年が明けて少し経った今日、トレセン学園も通常授業が始まっている。そんな中、俺はトレーナー室で珍しい客人から相談を受けている。
その珍しい客人というのは理事長秘書であるたづなさんだった。わざわざ忙しい仕事の合間を縫ってきてくれたのであろう。俺を呼び出すのではなく、わざわざトレーナー室まで来ていた。
そしてその相談内容というのが……。
「……というわけなんです。年が明けてからというものの、日に日に声が大きくなっておりまして……」
「今は、どのくらいになっているんですか?」
「URAにほぼ毎日嘆願書が届いているのと……後はこちら、今日の新聞になります」
「失礼します。……成程、確かにこれは……無視できませんね」
テンポイントのレースに関するものだった。
レース、と言っても海外のことではなく国内のレースのことだ。向こうに飛び立つ前に何としてでも一目見たいというファンの人たちの声が日に日に大きくなっているらしい。URAにはテンポイントが海外に飛び立つ前に日本でレースを!といった旨の嘆願書が何通も寄せられているのだとか。
実のところ、この声自体は年を越す前にもあった。ただ、その時はまだ声が大きくなかったし無視できるだけの状況だった。しかし、今はそうもいかなくなってきている。関西の新聞では連日のようにテンポイントの記事が載るようになり、挙句の果てにはパパラッチまがいの連中まで出てくる始末だった。最も、そういう輩はトレセン学園に入る前に守衛によって撃退されているのだが。そういう輩がいたという報告が俺のとこに上がってきているので存在だけは知っている。
それだけではない。最後に日本で一目テンポイントの勇姿を見たいといった旨の電話がURAやトレセン学園のみならず、テンポイントのトレーナーである俺のところまで来ていたのだ。中には脅迫まがいのものまであったが……まあそれはいいだろう。
とにかく、年を越す前までは無視できるだけの状況だったが、今はそうもいかなくなってきているのだ。俺はたづなさんに質問する。
「たづなさん、例えば……ファン交流イベント、みたいなものはダメなんですか?走るんじゃなくて、テンポイントと触れ合う……みたいな」
「URAもそう提案したらしいのですが……効果はなかったみたいで……」
「見たいのはあくまで走る姿……というわけですか」
「そうなりますね……」
たづなさんは難しい顔をしている。俺も渋面を作っていた。
俺もまさか、テンポイントのファンがここまで声を上げるとは思っていなかった。海外で走る姿を見ることができたら満足だと、勝手にそう思っていたところはある。だからこそ、今この状況にすごく悩んでいる。
(出走するべきか……出走しないべきか……)
出走しても、テンポイントなら問題なく勝てるだろう。それだけの自信がある。ただ、出走する意味が薄いのも確かだ。今まで前哨戦で使ってきたレースは大レースのための調整だったり、作戦の確認だったりで使っていたのだが、今回のレースに関しては前哨戦としての意味をなさないのが現状だ。日本と海外では芝が違うので練習にはならないだろう。だから、走る意味は正直薄い。
(これで声が小さかったら悩む必要はなかったんだがなぁ……)
ここまで声が大きくなっているのであれば、もし出走しなかった時ファンから何を言われるか分かったもんじゃない。もしかしたら、他に飛び火する可能性だって0じゃないのだ。それを考えたら出走するべきなのだろうが……。
そう悩んでいると、扉を開けて誰かが入ってくる。その姿を確認すると授業を終えたであろうテンポイントであった。
「おはようさんトレーナー……って、たづなさん?」
「こんにちは、テンポイントさん。少しお邪魔していますね」
「あ、はい。やけど、一体何の御用でしょうか?」
テンポイントの疑問は尤もだ。普段は訪れない人がトレーナー室を訪れているのだからその疑問は真っ先に出てくるだろう。当事者の1人であるテンポイントに話さないわけにはいかないのでたづなさんは事情を説明した。
話を一通り聞いたテンポイントは難しい顔をしていた。
