6月初めの今日。ボクは病院……ではなく、車椅子に乗りながらトレーナーと一緒に変装をして阪神レース場へと足を運んでいた。5月の半ば頃には医者の先生から松葉杖での移動も大丈夫というお墨付きをもらっているものの、場所が関西ということから車椅子での移動となった。天気は生憎の曇り空である。
何故阪神レース場に足を運んでいるのか?その理由は単純で、今日ここで宝塚記念が開催されるからである。元々見に来る予定はなかったのだが、数日前ジョージに、
『宝塚 絶対。こない ヨヨヨ』
……と、絶対に見に来るように言われたため、こうして訪れている。病院のベッドで見るよりは実際にレースを見る方が楽しいので構わないのだが。現に今ボクは出走の時を楽しみにしている。
レース場の観客席で出走する子たちが本バ場入場してくるのを待ちながら、ボクはトレーナーと小声で会話をする。
「……確か、今回は7人出走やったっけ?ジョージの他にはグラスとホクト、後はクラウンピラードも出走するんやったか?……」
「……そうだな。天皇賞ウマ娘3人によるレース、なんて意見もチラホラある。人気もこの3人が突き抜けてるな……」
「……1番人気はファン投票1位のグラス、2番人気はジョージ、3番人気はホクトやったな。ホクトは京都と鳴尾でジョージに負けとるんが響いたんかな?……」
「……だろうな。後はグリーングラスは前の春天を勝ってるからそれ込みでの1番人気なんだろう。エリモジョージは出走する瞬間まで分からんからな……」
「……天皇賞ウマ娘3人の対決、か……」
この3人に注目が集まりがちだが、他も負けていない。大阪杯でホクトを破ったキングラナークや天皇賞を連続で2着に入ったクラウンピラードなどがいる。天皇賞ウマ娘と言えども、油断はできないだろう。
そう話していると、本バ場入場が始まった。ウマ娘が続々とターフの上に姿を現す。ボクは少し緊張しながらその様子を見ていた。
1人、また1人と入場してきてそれぞれウォーミングアップをしている。そして、最後にジョージが入場してきた。相変わらず、ぼうっとした表情をしていた。
しかし、突然こちらを向いたと思ったら少しだけ笑みを浮かべてこちらに手を振ってくる。笑顔は見る人が見れば分かる程度の差異だが、ボクには分かった。多分だけど、ボクを見て嬉しくなったのだろう。ジョージにこの変装を見せるのは初めてのはずなのだが、よく分かったものだ。少し驚く。
あまり反応を返すのはよろしくないのかもしれないが、一応ボクも手を振って答える。するとジョージは満足げな表情をしてウォーミングアップを始める。
ボクはトレーナーに小声で話しかける。
「……一応、ジョージはボクの変装見るんは初めてのはずなんやけど、よう判ったなジョージ……」
「……エリモジョージの勘は鋭いのかもしれないな。本当によく判ったとは思うが……」
「……まぁええわ。みんな特に調子は悪くなさそうやな。グラスも脚の調子は悪うない言うてたし、ホクトもええ仕上がりや……」
「……あぁ。後はエリモジョージだけだな……」
そこまで話したところで、レース場に実況と解説の人達の声が響く。
《天気は生憎の曇り模様。距離2200m、芝の状態は重バ場と発表されています阪神レース場第9R宝塚記念!夏のグランプリレースを制するのは誰か!今出走するウマ娘達が続々とゲートに入っていきます!》
《今回の宝塚記念は7人と少数ながらも天皇賞ウマ娘が3人も出走しています。豪華な顔ぶれとなっていますね》
《それでは3番人気のウマ娘の紹介から入りましょう!3番人気は6枠6番ホクトボーイ!パドックではいい仕上がりを見せ調子もよさそうです!》
《京都記念と鳴尾記念では本レースにも出走しているエリモジョージに敗れています。今日はその雪辱を果たしたいところ》
《次に2番人気のウマ娘の紹介に入ります!2番人気は7枠7番エリモジョージ!逃げウマ娘の彼女にとっては不利となる大外枠での出走!これがどう響くか気になるところ!》
《2連勝で迎えた今回の宝塚記念です。しかしこのウマ娘程前のレースがあてにならないウマ娘もいないでしょう。今日もその気まぐれ逃げは炸裂するのか?》
《1番人気のウマ娘の紹介です!1番人気はこのウマ娘!3枠3番グリーングラス!前走の春の天皇賞を勝利しての本レース!今日はどのようなレースを見せてくれるのか!》
