理事長室でのやり取りからトレーナーになり、早いもので数ヵ月が経った。今はもう4月の後半。俺は今久しぶりにスーツに袖を通している。わけもなく興奮していた。
「スーツを着るなんてホントに久しぶりだな。用務員時代は作業着だからスーツなんて着ないし、最後に来たのはトレセン学園の面接に来た時以来か?」
懐かしさを感じながらもこの数ヶ月の間のことを思い出す。
元々トレーナーになる気はなかった俺は準備なんてものをしていなかった。だからまず始めたのはどこかのチームでサブトレーナーとして少しでも経験を積むことだった。悪あがきにしかならないがやらないよりはマシだと思った俺は知り合いのトレーナーに頼みこんでサブトレとして働かせてもらえることになった。
結論から言うと、自分が思っている以上に大変だった。ウマ娘の子たち1人1人の体調とトレーニングメニューの管理、レース出走のための申請書類の作成、他チームのライバルとなる子たちの研究など、上げていけばキリがない。想像以上に大変だということを分からされた。
しかし、数ヵ月という期間もあれば人は慣れるもので、終わる頃にはチーフトレーナーの人から
『うん、これなら大丈夫だろう。これからは同じトレーナー同士、よろしくな神藤君』
と、お墨付きをもらった。
そんなことを思い出しながらも、スーツを着終わって俺は目的の場所へと向かう。その場所とは普段は生徒たちが練習で使っているトレセン学園のレース場だ。
今日は選抜レースが行われる日であり、まだトレーナーのついていないウマ娘たちが出走するレースだ。トレーナーはここでスカウトするのが一般的であり、俺もウマ娘をスカウトするためにこの選抜レースを見に行く。
まだ見ぬ担当の姿に心を弾ませながら会場へと向かう道中、2人のウマ娘が元気よく俺に話しかけてきた。
「神藤さん、おはようございます!」
「おはようございま~す!スーツ姿似合ってますね~!」
「あぁ、おはよう。褒めてくれてありがとうな」
「神藤さんは今日はどこに行くんですか?」
「今日は選抜レースを見るためにレース場に向かうところだな」
「じゃあじゃあ!私たちもレース場に行くから一緒に行きましょうよ!」
特に断る理由もなかった俺はその提案を承諾して2人と一緒にレース場へと向かう。向かっている間、俺は2人と話していた。
「それにしても、神藤さんがトレーナーか~」
「神藤さん、私をスカウトしてくださいよ~」
「どうしてだ?」
「神藤さん親しみやすいし、優しそうだからスカウトしてくれるかなーって」
「俺なんかよりもっといいトレーナーはいるよ。それに、冗談で言ってるだろ?それ」
「アハハ、分かっちゃいます?」
「まあ、口調とか完全にからかっている感じだったからな。冗談で言ってるとは思ったよ」
「バレちゃったかー」
その後も他愛もない会話を続けていると、無事に会場に着いた。2人とはここで別れる。
「それじゃあ神藤さん!スカウト頑張って下さーい!」
「応援してますよー!」
「あぁ!お前たちの先輩も、無事にスカウトされるといいな!」
2人は俺とは違う方へと向かっていった。名も知らない先輩がスカウトされることを俺も祈っておく。
初めて選抜レースに来たのだが、結構人が多かった。スカウトに来たトレーナーだけでなく、応援に来ているウマ娘の子や、記者の人たちも何人か見受けられる。俺は少しばかり圧倒されていた。
(結構人多いんだな。出走する子とトレーナーだけだと思っていた)
そんなことを思いながら、俺は自分と同じトレーナーの集団を探す。
理由は単純で、右も左も分からないという現状、指南してもらいながら今回の選抜レースを見ようと思ったからだ。俺は辺りを見渡す。
すると、若手のトレーナーが一団となっているのを発見する。俺はその一団に近づいて声を掛けた。
「おはようございます。少し大丈夫ですか?……って、お前らだったのか」
その一団は用務員時代から仲良くさせてもらっているトレーナー達だった。
「おはよう……って、神藤じゃないか。そういえばトレーナーになったんだったな」
「これからは同業者としてよろしくな、神藤」
「あぁ、よろしく」
挨拶も程々に俺は早速本題に入らせてもらった。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけどさ、いいか?」
「お前が頼み事?珍しいな」
「別にいいぜ。俺たちにできる範囲なら手伝うぞ」
引き受けてくれるらしい。そのことに俺は感謝をする。
「ありがとう。実はさ、俺選抜レース見に来るの初めてなんだよ。だからさ、レースの見方とか色々教えてくれないか?一応サブトレしてた時にどこを見ればいいのかってのは教わったんだけどさ、ちょっと不安なんだよ」
その言葉にトレーナー達は渋面を作った。そんなに難しいことを言っただろうか?
