4月のある日、私は中山レース場のオープンレースに出走していた。大目標である春の天皇賞の調整というのが主な目的だったが、だからといって負けるつもりはない。アメリカジョッキークラブカップでは2着だったし、1着だった子もこのオープンレースに出走している。だからこそ、勝って弾みをつけるつもりだった。
しかし、結果は振るわなかった。
《……プレストウコウ1着でゴールイン!中山オープンレース、菊花賞ウマ娘対決はプレストウコウに軍配が上がりましたプレストウコウ1着!2着は3/4バ身差でカシュウチカラ!3着はハナ差でグリーングラス!1番人気……》
1着はプレスちゃんに取られたし、前回負けたカシュウちゃんにも勝てなかった。悔しさから拳を強く握りしめる。
(脚の状態も良くないし……ッ!いや、違う!)
一瞬、頭によぎった考えを即座に否定する。脚の状態が良くないのは分かっているが、それを今回の敗北の免罪符にしようとしていた自分の考えに嫌気がさす。
あまりここに長居するのもよくない。そう考えた私は控室へと戻ることにした。控室で椅子に座り、自分の脚を確認するように触る。痛みこそあるが、ウイニングライブに出る分には問題はない。私はそう判断した。私はひとまず安堵する。
しばらくすると、扉をノックして誰かが入ってくる。沖野トレーナーだった。
「お疲れさんグラス。脚の状態はどうだ?」
「……正直言って、あんまりだね~。レースも順調とは言い難かったし~」
「そうか……」
私がそう言うと、沖野トレーナーは一瞬目を伏せる。しかし、すぐに私を安心させるためなのか明るい表情をして告げる。
「だが!春の天皇賞までまだ時間はある!しっかりと調整して万全な状態で挑むぞ!」
……そうだ。負けたからって落ち込んでばかりはいられない。私は気持ちを前に向ける。顔を上げて沖野トレーナーの言葉に答える。
「そうだね~。しっかり調整して~、万全な状態で春天を獲るぞ~お~」
「相変わらず緩いな……。まぁそれがお前のいいとこなんだが。グラス、今回の敗北はあまり気負い過ぎるなよ?」
「分かってるって~。気負い過ぎるとろくな目に合わないってのは~秋天と有マで痛いほど見たからね~」
その後はウイニングライブに出席して一日が終わった。
レースが明けて次の日の放課後、レース明けということで今日の練習は休みだ。だからこそどうやって過ごすか迷っていた。
真っ直ぐ帰ろうか?それともどこか寄り道して帰ろうか?そんなことを考えていると後ろから声を掛けられる。
「おや?グラスさんではありませんか!奇遇ですね!」
呼ばれたので、私は振り返ってその姿を確認する。そこに立っていたのは黒に近い茶色の髪をボブカットにしたウマ娘だった。髪の一部は染めているのかメッシュなのかは分からないが、赤色の部分がある。そして、耳にも同じ色のメンコを付けていた。
見覚えがある。カシュウチカラちゃんだ。私は挨拶を返す。
「奇遇だね~カシュウちゃ~ん。カシュウちゃんも今日はお休みなの~?」
私の言葉にカシュウちゃんは元気よく答える。
「はい!なんと言ってもレース明けですから!私は問題ありませんが、トレーナーさんが休んでおけと!」
私は彼女の様子に思わず笑みが零れる。相変わらず元気なようだ。そして、カシュウちゃんは私に対してその勢いのまま尋ねてくる。
「グラスさん!グラスさんの次のレースは春の天皇賞だとか!」
「まぁそうだね~。次で3回目の挑戦だね~」
「私も次のレースは春の天皇賞です!昨日は1着こそ逃しましたが春の天皇賞では私が勝ってみせますよ!そして今も頑張っているテン様を元気づけるんです!」
カシュウちゃんは自信満々にそう告げた。そういえば、テンちゃんとカシュウちゃんは同郷の親戚同士だという話を聞いたことがある。
だが、負けられないというのは私も同じだ。私もその宣戦布告に応えるように告げる。
「私も負けないよ。前2つは後れをとったけど、今度は負けない。絶対に」
「……ッ!やはり凄まじい圧ですね!一瞬ですが気圧されましたよ!えぇ!本当に一瞬だけ!」
誰に言い訳しているのかは分からないが、カシュウちゃんはそう言った。
その後カシュウちゃんと別れを告げて、私はまた1人歩いていく。ボーイちゃん達はそれぞれ練習だと言っていた。そんな時、ふと頭にいい考えが浮かんだ。
「そうだ~テンちゃんのお見舞いに行こう~」
私は学園を出てテンちゃんの病院へと向かうことにした。
