認をしておくべきだったんだ。いきなり首を突っ込むような真似をしてごめん」
「い、いえ。悪いのは私のほうで……」
どちらも自分が悪い、となってしまった。少し気まずくなって言葉に詰まる。
そんな俺たちの様子を見て、桔梗ちゃんが笑った。
「あはは、二人とも私のことで争わないでよ。ほんっとにもう……」
とても嬉しそうだった。その様子を見るだけで、心がほっこりとする。
……やっぱり、俺はこの空間を守りたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
真夜中のことだった。
ふと目覚めた俺は、ベッドを抜け出して立ち上がった。
すると、一緒に寝ていたはずの桔梗ちゃんの姿が無いことに気づいた。
……どうしたんだろう?
急に用事を思い出して帰った、なんて時間ではなかったはずだ。
あれからいろいろと話が弾んで、寝るときには夜一時を回っていた。
俺はスマホのライトで足元を照らしながら、少し歩いてみる。
玄関に、桔梗ちゃんの靴がなかった。それを見て急に焦りが生じた。
こんな遅くに女の子が一人で外に出るなんて、万が一のことがあったら大変だ。
慌てて靴を履いて扉を開き、エレベーターの方へ走っていく。
「あっ……」
聞き慣れた声が耳に入る。
エレベーターのすぐ近くで、桔梗ちゃんは夜空を見上げていた。
「……心配したよ。どうしてこんなところに?」
「ごめんね。ちょっと、眠れなくって」
俺は冷や汗を拭い、桔梗ちゃんの隣に立つ。
「やっぱり、堀北のこと?」
「うん。ほんっと、馬鹿な女だよね……自分を売るなんて、できっこない性格のくせにさ」
その表情は嘲笑といった類のものではなかった。
同情、もしくは憐憫か。
「それに関しては、自業自得な部分も大きいと思うが」
「ふふっ、意外と晴翔くんって厳しいよね。でも……私は、あいつが退学したら満足するのかなって。それが正解なのか、今ごろになってわかんなくなっちゃった」
堀北の退学は、かなり現実味を帯びているといっていい。俺の考えを聞いたことで、有栖ちゃんがあいつに直接手を差し伸べる可能性はなくなった。
しかし、南雲に媚を売ってご機嫌を取りながら生き延びるなんて、堀北には不可能な行動だ。そんな立ち回りができるような人間であれば、そもそも周りから嫌われることはなかっただろう。
このまま誰も何もしなければ退学。これは避けられない流れだ。
「……だったら、有栖ちゃんに任せる?」
「それは嫌。あんな奴が私の大切な場所に入ってくるなんて、我慢できない。だから、晴翔くんが有栖ちゃんを止めてくれたことには感謝してる。ありがとう」
難しい。桔梗ちゃん自身も、自分の気持ちが整理できていないようだ。
眠気がすっかり飛んでしまった頭を回転させて、考えてみる。
……2000万を工面すること自体は、簡単だ。帆波に言えばすぐ用意してくれるだろう。
ここで第三の選択肢を思いついた。
「例えば、俺が2000万を用意して桔梗ちゃんに渡す。それを使ってあいつを助けてやるなんて手段は、どうだろう?」
「表面上、私が堀北を救った形にするってこと?」
「ああ。正直なところ、俺はあいつにはこのまま退学してもらってもいいと思っている。しかし、それはあくまでも桔梗ちゃんが望んでのこと。桔梗ちゃん自身が堀北鈴音という人間に何らかの価値を見出し、必要と思うのであれば話は変わってくる。そういう意味では、表面上というのはちょっと違うかもな」
あくまでも、俺は桔梗ちゃんに頼まれなければ動くつもりはない。重要なポイントだ。
「あいつを救うかどうかは、私次第?」
「その通りだ」
「わかった、ありがとう。少し考えさせて」
桔梗ちゃんの動きを見て、俺はさっそく帆波にメッセージを送った。
俺のために2000万ポイントをくれないか?という内容だ。
……深夜三時だというのに、すぐ返信が来た。
少し気味は悪かったが、すぐ準備するということだった。相変わらずとんでもない。
「とりあえず、こっちはオッケーだ。近いうちにポイントを送るから、受け取ってくれ」
2000万は貸すのではなく、「あげる」方がいいと思っている。
あくまで使途は限定しない。全てを桔梗ちゃんに委ねたい。
じっくりと考えて、堀北のために使うか自分のために使うか判断してほしい。そのポイントで、好きなクラスに移籍することだってできるのだから。
「……私、今この学校で最強なのは晴翔くんなんじゃないかって思う」
「いやいや、そんなことはないだろ」
メッセージ一つで2000万ポイントを用意してくれる女には負けるよ。
話しているうちに眠気が来たので、俺と桔梗ちゃんは部屋へと戻った。
電気をつけると、目が覚めてしまったらしい有栖ちゃんがベッドの上に座っていた。
「一人で置いてきぼりにされるぐらい、私はひどいことをしましたか?」
「ごめん!」
心配していたのか寂しかったのかはわからないが、半泣きになっていた。
それを見て、俺たちは二人そろって平謝りしたのだった。