「ああ、小袖さんのこと? うん、知ってるよ」
同期との予期せぬ再会から数日後、僕はポアロのカウンター席でアイスコーヒーに口をつけるコナンくんに彼のことを尋ねてみることにした。別に彼の存在を警戒しているわけではないが、「降谷零」を知っている以上は多少の情報は得ておかなければならない。
鈴木次郎吉氏の秘書のようなことをしている若い男性と言えばすぐに話は通じた。やはり
「安室さん、小袖さんのこと知ってるの?」
「数日前、ポアロに来てくださったんだよ。いろいろとお話を聞けて楽しかったんだけど、名前を聞きそびれてしまってね」
さすがに仕事で疲れ切ってボロボロだったことは口にはしなかった。彼にもプライドがあるだろうし、彼とコナンくんの距離感もわからない状態で余計なことは言わない方がいい。
そうなんだ、とコナンくんは特に疑う様子もなく頷いた。
「小袖進さんは鈴木財閥の相談役、鈴木次郎吉さんの右腕だよ。すごく仕事ができて、いつも次郎吉おじさんが何か言う前に『すでに用意はできております』って言っちゃうようなひとなんだ」
「それはすごい」
なるほど、涼しい顔でその台詞を言うために凄まじい努力をしているといったところか。「できない」の一言を言いたくない気持ちは正直とてもよくわかるので、何となく苦笑してしまう。
「そういえば小袖さん、仕事に必要なスキルを身につけていたら自分の職業がわからなくなってきたって言ってたな」
「あはは、次郎吉おじさんもいつも自慢してるよ、『ウチの小袖にできないことなどありはせん!』ってね。そのたびに小袖さんは仕事に必要なことしかできないって謙遜するんだけど……いったいどんな仕事をしたらヒエログリフを読み解くスキルが必要になるんだろうね? この前解読表もなしにすらすら読んでたんだけど」
「外国語どころか古代エジプトの象形文字までマスターしてるのか彼は……」
ロゼッタストーンのおかげで解読が進み、現代では比較的簡単に読むことができると言われているヒエログリフだが、だからと言って研究者でもない人間が普通に読み解けるかと言ったらまったく別問題だろう。本当に何をしているんだ小袖はと思うが、たぶん本人が一番そう思っている。
はははと少々引いた顔をしていたコナンくんだが、でも本当にやり手なんだって、と気を取り直したように続ける。
「怪盗キッドのことになるとさすがにちょっと困った顔で笑ってることが多いんだけど、それでもしっかり『キッド』を利用してるところが評価されてるって園子姉ちゃんが言ってたよ」
「利用?」
「うん。次郎吉おじさんが怪盗キッドに目を付けたその日に、小袖さんは鈴木財閥に警備会社を買収するよう打診したそうなんだ。それも規模の大きい大手の会社じゃなくて、小さくても技術力のあるところを調べ上げて」
新聞の一面を奪われた鈴木次郎吉氏が以降キッドの捕縛に燃えることは容易く想像できたのだろう。溢れるほどの資金力のある次郎吉氏であれば、キッドが狙うような宝石を餌に誘き出すと予測した。
ならば当然、キッドを捕まえるため、宝石を守るためのセキュリティが必要になる。なるほど、と思わず頷いた。
「……噂程度にしか知らないけど、確か鈴木次郎吉氏はいつもキッド対策にかなり大がかりな防犯システムを導入するんだって? それも、毎回違うものを」
「うん。買収した警備会社に防犯システムを開発させて、キッドに破られたらさらに改善をかさねてシステムを製品化。今では世界中の銀行や大富豪の金庫で導入されてるらしいよ。鈴木財閥にとっても大きなビジネスになったって園子姉ちゃんが言ってた。売り文句は『キッドにしか破れない防犯システム』だって」
さすが、金が大好きだと真顔で宣っただけのことはある。
自分が仕える主人の暴走を止めることなく、その副産物を見通したうえで事前に手を回し、しっかりと利益を生む体制を整えたのだ。
