トレセン学園の理事長室。そこでは今ちょっとした修羅場が起きていた。その修羅場の原因ともいえる俺、神藤誠司は理事長室でどうやってこの場を切り抜けようかと焦っている。
「懇願ッ!どうかトレーナーになってはくれないだろうか!神藤君!」
「あ、あの、秋川理事長。頭を上げてはもらえないでしょうか?申し訳ない気持ちでいっぱいになりますので……」
「私からもお願いします、神藤さん。今回のライセンス合格者は神藤さんだけなんです。どうかトレーナーになっていただけないでしょうか?」
「駿川さん。そう言われましても……」
オレンジ色の長い髪をストレートに伸ばした女性、ここトレセン学園で一番偉い人秋川理事長とその理事長の秘書を務めている茶色の長い髪を首のあたりで1つ結びにした女性駿川たづなさんにトレーナーになってくれないかとお願いされている。
(どうしよう……!どうやってこの場を切り抜けよう……!)
考えるのはそのことばかりだ。そもそもなぜこんなことになってしまったのか?おそらく発端になったであろう出来事があった日のことを思い出す。
数日前、トレセン学園で用務員として働ている俺はいつも通り正門前の掃き掃除に勤しんでいた。上機嫌で。そのことを数少ない歳の近い同僚から指摘される。
『どうした?誠司。やけに機嫌がいいじゃないか?何かいいことでもあったのか?』
俺は同僚のその言葉にテンションを高くして答える。
『良いことがあった、というよりこれから起こるかもしれないってとこかな。ほら、今日はあれだろ?中央のトレーナーライセンスの合格発表の日』
『そういえばそうだったな。お前も受験してたんだっけか?』
『そうそう!通知はメールで届くからさ、休憩時間に確認するのが楽しみなんだよ』
俺の言葉に同僚は苦笑いを浮かべながら答える。
『子供かよお前』
『良いじゃねぇか別に。合格するために滅茶苦茶勉強したからな。それに、試験の合格発表ってなると不思議とテンション高くなるだろ?』
『あぁ~。まあ分かるな。でも、仕事はちゃんとしろよ?』
『大丈夫だよ。その辺の分別はちゃんとついてる』
会話をしながらも俺は作業の手を緩めていない。落ち葉1つ見逃さないように掃除をしている。
しかし無言のまま掃き掃除というのもつまらないと感じているのか、同僚は話しかけてきた。
『てかさ、お前もし落ちてたらどうすんの?』
『もし落ちてたら?そしたらもう1回受験するだけだよ。受かるまで何度でもな』
その言葉に同僚は意外そうな顔をする。抱いたであろう疑問を俺にぶつけてきた。
『そんなにトレーナーになりたいのかお前?でもいつもレース興味なさそうにしてるじゃねぇか』
『別にトレーナーになりたいってわけじゃないさ。諦めるのが嫌いなんだよ、何事もな』
『へぇ~……』
『それに、T大の受験と比較されるほどの難しさを誇る中央のトレーナーライセンス試験、是非とも取っておきたいだろ?』
『出たな資格マニア』
同僚は笑いながらそう答える。何か言い返したいが、資格取るのが好きなのは本当のことなので何も言い返せない。俺は同僚の言葉に悔しそうに唸るだけだ。
そのまま同僚は話を続けてくる。
『にしても、お前って本当に変な奴だよな、誠司』
『変な奴とは心外だな。ちゃんと真面目に仕事はしてるだろ?』
『仕事は、な。でもお前、用務員とは思えないほど色々できるじゃねぇか。この前のアレはなんだ?急にトレセン学園が贔屓にしている業者がお前と親しそうに話してるのを見てビックリしたぞ』
『まあ俺の紹介だからな、あの業者さん。他にもトレーニング器具を卸している業者だったり練習場の整備の業者だったりは大体知り合いだ』
『……お前なんで用務員なんかやってんの?普通に仲介業者とかやってた方がよくね?』
『別にいいだろ、用務員やってたって』
同僚は呆れたようにこちらを見てくる。正直、隠すような理由でもないが何となく言わないでおこうと思った。
そんな会話を続けていると、掃き掃除が終わる。次の仕事へと向かおうと思ったが時計を確認するともう少しでお昼になろうかという時間だった。俺たちは休憩を取るために職員が利用する食堂へと向かう。
お互いに席に着いてご飯を食べる……前に俺は携帯を確認する。合格通知が来ているかもしれないからだ。メールボックスを確認してみると、合否判定の通知が来ていた。
『お、合否判定の通知きてるじゃん』
その言葉に同僚は興味深そうに尋ねてくる。
『マジか!それでそれで?どうだったんだよ?』
『慌てるなって。今確認する』
そういいながら俺は緊張しながらメールを開く。内容は……
『よっし!合格だ!』
合格していた。そのことに俺は思わずガッツポーズをしながら喜ぶ。同僚も祝福していた。
