ヤンデレノエルさん 作:頭ピエール
「ラウルトの嫡男が息を吹き返したらしい」
「そう、無駄にならなくて良かったわね」
記憶にある両親の姿はいつも眉を顰め苦悩する様子が多かったと思う。
「アルベルクは優秀だ。出来るならこちらに引き込みたい」
「そうね、他の五家に比べれば危機感があるだけマシだもの──ノエル、居るのはわかってるわよ」
ドクン、と心臓が跳ね上がり身体が弾むように硬直する。背中からは嫌な汗が滲んで肌着を濡らす。
「あ、えっと…、そ、その──」
ドアの隙間から覗かれてたことがばれ、身体を掬わせる。
怒られると思った。部屋に来いとは命じられたとはいえ、両親の内緒話を盗み聞きしていたのだ。当然いい気にはならないだろう、と。
「まったくこの娘は──まあいい」
しかし、両親から出たのは呆れを伴った溜め息だけだった。
「ノエル、近日中にラウルトの家に行きなさい。送迎には騎士を遣わせる、失礼のない様に」
「え……」
「婚約者との顔合わせよ。くれぐれも恥だけはかかないでね、レリアに迷惑だから」
期待なんてされてないことはわかっていた。
それでも怒って欲しかった。心配して欲しかった。付いてきて欲しかった。
「で、でも…いきなり婚約者なんて……」
「──ノエル」
嗚呼、その目だ。
両親から向けられる無機質な瞳。虫を見るかのような軽蔑を含んだ視線。
「決まったことだ。いちいち蒸し返すんじゃない」
「お姉ちゃんでしょ? 我慢しなさい」
どうして、お父様とお母様はあたしを見てくれないの?
「──わかり、ました。お父様、お母様」
それでもこのときのあたしは、まだ両親に愛されたいと想っていたのだった。
「リオン・サラ・ラウルト──あー、末永くよろしくお願いします?」
「え、あっ…ノエル・ジル・レスピナスです。よ、よろしくおねがいします……」
始めて会った時のリオンは猫のような三白眼の目をしたぶっきらぼうそうな男の子だった。
「リオン──お前と言うやつは、ハァ……アルベルク・サラ・ラウルトだ。ウチの息子が世話をかける」
「い、いえいえ、そんなことは……」
「おいおい親父、少しは息子を信用しろよ」
「リオン、お前病気から回復したと思ったらなんだか性格が捻くれてないか?」
「そ、そりゃあアレだよ。死の淵から蘇れば価値観も変わるさ」
アルベルクさんは息子であるリオンの様子にため息を吐く。
でもその様子はまるであたしの両親とは違っていた。
困ったような、心配なような、リオンを気遣う様子が節々で見て取れた。
──嗚呼、いいなぁ……。
羨ましかった。愛されてるってことがよくわかったから。
同時に少しだけ憎らしかった。あたしにはなかったものを持っていたから。
「それで、ノエルって言ったっけ? あっ名前で呼ぶの馴れ馴れしかった?」
「え、いや…いいよノエルで」
「そう? じゃあ俺もリオンでいいから。いきなり婚約者とか言われても困るでしょ?」
リオンはすごく答えづらい質問を投げてきた。
あたしがしどろもどろに慌てているとリオンはなんてことなく言葉をかける。
「もっと気楽でいいよ。合わないと思ったら破棄すればいいんだし」
「──えっ?」
「まあ、アレだよ。俺なんて保険でいいから、ノエルが好きな人が出来たら俺は応援するよ」
嗚呼そうか、ここでもあたしは期待されてないんだ。
そう思うととても胸が締め付けられる想いだった。
「リオン! お前はッ!」
「えっ、な、なんで!? おい、大丈夫かノエル!」
「えっ…?」
怒鳴りつけるアルベルクさんに、目に見えて困惑し焦りを浮かべるリオン。
ふと気づけば目からは止めどなく涙が溢れていた。
「ち、ちがっ……ひっく、こ、これは…ひっく──」
大丈夫だから、と答えようにも涙としゃっくりが止まらない。
「リオンッ! お前はノエルちゃんがどんな気持ちでここに来てると思ってるんだ!」
「い、いやだって……ご、ごめんノエル! 俺が悪かった!」
「──お父様、リオン? これはいったいどうなってるの?」
その後のことはよく覚えてない。
アルベルクさんとリオンはルイーゼに叱られて、ふと気づけば部屋にはあたしとリオンだけが残ってた。
「──俺が軽率だった。ごめん」
「ううん、あたしも迷惑かけちゃった。ごめんなさい」
リオンはバツが悪そうにあたしから視線を逸らす。困ったようなそれでいて落ち込んでいるような苦い表情を浮かべているのが横顔でわかった。
「──ノエルは悪くないよ。こういうときはだいたい男が悪いものだから、姉貴にも怒られたよ。ノエルの覚悟を踏み躙るなって」
リオンはそう言うとおもむろに立ち上がりあたしの目の前に立つと深く頭を下げた。
「ごめんなさい。ノエルのこと何も考えてなかった」
