鬼才 オフサイドトラップ ~沈黙の日曜日に彼女が微笑んだ理由~ 作:マジロメックイーン
窓からレース場が見渡せる病室のベッドでサイレンススズカは宙に吊られた自分の片脚をぼんやりと眺めていた。優勝候補として推された天皇賞(秋)、最終コーナーでまさかの転倒。その日の内に手術が執り行われ、医師団による診断結果は骨折。今後の競技人生を左右しかねない大怪我に見舞われ、スズカは強く固められたテーピングの上に書かれた仲間たちの励ましの言葉を目で追った。不意に扉が開く。
「スズカさんっ!……起きてたんですね。体調はいかがですか?」
「来てくれたのね。スペちゃん。毎日ありがとうね」
「いいえ、部屋でひとりで居ると落ち着かなくて」
同室の一学年年下のウマ娘、スペシャルウィーク。彼女はそう告げるとテーブルの上にリンゴとニンジンが一杯に積まれたカゴをどん、と載せた。スペシャルウィークの故郷から送られたきた自慢の差し入れだ。過剰に積まれたリンゴのひとつが床を転がり、それをスズカが目で追うと「ああ、すいませんっ!」とスペシャルウィークが身を屈めてそれを手に取った。するとその瞳が部屋のテレビに映っている人物を捉えた。
「……私、あの人の事、好きになれません」
スペシャルウィークの口から強い言葉が出て、スズカは少し驚きながらもテレビでインタビューを受け続ける娘の姿を見つめた。彼女の名はオフサイドトラップ。スズカが転倒したレースで優勝した娘で奇術師をモチーフとした勝負服に右の耳にはダイスが二つ付けられた耳飾りが揺れている。白い歯を見せて笑う彼女を見てスペシャルウィークは忌々しい口調で言葉を振り絞った。
「あの人、スズカさんがこんな大怪我をしたのに『笑いが止まらない。最高の気分』だなんて言っちゃって。スズカさんが普段通りの走りをしていれば絶対に負けなかったし、こんな事には」
「スペちゃん」
スズカが強いまなざしでスペシャルウィークを制止する。再びテレビに目をやると記者の質問をオフサイドトラップが歯切れのよい口調でさばいている様子が映し出されている。
――突如ウマ娘界に現れた稀代のヒール。サイレンススズカの故障でどよめきが収まり切らないまま行われた優勝セレモニーで前述の『笑いが止まらない』発言が飛び出し、当初はまばらだった報道陣は次第に増え、彼女から次なる『失言』を導き出そうと躍起やっきになっている。確かにこれまでもヒールと呼ばれる娘は存在した。国民的アイドル娘であるオグリキャップの対抗馬としてのスーパークリーク。無敵の三冠馬ミホノブルボンの誕生を目前に阻んだライスシャワー。しかし彼女達は目線を変えればメディアによって悪役に仕立てられた被害ウマであり、彼女たちは世間から非難されようとも自分の信念を貫くレースを繰り広げた。
しかし、今。記者陣にマイクを向けられているオフサイドトラップの態度、そして思想は100%純度の悪意を含み、まるで自分以外の娘の努力を蔑ろにするような印象をスペシャルウィークは感じ取っていた。その様子を汲み取ったのか、スズカはスペシャルウィークに優しい目で見つめると静かに口を開いた。
「私、あの人とは面識があるの。春まで一緒にトレーニングした間柄だから」
「えっ、そうだったんですか?ごめんなさい私、そんなこと知りもしないで勝手なことを」
「良いのよ。私も話していなかったのだから」
スズカが灌漑深い表情で窓の向こうのレース場に目を落とす。つい先日までの狂乱が嘘のように静まり返った平日の夕暮れ時。次の言葉を待つスペシャルウィークに顔を戻しながらスズカはオフサイドトラップとの馴れ初めを語り始めた。