鬼才 オフサイドトラップ ~沈黙の日曜日に彼女が微笑んだ理由~   作:マジロメックイーン

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第三話 トリックプレイ

 四月中旬を過ぎた頃、ひとりのウマ娘が練習場の芝の上に帰ってきた。後輩のウマ娘たちが見守る中、スズカがコーナーを周り直線に突っ込んでくる。そのすぐ後ろに並ぶように付けるウマ娘、彼女こそが先日プールでの水中歩行から芝の併せウマ練習に戻ってきたオフサイドトラップだった。

 

「スズカさん、そのまま!最後までそのペースで行っちゃいましょう!」

「……同じ練習を何度も繰り返しているのにペースが落ちないなんて。さすが重賞を立て続けに勝った先輩だけあるわね」

「ふっふっふ。スズカさんが凄いのはここからなんですよ!」

 

 スズカの後輩、スペシャルウィークが同期の娘に勝ち誇った表情を向けるとスズカの脚がゴールまで残り200mのハロン棒を捉えた。後方からラストスパートを仕掛けるトラップの姿を視界の隅に捉えると、スズカは呼吸をひとつ入れ、更に加速。影を踏ませる事なくトラップに2バ身差近く離してゴール板を駆け抜けた。

 

 

「……速いな。これでも少しはキミのお相手に釣り合うと思ったんだが」

 

 練習着姿のトラップが爽やかな笑みを向けるとスズカは手早く練習の片づけをし始めた。その姿を見てトラップは少し呆れたように体の前で両手を広げた。

 

「なんだ、つれないな。私じゃキミの練習パートナーとして不満だったかな?」

「……そうじゃないわ。貴方が重度の怪我明けだというのは分かってる。でも」

 

 振り返ると凛とした瞳でスズカはトラップに告げた。

 

「貴方はまだ自分の実力を隠している。相手の本性を知らないまま走っても練習にならないと思っただけ」

「ほぉ、言ってくれるじゃないか。本当の私が知りたければレースでその本性とやらを確かめてみると良い」

「そうさせてもらうわ。それじゃこれで」

「あ、待ってくださいスズカさんっ!」

 

 担当トレーナーに用具を手渡すとスズカは彼と観客席から降りてきたスペシャルウィークを引き連れてレース場を後にした。4月の半ばに小倉大賞典を走り、来月には金鯱賞を控えているハードな出走スケジュール。最速を追い求め日々、実践練習に取り込むスズカにとって、今のトラップは練習相手の一人でしかなかった。芝の上にひとり残されたトラップが腰に手を置くと後輩たちが彼女のそばに歩み寄ってきた。

 

「トラップさん、すごいです!あの気迫のスズカさん相手に対等に向っていけるなんて!」

「長期の怪我とブランクを苦としない走りは私達にとっても励まされます!」

「ほぉ、私は自分なりに走っているだけのつもりだが、後輩たちのお役に立てているようであれば光栄だな」

 

 トラップを囲う数人のウマ娘たちの輪。数多くの実戦を経験し、再びトゥインクル・シリーズに舞い戻ってきたトラップが走る姿は第一線で本命として活躍する事が難しい、怪我や気性に難を抱える後輩たちから羨望のまなざしを受けていた。

 

「あ、そういえば以前、レースに向かう際に遭遇した出来事なんだけど、聞いてみるかい?」

 

 くだけた口調でトラップが問いかけると後輩たちがうんうん、と首を縦に振る。

 

「新幹線でたまたまサッカー選手と隣り合ったんだが、彼らにとって長きにわたって活躍する選手を『キング』と呼ぶらしい。努力を続けたものにだけ与えられる栄誉ある称号だ。『キング』は彼らの間で深く愛されていた。私もキミたちにとってのキングでありたいものだな」

「良いですね、それ!『キング・オフサイドトラップ』。私たちもキングに続けるように頑張りたいです!」

「……聞き捨てならないわね」

 

 輪の中に青い耳カバーを付けたひとりの娘がづかづかと歩み寄ってきた。彼女の名はキングヘイロー。良血の上流階級出身のお嬢様でこの春、クラシック路線に挑戦している有力バで、最強世代と呼ばれるライバル達と熱戦を繰り広げているそのひとり。この時期は皐月賞を二着で走り切ったという実績を残し、自らの力を証明したという自信に溢れかえっていたという事もあり、少し周りに対しての高飛車な言動が目立っていた。

 

「ターフの上にキングは一人で十分よ!トラップさん、さっきと同じ距離、私とも走ってくださる?今この場で私が最強だって事を知らしめてあげるんだから!」

 

 高笑いを始めるキングヘイローを相手にトラップは頷くと、ふたりはスタート地点に向い、歩いていく。

 

「あらら、なんだか面倒な事になっちゃったわね」

「面白そうじゃん。セイちゃんもう少し残って見ていこうっと」

 

 突如決まった野良レースを仲裁しようと悩むアメリカ産まれのグラスワンダーと頭に手を置き、のほほんと事の成り行きを見守るセイウンスカイ。トラップとキングヘイローが位置に着くと、レースが始まった。前のスズカとの練習を見学していたキングヘイローはトラップの脚質を知っている。逃げのスズカに続くように走っていた姿を思うに彼女の脚質は先行。そう見通して脚を残しながら走っている最中だった。

 

「なんか、ふたりとも遅くない?」

 

 勝負を見守る後輩娘の一人がストップウォッチに目を落としながら呟く。本来なら前を走るはずのトラップがキングヘイローと並ぶように脚を貯めている。その姿を見て業を煮やしたようにキングヘイローは奥歯を噛み締めた。

 

「(なんで、前に出ないのよっ!)」

 

 押し出されるように前に出たキングヘイロー。まだまだレース中盤、前を走る娘が一人もいないという差しウマの自分にとって初めての経験。意図せず現れた先頭の景色にキングヘイローは戸惑っていた。

 

「(えっ?今、私どこを、どのペースで走ってるんですの?)」

 

 視界と脳の処理が状況に追いつかない。いつの間にか最終コーナーを曲がったと思えばトラップが傍を追い抜いて自分の前を走っている。追いつけない距離、速度じゃない。しかしキングヘイローの脚が上手く回らない。差は大きく開き、トラップがゴール板を駆け抜けると後輩たちから「お見事!」と大きな拍手が鳴り響いた。

 

 

「ははーん。まんまとトラップさんの術中にハマったね」

「一体、何がどうなってるんですの?」

 

 トラップの走りに目を白黒させるキングヘイローの元に近寄ってドリンクを手渡すセイウンスカイ。彼女は来月の日本ダービー、今のトラップと同じ戦略でキングヘイローを出し抜き、スペシャルウィークと勝利を争う事になるのだが、それはまた別のお話。キングヘイローは汗を拭うと取り巻きの輪の中で笑顔を浮かべるトラップの姿を見上げた。

 

「このキングに罠を仕掛けるなんて。オフサイドトラップさん。隅に置けない方ですわね」

 

 この敗北を境にキングヘイローは己の傲慢不遜な態度を改め、謙虚に練習に励む事により精神的に一回り成長した姿を見せていった。トラップはと言うと、夏の重賞に向けギアを上げるように本格的に練習を再開していく。トラップが掛けた奇術が日本列島を包み込み熱狂の渦に包み込んでいく。これはまだその序章に過ぎない。

 

 

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