翌日の昼休み。
俺は教室で有栖ちゃんと昼を食べた後、特に何もせずぼーっとしていた。
頭に浮かぶのは堀北のこと。他の人間を寄せ付けない、孤高の一匹狼……だったはずの彼女は、どこで間違えたのだろうか。それとも最初から詰んでいたのか。俺にはわからなかった。
まぁどうでもいい。考えてもわからないことを考え続けるなんて、エネルギーの無駄遣いだ。
「あ、あの……」
その時、女性の声が俺の耳に入った。顔を上げると、落ち着いた雰囲気の少女がこちらをじっと見つめていた。
彼女は誰だろうと少々思索する必要があった。どうにか思い出した俺は、その名を呼ぶ。
「山村さん……だっけ。間違ってたらごめん」
「は、はい。山村です……」
影は薄いけれど、同じクラスにいたことはさすがに覚えていた。これだけ荒れたクラスにおいてもほとんど自己主張することなく、一人で大人しくしている子というイメージだ。
「急にどうしたの?」
「さっき、これを……」
そう言って、山村さんはボールペンを手渡してきた。これは俺のものだ。午前中の移動教室で動いた時に落としてしまったのだろう。見て見ぬ振りをせず、純粋な善意で届けてくれたようだ。
「わざわざありがとう。君は優しいね」
「は、はいっ……」
照れてしまったのか顔を手で隠している。何というか、おどおどした子である。変に絡みすぎて苦手意識を持たれるのもよくないので、そこから話を膨らませることはしなかった。
山村さんが席に戻った後、隣の有栖ちゃんがつんつんと指でつついてきた。
「興味が湧きましたか?」
「うーん。特にそういうわけじゃない。この学校では少し珍しいタイプだなって思っただけ。清隆のクラスにいる佐倉さんとか、全くいないわけじゃないけど」
比較的我の強い人間が多い中で、こういう生徒もいるんだなと思った。
「彼女は知能面において非常に優秀です。筆記の試験ではいつも上位の成績を収めています」
「へぇ〜、意識したことなかった」
「味方にしておけば役に立つことも……いえ、無いかもしれません」
有栖ちゃんは一度言いかけた言葉を否定し、苦笑いを浮かべた。
その意味は理解できる。正確に言えば、役に立つ機会が無い。
山村さんのスペックが高いことは今まで知らなかったが、有栖ちゃんが認めるほどの知能があるのならば、間違いなくクラス間の争いにおいて大きな戦力となっただろう。
……だがしかし、この学年におけるAクラスはもう確定してしまっている。今誰かが山村さんの有用性に気がついたとしても、それを輝かせることのできるシーンが存在しないのだ。
彼女の性格からして、自分から何かを変えようと動くことは考えづらい。このまま目立たない優等生として、波風立てずに三年間を終える可能性が高い。
もちろん、俺たちが何もしなかったとしても、彼女が誰かの参謀として動くような展開になったという保証はない。むしろ今の未来の方が幸せだった可能性もあるし、こちらが何か悪いことをしたわけでもない。全ては仮定に過ぎない、タラレバの話なのだが……
なんとも言えない罪悪感を覚えた昼休みだった。
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「はい、送ったよー」
放課後、俺の部屋に帆波を呼んで堀北絡みの事情を説明した。気が変わっていたりしないだろうかと少し心配したものの、想像以上に軽いノリで譲ってくれた。
「……すごい。ありがとう帆波ちゃん」
「お礼はご主人さまに言ってね〜」
桔梗ちゃんは感謝しながらも、若干引いている様子。
そりゃそうだ。普通の感性を持っていれば、「大して仲良くもない生徒を助けるかもしれないから、保険として金をくれ」だなんてお願いを聞き入れるわけがない。これは帆波の性格と、俺に対する依存心があるからできる芸当だ。自分でも最低だと思うが、今回ばかりは許してほしい。
とはいえさすがに申し訳ないので、お礼に何かしてほしいことがないか聞いたところ……
