アメリカからの来訪者デッドスペシメンの来日があったものの、それ以外は特に何かあったわけでもなく11月も下旬になっていた。……強いて何かあったといえば、ジョージのレースがこの前あったのだが1番人気で迎えたレースを掲示板外になったことぐらいである。これで1番人気のレースを3連敗、相も変わらずの気まぐれっぷりに時田トレーナーの胃が心配になるレベルだ。ジョージのレースはボク達も観戦しに行っていたのだが、トレーナーは時田トレーナーに同情めいた視線を送っていた。なお、レースで走っているジョージはどこ吹く風であったことは言うまでもない。
しかし、あまり人の心配をしていられないというのも事実だ。ボクの第4コーナーを曲がれないという弱点はいまだに改善できていないのだから。さすがに競歩レベルは脱したものの、それでも大幅な減速は免れない。それもレースでは致命的なレベルでだ。焦らず一歩ずつ。そう思い毎日練習しているが、<ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ>まで残り1ヶ月。さすがに焦りも生まれてしまう。
ただ悲観することばかりではない。骨折明けで歪になっていたフォームが元に戻り、落ちた筋力も元通りというとこまで来たのだ。なので、第4コーナーを除いたタイムでは前と同じところまで戻すことができた。その日はトレーナーと一緒に大喜びしたのを覚えている。これで問題はただ1つ。トラウマの克服のみとなった。
今は授業も終わって放課後。ボクはトラウマ克服に向けた練習をしている。2400mの距離を走り、第4コーナーへと差し掛かろうかというところだ。減速しながら第4コーナーへと入っていく。
(前はこんぐらいやったから、もうちょい速度を上げて……ッ!)
トラウマを刺激しないレベルまで、ただ前回よりは速く。それを心がけて第4コーナーを曲がろうと気合を入れる。結果は……、曲がることができた。そのまま最後の直線へと入って徐々にスピードを上げていく。ボクの心は喜びで溢れていた。
(これで、また一歩進んだ!)
小さな一歩。それでも進んだことには変わりはない。ボクは喜びながら最後の直線を駆け抜けてゴールまで走る。
ゴールして息を整えた後、ボクはトレーナーのところへと戻っていった。ボクが駆け寄ってくると、トレーナーはいつものように休憩用にタオルとドリンクを渡してくる。お礼を言って受け取り、汗を拭きながら給水しつつ先程の走りの反省をすることになった。
「前よりもスピードを上げて突入することはできたが……順調とは言い難いな」
トレーナーは言いにくそうにしていたが、意を決したようにそう告げた。その言葉に、ボクも苦笑いしながら返す。
「競歩は脱したいうても、それでもまだ致命的なぐらい遅いもんな。おまけに、競歩を脱するんはそこまでかからんかったけど……」
「今回は2週間近くかけてようやく、だ。元のタイムと比較してもかなり遅い」
そう言いながらトレーナーはボクが怪我をする前のタイムと怪我をした後のタイムを比較した用紙を見せてきた。ボクはそれを受け取って確認する。
……簡潔に言うならば、酷いの一言だ。タイムこそ右肩上がりになってきているものの、元のタイムと比較した場合、悲惨の一言だ。第4コーナーは特に酷い。1秒や2秒程度の差ではなく、とんでもなく遅い。これが今現在のボクの状態である。
トレーナーがフォローするように告げる。
「ただ、第4コーナー以外は元のタイムに近づきつつある。だからこそ、後の問題はトラウマの克服だけといってもいいだろう」
「やな。まぁ、それが一番デカい壁なんやけど……」
「俺の方でも克服方法が他にないか伝手を頼って調べてはいるんだが……」
「近道はない……やろ?」
トレーナーは苦々しい表情を浮かべつつ、肯定するように頷いた。ボクは嘆息する。
……今になって、医者の先生が言っていた復帰できる確率は限りなく低いという言葉が身に沁みて分かってきた。トラウマの克服がそう上手くいかないだろうとは思ってはいたのだが、正直言ってボクの想像を超えていた。
