お昼休みも終わってボクは教室に戻ってきていた。午後からの授業の準備をしながら、いまだに空いている自分の隣の席を見る。ボーイはまだ戻ってきていなかった。ボーイだけではない。カイザーも、グラスも戻ってきていなかった。
「用事がそんなに長引いとるんやろうか?」
さすがに授業が始まる前には戻ってくるだろう。ボクはそう思いながら席に着いて授業が始まるのを待った。
だが、先生が来て授業が始まろうとしているのに3人とも戻ってこなかった。一気に不安な気持ちが湧いてくる。もしかして、何かあったのだろうか?
少し心配になりながらも、ボクは午後の授業に集中することにした。
カイザーからテンさんの状態を聞き、カイザーの提案に乗ることにしたオレは急ぎ足でトレーナー室へと足を運んでいた。目的はただ1つ、おハナさんの許可を貰うためだ。
ただ、オレの胸中は穏やかじゃない。おハナさんの性格なら、多分というより絶対に断られる提案だ。当たり前ではある。こっちには利益なんてないも当然なんだから。
けれど、それでも絶対に首を縦に振らせてみる。そう意気込みながらオレはおハナさんがいるであろうトレーナー室の前まで来た。
「スゥー……ハァ……」
扉の前で1つ深呼吸をして、意を決して扉をノックする。中からおハナさんの声が聞こえた。
「失礼します!」
オレは緊張しながらも扉を開けて中に入る。おハナさんは、書類仕事をしていた。オレの姿を見て少し驚いたような表情をしたものの、すぐに元の表情に戻って用件を尋ねてくる。
「どうしたのかしら?トウショウボーイ。練習はまだまだ先よ」
「その練習のことで、おハナさんにお願いしたことがあってここに来ました!」
「……何かしら?」
オレはおハナさんに頭を下げてお願いする。
「テンさ……テンポイントと模擬レースをしてもいいですか!?」
「ダメよ」
「少しは悩んでくださいよ!」
オレの提案は一刀両断された。断られるとは思っていたが、いくら何でもあんまりである。ただ、おハナさんは呆れたようにオレに告げる。
「ハァ……。理由も言わずに、模擬レースだけさせてくださいなんて言って通るわけないでしょう?せめて理由を教えて頂戴」
「あっ」
言われてみればそうだ。テンさんとの模擬レースのことだけ言って、肝心の模擬レースをしたい理由を話していなかった。ハッとしながらもオレはおハナさんにテンさんと模擬レースをしたい理由を話す……前に、今のテンさんの状態についておハナさんに尋ねることにした。
「おハナさんは、今テンさんがどんな状態になっているか知っていますか?」
「……私も詳しくは知らないわ。ただ、神藤が毎日のように難しい顔をしながら奔走していることから全てが順調……ってわけじゃないんでしょう?」
どうやらおハナさんも詳しいことは知らないらしい。多分だけど、知っているのはテンさんと併走をした子達だけなのかもしれない。
なのでオレは、テンさんの状態についておハナさんに言うことにした。
「……テンさん、今事故のトラウマが原因で第4コーナーが曲がれなくなってるみたいなんです。今も、それを克服するために頑張ってるみたいなんですけど、全然順調じゃないって」
「そう……。それは、辛いわね」
「はい。きっと、テンさん辛い思いをしてると思うんです。今も、1人でトラウマと闘っている」
「トウショウボーイ、あなたがテンポイントと模擬レースをしたい理由は……」
おハナさんの言葉に、俺は頷いて告げる。
「オレはテンさんの助けになりたい。オレ達が模擬レースをして、助けになるかは分かんねぇけど……それでも何もしねぇよりはマシだと思うんです!」
「……」
おハナさんは無言だ。ただ、表情的に少し否定的に考えているのかもしれない。オレはなおも頭を下げてお願いする。
