東京レース場、私はグラスさんの応援のためにその会場に来ていた。そして、グラスさんのレースも終わったので、選手控室へと沖野トレーナーとともに訪れていた。
扉を開けて中に入ると、まず目についたのは疲れを癒すように椅子に項垂れているグラスさん。そんなグラスさんに沖野トレーナーが労いの言葉をかける。
「お疲れさん、グラス。惜しかったな」
「うあ~。後もうちょっとだったのに~」
「いや、脚も万全じゃない状態であれだけのレースができたんだ。大したもんだよ」
「それでもさ~、やっぱり悔しいものは悔しいよ~。はぁ~……」
そう言ってグラスさんは項垂れる。私はそんなグラスさんを励ますように言った。
「大丈夫ですよ!次はきっと勝てます!万全な状態で大目標である春の天皇賞を迎えられるように、頑張りましょう、グラスさん!」
「……うん、ありがとうね~カイザーちゃ~ん」
グラスさんは私の言葉にそう答えてほほ笑んだ。
グラスさんが出走したレース、アメリカジョッキークラブカップ。結果としてはクビ差の2着だった。1着の子は、昨年目黒記念で私とグラスさんに勝った子。最近メキメキと頭角を現し始めてきた子だ。おそらく、春の天皇賞にも出走してくるだろう。沖野トレーナーはそう言っていた。
すると突然、グラスさんが時計を確認した。私もつられて確認する。……この時間だと。
「今頃テンちゃんが走ってる頃かな~?」
そう、テンポイントさんのレースも始まっている時間だ。私はグラスさんの疑問に答える。
「そうですね。もう出走している頃だと思いますよ」
「テンちゃん勝ったかな~?」
「どうでしょう?日経新春杯にはエリモジョージ先輩も出走していますからね」
「そうだな。それに、エリモジョージのポテンシャルは底が見えないからな。もしかしたら……ってことがあるかもしれねぇな」
「だね~。まあでも~テンちゃんなら心配ないかな~」
グラスさんはそう締めた。テンポイントさんの実力を信頼しているのだろう。そして、それは私も同じだ。テンポイントさんなら勝てる。そう思っていた。
そんな時、私の携帯が震える。誰かからか着信が来たようだ。私は画面を見て誰が掛けてきたのかを確認する。
「……クインさん?ということは、あっちもレースが終わったみたいですね」
私に電話を掛けてきたのはボーイさんと一緒にテンポイントさんの応援に行っているクインさんだった。先日レースが終わったら連絡すると、そう言っていたことを思い出す。私は電話に出る。
「もしもしクインさん?そちらはどうでしたか?グラスさんの方は……ちょっと残念な結果になってしまいましたけど」
「……」
しかし、クインさんは無言だった。もしかして私の声が聞こえなかったのだろうか?そう思い私はもう一度呼びかける。
「あの、クインさん?聞こえてますか?そちらはどうでしたか?」
「……うっ、うぅ……ッ!クライムカイザーさま……ッ!」
そして、クインさんから返ってきた言葉に私は思わず携帯を手放しそうになるほど驚いた。なんと電話の向こうでクインさんは泣いていたのである。
……いや、それだけじゃない。私は時計を確認する。
(この時間だったら、レースの出走時間から逆算してクインさんたちはまだレース場にいるはず……。なのに!)
