鬼才 オフサイドトラップ ~沈黙の日曜日に彼女が微笑んだ理由~ 作:マジロメックイーン
「戦いの中、勝利を確信するような絶対的な走りを実感する事が、確かにある」
――某日、私は取材記者としてトレセン学園内の応接室にてオフサイドトラップと対戦経験のあるクラシック三冠娘、ナリタブライアンとの対談に成功した。机に着いた彼女は私が手渡した好物の桜餅をあむ、と頬張ると奥の部屋から大柄な芦毛の娘が現れた。
「取材中だぞ。食事はその辺にしておけブライアン」
「ああ、そうするよ姉貴。それで?今日はなんの話でここに?」
ブライアンに訊ねられ、私は慌ててノートパソコンを取り出し話の本題を切り出す。緊張で起動ボタンを押す指が震えている。なにしろ目の前に居るのはナリタタイシン、ウイニングチケットと共に「BNW」と呼ばれライバル関係を築いたビワハヤヒデ、そしてウマ娘史上最強と名高い2年連続URA最優秀賞バ、ナリタブライアン。
競技競バ界における最強の姉妹。私は翌週行われる天皇賞(秋)の絶対的一番人気、サイレンススズカの対抗馬になり得るオフサイドトラップについて尋ねるとブライアンは顎に手を置いて俯いた。そのようすを見てハヤヒデが眼鏡を指で押し上げた。
「記者を困らせるな。その娘とは皐月賞とダービーでお前と走っている。ほら、記録にも残っている」
「すまん。失礼だが全く記憶にない」
「フ、お前らしいな。レース中、相手は眼中になし。前しか見ていないという事か」
私はがっかりした気持ちを悟られない様に静かに息を吐いた。確かにトラップはブライアンが勝った皐月賞とダービーでそれぞれ7着と8着。レース終盤、驚異的な差し脚ですべてを置き去りにしたブライアンからすれば記憶に残らないのもしょうがないとうなづける。私はパソコンの画面をブライアンに向け、トラップが出走した夏の七夕賞と新潟記念のレースを見せた。
「……む、この走りは」
ブライアンの背後に立つハヤヒデが小さな画面を食い入るように覗き込む。最後の直線、地を這うような低い姿勢から呼吸を入れ、一気に駆け抜けるその走りはブライアンの走りそのものだった。
「似ている。ブライアンに」
ハヤヒデがそう言葉を漏らすと同意するようにブライアンは頷いた。驚きと興奮からか、ハヤヒデは普段のクールさを忘れたように何度も繰り返し動画を眺めていた。
「彼女の最後の直線スパート。お前の走りを参考にした、というよりそのものだな。模倣というよりは、完全再現と呼ぶべきか」
「……確かに。これまであまり自分の走りを意識した事はないが、言われてみれば似た感性をこの走りから感じられる」
ブライアンがそう告げるとハヤヒデは手元の資料を机に並べ、指を落とし、妹であるブライアンと私に結論を述べた。
「彼女の実力は本物だ。しかし、これまでの経歴から彼女のキャリアは怪我との戦い。しかもこのレースから先行策から後方待機策へと変えた。脚質を先行から追込に変えたという事だ。もちろん、一朝一夕で出来るものではない。血の滲むような努力の賜物だろう」
「姉貴があたしから逃げた時も彼女と同じ、腱の炎症だったな」
感情の無い声でブライアンがぽつりと言うと「逃げた訳では無い!」とハヤヒデが声を張った。場の空気がしん、と静まると咳ばらいをひとつしてハヤヒデが話をトラップのレースに戻した。
「オフサイドトラップが勝利したふたつの重賞。……偶然か?どちらの芝2000mのレース」
「秋の天皇賞と同じ距離だ」
ブライアンが代名詞である木の枝を口に咥えると合点がいったようにハヤヒデが大きな頭を揺らした。
――通過点。最強の姉とのレースを目標とし、涼しい顔でクラシック三冠を奪取したブライアンが繰り返し、用いた言葉。私がその通過点という言葉を思い浮かべるとハヤヒデは口元に笑みを浮かべながら話を締めくくった。
「面白い。初めから彼女の最終地点は天皇賞(秋)だったという訳だ」
パソコンの画面には飄々としたトラップの姿が映し出されている。ウイニングライブが始まり、かつて自身もパフォーマンスを魅せた「Winning The Soul」が流れるとブライアンは席を立った。
「久しぶりに滾ってきた。三度、彼女と走れる日を楽しみにしている」
数年の時を経て実現した勝者と挑戦者の邂逅。その戦いはそれぞれ場を移してもまだ続いている。