そろそろ月が明けそうな5月末。天気は生憎の雨模様である。百貨店で買い物をした帰り道、俺は傘を差しながら歩いている。
「しかし朝から降ってるなぁ。そろそろ6月だし、梅雨入りももうすぐってとこか?」
連日のように降るのはさすがに勘弁だが、こうしてたまに降る分にはいい気がする。少し楽しさを感じながら、俺は学園へと戻っていた。
そうして学園へと戻る道中の公園。俺は見知った顔、というほど会ってはいないが見たことがある少女が歩いているのを見た。俺はその少女を思わず注視した。
ただ歩いているだけなら気にも留めないだろう。だが、その少女は雨の中傘もささずに歩いていたのだ。しかも、こちらにも聞こえるほどの鼻歌を歌いながらとても楽しそうに歩いている。まるで晴れた日に散歩をするように。
そのことに驚きながらも俺は彼女に声を掛ける。
「よう、ミスターシービー。……何してんだ?お前」
彼女、ミスターシービーは俺の方を向いてあっけらかんと答える。
「こんにちは、神藤トレーナー。見ての通りお散歩だよ?後私のことはシービーで良いよ。みんなそう呼んでるし」
「……こんな雨の中どうしてだ?シービー」
「散歩の気分だったから。その気分の時にたまたま雨が降ってただけの話だよ」
前にテンポイントに聞いたことを思い出す。ミスターシービーは自分の感性で動くタイプだと。つまりこの雨の中散歩しているのもそういうことなのだろう。俺は納得する。
ならば、別に散歩を止める必要はないだろう。本人が散歩したいという気分で散歩をしているというのに、それを横からあれこれ言って止める必要はない。
だが、雨で濡れて風邪を引くのはよろしくない。鞄から包装された未開封のタオルを取り出し、シービーに手渡す。
「そうか。ならこのタオルをやろう。風邪ひかないように気をつけろよ?」
シービーはそのタオルをキョトンとした表情で受け取った。俺はその場を去ろうとする。しかし、その去り際。
「止めないんだ?アタシが散歩するのを」
シービーからそう呼び止められる。振り向いて彼女の顔を見てみると、先程とは違い、どことなく楽しそうな表情を浮かべていた。
俺は当たり前のように答える。
「本人が楽しんでるのに、止める必要なんかないだろ。風邪引くのは困るからタオルは渡しとくけどな」
「ふ~ん……」
俺の答えを聞いたシービーは、興味深いものを見る目で俺を見ていた。それと同時に、何かを考えている素振りを見せる。一応、俺はその場で律儀に待っていた。
やがて考えが纏まったのか、手を一叩きした後俺に話しかけてくる。
「そうだ!キミも一緒に散歩しない?」
「断る。雨だし、スーツが汚れるだろ」
俺はそう即決した。しかしシービーは俺の答えに聞く耳を持たずだった。俺の目の前に立ち、悪戯をする子供のような表情を浮かべている。俺はその表情に嫌なものを覚えた。
次の瞬間、シービーが俺の傘を奪い取ってすぐさま傘を閉じる。一瞬のこと過ぎて普通に傘を取られてしまった。俺が呆気に取られていると、シービーが俺の傘を掲げながら楽しそうな声で告げる。
「ホラホラ!傘を取り戻したかったらアタシを追いかけてくることだね!」
そう言ってシービーは逃走する。彼女の声で我に返った俺はすぐさまシービーを追いかけた。
「待ちやがれ!シービー!傘を返せ!」
「フフン、じゃあ頑張ってアタシに追いついてね!」
「ウマ娘のお前に人間の俺が勝てるわけねぇだろ!?」
「大丈夫大丈夫!ちゃんと加減して走るからさ!」
そのまま、俺は雨に打たれながらシービーを追いかけ続けた。
シービーを追いかけること十数分、気づいたら公園からは大分離れた位置にあるところに来ていた。シービーの言葉通り、彼女は加減して走っていたため何とか追いついた俺は彼女の手から傘を取り戻すことに成功する。
俺は息を少し切らしながらシービーに窘めるように話しかける。
「ったく。急に傘を奪って逃走しやがって……。何のつもりだよ」
シービーは少しバツが悪そうに答えた。
「ゴメンゴメン。でも、ちゃんと加減して走ってたでしょ?」
「そういう問題じゃないだろ」
呆れながらも俺は取り戻した傘をさそうとする……が、止める。先程の追いかけっこで大分濡れてしまった。これでは傘をさしても大した差はないだろう。そう考えた俺は傘をささずにそのまま歩き始める。シービーは、その隣を歩き始めた。
隣にいるシービーが俺に話しかけてくる。
「ねぇ、傘はささないの?せっかく取り戻したのに」
「ここまで濡れてたら、さしてもささなくても一緒だろ。だからささない」
「ふ~ん。鞄の中身はいいの?」
「別に書類が入ってるわけでもないしな。中身もほぼ空だし、濡れても問題はない」