異様なほどに静かだ。レース場の熱気も、歓声も喧噪も聞こえない。それどころか、クインさんの他にも咽び泣いているような声や悲鳴のような声が聞こえてきたのだ。
私の雰囲気から只事ではないと察知したのか、沖野トレーナーとグラスさんも私の方を神妙な顔つきで見ている。
私は、冷静さを保ちながらクインさんに尋ねる。
「……クインさん。一体、何があったんですか?」
その言葉とともに、私は携帯をスピーカーモードにする。グラスさんたちにも聞こえるように。
電話の向こうでクインさんはまだ泣いていた。やがて、絞り出すような声で答える。
「くらいむ……かいざー……さまっ!てんぽいんとさまが……、てんぽいんとさまが……っ!」
クインさんが必死に絞り出したその言葉は、私たちを奈落の底に落とすには、十分だった。
「れーすちゅうに、こっせつして……!びょういんに、はこばれました……っ!」
「……えっ?」
選手控室を無言が支配する。私たちは、何も言えなかった。
それから数日が明けて私はグラスさんとともに学園に登校している。だが、気分は最悪と言ってもいいだろう。理由なんて分かり切っている。
「……カイザーちゃん。テンちゃん、今頃どうしてるんだろうね?」
「……分かりません。病院に運ばれたという報告以降、音沙汰がありませんから」
テンポイントさんのことだ。私たちは暗い気分のまま登校している。
テンポイントさんがレース中に骨折したというニュースは、瞬く間に全国に広がっていった。レースの次の日どころではない、レースがあった日の夕方にはすでにニュースとして全国放送されていた。私も、おそらくグラスさんもそのニュースを見て、夢ではなく現実だということを再認識した。そして、病院に搬送されて以降、どうなったのかは分からないということも。ただ、搬送先の院長曰く、
『手術は成功しました。ただ、テンポイントが今どこにいるのかはお教えできません』
と言っていたので、無事ではあるのだろう。……そう思わないとやってられなかった。それに、テンポイントさんのトレーナーである神藤さんもここ最近姿を見ていない。きっと、テンポイントさんの側にいるのかもしれない。そんなことを思っていた。
暗い表情、重い足取りのまま私たちは教室へと向かう。道中、私とグラスさんの間に会話はなかった。自分たちの教室に到着する。
教室の中は、お通夜のような空気が漂っていた。いつもならば仲の良い友人と会話を弾ませているクラスメイト達は、沈痛な面もちで言葉少なく会話をしていた。あのレースが終わってからの数日間、ずっとこうだった。
私たちも自分の席に着いて支度を済ませる。ボーイさんもすでに登校していたらしく、自分の席に座っていた。ただし、
「おはようございます、ボーイさん」
「……あぁ、おはよ」
いつものような元気は鳴りを潜めている。……それも仕方ないだろう。ボーイさんはテンポイントさんが骨折するところを現場で見ていたのだ。ダメージも私たち以上に大きいはず。私はそれ以上ボーイさんに何か言うことはなく、自分の席に着いて先生が来るのを待っていた。
長い、時間が過ぎるのが遅く感じる。いつもだったら、時間が過ぎるのを速いと感じているのに。時間の流れが遅くなったかのように錯覚する。テンポイントさんのことを思うと、私は不安でたまらなかった。
(テンポイントさん……。せめて、何か一報だけでもあれば……)
仕方がないので、私は腕を枕にして目をつむることにした。こうしていれば、いつの間にか先生が来るだろう。辛い現実から逃避するように、私は目をつむる。
しばらく待っていると、朝のホームルームを告げるチャイムが鳴った。その音とともに私は顔を上げる。先生が来るのを待った。
……しかし、いつもだったら結構早めに来る担任が今日はやけに遅かった。何かあったのだろうか?そう思っていると廊下から誰かが走っている音が聞こえてくる。その音は、私たちの教室の前で止まりそのまま勢いよく扉を開けて入ってきた。担任の先生だ。息も絶え絶えに教室に転がり込んできた。そんなに急いで一体どうしたのだろうか?そう思っていると、担任の先生は笑顔を浮かべて私たちに告げた。
「み、皆さん!嬉しいニュースです!先程テンポイントさんのトレーナーがトレセン学園に帰ってきまして、テンポイントさんは無事だと!命に別状はないということを教えてもらいました!今も病院で療養中だそうです!」
その言葉を聞いて、先程まで暗い気持ちだった私の心に光が差し込んだ。嬉しい気持ちでいっぱいになる。
(良かった……ッ!本当に良かった……ッ!)