何とかしたい気持ちはある。だが、有効な手立ては今やっているように地道なトレーニングのみ。そのトレーニングのみでは、年末には絶対に間に合わない。そのことに焦りが生まれる。
そこで、医者の先生からの言葉を思い出す。
「ボクの回復が早まったのは気持ちが前を向いとるから……やったな」
「うん?あぁ、確かにそう言っていたな」
「う~ん……あん時みたいに気持ちは前を向いとると思うんやけどなぁ」
何か他に足りないものでもあるのだろうか?そう考えるが特に浮かんでは来なかった。
分からないことを今気にしてもしょうがないので、早々に休憩を切り上げて練習に戻ることにした。やはり地道に積み重ねていくしかない。そう思いながらボクはさっきのように2400mを走るための準備をする。
結局、この日はこれ以上の進展はなく練習を終えることになった。
練習も終わり、ボクはトレーナーから弁当を受け取って寮の自分の部屋へと戻ってきた。部屋ではすでにジョージが寛いでいる。ただ、ボクを待っていたのかは分からないがお風呂には入っていないようだ。ボクが扉を開けて入ってきたのを確認すると、ジョージはボクの方へと寄ってくる。
「おかえり テン坊」
「ただいまやジョージ。お風呂まだやろ?早いとこ行こか」
「待ってた テン坊」
「別に先に入っとっても良かったのに」
ただ、ボクを待っていたというのは少し嬉しい。思わず笑みが零れる。ボクはすぐに荷物を置いてお風呂に行くための道具を取り出す。準備を済ませてジョージとともにお風呂へと向かった。
お風呂から上がった後はボクは自室にて夕食を取る。時折ジョージにおかずをついばまれながらも完食し、その後は2人で会話をしながらゆっくりする。
そんな時、何の気なしにボクはテレビをつけた。理由は特にない。何か面白い番組でもやってないかということでテレビを見る。
今はニュースをやっている所だった。ただ、特に面白いニュースではなかったのでボクはチャンネルを変えようとする。その時。
《……それでは、次は年末に開催を予定されている〈ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップ〉についての続報です。現時点で出走を予定しているウマ娘の情報が入りましたのでお知らせいたします》
ニュースキャスターのその言葉に、ボクはチャンネルを変えようとする手を止めてテレビに釘付けになる。自分が出走する予定のレースだ。気にならないはずがない。ジョージはそんなボクを不思議そうな目で見ているが、気にしないでボクはニュースの続きを見る。
《まず1人目はアメリカから参戦がほぼ決定しているウマ娘、デッドスペシメンさんです。記者の1人がアメリカで彼女に接触したところ、参戦することは確定だという情報が得られました。今はそのための調整を続けているとのことです》
最初に紹介されたのは出走することが確定しているデッドだ。希望者多数の場合、海外のウマ娘のみで選考があるのかもしれないが、デッドの成績ならまず間違いなく大丈夫だろう。それにデッドの話だと向こうで日本に興味を持っているのはデッドのチームぐらいで、他の国でも日本に興味はあるものの出走となるとまた話は別だという評価らしいので尚更だ。これはデッドから教えられたことである。
『慣れない土地で走るのはリスクあるからね。私みたいに積極的に走ろうなんて子は少ないんじゃないかな?私の知る限り、イギリスとフランスには1人ずついるけどね』
そんなことを言っていた。
ジョージはデッドの映像をぼんやりと眺めている。
「でか」
「まぁ190超えとるらしいからな。本人の雰囲気でそんなこと感じさせんけど」
テレビではデッドが笑顔で取材を受けている映像が流れている。リポーターの他に通訳の人がおり、その人が翻訳したものが音声として使われていた。
《……それでは、今回出走を決意した理由をお聞かせしてもらってもよろしいでしょうか?》