「お願いですおハナさん!テンさんと模擬レースをさせてください!オレは、友達の……親友の助けになりたいんです!」
オレは必死にお願いする。頭を下げた状態のまま、おハナさんの言葉を待った。
……だが、返ってきたのは非情な言葉だった。
「……許可できないわ」
オレは思わず感情的になりそうになるが、必死に抑えて理由を尋ねる。
「……ッ!なんでですか!?」
「第一に、こちらに利益がないということ。トウショウボーイ、あなたの話を信じるのであればテンポイントは今第4コーナーを曲がれなくなっているのでしょう?そんな相手と模擬レースをして、あなたの利にはなるのかしら?」
「そ……ッ!れは……ッ!で、でも!」
「第二に、あなたの性格的に1回では済まないでしょう?きっと長期に渡って模擬レースをする予定だったんじゃないかしら?」
おハナさんはこちらの考えを見透かしているように告げる。オレは何も言えずにいた。そして、無言を肯定と捉えたのだろう。おハナさんは厳しい表情で続ける。
「その間の練習はどうするつもり?あなたにだってウィンタードリームトロフィーがある。そちらを疎かにするようだったら、あなたのトレーナーとして許可できないわ」
「練習も手は抜きません!模擬レースをしながらでも……ッ!練習も一緒に取り組みます!」
「これからウィンタードリームトロフィーの詰めの練習に入るというのに?本当にできるのかしら?」
「やります!絶対にやってみせます!」
できる根拠はない。でも、オレにはそう言うしかない。テンさんと模擬レースをするためにはそう言うしかなかった。
おハナさんはさらに続ける。
「最後に、模擬レースをしたところでテンポイントが本当に元のように走れるようになる保証はあるのかしら?」
「……それは」
そうだ、とは言えずに思わず口ごもる。オレの様子を見て、嘆息しながらおハナさんが告げる。
「……友達の助けになりたい。あなたのその気持ちは痛いほど分かるわ。私だって、できることなら許可してあげたい」
「だったら!」
「けれど、リギルはあなた1人のチームじゃない。あなた1人の我儘で、チームを乱すわけにはいかないわ。分かってとは言わない、恨むなら恨んでくれてもいいわ」
「……ッ!」
……おハナさんの言うことの方が正しい。そんなことは頭では分かっている。けど、けど!
(それでも、少しでもテンさんの助けになりたい!模擬レースをしたところで、テンさんがまた元のように走れるようになるなんて保証はどこにもないかもしれない!そんなことは分かってる!だけど、テンさんが苦しんでるのに、ただ見てるだけなんて嫌だ!)
こうなったら土下座でもしてやる。そう思ったところで、誰かがトレーナー室の扉をノックした。
「……どうぞ」
おハナさんがそう言うと、ノックしたであろう人物が入ってきた。その人物は。
「ハイセイコー先輩?」
「おや?トウショウボーイか。何かあったのかい?何やら、ただならぬ雰囲気だけど」
オレはハイセイコー先輩に事情を話した。テンさんの今の状態、それを受けてオレはテンさんと模擬レースをしたいということ、チームのことを考えたらおハナさんとしては許可ができないということ。今までの流れを全て話した。
ハイセイコー先輩は難しい表情をしながらオレに告げる。
「そうだね……。厳しいことを言うようだが、トウショウボーイの提案にはおいそれと賛同はできないね」
「……先輩も、そう言うんですか?」
「あぁ。私としても賛成してあげたいのは山々だ。ただ、チームのことを考えた場合君1人だけ特別待遇のような扱いをするのはチームリーダーとして賛同はできないね。それに、リギルが練習場を使用する時にもテンポイントの模擬レースのために使用するのだろう?それではあまりにもこちらの利益にならない」
「……ッ!」
その通りだ。そんなことは分かってる。でも、でも!
