日本ダービーまで残り数日となった今日、俺とテンポイントは最後の仕上げとばかりに気合を入れて練習をしていた。
皐月賞では悔しい思いをした分、その活力を次のダービーへと向けている。今はテンポイントに不足しているパワーを鍛えるために練習場のダートコースを利用して走ったり、腹筋や腕立て伏せなどの器具を使わないで鍛えられる練習をしている。色々と器具を自作している俺だがやはり最後にものを言うのはこう言った基礎トレだと思っている。筋力を鍛えるトレーニングが終わった後は最後に芝のコースでタイムを測定して切り上げる予定だ。
「よーし、ダートコースを後1周したら休憩した後にまた腹筋・腕立て・スクワットをもう一度3セットずつだ!気張っていけよー!」
俺はテンポイントに檄を飛ばす。彼女は走ることに集中しているため返事は返ってこないが、代わりに頷いて了承の意を示しているのが見えた。そして最後の1周ということでかわずかにペースを速めているのを確認した。
最後の1周を走り終わって肩で息をしている彼女に俺はドリンクとタオルを手渡す。
「お疲れ。まだまだ本調子とは言えないが、だいぶ戻ってきたな」
「ありがとさん。せやな、皐月賞で落ちとった調子も大分戻ってきたってとこやな。それでも6から7割がせいぜいやけど」
汗を拭きながら水分を取る彼女を尻目に俺は考える。
正直、7割の調子でダービーを勝つのは難しいだろう。別に他のウマ娘がどうこうというわけではなく、今回の出走数の関係でだ。すでに28人での出走がほぼ確定している。ここからレースを取りやめる子も出てくるがそれを加味しても20人以上での出走はほぼ免れないだろう。そうなると重要になってくるのは枠番とレースでの位置取りだ。
テンポイントの今回の枠番は2枠5番。今回の人数を考えればかなりの当たりだろう。自分の得意な前でのレースを展開するには内枠は有利に働くことが多い。そのため後は好位置につけるための筋力が必要になる。他のウマ娘と競り合っても負けない、最後の直線で抜け出すためのパワーが。
しかし、さすがに皐月賞から1ヶ月程度の期間で常軌を逸したパワーが手に入るはずもなく、多少はマシになったものの心配にならざるを得ない。当日はいかに好位置につくことができるかが勝負の分かれ目となるだろう。
そんなことを考えていると休憩時間の終わりを告げるアラームが鳴る。
「よし、休憩終わりだ!さっきも言ったがこの後は筋力の基礎トレをしていくぞ」
「りょうかーい。それにしても……」
そう言って彼女は自分の二の腕を確認するように触り始める。いかにも柔らかそうだ。
「あれから一月ずぅーっと筋トレやっとるのに、全然筋肉つかへんなぁ」
「さすがにそんなすぐつくほど甘くはないだろ」
「そうやけども。それでもちっともつかへんのはなんかなぁと思うんよ」
そう言いつつ、残念そうに溜息をつく。少しくらい成果が出ているのかと思ったらそんなことはなかったのだから残念になる気持ちは分かる。だが流石に一月程度で見違えるほどに筋肉がついたら今頃ボディービルダーだらけだろう。
慰めるわけではないが、彼女に言葉を贈る。
「まあ今こうして練習していることが無駄になるなんてことはない。着実に一歩ずつ前に進んではいるんだ。しっかりと取り組めよ」
「せやなぁ。まあ今ウダウダ言うてもしゃあないし、しっかり気張るわ」
そう言ってテンポイントは筋トレの準備に取り掛かる。俺は回数をしっかりと計測する。計測しながらも俺の考えはダービーへの心配から抜け出すことはなかった。
筋トレも無事に終了し、残すとこは芝のコースでの計測だけである。休憩を挟んでテンポイントがスタート地点につく。今回は併走ではなく1人での計測だ。さすがに皐月賞の時のように都合よく空いているウマ娘がいるわけがなく今回は1人で測定することになった。
俺は自作した訓練用のゲートにテンポイントが入ったのを確認するとストップウォッチを手に取り、ゲートを開くためのボタンを手に取る。少しの間沈黙が流れた後、俺がボタンを押すと音を立ててゲートが開く。そしてゲートが開いたと同時にテンポイントはスタートを決めていた。
その姿に俺はゲートをコースの外に片付けつつ、感嘆の声を上げる。
「相変わらず、スタートダッシュが抜群にうまいな……」
テンポイントはまるでゲートが開くタイミングが分かっているかの如く、スタートを切る。いつもいいスタートを切るので俺はなんとなく彼女に話しかけて会話をしている途中でゲートを開いたことがある。しかしそれでもほぼ寸分の狂いもなくスタートダッシュを決めている姿には度肝を抜かれた。このスタートの良さも彼女の長所の1つだろう。
1200m。いつも走る調整用の距離を走り終えてテンポイントが戻ってくる。タイムを確認してみると
「……まずまず、やな。可もなく不可もなく」
「そうだな。好調の時のタイムには少し足りないか」
いいタイムではあるが、好調の時に記録した時よりも少しだけ落ちていた。まだ本調子とはいかないということだろう。
「どうする?今回はここでやめとくか?」
俺の言葉にテンポイントは否定の言葉で返す。