《構わないよ!元々私のチームはみんな日本が大好きでね。タイミングを合わせて行きたいと思っていたところに、こんなに素晴らしいレースが企画されたじゃないか!この機会をリリースするわけにはいかないと思ってね。すぐさま申請したよ!》
《ということは、もう出走は確定と考えても?》
《イエス!アメリカには私以外にエントリーする子はいなさそうだし、私のチームも応援に来ることはあっても出走はないかな。チームから1人だけってチーフとの約束だからね》
《成程。日本のウマ娘で特に警戒している子などはいますか?》
《う~ん……どの子も素晴らしいけど、出走してきそうな子で特に警戒しているのはホクトボーイって子かな?グリーングラスやプレストウコウも素晴らしいと思うけど、日本には冬のグランプリレース……有マがあるだろう?そこから中1週しかないときた。となると、その期間で出走するのはホクトボーイぐらいだと考えてるよ》
《ま、まるでその3人が有マに出走することが分かっているような口ぶりですね》
《え?有マは国内最強を決めるレースだろう?だったら、この3人はエントリーするんじゃないのかい?それだけの実力はあるし》
……多分だが、デッドはすでに調べているのだろう。それぐらいは分かっていそうだ。
最後の質問が終わったところで、デッドは何かを思い出したかのような仕草をした後不敵な笑みを浮かべてこう言った。
《そうそう。特に警戒している子、もう1人いたよ。ある意味で、海外のウマ娘よりも警戒している子がね》
《え?そ、そのウマ娘の名前は!?》
《ハハ!それはトップシークレットさ!本番までのお楽しみだよ!》
不敵な笑みから一転、今度は楽しそうに笑いながらそう言った。それから映像がリポーターからアナウンサーの方へと移る。
《続いては、フランスから出走を表明しているウマ娘の紹介に入ります。総合戦績17戦8勝、前走の凱旋門賞を3着と好走したオブリガシオンさんです》
その言葉とともに、あらかじめ撮ってあったであろうインタビュー映像を流し始める。テレビにはリポーターの他に、気品というよりは厳格さを感じさせるオレンジ色の髪をお嬢様風にしたウマ娘が座っていた。座っているので身長は分からないが、少なく見積もってもボーイぐらいはありそうだ。
そのウマ娘、オブリガシオンはリポーターの質問を真面目に返している。
《……今回出走を決めた理由をお聞かせ願えますか?》
《日本のウマ娘に興味があったということ。凱旋門賞に挑戦しに来る日本のウマ娘はまだ少ないですが、これからきっと増えていくだろうとトレーナーは考えています。なので、これからの彼女達の行く末を見通すため、この脚で確かめてみるのも一興だと》
《今回が初挑戦となる日本でのレースですが問題に思っていることは?》
《こちらの芝とは違うと聞いています。なので、それを確かめる必要があるかと》
《ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップの抱負などをお聞かせ願えますか?それと、日本で警戒しているウマ娘などが分かれば》
《我が祖国の強さを見せつける。誰が相手であろうと関係ありません。それだけです》
どうやら見た目通り、真面目そうな印象を抱かせるインタビューだった。また映像が切り替わり、今度はイギリスのウマ娘の紹介に入る。
こちらは前2人とは対照的に小柄だ。身長もボクより低くジョージと同じぐらいかもしれない。座っているので正確な身長は分からないが。藍色の髪をアンダーツインテールにしており、顔には幼さが残っている。簡単な説明によると、この子はトゥインクルシリーズでいうクラシック級に相当するらしい。
名前は……。
「バルニフィカス……」
「生意気そう」
「会うたこともない子になんてこと言うんやジョージ」
確かにボクもそう思ったが。
《……今回出走を決めた理由は何でしょうか?》
《そうですね~。日本にも私っていう存在を知らしめないとって思ったからですね!ヨーロッパには私の存在が認知されましたし~、ここらでワールドワイドに展開しようと思いまして!》