私は少し寄り道をしてテンちゃんへのお土産を買った後、病院へと着いた。そのまま中に入って真っ直ぐとテンちゃんの病室へと向かう。ボーイちゃん達は周りにバレないように気を使っているらしいがその辺私は問題はない。ここは私も脚の検査のために利用している病院であるため、たとえマスコミにバレようとも脚の検査に来たと言えばいいのだ。喜ぶことではないのだが。
私はテンちゃんの病室の前に着く。そんな時、丁度私の反対側から神藤さんが来たのが見えた。向こうが挨拶してくる。
「ようグリーングラス。テンポイントのお見舞いか?」
「こんにちは~神藤さ~ん。そうだよ~テンちゃんのお見舞~い」
「いつも悪いな」
「なんの~。友達だし~それに心配ですから~」
そんな会話を挟みながら病室の扉を開ける。中ではテンちゃんが本を読んでいた。こちらに気づくと笑みを浮かべながら挨拶をしてくる。
「グラス、今日は調子ええんか?」
「やぁ~テンちゃ~ん。う~ん……そこそこかな~?」
「今日も調子良くないんかい」
私の言葉にテンちゃんは笑いながらツッコミを入れる。私もそれに笑顔で答えた。
「冗談じょうだ~ん。いい調子だよ~昨日のレース負けたけど~」
「微妙に触れずらい自虐ネタやめーや」
私はお土産をテーブルに置いてソファに座る。気になっていることをテンちゃんに尋ねた。
「私の方もだけど~テンちゃんの方はどうなの~?調子はいい感じ~?」
そう尋ねると、テンちゃんはよくぞ聞いてくれましたとばかりに顔を輝かせる。余程いいことがあったのだろうか?そう思っていると、テンション高くテンちゃんは答える。
「ふっふーん!ボクはええ調子やで!なんてたって完全復活の可能性が上がった言われたからな!」
可能性が上がった。その言葉に喜びを覚えながらも興奮を抑えてテンちゃんに問いかける。
「おぉ~!それでそれで~?どれくらい上がったの~?」
「最高2パーセントやったんが5パーセントぐらいになったわ!」
「……ほとんど上がってなくな~い?」
思わずズッコケそうになった。ほとんど上がってなかったからだ。向こうもそれが分かっているのか苦笑いを浮かべている。まあ可能性が上がったのは確かなので喜ばしいことではあるのだが。
それからしばらく神藤さんを交えて世間話に花を咲かせていると、扉を開けて誰かが入ってくる。入ってきたのは医者の人だった。
テンちゃんは少し寂しそうな表情を見せて私に告げる。
「スマンなグラス。ボクこん後リハビリなんよ」
私は寂しそうな表情をしているテンちゃんに気にしないように言う。
「いいよいいよ~。テンちゃんが元気なのは伝わったから~。じゃあ私はこれで~」
「待ってくれグリーングラス」
帰ろうとしたところ、神藤さんに呼び止められた。一体どうしたのだろうか?すると神藤さんは続ける。
「良かったら、テンポイントのリハビリを見ていくか?」
「……どういうこと~?」
「別に深い意味はないさ。断ってくれても構わない。先生、見る分には大丈夫ですか?」
神藤さんの言葉に医者の人は頷いて答える。
「構いませんよ。ただし、リハビリの場所は他言無用という条件付きですが」
「う~ん……」
正直、このまま帰ってもやることがないのは確かだ。それに少し興味がある。テンちゃんのリハビリがどんなものなのか。
結局私は好奇心から神藤さんの提案を承諾する。
「じゃあ~お言葉に甘えさせてもらいましょう~。リハビリを見学しま~す」
医者の人と神藤さんからの許可も貰ったので見学させてもらうことにした。私は神藤さん達に連れられるままリハビリ施設へと移動する。
リハビリを見学すること1時間ほど。私は目の前に広がる光景に言葉が出なかった。ただ口を手で押さえて目の前でリハビリに励んでいる友達の姿を見る。
友達が入会しているテンちゃんのファンクラブでリハビリの経過報告などが上げられていたので順調そうだということは知っていた。ただ、リハビリの様子などは写真がなくリハビリが終わった後の病室での写真しかなかったためどんなリハビリをしているかまでは知らなかった。何となく、普通のリハビリと変わらないだろうと、そう高をくくっていた。
確かに普通のリハビリと変わらないメニューであったのは確かだ。だが、目の前にいるテンちゃんは痛みに耐えるように呻いている。
「ギィ……ッ、グ……うぅ……!ッあぐっ!」
痛みに耐えかねてか、テンちゃんは倒れ込んだ。もう何度目か分からない。思わず目を逸らす。目を逸らしている間にも、テンちゃんは辛そうな声を上げていた。
何とか気持ちに整理をつけて視線をテンちゃんに向けると、テンちゃんはまた手すりを頼りに立ち上がっていた。そして、先程と同じように左足に負荷をかけていく。また、倒れた。倒れる度に、また起き上がる。
(……なに、これ……?写真のテンちゃんはずっと笑顔だったのに……!)
