東京レース場最後の直線にある坂。そこでオレは勝負を仕掛けた。残っている力を振り絞ってスパートをかける。カブラヤオー先輩に並んだ。
(よし!ひとまず並んだ……ッ!後はこのまま、ぶっちぎるだけだ!)
しかし、オレが並んだのと同時、カブラヤオー先輩が叫びながらさらに速度を上げる。
「ヤダァァァァァ!?来ないでェェェェェ!?」
一体どこにそんな力を隠し持っていたのか。近づいた距離がまた離される。やっぱり、この人の力は凄い!思わず楽しさを覚えた。
だが、速度を上げるといっても疲れが出ているからたかが知れている。それに追いつけないということは、オレも脚が残っていないということだろう。しかし、問題ない。この坂を登り終わったら。
(抜かせる!)
オレは速度を維持したまま坂を駆け上がる。
坂を上り終えて、少し離れた位置に残り200mを報せるハロン棒が見えた。そこでオレはカブラヤオー先輩に完全に並んだ。
「ようやく、捕まえましたよ!カブラヤオー先輩!オレがぶっちぎります!」
「ゼェ……ゼェ……、に、逃げなきゃ、逃げなきゃぁぁぁぁぁ……」
本当にすごい根性だ。オレはカブラヤオー先輩に尊敬の念を抱く。
でも、勝つのはオレだ。そう思い、持てる力を振り絞って残り200mを駆け抜ける。そして、オレの方がわずかに前に出た。
(よし!このまま維持すれば……ッ!)
残り100m。勝てる。そう思い前を見る。
オレの、オレ達の前に、誰かが走っているのが見えた。外を走るカブラヤオー先輩のさらに外。大外からその影は、いきなり現れた。思わず目を白黒させる。カブラヤオー先輩も、多分驚いている。
頭の中が混乱していた。なんで?いつの間に?いつの間に、上がってきたんだ……!
「カイザー……?」
呟いて、我に返る。そうだ!今は驚いている場合じゃない!このままだと負ける!身体中から力をかき集めろ!なんとしてでも前を走るカイザーに追いつけ!そう思い、必死に脚を動かす。が。
(だ、ダメだ!ハイペースで走り続けたせいで思うように脚が動かねぇ!リソースも、もう残ってねぇ!)
前を走るカイザーとの差を詰めることができない。そのまま突き放される。
最終的に、1着のカイザーに2バ身差つけられる形でオレは2着になった。カブラヤオー先輩はクビ差で3着である。
オレは肩で息をしながらも、最後の直線でのことを振り返る。オレの心は、負けた悔しさよりもカイザーに対する賞賛の感情が上回っていた。
(スゲェ……ッ!あのハイペースの中で、カイザーはちゃんと脚を残してたんだ……ッ!やっぱカイザーはつえぇ!)
でも、次は負けない。そう心に誓う。
息も整ってきたので、カイザーを祝福しようと思い彼女に近づく。だが、どういうことかカイザーは勝ったというのに顔を俯かせていた。何があったのだと思い、気づく。
会場は不気味なほど静かだった。普通だったら勝者を称える歓声が上がるはずの東京レース場は、驚くくらい静まり返っていたのだ。
(もしかして……カイザーは……)
こんなのあんまりだ。勝ったというのに、称賛の声も上げられない。オレは悲しくなる。
……いや、だったら、オレだけでもカイザーを称えよう!カイザーは凄い走りをしたのだ。褒められて然るべきである。そう思い、カイザーに声を掛ける。
「カイザー、おめでとう!いやー、やっぱカイザーはつえぇな!でも、次は負けねぇかんな!」
「……」
オレの言葉に、カイザーは無反応だった。オレは訝しむ。
(そ、そんなにショックなのか?賞賛の声がないことが)
「な、なぁ、カイザー……」
カイザーの肩に手を置こうとした時、彼女が顔を上げたので表情が見える。その表情を見て、オレは思わず後ずさった。
「ヒィ!?」
情けない声まで上げる。だが、それも仕方ないと思う。
笑っていたのだ。それも、不気味に。そんな表情をしていたものだから、オレは驚いて後ずさってしまった。
「か、カイザー?」
オレはそう呟く。会場は変わらず静まり返っていた。
サマードリームトロフィー中距離部門、激戦と呼ばれるレースを制したのはカイザーだった。最後方で脚を溜め続け、最後の直線で捲り返す。そんなレースをしていた。
だが、会場は静まり返っている。ただ、小さなどよめきが聞こえてきているので、おそらく戸惑っているのだろう。まさかの伏兵に。気持ちは分からなくもない。ボクも驚いている。
ハイセイコー先輩がタケホープ先輩に尋ねる。
「……タケホープ。君は今のクライムカイザーなら未来さえも分かるといったね?」
「ん~?まぁ、厳密には違うけどぉ、似たようなことはできるねぇ」
「それは一体、どういう原理なんだい?」
おそらく、この場にいる全員が今一番聞きたいことだろう。カイザーのあの走り。おそらく生み出したのはカイザーとタケホープ先輩だ。タケホープ先輩の言葉を待つ。
