菊花賞が終わってから数日が経ち、いつもの業務へと戻っている今日。俺はトレーナー室がある別棟にいる。他のトレーナーから借りた資料を返しに行くために訪れており、今はその帰り道だ。特段急いで帰る用事もないので普段あまり見ることのない別棟の様子を見ながら帰っている。
「俺はトレーナー室別の場所にあるからあんま見る機会ないんだよなぁ。用務員としても来ることはないし」
本校舎とあまり変わりはないのだが足を踏み入れることがないってこともあってか新鮮な気持ちだ。設備の色々なところに目を向けてしまう。
ただあまり長居すると変な奴らと鉢合わせる可能性もあるので面倒なことになる前に周りを見るのは程々にしてさっさと帰ることにしよう。
そんなことを考えているとトレーナー達が1つの集団となって会話している様子が見える。顔を確認してみるとその顔には少しだけ見覚えがあった。前に理事長に集められた際にサポート科を必要ないと言っていた奴の周りにいた連中、つまりは柳さんの言っていた俺のことを良く思っていないトレーナー達だった。
まさか本当に面倒な奴らに鉢合わせるとは思わなかったが、顔を合わせないようにしてその場を素通りしようとする。しかし通り過ぎようとした瞬間、集団の1人に肩を掴まれる。そのまま俺に向かって話しかけてきた。
「おいおい、誰かと思えば……神藤君じゃないか?どうしたんだこんなところでコソコソと」
肩を掴んできたそいつはニヤつきを抑えられないといった様子だ。何を考えているのかは分からないが碌なことを考えていないことだけは分かる。なのでここにいる理由をさっさと教えて立ち去ることにした。
「……他のトレーナーに借りた資料を返すために来ただけですので……。では私はこれで失礼します」
そう言って俺は立ち去ろうとするのだが、俺の肩を掴んでいる手は逃がすまいとばかりに強く掴んでいる。正直振り払うこと自体は簡単ではあるがそうした場合もっと面倒なことになる可能性を考えてそのままにしておく。
俺は早く立ち去りたいので彼らに話しかける。
「あの、私に何か御用でも?早く戻りたいのですが」
すると彼らは楽しそうに俺の問いに答える。
「まあそうツレないこと言うなよ神藤君。せっかくここで会ったのも何かの縁だ、俺たちと楽しくお喋りしようぜ?」
「そうだそうだ、是非聞きたいなぁ神藤君の話をさぁ?」
……楽しくお喋りと言っているが、彼らの言いたいことは大体わかる。最近のテンポイントの成績についてだろう。しかし逃げられないと悟った俺は渋々その場に居座ることに決めた。
案の定、楽しいお喋りと言っておきながら話題となったのは俺に対する糾弾、というよりは遠回しな皮肉が主だった。
俺はただ聞き手に徹している。
「しかし、神藤君はすごいよなぁ?テンポイントほどの逸材をスカウトできたってのに最近は全然じゃないか」
「まあ待てよ、もしかしたら作戦かもしれないぜ?なんせ用務員とトレーナーを兼業するような奴だ。俺らじゃ思いつかないようなすごい作戦があるかもしれないだろ?」
「そうだなぁ?きっと最近の負け続きも作戦のうちかもしれないなぁ?俺も用心しておかないとな!」
その会話に俺は適当に相槌を打つ。
「ハハッ、ソウデスネ」
しかし表にこそ出さないが、内心はめんどくさいことこの上なかった。
(めんどくせー。さっさと終わってくれないかな)
正直、ただこれだけのためにわざわざ引き留めているのかと思うと本当にこいつらはトレーナー試験を合格したのかと疑わしくなってくる。ただ中には重賞を勝ったウマ娘を担当している人物もいるおり、インタビューでは普通の態度であったことから人間の外と中身は一致しないのだということが改めて分かった。
そんなことを考えていると1人の人物がこちらへと近づいてくる。俺を嫌っているトレーナー筆頭と言っていた時田だった。時田は静かに問いかけてくる。
「……あなたたち、何をしているんですか?こんなところで」
その言葉になぜか1人が慌てた様子で答える。
「と、時田さん!い、いやぁ、神藤君が珍しくトレーナー室がある別棟に来ていたものだから、お話していたんですよ!なぁみんな!?」
「そ、そうですそうです!みんなで楽しくね!な、神藤君!」
急にこちらに話を振られたので一応返事だけはしておく。
「ソウデスネ」
すごい棒読みになったがまあいいだろう。すると時田は溜息をつきながらこちらに話しかけてくる。
「……別にお話しするのは構いませんが、集団で1人の人間を囲んで嫌味を言っている暇があるなら自分の担当のことを考えた方がいいのではないですか?」
至極真っ当な意見である。時田に言われたのが効いたのか、トレーナー達は1人また1人とその場を去っていった。この場には俺と時田だけが残る。
彼に助けたつもりはないのかもしれないが助かったのは事実なのでお礼を言う。
「ありがとうございます。おかげで助かりました」
すると時田は首を振って答える。しかも頭を下げながら。
「いえ、こちらこそ迷惑をかけました。彼らは私と仲良くしてくれているのですがまさかこんなことを起こすとは」
その態度に俺は目を丸くして驚く。とても俺を嫌っている人物とは思えなかったからだ。唖然としていると時田は言葉を続ける。
「意外ですか?自分のことを嫌っていると思っている人物がこうして頭を下げているのが」
その言葉に俺は頷く。
「正直、そうですね。噂程度にしか聞いていませんが時田さんは私のことを嫌っていると聞いていたので」
時田は笑みを浮かべながら答える。
「あなたのことは嫌いですよ。けれど今回悪いのは誰がどう見てもこちら側。謝るのは当然のことですし私個人も申し訳なさを感じていますので」
笑みこそ浮かべているが面と向かって嫌いと言えるこの胆力はすごいと言わざるを得ないだろう。