「そうなんだ。空の鞄持ち歩いてるって中々変な人だね、キミ」
「雨の中散歩しているお前には言われたくないな」
「違いないね」
そんな他愛もない話をする。
ふと思い出したように、シービーが俺に尋ねてきた。
「そういえばさ、キミはどうしてアタシの散歩を止めなかったの?他の人はすぐ止めてきたのに」
俺はさっきと同じ答えをシービーに聞かせる。
「さっきも言ったが、本人が楽しそうにしているのに止める必要はないと思ったからだ。楽しんでるのに止めるってのは無粋だろ?理由はそれだけだよ」
「そうなんだ。じゃあさ、アタシが傘を持って逃走した時も、そして今もそんなに怒ってないよね?それはどうして?」
「う~ん……。別に怒ることでもないしな。雨に濡れたけど、それだけだし」
「中々変わってるね、キミ」
「よく言われるよ」
シービーは楽しそうに笑っていた。
楽しそうに笑っているシービーに、俺は自分の考えを伝える。
「それに、方法は強引だったが自分と同じ気持ちを味わってほしかったんだろ?雨の中で楽しく散歩している自分と同じ気持ちを」
「そうだね。せっかくだからこの気持ちを共有したくてね。アタシが雨の中散歩しているのは今日が初めてじゃないけど、止めなかったのはキミだけだったし」
「ま、だから別に怒る気はない。お前が良かれと思ってやったことだからな」
「へぇ……」
「後、こうして雨の中散歩するというのもたまには悪くない。今度はスーツじゃない時にやってみるか」
俺の言葉に、シービーは可笑しそうに笑う。
「中々どころじゃないね。かなり変わってるね、神藤トレーナーは」
「……よく言われるよ」
少し不満を感じながらも俺は答える。
シービーが再度俺に尋ねてきた。
「そういえばキミはさ、テンポイントさんのトレーナーだよね?どう?あの人は復帰できそう?」
それはテンポイントのことだった。俺は自信満々に答える。
「できるさ。そのために今も頑張っている」
俺の言葉にシービーは不思議そうな表情を浮かべている。そして、俺に聞いてきた。
「確かさ、医者の人が言うには復帰は絶望的だったんでしょ?それに、骨折したのは運命だったって。クインさんがそう言ってたよ」
「……あぁ、そうだな」
「それってさ、捉えようによってはここで走るのを諦めなさいって意味にも取れると思うんだけど。諦めようとは思わなかったの?」
「……」
別にシービーに悪気はないのだろう。ただ気になったから聞いただけ。それだけだ。だからこそ、俺は冷静に答える。
「テンポイントが諦めない限り、俺も諦めない。それだけさ」
「たとえそれが運命だったとしても?」
俺は不敵に笑いながら答える。
「上等だ。だったらそんな運命、俺達でぶっ壊してやるさ」
「わーお、中二病チックだね。でもアタシは好きだよ、そういうの」
「男の子はみんな好きだからな、かっこいいのが。それに、運命なんてもので全部の物事を片付けられるのは嫌だろ?」
「違いないね。アタシも多分同じことするだろうし」
俺達はお互いに笑いあう。
会話がひと段落したところで、俺はテンポイントから聞いて気になっていたことをシービーに尋ねる。
「そういえばシービー。お前確かリギルとハダルから勧誘されてたのに蹴ったんだって?」
「知ってたんだ。気になる?」
俺は自分の思っていることを素直に答える。
「滅茶苦茶に気になる。あの2チームから直々にスカウトされるってことはそれだけ実力があるって認められてるんだろ?なのにどうして勧誘を蹴ったんだろうなって」
俺の言葉に、シービーは答える。難しい顔をしていた。
「別に深い理由はないんだよね。リギルは束縛されそうだし、だからといってハダルもなんか違うし。アタシはアタシらしく走らせてくれるチームに入りたいんだ」
「ふ~ん。ならスピカなんていいんじゃないか?沖野さんのとこなんだけど、あの人は基本ウマ娘側のやりたいように走らせているし」
まぁ、何でもかんでもウマ娘側に任せっきりなせいでいい加減なトレーナーに見られがちなのが玉に瑕なのだが。ただ、沖野さんも沖野さんなりの考えがあっての指導方針だろうし助け船はちゃんと出している。願わくば沖野さんがいい加減なトレーナーだという誤解が解けることを祈るばかりだ。
俺の言葉にシービーはあっけらかんと答える。
「スピカも違うかな~?あそこは自由に走らせてくれるけど、そこにアタシが望んでいる走りがある気がしないんだよね。ただの勘だけど」
「勘かよ」
俺は多分苦笑いを浮かべているだろう。俺の表情を見たシービーも苦笑いを浮かべていた。
シービーは続ける。
「まぁ、目下チーム探しは継続中かな?ビビッと来たチームに入るよ」
「そうか。いいチームが見つかるといいな」
