ハイセイコーにファンクラブのイロハを教えてもらい、ファンクラブを開設してから1週間程が経った。俺は今ファンクラブの反応を見るために、PCとにらめっこしている。
一通りファンクラブのサイトに寄せられたコメントに目を通していた。俺は満足に思いながら頷き呟く。
「よしよし、反応は上々。釣りを疑う人もいたが、テンポイントの入院中の写真と学園の広報もあってかすぐになくなったな」
結論から言えば、ファンクラブとしての滑り出しは上々といってもいいだろう。最初こそ【入院中のテンポイントの経過報告をします】という文面を疑う人がたくさんいたが、学園による広報と関係者しか持ちえないであろうテンポイントの入院中の写真を張り付けたブログを書いたことで疑う人は減ってきた。
一応、ファンクラブのブログは俺が書いていると明記してある。そのことで何か言われるかもしれない、何なら批判されるかもしれないと少し身構えていたのだがコメントを見る限りそんなことはなかった。むしろ、俺を好意的に捉えてくれる人が多くてありがたい限りである。
・テンポイントの経過報告助かります!日経新春杯からずっとずっと心配で眠れない夜を過ごしていました……。神藤トレーナーには感謝しかありません!
・世間では色々言われていますが私は神藤トレーナーのこと応援しています!誹謗中傷に負けないで、頑張ってください!テンポイントが復帰するその日を待っています!
・頑張って!テンポイント様!あなたがターフに戻ってくる日を私たちずっと待っています!
・娘と一緒にテンポイントが復帰する日を一日千秋の思いで待っています。頑張れ!テンポイント!
……と言った感じの意見が見受けられた。勿論、批判めいたコメントもあったが、それにはあまり対応しないようにしている。
「ハイセイコーも言っていたからな。下手に対応するとまずいことになるって。仮に炎上でもしたらテンポイントにも危害が及ぶ……。それだけは絶対に避けなければならない」
そう思いながらコメントを精査していると、ふと1つ気になるコメントがあった。俺はそのコメントを確認する。
「何々、【テンポイントを応援する気持ちを込めて学校の友達みんなと千羽鶴を折りました。是非テンポイント本人の下に送りたいと考えているのですが、どこに送ればいいでしょうか?】……ふむふむ」
そのコメントを見た時、俺は失念していたと思った。
(そうか……。応援の気持ちを形に届けたい人だっている。そのことをすっかり失念していた)
改めてコメントを見ていくと、似たようなコメントが多数見受けられた。病院の場所を明かしていないという関係上、どこに送ればテンポイントの下に届くのか分からない。だからこそ、届けたくても届けられない気持ちが彼らにはあったはずだ。これは反省すべきことである。
この問題を解決するために、俺はある人に連絡を取る。
「……あ、もしもしたづなさんですか?すいません、今ちょっとお時間よろしいでしょうか?……はい、できれば私のトレーナー室でお話ししたいことでして……はい、はい。ではすいません、お願いします」
ある人とは、たづなさんだ。
しばらく待つと、たづなさんが俺のトレーナー室を訪れる。
「失礼します。神藤さん」
「たづなさん。すいません、お呼び立てしてしまって」
たづなさんは笑みを浮かべて告げる。
「いえいえ、丁度仕事がひと段落したところですので構いませんよ。それで一体どういったご用件でしょうか?」
あまり時間を取らせるわけにはいかない。用意していたお茶をたづなさんに渡して早速本題を切り出す。
「お話、というのはテンポイントのことでして。実はテンポイントを応援するために千羽鶴を折ってくれた学生たちがいるんです。しかし、病院の場所を明かしていないという事から、どこに送れば確実に届くのか分からない……と言った旨のコメントが寄せられまして」
「成程……。神藤さんの言いたいこと、何となく分かりました。その送る場所の指定先を学園にしたい……といったご相談でしょうか?」
「はい。その通りです」
俺の言葉に、たづなさんは笑みを浮かべて答える。
「勿論構いませんよ。こちらの方でも準備を進めておきますので、送り先を学園にしてもらって大丈夫です」
……本当にこの人達には頭が上がらない。俺は頭を下げてお礼を言う。
「ありがとうございます。何から何までご迷惑をおかけしてしまって」
俺の言葉にたづなさんは気にする必要はないと言ってくれた。本当にありがたい限りである。
「お話したいことはこれだけでした。たづなさんはこの後どうされますか?」
俺の言葉にたづなさんは少し考える素振りを見せる。
「そうですね……。次の仕事まで時間がありますので、少しここでゆっくりしていっても構わないでしょうか?」