「う~ん……一応、年末にトレーナーからそういう声があるて言われとったけど……。今はそんなに大きくなっとるんやなぁ……」
「それだけ、お前がファンの人に愛されてるってことだな」
「そうですね。これもひとえにテンポイントさんの人気があってのことでしょう」
「素直に喜べんなぁ……。トレーナーはどうするつもりなん?」
俺は思っていることを正直に言う。
「あんまり出走させたくない……ってのが本音だな。ファンのため、と言えば聞こえはいいが、逆に言えばそれ以外走る意味がほとんどないってのが現状だ。海外に向けての調整にもならないし、走る意味はファンのため以外にはない……と言ってもいいだろう」
「そうですね……。こちらと向こうではバ場が違いますし、もしものことを考えたら出走をしないのが無難かもしれません」
俺の意見に同調するようにたづなさんがそう告げる。すると、テンポイントが思案するように手を顎にやる。
しばらくして、考えが纏まったのか自分の意見を告げた。
「なぁ、出走登録だけはしとかん?」
「出走登録……だけか?」
「そや。もし調子が悪うなるようやったら取り消せばええし、調子が良いようやったら出走する。それでええんやないか?」
「そりゃ別に構わないが……。どうしてだ?俺達の意見を聞いたら出走をしないと考えていたんだが……」
「う~ん……、トレーナーとたづなさんの言うとることも分かるんやけど……」
一拍おいて、テンポイントは苦笑いをしながら答える。
「ここまで望まれとんのに、それに応えんのはどうかなーって思うんよ。やから、とりあえず出走登録だけはしとこかなーって」
「……そうか」
テンポイントの言うことも一理ある。ここまで望まれているのに走らないのは今まで応援してもらっているのにどうかという部分があるのも確かだ。そして、本人がこう言っているのだ。ならば、その意見を尊重するのがトレーナーというものだろう。
俺はレースの日程表を見て出走可能なレースを吟味する。テンポイントでも出走ができて尚且つファンの声が特に大きい関西のレース場で開催されるレース。そして、1つのレースにたどり着いた。
「日経新春杯……これしかないな。他は日程的に厳しいし、向こうに飛び立つ日を考えたらこのレースしか残っていない」
日経新春杯。京都レース場のG2レースで芝2400m。テンポイントが走れるレースはこれしかない。俺はテンポイントにそう提案する。
すると、向こうは二つ返事で了承した。
「ん、了解や。やったら出走登録だけはしとこか」
「あぁ。だが、当日体調が良くないようだったらすぐに出走を取り消す。それだけは憶えておいてくれ」
俺の言葉にテンポイントは頷く。たづなさんにもその意向を伝える。
「というわけで、一応出走の方向で固めたいと思います。ただ、ファンの人たちには出走は確約はできない、とだけは伝えてくださいませんか?」
「かしこまりました。それでは、URAにもそのように伝えておきますので。私はこれで失礼しますね」
そう言ってたづなさんは部屋を出ていった。俺とテンポイントだけが部屋に残る。
俺は嘆息して呟く。
「一体どうなることやら……」
「まぁ、なるようになるやろ」
俺の呟きにテンポイントはそう答えた。
日経新春杯の出走登録だけは済ませておいた日からまた時間が経って今はURAに呼ばれてとある会場に来ている。URAに呼ばれた理由、それはテンポイントが最優秀シニア級ウマ娘と年度代表ウマ娘に選出されたからだ。
今は壇上で授与式が行われている。
《それでは本年度のURA賞もいよいよ最後の表彰になります。登壇していただいてるのはテンポイントさんです!》
司会の人からの言葉を受けてテンポイントは丁寧にお辞儀をする。隣に立っている俺も続くようにお辞儀をした。
司会の人が熱のこもったスピーチをする。
《見事最優秀シニア級ウマ娘と年度代表ウマ娘に輝きましたテンポイントさん!しかし、実はそれだけではありません!なんとなんと、メイヂヒカリ以来となる満票での選出で年度代表ウマ娘に選ばれました!皆さん盛大な拍手をお願いします!》
瞬間、会場に割れんばかりの拍手が鳴り響く。それを受けてテンポイントは薄く笑みを浮かべ、手を振って答えていた。
