「うぅ~寒い寒い。最近はホントに寒くなってきたなぁ」
すでに12月も半ば。中央のトレーナーライセンスを取得してから1年ちょっと、テンポイントをスカウトした日から半年近くが経っていた。時間が経つのが早く感じるが、それだけ1日が充実しているということだろう。始めは給料を上げるからと受けることにしたトレーナーの仕事も今ではすっかり板についていると思う。あの時はまさかここまでトレーナーとしての仕事に打ち込むことになるとは思いもしなかっただろう。人は変わるもんだと思いながら俺は作業のためにトレーナー室へと入る。
今日やろうと思っているのはテンポイントのもみじステークスと阪神JFのレース映像を振り返って見てみることだ。デイリー杯の出走は叶わなかったが、彼女はその鬱憤を晴らすかのようにもみじステークスと阪神JFを快勝した。もみじステークスは9バ身、阪神JFは7バ身の圧勝劇だ。そんな圧勝劇の映像をなぜ見るのかと思うかもしれないが、一つ気になる点があったからである。ひとまず俺はレースの映像に集中する。レースはもみじステークス、第3コーナーから第4コーナーへと差し掛かる場面だ。
「やっぱりあの時の違和感は間違っていなかったか。息を抜いているのか……?ただ後退しているようにも見えるが……」
俺がレースで感じていた違和感、それは第3コーナーから第4コーナーにかけてテンポイントの走りが気を抜いているように見えたことだ。もみじステークスで初めて見た時はラストスパートの溜めでペースを落としたのだと思っていた。しかし、ただペースを落としただけのようには見えなかったのだ。
もみじステークスの走りを見終わり、次は阪神JFの映像を見る。これは前走よりもさらに顕著だった。序盤は3番手の好位置につけていたが、やはり第3コーナーから第4コーナーに入ったところで一度6番手まで後退してしまった。この時観客からどよめきの声が上がっていたことを覚えている。しかしこのレースは最終的に直線で先頭の2人に並んだかと思えば置き去りにして独走していったのだが。映像も丁度その場面だ。
《───さぁここでテンポイントが上がってきた!どんどん差が開く!どんどん差が開いていく!メイクデビュー、もみじステークスに続いてまたも独走状態だ!見てくださいこの脚を!これが期待の流星テンポイントの強さだ!〈貴公子〉テンポイント!圧倒的強さを見せて今ゴールしました!》
テンポイントがこのことを自覚しているのかどうか、もみじステークスが終わった次の日のミーティングで聞いたことがある。だがどうやら彼女はこのことを自覚していなかったらしい。映像を一緒に見て確認してみた時驚いていた。無自覚の癖。本来ならば修正すべきことなのだろう。だが、これが本当に修正すべきものなのか少し疑問を抱いている。その理由は
「テンポイントの走りはあの体躯からは想像できないほどに大きく跳んでいる。そのせいで気を抜いて走っているように見えるだけかもしれないからな」
彼女の走りが原因かもしれないからだ。大きく跳ぶ走り、俗にストライド走法と言われているものはロングスパートに優れている反面、長い歩幅を取る関係上小回りが利かない。おそらくコーナーで気を抜いて走っているように感じられるのはそれのせいもあるだろう。もしこれを矯正するとなると一からになるので現実的なことではない。なのでこの件に関しては一旦保留にしている。
「でも早めに決めないとなぁ」
「何がだ?」
「いや実はさぁ……」
言いかけて、気づく。誰の声だ?この部屋には俺しかいなかったはずだが。そう思い回りを見渡してみると茶髪のショートヘアのウマ娘がいつの間にか俺の近くに立っていた。突然湧いて出た彼女に俺は驚きの声を上げる。
「うぉおおおあああ!?お前いつの間に入ってきたんだ!?」
そして俺の叫び声がうるさかったのか、少女はこちらに非難の声を上げる。
「うるさっ!びっくりするじゃねぇか!」
「あっ悪い。……じゃなくて!お前誰だよ!」
その言葉に少女はあぁそういえば、と言いそうな表情をした後こちらに向かって自己紹介をする。
「そういや初めましてだな!オレはトウショウボーイ、テンさんの親友だ!」
「トウショウボーイ?……あぁ、あの有名な」
その名前は聞いている。かなりの有名人だ。
「マジで?いやぁオレって有名人なんだな~」