顔を手で覆う。嬉しさのあまり泣きそうになった。クラスメイト達も同じ気持ちなのだろう。中には泣いている子もいた。
そんな中、ボーイさんが質問する。
「せ、先生!テンさんがどこの病院にいるか教えてくれませんか!?」
しかし、その質問に先生は首を振って答える。
「ご、ごめんなさい。先生もテンポイントさんがどこの病院にいるかは教えられていないの。ただ、無事であることは確かよ。神藤トレーナーはこんなことで嘘はつかないもの」
「そう……ですか」
少し落ち込んだようにボーイさんは席に着く。気持ちは分からないでもない。多分だけど、ボーイさんはテンポイントさんの無事を自分の目で確認したかったのだろう。私も同じような考えが浮かんでいた。だが、先生もどの病院にいるかは教えられていないらしい。申し訳なさそうにしていた。
ただ、テンポイントさんがどこの病院にいるのかを秘匿している理由は分からないでもなかった。まだ面会ができない状態なのかもしれない。私はそう考えた。
連絡事項は他になかったようで、先生はそのまま退出していった。その足取りはどこか軽そうに見えた。最近は足取り重く、暗い表情で退出していたので先生も嬉しいのだろう。
私は急いでボーイさんの下へと向かう。グラスさんも同じ考えだったらしい。2人でボーイさんの席へと向かっていた。
私はボーイさんに話しかける。
「ボーイさん、これで1つ進展しましたね!」
「うんうん~、テンちゃんのトレーナーの神藤さんが言うなら~、間違いはないよね~」
私たちの言葉に、ボーイさんは嬉しさ半分、残念さ半分といった感じで答える。
「あぁ……!あぁ!ホントに良かった!まあ、お見舞いに行けないのはちょっと残念だけど……」
「それは仕方ないと思います……。まだ面会謝絶状態なのかもしれませんし」
「そうだね~」
私たちは、テンポイントさんが無事だったということの喜びを分かち合うように話した。
そんな時、教室の扉を開けて誰かが入ってくる。1限目の先生だろうか?しかしまだ時間はあるはずだ。一体誰だろうか?私たちは扉の方へと視線を向ける。そこに立っていたのは何とハイセイコー先輩だった。
「失礼。トウショウボーイとグリーングラス、そしてクライムカイザーはいるかな?」
開口一番、ハイセイコー先輩はそう尋ねた。どうやら私たちを探しているらしい。一体なんのようなのだろうか?
呼ばれた私たちはすぐさまハイセイコー先輩の下へと向かう。
「お呼びでしょうか?ハイセイコー先輩」
「どうしたんですか?わざわざオレたちの教室まで来て」
「……もしかして~テンちゃん関係のことですか~?」
「それは生徒会室で話そう。ひとまずついてきたまえ。あぁ授業のことなら安心してくれ。担当の先生にはちゃんと許可を取ってある」
「「「分かりました」」」
ハイセイコー先輩の言葉に私たちは口を揃えて答える。そのまま、ハイセイコー先輩に連れられるまま生徒会室へと向かった。
しばらく歩くと生徒会室に到着する。そのまま先輩は扉を開けて中へと入る。私たちも促されるまま入室した。
「よし、ここならば誰にも聞かれる心配はないだろう」
ハイセイコー先輩はそう呟く。おそらく誰かに聞かれたくない内容なのだろう。一体どんな話なのだろうか?不安な気持ちで私は次の言葉を待つ。
そしてハイセイコー先輩は私たちに告げる。
「さて、君たちを呼んだのは他でもない。今からテンポイントが入院している病院へ向かうよ。迎えのものが来るまでここでお話でもして待とうじゃないか」
「「「……えっ?」」」
ハイセイコー先輩のその言葉に、私たちは揃って間抜けな声を出した。
キョンシーデジたん可愛いなぁ