「……レースに対する情熱が、なくなってしまったんです。オークスまではあった闘志が、私の中から奇麗に消えてしまった……。走ることに意味を見出せなくなってしまったんです」
テスコガビーのその言葉に俺は言葉を失う。
ウマ娘というのは本来走ることが大好きである。俺自身今まで生きてきた中で走ることが好きじゃない、嫌いなウマ娘など一度たりとも見たことがない。それほどまでにありえないことだ。
しかし、テスコガビーはなぜ今になって急に走ることに意味を見出せなくなったのか?考え方ってのはそんな急に変わるものではない。必ず何かのきっかけがあるはずだ。俺は少しの間考える。
そして俺が出した結論は
(確かテスコガビーが怪我をして休養していた期間は1年……。そのあまりにも長い期間が彼女の中から闘志の炎を消してしまったのか……?もしくはその期間の間で何か彼女の心を変えるような出来事があったのか……)
彼女が満足に走ることのできなかった1年の間で何かあったのかもしれないということだ。曖昧だがその期間で何かあったのは間違いないだろう。
俺は平静を保ちつつテスコガビーに質問する。
「……一ついいか、テスコガビー?」
「構いません、私に答えられる範囲であれば」
彼女の了承をもらったところで俺は疑問をぶつける。
「確か去年の10月からお前は1年ほどの期間休養していたな?その間で何か変わったことはなかったか?」
「何か……と言われても、色々ありましたが」
確かにそうだろう。なので今度は抽象的にではなく分かりやすい質問にする。
「そうだな、例えばお前の今までの考えを根底から覆すような出来事はあったか?」
「……ッ!」
心当たりがあるのだろう。彼女は何かに耐えるような表情をしていた。理事長たちは何も言わずに静観している。ならばと俺はこのまま質問を続ける。
「心当たりがあるんだな?」
「……あります」
「なら、できればでいい。それを教えてくれないか?勿論言いにくいことだったら言わなくていい。この会話はなかったことにしてくれ」
俺がそう言った後、少しの間沈黙が訪れた。そしてその沈黙を破り、テスコガビーが話始める。
「きっかけは些細なことです。私の復帰レースのためにと組まれた併走。それが始まりでした」
俺たちは黙って彼女の話を聞く。
「相手はトウショウボーイ、彼女も皐月賞明けではありましたが本人の強い希望もあって併走することになりました。その併走はトウショウボーイの勝ちで終わったのですが、私は違和感を感じたのです」
「違和感?それはどのようなものだ?」
理事長の質問に対し彼女は落ち着き払った態度で答える。
「……いつもは抱えていたはずの悔しいという気持ちが、勝ちたいという欲求が不思議と湧かなかったのです。例え併走であっても負けたら悔しい、勝ったら嬉しい。そう言った気持ちが、あの日は全くと言っていいほど感じなかったのです。そしてそれは復帰レースでも同じでした。6着、今までのレースの中で最低順位に沈んだはずのその成績に怒るわけでもなく悲しくなるわけでもなくただただこう思ったのです」
かつて桜の女王を決める戦いで圧倒的強さを見せつけた女傑の姿を微塵も感じさせないほどの覇気で彼女はその言葉を口にした。
「あぁ、こんなものか、と」
……正直、今の彼女の姿を見て俺は信じられないという感情しか出てこない。そこに2冠の女傑の姿はなく、ただ1人の少女が佇んでいるように感じられた。
そしてテスコガビーは自身の話を締めるように続ける。
「その時に私は感じたのです。レースに対して喜びも悲しみも感じなくなった以上競技者としての私は、もう終わったのだと」
……ウマ娘は走ること以外にもう1つ、強い欲求が存在している。それは勝ちたいという欲求だ。これはトレーナーだけではなくウマ娘と関わっていくことで必ず知ることだ。彼女たちは負けたくない、勝ちたいという欲が俺たちよりも遥かに強い。この欲こそが強いウマ娘の条件だとも言われているほどに。