「まさかのそこからか……」
「そういえばコイツレースすら見ない人間だったわ……」
それに関しては本当に面目ないと思っている。ただ、トレーナーの1人が笑みを浮かべて答える。
「まあいいぜ。お前には世話になってるからな。俺で良けりゃ力貸してやるよ」
「マジか!ありがとう!」
そして、その言葉を皮切りに他のトレーナーも口々に名乗りを上げる。
「ま、軽く教える分には構わねぇぜ?」
「最初だから不安だって気持ちも分かるしな。俺も手伝ってやるか」
「お、お前ら……!本当にありがとう!」
これでどんな子が良いのか、どんな視点で見れば良いのかを教えてもらえるだろう。例え今日の選抜レースで契約が結べなくても次に活かすことができる。
そんなことを考えていた時、トレーナーの1人が声を上げる。
「おい!そろそろ選抜レース始まるぞ!」
「本当か!?早く見に行かねぇと!」
「そうだな!特に今日はあの子が出るんだろ?出遅れたら洒落にならねぇ!」
「あの子だけじゃねぇ!今日の選抜レースは豊作だからな!いい席で見とかねぇと!」
そう言って、彼らはそれぞれが見やすい場所へと走っていった。俺を残して。取り残されて1人になった俺は誰に言うわけでもなく呟く。
「……これはアレか?甘えてんじゃねぇぞってことか?」
仕方がないので、選抜レースは1人で見ることにした。
選抜レースも数レースが終わった。俺は観客席で様子を見ていた。しかし、頭を掻きながら愚痴る。
「やっぱよく分かんねぇなぁ……」
教えてもらおうと思っていたトレーナー達は皆自分のことで手一杯なのか、声を掛けるのも憚られるほどの雰囲気を出していたので、結局1人で見ることにした。そして、自分は最低限の良し悪ししか分からないので、今日はあくまで勉強、あわよくばレースを見てピンとくる子をスカウトしようと思っていた。
だが、これといった子は見つからなかった。そのことに俺は少し落胆する。レースを見れば良い子が見つかるだろう、ピンとくる子がいるだろうと楽観的な考えが頭を支配していたが、現実はそんなに甘くいくものではなかった。
溜息を吐いて俺は空を仰ぐ。思い出すのはたづなさんに言われたこと。
「俺が熱中できるようなレースをするウマ娘……か」
そんなことを呟いていると、後ろから声を掛けられる。
「あ、神藤さんじゃないですか!トレーナーになったんですよね?これからよろしくお願いします!」
俺は後ろを振り向いて姿を確認する。声を掛けてきた人物は先程のトレーナー集団の中にはいなかった若いトレーナーだった。横には彼がスカウトしたであろうウマ娘が立っている。俺は彼の名前を呼びながら挨拶を返す。
「坂口か。あぁ、これからは同じトレーナーとしてもよろしくな」
そう言って俺達は握手を交わす。俺は早速気になっていることを聞いた。
「隣にいるその子は、坂口がスカウトした子か?」
そう尋ねると、嬉しそうに答える。
「はい!さっきスカウトしてきた子です!」
坂口がそう言うとウマ娘の子は丁寧にお辞儀をした。俺もお辞儀をする。
そして、坂口が本題とばかりに俺に尋ねてきた。
「神藤さんはどうですか?良い子は見つかりましたか?」
俺は首を横に振って答える。
「うんにゃ全く。まだ1人も声を掛けてない」
「え?大丈夫ですかそれ?どんな子をスカウトしようって考えてるんです?」
「レースを見てピンときた子」
「は?」
俺の言葉を聞いた瞬間、坂口は驚いたような表情をした後信じられないものを見るような目で俺を見る。ウマ娘の子は曖昧な笑いを浮かべるだけだった。
おそらく、頭の中で思っていたであろう言葉を俺に投げかける。
「……それ、本気で言ってます?」
「本気も本気だよ」
「……下手したら一生見つからないと思うんですけど」
「……」
一応、そのことは分かっている、つもりだ。ただ、直感で担当する子を決めようとしていたのは事実。俺は彼の言葉に何も言わずに無言を貫く。
すると、嘆息しながら坂口が俺に告げる。
「神藤さん的には、どんな子がいいとか希望はあるんですか?」
俺は少し考えた後答える。
「……特にないな。強いて言えば、俺が熱中するようなレースを見せてくれる子か?」
「う~ん……。抽象的過ぎてアドバイスに困りますね」
坂口の言葉に申し訳なさを感じながら俺は弁明する。
「生まれてこの方ウマ娘のレースなんてほとんど見たことねぇからな。だけど、トレーナーをやるからには本気で取り組みたい。じゃないとウマ娘の子達に失礼だからな。その基準として……」
「自分を熱中させるような走りを見せる子……だと」
「そういうことだ。まあ、最初はどんなところに注目すればいいのかを教わろうとしたんだが全員自分のことで手一杯だったのか結局1人で見ることになったよ」