しかし、まさか満票での選出になるとは思わなかった。俺は内心驚く。年度代表ウマ娘が満票で選出されるということは滅多にないことだからだ。あのシンザンやトウショウボーイでさえも満票ではなかったのだからそのすごさが分かるだろう。それだけファンの人に愛されているのかもしれない。
《ではテンポイントさん、今後の目標をお願いします!》
「はい。皆さんご存じやと思いますけど、ボクは来年度からは海外で走る予定です。偉大な先輩たちに追いつく……いや、追い越す気で走ろう思うてます。海の向こうになりますけど、今後も応援してくれると嬉しいです」
《ありがとうございます!それではテンポイントさんには後日新しい勝負服がURAより授与されます!活躍の場は海外へと移りますが、海の向こうでの活躍を期待しまして、皆さまもう一度盛大な拍手をお願いします!》
司会の人の言葉とともに、また割れんばかりの拍手が鳴り響く。俺はテンポイントに倣うようにお辞儀をした。その後、降壇する。
降壇した後は記者の人たちからの質問攻めにあっていた。相変わらずテンポイントは記者の人たちに苦手意識を持っている。なのでできる限り早く終わらせるよう心掛けた。
「年度代表ウマ娘の選出おめでとうございます!しかも満票!今のお気持ちをお聞かせください!」
「せやね……。光栄やと思うてます。ボクを応援してくださる皆様のためにも、より一層頑張っていきたいです」
「神藤トレーナー!今のお気持ちは!?」
「大体はテンポイントと同じです。今後とも彼女の側で、どんな時でも尽力していきたいと思います」
「おぉ~……!では、海外でどのようなレースを使うかはもう決めていますか!?」
「今のところはまだですね。大目標は変わりませんが、向こうの芝でならしてからどのレースに出走するかを決めていきたいと思います」
「なるほどなるほど……。では続いての質問なのですが、日経新春杯に出走登録したというのは本当でしょうか!?」
「……そうですね、一応出走登録だけはしています」
「それはやはりファンの声を受けてでしょうか!?」
「そうなります。ただ、本人の体調次第では出走を取り消す可能性があることを十分に留意していただきたいです。やはり、本人の体調第一に考えていますので」
「それは今から願掛けしないといけませんね!テンポイントさんが無事に出走できるようにと!」
「はは……」
俺は苦笑いしながら答える。テンポイントの方でも似たような質問をされていたのか、向こうも苦笑いを浮かべていた。
その後は何個か質問を受けつけて、足早に会場を後にする。駐車場に停めていた自分の車に乗って学園へと戻っていった。車内で俺はテンポイントに話しかける。
「さて、後は無事に壮行レースを乗り切るだけになったな」
「やなぁ。しっかし満票で選出か……。アカン、ニヤニヤが止まらん」
「まあ滅多にないことだからな。あのシンザンですら満票での選出はなかったらしいし」
「そんだけファンに思われとるってことやな。やからこそ日経新春杯も頑張らんとな」
「頑張るのはいいが、怪我だけはするなよ?それで海外遠征できなくなったら泣くに泣けないからな」
「分かっとる分かっとる。自分の体調第一、やもんな?」
「そういうことだ」
そこからしばらく無言になる。そして、唐突にテンポイントがこちらに話しかけてきた。
「なぁトレーナー。記者の人たちに言うとった言葉はホントなん?」
「何がだ?俺なんか変なこと言ってたか?」
「そうやなくて、ボクの側でどんな時でも尽力する言うてたやん。それはホンマか?」
「そのことか。だったら本当のことだよ。どんな時でも、俺はお前を見放さないさ」
「ふ~ん。まぁ、分かっとったことやけどな!」
俺は笑いながら答える。
「じゃあなんで聞いたんだよ」
「決まっとるやろ?改めて聞いとこ思うただけや。トレーナーがボクんこと見放さんのはボクがよう分かっとるからな!」
「それは何よりだ」
そのまま俺は車を運転して帰路につく。天気は暗くてよく分からない。ただ、月が顔を出していないことから分かった。
空は、どんよりとした曇り空だった。
期待をされたら、応えたくなる。