発想に完全に商売人のそれというか、怪盗キッドをショービジネスとして宣伝に使っている次郎吉氏の側近らしいやり方というか。何とも商魂たくましい。
ついクス、と笑うと、コナンくんはストローに口をつけたまま僅かに首を傾けた。
「……安室さん、小袖さんとは本当に一回会っただけ?」
「そうだよ。どうして?」
「何だかすごく親しげだから」
実はもっと前からの知り合いだったりして、とどこか探るような視線を向けられる。
僕はいつものように、にっこりと笑って正面からその視線を受け止めた。この程度で怯むようでは公安捜査官は務まらない。
「やだな、本当だよ。確かに妙に親近感は覚えているけど」
「へ~~~?」
「最近年齢の近い男性と話すことが少なかったからかな」
適当にのらりくらりと疑いをかわしていると、かららんとポアロのドアが来客を告げる。いらっしゃいませ、と反射的にドアに視線を向けると、まさに噂をすれば影。
皺ひとつないスーツに、丁寧に整えられたオールバック。その血色の良さなど、数日前とはまるで別人のようだった。何やら紙袋をもって現れた小袖は、僕の顔を見てほっとしたような顔を見せた。
「ああ良かった、安室さん。それに、コナンくんも。偶然だね」
「小袖さんだ! こんにちは」
「はい、こんにちは。今日はひとり?」
「うん。小袖さんも?」
「そうだよ。少し仕事を抜けてきただけだから」
コナンくん相手にも丁寧に対応する小袖は、なるほどまさに仕事モード。前回は疲労のせいで素が漏れ出ていただけで、普段は子ども相手にも仮面を外すことはないらしい。
こんにちは、と僕もカウンターを抜けて小袖の前に立った。
「今日は顔色もいいようで何よりです」
「おかげさまで。改めまして、小袖進と申します。先日は本当にお見苦しいところをお見せしました」
「お気になさらないでください。よろしければカウンターへどうぞ。実はちょうどコナンくんと小袖さんの噂話をしていたところだったんですよ」
「え、俺の?」
「小袖さんがすごいひとだって話!」
ほらほらとコナンくんに押され、小袖はあわあわとカウンター席に腰掛けた。じゃあブレンドを、と少し困ったように笑って言った小袖は、とりあえずと紙袋を差し出す。
「安室さん、先日のお詫びというか御礼というか、ご迷惑でなければお裾分けを受け取って頂けませんか」
「そんな、お気になさらなくてよかったのに」
「小袖さん、安室さんと何かあったの?」
「前回ポアロにお邪魔したとき、営業時間を過ぎても居座って話を聞いてもらってしまってね……いや、もらいすぎて食べきれないから困ってるというのが一番の本音なんだけど。コナンくんも良ければ、毛利さんや蘭さんと一緒に」
「ありがとう! 高そうな桐の箱だけど、これ……苺?」
「……僕の記憶が正しければ、これは相当高価なものでは……」
桐の箱に丁寧に並べられていたのは、まるで宝石のように輝く大粒の苺。箱に書かれている生産者は、その界隈ではちょっと有名な、手間暇掛けてそれはそれは最高の苺を作っているという、あの。
ちょっと引いた目を小袖に向ければ、にっこりと笑って頷いた。
「一粒いくらかは知らない方がいいですよ。味がわからなくなるから」
だいぶ熟してるのでお早めにとかそういう問題ではない。聞けば次郎吉氏に贈られたものを、あまりに多かったので使用人たちでわけることになったらしい。それでも食べきれないほどの量があるとは、さすが鈴木財閥への贈り物というほかなかった。
完全に萎縮してしまった僕とコナンくんに、小袖はひらひらと手を振って言う。
「実はその苺を頂く前にも別の方から苺を頂いていて、それすらも消費しきれなくてジャムにしたところだったんですよ。その苺も本当に美味しいんですけど、男の一人暮らしではなかなか消費しきれなくて。人助けと思って召し上がってください」
