鬼才 オフサイドトラップ ~沈黙の日曜日に彼女が微笑んだ理由~ 作:マジロメックイーン
――【沈黙の日曜日】から数年後。
記者の仕事を続けていた私は再度、トレセン学園の応接室を訊ねていた。前回、現役最強姉妹として恐れられたナリタタイシンとその姉、ビワハヤヒデとの対談を思い出し、身が引き締まる思いがした。部屋のノックを二度、三度鳴らすと「どうぞ」と扉の奥から声が聞こえた。
「やぁ、本日はどうも。大方そちらの聞きたい話は分かってるつもりだ。どうぞ座って」
柔らかい物腰で着席を勧めたウマ娘はベテランウマ娘として今もなおターフで走り続ける『シルバーコレクター』キンイロリョテイ。長い間重賞レースで惜敗を続け、数多くのライバルウマ娘と名勝負を繰り広げた歴史の生き字引。彼女は電話口で私の名前を告げると、二つ返事でこの取材を承諾した。一枚の紙にずらずらと綴られた競争成績に目を落とすと彼女の方から話を切り出した。
「いやぁ、周りから『二着が好き』だと言われ続けて走ってきたが、まさかここまで重賞制覇に手が掛からないとは思わなかった。しかし、応援してくれたファンには感謝している。ファン投票で四年連続、宝塚記念に出走したウマ娘は私ぐらいのものだろう。それはある種、私にとって誇れる勲章だ」
明朗な口調で饒舌に話すキンイロリョテイの態度を受けて私は少し面食らっていた。トゥインクル・シリーズ時代のキンイロリョテイと言えば、漆黒の勝負服に身を包み、練習や実戦で一切笑みを見せなかった言わゆる競技者のプロ。しかし<あのレース>から数年が経ち、精神的に成長し私生活にも微笑む余裕が出てきたのだろう。私は緊張を少し解いて彼女に質問を投げた。
「ふむ、『晩年の目黒記念までどうして重賞を勝てなかった』か……貴方も知っての通り、私には二つの絶対的な勝ちへの自信があったレースがある。一つ目は最初に出場した宝塚記念だ」
<あのレース>に日付が近づいてきた。ノートパソコンを広げ、私はボールペンの頭をノックして続く言葉を待った。
「あの日のレースは体が仕上がっていてレースの流れも理想的な展開だった。最終コーナーを曲がり、直線を迎えた所で勝利への道が見えた。だがひとつにして最大のイレギュラーが私の前に立ちふさがった。サイレンススズカの存在だ」
私はノートパソコンの動画を再生してその日の宝塚記念を動画で振り返った。若き日のキンイロリョテイが直線を目指し加速する。一度はスズカに並び掛けたところで、スズカが最後のひと伸びを見せ、結果としては半バ身での敗北となった。リョテイが解説する。
「レース後にトレーナーから『惜しい』、『あと一歩だった』と労いの言葉を掛けられたが、当時の私はその言葉を受け入れられなかった。スズカは最後の直線、あの状況でまだ余力を残してた。『生涯を通してこの娘には勝てない』。そう思わされてしまったレースだったよ」
当事者であるリョテイの独白にメモを取る指が震えている。体が<あのレース>の悲劇を無意識に浮かべているからだろうか。
「さて、貴方が聞きたがっている<あのレース>についてだが」
リョテイが深く椅子に座り込んで話を続けた。
「あのレース、天皇賞(秋)については私の方から下手に説明する必要はないだろう。沈黙の日曜日と呼ばれた悲劇の起きたあのレースの話だ」
――11月の東京競バ場。ファンファーレと耳をつんざくような拍手が鳴り響く中、
天皇賞(秋)は滞りなく開催された。13万を超える観客の目当ては1枠1番、圧倒的1番人気、サイレンススズカ。最後にメジロブライトがゲートインすると靄の立ち込める中、レースは始まった。
レース展開は予想通り、サイレンススズカがハナを進み、後続をぐんぐんと突き放していく。伏兵のオフサイドトラップはこのレースでは先行策を取り、3位に付けていく。実況席が中団の有力バを紹介をしている途中、会場がどよめきに包まれる。
「そう、スズカが飛ばしに飛ばして第四コーナーを前にして3着のトラップに15馬身差近くつけて独走していた。もしあのままスズカが彼女の想い通りにレースを運べていたなら、間違いなくレコード記録を叩きだしていた事だろう」
しかし、事件は第四コーナーで起きてしまう。スズカが脚を骨折し、大外へと回避。異変に気が付いた会場が悲鳴とどよめきに包まれる中、リョテイやメジロブライトといった中団がレースを続行し次第に彼女に近寄っていく。
「あの日は靄の深い日だったがスズカに異常事態が起こったのはすぐに気が付いた。中団の中には混乱して取り乱す者、好機だと思いペースをあげる者、様々な思惑が群れの中で揺れ動き、私たちは13万人がゴールで待ち構える混沌に吞まれていった」
私は背筋に走る悪寒を感じながらもペンを紙に走らせていく。リョテイが手振りを加えながら最後の直線を回想した。
「崩れ落ちるスズカを横目にコーナーを回ると、直線でぽっかりと進路が開いた。チャンスだと思った。私にとってまったく意図せず訪れた千載一遇の好機。それがG1のこの場面で目の前に転がり込んできた」
当時のリョテイの立場になってその場面を体験してみる。圧倒的強者がトラブルによりリタイアし、突然現れた勝利への道筋。実生活であれば思わず一瞬、体がフリーズしてしまうような、おいしい局面。私の気持ちが伝わったのか苦々しい口調でリョテイが言葉を振り絞った。
「ほんの一瞬、私が勝利を確信した瞬間だった。私が狙っていた進路にひとりのウマ娘の影が遮った。その影こそがオフサイドトラップ。彼女は初めからあの場面で好機が廻ってくることを知っていたように先行に付け、私が踏み込むより先にスパートを掛け先頭に躍り出た。思わず彼女に勝負服に手が出そうになったのを覚えているよ。 『あの盾は渡さない。あの盾は私のものだ』ってね。今思えば若気の至りも良い所さ。あの後、会見で色々と叩かれてはいたが、彼女にとってあのレースは自分が仕掛けた策略が上手くハマった笑いが止まらないレースだったろうね」
苦々しく語り始めたリョテイの口調が徐々に若々しく力強いものに変わり、最後はベテランウマ娘として締めくくる形に変わっていた。椅子から前のめりになりながらリョテイは話を続ける。
「世紀の大フロック、最年長ウマ娘がまさかの天皇賞(秋)制覇。スズカの事故が無ければ世間にはそんな感じで彼女の勝利が受け入れられていたのかも知れない。私がここまで長く現役を続けた理由?それには多かれ少なかれトラップの影響があったと思う。彼女が魅せた奇術のような変幻自在の走りと怪我や下バ評に決して折れる事のない反骨精神。……ほら、長く続けていると神様が頑張ったね、とご褒美をくれるものさ」
リョテイが誇らしげな顔をしてショーケースに飾られたトロフィーを見て顎をしゃくる。その棚には彼女が日本のウマ娘としては初となる海外G1制覇となった香港ヴァーズのトロフィーが飾られている。