『やったじゃねぇか!おめでとう!』
『ありがとう!いやぁ、肩の荷が下りたぜ!』
『で、トレーナーになる気は?』
『今のところはない。トレーナーってなると、ウマ娘の子をしっかりと俺の手で導いていかなきゃいけないだろ?二人三脚で』
『まあそうだな』
『それにレースにもそんなに興味ねぇしな。このまま用務員を続けるつもりだよ』
『本当に変わってんなお前』
同僚はまた呆れた目で俺を見る。その視線を受け流しながら俺は自分の昼食を食べ始める。変な奴と思われているのは今更なのでもう気にしないことにした。
だが、今にして思えば、食堂で話したことが失敗だった。この場にいたのは自分たちだけではない。他の職員も利用しているのだということに俺は気づくべきだったのである。その失敗に気づいたのは数日が経った後だった。
そして現在、俺は2人の女性に迫られている。そういえば聞こえはいいが、実際にはトレーナーになってくれないかという話だ。
秋川理事長はなおもこちらに頼みこんでくる。
「疑問ッ!何故トレーナーライセンスを取得していながらトレーナーになることを拒むのだ!?」
「先程も申し上げました通り、私は資格を取るのが趣味でして、ライセンスに関してもその一環と言いますか……」
理事長に同調するようにたづなさんもこちらに頼んでくる。
「そこを何とか!お願いします神藤さん!先程も申し上げた通り今回の試験の合格者は神藤さんだけなんです!無理を承知でお願いできませんか?」
「さすがに今の仕事もありますので……難しいですね」
(一体どこでバレたんだ!?俺がライセンスを取得したってことが!)
内心焦りながらそう考えるが、心当たりは1つしかない。あの食堂での会話だ。思えば結構な大声で合格したことを喋っていた。他の利用者にも聞こえていたのだろう。その利用者が誰かに話して、それを聞いた誰かがまた話して……といった感じで理事長まで広まったのだろう。
(……いや、待てよ?そもそも理事長だったら合格者名簿ぐらい見るんじゃないか?)
そもそもの話、トレセン学園の理事長である秋川さんならライセンスの合格者名簿ぐらい見るんじゃないだろうか?そう考えると、俺がどうあがいたところでこの勧誘は起こりえたことなのだと内心諦めがついた。それは表情には出さないようにするが。
2人に必死にお願いされているが、俺はトレーナーになることを渋っている。理由としては2つあってどちらも単純だ。
まず初めに、ウマ娘のレースに興味がない。それを言ったことがある全員から
「なんでお前トレセン学園で働いてるの?」
と総ツッコミを喰らったが、本当にウマ娘のレースに興味が湧かなかった。執拗に俺のことをレースの世界に引きずり込もうとしたウマ娘もいるが、それでも俺は不思議と興味が湧かなかった。
2つ目に、今の仕事、用務員の若い男手が不足しているということから抜けることができないからだ。ウマ娘の子が入ってでもくれたら話は別なのだが、入ってこない現状若い男は力仕事を担当することになる。しかしこの若い男手がこのトレセン学園では不足している。今でも結構ギリギリなのにこれ以上減ったら力仕事をできる奴がいなくなってしまう。
1つ目に関してはこれからレースに興味を持っていけばいいのだからそこまで問題ではないだろう。なので問題となるのは実質1つだけ。人手不足の問題だ。正直、俺がトレーナーと用務員を兼業でもすればいい話なのだが、そうやすやすと受けていい話でもないだろう。
(ただでさえトレーナーは激務って聞くしな。それを考えると兼業はほぼ不可能だろう)
今も熱心な勧誘を聞きながら1人そう思う。
……2人がここまで必死になる理由も分かる。用務員を人手不足と言ったがそれはトレーナーだって同じ話だ。T大と並び称されるほどの難関、合格者0の年すらあるその資格は持っているだけで人に自慢できるものといっても過言ではない。1人増えるだけでもありがたいことだ。そしてその合格者が学園の職員から出たともなれば必死にもなるだろう。加えて、どうやら今回の合格者は俺1人。学園側からしたら是が非でも逃したくないはずだ。俺が同じ立場なら同じ行動をするだろう。
「神藤君、用務員の方も人手不足なのは重々承知している……。だがッ!そちらに関してはまだ検討段階ではあるが対策は立てている!その対策さえ完成すれば用務員の人手不足は解消されるはずだ!だから!どうかトレーナーになってはくれないだろうかッ!?」
理事長の勢いに、俺はたじろぐ。
秋川理事長はとてもウマ娘思いな人物だ。毎年結果が振るわず退学していく子やトレーナーがつかずに去ってしまうしかない子たちを見て心を痛めている光景を何度か見たことがある。それだけでなく俺たちトレセン学園の職員にも真摯に向き合ってくれている。俺も何度かお世話になったことがある。