《不安視されていた脚の調子も悪くないとは本人談。逃げウマ娘エリモジョージを見事に差し切ることはできるのか?注目ですね》
《今7人のウマ娘全員がゲートに入りました。グランプリレース宝塚記念が今……》
ボクは出走の瞬間を今か今かと待ちわびる。他の観客達も一緒だろう。静寂が阪神レース場を支配する。そして、ゲートが開いた。
《スタートです!》
宝塚記念が始まる。
宝塚記念、全員奇麗なスタートを切った。そして、その中から飛び出して先頭を取ったのはやはりジョージだった。
《各ウマ娘奇麗なスタートを切りました!エリモジョージが早くも先頭に立とうとしていますが、おぉっと大外枠から内へと切り込みました。7番エリモジョージが内へと切り込んできます。やはりハナを取って進むのはエリモジョージです》
《大外という不利を背負いましたが、特に堪えた様子を見せることなくハナを取りました。他に逃げウマ娘がいないからかもしれません。エリモジョージの一人旅です》
《エリモジョージが1番内を走っております。3番グリーングラス今日は真ん中を走っているぞ。グリーングラスは今日は真ん中だ。ホクトボーイはあまり行きません。後ろに下がっております。6番ホクトボーイは後方に控える形だ。天皇賞ウマ娘3人はそれぞれのペースで走っています》
ジョージが早くも集団から抜け出して逃げを取る。快調に飛ばして2番手であるグラスとはすでに5バ身以上は離れていた。グラスもあまり追う気はないのか積極的にはいかない様子を見せる。
スタンド正面前を走るみんなを観客の人達は歓声で迎える。声に少し驚きながらもボクはレースを見ていた。
(今日は重バ場て発表されとったし、あんまり無理に追わん方がええて判断したんやろうか?)
ボクは最初の展開からそう予測する。ジョージの逃げに付き合って自分が潰れたら元も子もない。そう判断してグラスや他の子も逃げさせているのかもしれない。
考えていると、ジョージは早々にスタンド正面を抜けて第1コーナーへと差し掛かっていた。
《……各ウマ娘がスタンド前を抜けて第1コーナーへと進みます。先頭は7番エリモジョージ、エリモジョージが先頭だ。2番手はそこから大分離れてグリーングラス。外目をついてグリーングラスが2番手です。その後ろに4番トウフクセダン、5番キングラナークと続いております》
《グリーングラス今日は外から行く様子を見せていますね。果たしてこれが後の展開にどう響くか?》
《キングラナークの後ろは内をついて1番ハシコトブキ、6番ホクトボーイと続いております。しんがりは2番のクラウンピラード。各ウマ娘が第1コーナーを回っております。ホクトボーイが外から上がっていくかどうか?またエリモジョージに逃げ切られるのだけは避けたいところです》
レースはそのまま進んでいく。
(……クソ、クソ。クソ!不味い不味い不味い!)
第3コーナーに差し掛かった今、私はそう思いながら脚を動かして走っている。ホクトちゃんがスパートをかけるのと同時、私も勝負を仕掛ける。だが、果たして間に合うかどうか。私は今そう考えていた。
(間に合うかどうかじゃない……!間に合わせろ!私の脚!)
その悪い考えを断ち切るように気合を入れなおす。しかし、ついつい考えてしまう。
この宝塚記念、私はずっとエリモジョージ先輩をマークするように動いていた。ホクトちゃんは私よりも後ろでレースを展開するし、それにどちらが怖いかと言われたらエリモジョージ先輩の方だったから。スタートからずっと先頭をキープしているエリモジョージ先輩にプレッシャーをかけながら走っていた。重バ場な上に後ろからのプレッシャーでいつも以上に体力を削られるだろう。そう考えながら。
だが、今目の前を走っている先輩の姿は疲れている様子など微塵も感じさせない。後方にいる私達を確認する余裕すらある状態だ。
そもそも何故こうなってしまったのか?驕りはなかった。油断もなかった。だが、相手は悠々と逃げている。一体どうして?疑問は尽きない。ただ今は考えるよりも脚を動かした方がいいと考え、少し思考を打ち切る。
私はいつものように内へと進路を取る。だが、不安しか感じていなかった。
(あまりにも、あまりにも楽に逃げさせ過ぎた!このままじゃ……!)