「……では、ありがたく頂戴します」
「……おじさんと蘭姉ちゃんと大事に食べるね」
お気になさらず、と彼はにこにこと笑ったまま。
このご機嫌な様子を見るに、先日まで打ち合わせに苦心していたというイベントは終わったのだろうか。珈琲を出すついでに尋ねてみれば、さらにいい笑顔で大きく頷かれる。
「おかげさまで無事に終わりまして、ようやく一息つけました」
「それはよかった」
「お仕事大変だったんだ?」
「うん。でもこれで少し穏やかになるからね、たまには休みをとったらって他のひとにも勧められたところで、」
と、言葉を遮るようにどこかでスマホが着信を告げ始めた。喜色に溢れた表情のまま硬直した小袖は、それでも器用にさっとポケットからスマホを取り出し、失礼と一言断って耳に寄せる。
スピーカーモードでもないのにはっきりと聞こえてくる威勢のいい声は、まあ誰のものかなどいうまでもない。旦那様、と口を動かす彼の表情は変わりないが、確かに目は死んでいた。
『目を付けていた例の宝石、あの所有者から三日後なら時間が取れると急遽連絡があってな。しかし交渉は対面以外受け付けんと言ってきおった』
「三日、……かしこまりました。急ぎ戻り、手配いたします」
『うむ! あのビックジュエルを餌にすれば
そうして切られた通話に、静かに小袖はスマホをもつ手を下ろす。諦めと悟りに満ちたその表情は、哀れを通り越して拝みたくすらなってきた。
緩やかに微笑んだまま、小袖はそっと窓の外へ視線を向ける。
「キッド……きらい……」
絞り出すようなか細い声が聞こえたような気がしたが、あまりに気の毒すぎて聞かなかったことにした。ぽん、とコナンくんが小袖の肩に手を添える。小学生に同情される社会人の姿はさすがにもの悲しい。
はー……と大きく息を吐いて肩を落とした小袖は、吐いた分以上の空気を取り戻すように大きく息を吸う。勢いよく顔を上げ、また強く息をついた。もう半分も残っていなかった珈琲を一気に呷る。
ソーサーにカップを戻す頃には、その目は完全に据わっていた。
「プライベートジェットの整備急がせて、他の人のシフト調整、現地での移動手段と案内人と通訳、……は、俺が地図覚えればいいか。明日以降のリスケは移動中にやるとして、急ぎ案件の引き継ぎ書類の作成は、……報告書流用すれば十五分でできる」
「……お疲れさまです、小袖さん」
「はは、いつものことですから。交渉をまとめたらすぐに展覧会の企画も進めないと……今回もキッドと対決なんてことになったらまたコナンくんを巻き込んでしまうかもしれないけど、本当に無理はしなくていいんだからね」
「僕のことは気にしないで、小袖さん。お仕事無理しないでね」
ありがとう、と立ち上がった小袖はすでに鞄を抱えていた。
さっさと勘定を済ませ、忙しくてすみませんと眉尻を下げる。
「次こそゆっくり珈琲を頂きに来ます」
「お待ちしています。苺、ありがとうございました」
「いえいえ」
ドアの前に立った小袖は、ようやくそれまでとは少し違う笑顔を見せた。
面白がるような、悪戯を企む子どものような、それはきっと小袖にとっては「素」のままの表情。
「……じゃあまた、」
ふるや、と唇だけが動いた。ちょうどコナンくんから見えないタイミングを見計らってやるところが逆に憎らしい。
いやだから僕は安室、と言うに言えないまま、仕立てのいいスーツがドアに吸い込まれていくのを見送った。
「……小袖さん、最後に何か言ってなかった?」
「最後って? また、とは言っていたけど」
ふうん、と絶対に納得していない様子のコナンくんに気づかないふりをしつつ、内心だけで小袖この野郎と呟いた。
僕のことをわかっているのかいないのか、読み切れない自分がひどく悔しい。しかしどこか、彼とのこの妙な距離感を楽しみはじめているのも事実だった。