トウショウボーイと名乗ったウマ娘は照れているのか気恥ずかしそうにしている。まあ有名と言われて悪い気はしないだろう。まともな意味ならば。
「おハナさんに隠れて自主練しては怒られてよく罰を受けていることで有名なトウショウボーイか」
「誰から聞いたんだよソレ!?しかも有名ってそっちの意味かよ!」
先程の上機嫌の顔から一転、今度はがっかりしたような顔を見せる。表情がコロコロ変わって面白い奴だ。
トウショウボーイ。その名前はテンポイントからよく聞いている。友達でありライバル、そしてからかい甲斐のある奴だと。成程これほどよく表情が変わるのなら確かにからかい甲斐がある。さすがにもうしないが。
そしてトウショウボーイに先程の質問の続きをする。
「それでトウショウボーイ、お前どうやってここに入ってきたんだ?」
その質問に彼女は落ち込んでいるように見えた先程までの雰囲気から立ち直り答える。
「いや、呼び鈴鳴らしても反応なかったからさ。いないのかと思ってドアノブを回したら鍵が開いてたんだよ。だから普通に入ってきた」
「呼び鈴鳴ってたのか……集中しすぎて全然気づかんかった……」
どうやら呼び鈴を鳴らしたものの反応がなかったらしい。レース映像を見ながら考え事をしていたせいで全然気づかんかった。だからと言って勝手に入ってくるのはどうかと思うが。
彼女はそのまま話を続ける。
「でも驚いたなー。こんなとこに本当にトレーナー室があったなんて。テンさんから話を聞くまで信じられなかったぜ」
「確かにこんなへんぴなとこにトレーナー室があるとは思わんからな。その気持ちは分かる」
「へんぴって自分で言うのか神藤さんよ」
俺の名前を言われて驚く。自己紹介をした覚えはないのだが。
こちらの考えが分かっているのか俺の疑問に彼女は答える。
「あんたの名前はテンさんからよく聞いてたし、それにトレセン学園じゃ有名人だろ?カイザーが言ってたぜ、トレセン学園のなんでも屋だってな」
久しぶりに聞いたなその異名。色々なことに手をつけては解決してきたのでいつの間にかついていた称号だ。
さて、話が脱線してしまったがそもそも彼女はなぜここに来たのだろうか。その理由を尋ねる。
「で、だトウショウボーイ。何の用があってここまで来たんだ?」
「あぁそれなんだけどさー……ってこれテンさんのレース映像か!?ちょっと見せてくれよ!」
「あっおい!」
俺の制止を聞かずトウショウボーイは映像を巻き戻して阪神JFのレース映像を最初から見始めた。自由な奴だなこいつ。
レースを一通り見終わり今はテンポイントが記者からインタビューを受けている場面。そこで彼女は羨ましそうな声を上げる。
「なぁなぁ!もしかしてこれがテンさんの勝負服か!?いいなぁ、かっけーなー!」
おそらく彼女は勝負服を着て走っているテンポイントを見て羨ましそうな声を上げたのだろう。勝負服を着れるのは一般的にG1だけであるので、これを着て走れるのは全てのウマ娘の憧れだ。
その言葉に俺は反応する。
「やっぱり羨ましいよな。勝負服を着て走るってのは」
テンポイントの勝負服は西洋の王子を思わせるような見た目だ。彼女に付いた異名である〈貴公子〉の名に恥じないそれは白を基調としており、彼女の金色の髪を際立たせている。一国の王子様と言われても信じてしまいそうな気品すら感じる。女性だけど。
俺の言った羨ましいという言葉がズバリ本音だったのか、トウショウボーイは大きくうなずきながら答える。
「当たり前だぜ!あ~あ、オレも早く勝負服着て走りてぇなぁ」
インタビューを受けるテンポイントの映像を見ながら彼女は羨ましい羨ましいと繰り返している。まあおハナさんからトウショウボーイの潜在能力については聞いている。彼女の実力ならいずれ着れるだろう。
また話が脱線してしまったので本筋に戻すために再度同じ質問をする。
「さて、レースも見終わったところでお前は何の用があってここに来たんだ?」
「ん?あぁ!そうだったそうだった!忘れてた!」
そう言うと彼女は俺に手を合わせてお願いしてきた。
「頼む、神藤さん!オレをテンさんと併走させてくれ!」
「……はぁ?」
どうやら彼女はテンポイントと並走がしたくてわざわざ俺のとこまで来たらしい。だがこの話をリギルのトレーナー、おハナさんは知っているのだろうか?