「アハハ……、まあ出遅れるわけにはいきませんからね」
ある程度納得したのか、坂口は苦笑いを浮かべて俺に告げる。
「だったら、ここから先は一緒に見ませんか?僕はこの後手が空いているので。この子も、他のこのレースを見るのがいい刺激になると思いますし」
俺は内心喜びながらお願いする。
「本当か?だったら頼む!」
「はい。じゃあ早速次のレースを見ましょうか」
そう言って、俺は坂口と坂口の担当ウマ娘と一緒にレースを見ることになった。コースへと視線を向ける。
コースへと視線を向けた時、一際目立つウマ娘を見つけた。一瞬、その姿に目を奪われる。遠めでも分かる。それほどまでに美しい子だった。
太陽に照らされて輝いているように見える金色の髪を腰まで伸ばしている。その金色の髪の中で一際目立つ白い部分、まっすぐに伸びた流星。どことなく気品を感じる雰囲気。体躯は平均よりやや小さめ、といったところだろうか?一見すると華奢な雰囲気を出しているが、確かな力強さも感じる不思議な魅力があった。
そこまで分析したところで、我に返る。坂口が俺に話しかけてきた。
「あ、神藤さん。あの子ですよ。今日の選抜レースで最注目されている子」
「……あ、あぁ」
「……?どうかしましたか?」
「いや、大丈夫だ」
まさか見惚れてました、なんて言えるわけもなく。曖昧な言葉でお茶を濁す。出走する子たちがゲートに入って発走の瞬間を待つ。そして、まもなくしてゲートが開いて一斉にスタートを切った。
その時、俺の中に電流が走ったような感覚を覚える。自分の中でのレースという概念が覆され、今まで興味がなかったことが嘘かのような感情を覚える。会場の最前列へと身を乗り出し、食い入るようにそのレースを、その子を見る。後ろではさっきまで話していた坂口とウマ娘がびっくりしている声が聞こえているがそんなことはどうでもいいくらいにくぎ付けになる。その子から目を離すことができない。彼女の走りに目を奪われた。時間が経っていることすら忘れてしまいそうなほどに。
気づいたら、レースが終わっていた。実況の声が聞こえてくる。
《…圧倒的な強さを見せつけて今1着でゴールイン!やはり今回の選抜レースで最も注目されていたウマ娘!2着に6バ身差をつけて勝利しました!》
俺はまだ心臓の音が聞こえそうなほどの興奮を覚えていた。今まで感じたことがないような衝撃。思わず口角が上がる。
後ろから心配するように声を掛けられる。坂口だ。
「し、神藤さん。急にどうしたんですか?レースが始まったら最前列の方に行っちゃって?」
俺は興奮を抑えきれずに坂口の問いに答える。
「見つけた…」
「見つけた?何をですか?」
「見つけたんだよ!担当したいって思える子を!」
俺は言うだけ言って走り出す。彼女をスカウトするために。後ろからは坂口の制止するような声が聞こえてきたが、俺は無視して一目散に駆け出した。……が。
「やはり素晴らしい!君ならトゥインクルシリーズの主役になれる!どうだ?私と契約しないか!?」
「いや、俺の下で走らないか!?絶対に損はさせない!」
「いいえ!私と一緒にクラシックを獲りましょう!あなたなら3冠も夢じゃないわ!」
スカウトしようと思った金色の髪の彼女は様々なトレーナー達に囲まれている。当たり前だが、俺が入る隙はない。
「し、神藤さん急に最前列に行ったと思ったら今度は見つけたとか言って一目散に駆け出して…。ほ、本当にどうしたんですか?」
後ろから息を切らせて坂口が来る。俺は目の前の光景を見て思案する。
(まぁ、あれだけすごい走りをしていた子だ。そりゃあこれだけの声は掛かるだろうよ)
素人目の俺でも分かるほどにすごい走りをしていた子だ。多くのトレーナーが声を掛けることは想定していた。
だが、諦めるわけにはいかない。レースを見てあれだけ熱い気持ちになったのは初めてだった。素人である俺のスカウトを受けてくれるかは分からない。だが、やらないよりは遥かにマシだ。俺は意を決して最早壁となっているトレーナー達のところへと突っ込む。
「き、君!もしよかったら俺と…ぶべらッ!?」
「し、神藤さーん!?」
……案の定、吹っ飛ばされた。意気揚々と突っ込んだ俺だが、押し出されて頭を打つように倒れる。薄れゆく意識の中、思い出すのはあの子の走り。
(せめて、名前だけでも知りたかった……)
そう思いながら、少しの間気絶した。起きた頃には、次のレースが始まっていた。
自分で書く立場になって改めて小説を書く難しさがわかりました。毎日投稿してる人たちは本当にすごいなぁと思います。
※主人公の言動や心理描写の気になったところを修正 7/22
※最後の部分を修正 9/11
※丸々改稿 11/25