鬼才 オフサイドトラップ ~沈黙の日曜日に彼女が微笑んだ理由~   作:マジロメックイーン

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第二話 疾風沐雨

――春先のトレーニング場。地下に造られた広いプールではウマ娘たちのスタミナ強化を目的としたトレーニングが毎日行われている。この日は重賞が行われる週末で練習に取り掛かるウマ娘の姿はまばらであった。プールサイドに置かれたプラスチック製の椅子の上でギャンブル雑誌を眺める男の元に別の男が近づいてきた。

 

「良いのかい?お宅の担当の娘。ずっと水の中に入ったままじゃないか」

 

 キチンとしたシャツにきっちりと分けられた髪型の男はあるウマ娘のトレーナーで一番奥のレーンで水中歩行を繰り返す娘のひとりに目をやりながら椅子で寝そべる男に声を掛けた。男はけだるそうな態度で雑誌の影から「ああ、あんたか」という風に顔を出すとそのウマ娘を見つめた。

 

「本人がやりたいって言ってんだ。やらしておけ。何か考えがあっての事だろうさ」

「そんな放任でいいのか。キチンと娘の練習を見守るのがトレーナーの役目だろう」

 

 折り目正しい男の態度に辟易したのか、椅子の上の男は話をはぐらかすように視線を外に逃がして下卑た笑みを浮かべた。

 

「それにしてもウマ娘ってのは何故にどうして。容姿端麗で魅力的な若い娘ばかりなんだろうなぁ。年端も行かない競争水着の娘たちともう一度青春を送れるなんてトレーナーとは夢のような仕事だよ」

「……あんたなぁ」

「おっ、あの娘、良いカラダしてんなぁ!お前も見て見ろよ。……っておお?」

 

 椅子から体を起こした男の目に飛び込んだ絶壁。練習用の水着を身に着けたサイレンススズカがそこに立ち尽くしていた。折り目正しいトレーナーの担当はスズカのようで、スズカは彼に目を向けると彼からの指示を待った。トレーナーから練習内容を告げられるとスズカは彼らと同じように一番奥のレーンで歩行を繰り返す娘の姿を見つめた。

 

「気になるか?あの娘が?」

 

 男が椅子から立ち上がって聞くとスズカは静かにうなづいた。見覚えの無い黒髪のショートヘアが、腕が弾く水滴で濡れている。男はくっくと笑うとスズカと担当トレーナーにその素性を明かした。

 

「ヤツの名はオフサイドトラップ。この春から再びトゥインクル・シリーズに挑戦する年齢不詳のウマ娘だ」

「あの娘、怪我をしてるのか?今日も、昨日もずっとあのレーンで歩いているだけじゃないか」

 

 スズカの担当トレーナーが訊ねると「お、さすが有力バの担当。よく見てるね」とトラップの担当トレーナーが自分のあごひげを指で撫でた。トラップが歩行を繰り返している場所は故障バのリハビリを目的とした水中トレーニングを行うレーンであり、一歩、一歩前進を繰り返すトラップの足取りはどこかぎこちなかった。その様子を眺めながら、頭の後ろで手を組んで担当は言う。

 

「腱の断裂症状だ。それもクセになっちまって何度もぶり返してるらしい」

 

 はっと驚いた顔でスズカがトラップの足取りを見つめる。娘にとって腱の断裂は重傷で「不治の病」ないしは「競走バのガン」と称され、引退の原因になる事が多い。

 

 彼女はその症状を抱え、治療を続け復帰を夢見ながら、再発の恐怖とも戦っている。去年多くのレースで先頭に立ち、念願の重賞獲得が現実味を帯びてきたスズカの目には彼女の姿が痛ましく思えて仕方が無かった。

 

「あいつともっかいタッグを組もうって言われたときは俺も驚いたよ」

 

 トレーナーが自分の担当であるトラップに対し慈悲深い視線を向ける。その口調には彼女の実績や努力に対する皮肉めいた態度と少しの芯の通った熱意があった。

 

「今年一年限りだ。この一年でG1のひとつも取れなければ潔く引退する。これまで長らく走って来ながら一度も重賞を取れなかったウマ娘がだ。しかしあの様子じゃ春のレースまでには間に合わない。あいつの頭の中には夏のレースを試金石に、冬の重賞奪取に向けてのプランがあるんだろう。俺は担当の故障バ奇跡の復活を夢見てこうして毎日あいつの練習を見届けてるという訳さ」

 

 トレーナーが語り終わるとスズカはトラップの瞳を注視した。水中でのプールトレーニングには関節や腱の故障で悩むウマ娘も効率的に体を鍛えることが可能である。トラップも日々、水の中からターフに戻る青写真を描きながら練習に取り組んでいるのだろう。藍色の瞳の奥には卑屈や諦めといったマイナスの感情は一切感じられないように思えた。

 

「オフサイドトラップか。怪我が完治するような事があればスズカのライバルになるかもしれないな」

 

 担当トレーナーがそう呟くとスズカは彼らにくるりと背を向け、手前のレーンにその身を沈めた。そして静かに神経を集中させ、次の自分のレースに向けてのトレーニングとして水の中で手足を動かした。

 

 

 

 

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