「……フフっ」
俺の言葉にシービーは意味深に笑った。俺はその表情の意味が分からず、頭に疑問が出てくる。しかし、それを聞く前にシービーは俺から距離を取って告げる。
「じゃあ、アタシこっちだから」
「お、そうか。じゃあここでサヨナラだな」
「そうだね。じゃあねミスター神藤」
……ミスター神藤?さっきまではキミとか神藤トレーナーと呼んでいたのに、シービーは急に呼び方を変えた。そのことを問いかけようとするも。
「じゃーねー。タオルは洗って返すよー」
シービーはさっさとどっかにいってしまった。なんだか釈然としない気持ちになったが、俺もこのままでいたら風邪を引くだろう。
「……とりあえず、1回学園に戻って着替えを取りに行くか。その後銭湯にでも行こう」
そう思った俺は、トレセン学園へと歩を進めた。
アタシは鼻歌を歌いながら帰路につく。上機嫌にスキップを踏んでいた。その帰路につく途中、見知った人物と出会った。向こうもこちらに気づく。そして、驚きに満ちた顔でアタシを見る。
その人物はこちらに近づいてくると、開口一番アタシを叱る。
「もう!シービー!あなたはまたこの雨の中散歩していたのですね!風邪を引くからお止めなさいっていつも言っているでしょう!?」
親が子供を叱りつけるように怒るその人物の言葉に、アタシはあっけらかんと答える。
「ゴメンゴメン。でも、散歩したい気分だったから」
「いつもそう言ってるじゃありませんか!ほら、早く傘の中に入って!一緒に帰りましょう!」
「え~?こんなに濡れてたらもう関係ないと思うけど」
「シービー?」
アタシを叱る人物、クインさんの圧が増した。これ以上怒らせるのも良くないと判断したアタシは素直に傘の中に入る……が、アタシの方が身長が高いのでアタシが傘を持つことにする。
歩くこと数分、アタシたちが住んでいるマンションへと到着した。もっとも、部屋は違うのだが。
クインさんが心配するようにアタシに話しかけてくる。
「早く部屋に戻ってお風呂に入りましょう。あぁでも、その前にタオルですね。濡れた身体を拭かないと」
「あぁ大丈夫。タオルなら持ってるから」
そう言ってアタシはさっき貰った未開封のタオルを取り出す。そのタオルを見て、クインさんは驚いていた。
「どうしたのですか?そのタオルは?」
「ん~?親切な人から貰った。洗濯して返しに行くよ」
「そうですか……」
クインさんは納得したのか、それ以上は追及してこなかった。アタシは濡れた身体を拭いてマンションの自分の部屋に入ってお風呂の支度をする。クインさんはアタシの部屋で時間を潰していた。
お風呂から上がったアタシの髪をドライヤーで乾かしながら、クインさんは先程の散歩の件を聞いていた。
「そういえばシービー。今日はいつも以上に上機嫌でしたね。何かいいことでもあったのですか?」
アタシは正直に答える。
「うん。面白い人に会ってね。その人と一緒に散歩してたんだ」
「散歩ですか……この雨の中、しかも他人を巻き込んでいたのですね?あなたは」
クインさんの声色が低くなる。アタシは急いで弁明した。
「だ、大丈夫。向こうも楽しかったって言ってくれたからさ。迷惑はかけてないよ?」
「そういう問題じゃありません!全くあなたは……」
クインさんからお小言を貰いながらも、髪を乾かしてもらう。
髪を乾かしてもらった後、アタシは冷蔵庫へと向かい中から飲み物を取り出す。飲み物を飲んでいるアタシに、クインさんが再度尋ねてきた。
「シービー。あなたスピカからの誘いも断ったそうですね?」
「ん~?そうだね、断ったよ」
ミスター神藤は何も知らなかっただろうが、アタシはすでにスピカにもスカウトされていた。まぁクインさんの言う通り、断ったのだが。理由は単純で、ビビッとこなかったから。それだけだ。
アタシの言葉に、クインさんは溜息を吐いた。
「ハァ……。スピカにはグリーングラス様もおりますし、何よりもウマ娘側の意思を尊重しています。何が気に入らなかったのですか?」
「ビビッとこなかったから?」
「……あなたが気に入るトレーナーは、今後現れるのでしょうか?私は心配です」
アタシはクインさんを心配させないように答える。
「大丈夫だよクインさん。その内見つかるからさ」
「そうでしょうか?」
「うん。何となく、そんな感じがする」
アタシはあっけらかんと答えた。クインさんは苦笑いを浮かべながらも答える。
「いつか見つかるといいですね。あなたのトレーナー」
クインさんの言葉にアタシは頷く。外はいつの間にか雨が上がっていた。
ミスターシービーを相手にするときだけ口調がお母さんのそれになるシービークイン。ただの私の性癖です。