『今度のお休み、二人きりでデートしてほしいなぁ~……』
とのことだった。俺の休日なんぞに2000万もの価値があるとは思えないが、帆波にとっては違うらしい。思っていた以上に簡単なものだったので、俺はその場でオッケーした。
しかし、この話を聞いた有栖ちゃんはかなり苦い顔をしていた。一日だけならと理解してくれたものの、嬉しくはなさそうだった。
もちろん俺たちは恋人関係であるわけだから、帆波とデートするという行為がよろしくないことはわかっている。だが、額が額だけに何らかの対価を払わなければ俺自身が納得できないことと、桔梗ちゃんを手助けするという大義名分があるため、こちらの意見を通させてもらった。
「桔梗ちゃんが堀北さんを助けたいなんて、ちょっと意外かも?」
「うーん、まだ決めたわけじゃない。あいつが嫌いなことに変わりはないし、そんなことに大量のポイントを使いたくない気持ちもある。考える時間が欲しい、ってのが正直なところかな」
そう、それが大事なのだ。
桔梗ちゃんは俺にとって大切な「家族」であり、できる限りのことはしてあげたいと思っている。特に学校においては、可能な限りストレスフリーな環境でのびのびと過ごしてほしい。
「全ては桔梗ちゃんの自由だ。じっくり考えてから決めてくれ」
「……二人ともありがとう。ちゃんと、納得いく答えが出せるようにする」
入学当初の意志を貫くため、堀北をこのまま見捨ててしまうのもいいだろう。逆に退学によって自分の中でモヤモヤを抱えてしまうのなら、救ってやるのも一興だ。また、堀北のみならずクラスの連中に嫌気がさしたというのなら、俺のクラスや帆波のクラスに移籍してしまうのもアリだ。
このように、2000万ポイントがあれば桔梗ちゃんには数多くの選択肢が与えられる。
最終的にどの道を選ぶのか、しばらく楽しみに待っていようと思う。そして、どれを選んだとしても俺はこの子の結論を肯定するつもりだ。
当初の目的を終えて、雑談タイムに入った。
今日一番ホットな話題といえば、伊吹がAクラスに移籍する意思を固めたこと。龍園がそれを推奨している以上時間の問題だったのだが、無敵のAクラスがひよりに続いて二人目の「補強」をしたという話は学校内に大きなインパクトをもたらした。
「伊吹ちゃんって、どう?」
「ぶっきらぼうだけどいい奴だよ。雰囲気ツンツンしてるだけで根は優しい」
「それなら大丈夫かな〜」
帆波は腕を組んで何かを考えている。
龍園によるAクラス全員移籍計画。Aクラスが地盤を固めれば固めるほど、成功した時のリターンは確実なものになっていく。しかし、クラスポイントによる収入が見込めない状況で、億単位となるポイントをどう稼ぐのだろうか。この難題を突破する方法は見当もつかない。
……だが、ここから正攻法でAクラスになるよりはまだ可能性がある。今、龍園は最後の賭けを打つために動いているのかもしれない。
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帆波が帰った後、三人で夕食を食べているときのことだった。
いきなり俺の端末が鳴った。画面を確認すると、清隆からメッセージが届いていた。
『急にすまない。今から学校に来れるか?』
『どうしたんだ?』
『事情は後で話す。こちらも今向かっているところだ』
『緊急のようだな。わかったよ』
俺は食べ終わった食器をシンクに持っていき、さっと水で流した。
有栖ちゃんが首をかしげる。
「ああ、ちょっと清隆に呼び出されたんだ」
「……きな臭いですね」
「俺もそう思う。だが、ここは友人として行かねばなるまい」
「わかりました。行ってきてください」
急いで準備を済ませ、これ以降の家事と有栖ちゃんのお風呂を桔梗ちゃんにお願いした。
「いってらっしゃい。こっちのことは任せて」
「ごめん、ありがとう」
「謝らないでよ。だって私たちは……『家族』でしょ?」
明るい笑顔を見て、心が熱くなる。