「いや、俺の前に頼むべき相手がいるだろう?おハナさんはなんて言ったんだ?」
俺の質問に彼女は元気よく答える。
「言ってねぇ!だってさっき思いついたから!」
子供かお前は。
さらに彼女は言葉を続ける。
「なぁいいだろ!オレもようやく来月デビューだし、身体も大丈夫になってきたんだ!テンさんと併走させてくれよ!」
「……大体なんでテンポイントなんだ?リギルなら併走してくれる相手は他にもいるだろ」
「だって同格の相手で個人トレーナーと契約しているウマ娘って言うとグラスかテンさんしかいねぇんだもん。グラスは来月のデビュー戦で被るかもしれないから絶対に受けてくれなさそうだし」
「まあ話は分かるが……」
「だったらいいだろ?テンさんと併走させてくれよ~!」
かなりしつこいな。余程テンポイントと併走がしたいのだろう。こちらとしても同格の相手と併走できるのは嬉しい限りだが、相手側のトレーナーの許可がないのに勝手なことはできない。
トウショウボーイからのお願いに困っているとトレーナー室の扉が開く。開けたのはおハナさんだ。そう言えば書類を渡しに来るって言ってたことを思い出す。だがトウショウボーイはおハナさんが入ってきたことに気づかずに話を続ける。
「おハナさんには黙ってれば大丈夫だって!バレないようにうまくやるからさ~!」
「んなこと言われてもな」
「なんだよ?何か困ることあるのか?いいじゃんいいじゃん!大丈夫だって!」
「いやお前……」
おハナさんに気づかず彼女は話を続ける。おハナさんの目は氷点下を下回りそうなほどに冷たい目をしている。
「頼む!一生のお願いだ!テンさんと併走を……」
そこから先、彼女の言葉が続くことはなかった。代わりに聞こえてきたのは地獄の閻魔すら震え上がりそうな冷徹な声、その主はおハナさんだ。
「トウショウボーイ、随分面白そうなことを言っているわね。誰に内緒で……ですって?」
「そりゃ決まってんだろ?おハナさん……」
ようやく気づいたのか、彼女はロボットのような動きで自分の背後を振り返る。そこには絶対零度の視線を向けるおハナさんが立っていた。
そしてトウショウボーイは弁明を始める。
「ち、違うんだおハナさん!これには深いわけが!」
しかし、彼女の弁明は一刀両断される。
「他のトレーナーに迷惑を掛けるんじゃないわよ!」
一喝されてトウショウボーイは小さくなっている。いくら自業自得とはいえさすがにかわいそうなので助け船を出そう。
「まあまあおハナさん、その辺にしてやってくれ。それに併走に関しては俺からもお願いしたいと思っていたし」
その言葉にトウショウボーイは目を輝かせる。
「本当か!?だったら是非オレと」
「あなたは駄目よ。勝手に併走の予約を取りつけようとしたんだから今回は許さないわ」
だがおハナさんに却下されてすぐにしょんぼりとした。まあ無断でやろうとしたんだから仕方ないとは思うが。
俺はおハナさんに確認を取る。勿論併走に関してだ。
「で?並走はやってくれるの?おハナさん」
「……まあいいわ。私もテンポイントの実力を直に見てみたかったし」
どうやらやってくれるらしい。これは嬉しい誤算だ。詳しい日取りを決めて最後に誰と併走するかを決めることになった。
「それで?併走の相手はこちらで選んでいいのかしら?」
「あぁ、それで大丈夫だ。問題ないぜ」
併走の相手はおハナさんが決めることになる。だが、ほぼ確実にアイツが来るだろう。今から楽しみである。
「それじゃあ私は帰るわ。トウショウボーイが迷惑を掛けたわね」
「いいよいいよ、こっちもこっちで楽しめたからな。また来いよトウショウボーイ」
「え!いいの!?やった!じゃあまた遊びにくるぜ!」
「あなたはもう少し反省しなさい!」
おハナさんに窘められながら二人は帰っていく。厳格なおハナさんと自由奔放なトウショウボーイ。案外いいコンビかもしれない。次アイツが遊びに来たようにお茶菓子でも買っておくか。
テンポイントの時代では阪神ジュベナイルフィリーズは阪神3歳ステークスであり、牡馬牝馬混合で行われていました(ゴールドシチーと同じ)。当時は関西の3歳馬の頂点を決めるレースとされており、テンポイントはこのレースを7馬身差で勝利しました。
トウショウボーイとおハナさんみたいな性格真反対のコンビは私の性癖にはあっていますね。
※もみじ賞、現在はもみじステークスだった……。修正しました。