《な、なるほど。日本の芝とイギリスでは芝の違いがありますが、その辺はどう考えていますか?》
《特に問題はないかなって。早めに現地入りして練習する予定ですし。慣れる時間は十分に取るつもりで~す》
《ジャパン・ユニバーサル・レーシング・カップでの抱負をお聞かせ願いますでしょうか?後は、日本のウマ娘で警戒している選手がいればお願いします》
《お祭りレースって聞いてますし、精一杯盛り上げちゃいま~す!ま、1着は私ですけどね!日本の子は研究はしてるけど~、特に警戒している子はいないかな~?とにかく頑張りま~す》
今のところ、決まっているのはこの3人らしい。ニュースはここで切り替わった。
ボクは紹介されたウマ娘達をネットで検索してみる。とは言っても、デッドのことは知っているので他の2人についてだ。まずはフランスのウマ娘、オブリガシオンの方を調べてみる。あんまり慣れていないので少し時間がかかったが、何とか辿り着くことができた。
「17戦8勝、内2着は3回。前走の凱旋門賞は3着……」
「てれび 同じ」
「後はデッドと同じで、前で走るんが得意らしいで。それとサンクルー大賞を勝っとる」
「ふーん」
ジョージは興味なさそうだ。この様子だと、出走する気はないのかもしれない。そう思いながらも今度はバルニフィカスについて調べる。
調べて、ボクは驚きから携帯を落としそうになった。なんとか落とさないようにしたものの、いまだにビックリしている。ジョージはそんなボクの様子を見て不思議そうに尋ねてきた。
「どした?すごかった?」
「……すごいなんてもんじゃないで」
「そんなに?」
ジョージの言葉にボクは頷く。どうしてこんな子がわざわざ日本に来るのか疑問に思うぐらいにはすごい戦績だった。
「総合戦績10戦8勝、主な勝鞍に2000ギニーとイギリスダービー……」
「すごいの?」
「……こっちでいう2冠ウマ娘や。バルニフィカスはな」
「へー」
ジョージはなおも興味なさそうだ。まぁ自分が出走しないレースにはとことん興味なさそうだし別に構わないのだが。ボクは苦戦しながらも情報を集めていく。
その過程で分かったことはバルニフィカスはこっちいう2冠ウマ娘であるということ、後方からのまくりを得意とすること。そして、オブリガシオンが3着だった凱旋門賞で2着だったこと。以上のことが分かった。
「……本当になんでこんな子が日本のお祭りレースに出走してくるんや?」
「目立ちたいだけ 意味なし」
「ホンマにそんだけか?」
「なんとなくー。でも 格下 見てる 私達」
「……なんでそんなこと分かるんや?」
ボクの質問に、ジョージは答える。
「いんたびゅー 警戒してる子 いない 言ってた。研究してるのに」
「確かにそう言うてたな」
「その子 自信家。負ける 微塵も 思ってない。このれーす 世界注目。勝って 知名度 上げたいだけ」
「……そういうことかいな」
確かに思い返してみればインタビューでそんなことを言っていた。ボク達に負けるとは微塵も思っていないのだろう。確かにこの戦績ならそう思っても仕方ないのかもしれない。
ただ、この戦績を見てボクの中に生まれたのは闘争心だ。競って、勝ちたい。このウマ娘達相手に、ボクは勝ちたい。その気持ちがボクを支配する。
「……ま、それよか早いとこトラウマ克服せんとな」
闘争心が湧き上がるのは良いことだが、とにもかくにもその問題がある限り走ったところで負けるだけだ。その事実だけはちゃんと考えないといけない。
そんな時、ジョージが励ますようにボクに告げる。
「頑張れ テン坊。テン坊 1人 違う。私 いる。みんな いる」
「……うん、ありがとなジョージ。ジョージもいつかまた、一緒に走ろうな」
「もち。楽しみ」
「ボクも楽しみや」
お互いに笑みを浮かべて会話をする。その後は消灯まで2人で楽しく話していた。
デッドスペシメン同様、オブリガシオンとバルニフィカスもオリジナルウマ娘かつモチーフはいません。勝ち鞍に関しても史実には特に影響はないと考えても大丈夫です。