それでもオレは、と言おうとしたらハイセイコー先輩がウィンクしながらオレに提案してきた。
「そこでだ。トウショウボーイ1人が協力するのではなく、リギル全体で協力する。それならチームの和は乱さないし、何よりリギルの未デビューの子にも利益が生まれる。トップレベルのウマ娘との模擬レースは彼女達にとってもいい経験になるからね」
「ハイセイコー!何を勝手にッ!」
「これは提案ですよ。東条トレーナー。これなら、東条トレーナーが懸念しているチームの和を乱すこととこちらに利益がないということ……両方をクリアできます」
「確かにそうかもしれない……。けれど、それでも賛成は……」
「それにだ、トウショウボーイ。賛同者は他にもいるのだろう?そうだね……、クライムカイザーとグリーングラスは確定かな?」
「そ、そうですけど……」
「なら、彼女達のチームも巻き込むことができるかもしれませんよ?テンポイントだけではなく、ハダルとスピカとも模擬レースができる……。トップチームであるハダルとの模擬レースは明確な利益です。さらに、彼女達が練習場を使用する日にも何人かは模擬レースのために練習場を使用することができるかもしれません。それを考えたら、利益の方が大きくなるのではないでしょうか?」
ハイセイコー先輩は淡々とそう告げる。ただ、言葉には感情が籠っているように感じられた。もしかしたら、先輩もテンさんの助けになりたいのかもしれない。オレはそう感じた。
ハイセイコー先輩の言葉に、おハナさんは考え込んでいるような素振りを見せる。その間、トレーナー室は無言が支配していた。
やがて、考えが纏まったのかおハナさんが口を開く。
「……確かに、ハイセイコーの言う通りこちらにも利益があるわね。いいわ、トウショウボーイ。あなたの言うテンポイントとの模擬レース……受けましょう」
その言葉に、オレは身を乗り出しそうな勢いでおハナさんに聞く。
「本当ですか!?」
「えぇ。こちらにも明確な利益が生まれて、なおかつチームの和も乱さないときたわ。なら、この提案は受けた方が吉。私はそう考えているわ」
「……ッ!ありがとうございます、おハナさん!」
「お礼ならハイセイコーに言いなさい。ハイセイコーの意見があったからこそ、実現したようなものよ」
「先輩も、ありがとうございます!」
オレがお礼を言うと、先輩は笑みを浮かべつつ答える。
「どうせ許可は出すつもりだったんじゃないですか?東条トレーナー」
「黙りなさいハイセイコー」
「え?そうなんですか?」
「……話は終わりよトウショウボーイ。早く神藤のところに行きなさい。リギルはテンポイントとの模擬レースを承諾するって」
「わ、分かりました!」
おハナさんからの圧が凄かったのでオレは急いでトレーナー室を後にした。部屋から出ると、喜びが爆発する。
「~~~ッ!よっしゃー!これで何とかなったぞー!」
オレ一人ではどうしようもなかった。ハイセイコー先輩には感謝しても仕切れない。ただ、いまはこのことを誠司さんに伝えなければ。オレは急いで誠司さんのいるプレハブ小屋のトレーナー室へと向かった。
授業が終わって放課後。ボクは練習に行く準備をしながらボーイ達の席を見る。
「……結局、用事から戻ってこぉへんかったな」
ボーイ達は授業を欠席していた。本当に何があったのだろうかと心配が尽きない。不安を抱えたままボクは練習のためにプレハブ小屋のトレーナー室へと向かった。
トレーナー室に着いて、ボクはトレーナーと挨拶を交わしながら今日の予定を聞く。一応、前日聞いた限りでは筋トレだったはずだが、念のためだ。
「トレーナー。今日の練習はどうするん?昨日は筋トレ言うてたけど」
だが、返ってきたのは予想外の返事だった。
「今日は練習場で走るぞ」
ボクはその言葉に目を丸くしながらも問いかける。
「へ?でも練習場予約取れんかったんちゃうか?」
ボクがそう聞くと、トレーナーは笑みを浮かべながら答える。
「着いてからのお楽しみだ。早く準備をして向かうぞ」