今のテスコガビーの言葉を信じるのであれば、その欲求が無くなっていると思ってもいいだろう。俺は言葉を失ってしまった。それは理事長たちも同様のようだ。
言葉を失っているこちらをよそにテスコガビーは話を切り出す。
「秋川理事長、私のような者のために今回は職業体験を提案してくれてありがとうございました。ですが私の意思は変わりません。退学を……」
「待て、テスコガビー」
気持ちの整理がついたわけではない。胸の中に何かがつっかえたままだ。けれどこのまま彼女が退学してしまったら後悔してしまう、ただ漠然とそんな気持ちを抱いた俺は彼女の言葉を遮る。
テスコガビーはこちらを不思議そうに見つめる。
「どうしましたか、神藤さん。私の考えは変わらないと……」
「本当にそうか?本当にお前の中から闘志は消えたのか?俺にはそうは思えない」
「……何が言いたいのですか?」
彼女はこちらを不機嫌そうに見てくる。それはそうだろう。自分が考え抜いて出した結論を真っ向から否定されているのだから。
俺は理事長の方を見る。理事長は俺の言いたいことが分かっているのかただ頷くだけだった。それを確認した後、俺はテスコガビーに自分の考えをぶつける。
「俺は、お前はまだ自分の気持ちが整理できていないだけだと思っている」
「……なぜですか?」
「この職業体験でお前は自分の不器用を治そうと頑張っていた。1日目のあの時、俺の言葉に耳を貸さずに諦めることだってできたはずだ。だが、お前はそうしなかった。そうしなかったってことはお前にはまだ負けたくないっていう気持ちがあったんじゃないか?不器用な自分に負けたくないって気持ちが」
「……それは確かにそうですが、レースと何の関係もないでしょう?」
「そうだな、直接的な関係はない。だが、間接的な関係はある。負けたくないっていう気持ちだ。これは俺の仮説だがお前の中の闘志はまだ完全には消えていないんじゃないか?」
正直、こじつけもいいところだ。理屈も何もあったもんじゃない。だが、それでも俺は彼女を説得する。
「……ッ。諦めが悪いな、なぜ私が学園を辞めようとするのを止める!お前には何の利もないだろう!」
テスコガビーは言葉を荒げる。おそらく揺らいでいるのだろう。確固たる意思を持って退学するという結論を出したのにそれを俺が邪魔しているのだから。
俺に利益はない?確かにそうかもしれない。けれど
「俺は何も利益だけで行動する人間じゃない。ただ、このまま学園を去っていったらお前は間違いなく後悔する」
「……ッ!私に、後悔など……ッ!」
「今、こうして声を荒げて、揺らいでいるのが何よりの証拠じゃないか?」
テスコガビーはいつの間にか自分が昂っていることに気づいたのだろう。口をつぐむ。それに今気づいたのだ。どうして退学などという極端な考えに至ったのか。テスコガビーの性格、走れなくなった理由を結びつけてみるとこいつはどうやら1つ勘違いしているかもしれない。
「お前、もしかして走れないウマ娘はトレセン学園に必要ないと思っていないか?」
「あぁ、そうだ!だから私は……ッ!」
その言葉に、俺の中のつっかえが取れたような気分になった。全くこいつは、こんなところでも不器用を発揮しないで欲しい。
俺は今までこちらの言い合いを見ていた理事長に質問を投げる。
「理事長、確かトレセン学園にはサポート科っていうものがありましたよね?」
「肯定ッ!確かに存在しているぞ!」
「なら、途中でサポート科に転科することって可能なんでしょうか?」
「可能ッ!必要であれば今この場で手続することもできるぞ!」
「だ、そうだが?」
俺たちのやり取りにテスコガビーは目を丸くしていた。しばしの沈黙が流れる。そして沈黙を破ったのはテスコガビーの叫びだ。叫んだかと思うとその場にへたり込む。お湯が沸騰したかの如く顔を真っ赤にしている。自分が考えていなかった答えが今頭の中に出てきたのだろう。恥ずかしそうに手で顔を覆っている。
俺はテスコガビーに問いかける。
「お前、まさかとは思うがサポート科の存在を忘れていたな?」
顔を手で隠したまま、テスコガビーは答える。
「……は、はいぃぃぃ……」