不思議な気持ちだった。
頭を下げる経験はあっても、下げられる経験はなかったから。
だからどうしたらいいのかも全然わからなかった。
「──ねぇ、リオン。聞いていいかな?」
「お、おう! もちろん、何でも聞いていいぜ!」
「あたしってやっぱり魅力ないのかな?」
「へ?」
リオンは困惑し、質問の意図をはかりかねる。
「あたしって不器用だし、頭も良くないし、要領も良くないし、いつもお父様やお母様に迷惑かけて……今日だって泣いちゃってリオンやラウルト家の人に迷惑かけて──」
「──そんなわけ無いだろ」
力強い否定の言葉だった。
「ノエルは良い子だよ。だっていつも皆のことを想ってる。根が優しいんだ。ノエルの美点だよ」
「──そう、かな?」
「俺は今日のことは迷惑なんて思ってない。むしろそのおかげで俺は失敗に気づけたし、ノエルに対して酷いことをしたことに気づけた。ノエルはもっと思ったことを口に出していいんだよ。想いは言葉にしなきゃ伝わらないんだ。俺はノエルの本音が聞けて良かったって思ってる」
リオンはあたしの手をそっと取り、重ね合わせる。
「ノエルはもっと自分に正直に生きていいんだよ。好きなように笑って、好きなように生きていいんだ。ノエルは良い子だから婚約とかそんなことに縛られて生きる必要なんてない。ノエルは魅力的な子だ。俺が保証する! ──だから、俺はノエルが幸せになれることが一番だと思ってる」
涙が出てきそうになった。鼻の奥がツンとする。
嬉しかった、同時に彼に嫉妬していた自分の浅ましさに嫌気がさした。
リオンと幸せになりたかった。
リオンとなら幸せになれると思った。
初めて愛情というものが感じられた。初めて欲しかったものが手に入れられた。
初めてあたしは恋をした。
ラウルトの家は暖かかった。
リオンたちと過ごす時があたしにとっては掛け替えのないものになるにはそう時間も掛からなかった。
ルイーゼはすこし意地悪だったけどラウルト家の人たちもアルベルクさんも奥様もみんな良い人だった。
家族以上に家族みたいなそんな心地よさすら感じてたと思う。
小川で釣りをしたり、一緒に本を読んだり、アルベルクさんのへそくりを手に二人で城下町を探検したり。
一緒に笑って、一緒に怒られて、一緒に泣いて──ずっと一緒に居られるって、そう信じていたのに……。
「ラウルト家が攻めてきた! 急いで防備を──」
──すべてはまやかしの様に崩れ去っていった。
紅く染まる空。
煙を上げて墜落する飛行船。
燃える屋敷。
信じたくはなかった。
アルベルクさんは少し強面なところはあったが穏やかで優しい人だったから。あたしのことをノエルちゃんと言って撫でてくれたこともあった。
ルイーゼは嫌なやつだったけどそれでも何処かあたしを気にかけてくれた。嫌われてた自覚はあったし、あたしもルイーゼのことは嫌いだったけどここまでするようなやつじゃなかった。
リオンは口こそ悪かったけど誰よりも優しかったし、誰よりも人の痛みに敏感だった。戦うことや争うことに向いているようでまるで向いていない。誰よりも犠牲を伴う争いを避けていた。
「何してるのよ姉貴! 早く逃げるわよ!」
「だ、だって……こんなのおかしいよ! アルベルクさんが…リオンがこんなこと許すわけない!」
「なに言ってんのよ! どう見たってラウルト家が攻めてきてるじゃない!」
そう言ってレリアは空に浮かぶ飛行船に掲げられたラウルトの家紋を指差す。
「ノエル様! はやくここから離れましょう!」
「で、でも……」
「今は生き延びることが大事です!」
子供の力では大の大人である騎士に敵わない。
抵抗するまでもなくあたしは騎士の青年に抱えられ、ただ呆然とするしかなかった。
「どうして…どうしてなの……リオン」
あたしはすべてを失った。
両親は亡くなり、レスピナスの家は滅び、ラウルトとの婚約は白紙になった。
確かに両親には不審なところがあった。
けれど家を滅ぼされるまでのことをしているとまでは思わなかった。
幼いあたしには大人たちの政治の話なんてわからない。両親を信じたい気持ちとラウルト家の日々がまやかしだったとも思いたくなかった。
実家を滅ぼされたあたしたちはレスピナス家に所縁のあるベルトレの家で過ごすこととなった。
数年も経てばあたしはあたしなりに昔のことに折り合いをつけれるようになった。
ラウルト家の思い出はいい夢だったとでも思おうとして胸の中の個人的な宝箱にしまい込んで。
そうして十年近くの歳月が経ち、学院に通うことになってあたしは再び彼に会うことになる。
「始めまして、ノエルさん」
数年経ったとしてもわかった。リオンだってすぐ気づいた。
──あたしだよ! ノエルだよ!