「いや、ちょっと納得できへんわ。もう一本いけるからお願いしてもええか?」
体力はまだ余っているらしい。彼女はそうお願いしてきた。
「……そうだな、あと1本だけ計測してみるか。ゲートの準備をするから少し待っててくれ」
そう言って俺はゲートの準備をする。彼女は休憩をしながら準備が終わるのを待っていた。
準備も終わったのでもう一度彼女はゲートへと入り、出走の準備をする。俺がボタンを押すとゲートが開きそれと同時に彼女は走り出した。再びタイムを計測し始める。
走り終えてタイムを確認してみる。これは……
「皐月賞前に計測したタイムと同じ……、いや、それ以上か」
今の彼女の調子を加味すると、順延前に最後に計測したタイムと同じであり順延後の最後に計測したタイムよりも良い出来となっていた。後は本番までこの調子を維持するように俺が頑張るだけだろう。
テンポイントが記録用紙を覗き込んでくる。彼女は嬉しがるわけでもなくこう答えた。
「う~ん……、いまいち納得できへんなぁ……」
どうやらまだ物足りなさを感じているのだろう。納得できないと口にしていた。すると彼女は名案を思い付いたようにこちらに提案してくる。しかし、
「なぁ、トレーナー。せっかくやから……」
「ダメだ。これ以上は身体壊すぞ」
どうせもう1本計測しようという提案をするつもりだったのだろう。俺は先んじてその提案を断る。そもそもこの実戦形式の練習も週に2本が限界なのだ。日に3本もやったら身体に影響が出る可能性がある。
どうやら図星だったのか彼女は頬を膨らませて抗議してくる。
「ええやん別に。後1本だけやし」
「その1本で身体を壊す可能性だってあるんだぞ。普通はレースの間隔で本数を変えるがそれでも日に何本もやるのはやりすぎだ。そんな可愛く抗議してもダメったらダメだ」
「ブーブー」
彼女はなおも頬を膨らませながら講義してくる。皐月賞での敗戦がよっぽど悔しかったのだろう。とにかく練習してトウショウボーイに勝ちたいっていう気持ちが透けて見えてきそうだ。
俺はテンポイントを諭すように話しかける。
「いいか?皐月賞で負けて焦る気持ちも分かるが、そんな時だからこそ冷静に行くべきだ。お前が今すべきなのは日本ダービーまでに調子をできるだけ戻すこと。それが最優先事項だ」
「……分かった。確かにちょっと焦っとったみたいや。スマン」
どうやら分かってくれたらしい。彼女は引き下がった。
「分かってくれたか。じゃあ後はクールダウンして上がるぞ」
「了解や。あ、そうそう」
テンポイントは何かを思い出したようにこちらに話しかけてくる。
「トレーナー晩御飯作ってくれへん?重箱かなんかに作って」
「なんでまた?珍しいな」
彼女の提案に珍しいと思いつつも理由を尋ねる。すると理由を話し始める。
「いやぁ、トレーナーの料理って美味いやん?栄養バランスも完璧やし。やからダメもとで作ってくれへんかなーって。ボクらも自炊はしとるけどどうしても偏ってしまうねん。それに今日はなんやそういう気分やなくてな。やからお願い!」
気持ちは分かる。自炊できるといっても大体の人は栄養バランスも何もない自分の好きなものだけを作るご飯になりがちだ。実際俺もそうだ。まあアスリートである彼女たちはもうちょっと気を配ってほしい気がするが。
特に断る案件でもないので了承する。
「今日だけでいいんだろ?だったらこの後作ってやるよ」
「やったぁ!ええなぁ、楽しみやなぁ!」
なんか小躍りしそうなほどに喜んでいる。そこまで喜ばれると作る身としても嬉しいが。
器具も片付けてトレーナー室で俺はテンポイントに渡す用の料理を作り始める。一応要望なども聞いており材料もあるので後は作るだけだ。
料理をしている最中、テンポイントは急に不安そうな声でこちらに質問してきた。
「なぁトレーナー。ちょっとええか?」
「ん?どうした?」
不安そうな声のまま彼女は続ける。
「皐月賞、負けてしもうたけど、それでもトレーナーはボクのことを最強って言うてくれるんか?」
「当たり前だろ」
俺は即答する。驚いている彼女を尻目に俺はそのまま言葉を続ける。
「歴代最強って言われてるシンザンだって何回かは1着を逃してるんだ。確かに最強を証明するには3冠ウマ娘になるのが手っ取り早いとは言ったが、別に3冠取らなくても最強とは言えるんじゃないか?なんとなくだけど」
……言っておいてアレだが、俺自身最強のウマ娘という定義が曖昧だ。せっかくのかっこいい言葉も最後の一言で台無しだろう。
彼女も同じ思いだったのか小さく噴き出した。
「なんとなくて。せっかくええこと言うてたのに最後の最後で台無しやな」
「うるせー。俺もそう思ってたところだよ」
軽口を言い合う。すると彼女は今度は感謝の言葉を言ってきた。
「……ありがとな、トレーナー。日本ダービー、ボク頑張るわ」
「おう、頑張れよテンポイント」
そのまま料理を作る音を聞きながら、静かに時間が流れていった。
──そして、日本ダービー当日の朝を迎える。
前話でダービー本編まで数話挟むと言いましたがまさかの一話のみでした。プロット書かないせいですね申し訳ないです。