「単純さぁ」
そう前置きして、タケホープ先輩は続ける。
「前を走るウマ娘の一挙手一投足を観察してぇ、次にどう動くのかぁ、何を考えているのかぁ、どこで息を入れるのかぁ。それらを瞬時に判断したのさぁ。カイちゃんはねぇ」
「……それだけ、ですか?」
「大雑把に言えばねぇ。ただぁ、それ自体は誰でもできるしぃ、後方でレースを展開する子にとってはぁ、できて当たり前の芸当さぁ」
「それだけじゃないってことですか~?」
グラスの質問にタケホープ先輩は頷く。
「カイちゃんに見えているのはぁ、1人だけじゃないってことさぁ。それこそぉ、レースを走る全員の場所すら分かっていたんじゃないかなぁ?そしてぇ、全員の位置・動き・タイミングを計れたからこそぉ、寸分の迷いもなくあの進路を取ることができたぁ。わざわざ間を抜けるように走ってたのもぉ、どのタイミングでどう動くかが分かっているからこそ……だろうねぇ」
「……そんなこと可能なのか?」
トレーナーが尋ねる。タケホープ先輩は苦笑いを浮かべながら答える。
「これはさすがに言いすぎかもしれないけどぉ、審議のランプすら灯ってないんだからぁ、できててもおかしくはないさぁ」
「だが、気になることはもう一つある。なんで後方のやつらは全然伸びてこなかったんだ?クライムカイザーがあれだけ脚を溜めることができたんだ。他のやつらだって脚は残ってるはずだ」
沖野トレーナーの質問に、タケホープ先輩は少し悩む素振りを見せた後、口を開く。
「そうだねぇ。グリーングラス、ちょっち深呼吸してくれるかぁい?」
「へ?私~?まあいいですけど~」
言われるままにグラスは深呼吸をする。その瞬間。
「ワッ!!」
「わぁっ!?」
タケホープ先輩がグラスを驚かせた。虚を突かれたであろうグラスは驚きながらもタケホープ先輩に抗議する。
「な、なんですか!いきなり!ビックリしたじゃないですか~!」
「ごめんねぇ。でもぉ、簡単に言えばぁ、これがカイちゃんのやったことさぁ」
先輩の言葉に、ボクとグラス、クインは頭に疑問符を浮かべる。だが、沖野トレーナーは合点がいったのか、頷いていた。
「……成程な。相手が息を入れるタイミングを見計らって仕掛けた、ってことか」
「どういうこと~?おきの~ん」
「簡単だグラス。お前、今からスパートを仕掛けるぞ!ってタイミングで気合を入れるよな?そんな時、後ろから急に抜かされたらどう思う?」
「う~ん、普通なら焦っちゃうかな~?」
「そうだな。じゃあ次はどうする?」
「そりゃ~、抜かし返すために~……!」
そこまで言って、グラスは気づいたらしい。納得のいった表情を浮かべている。ボクも、この言葉を聞いて合点がいった。
普通、これからスパートだというタイミングで抜かされたら焦るだろう。仕掛けるタイミングが遅かったか、そう思うはずだ。そしたら次は焦る。焦って、ムキになってスピードを上げる。だが……。
「焦って走って、普通に走る時とはリズムが狂う。違うリズムで走るといつも以上に体力を消費するし、思った以上にスピードは上がらねぇ。加えてこのハイペース、スタミナも脚も残ってねぇんだから尚更だ」
「そういうことさぁ。だから最後の直線はぁ、みんな思ったように伸びてこなかった、というわけさぁ」
「そういうからくりか……」
トレーナーは納得していた。
次はボクがタケホープ先輩に質問する。
「やけど、いくら分かっとっても、普通やったら間に合わんくないです?見てから判断してたら走行妨害取られますよね?あの進路やと、0.1秒の遅れでも妨害取られますし」
「それも簡単さぁ。カイちゃんはぁ、反射で動いてるものぉ」
「反射で?」
ボクがそう聞き返すと、タケホープ先輩は頷きながら答える。
「見て、考えて動くんじゃあ遅い。だからぁ、考える時間を極限まで削ってぇ、見て動くのさぁ。いわゆるぅ、直感で動くってやつだねぇ」
「……そんなこと可能なのかい?」
ハイセイコー先輩がそう尋ねる。タケホープ先輩はこともなげに答えた。
「現実問題できてるじゃあないかぁ。それが答えだよぉ」
その言葉には不思議な説得力があった。ボクは納得してそれ以上は何も言わない。
だが、そうなると今度は別の疑問が湧いてくる。その疑問を、クインがぶつけていた。
「で、では。クライムカイザー様はどうしてトゥインクルシリーズではこの走りをしなかったのでしょうか?そうすれば、もっと勝てていたと思うのですが……」
「う~ん……今日の勝ちはぁ、展開のおかげってのもあるけどぉ」
少し言いづらそうにして、やがて決心したのかタケホープ先輩が話始める。