俺は時田に自分が疑問に思ったことを質問する。
「面と向かって嫌いって言えるってすごいですね。しかも本人に。どうして私がそこまで嫌いなんですか?他のトレーナー同様に趣味でライセンスを取って仕事をしているような人物は気に食わないからですか?」
俺のことを嫌いなトレーナーの大半はこの理由だ。おそらく時田も同じなはず。だが俺の読みが外れていることを示すように時田は首を振る。
「違いますよ。最初こそ趣味でライセンスを取ってトレーナーになる、給料が上がるからトレーナーを受けたという噂を聞いてふざけているのかと思っていましたが、あなたのトレーナーとしての態度、実績、実力などを鑑みても決してふざけてはいなかったことが分かっていたので」
どうやら違ったらしい。では俺の何がそんなに気に食わないのか?そう思っていると時田は言葉を続ける。
「私があなたを嫌いなのは、担当に接する態度ですよ。あなたは担当に対して過保護と言えるまでに接しているでしょう?それがあなたを嫌いな理由ですよ」
「……どういうことです?」
確かにテンポイントからも過保護と言われるまでに接していた自覚はあるが、それの何が悪いのか。俺は時田に聞き返す。すると彼はさも当然とばかりに答える。
「簡単なことですよ。トレーナーとウマ娘はビジネスライクの関係でなければならない。下手に接しすぎて彼女たちに入れ込みすぎたら勝てるレースも勝てなくなる可能性がある。あくまで彼女たちが勝てるように余計な感情を持ち込まずに徹底的に管理する。少なくとも私はそうしてきました」
俺は時田の言葉を黙って聞く。そのまま彼は言葉を続けている。
「理事長のサポート科の改革案を反対したのもそれが主な理由です。もしあの案がそのまま通ってしまったらそれはウマ娘にとって余計な感情が生まれてしまうきっかけになる可能性がある。それを考慮して私は反対しました」
「レースに余計な感情はいらない。ウマ娘にはただただロボットのように走れ、と?」
「極端に言えばそうなるでしょう。ただ誤解しないでいただきたいのはレースに喜びも怒りも持ち込むな、というわけではありません。モチベーションの維持には必要なことですから。ただ理事長の改革案をそのまま持ち込んだらレースに余計な感情を持ち込むウマ娘が出てこないとも限りません。だから反対しました」
時田はそう言い切った。そして言葉を締める。
「……まあ、色々と理屈をこねましたが結局のところ私があなたのことを嫌いな理由は自分とは決定的に違う人間だから、それにつきます。ただただ気に食わないんですよ、あなたのことが」
「随分とまあ好き勝手に言ってくれますね。全て事実なので言い返す気はありませんが」
「気を悪くしたなら謝りましょう。ただあなたにだっているのではないでしょうか?決して分かり合えない、そう感じる嫌いな相手が」
確かにいる。いや、今できたと言った方がいいだろうか。
「時田さん、まずはあなたに謝罪させてください。私はあなたのことを誤解していました」
「誤解、とは?」
「私はあなたのことをウマ娘を自分のステータスを上げるための道具としか思っていない、ウマ娘の気持ちを何も考えていない。少なくともトレーナーが集められたあの日以降、私はずっとそう思っていました」
時田は苦笑いしながら答える。
「酷い言われようだ。そんなはずないでしょう。私はあくまで彼女たちが望んでいる勝利への道を私なりに提示しているだけです」
「そうですね、少なくともこうして話してみてあなたは私が思い描いていた人物とは違うということが分かりました。だから謝罪させてください。すいませんでした」
「いえいえ、誤解が解けて何よりです」
時田はそう答えた。俺は彼に言葉を投げつける。
「それを踏まえた上で言わせてもらいましょう。俺はあんたのことが嫌いだ」
「……ほう?それはなぜです?」
「確かにトレーナーとウマ娘はビジネスライクであるべきだというあんたの考えは分からなくもない。それで勝ってきたことはあんたの指導は間違っていないってことだろう。けれど、俺の理想とするトレーナー像はトレーナーとウマ娘が二人三脚で走って喜びも悲しみも分かち合うような関係なんだ。俺はレースに余計な感情を持ち込むことが決して悪いことだとは思わない」
「そうでしょうか?私はそうは思いませんが」
「少なくとも、俺はそう思っている」
その後も多少の議論をしていたが、俺たちの会話は平行線だった。何もかもが合わない。それに気づいたのか時田は溜息をついて結論を出す。
「……やはり、あなたとは考えが合わないようだ。これ以上は時間の無駄ですね」
「そうだな、俺もさっさと帰らせてもらうよ。ただあの連中から解放してくれたことには感謝する」
「まあ、見ていて気分の良いものではありませんでしたから。あぁそれと、気をつけてくださいね」
別れようとした時、時田はそう言ってきた。そして俺に忠告をしてくる。
「テンポイントがクラシックを取れなかった件、あなたが思っている以上に記者の方々は思うところがあるようですよ。今でこそ学園側で処理していますが、その内よからぬ記事が書かれるかもしれませんね?」
「……わざわざご忠告どうも」
「いえ、それでは私はこれで」
そう言って時田はそのまま去っていく。俺も別棟から出るために歩を進める。その道中時田のことについて考えていた。
(いるもんだな。自分とは決定的に考えが合わない人物ってのが)
考えていたよりも悪い人物ではなかったが、それでも嫌いな人物であることには変わりはない。俺はそんなことを思いながら別棟を後にした。
時田は管理主義に近い考え。主人公はアプリトレーナーに近い考えです。どちらが正しいというわけではないんですよね。