断る理由はない。俺は了承する。
「勿論構いませんよ。今お茶菓子を用意しますね」
たづなさんにお茶菓子を用意して、俺は早速次のファンクラブの記事を書き始めた。
許可がもらえたという事で、俺は次のブログの記事にテンポイントを応援するために千羽鶴を折ってくれた人達や何らかの形にしてくれた人達宛てに、その形にしたものをどこに送ればいいかを明記する。
ブログを書いていると、視線を感じた。尤も、この部屋にはたづなさんしかいないのでたづなさんの視線だろうが。PCから目を離して確認するとたづなさんが俺を微笑ましいものを見るような目で見ていた。俺の視線に気づいたのか、たづなさんはすぐに取り繕うように謝罪する。
「すいません神藤さん!お邪魔になりましたか?」
「いえ、大丈夫ですけど……。どうかされましたか?」
するとたづなさんは先程のように薄く笑みを浮かべて答える。
「いえ……少し昔のことを思い出しまして。神藤さんは覚えていますか?あなたがトレーナーになった日のことを」
勿論覚えている。
「覚えていますよ。人によっては給料に釣られたと捉えられてもおかしくない動機でトレーナーになったことを」
「ウフフ。そういえばそうでしたね。……神藤さんはあの時、こう言っていましたね?レースに熱中できない、興味がない、そんな奴に担当してもらうウマ娘が可哀想だ……。そう思っていたと」
懐かしい話だ。最初の頃はそう思っていたことを思い出す。俺は苦笑いしながら答える。
「そうですね。そしてたづなさんが言ってくれました。これから熱中していけばいい。もしかしたら、俺を熱中させてくれるようなレースをするウマ娘が現れるかもしれない……って」
「はい。……それを踏まえた上で神藤さん、あなたに1つ、お聞きしたいことがあります」
「……なんでしょうか?」
たづなさんは真剣な表情で俺に問いかける。
「今のトレーナー生活、楽しんでおられますか?熱中、できていますか?」
……おそらく、たづなさんは聞くまでもない質問だと分かっているのだろう。今の俺を見て、確信を得ているはずだ。だから、俺は愚問だとばかりに答える。自信満々に。
「勿論。最高に楽しんでいますよ。俺はレースの世界に、とても熱中しています。だから、ありがとうございます。あの時理事長と一緒に、俺にトレーナーになってくれと言ってくれて本当にありがとうございます」
俺がそう答えると、たづなさんは微笑みながら答える。
「それは何よりです。これからもトレーナーとして、頑張ってくださいね。応援していますよ、神藤さん」
「はい。不肖神藤誠司、これからもトレーナーとして頑張っていきます!」
その会話を最後に、次の仕事があるという事でたづなさんはトレーナー室を後にした。俺は時計を確認する。
「……そろそろだな。今日はあの日だし、早めに病院に行くとするか」
ファンクラブの記事を書くのを一旦止めて、俺は病院へと向かう。いつもより早い時間だが、理由がある。今日から本格的に始まるのだ。テンポイントのリハビリが。
ベッドの上で待っているボクに、扉を開けて誰かが入ってくる音が聞こえた。少しして、その姿を確認する。トレーナーと先生だった。ボクはトレーナーと先生に挨拶をする。
トレーナーが先生と会話をしている。
「先生。今日からですね」
トレーナーの言葉に先生は真面目な表情で答えた。
「はい。レントゲンを確認して、問題がないと判断しました。なので、今日から簡単なリハビリを始めていくことになります」
その言葉に、ボクは大きく頷く。トレーナーもボクと同じように頷いていた。
今日からボクのリハビリが始まる。復帰に向けた第一歩、ボクは少しの緊張を覚えながらベッドから降ろしてもらい、車椅子に乗せてもらう。
車椅子をトレーナーに押してもらいながら、リハビリ用の施設へと移動する。不思議なことに道中は誰ともすれ違わなかった。そのことを疑問に思ったトレーナーが先生に質問した。
「あの、誰ともすれ違わないんですけど、どうしてでしょうか?」
すると先生はこともなげに答える。
「あぁ、この通路は関係者以外立ち入り禁止ですからね。また、それに加えて他のスタッフにもこの日この時間は通らないように言いつけてありますから」
「げ、厳重ですね」
ボクは思わずそう答えてしまった。先生は気にしていないように告げる。
「秘匿性に関しては日本一だと自負していますので。もうすぐ着きますよ」
先生がそう言うと、リハビリ施設に着いた。中には勿論誰もいなかった。
先生が告げる。
「今日からテンポイントさんのリハビリを始めていきます。とは言っても、骨が完全に癒着していませんし、今日が初めてなのでそこまで難しいことはしませんので安心してください」