そう言ってトレーナーは外へと出た。
……何を考えているのかは分からないが、多分練習場でやるのはもう決まっているんだろう。それに、少し嬉しい。これでトラウマ克服のための練習ができるのだから。
ボクは着替えてトレーナーと合流し、練習場へと向かう。
「にしても、よぉ練習場予約できたな。キャンセルでもあったんか?」
「ま、それは着いてからのお楽しみだ」
まぁ、トレーナー室から練習場まで距離はないのだが。少し苦笑いながら練習場へと入る。ボクを待っていたのは……。
「お、来た来た!待ってたぜテンさん!」
「こっちは準備万端だよ~。テンちゃんも早く早く~」
「さ、模擬レースをしましょうか、テンポイントさん!」
午後の授業を、欠席していたはずのボーイ達だった。……いや、ボーイ達だけじゃない。
「さて、表向きはテンポイントとの模擬レースだが……お前には負けんぞタケホープ」
ハイセイコー先輩。
「へぇ、随分な物言いじゃあないかぁハイセイコー。私だって負けないよぉ?」
タケホープ先輩。
「来たか、テンポイント。お前の事情は聴いている。私も、微力ながら手伝おう」
テスコガビー先輩。
「おおおお久しぶりですぅぅぅ。が、ガビーちゃんと一緒に、私もお、お、お手伝いさせていただきます!」
カブラヤオー先輩。それだけじゃない。ハダルのチームの人達も、練習場にはいた。
(な、なんで?どうしてや!?)
そう思わずにはいられない。
ボクはきっと、すごく間抜けな顔をしていると思う。隣にいるトレーナーに、問いただす。声は震えていた。
「……これ、どういうことや?なんで、何でみんながおるんや?」
「これからやる、お前の模擬レースの相手だ。みんな快く協力してくれた」
「トレーナーが、お願いしたんか?」
トレーナーはその質問に首を横に振る。代わりに、カイザーが答えてくれた。
「違いますよ。私達がお願いしたんです。テンポイントさんの力になりたいって」
「そういうことだ」
「でも……」
「テンちゃんも水臭いよね~。そんな状態なのに~私達に何も相談しないどころか~隠そうとするなんて~」
「全くだ!オレ達に話してくれてもいいじゃねぇか!」
グラスとボーイは、怒っていた。今のボクの状態を隠していたこと。そのことに。カイザーも、怒ったように頬を膨らませている。
「そんなに私達は頼りになりませんか?友達なんだから、もっと頼ってください」
「やけど……」
「オレ達は、テンさんの助けになりてぇんだ!今更遠慮なんてすんなって!」
「そうそう~。むしろ~隠そうとしてたことに怒っちゃうぞ~。ぷんぷん~」
「全然怖くないですよグラスさん」
何が何だか分からなかった。周りを見渡すと、客席でクインが何かの準備をしているのが分かった。多分、水分補給用のスポーツドリンクかもしれない。ボクに気がつくと、手を振ってくれた。ボクは、まだ呆けたままだ。
目頭が熱くなる。ボクのために行動してくれたみんなのことを考えたら、涙が流れそうになった。ボクは思わず言葉が零れた。
「……ゴメン、みんな」
その言葉に、トレーナーが反応する。
「テンポイント。みんなが欲しいのはその言葉じゃない。言ってやりな?きっとみんなが望んでる言葉を」
口調は、柔らかかった。ボクは、涙が零れそうになるのを必死に堪えながら、その言葉を紡ぐ。
「あり、が、とう……ッ!みんな……ッ!」
その言葉に、みんな笑顔を浮かべた。ボクは急いでウォーミングアップをする。
ゲートにみんなが入った。発走の瞬間を待つ。心の中で、みんなに感謝をする。
(ホンマに……ッ、ホンマに、ありがとう……ッ!みんな!ボク、きっと元のように走れるようになってみせる!)
「……スタート!」
ゲートが開く。それと同時に、ボクは勢いよく飛び出した。みんなも、それは同じだ。ボクは、久しぶりにトラウマのことを忘れて走っていた。
その日の模擬レースでは、トラウマの景色が少しひび割れたように見えた。
ウマさんぽが恋しい。