そんな人物がここまで頼み込んでいるのだ。ここで首を縦に振らなきゃ、
(男じゃねぇよなぁ)
そう思い、秋川理事長にトレーナーの件を了承の旨を伝えようとする。
「……分かりました、では」
そんな俺の言葉を遮って、秋川理事長は俺に提案をしてきた。
「提案ッ!もしトレーナーを受けてくれるのであれば今の給料の5割、いや、7割増しの給料を払おう!」
「その話、詳しくお願いできますか?」
急にお金の話になり、俺は即座に食いつく。別にお金に困っているわけではないが、給料という言葉に食いつかない社会人はいないだろう。
秋川理事長は詳細を話す。
「確かに我々としても用務員の仕事をしながらトレーナーの仕事をしてもらうことになるやもしれないのに給料据置というニュアンスで伝えてしまったのは申し訳なく思っている!しかーし!もし兼業してくれるのであれば今の給料から7割増しで払うことを約束しよう!」
「……しかし、トレーナー業は激務と聞きます。兼業をするとしても私の身体は持つでしょうか?」
「心配は無用だ神藤君!私の方から君の業務を減らすように打診しておく!トレーナー業に差支えのないようにな!」
「……」
かなり美味しい話になってしまった。あのままでも受けるつもりではあったが、まさか給料を上げる話にまでなるとは思わなかった。だが、深く考えるならそれほどまでにトレーナーを増やしたいと思っているのだろう。
別にお金に惹かれたわけではないが、俺は理事長の提案を受けることにした。
「分かりました。トレーナーの件、受けさせてください」
その言葉を聞いて理事長は嬉しそうに笑顔を浮かべ話しかけてくる。
「確認ッ!本当か神藤君!トレーナーになるという件、受けてくれるか!?」
「さすがにここまで頼み込まれたら断れませんよ。不肖この神藤誠司、トレーナーを一生懸命務めさせてもらいます。決して給料UPに釣られたわけじゃありませんよ。本当ですよ?」
「分かっているとも!歓喜ッ!君がトレーナーの件承諾してくれたこと、嬉しく思うぞ!神藤君!」
そういいながら理事長は書類の準備をしてくれた。おそらくトレーナーになるための手続きのようなものだろう。俺は用意されたその書類にサインをしていく。
すべての書類にサインし終わった後、俺は一礼して理事長室を出た。同じタイミングでたづなさんも別の用事があるのか理事長室の外に出てきた。たづなさんは俺に話しかけてくる。
「ありがとうございます、神藤さん。こちらの無理を聞いてくださって」
その言葉に俺は申し訳なさを感じつつも答える。
「いえ、大丈夫ですよ。理事長がウマ娘思いな人物だっていうのは知っていますので。それに、あそこまでお願いされたら受けなきゃ男が廃るってもんですよ」
「そうですか……。でも、ありがとうございます」
たづなさんはそう言って一礼する。その後こちらに質問してきた。
「けど、大分渋っておられましたね?神藤さんなら兼業という手段を思いついていたと思うのですが、他にも何か問題が?」
そう聞かれて、俺は素直に自分の考えを伝える。
「いや、たづなさんも知っていると思いますけど、俺ってレースに興味がないじゃないですか?」
「そうですね。生徒会長に何度誘われても断っておりましたね」
「その話は置いといてください。レースに熱中できない、興味がない、そんな奴に担当してもらうウマ娘が可哀想だなって考えると……、どうしても尻込みしちゃって」
「なんだ、そんなことでしたか」
たづなさんはそう笑って答える。こっちは結構真剣に考えていたのだが。
「だったら、これから熱中していけばいいんですよ。それに、もしかしたら神藤さんが熱中できるようなレースをしてくれる、そんなウマ娘が今後現れるかもしれませんよ?」
「だといいんですけどね」
「何はともあれ、これからのトレーナー生活頑張ってください!応援してますよ、神藤さん!」
そう言って足取り軽やかにたづなさんは去っていった。俺は1人取り残される。何をしようかと思ったが、ひとまずトレーナーになることを知り合いにでも話してみることにした。
これが俺の、歩むことになるとは思わなかったトレーナー生活の第一歩となった。
小説書くのは初めてなのでいろいろと至らない点があると思います
また、基本的に書き溜めをしないので投稿頻度は結構不定期になると思いますが、できる限り早く投稿することを心がけます。
誤字・脱字報告をしてもらえるとありがたいです
やよいさんのあの口調が母親の真似だとすると結構萌える気がするのは私だけでしょうか?
※細かいところを修正 7/22
※プロローグを丸々改稿 8/14