ボクは先生に質問する。
「あの、具体的に何するんですか?」
「そうですね……。まずは、簡単な歩行をやってもらいます。手すりに摑まって、左足に少しだけ負荷をかけるように歩いてもらう感じですね」
その言葉にボクは頷く。先生がそれを確認すると、目的の場所までボクを案内する。
そして、指定の位置に着いたボクに先生が告げる。
「それではテンポイントさん。車椅子から降りて手すりに摑まってください」
言われた通りにボクは車椅子から降りて手すりに摑まる。まだ体重はかけていない状態だ。これくらいならば問題ない。
先生が次の指示を飛ばす。
「まずは、大丈夫な方から行きましょう。右足に体重をかけてください」
言われた通りに右足に徐々に体重をかける。問題ない。大丈夫だ。つけることができる。ただ、それよりも久しぶりに地面を踏む感触にボクは喜んだ。
(ホンマに久しぶりや……。こうやって地面に脚つけんのは……)
日経新春杯から2週間以上が立っている。その間は車椅子での移動だったし、基本的にベッドから動くことはなかったから本当に久しぶりに地面に脚をつける。そのことが堪らなく嬉しかった。
ボクの状態を見て、先生は1つ頷いて次の指示を飛ばす。
「……右足は問題ありませんね。それでは、次は患部の方、左足の方に行きましょう。できる限り体重はかけないでください」
言われた通りに、ボクは右足に体重をかけるのを止める。先程同様、腕で身体を支えている。そして、言われた通りに左足を地面につける。
……だが、左足を地面につけた瞬間、ボクの身体はバランスを崩したように倒れ込む。トレーナーが心配するようにボクに駆け寄ってきた。
「テンポイント!大丈夫か!?」
「……だ、大丈夫や。ちょいビックリしただけ……ッ!」
瞬間、ボクに鋭い痛みが襲う。思わず左足を抑えるように手をやる。
本当に、最初はビックリしただけだ。左足を地面につけた瞬間、上手く支えることができないことにビックリして思わず手すりから手を放してしまった。だが、次は大丈夫だろう。しばらくしたら痛みが引いてきたので、トレーナーに手すりのとこまで戻してもらうように言う。トレーナーは心配そうな表情を浮かべていたが、ボクが言った通りに手すりのとこまでボクを運んでくれた。
もう一度、左足に地面をつける。今度はさっきのようにならないように気をつけながら。だが。
「……うぐッ!」
さっきと同じように倒れ込んでしまった。左足に全くと言っていいほど力が入らない。これは、筋力が落ちたとか、そういったものではない。もしそうなら右足だって同じようになるはずだ。トレーナーが駆け寄る。顔を上げて先生の方を見ると、厳しい表情をしていた。
ボクはトレーナーに再度言う。
「……トレー、ナー……ッ!また手すりんとこまで……ッ!」
「いえ、テンポイントさん。今日はここまでにしましょう」
ボクの言葉を遮るように、先生が言う。ボクは納得できず、先生に抗議する。
「だい……じょう……ぶ、です、先生ッ!まだ、まだ……ボクは……ッ!」
しかし、ボクの抗議の声に先生は首を横に振って答える。
「いえ、これ以上は危険です。早急に戻りましょう」
逆らうわけにはいかない。ボクはトレーナーの手で車椅子に乗せられる。少し不満に思いながらも、病室に戻ってまたベッドの上に寝かせられる。
病室に戻ったボクに、先生は厳しい顔を崩さずに告げた。
「……テンポイントさん、神藤さん。あなたたちが思っているよりも、大変な道のりになるかもしれません」
「……そんなに悪いんですか?」
恐る恐る、と言った感じでトレーナーが先生に聞く。先生は大きく頷いて答える。
「はい。テンポイントさん、左足を地面につけた時、どんな感じがしましたか?」
先生に聞かれたことに、ボクは素直に答える。
「……全く力が入らんかったです。まるで、左足だけボクの身体やないみたいに……」
先生は、リハビリ施設からずっと難しい顔をしている。それだけ、ボクの状態が悪いという事だろう。
意を決したように先生はボク達に告げる。
「……これからも我々は全力でサポートにあたります。それに今日は初日、徐々に慣れていくはずです」
徐々に慣れていくはず、ボク達に向けて言ったはずなのにまるで自分に言い聞かせているようにボクは感じた。そう言って、先生は病室を後にする。ボクとトレーナーだけが残る。
「……トレーナー。思うたよりも不味いみたいやな」
「……あぁ。だが、まだ初日だ。気を落とすには早い」
「……やな」
リハビリ初日。ボクの復帰に向けた第一歩は、未来に暗雲が立ち込める結果となった。
まだ、初日。焦らぬように一歩ずつ。