リハビリは、毎日こんなことを繰り返しているのか?いや、毎日ではないだろう。けど、それでも週の半分以上はリハビリをしているはずだ。毎回、こんなことをやっているのだろうか?そう考えた時、私の身体は震えた。そして、先程のテンちゃんの言葉を思い出す。
『ボクはええ調子やで!なんてたって完全復活の可能性が上がった言われたからな!』
『最高2パーセントやったんが5パーセントぐらいになったわ!』
テンちゃんは、笑顔でそう言っていた。その笑顔の意味が今分かった。それと同時に、テンちゃんに対して尊敬の感情も湧き上がる。
(普通だったら、こんなに頑張ってるのに数パーセントしか完全復活の見込みがないなんて言われたら諦めたっておかしくない……。でも、テンちゃんは……)
諦めずに今も必死にあがいている。たとえ先が見えなくても、またレースで走るために必死に頑張っている。その思いに、私は尊敬の感情が湧き上がった。
そこからさらに時間は経って、医者の人がストップをかける。
「今日はここまでにしましょうテンポイントさん。お疲れ様でした」
テンちゃんはその言葉に息も絶え絶えに返事をした。
「はぁ……はぁ……ッ!きょう、も……おお、き、に……です……!」
そんなテンちゃんに、神藤さんはすぐさま駆け寄って車椅子に移動させる。私はその光景を見ているだけだった。
リハビリ施設から移動して、テンちゃんの病室に戻ってくる。医者の人は経過報告をした後退室した。病室に静寂が訪れる。
私が無言でいると、テンちゃんが苦笑いを浮かべながら私に話しかけてきた。
「あ~……驚いた?」
「……うん。すっごく。毎回あんな感じなの?」
「……やな。毎回あんな感じや」
「そっか……」
また、無言になる。私はテンちゃんの姿を改めて見てみた。
細い。こうしてしっかりと見ることで分かった。有マ記念の時の姿からかけ離れている。華奢な雰囲気に逆戻りしていた。そして、この身体でテンちゃんはリハビリを頑張っていた。
私は、昨日のレースの時に頭によぎった考えを思い出して、恥ずかしくなった。テンちゃんは、自分の友達は、自分よりも酷い状況だっていうのに……、
(私は脚の状態が悪いことを言い訳にしそうになったなんて……ッ!今思い出すだけでも恥ずかしい!)
そう自分を叱責する。
私は考えを改める。もう脚を言い訳になんてしない。そう心に誓う。そして、テンちゃんのために何かできることはないかと考える。そんな時、放課後のカシュウちゃんとの会話を思い出した。
『私も次のレースは春の天皇賞です!昨日は1着こそ逃しましたが春の天皇賞では私が勝ってみせますよ!そして今も頑張っているテン様を元気づけるんです!』
……そうだ、春の天皇賞。私の大目標でもあるこのレース。このレースで勝って、テンちゃんを……!
考えが纏まったのでテンちゃんの方を見る。私が無言なことを心配しているのか、テンちゃんは話題を探そうとしているような仕草を見せていた。思わず笑みが零れそうになったが、気持ちを引き締めて私はテンちゃんに話しかける。
「ねぇ、テンちゃん」
「ど、どうしたんやグラス?」
「テンちゃんはさ、春の天皇賞見に来れるかな?」
「春天?う~ん……」
テンちゃんは神藤さんの方を見た。神藤さんは頷きながら答える。
「何か、考えがあるんだろう?グリーングラス」
「……うん。絶対に、見に来て欲しい。ダメかな?」
私は神藤さんを真っ直ぐに見据える。すると、神藤さんは苦笑いしながら答えた。
「分かった。俺の方で何とかしよう。春の天皇賞、絶対に見に行く」
「ありがとう。神藤さん」
私は頭を深く下げてお礼を言った。改めてテンちゃんの方に向き直る。
「と、いうことだけど……」
テンちゃんは微笑みながら答える。
「うん。トレーナーが言うんやったら、絶対に大丈夫や。見に行くで、グラスの天皇賞」
「……ありがとう、テンちゃん。見ててね」
私は一拍おいて、告げる。
「絶対に勝つ。1着を取って、私なりのエールをテンちゃんに贈るよ」
絶対に勝つという覚悟を持って、テンちゃんにそう宣言した。
次の日の朝、私はトレーナー室を訪れる。沖野トレーナーが座っていた。その姿を確認して、私は沖野トレーナーの下へと歩を進める。
向こうもこちらに気づく。そして、私の雰囲気を感じ取ってか表情を引き締めながら問いかけてきた。
「おはようさんグラス。……で?どうした?」
「おはようトレーナー。……今日から練習を再開してもらっていいかな?」
私の言葉に、沖野トレーナーは難色を示す。
「今日からか?つってもなぁ……」
「お願い」
「……テンポイント絡みか?」
私は頷いて、昨日のように宣言する。
「次の春の天皇賞だけは絶対に負けられない。だから、脚のことを言い訳になんてしている場合じゃない」
覚悟を持って私はそう告げた。沖野トレーナーは頭を掻いて答える。
「……よーし、分かった!なら、今日から春の天皇賞に向けて練習を始めるぞ!」
「……ありがとう、トレーナー」
気にすんな、とだけ言ってトレーナーは笑った。
次の春の天皇賞、3度目の挑戦。そして、テンちゃんに私なりのエールを贈るために。
(絶対に……勝つ!)
そう心に誓った。
来週のウマゆるが今から楽しみです。