そう、言いたかった。叫びたかった。
心がぐちゃぐちゃになって泣き出しそうになった。
わかってる。レスピナス家の生き残りとバレたら大変なことになるって。
わかってる。もうリオンとは婚約者でもなんでもないんだって。
わかってる。駄目だってわかってる。
わかっててもあたしは、まだリオンが好きだった。
学院生活は辛かった。
一生出会わなければ諦めもついた。リオンがもう天上の人だってこともわかってる。
でもすぐそばに彼が居た。手を延ばせば届く距離にリオンは居たから。
ねぇ、リオン。あたし気づいてるんだよ?
リオンがずっとあたしたちのこと守ってくれたこと。
ピエールやロイクに絡まれてる時にそっと助けてくれたこと。
全部気づいてるんだよ。
酷いよね、忘れようとしてるのに離れようとしてるのに。
こんなの諦めが付かなくなる。
リオンは所謂不良だった。
でもみんなからは好かれていたし、いざというときには一番頼りにされていた。
いわゆる番長だとかそう云うのに近かったと思う。
紋章持ちとか紋章なしとか、そういった差別もしなかったし、彼のそばには側近のセルジュと平民で紋章を持たないけど勉学の優秀なジャンが居た。
口の悪さは相変わらずだし、六大貴族からは浮いていたのは確かだけどそれでも彼の周りには人が集まってきた。
それも当然だろう。だって彼は『守護者』だから。
アルゼル共和国には聖樹と呼ばれる大木を中心とした国家で、聖樹からもたらされる莫大なエネルギーによってあたしたちは不自由のない暮らしをしている。
リオンはその聖樹を守護する『守護者』の紋章を聖樹から与えられた存在なのだ。
レスピナス家滅亡後、聖樹の意思を受け取る『巫女』が不在にも関わらず『守護者』となったリオンは次期共和国のトップに内定していると言っても過言ではない。
だからだろうか、ロイクのバリエル家もピエールのフェーヴェル家も露骨にラウルト家を敵視している。
リオンに好意的なのはグランジュ家のナルシス先生とプレヴァン家のエミールぐらいだった。
もうレスピナス家でも『巫女』でもなんでもないあたしが関われるような存在ではない。
でも、それでもと思ってしまう。
もし、あたしに『巫女』の紋章が発現したら。それは守護者に相応しい伴侶と言えるのではないのか、と。
卑しい考えだ。そんな邪な願いで聖樹に選ばれるものかと。
レリアは知らない。あたしにもレリアにも巫女の適性があることを。ただ、母は巫女の役目をレリアに押し付けたくない願いからそれをレリアに伏せていた。
リオンとはよく会話もしていた。
近況はどうだとか、遊びに行くならあそこがいいとかそんな他愛も無い話だ。
家のことは聞かなかった。言うべきことではないし、言ったところで何かできる訳でもないから。
少しだけ満ち足りた瞬間だったと思う。他愛無い普通の日々が心地よくて──錯覚してた。
一年の半ば。ピエールたちが学院から去った。
元々素行が良くなかったグループもあって、学生からもホッとした雰囲気がにわかにあった。
その時から、リオンは露骨にあたしから距離を取り始めていった。
ねぇ、リオン。あたしなにか悪いことしちゃったかな?