「カイちゃんはぁ、考え過ぎちゃうのさぁ。もっといい走りがあるはずだぁ、こんなリスクを取らなくても別の策があるはずだぁ。そう考えてしまってぇ、今日のような走りをしてこなかったぁ。自信もなくてぇ自己評価も低いからねぇ。加えてぇ、もしぶつかって怪我をさせたらどうしよう、そう考えたらぁ、今日のような走りはできなかったのさぁ」
「考えすぎる性格が仇になったっちゅうことですか……」
「そうだねぇ。だからぁ、私はその考えを一から矯正したのさぁ。自信がないならぁ、自信をつけさせればいい。無理矢理にでも自信をつけさせるための特訓を私はさせてきたからねぇ。その結果ぁ、あの無茶苦茶な進路を取るまでに成長したぁ。普通の子にはできない、他人をよく見ていてぇ色々なことを考えすぎるカイちゃんだからこそ可能な走りさぁ」
「クライムカイザー様が毎日のようにボロボロになっていたのは、そういうことだったのですね……」
クインはそう納得する。タケホープ先輩が締めるように告げた。
「まぁ、カイちゃんはまだまだこれからさぁ。今回の勝ちはぁ、あくまでハイペースで展開されたおかげぇ。次からはぁ、自分の思ったような展開にさせるためにぃ、また特訓を重ねないとねぇ」
そう言って、タケホープ先輩は慈しむようにターフの上で静かに佇んでいるカイザーを見る。ボク達もつられてカイザーの方を見た。近くにはボーイがいる。
……ただ、カイザーは異様に静かだ。なんかボーイが顔に恐怖を張りつかせて飛びのいたが、一体何があったのだろうか?そう思っていると。
「くくく……!はーっはっはっは!最ッ高ですねぇ!」
突如としてカイザーが高笑いを始めた。ボクは思わず驚く。そして、カイザーの表情を見て、さらに驚いた。
彼女は笑みを浮かべている。だが、普段の彼女からは想像もつかないほど邪悪な笑みだった。突然のカイザーの豹変ぶりに何も言えないでいると、彼女はそのまま続ける。
「静まり返った会場……、まあそれも当然でしょう。だーれも私が勝つなんて思っていなかったでしょうからねぇ?でもぉ」
邪悪な笑みを浮かべたまま、カイザーは続ける。
「勝ったのは私だ!ボーイさんでも!カブラヤオー先輩でも!ましてや他の人達でもない!勝ったのはこの私!クライムカイザーだ!」
そのままカイザーは高笑いを続けた。彼女の笑い声が東京レース場に響き渡る。観客も、実況の人達も戸惑いからか何も言えなかった。いや、あまりの豹変ぶりに誰も口を開けないだろう。普段の彼女を知っているファンからしたら。
近くにいるボーイは、同じく近くにいたカブラヤオー先輩と一緒に恐怖に震えていた。
「ヒィィ!?カイザーが怖えよぉ!?」
「ヤダァァァァァ!?カイザーちゃんがタケホープ先輩みたいになってるゥゥゥゥゥ!?」
気持ちは凄い分かる。ボクも多分、同じ反応をする。というか、してる。
チラリと、タケホープ先輩の方を見る。タケホープ先輩は呟いた。
「うんうん。一皮剥けたねぇカイちゃん。私は嬉しいよぉ」
タケホープ先輩はカイザーをそう褒めた。だが、視線は明後日の方向を見ている。そのことをハイセイコー先輩が指摘した。
「おい、しっかり見ろ。現実から目を逸らすなタケホープ。あれ絶対ダメな方に一皮剝けただろ」
「……」
「黙るな!ああなったのはお前が原因だぞ!?」
「し、知らないよぉ!?私だってああなるとは思わなかったんだからぁ!」
「知らないで済ませられるか!?普段の彼女とはかけ離れすぎだろ今の彼女は!」
そんな会話を繰り広げている。グラスはというと……。
「うわーん!勝ったのは嬉しいけどカイザーちゃんが変になっちゃったよー!」
「お、落ち着いてくださいグリーングラス様!」
「あんなカイザーちゃんやだよー!元に戻ってー!」
こっちもこっちで阿鼻叫喚になっていた。トレーナーと沖野トレーナーも、なんとも言えない表情を浮かべている。
そこまで見たところで、ボクはもう一度ターフへと視線を向ける。
「はーっはっはっは!アーハッハッハッハ!」
依然として高笑いをしているカイザーを見て、笑みを浮かべながらボクは呟く。
「……勝利おめでとさん。カイザー」
「現実から目を逸らさないでよテンちゃん!?」
「ええやろ別に!ボクかて目の前の光景を信じたくないんやから!」
どこか遠くへ行ってしまったかのような友人の豹変ぶりに、ボクは目を逸らすしかなかった。
その後、カイザーの選手控室へと向かったボク達。ボク達が部屋に入ると、カイザーは地面に寝転がっていた。その状態のまま呟く。
「誰か私を殺してください……」
どうやら先程の自分のやらかしをしっかりと覚えているのだろう。元に戻ったようで何よりだが、自己嫌悪に陥っているのかとても暗い雰囲気を漂わせていた。
そんな友人に対して、ボク達はそっと肩を置くことしかできなかった。
ウマ娘3期は誰が主役になるのか?気になりますね。