……本当に、この子には感謝してもしきれないな。
俺はコートを着て、寒空の下に飛び出した。
学校へ向かう途中、清隆から電話がかかってきた。
『こちらは到着した。晴翔は今どこだ?』
「あと数分もすれば着く。急いだほうがいいか?」
『いや、大丈夫だ。時間的余裕はある』
「了解」
いたって冷静な口調で清隆は話す。その最中、通話口から女性の声が聞こえていた。内容までは聞き取れないが、声の主はほぼ間違いなく恵ちゃんだろう。
なんとなく、これから起きるであろうイベントを予測できた。
『格闘技の経験はあるか?』
「いやまったく」
唐突すぎる質問にうっかり笑いそうになってしまう。
残念ながら、俺は今からバトルさせられることになるようだ。あんまり痛いのは嫌だなあと思いながらも、ただではやられないぞと気持ちが奮い立つ。
『……概ね理解できたようだな。以前から話していた件だ』
「ついに来たのか」
『ああ。今日、恵が龍園から呼び出された』
そこまで馬鹿じゃないと思ってたんだけどなあ。
失望感を覚えつつ、歩く速度を上げる。
「脅し文句は?」
『お前の過去を知っている、学校中にバラまいてやる。そんな感じだ』
万が一実行されたとしても、今の恵ちゃんなら耐えられそうな気もする。
とはいえ、無視したところで結局別の手法……もっと過激なやり方で呼び出されることになるのは明白。ここでケリをつけておくのが最善だと清隆は判断したのだろう。
「わかった。校舎前に行けばいいか?」
『それでもいいが、集まるところを誰かに見つかっても面倒だ。校舎の向かって左側、非常口の鍵が壊されているらしい。そこから入ってきてくれ』
「了解」
一旦通話を切って、呼吸を整える。
何が起きるかわからないワクワク感。ボコボコにされるかもしれないという恐怖。
ああ、楽しいじゃないか。やはり持つべきものは友達だ。
およそ5分後、校舎に到着した。
現在の時刻は19時40分。ならば、龍園が指定してきた時間は20時か?
闇の中を歩き、俺は清隆の言っていた非常口を見つけるべくグラウンドの左方向へと向かう。
……見つけた。端末のライトで手元を照らす。
ここで急に襲撃される可能性もなくはない。念のため周囲を警戒しながら校舎へと侵入した。
カツッカツッと靴音が響く。スニーカーで来ればよかったかと少し後悔しながら、廊下を歩く。
「……来たか」
清隆の声が聞こえた。音の方向を向くと、懐中電灯による強い光が目に入る。
「親友の頼みを無下にするはずがないだろう」
「助かる。現状、真に信用できる人間は晴翔と有栖ぐらいのものだ」
これから起きるであろうことを考えると、有栖ちゃんを連れてくる選択肢は無い。
もちろんそんなことは清隆もわかっているので、俺にだけ連絡を入れてきたわけだ。
「……ありがと、晴翔」
その隣には恵ちゃんの姿もあった。
身体が震えている。やはり怖いのだろう。
「心配する必要はない。恵ちゃんの隣にいる人間は、人類最強の男だから」
「随分とハードルを上げてくれるな」
「くくっ、半分冗談だ」
結局のところ、清隆がいればどうにかなる。俺がこうして余裕をぶっこいていられるのも、この男が味方にいる安心感によるものが大きい。まさにヒーロー。主人公たる者かくあるべし、という存在である。
「そろそろ話は終わりだ。行くぞ」
「わかった。場所は?」
「……お前もよく知る場所。去年、一之瀬が飛び降りようとしていた屋上だ」
清隆によるショッキングな発言を受けて、恵ちゃんが一瞬ぎょっとした。それでも特に大きな声を出さず、冷静なままでいるのは教育の賜物か。
本当に、こいつはよく成長したよなあ。最初に会った頃のことを思うと感慨深い。
「そんなにじろじろ見ないでよ。顔に何かついてる?」
「別に。お前も変わったなって思っただけ」
馬鹿っぽい面構えは全然変わらないのに、面白いものだ。
会話を打ち切り、俺たちは清隆の先導で歩いていく。
さて、鬼が出るか蛇が出るか……?