謝るよリオン。頭も当然下げるし、気に入らないところがあったら直すから。
だから──もう一度あたしに笑いかけてよ。
「あなた、ピエールに目をつけられてたのよ」
学院の廊下ですれ違い様にルイーゼはそういった。
「元々ピエールはいい噂は聞かなかったけど、隠れて平民を嬲ることもあったらしいわ。リオンが気づかなかったら、あなたピエールに何されてたかわからないわよ」
気が付けば駆け出していた。
ただ、リオンに会いたかった。
会って何を言うべきか、会ってどうするのか。言葉なんて全然纏まらないけど、それでもあたしはリオンに会わないといけない気がした。
放課後の校舎を駆け巡り、見覚えのある黒髪と右肩の上に浮かぶ鋼の使い魔を見つける。
「リオ──ッ!?」
声をかけようとした。でも声が出なかった。
「リオン、何やってるのよ! 早く来なさいよ!」
「わかってるよ、レリア」
──なんで?
ナンデ れりあ ガ りおん トイルノ?
「──二作……、聞いてない──」
「──ことより……フラグが──」
隔意なく仲よさげに話す二人。
気になるのなら堂々と言えばいいのに、あたしはなぜか物陰に隠れて二人の様子を覗き見る。
ねぇ、レリア。どうしてリオンと仲良くしてるの?
あんなにラウルト家には気をつけろだなんてあたしに言っておいて。
ねぇ、リオン。どうしてレリアには呼び捨てであたしには
あたしのこと、本当に忘れちゃったの?
嫌だよ。ねぇ……だっておかしいじゃん。
──だって、あたしが先にリオンのこと好きになったんだよ?
思えば何時もそうだった。
あたしの欲しいものは全部レリアが持っていた。
でも、しょうがないって思ってた。
だって、あたしはお姉ちゃんだから。
お姉ちゃんだから妹を守らなきゃいけないって、お姉ちゃんだから我慢しないといけないって。
だからずっと耐えてきた。
だってそれが家族だから。約束だから。
両親からの愛情も、周囲からの期待も、欲しかったぬいぐるみも全部、全部我慢してきた。
だってあたしにはリオンがいたから。
ラウルト家の暖かい日々が幸せだったから。
だからずっと耐えてこれた。あの幸せを胸に、全部諦められたから。
──なのに、それもあたしから奪うの?
「──わかってる、俺はもうノエルには近づかない」
「──ッ!?」
仕方ないとでも言うように、リオンはそう告げた。
対するレリアは見るからにホッとしてる様子で幾分か表情を和らげていた。
「そうよ、あんたと姉貴じゃ釣り合わないわ。だって姉貴は──」
「──わかってるよ。それが正しいって」
待って──。
待ってよ、どうしてなの……。
頭がクラクラする。胃がねじ曲がっているみたいで気持ち悪い。
わかってるよ。分不相応だって。
わかってるよ。あたしみたいな普通の子、リオンには不釣り合いだって。
わかってるよ。でも…でも──
──それをレリアに否定されるのだけは嫌だった。
あたしの居場所だった。
あたしの婚約者だったんだよ。
初めて好きになれた。初めて愛してもらえた。
ずっと好きだった。
ずっと覚えてた。
今でもよく夢に見る。純白のドレスを着て、父さんと母さんが困ったような顔をして……。
嬉しそうなアルベルクさんや奥様がいて。
あたしを仕方なさげに見るレリアがいて。
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるルイーゼがいて。
そしてあたしの隣には気恥ずかしそうなリオンがいて……。
聖樹神殿の前で二人で手を重ねて、あたしたちの手にはそれぞれの紋章があって。
幸せで、祝福されて。──愛してるって言いたくて。
この国が嫌いだった。
紋章至上主義によって全てが決まってしまう。そんな制度が、身分が、人間が。だいっきらいだった。
だいっきらいなのに、あたしはそれに縋るしかない自分がもっとキライだった。
浅ましい女だ。
卑しい女だ。
身勝手な女だ。
だから聖樹様、お願いです。
あたしからリオンを奪わないでください。
あたしの全部だから──全部、全部諦めるから。
リオン以外の全部を捧げるから。
──リオンを決して奪わせたりしない。