エリモジョージ先輩の独走になる。そう考えながら、私は第4コーナーのカーブを曲がって最後の直線に入っていった。
ボクは目の前に広がっている光景に驚愕しながらレースを見ている。トレーナーも同じ気持ちなのだろう。驚くような声がかすかに聞こえた。レースはすでに第4コーナーを回って最後の直線に入ったところ。決着が着こうとしている場面である。
実況も驚いたような声をしていた。
《第4コーナーを回って最後の直線に入った!先頭はエリモジョージだエリモジョージ先頭!2番手グリーングラスが内から必死に追いかける!外のホクトボーイも少しヨレたが内へと進路を取った!3番手はホクトボーイ!やはり天皇賞ウマ娘3人での決着となるか!宝塚記念!》
《しかし、前を走るエリモジョージはまだ余裕があるように感じられますね。どこにそんなスタミナを隠していたのか?》
《ホクトボーイは苦しいのかヨレている!しかし懸命に粘っておりますホクトボーイ!最後の直線に入ってグリーングラスが差を縮めましたその差は1バ身程になります!があぁっと!しかし!エリモジョージが突き放す!グリーングラスは粘っているがエリモジョージが二の足を使って突き放す!残り100mを切ってエリモジョージが突き放す!これはもう完全に決まった!エリモジョージが先頭だ!》
ボクは思わず声を漏らす。
「嘘やろ……」
結局、その後差は縮まることはなかった。
《エリモジョージ逃げ切った逃げ切った!マイペース文句なし!エリモジョージが最初から最後までマイペースに逃げ切りましたゴールイン!2着はグリーングラス!3着はホクトボーイだ!天皇賞ウマ娘3人による対決はエリモジョージの逃げ切り勝ち!》
《勝ち時計は2分14秒2……。重バ場ということもあり決して早くない時計です。しかしこれは見事な逃げ切り勝ちという他ないでしょう!》
《天皇賞で春を告げましたえりも節!今度は宝塚記念で夏を報せましたえりも節!果たして次はどのようなレースを見せてくれるのか!非常に楽しみなウマ娘です!これが気まぐれウマ娘の真骨頂!エリモジョージ堂々の1着!》
ボクは空いた口が塞がらなかった。同じ天皇賞ウマ娘であるグラスを相手に4バ身差。驚くなというのが無理だ。
トレーナーも驚いたように呟く。
「力と力でぶつかるレースになると思ったが……。それすらさせねぇとは……」
「どんだけの才能を秘めとるんや……ジョージは……」
だが、ボクは驚愕とともに内から闘志が燃え上がるのを感じる。戦ってみたい、ジョージと一緒に走ってみたい。そう思った。
そんなジョージは今、ターフの上で何かを探すように辺りを見渡している。そして、視線がボクのところで止まった。表情はどことなく嬉しそうだ。
そして、ピースサインをしながらボクの方に向かって告げる。
「勝った ブイ」
その様子に、周りにいる観客はどよめきを見せた。驚いている会話が聞こえてくる。
「お、おい。あれってファンサってやつか?」
「そ、そうじゃないか?」
「エリモジョージのファンサ……珍しいなんてもんじゃねぇぞ!?」
「今日は一体どんな気まぐれだ!?」
「しかもちょっと、本当にちょっとだけど笑ってねぇか!?」
大騒ぎである。ボクは苦笑いしながらもジョージを見つめた。手を振って応えると親しい人物だとバレてしまうので我慢する。
やがて満足したのか、ジョージはそのままどこかへと向かっていった。多分だが、ウィナーズサークルへと向かうのだろう。それを確認した後、ボクはトレーナーに小声で話しかける。トレーナーも聞きやすいように屈んだ。
「……それじゃ、早いとこ帰ろか……」
「……話しておかなくていいのか?……」
「……大丈夫や。ジョージのことやから、明日ぐらいに病院に来るやろ……」
「……ま、それもそうだな……」
そう言って、トレーナーはボクの車椅子を押して移動を始め、阪神レース場を後にする。
ジョージに言われるまま来た宝塚記念、すごい逃げ切り勝ちを見せてもらった。ボクも復帰したら……と決意を固める日となった。
後日、ボクの病室にてグラスが本気で悔しそうにしながら宝塚記念のことを話し始めてきた。
「うえーん!悔しいよー!悔しいよー、テンちゃーん!」
「お、落ち着きぃやグラス。ほら、よしよし」
「なんなのさー!あの人ー!なんかやたらテンちゃんと走り方似てたしさー!今度走る時は絶対に差し切ってやるー!」
そう悔しそうに歯噛みしていた。
ウマさんぽ毎月やってくれ。というか常設してくれ。