あまりにも恥ずかしかったのだろう。語気は萎んでいた。
トレセン学園に所属しているウマ娘はなにもトゥインクルシリーズを走る子だけではない。自分が走るのではなく走るウマ娘をサポートすることを中心としたサポート科というものが存在しているのだ。ただ、中央に所属するウマ娘たちは競い合うことを目的としている子が多いためか、サポート科に入る子は稀だ。存在を知らなくてもおかしくはない。だが彼女は生徒会だから存在を知っていてもおかしくないはずである。なぜ今まで気づかなかったのか?答えは単純だ。走れなくなったイコール退学という図式がすでに頭の中で出ていた彼女にはサポート科に転科するなどという考えが完全に抜け落ちたのだろう。そして今の俺と理事長のやり取りで完全に存在を思い出した、と言ったところだろう。
思わず俺は噴き出す。
「お、お前サポート科の存在を忘れてるとか……ッ」
俺が噴き出した後、理事長がそれを咎める。だが
「神藤トレーナーッ。失敗は誰だってするのだ、笑うのはよくない……ッ」
肩が震えている。笑うのを耐えているのだろう。よく見たら隣のたづなさんも少し震えている。
その状況に耐えきれなくなったのか、テスコガビーの情緒が爆発した。
「わ、笑うなァァァァァ!私だって恥ずかしいんだぞォォォォォ!?」
まるで子供のような癇癪を起こす。それを俺たちは必至で宥めた。
「で、落ち着いたか?テスコガビー」
「……あぁ、まぁな。しかし我が事ながら情けないことこの上ない……ッ!」
少し経った後、テスコガビーは落ち着いたのか元の調子に戻った。ひとまず良かったと言えるだろう。
そしてテスコガビーは理事長に質問する。
「理事長、先程申していましたがサポート科への転科は……可能なのですか?」
理事長は答える。
「無論ッ!君さえよければ、今すぐにでも手続きをしよう!」
「なら、私は、学園に残ってもよいのですね……ッ!」
「肯定ッ!」
彼女は感激の涙を流す。ずっと退学するしかなかったと思っていたところに学園に残る方法を見つけたのだ。それは嬉しいことだろう。
心なしか理事長も嬉しそうだ。そして理事長は言葉を続ける。
「それに丁度良かったッ!実は今年からサポート科の内容を充実しようと思っていたところでな。まだ計画段階ではあるが、URAからの全面的な支援を受けて改革をするつもりだ!」
それは初耳だ。俺はたづなさんの方に視線を向けると彼女は人差し指を口に当てていた。おそらく口外無用ということなのだろう。俺は了承の意味を込めて頷く。
そしてそのまま理事長が言葉を続ける。
「それと君さえよければだが、このまま用務員の仕事を続けてみる気はないか?」
「用務員の仕事を、ですか?」
「そうだッ!今日の大掃除の時の君を陰ながら見ていたが、とても楽しそうにしていた!故にッ!君さえよければアルバイトとして続けてみる気はないだろうか?」
それを補足するようにたづなさんが続ける。
「テスコガビーさんは学業面でも生活面でも模範的、大きな問題も起こしていないので申請に関してもすぐに通るでしょう。後はテスコガビーさん次第となりますがいかがでしょうか?」
しばしの逡巡の後、テスコガビーは答える。
「……私などでよければ、是非お願いしたいです。私を引き止めてくれた皆さまへのご恩を返すためにも、用務員としてのアルバイトをやらせてもらえますか?」
そしてこちらに向けた顔は、静かに、けれども奇麗な笑顔だった。
こうして、テスコガビーの職業体験は幕を閉じた。彼女はこれから自身が所属しているリギルをサポートしていくことを決めたと本人が言っていた。サポート科への転科はまだ時間がかかるが、いずれはと言ったところらしい。そして用務員としてのアルバイトも決まった。終わってみればすべてが丸く収まった、と言ったところだろうか。
だが、安心してはいられない。テンポイントの日本ダービーがもうすぐ控えているのだから。
次回はダービーに向けての特訓回。数話挟んでのダービーになると思います。
※気になった箇所を修正 7/22